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村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

咲く花は

2025-04-10 23:40:44 | 村雨庵 稽古 

咲く花は八重か一重かおぼつかな

おぼろ月夜の山蔭の道

 自画賛 阪正臣筆

 

 

4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋

4月9日水曜日は大仏の日

熊ショウさんちで七時式

4月10日は村雨庵の稽古日

明日はまた森金さんの水屋

土曜日は和美の会

日曜日はサカチカさんの水屋

 

4月は何かとあわただしく

この後もずっと予定が詰まっている

良いような悪いような

突き進むしかないが

出来なくなったら自然に止むはず

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花冷えや

2025-04-02 19:19:31 | 村雨庵 稽古 

花冷やはるかに燃ゆる花篝 草城

昨日は火曜日
火曜日は南方録のお勉強
今回は
覚え書 二十一
飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なり
しかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり
2畳3畳4畳別して四畳半によし
茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは 茶立口より出し入れは好まざることなり
亭主まず台を座へかかえだし 布巾にて清め さて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし
下に汁椀を重ね かくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て 台の上に上げ 汁は汁次にて出す
菜も鍋にても鉢にても出す
その品次第の見合せなり
酒は一、二返にてすむべし
食椀の蓋にしたるものにて飲むなり
客の食いよう別してきれいに喰うべし
惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり
汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよし
また一様は食椀 汁椀 蓋この三つを銘々青染のもめん袱紗にて包みて出し
物相は寺のごとく鉢に入れて運びだし  亭主銘々客へ配る
客も椀を出して受くる仕様もあり
もちろん飯台は魚肉料理の時の事にてはなし
椀の蓋一つ二つも様子次第

とまあ これが元かな
今日は水曜日
寒いので朝早くから炉に炭を入れ釜を掛けエアコン入れた
それでも寒い

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茶通箱

2025-03-20 16:38:16 | 村雨庵 稽古 

19日と20日は村雨庵の稽古日

釣釜と透木釜

どちらでも炭手前を出来るように稽古

二碗物の茶通箱に続き薄茶

教える方も習う方も能がよく働く

茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある

出会い桟蓋は持ってないので

桟蓋の茶通箱で稽古

茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ

薄器は棗と形の違うものを

稽古では四滴の中から選んで使う

はじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいが

そのあと

正客はのんびりとしてるわけにはいかない

よく言う茶巾袱紗で「今一種」

塵打ち聞いたら出会いで返す

二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」

茶碗返しつ茶入に仕服を引く

茶筅清めば拝見をする

水指の蓋で拝見かけて

それを引くとき茶入仕服を返す

というわけで

気を抜く暇はない

 

 

 

 

 

 

 

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春雨や

2025-03-12 19:05:41 | 村雨庵 稽古 

春雨や蓬をのばす艸の道 芭蕉

 

今日は小熊の会

春の雨が降っている

何でも名前をつけるのが好きらしく

村雨庵の七事式の会のこと

お宿のクマショウさんクマアッコさんの姉妹が

実に良いのだ

お二人とは二十数年前に

お香の教室でご一緒してからのご縁

明るく素直で気持ちの良い人物

二人とも八十路だが背が高く体格も良く

年齢にしては頗る元気だ

いつものお稽古は時間に二名ずつだが

七事式は最低五名なのでビジターも入れると

大勢になり

とても賑やかで

楽しい

 

古筆切の

「愛知切」は

平安時代の写経の名筆

伝承筆者は小野道風

丁子吹きに金砂子

金泥の界

道風が現在の愛知県春日井市に生まれたとの説による

覚えられると 良いが

 

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雪の色を奪ひて咲ける梅の花

2025-02-19 21:56:20 | 村雨庵 稽古 

 大伴旅人
雪の色を
奪ひて咲ける梅の花
今盛りなり
見む人もがも

今日は水曜稽古
寒波がやってきて寒い

来週茶事の亭主をする雪の輪さんが
露地つくばい腰掛の掃除をしてる
村雨庵での茶事茶会はしばらく開催してないので
庭は自然のまま
掃除は大変だ

寒いから適当に休んで
適当に終えてね
と言っても
庭仕事はやり始めると止まらない
結構楽しく
結構 達成感
寒さも忘れたと…
お粗末な狭い庭だが
掃除のあとは清々しい

写真の掛けものは
竹に雀
筆者は晴川院養信
   セイセンイン オサノブ

狩野養信
カノウオサノブ
1796-1846
江戸時代後期の絵師。
木挽町家狩野派9代目。
通称は庄三郎。
号は玉川、晴川院、会心斎。

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軒端の梅や盛りなるらむ

2025-02-13 22:18:55 | 村雨庵 稽古 

旅宿梅
   基弘
草まくら
かりねの床の
におふかな
軒端の梅や
盛りなるらむ

基弘とは
二条基弘ニジョウモトヒロ
安政6年10月25日〈1859年11月19日〉 - 昭和3年〈1928年〉4月4日)
日本の華族。
宮中顧問官、正二位勲二等公爵となる。
九条尚忠の八男で、
従兄・二条斉敬の養子となる。
1890年(明治23年)9月から
1920年(大正9年)1月まで貴族院議員を務める。
斉敬の実子である二条正麿男爵は義弟。
(ウィキペディアより)

今日は木曜稽古
二月は大炉
初炭と
後炭が面白い

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まづ咲やどの梅の花

2025-02-12 19:59:07 | 村雨庵 稽古 

 山上憶良
春されば
まづ咲やどの
梅の花
ひとり見つつや
春日暮らさむ

写真は名所江戸百景
蒲田の梅園

歌川広重
安政4年(1857)刊 

歌川広重は
「名所江戸百景」で、
2つの梅園を描いている。
「亀戸の梅屋舗」と「蒲田の梅園」だ。

京浜急行の梅屋敷駅(東京都大田区蒲田)の近くに、
聖蹟蒲田梅屋敷公園という和風庭園がある。
文政年間(1818〜1831)に、
道中の常備薬「和中散」を商っていた山本久三郎が、
売薬所の敷地に沢山の梅の木を植え、
茶屋を開いたのが始まりとされている。

広重の時代、梅が咲く頃には
多くの見物客が訪れたらしく、
その賑わいの様子が描かれている。
絵の中に幾つかの石碑が見られるが、
俳句好きの久三郎が多くの句碑や
里程標を置いたのだそうだ
この絵が描かれた約10年後、
明治天皇が行幸の際に立ち寄り、
お気に召され、
以後も幾度か訪れたのが聖蹟の由来のようだ。

今日はクマショウさんちで七事式
久しぶりに椛カバちゃんや
富津からのアイテラシが参加して
かしましく賑やか
同窓会のようだった


 

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猶ふる雪の寒ければ

2025-02-06 21:18:33 | 村雨庵 稽古 

 源実朝
かきくらし
猶ふる雪の寒ければ
春ともしらぬ
谷のうぐひす

かきくらし→掻き暗す
(読み)カキクラス

1 空を曇らし、暗くする。
雨や雪が、空が暗くなるほど強く降る。
2 心を暗くする。悲しみにくれる。

今日は木曜稽古
わが家は寒い
エアコンだけでは寒い寒い
一尺八寸の大炉を開けて
もうひとつ一尺四寸の
炉を開ける
それでも寒いが炭が入ると
ほんのりじんわり温かくなる

大炉の方が空気の流通がよいらしく
炭が早く燃えるようだ
ポカポカとなるには
時間がかかるが
炭手前は欠かせない

逆勝手の稽古はいつでも可能だが
大炉は二月のみだ
初炭 濃茶 後炭 薄茶
一通り稽古しよう

炭斗の炭の組み方は
炉の右に置くときは
 常と同じように組む
 大炉は右
炉の左に置くときは
 左右逆に炭斗に組む

八炉すべてに置いて共通
羽根カン箸香合かまの蓋

羽根カン箸は近い手で取り置く

香合のみ必ず右手で取り 置く

羽根は近い手で取り
右手で扱う
炉ぶちのはき方
初掃き
中掃き
後掃き
大炉と普通の炉は異なるが
八炉は皆同じ

灰のまき方
大炉と普通の炉は異なるが
八炉のまき方は同じ

炭のつぎ方は
角度は異なるが逆勝手も本勝手も
八炉は同じようにつぐ

一通りやってみよう

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池田より

2025-02-05 22:02:38 | 村雨庵 稽古 

池田より炭くれし春の寒さ哉 蕪村

今日から大炉
初炭
濃茶
薄茶の稽古
後炭は今日は誰もしてない
もうひとつは逆勝手の稽古

裏千家は客付の足で敷合せを越すことになっているので

茶道口にて挨拶
行く方の足を立てる
大炉、逆勝手は左足を立て
後ろの右足を敷居まで進め
客付左足で入る

帰りは壁付の足をたて立ち
立てた左足の踵を壁の方に動かし
右足を進めて
客付左足で敷合わせを越える

初めの足を間違えなければ
あとは大丈夫
大炉も逆勝手も右か左かと
常より考える
集中して考えると
寒さのことは
忘れるそうだ
そう習ったので
二月八月は逆勝手の稽古だ

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寒き都のここかしこ

2025-01-30 22:44:48 | 村雨庵 稽古 

水仙や寒き都のこゝかしこ 蕪村

今日は木曜稽古
お家元から宅急便が届いた
干支扇子

干菓子

写真は干支扇子
流水走青蛇

読みは
流水せいだを走らす

谷川の流れる様は
青い蛇を走らせるかのようだ


一溪
   金・段繼昌
一溪流水走靑蛇,
春在江邊漁父家。
竹外寒梅看欲盡,
淸香移入小桃花。

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冬の梅

2025-01-22 21:46:31 | 村雨庵 稽古 

鶯の逢ふて帰るや冬の梅 蕪村

今日は水曜稽古
お菓子は練切の紅梅

別名に
好文木コンブンボク、
春告草ハルツゲグサ、
木の花コノハマ、
初名草ハツナグサ、
香散見草カザミグサ、
風待草カゼマチグサ、
匂草ニオイグサ

花の兄とも言う

梅は奈良平城京の美しさと
文化郷愁の花とされ
和歌や能に登場する

天平2年(730年)1月13日、
大宰帥・大伴旅人の邸宅にて
梅花を題材に32首の歌が詠まれた。
この宴会を「梅花の宴」と呼び、
これら32首の歌は『万葉集』巻五に収録。
これを基に、元号『令和』が制定されている。

有名な話し

「桜伐(き)る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」
「東風(こち)吹かば
にほひおこせよ梅の花
主なしとて
春な忘れそ」

「桃栗三年、柿八年、
柚の馬鹿野郎十八年、
梅はすいすい十六年」
などと聞いたり言ったりするが

「梅の木学問」とは何=
梅の木が
成長は速いが
大木にならないように、
進み方は速いが
学問を大成させないままで終わること
『広辞苑より』

この反対は「楠学問」=
クスノキが
成長は遅いが大木になるように、
進み方はゆっくりであるが
学問を大成させること

「梅の木分限」=
実を付けるのが早いが
大木がないことから、
なりあがりのこと。
反対は「楠分限」
とウィキペディアにあった

知らなかった

 

 

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つばらつばら

2025-01-16 22:15:54 | 村雨庵 稽古 

見て行くやつばらつばらに寒の梅 漱石

つばらつばら= 「しみじみ、心ゆくまで」
鶴屋吉信のお菓子の銘にもあり

今日は木曜稽古
薄茶茶碗の棚には
お正月らしいものを選んだ
右から楽 富士山
中 色絵 海老
左 色絵紅白梅 粟田焼

中の海老の茶碗は京焼だが
海老で有名なのは眠平焼
民平とも書く
淡路島の焼物で淡路焼とも言う

ウィキペディアによると
賀集 珉平
(かしゅう/かしお みんぺい、
1796年2月23日(寛政8年1月15日)
~1871年8月27日(明治4年7月12日))は、
幕末から明治時代前期の陶芸家である。
名は惟一。号は勝瑞。
姓は加集とも表記される。

淡路に生まれ、後に上洛して
初代尾形周平に師事し陶芸を学ぶ。
その後故郷の伊賀野村に周平を招聘し
庄屋を開き、黄南京写や
京焼風を元に釉薬を発明し
新しい作風の陶器を製作した。
この焼風は現在の南あわじ市で制作される「淡路焼」と呼ばれ、
別名として「珉平焼」と呼ばれる事となった。

赤い海老が茶碗に大きく描かれていたら
「眠平ですか」と聞いてみよう

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門の春

2025-01-15 21:22:14 | 村雨庵 稽古 

返り咲く小米花あり門の春 たかし

松本たかし
[1906~1956]俳人。
東京の生まれ。
能楽師松本長ながしの長男。
病弱のため能を断念、
高浜虚子に俳句を学び
「ホトトギス」同人となる。
俳誌「笛」を主宰。
著「鷹」「石魂せきこん」など。
(コトバンク)

今日はクマショウさんちで
今年初の七事式
八畳の茶室
お宿のくま家では
まず掃除
朝比奈宗源の掛軸を掛け
染付 高砂花入に花を入れ
用意してあった道具ならべる
正月のため長板に
祥瑞蜜柑水指
蓋置は色絵の羽子板の羽根
香合は琵琶
お菓子は巳年の焼き印あり

朝比奈 宗源
アサヒナソウゲン
1891年(明治24年)1月9日 ~ 1979年(昭和54年)8月25日)は、
臨済宗の禅僧。
臨済宗円覚寺派管長、円覚寺住職。
日本を守る会代表委員、
スパイ防止法制定促進国民会議呼びかけ人なども務めた。
水戸黄門、大岡越前の題字でも有名
(ウィキペディア)

大勢なので賑やかだが
まずは集中
足の運び
折据の扱い
札の持ち方
集中よ
来月も頑張りましょう

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ときわなる

2025-01-09 22:46:49 | 村雨庵 稽古 

ときわなる
松にも春のめぐりきて

ひとしおの
色まさりけり
 松尾宗吾

松尾流初代は宗旦の門人松尾宗二
宗旦から「楽只軒」の書、
「楽只」銘の茶杓と花入を贈られている。

初代松尾宗二(楽只斎)は
元は近江の生まれで松尾家の養子に入り、
始めは町田秋波に茶を学び
表千家6代覚々斎のもとで奥儀を極めた。
享保のころまで
名古屋の町衆の間では
宗和流が盛んだったが、
このころ覚々斎は依頼によって
町田秋波を名古屋に遣わして
稽古をみさせていた。
秋波はまもなく亡くなり、
その代わりに享保9年(1724年)楽只斎宗二が名古屋へ派遣されるようになった。
京都においては近衛家・鷹司家より殊遇を得る
とネットより
これは松尾流10代
松尾宗吾 不染斎

今日は木曜稽古
台子に皆具
西村徳泉の染付帯赤字金蘭手
久しぶりに嶋台を取り出し
小習いの重茶碗
今年も初釜はしないので
お弟子様の
一人初釜点前
頑張って ね

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日出乾坤輝

2025-01-08 21:48:14 | 村雨庵 稽古 

日出乾坤輝
 ひ いでて
 けんこん
 かがやく

「日出乾坤輝、雲収山岳青」

乾坤ケンコンとは
天地。
易 の卦 。
陰陽
いぬい(北西)の方角
ひつじさる(南西)の方角。

ここでは天地のこと
宇宙のすべてという意味と解釈した
清浄なる日の出が刻々と明るみを増してくる
生気に満ちた日の出を目の前にすると
思わず手を合わせたくなる。
新しい年を迎える新鮮な気持ちにふさわしい。

今日は
村雨庵の初稽古
去年と同じように
炉を整え掃除して
茶室はしばらく使ってないので
早くから釜をかける

こうして動くのも
久しぶりだ
お弟子たちがやって来て
お互いお喋りを始めるのだが
これも久しぶり
なんとなく身体が楽で
気分も晴々しい
血の巡り良し

令和七年が始まった
無理しないで
それなりに頑張ろう

思った
明日もお稽古

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