村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

草遠くして牧の秋

2016-09-30 04:21:13 | お勉強
雲高く艸遠くして牧の秋 小波

書いてある馬のなんと
元気なことよ

そう言えば
お弟子様のkabaちゃんが
以前から乗馬を習っている


私は経験がないが
面白そうなので
稽古に来るとまず
お馬さんの話しを聞いてみる

乗る前にお馬さんのお世話をするそうだ
掃除をしてブラシを掛け
蹄鉄の状態を確認してとか
色々作業をしてから
やっと乗れるそうだ
先だっては
鞍を買おうか迷っていた
それが
聞くと結構高い
毎日は使わないし
嵩張るし
では
大変でしょうが
止めたら
と簡単に私は言ったが
買うのは本人
今度 3級だったか試験を受けるという
何でも面白いと思い
心から楽しめるものを
見つけることが出来たら
幸いだ


今日は月に一度の研究会
こうして
やきものの勉強をして
三十年以上たつ
それでも解らない事だらけだが
始めたら
繰り返し勉強する
始めたら止めない
それが
楽しい




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山水有清音

2016-09-29 01:33:06 | 村雨庵 稽古 
彼岸も過ぎたのに
今日の暑さは なんだ
三十度を超えている
蒸し暑い
掛け物はせめて

山水に清音有り
賛は
三島龍澤僧堂師家の中川宋淵
ネットを見ると
そうの文字が宋と宗との表記有り
掛軸の印を見ると宋のようだった



中川宋淵 (1907-1984)
室号は密多羅

臨済宗の禅僧・俳人。
山口県出身。
東大卒。
本名は基(もとし)。
昭和6年山梨県の向岳寺で得度。
のち静岡県三島竜沢寺の山本玄峰の法をつぐ。
24年から渡米をかさねアメリカで禅道場をひらく。
飯田蛇笏に師事,俳禅一如の俳句をつくった。
昭和59年死去。76歳。
句詩文集に「詩龕」。



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宜秋門院丹後ギシュウモンインノタンゴ

2016-09-28 00:10:43 | 女房三十六歌仙
宜秋門院丹後
ぎしゅうもんいんのたんご
生没年不詳
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌人。
女房三十六歌仙の一人。
丹後守源頼行の娘。
源兼綱らの兄妹。
源頼政は伯父にあたり、
従姉妹に二条院讃岐がいる。
摂政家丹後、丹後少将、丹後禅尼とも呼ばれる。

九条兼実家に出仕、
後に兼実の息女任子(宜秋門院)に仕え、
1175年(安元元年)以降多くの歌会・歌合に出詠した。
1201年(建仁元年)に出家、
その後も1207年(承元元年)頃まで歌人としての活動がみえる。
『千載和歌集』以下の勅撰集、
多数の歌合や百首歌等に作品を残している。
(ウィキペディアより)



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土蜘蛛とは

2016-09-27 01:15:00 | 能・謡
今日は謡のお稽古
「土蜘蛛」を勉強中だが
今日で上がる
土蜘蛛とは
ウィキペディアによると

土蜘蛛(つちぐも)は、
本来は、上古に天皇に
恭順しなかった土豪たちである。
日本各地に記録され、
単一の勢力の名ではない。
蜘蛛とも無関係である。
しかし後代には、
蜘蛛の妖怪とみなされるようになった。
別名「八握脛・八束脛(やつかはぎ)」
「大蜘蛛(おおぐも)」。

能では
源賴光が風邪で
臥せっているところに
土蜘蛛が襲ってきた
膝丸という名刀で切る
土蜘蛛は手傷をおい
古塚に籠もったところを
武士モノノフたちが行って退治する
と言うような感じ
大きな声で勇ましく謡わないとならないのだが
出だしの声だけで
後は尻つぼみに小さくなってしまう

節や音程にリズムに間合い
声の大きさやその人物なども
考え考えしなくてはならず
案外難しいのだ
そのうち楽しくて仕方ないと
先輩方は皆さんおしゃる
頑張ろう

写真は歌仙画
歌が書かれていなくとも
歌仙画だ



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菊の茶会

2016-09-25 22:42:13 | 茶事 茶会 
今日は良い天気
某所にて菊の茶会

詳細は書けないが
濃茶と薄茶
それとお食事
茶会は良かった
想像以上でその
余韻を味わいつつ
根津美術館へ

写真はそのロビーから撮った
展示は
中国陶磁勉強会
2016年9月15日(木)〜10月23日(日)
もちろん
勉強になった


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仏性は 白き桔梗

2016-09-24 23:10:44 | 紫廼茶話会
佛性は白き桔梗にこそあらめ 漱石

なんと
花入には
白き桔梗が入っている
まだ彼岸のうち
掛物は
釈迦涅槃図
光琳の白描歌仙図は遍昭
本席は宙宝の一行


今日は
紫兎先生の七事式の稽古
用事があり遅れて参加
今日の科目は
炭付花月と仙遊と投込無言花月
仙遊に参加したので
覚えを
書いておくが
あくまでも自分のため
違っているかも
しれぬ


仙遊のその順は
東半東と迎付
花寄せ又は廻り花
本炭所望半東支度
灰器帛紗で茶道口
東三客へ炭どうぞ
炭つぎ終えて
半東お礼
灰器を下げて炭を見る
三客どうぞお直しを
釜を寄せたら
風炉中拝見 東もする
釜に水次ぎ
釜清め
炭斗下げて香盆膝前回し出す
半東帰りに席に入る

香どうぞにて
二名礼する
二チュウ焚く
お香そのまま本香添えて
香盆下げて
棚香炉
茶入を下ろし水指前

茶碗建水
東濃茶
主客で濃茶
客のみ茶碗拝見す
半東茶碗届けるあいだ
留守の間に東は点前座
詰は茶碗を預かり置く事
点前座東が戻ればすぐに
水一杓でお薄は花月
すぐ皆帛紗付け
茶碗を返す
取込み総礼
半東立ち
干菓子器折据
すぐ四畳半
菓子食べた後札を見る
三服点して干菓子器正客
茶碗取り込み
また総礼
蜘蛛の子散しで八畳戻る
お道具拝見詰め返す
東は干菓子器
半東お道具取りに出て
またまた総礼
東先に出る
東半東で送り礼


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彼岸・飯後の茶事

2016-09-23 23:29:38 | 茶事 茶会 
毎月一度出かける
茶事の会
今日は 飯後の茶事

飯の後の茶事ゆえに
席入は一時
広間にて汲み出しを頂戴して
本席へ席入
挨拶の後
すぐさま吸物八寸

運ばれる木地の吸物膳
秋草文様の吸物椀に
枝豆入白玉
伊万里の白磁に
葡萄のおろし和え
菊なます
燗鍋と八寸を持ち出し
千鳥の盃
初炭
風炉中拝見

菓子の後中立

後座は花
濃茶の後 
続き薄茶

雨音を聞きながら
茶室に籠もれば
彼岸の取合せに
感心しきり

写真は 突上げ窓
ほんとは
あいた窓から緑がのぞき
美しいのに
それは写らない


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葡萄

2016-09-22 22:55:19 | Weblog
黒きまで紫深き葡萄かな 子規

葡萄を頂いた
皮ごと食べてもよい葡萄だそう
甘く美味


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彼岸の綿帽子

2016-09-21 23:26:13 | 村雨庵 稽古 
風も無き秋の彼岸の綿帽子 鬼貫オニツラ

鬼貫とは江戸中期の俳人
上島鬼貫ウエジマオニツラのこと
[1661~1738]
摂津国伊丹の人。
名は宗邇(むねちか)
通称、与惣兵衛。

水曜稽古
明日は彼岸の中日
秋分の日だ

掛け軸は
平安時代の古写経
仏事にはこれを掛ければよしと
彼岸にお盆
利休忌やそのほかの時にでも
悩まず使えるので
重宝している軸だ

写真は今日の菓子
練切の栗
銘は忘れた


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秋の朧や萩の花

2016-09-21 00:56:46 | Weblog
月に一度の茶の稽古
今日は会員がおひとり辞められたが
おひとり入会された
之も皆
縁だろう


今日の花
また写真を撮るのを忘れてしまったが
花入の花は5種
数珠玉、大毛蓼、
白の秋海棠、
桜蓼、萩

蕪村に
萩の俳句があった

足もとの秋の朧や萩の花 蕪村

萩の別名として
 「庭見草」
 「野守草」
 「初見草」
などがあるらしい

春のお彼岸にはボタンが咲くから
ぼた餅

秋のお彼岸にはハギが咲いているので
おはぎ

ふぅーん

写真はクマショウさんの姉君の趣味
秋草の刺繍がしてある
時代の布
月も見える
もとは着物だとか
月も秋草も
それを飾ることも
美しい


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袍(ホウ)の色

2016-09-20 07:45:29 | Weblog
今日は彼岸の入り
外に出ると彼岸花が
蕾をもって花咲く準備
ほんと忘れず彼岸に咲く
彼岸花


今日は
文の会
会員は三名
伊勢物語を音読する

伊勢物語は
平安時代の125段からなる
歌物語
作者・成立年未詳。
在原業平らしき
男の生涯を描いた


官人が朝廷に出仕するときに
着用した衣服を
袍(ホウ)
と言い冠位により
決まった色を着ていたようだ

一位は濃紫、
二・三位は薄紫、
四位は濃緋、
五位は薄緋、
六位は濃緑、
七位は薄緑、
八位は濃藍、
初位は薄藍(縹色)、
無位は黄。

色だけで位がわかる


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藤原道綱母ふじわらみちつなのはは

2016-09-18 22:41:32 | 女房三十六歌仙
藤原道綱母
フジワラミチツナノハハ
936-995
平安時代中期の歌人。
藤原倫寧の娘。

藤原兼家の妻の一人
子は道綱

『蜻蛉日記』は
兼家との結婚生活の
様子などをにつづった。

小倉百人一首では
右大将道綱母とされている。
小倉百人一首
歌番号53番

なげきつつ
ひとりぬる夜の
あくるまは
いかに久しき
ものとかはしる

兄・藤原理能の妻は
清少納言の姉

姪の菅原孝標女は
『更級日記』の作者


藤原氏の家系図を頭に
すっぽり入れておくと
何かと便利だが
そうそう入らない
これからは悲しいが
ますます覚えられなくなるだろう



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百合子姫の濃茶席

2016-09-18 00:39:05 | 茶事 茶会 
このところ不安定なお天気
今日の茶会は如何かと
心配したが
なんのなんの心配無用の
良い天気
茶会の写真を撮るつもりが
すっかり忘れて
一枚もない 

この写真は
茶会の行きがけ
空き地に咲いている
芙蓉がふさふさと
あまりにも綺麗だったので
撮ったもの

百合子様は
濃茶席を担当なさるよし
はじめに通されたお席に
掛かるお軸は
近衛文麿の和敬清寂
その文字は風韻高く
気持ちの良いこと
さすが近衛様

緑を愛でつ
露地を進みますと
待合は
広瀬露香の和歌の軸
(1839~1908)
幕末船場の両替商
「千草屋」の当主だとか
なるほどそういえば
掛軸に千艸の印があった
近代大阪財界人、数寄者
趣味は多趣味で31もあった
大通人だそうな


菓子は美味美麗
薄桃色の着せ綿で
菊の霊力を頂戴する

本席の掛物は
川上関雪お家元の
嘉寿
命長しことを喜ぶとあり
誠に 
その通り

花入は
魚耳の胡銅
花は
秋明菊に白の秋海棠
床の真ん中にきりっといけられ
さわやかだ
香合は時代の
籠地行李蓋鉛青貝蔦蒔絵八角香合
近く寄ると
籠の繊細な編み目に
蔦の蒔絵が美しい

水指は耳付の高取
茶碗は黒楽
茶入は朝日

茶杓の銘は佳日
まさに
その通り

百合子姫の茶の風情の
上品ですっきりと
また優しく嫋やかな
ことよ

今日は
佳き 一日なる
満足



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鈴木其一の展覧会

2016-09-16 22:57:45 | 美術館・博物館
サントリー美術館
鈴木其一 江戸琳派の旗手
10月30日(日)まで
鈴木其一
(1796~1858)
江戸時代後期、
江戸琳派の優美な画風を基盤に、
斬新で独創的な作品を描いたとあった

今日は帝国ホテルのお食事に
お招き頂く幸せな日
良い気分のままに
サントリー美術館へ
大好きな其一を見て
そしてそのかえりは
虎屋でひと休み
これ以上のことは中々無い
この一日に感謝


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十五夜

2016-09-15 23:08:30 | 村雨庵 稽古 
今日は十五夜
木曜稽古




掛け物は
十五夜という題の二幅対
筆者は菊池容斎


菊池容斎
幕末・明治の日本画家。
江戸生。
名は武保、通称は量平。
はじめ高田円乗に狩野派を学び、
さらに土佐派をはじめ和・漢・洋の画法を修め、
有職故実を研究、
歴史画を得意とし、
近代の歴史画の隆盛の先鞭をなした。
明治11年(1878)歿、91才。
(美術人名辞典より)


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