村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

蔦の若葉もあゆみそめ

2024-04-08 20:55:14 | 古筆

潅仏や蔦の若葉もあゆみそめ 千代女

灌仏カンブツとは
1 仏像に香水(こうずい)を注ぎかけること。
また、その仏像。浴仏。
2 「灌仏会(かんぶつえ)」の略。

今日は灌仏会、花まつり
月に一度、古筆の勉強会

伊予切。
大正13年に分割されるまで
伊予松平家に伝わった為。
『和漢朗詠集』を書写した粘葉装冊子本。
伝称筆者を藤原行成(972〜1027)とするが、
「高野切」第三種

表に
藍と紫の飛雲を漉き込み、
表裏に
雲母砂子を撒いた
白鳥の子の料紙

上下二帖の筆跡は三種に分かれて
①伊予切の第一種
 上巻の前半(高野切第三の古筆と同筆)
②伊予切の第二種
 「秋夜」の後半以降と 下巻のはじめ十二頁まで
③伊予切の第三種
 その他は後世の補写か

難しいね

写真は 今日のランチ

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春の心はのどけからまし 

2024-03-11 21:02:31 | 古筆

世の中にたえて櫻のなかりせば
春の心はのどけからまし 

散ればこそいとゞ櫻はめでたけれ
うき世になにか久しかるべき
(伊勢物語)

掛軸の箱を開け
軸を取り出し掛ける
鑑賞したら巻く
そして箱にしまうまで
それぞれ緊張する

箱の蓋を開けるとき
気を許してはならない
爪で箱を傷つけることがあってはならないから
慎重に
掛け紙があればゆっくり外して
箱の甲書きを読む
裏を返して極めを見る
軸の紐をほどき巻き紙を外して
軸を掛け少しずつそっと掛け下ろす
乱暴にしたら掛け緒が外れてしまうかも知れぬ
または掛けている竹釘や軸釘が
壊れているかも知れないから
様子を見ながら掛ける
軸を鑑賞したら巻き上げるのだが
掛け下ろすより巻きあげる方が難しい
軸を持って均等に巻き上げる
傾くとどんどん斜めになってしまう
固くもなく柔らかくもなく巻く
でないと巻き皺シワが寄ってしまうから
力を入れすぎず
さわってるだけの感じで
扱う
あとは巻き緒で巻いて箱をしまうのだが

掛軸に関わる一連のことが
最近、面倒になってきた
毎週、稽古毎に変えていた掛け物
考えるのも、変えるのも
面倒になってきた
これが年を取っていくことかも

掛け物は第一の道具
面倒と思わず
面倒と言わず
気持ちが小さくならないように
頑張ろう
甘いものでも食べて
少し頑張ろう

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飛雲

2024-03-09 20:55:12 | 古筆

料紙の装飾に「とびくも」がある

とび‐くも【飛雲】とは
和紙の装飾として
ところどころに
雲のような形に漉(す)きこんだ、
藍色や紫色の繊維。
〔文芸類纂(1878)〕

飛雲は大きい方が古い
時代がさがるにしたがって
小さくなる

「中院切 」
「小島切」
「筋切」
「伊予切」
「敦忠集切」

「中院切 ナカノインキレ」は
『後拾遺和歌集』の断簡で、
もとは粘葉装の冊子本であった。
「中院切」の名前は、
江戸時代に公卿で能書であった
中院通村(1588~1653)が所持して
いたことにちなむ。
藍と紫の飛雲を漉きこみ、
金銀の揉み箔を全体に散らしている。

「小島切」
小島切の名は、
茶人でもあった小島宗真が
所有していたところから、
江戸末期の頃には『小島切』と称されている。


和紙販売のネットには
小島切の臨書の用紙が出ている

藍と紫に染めた繊維を
飛雲として漉き込んだ薄茶の染紙に、
砂子状の雲母を紙面全体に
鏤めた装飾料紙です。

尚、漉込の飛雲は
非常に手間がかかる為、
現在では藍と紫に染めた
楮の繊維を料紙を加工する際、
紙面に飛雲状に撒いて
定着させたものを使用しております。

ネットに説明があった

古筆の時代のような
自然な飛雲はまだ
作られてないようだ
今のものは
とこか不自然
平安のレベルにはまだのようだ

写真は「かおり姫」

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梅の宿

2024-02-12 20:33:21 | 古筆

梅の宿 残月硯を蔵しけり 夏目漱石

今日は旧暦の一月三日
夜空には
かうかうと
三日月が浮かんでる らしい
テレビ画面の月を見た

今日は古筆のお勉強会
いつも渋谷で乗換える

工事中の渋谷駅、
駅の中はごちゃごちゃでスムーズに進めない
足元も危ない
この頃は
山手線のホームから
ハチ公口の改札口を出て
ハチ公を横に見ながら急ぎ足で進む
信号を渡りエスカレーターで
井の頭線に乗りかえる
今日は祭日ゆえか
渋谷は凄く混んでた

写真は井の頭線の渋谷駅
改札口を出たところにある
岡本太郎の「明日の神話」


古筆家は
江戸時代を通じ
古筆鑑定の家として栄えた
初代は古筆了佐、
本名は平澤範佐、
近衛前久より鑑定の伝授を受け、
豊臣秀次より鑑定書に押す
「琴山の印」と「古筆の名字」を受けた
古筆家は
昭和の初めまで鑑定に関わり
「平澤了任」が最後の当主となり、廃業した

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小豆の煮るうち

2024-01-09 21:27:23 | 古筆

やぶ入の夢や小豆の煮るうち 蕪村

薮入りは
正月と盆の16日前後に
奉公人が休みをとれること

正月15日は小正月
小豆粥を食べる

かつて元服の儀を
小正月に行っていたということから、
1月15日は成人の日という。
(ウィキペディアヨリ)

今日は火曜日
正月の九日
旧暦では十一月二十八日

月に一度
渋谷で井の頭線に乗り換え
月一回の研究会へ
お正月の御神酒を頂き
いざお勉強
今年もたくさん勉強すれば
もっと楽しいことがあるはず

写真は忠犬ハチ公
外人が回りに大勢集まり
なかなか写真が撮れない
ハチ公の横姿になった

ハチ公のご主人は
渋谷区松涛一丁目に住んでいた
東京帝国大学教授の
農学博士
上野英三郎先生だと
道玄坂に住んでる友人から聞いた

本物のハチ公に会える
剥製が国立科学博物館にあるとか

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奥山の岩がきもみぢ

2023-11-13 20:43:18 | 古筆

 樋口一葉
ここまでは
あらしも訪はじ
奥山の
岩がきもみぢ
冬も残れり

関戸本古今集は
伝承筆者は藤原行成
零本が名古屋の関戸家に伝来したことから
こう呼ばれる。
染紙の料紙に、
緩急抑揚に富んだ筆を
自在に駆使し、
効果的な墨継ぎで
美しく流麗な連綿を展開する。

関戸本和漢朗詠集は
伝承筆者は藤原行成とされてるが、
高野切(第二種)、
平等院鳳凰堂扉の色紙形と同筆
と考えられていることから、
源兼行筆と推定される。
とネットにあったが。

さて、この関戸家とは
何だろう
名古屋の素封家だろうが
何々とはっきり言えるほどは、
知らない
調べてみた

関戸家は
尾張藩の御用商人。
幕末の関戸家の関戸内兄が重要らしい

関戸内兄 セキド ウチエ
文政7年(1824)~
明治33年(1900)
愛知県名古屋市千種区
商人・歌人。
初名は信允。
小字を梅吉。
後、梅五郎と改め。
長じて哲太郎と称す。
府下堀詰町の富豪なり。少うして植松茂岳の門に入りて学び、
詠歌を工にす。
又茶事を好み、
松尾宗五に学びて松下軒と号す。
内兄又古筆及び古器物を愛し頗ろ鑑識に長ず。
家固より収蔵多し、
而して名品逸物の市賈の間に出づるあれば、
多く之を購ふを以て、
其家蔵に天下有名の物頗る多し、
(名古屋市史)

わかったような

写真は京料理ふくもとの口取り

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柿熟したり

2023-10-09 22:27:49 | 古筆

わがやどの柿熟したり鳥来たり 漱石

元暦ゲンリャク校本万葉集とは
平安時中期~後期。
複数名の寄合書。
縦25×横17cm
1184年(元暦元年)に校合した「万葉集」。
「元暦万葉」。
切は「有栖川切」
「難波切」。
20巻のうち14巻あり
完本、残欠本、切。
巻6は鎌倉時代初期の補写本か。
巻17・巻18は同筆。
他12巻はそれぞれ別筆。
巻19は、西本願寺の「三十六人家集」のうち
「家持集」「能宣集上」「能宣集下」と同筆。
その書写年代は
「元永本古今集」書写の元永三年頃。
「元暦校本万葉集」の書写年代も
元永3年頃。か。

今日は月曜日
雨の日
タクシーを呼んで病院へ
診断書を取りに行く
「○○病院へお願いします」
というと
「今日は休みではないですか」
と言われた
そうだ
今日は祭日
行き先は駅に変更だ
教えてくれてありがとう
無駄足せずにすみました

 

写真は頂戴した金色の坂角

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かごとがまし

2023-09-11 23:23:00 | 古筆

虫売のかごとがましき朝寝哉 蕪村

かごとがましき

かごと‐がまし・い
【託言カゴトがましい】
1 恨み嘆いて言うようすが
ありありと感じられる。
ぐちめいている。

2 言いわけがましい。
「つれづれとわが泣き暮す夏の日を―・しき虫の声かな」〈源・幻

今日は○○研究会
寂蓮のお勉強

じゃくれん
(1139ころ―1202)
平安後期・鎌倉初期の歌人。
本名藤原定長。
父は醍醐寺の阿闍梨俊海。
父の出家後、
藤原俊成の養子となった。
のち辞して出家。
西行に倣い諸国行脚をする。
歌人としても活躍した。
御子左家の一員として
九条家歌壇に属していたが、

後鳥羽院による新古今歌壇形成とともに、
活躍はさらに目覚ましく、
1201年(建仁1)和歌所寄人に、
ついで『新古今和歌集』の撰者に選ばれたが、
翌年没し、
選歌は上進していない。

「六百番歌合」のおりの六条家の顕昭との論争
(独鈷鎌首の争い)
三夕の歌
「さびしさはその色としもなかりけり
まき立つ山の秋の夕暮」
で知られる。
家集に『寂蓮法師集』がある。

写真は今日のランチ

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道風の額

2023-08-17 21:24:44 | 古筆

古りけりな道風の額秋の風 夏目漱石

小野道風 オノノ ミチカゼ
道風の作品は、
雄渾豊麗、温雅で優れ、
草書は爽快で絶妙を極め、
その筆跡を「野跡」という。
醍醐天皇は深くその書を愛好され、
醍醐寺の榜や行草法帖各一巻を書かせた。

真跡
・三体白氏詩巻 - (国宝) 正木美術館蔵
・智証大師諡号勅書 - (国宝)東京国立博物館蔵
・屏風土代 - 三の丸尚蔵館蔵
・玉泉帖 - 三の丸尚蔵館蔵
・絹地切 - 東京国立博物館ほか分蔵

古来、道風を伝承筆者とするが、
疑問視されているもの
・継色紙 - 東京国立博物館蔵
・秋萩帖 - (国宝)東京国立博物館蔵
・本阿弥切
・愛知切
・綾地切
・小嶋切
・大内切
・八幡切

今日も片付けの日
捨てるものを袋に入れて
一部は外に出す

そういえば昨日は
人を頼んだので
玄関を開けたり閉めたりしていた
皆さんが帰ってから
ふと気がついた
ミーちゃん
どこ
ミーちゃんどこにいるのか
いつもの箱の中とか押入れとか
探す
名前を呼びながら探すが
居ない
人の出入りで玄関の戸が開く
これは絶対外に出たかも
開いてたらミーちゃんは出る
するすると出てしまったのだ
しょうがない
帰ってくるだろう
家にいなければ
外からはいって来やすいように
濡れ縁の窓の
網戸を少し開けて
いつでも戻れるように
して
何度も見に行ったが
気配はない
そのうち雨がザーザー降ってきて
ミーちゃんは
どこかに隠れるしかない
濡れて帰ってくるかも
ひょっとすると
もう帰ってこないかも

お昼の時間が過ぎても
食べるきがしない
あ~あ~
帰ってきて

願ったら
二や~
どこからか出てきて
外に行ったんじゃないの
急いで開けっ放しの網戸を閉めにいった
いないと思っていた暗い時間は
四時間くらいだが
それがすっかり晴れた
疲れたからアイスを食べよう
シロクマのアイス
写真は今週月曜日の
渋谷スクランブル交差点

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木槿は馬にくはれけり

2023-08-14 21:56:23 | 古筆

道のべの木槿は馬に
くはれけり 芭蕉

今日は○○研究会
暑い
早めに辛子さんと待ち合わせて
お昼を食べる
駅から降りたらすごい雨
でも駅のすぐちかくなので
濡れずにお店に入れた

ランチのサンドイッチと珈琲
食べた後は晴れて
傘はいらない
よしよし


さて
丸棗を清める時は
横から持つか
掌にのせるか
どっち

日の丸棗などの丸棗は
毬棗とも呼ばれ
丸い形の薄器である

扱うときは
甲赤茶器と同様に
→左掌にのせて二引きで清める
茶をいれるときも左掌にのせて
蓋は草の位置
茶碗と膝前の中央におく

昔の淡交

写真は岡本太郎
「明日の神話」
描かれているのは
原爆が炸裂する悲劇の瞬間。
人は残酷な惨劇さえも
誇らかに乗り越えることができる。
そしてその先にこそ
『明日の神話』が生まれるのだ。
との岡本太郎の
強いメッセージが込められている。
のだ。

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五月雨の雨降りけぶる朝怪し

2023-06-10 23:36:57 | 古筆

 古泉千樫
さみだれのあめふりけぶり朝あやし
白き海鳥庭に来て居り

今日は
朝日カルチャー

白河切 シラカワキレ
『後撰和歌集』の断簡。
伝称筆者は西行(1118~1190)
平安後期から鎌倉初期の緩急抑揚の変化にとんだ筆運から、
江戸時代に筆者を西行と鑑定され、
名筆の一つとして鑑賞されてきた。

太い線と細い線が交錯した
緩急のある運筆で、
連綿は長い。

伝本の少ない古本系統『後撰和歌集』の
平安後期の書写になる古写本として
国文学上にも価値がある(ウィキペディアヨリ)

写真は駅前の建物の解体現場
隠しもせずいいのかしら
ちょっと見てはいけないような景色だけど
誰も興味を示していない

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まつにより散らぬ心を山桜

2023-03-13 23:39:12 | 古筆

 西行
まつにより 
散らぬ心を 
山ざくら 
咲きなば花の 
思い知らなん

今日は古筆研究会へ
雨が降るような降らないような
曇天
テレビでは桜が一輪咲いたとか二輪咲いたと
中継をしている
だいたい花見は
3月末から4月と思っているのに
もう咲き始めるのか
茶道具の取合せに支障が生ずる
もそっと遅くにして欲しいが

尤も二月頃から早咲きの桜のが咲く
河津桜や寒緋桜、
MOAのあたみ桜は先日の茶会の時に
すでに咲いていた

山桜の花には赤い若葉が添うので
すぐに見分けられる
大和絵などに描かれた桜はこれだろう

桜の花びらは真ん中に切れ目があるので
一つの花びらを描くのには
二筆にて描くと言う
五枚で一つの花になるから
それだけで十筆
一本の枝にはいくつもの花が描かれるから
数えたら大変
その枝が集まり
一本の桜の樹になるのには
桜の花弁を二筆でひたすら描き続けたのだろう
それを思うと
ただただ驚く他にない
でも
時代が下がると
桜の花びらを描かずにスタンプのように
型で押されているものもあるようだ

お花見と言えば「染井吉野」だろう
江戸後期から幕末に
現在の駒込・巣鴨付近の染井村で改良栽培したものが
全国に広がったというが
上野公園のお花見といっても
四十種類の桜があると
上野浅草ガイドに載っている
◎カンザクラ
◎オオカンザクラ
◎カンヒザクラ
◎ヨウコウ
◎エドヒガン
◎シダレザクラ
◎ヤエベニシダレ
◎ソメイヨシノ
◎コヒガン
◎アマギヨシノ
◎コマツオトメ
◎ジュウガツザクラ
◎ヤマザクラ
◎ウスゲヤマザクラ
◎オオヤマザクラ
◎オオシマザクラ
◎ヒナギクザクラ
などなど
わかるものもあるが
殆ど見分けられない
わかったらさぞかし楽しいだろうねぇ

頂いたお菓子は苺のラング・ド・シャ
苺はバラ科バラ亜科
桜もバラ科サクラ亜科。

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名を名乗らするしぐれ哉

2022-11-29 23:37:09 | 古筆

宿かりて名を名乗らするしぐれ哉 芭蕉

27日の日曜日
静嘉堂文庫美術館へ行った
もちろん稲葉天目も拝見
今まで岡本の静嘉堂で
何度か観る機会があり
自然光でも拝見したのだが
今回が一番、綺羅綺羅していた
驚くほどきれいだった
ガラスケースの天井に照明がある
そのせいかも知れない
兎に角きれい
キラキラしていた

それと
太田切
オオタギレ

平安時代に写された
和漢朗詠集の古写本の
零巻および断簡。
残るのは下巻のみで、
零巻2巻(ともに静嘉堂文庫蔵、国宝)
と20枚程度の断簡(諸家に分蔵)が確認されている。
書写年代は11世紀後半か。
伝称筆者は藤原公任、
実際の筆者は不明。
舶載の唐紙に金銀泥の下絵を描いた
和漢融合の料紙の上に、
行成風の和様の漢字と
類筆のない奇抜な字形を有する仮名が書かれた、
平安古筆の優品。
内題は倭漢朗詠抄下。
名称は遠江掛川藩の藩主太田家に伝来したことに由来する。
(ウィキペディアヨリ)

料紙が美しい

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少年の紫の帯

2022-09-12 23:02:02 | 古筆

 与謝野晶子
鈴虫を
飼ふにふさへる
美くしき
子の少年の
むらさきの帯

星菫派
セイキンハ
〘名〙 星や菫スミレなどに託して、
恋愛を歌う浪漫詩人の一派。
明治35年(1902)前後、
与謝野鉄幹・晶子夫妻を中心に、
雑誌「明星」によって活躍した人々をいう。
(日本国語大辞典ヨリ)

ステキ
宝塚みたい
でも
回りにいたら面倒かもね

人と会うと
知らない言葉に出会う
結構長い間生きてるのに
まだまだ知らないこと
たくさんある

写真は
向島百花園の
其角堂永機の句碑

朧夜や
たれを  
あるじの 
墨沱川スミダガワ

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十巻本歌合とは

2022-06-13 23:18:06 | 古筆

十巻本歌合
(じっかんぼんうたあわせ)
平安時代中期に編纂された、
日本最初の歌合集成。
仁和年間から天喜4年に至る約170年間の
46度の歌合を収める。
企画は藤原頼通で、
源経信が編纂に関わったか。
全46度の歌合のうち、38が完存、
6が部分的に残り、
2が散逸した。
前田育徳会
(巻第一・二・三・八及び巻第十の内9度(国宝))、
陽明文庫
(巻第六(国宝)、総目録(重要文化財)、巻第十の内1度)、
東京国立博物館
(寛平御時后宮歌合(国宝))ほか諸家に分蔵。
現存するのは草稿本であり、未完に終わったと見られる。
目録内題は歌合。
また伝宗尊親王筆歌合巻、
類聚歌合十巻本、十巻本などとも呼ばれる。

今日は古筆のお勉強
十巻本と二十巻本のお勉強
写真は
渋谷ハチ公前の交差点

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