さくら散る 木の下風は 寒からで 空に知られぬ 雪ぞ降りける 紀貫之
雪が降った
少しだが出光に行く予定をとりやめた
転んでもいけないからというのが理由だ
雪が降っているせいか
昼間でも眠い
何も考えず ただただ眠った
雪の日は 眠くなる
紀貫之 きのつらゆき
貞観8年(866年)または貞観14年(872年)頃?
天慶8年5月18日(945年6月30日)?
主君 醍醐天皇 → 朱雀天皇
紀 貫之(き の つらゆき)は、平安時代前期の歌人。
『古今和歌集』の選者のひとり。
また三十六歌仙のひとりでもある。
紀友則は従兄弟にあたる。
紀望行の子。
幼名を「内教坊の阿古久曽(あこくそ)」と称したという。
貫之の母が内教坊出身の女子だったので、
貫之もこのように称したのではないかといわれる。
延喜5年(905年)、
醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集である『古今和歌集』を
紀友則・壬生忠岑・凡河内躬恒と共に編纂し、
仮名による序文である仮名序を執筆した。
(真名序を執筆したのは紀淑望)
「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」
で始まるこの仮名序は
後代の文学に大きな影響を与えた。
また『小倉百人一首』にも和歌が収録されている。
理知的分析的歌風を特徴とし、家集『貫之集』を自撰した。
日本文学史上において、少なくとも
歌人として最大の敬意を払われてきた人物である。
種々の点でその実例が挙げられるが、
勅撰歌人としては『古今和歌集』(101首)以下の
勅撰和歌集に435首の和歌が入集しているのは
他の歌人に比べて最高数であり、
三代集時代の絶対的権威者であったといえる。
散文作品としては『土佐日記』がある。
日本の日記文学で完本として
伝存するものとしては最古のものであり、
その後の仮名日記文学や随筆、
女流文学の発達に大きな影響を与えた。
《ウィキペディアより》
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