村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

藻璧門院少将ソウヘキモンインノショウショウ

2017-02-06 02:19:26 | 女房三十六歌仙
藻璧門院少将
そうへきもんいんの しょうしょう
生没年不詳
鎌倉時代初期に活躍した女流歌人
新三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人。
勅撰歌人・藤原信実の次女。
弁内侍(後深草院弁内侍)と
後深草院少将内侍の姉にあたる
別名
己が音の少将
おのがねの しょうしょう

1229頃
後堀河天皇の女御・九条竴子の女房となる
翌年竴子は中宮になる
翌年1231第一皇子出産
翌年その第一皇子即位(四条天皇)
竴子は国母となる
翌年4月に院号宣下あり
藻璧門院と号す
同年9月藻璧門院は産後の肥立ちが悪く落命
少将は出家し、旧法性寺跡に移り住み
その余生を過ごした。


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相模サガミ

2017-01-28 01:04:13 | 女房三十六歌仙
相模
さがみ
998頃 - 1061以降か
平安時代後期の歌人。
中古三十六歌仙、
女房三十六歌仙の一人。
実父は不詳、
摂津源氏但馬守頼光の養女。
母は能登守慶滋保章の娘。

初名は乙侍従(おとじじゅう)。
十代の頃、橘則長の妻となるが離別、
1020以前に大江公資の妻となり、
「相模」の女房名で呼ばれるようになる。

夫の任地相模国に随行したものの、
結婚生活が破綻し、
1025頃離別した。

この頃、四条大納言藤原公任の
息男の中納言藤原定頼との恋愛も
知られている。

一条天皇の第1皇女
(入道一品宮)脩子内親王に出仕。
1049内親王薨去後は、
さらに後朱雀天皇の皇女
祐子内親王に仕えた。

この間、数々の歌合に名をつらね、
後朱雀・後冷泉朝の歌壇で活躍した。
(ウィキペディアより)



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式乾門院御匣シキケンモンインノミクシゲ

2017-01-17 23:44:59 | 女房三十六歌仙
式乾門院御匣
しきけんもんいんのみくしげ
生没年不詳、
鎌倉時代の歌人。
女房三十六歌仙の一人。
太政大臣久我通光の娘。
後深草院二条の叔母。
安嘉門院三条とも呼ばれた。
また、如月の法名で呼ばれ、
嘉元2年(1304年)に没した通光の娘と
同一人物とも言われる

今日もかたづけ
さがしもの

ずっとさがしていた花入
二階の棚から出てきた
良かった
安心した
ストレス解消だ



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祐子内親王家紀伊ユウシナイシンノウケノキイ

2017-01-05 23:17:31 | 女房三十六歌仙
祐子内親王家紀伊
ゆうしないしんのうけ の きい
生没年不詳
平安時代院政期の女流歌人、
後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房。
女房三十六歌仙の一人。
一宮紀伊、紀伊君とも呼ばれる。
従五位上民部大輔春宮亮平経方の娘とも、
藤原師長の娘である堀河院御乳母
典侍紀伊三位師子と同一人物ともいわれており
父親は定かではない。
母は「岩垣沼の中将」の作者
祐子内親王家小弁(こべん)。
紀伊守藤原重経(素意法師)は
兄とも夫とも言われている。

百人一首
72番  一宮紀伊
音にきくたかしのはまのあた波は
かけしや袖のぬれもこそすれ

水仙にかかる埃 (ほこり) も五日かな
松本たかし

今日は五日
正月は過ぎるのが
早い 早い
もう
いつかめだ



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尚侍家中納言ナイシノカミチュウナゴン

2017-01-04 22:30:38 | 女房三十六歌仙
尚侍家中納言
ないしのかみけちゅうなごん
生没年不詳、
鎌倉時代に活躍した歌人。
女房三十六歌仙の一人。
藤原北家高藤流右大弁藤原光俊
(葉室光俊・法号真観)の娘、
藤原親子。
共に勅撰歌人である
大僧都定円、鷹司院帥は兄弟姉妹。

後嵯峨院中納言典侍
ごさがいんのちゅうなごんのてんじ
とも呼ばれた。

後嵯峨天皇の典侍として出仕、
父光俊や正三位知家(藤原知家)らと共に、
ー御子左派への対抗勢力を形成。
『続後撰和歌集』以降の勅撰集、
歌合等に作品を残している。

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高階 貴子タカシナノキシ

2016-12-31 00:55:26 | 女房三十六歌仙
高階 貴子
たかしなの きし / たかこ、
生年不詳 - 996
平安時代の女流歌人。

女房三十六歌仙
別名 高内侍、儀同三司母。

高階成忠(923年 - 998年)の娘、

和歌を能くし、女ながらに詩文に長けた
円融朝に内侍として宮中に出仕し、
漢才を愛でられ
殿上の詩宴に招かれるほどであった。
藤原道隆(953年 - 995年)の妻となり、
内大臣伊周(974年 - 1010年)・
中納言隆家(979年 - 1044年)・
僧都隆円(980年 - 1015年)の兄弟及び
長女定子を含む三男四女を生んだ。

夫・道隆が永延3年(989年)に内大臣、
永祚2年(990年)5月に関白、
次いで摂政となり、
10月に定子が
一条天皇の中宮に立てられた



百人一首
54番   儀同三司母
忘しの行末まてはかたけれは
けふをかきりの命ともかな


いよいよ
今年もあと一日
年末の買い物に出かけたが
どこも混んでる
とても疲れた


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八条院高倉ハチジョウインノタカクラ

2016-12-29 00:40:15 | 女房三十六歌仙
八条院高倉
はちじょうのいんのたかくら、
1176頃 - 1248以後 1251以前、

鎌倉時代初期に活躍した歌人である。
新三十六歌仙及び
女房三十六歌仙の一人。
藤原南家貞嗣流、
藤原通憲(信西)の孫で
安居院法印澄憲の娘。
1211出家、奈良法華寺に入り
空如と号した。
(ウィキペディアより)


今年もあと少し
申はもうすぐ
さることながら
酉はおっ とり 
やってくる


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大弐三位ダイニノサンミ

2016-12-24 00:05:20 | 女房三十六歌仙
大弐三位
だいにのさんみ
999-1082頃、
平安時代中期の女流歌人。
女房三十六歌仙の一人。
藤原宣孝の女、
母は紫式部。
本名は藤原賢子
ふじわら の かたいこ/けんし
藤三位(とうのさんみ)、
越後弁(えちごのべん)、
弁乳母(べんのめのと)とも呼ばれる。

長保3年(1001年)3歳ごろ父と死別。
長和6年(1017年)18歳ごろ、
母の後を継ぎ一条院の女院彰子に
女房として出仕。
この間、藤原頼宗、藤原定頼、源朝任らと
交際があったことが知られている。
その後、関白・藤原道兼の次男・兼隆と結婚、
一女をもうけた。
万寿2年(1025年)、親仁親王(後冷泉天皇)
の誕生に伴い、その乳母に任ぜられた。
長暦元年(1037年)までの間に
東宮権大進・高階成章と再婚、
同2年(1038年)高階為家を生む。
他に、一女をもうけている。
天喜2年(1054年)、後冷泉天皇の
即位とともに従三位に昇叙、
夫・成章も大宰大弐に就任した。

歌や実生活から、
母の紫式部と比べ、
恋愛の駆け引き上というイメージを
持たれることがある。
(ウィキペディアより)


58番
大弐三位
ありま山
ゐなの篠原風吹は
いてそよ人を
わすれやはする



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土御門院小宰相

2016-12-16 23:16:30 | 女房三十六歌仙
土御門院小宰相
つちみかどのいんのこさいしょう
生没年不詳、
鎌倉時代に活躍した歌人

女房三十六歌仙の一人。
従二位藤原家隆の娘。
藤原隆祐の姉妹。
承明門院小宰相とも呼ばれた。

初め土御門院に出仕するが、
承久の乱によって土御門院が土佐国に遷った後は、
土御門院の生母
承明門院在子に仕え、
更に在子によって養育された
後嵯峨院に出仕して
後嵯峨院歌壇で活躍した。


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女房三十六歌仙 今日は清少納言

2016-12-11 21:57:10 | 女房三十六歌仙
女房三十六歌仙
今日は 清少納言
清少納言
せいしょうなごん
966頃- 1025頃、
平安時代の女流作家、歌人。
随筆『枕草子』は有名。

清原元輔 908 - 990の晩年の娘。
曽祖父(系譜によっては祖父)は清原深養父。

のち、摂津守・藤原棟世と再婚し娘・小馬命婦をもうけた。

一条天皇の時代、正暦4年(993年)冬頃から、
私的な女房として中宮定子に仕えた。


百人一首
夜をこめて鳥のそら音ははかるとも
よに逢坂の関はゆるさじ
     清少納言



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殷富門院大輔インプモンインノタイフ

2016-12-05 23:13:29 | 女房三十六歌仙
殷富門院大輔
いんぷもんいんのたいふ
1130頃 - 1200頃、
平安時代末期に活躍した歌人。
女房三十六歌仙の一人。
父は藤原信成。
母は菅原在良の娘。

若い頃から後白河院の第1皇女・殷富門院(亮子内親王)に出仕、
それに伴い歌壇で長年にわたり活躍した。
藤原定家・寂蓮・西行・源頼政など
多くの歌人と交際があった。
建久3年(1192年)の殷富門院出家に伴って
自らも出家したとされる。

逸話 編集

鴨長明が近ごろの女流歌人のなかで上手なのは
殷富門院大輔と小侍従であるとある


百人一首
90番          
見せばやな
おしまのあまの袖だにも
ぬれにぞぬれし
色はかはらす
  殷富門院大輔


写真は昨日の羊の会の
お菓子
かわいい


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伊勢大輔イセノタイフ

2016-11-25 00:16:58 | 女房三十六歌仙
伊勢大輔
いせのたいふ/いせのおおすけ、
989? - 1060?、
平安時代中期の女流歌人。
大中臣輔親の娘。
高階成順に嫁し、
康資王母・筑前乳母・源兼俊母など
優れた歌人を生んだ。
中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。

1008年(寛弘5年)頃に
一条天皇の中宮・上東門院藤原彰子に仕え、
和泉式部・紫式部などと親交し、
晩年には白河天皇の傅育フイクの任にあたった。
(ウィキペディアより)

「傅育フイクとは[名]身分の高い人の子に
付き従って大切に育てること。」

百人一首 61番
いにしへのならのみやこの八重桜
けふ九重ににほひぬる哉


写真の
満天星躑躅ドウダンツツジが美しい
袖垣を廻ると躙り口がある
アイテラ氏の庭

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後深草院少将内侍ゴクサインノショウショウナイシ

2016-11-22 21:54:55 | 女房三十六歌仙
用事のない火曜日
医者から貰った風邪の薬も
あとわずか
あちこち出かけているうちに
治ったようだ
写真は学校の横の道
アオギリの落ち葉が続く


後深草院少将内侍
ごふかくさのいんのしょうしょうないし
生年不詳 - 1265年(文永2年)頃没)
鎌倉時代初期に活躍した歌人である。
女房三十六歌仙の一人。
藤原信実の娘。
藻璧門院少将、弁内侍の妹。
花山源氏の資光王の妻。

姉の弁内侍と共に
後深草天皇の幼少期から出仕、
その在位期間を中心に
歌壇で活躍した。
また、連歌を得意とした点も弁内侍と共通する。

『続後撰和歌集』以降の勅撰集、歌合等の他、
『弁内侍日記』『菟玖波集』にも作品を残している。

特に『弁内侍日記』は、事実上、弁内侍と少将内侍の姉妹の歌日記と言えるほど、
少将内侍の登場場面が多い。
弁内侍の詞書から、
父信実に先立って死去したことがわかる。


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小式部内侍コイキブノナイシ

2016-11-15 21:53:38 | 女房三十六歌仙
どうも風邪をひいたらしい
喉がいたく
歯が痛く
耳が痛く
こめかみが痛く
ホントに風邪か?
ともあれ行きつけの内科へ
薬を貰った
こういうときは寝てるに限る


小式部内侍
こしきぶ の ないし、
999- 1025
平安時代の女流歌人。
掌侍。
女房三十六歌仙の一人。
父は橘道貞、
母は和泉式部。
母の和泉式部と共に一条天皇の中宮・彰子に出仕した。
そのため、母式部と区別するために
「小式部」という女房名で呼ばれるようになった。


母同様恋多き女流歌人として、
藤原教通・藤原定頼・藤原範永など
多くの高貴な男性との交際で知られる。
教通との間には静円、
範永との間には娘をもうけている。
万寿2年、藤原公成の子
(頼忍阿闍梨)を出産した際に
20代で死去し、
周囲を嘆かせた。
この際母の和泉式部が詠んだ歌

とどめおきて
誰をあはれと思ふらむ
子はまさるらむ
子はまさりけり
『後拾遺和歌集』

小式部内侍の逸話は、
下記の「大江山」の歌のエピソード、
また教通との恋のエピソードを中心に、
『十訓抄』や『古今著聞集』など、
多くの説話集に採られている。
また『無名草子』にも彼女に関する記述があり、
理想的な女性として賞賛されている。
(ウィキペディアより)


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弁内侍ベンノナイシ

2016-11-12 22:30:36 | 女房三十六歌仙
弁内侍
べんのないし、
生没年不詳は、
鎌倉時代初期に活躍した歌人である。
『弁内侍日記』の作者。
女房三十六歌仙の一人。
藤原信実の娘。
藻璧門院少将の妹、
後深草院少将内侍の姉。
後深草院弁内侍(ごふかくさいん の べんのないし)とも呼ばれた。
(ウィキペディアより)


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