下もえをうらからのぞく土橋かな 千代女
昨日の茶会の菓子は
末富の銘下萌え
美味しく
美しかった
今日は火曜日
明日は社中の小さな茶事をひらくので
その支度
九時にサカチカさんがきて
チェックリストから台所の調理道具をチェック
それと料理の材料と調味料のチェック
家で茶事をしなくなってから
どのくらい経ったか
かつては懐石の料理教室をひらいていたので
道具も色々あったが
2020年の1月が最後
その後は自宅で料理することは
ほとんど無い
サカチカさんはチェックをしながら
それらの道具を大きなかごにまとめた
頭がいいね
感心した
10時になったのでお茶でも飲まないと言うと
叱られた
そうねゆっくりしていたのでは
仕事は終わらない
お昼前まで頑張って
その後は
魚屋に頼んだ魚をとりにいき
サカチカさんは下拵えをするため家に帰った
後は私はするべき事
がんばる
ボーッとしてると
片付かない
仕方ない
頑張ろう 愚痴だ
与謝野晶子
元朝や
経の声する大寺に
かげろふもゆる
軒下の土
令和七年元旦
風もなく快晴
餅つきの回覧板を
隣のポストに回して
戻ると
お日様が建物の向こうから
昇ってきた
なんと神々しいことか
午前中 は初もうで
近くの氏神さまに寄って
それから
タクシーで
総持寺へ
山門のところの屋台
珍しく並んでないから
今 こそ買わなくてはね
以前は250円の時もあったのに
今日は600円
高い高いでも
七枚買った
帰って一枚ずつお昼ごはん
美味しかった
餡餅 シャーピン
中華料理の一つ
(シェンービン、シャーピン、シャービン、拼音:Xiànbǐng)
中国料理の一つ。
肉と野菜の餡を小麦粉で出来た生地で包み
平たく伸ばし油で焼いた餅。
日本においては縁日の屋台で登場する
(Wikipediaより)
まさにこれだ
にんにくが効いて美味しい
写真は勅使門
空は青いが
下手だった
極月や心惹かるる新書古書 草城
日野草城 ヒノソウジョウ
1901~1956
俳人。東京生れ。
新興俳句運動の中心として無季を主張、
連作を実践した
句集「花氷」「青芝」
今日は12/23 月曜日
久しぶりに外へ出かけた
喉が痛かったので
12/16月曜日に
病院に行きコロナの検査
陰性
今週の水曜日12/18
喉が痛く熱が出てくる
結果は
コロナ陽性
節々が痛く
熱は七度から八度五分
ふらふらして
体が熱い
眠っても横になっても身の置き所が無い
薬を飲んで
安静に
せざるを得ない
新型コロナずっと寝てた
金曜日土曜日当たりから
起きてテレビを観ていても疲れなくなり
療養期間の五日間がすぎた
ずっと
どこへも出かけず
うちに居てテレビ見て
歩きもせずいると
どんどん筋肉が落ちる
頭の能力も落ちる
胃の具合も悪くなる
やる気がなくなる
困ったものだ
写真はミーちゃん
私が寝てるとき
ずっと一緒
今日もあまり食べない
また痩せてきて心配だ
赤染衛門
有明の月は袂タモトになかれつつ
悲しき頃の蟲の聲かな
今日は日曜日
茶室を掃除して
掛軸を変えて
花をいけた
急に寒くなったのに
足を布団から出していたからか
ふくらはぎが
つってしまい目が覚めた
横の『大和言葉使い方図鑑』に
ふくらはぎを「腓」コムラというらしい
他に
「盆の窪」ボンノクボは
首の後ろ側の
中央のくぼんだところ
「膕」ヒカガミは
膝の後ろのくぼんだところ
膝の裏、よぼろ
とも言う
「胛」カイガネは
肩甲骨のこと
貝殻骨とも言う
肩甲骨の甲はもともと胛と書いてあった
その胛を訓読みするとカイガネ
「踝」クルブシは
足首の関節の両側の骨がでてるところ
「頤」オトガイは
下あごのこと
頤オトガイが落ちるは
寒さに震える、とても美味しい、口数が多い
という意味
おとがいを吐くとは
悪口を言う
と言う意味
いずれも
使ったことはないが
「項」ウナジとは
首の後ろの部分
項ウナジを反らすとは
上をみたり、得意になったりする様子
項ウナジを垂れるとは
がっかりしたり、はじいったり
する意味
知ってるのも知らないのもある
漢字が難しいが
胛、以外は変換すると出てきた
写真はとアオツヅラフジらしい
石川啄木
しんとして
幅広き街の
秋の夜の
玉蜀黍の焼くるにほひよ
今日は
27年間使った冷蔵庫が壊れたので
新しい冷蔵庫が届く
冷蔵庫の中身は昨日のうち
冷凍庫は今朝みんな出した
玄関から階段にある邪魔者
額とか飾ってある露地笠も
邪魔そうなお札や飾り物
昨日のうち片付けた
朝の9時半
木戸の戸が半分しか あかない
木戸を壊さず冷蔵庫が通るかしら
はじめに古いのを下ろそうと言うので
手伝いの人と電気屋のおじさん
二人とも私と同じくらいだろうか頑張る
戸をはずさないと冷蔵庫が部屋から出ない
二人がかりで階段をひとつづつ
下ろす 私はかけ声かける
三十分くらいかかったが何とか外に出た
次は新しい冷蔵庫と
冷凍庫を運んで
十時半くらいには
皆終わった やれやれ
木戸や
階段を壊さず
家も壊れないですんだので
安心した
ほっとする
下の座敷に締め切りにしてたミーちゃん
なんと襖が少し開いている
ものの出し入れで玄関は開けっ放し
その間にそろりそろり外へ出たのだろう
今さら仕方ないが
家の回りをミーちやんミーちゃんと呼んでは見たが
反応無し
窓の戸を2ヵ所開けたまま
知らん顔
その後
二時間位したらミーとないて
帰ってきた
ちゃんと帰ってきた
安心
写真は京都 どこだっけ
和泉式部
ありとしも
たのむべきかは
世中を
しらする物は
朝顔の花
今日は朝日カルチヤーへ
くずし字を読む教室
終わるのは二時半
カルチヤーで午後二時半に
サカチカさんと待ち合わせて
駅ビルのアフタヌーンティーで
フルーツクレープとアイスクリームと紅茶のセット
わりとおなかが一杯だが
これは別腹
ペロッと食べて
満足
写真は加賀千代女といどの
朝顔に釣瓶取られて貰い水
藤原有家
夕立の
雲の水脈より
伝ひきて
軒端に落つる
滝の白糸
藤原有家
フジワラノアリイエ
1216.~1155
平安時代末,鎌倉時代初期の歌人。
藤原氏北家末茂流。
父は大宰大弐重家。
母は藤原家成の娘。
幼名は仲家。
従三位大蔵卿に至り,
建保3(1215)年に出家。
法名は寂印。
建久5(1194)年『六百番歌合』,
建仁3(1203)年『千五百番歌合』
など多くの歌合,歌会に出詠。
六条家の人でありながら,
藤原俊成・定家の御子左家に
近い立場をとり,
「夢かよふ道さへ絶えぬ呉竹の
伏見の里の雪の下折」
などの秀歌を残した。
『新古今和歌集』の選者のひとり。
『続歌仙落書』は,その歌風を
「雪積もれる富士の山」の情景に譬えている。
(朝日日本歴史人物事典ヨリ)
写真は今日の朝ごはん
お弟子様からのお土産
金目鯛の干物
一枚食べたらご飯は入らなくなった
写真は時代の色紙
武者小路実陰筆と古筆了任の極めがある
秋にかわる
月と雪とは
昔にて
世に経し影を
さながら笑みる
情けないが
意味は不明
武者小路実陰
ムシャノコウジサネカゲ
1661-1738
江戸時代前期-中期の公卿,歌人。
寛文元年11月1日生まれ。
西郊実信の子。
武者小路公種の養子。
元禄8年従三位。
霊元上皇より古今伝授をうけ,
中御門・桜町天皇2代の和歌師範となった。
元文3年従一位,
准大臣にすすみ,
同年9月30日死去。
78歳。
今日はいつものイタリアンで友人と
待ち合わせをした
商店街はお祭りで
いつもより賑やか
往き来する人たちが
ドアのガラス窓から見える
揃ったら生ビールで乾杯
おつまみは五種類取って
ランチのパスタを二種類と
ドリアをシェアする
このところ
食べ過ぎなのに
今日も食べ過ぎた
斎藤茂吉
雨はれて
心すがしく
なりにけり
窓より見ゆる
白槿木のはな
わが庭にも木槿が咲き始めた
夏草が繁り木槿の木までの
石の道がふさがってる
虫や蚊に刺されるだろう
それが嫌で
たどり着けない
二階の窓から咲いてる木槿を見てる
白い木槿
今日は日曜日
朝早く起きて
毎週時代劇を見ている
今は塚原卜伝
塚原 卜伝
つかはら ぼくでん
戦国時代の剣士、兵法家。
父祖伝来の鹿島神流
(鹿島古流・鹿島中古流)
養父祖伝来の
天真正伝香取神道流を修めて、
鹿島新當流を開いた。
鹿島神宮へは
行ったことがない
伊勢
いづこにも咲きはすらめど我が宿の
やまと撫子たれに見せまし
茶事の取合メモ
七月
初旬は星祭り
歌切や懐紙
七夕の掛けよう
梶の葉飾っても良し
糸巻き
ギヤマン
星や織姫彦星
中旬はお盆の取合せ
紺地金泥の古経
二月堂焼経、泉福寺焼経だったら
願ってもない
観音、達磨、怖いけど地獄
下旬は涼しいもの
滝の画
白紙賛でも掛けて
青磁や染付
どっぷりと水を含ませた南蛮の水指
今日は朝日カルチャーへいく日だか
暑いのなんのって暑い
途中 電話があった
「講師の先生が高熱を出されて休講です」
午後の1時は美容院予約済み
時間を変更して涼しい美容院へ直行
髪を短くカットと
炭酸シャンプーで5,420円
慣れてるのでおまかせ
お昼はコンビニで取りそろえ
帰った家も暑い蒸し暑い
エアコン強め
扇風機は2台回しの涼やかな風
鮪の海苔巻き
鶏とポテトのナンチャラ
ベーコンと青菜のサラダ
食後の珈琲とデザートは
ハーゲンダッツのアイスクリームと
みたらし団子
満腹なったら眠い
これも極楽
取り合えずここに植えた
古詩ちゃんからの河原撫子の三鉢
心あてにそれかとぞ見る白露の
光添へたる夕顔の花
源氏物語、夕顔
今日は日曜日
大河ドラマの
光る君へ
毎週
楽しみにしてる
むしろ
この為の
一週間でもある
それと アニメ怪獣8号
これが
とてつもなく良い
流れる音楽も激しい画面も
眼を話せない
テレビって
いつまでも見ていられるのだ
好きでない番組もあるが
録画してあるものを見れば
ほとんど飽きない
ときたま居眠り
ガクンと首を反らしてしまい
ムチ打ちの心配
何度もだ
妹がコロナで入院して一週間が過ぎた
熱も下がり陰圧室から普通の病室に変わった
ひとまず安心
外出もできず
ひとりで暇だったので
アイスクリームにお菓子に菓子パン
栄養も考えず
好きなものばかり食べ
好きなときに寝て
ゆっくり起きてた
いくらでも自堕落になれるものだ
写真は
六月の17日のパレスサイドホテルの 白鳥
ひるがほやあぶなき橋に水鏡 千代女
午前11時から日本陶磁協会のオンライン講座
講師は宮武慶之 氏[同志社大学研究員
「”目利き”とはをテーマに」
第1回は
「江戸の材木商・冬木屋-ふたつの唐物茶入の流出後-」
時間になりズームを見る
油屋肩衝と冬木弦付の茶入のお話し
知らないことばかり
勉強になった
源経信
五月雨に玉江の水やまさるらむ
蘆の下葉の隠れゆくかな
源 経信
ミナモトノツネノブ
平安時代後期の公家・歌人。
官位は正二位・大納言。
桂大納言と号す。
小倉百人一首では大納言経信。
主君は
後一条天皇→後朱雀天皇→後冷泉天皇→後三条天皇→白河天皇
外は激しい雨が降っている
パラパラと脇にある茶のノートを手に取ると
塗師の道志と道恵のことがかいてあった
道志は満田 石州の定塗師
満田道志ミツダドウシ
道恵は近藤 加賀前田家代々ご用絵師近藤道恵コンドウドウエ
江戸初期から続く塗師の家系がたどれるのは
中村宗哲家のみ
満田道志家 近藤道恵家も明治維新後には家業が成り立たなくなったようだ
蒔絵の山本春正家も江戸初期から十代続いたが
やはり明治期に絶えている
と私のメモ
写真は切りぬきの藤村庸軒好みの食籠
曽禰好忠
野中にはゆきかふ道も見えぬまで
なべて夏草繁りあひけり
わが庭はすでに夏盛り
夏草が背が高くなった
奥の方には宗旦木槿が花咲いた
秋海棠も花さいて
松明草に高砂芙蓉
今週は稽古も休んだので
せっかくの花が使えないが
また咲いてくれるだろう
今日行く
今日用がある
老人に必要な
キョウイクとキョウヨウ
教育 教養
と言われるが
妹の関係で
しばし外出できず
お茶のお稽古のお弟子様をも
おやすみ
となると必須なのは
ゴミ出しの曜日だけ
その他のことは
何もない
幸い自分は熱もなく
喉も痛くない
ボーッとしてビデオを見る
黒澤明の白黒映画
「生きる」
主演の志村喬が
祖父に似てた
写真は松明草
樋口一葉
飛鳥川
あすは知らねど水色に
今日はにほへる
あぢさゐの花
昨日の話し
昨日は土曜日
銀座の古美術店の茶会があると
先生からのお誘いあり
12時の席入
店内の茶室は夏向きの設え
狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ
使われた道具はみな手にとって拝見した
その後
もう一軒目の茶道具店のお茶会へ
次々とお道具の拝見
箱も回ってくる
展示の茶道具を拝見
私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさって
幸せ
何か欲しかったけど
家の道具の山をみると
くじけた