村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

歌仙画 源 公忠ミナモトノキンタダ

2021-05-07 21:17:20 | 三十六歌仙

写真は
源 公忠
ミナモトノキンタダの歌仙画
三十六歌仙の一人。
平安前期から中期にかけての貴族・歌人。
光孝天皇の第十四皇子である大蔵卿・源国紀の次男。
官位は従四位下・右大弁。
滋野井弁と号す。

書いてある歌は
ゆきやらで
山路くらしつ
ほととぎす
今ひと声の
きかまほしさに
『拾遺集』

ひどく読みにくいが
今頃に掛けるのに
ちょうどよい

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藤原仲文フジワラノナカフミ

2021-05-05 22:21:44 | 三十六歌仙

写真は
 藤原仲文フジワラノナカフミ
有明の
月の光を
まつほどに
わがよのいたく
ふけにけるかな

藤原 仲文
フジワラノナカフミ
平安時代中期の貴族・歌人。
藤原式家、信濃守・藤原公葛の三男。
官位は正五位下・上野介。
三十六歌仙の一人。

ずっと昔に手元にあったもの

今日は五月五日
端午の節句
立夏でもある
いよいよ夏
初風炉だ
眉風呂と道安風炉の灰型を作る
掛け物は定石
薫風自南来をかけた

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たいらのかねもり

2015-07-06 20:59:41 | 三十六歌仙
ブログにあげておくと
探す時に便利なので
書き始めた三十六歌仙
今回は最後の歌仙

平兼盛タイラノカネモリ
?~ 991
父は光孝天皇の曾孫にあたる大宰大弐・篤行王。
臣籍降下前は兼盛王
官位は従五位上・駿河守。
「天徳内裏歌合」の壬生忠見との対決は有名
始めとするさまざまな歌合、歌会、屏風歌の有力歌人
赤染衛門の実父

み山出でて
夜はにや来つる
時鳥
暁かけて
声のきこゆる 拾遺和歌集



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みぶのただみ

2015-07-06 01:59:51 | 三十六歌仙
先月までの予定では
料理教室のだったが
何かと疲れ気味なので
早めにキャンセルさせてもらい
何の予定も無いので
一日中テレビを見ては寝る
を繰り返した

三十六歌仙
壬生忠見ミブノタダミ
生没年不詳
平安時代中期の歌人である。
壬生忠岑の子。

「天徳内裏歌合」で
平兼盛に敗れたために悶死したというが
その後の嘆く歌もあり
確かではないようだ

その歌合せの歌はどちらも有名である
平兼盛は40番
「忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」

忠見は百人一首41番
「恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」

恋の歌は良いものだ
懐かしい昔を思い出す




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したごう

2015-06-26 20:44:42 | 三十六歌仙
源順
みなもと の したごう、911~983
梨壺の五人の一人である
順は博学で有名、
20代で日本最初の分類体辞典『和名類聚抄』を編纂した。
源順の和歌を集めた私家集『源順集』には、
数々の言葉遊びの技巧を凝らした和歌が収められている。
また『うつほ物語』、『落窪物語』の作者にも擬せられ、
『竹取物語』の作者説の一人にも挙げられる。
とのこと

雨が降っている
12日の茶会で使った道具は
まだ仕舞わない方が良いだろうと
広げてあるのだが
明日は茶事の前日
邪魔なのでかたづけよう
籠の花入は箱にしまったが
楽茶碗はなどは
もう少し乾かそう
茶事茶会が近いと道具が片付かず
悲しいかな
いつも
ひどい状態だ






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おおなかとみの よしのぶ

2015-06-20 23:56:56 | 三十六歌仙
夕方から荒れ模様との
予報だったが
雨は降らず晴天 
空が青く真夏の暑さだ
午後から親戚の法事があった
初めて御参りする天台宗のお寺だ
畑仕事の最中に薬師如来像を掘り出したが
その仏像が後光のように光を放っていたので
お祀りするお寺を興したとある
1362南北朝の頃だと653年前


三十六歌仙
大中臣能宣は1024年前
おおなかとみ の よしのぶ、
921~991
梨壺の五人の一人

「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼はきえつつ物をこそ思へ」が能宣作
として入っているが、作者は能宣ではないとの説が有力である。
とウィキペディアにかいて
あった




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きよはらのもとすけ

2015-06-19 20:48:26 | 三十六歌仙
三十六歌仙のひとり
清原元輔
きよはら の もとすけ

908~990 83歳の長命
清原元輔は
清原深養父の孫
清原春光の子
清少納言の父
梨壺の五人のひとり
今昔物語に
賀茂祭の際に落馬し、禿頭であったため
冠が滑り落ちたさまを見物人が笑うと、
元輔は脱げ落ちた冠をかぶろうともせずに、
物見車の一台一台に長々と弁解し、理屈を述べて歩いた。との話し
下手に隠すとますます笑い話として大きく長引くからだという
百人一首に
清原深養父、清原元輔、清少納言と三名の歌がとられている

和歌の才能も
遺伝するのだ




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ふじわらのなかふみ

2015-06-17 00:11:21 | 三十六歌仙
昼は茶の稽古
夜は料理教室
時間の関係でやむを得ずかけもちだが
今日は元気だ
夜中の12時を過ぎたが
まだまだ余裕がある



三十六歌仙31人目

藤原仲文
ふじわらのなかふみ
延長元年(923年)から 正暦3年(992年))
藤原式家、信濃守・藤原公葛の子。
子に聡亮がいる。
官位は正五位下・上野介。
冷泉天皇に側近として仕える、
藤原頼忠・道兼にも出仕、
清原元輔・大中臣能宣らの歌人と交流があった。




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なかつかさ

2015-06-15 23:36:07 | 三十六歌仙
三十六歌仙

なかつかさ 
中務 912?~991?
父は宇多天皇の皇子敦慶親王
親王が中務卿だったので中務という
母は伊勢


今日はA先生のお宅へご挨拶に伺う
こちらは普段のワンピース姿
玄関のドアを開けた先生は
お着物姿
その時の気持ちは
いいようもない
出来る事なら
着物を着て出直したい気分だ
帰りたいが
そうもいかない


茶室 
床には一行
雲収山岳青
長板の二つ置き
棗釜がかかり
水指は広口の染付
お菓子はアジサイ金団
薄茶を頂戴した
恐縮 わが膨らんだ身も縮む思いだ
そのうえ
お祝いにと帯を頂戴するや
いなや
すぐさま元の膨らんだ姿に
もどった
嬉しいやら 残念やら



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こおおきみ

2015-06-11 23:32:32 | 三十六歌仙
今日の木曜稽古がおわり
森金さんを送って外へでると
雨がぽつぽつ降りだした

明日は茶会
昼間アイテラ氏の車に道具はみな積んだ

午前中は雨だとか
茶会にお出まし頂くお客様
どうぞお気楽に
お洋服でお越しのほど

写真のお菓子は
水無月


三十六歌仙
小大君
こおおきみ

天慶3年(940年)か天暦4年(950年)から
寛弘2年(1005年)または寛弘8年(1011年)頃
父母については不明

円融天皇の中宮藤原媓子に女房として仕え、
のち三条天皇(居貞親王)の東宮時代に女蔵人として仕え、
東宮左近とも称された。
通称は左近
藤原朝光、平兼盛・藤原実方・藤原公任などと交渉があった

小大君の歌仙画は華やかなでたおやかな姫君の姿
見るだけで雅びな平安時代を想像させる
その 「こおおきみ」の名称も優雅な呼び方である


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高光 たかみつ

2015-06-10 00:41:42 | 三十六歌仙
金曜日は中目黒で茶会をする
水曜日と木曜日は稽古
道具をまとめておかないとと
すこしずつ用意し
サカチカさんとチェックしつ整える
夕方までにはほぼ揃った
あとは花とお茶を用意
これは忘れたら大変だ
天気は
どうだろう
初めてのお客様もいらしゃるから
晴れてほしい

三十六歌仙は たかみつ
ずいぶん前だが
ある茶会の濃茶席
茶入の銘が 
「高光」だった

たかみつを 調べなくては


藤原 高光フジワラタカミツ
平安時代中期の歌人。
藤原師輔の八男。
右少将にまで昇ったが、
父・師輔の死のあと
961年に比叡山延暦寺の横川の良源のもとで出家。
だが出家の翌年には横川を去り多武峰に移り住んだ。
師輔の子息が出家したことで、
『多武峯少将物語』など、高光の出家に関する逸話が記されている。
『拾遺和歌集』(4首)以下の勅撰和歌集に23首入集]。
家集に『高光集』がある。
『今鏡』によると、
束帯着用の際持つことになっている笏の代わりに、
高光は懐紙を笏の形に畳んだものを持っていたことがある、
との逸話が語られている。


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ふじわらの きよただ

2015-06-05 23:33:56 | 三十六歌仙
夜になると涙が出てパソコンも良く見えない
それで今日は何年かぶりに眼医者へ
目に傷があったらしい
今度視野の検査と眼底検査もする
帰りは整形外科にも寄った

あとは
雨が音を立てて降る
寝てばかりの一日
明日は着物で赤坂アークヒルズへ



三十六歌仙の一人
藤原清正フジワラノキヨタダ
?~958 
平安中期の貴族
藤原兼輔の次男
朱雀・村上朝の宮廷歌人
天暦年間の内裏歌合に度々出詠し、
多くの屏風歌を制作した。
私家集に『清正集』が有る。


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さいぐうのにょうご

2015-05-29 23:23:04 | 三十六歌仙
明日は茶事
昨日から亭主のアイテラ氏と
サカチカさんが準備にきた
今日はサカチカさんと懐石の下ごしらえ
その最中に雨が降った
あすの庭の湿り具合
丁度よいだろう


三十六歌仙
今日は斎宮女御サイグウノニョウゴ
 929~985
平安時代中期の皇族、歌人、
徽子女王
読みは 
きしじょおう・又はよしこじょおう
伊勢神宮の斎宮ののち村上天皇の女御にとなり、斎宮女御と称された
三十六歌仙の中、女流歌人は五名
佐竹本三十六歌仙の切断の時の最高金額だそう
益田鈍翁所持だ



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みなもとの さねあきら

2015-05-29 01:40:27 | 三十六歌仙
三十六歌仙のひとり
みなもとのさねあきら
知らないと読めない


源信明
みなもとのさねあきら
910~970 平安時代中期の歌人
源公忠の子
従四位下・陸奥守

女流歌人の中務とは親密な関係だといわれる
また源公平(信明の叔父)の三女や
閑院大君(源宗于の娘)とも親しかったようだ

敦慶のみこの娘に
(中務のこと)
年ふれば
忘れやせむと思ふこそ
逢ひ見ぬよりも
我はわびしき (信明集)


そういえば
日曜日の茶会
待合の掛物は抱一筆の「中務」
美しかった
源信明と親しいとはさもありなん
中務との間に女子の井殿がいる
井殿は藤原伊尹(謙徳公)と結婚

謙徳公は百人一首の45番歌
あはれとも いふべき人は 思ほえて 
身のいたづらに なりぬべきかな

百人一首もちゃんと覚えたい


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もとざね

2015-05-26 00:12:07 | 三十六歌仙
三十六歌仙を覚えないとね 
と思っている
今日は藤原元真

藤原 元真(ふじわら の もとざね、生没年不詳)は、
平安時代中期の歌人。
藤原南家、右大臣・藤原三守の曾孫。
甲斐守・藤原清邦の子。
官位は従五位下・丹波介。
三十六歌仙の一人。

加賀掾・修理少進を歴任したのち、
応和元年(961年)に従五位下に叙され、
康保3年(966年)に丹波介に任ぜられた。
官位は低かったが、宮中の女房歌合、
内裏歌合などの歌合に詠進し、
前十五番歌合に選抜されている。

『後拾遺和歌集』(8首)以下の勅撰和歌集に
27首が入集し、家集に『元真集』がある。
《ウィキペディアより》

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