村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

問トひし君キミはも

2020-06-30 20:59:28 | 和歌と歌人
さねさし
相模サガムの小野に燃ゆる火の
火中ホナカに立ちて
問トひし君キミはも

和歌と歌人4
 弟橘比売命オトタチバナヒメノミコト
『古事記25』

(さねさし)とは
相模の枕詞
(君-は-も)とは
文中に用いて上の語を
取り立てて強める意を表す。

相模の野で盛んに燃えている炎の中に
雄々しく立って私の安否を尋ねて下さった
あなた様よ

弟橘比売命オトタチバナヒメノミコトは
倭建命ヤマトタケルノミコトの后キサキ
若建王ワカタケルノミコを生む
倭建命の東征において
走水海ハヤミズノウミで入水ジュスイした
(走水海ハヤミズノウミ)は東京湾浦賀水道

倭建命ヤマトタケルノミコトは
相模国(現神奈川県)の国造クニノミヤツコに
だまされて火攻めにあった。
その時に向かい火をつけて危難を脱出、
国造クニノミヤツコを討ち滅ぼした。
また走水海ハヤミズノウミを渡ろうとしたとき、
渡りの神に荒波を起こされて
船を進める事が出来なかった。
音橘比売命オトタチバナヒメノミコトが海に身を入れるや
波は静まり船を進める事が出来た。
この歌はその時に詠んだ。
別離し、いざ入水するときに
火難の時の心遣いを回想し
夫を深く思慕している。

昔の相模国とは
神奈川県だそうだが
川崎市と横浜市は含まれていないらしい
それらは武蔵国だった
とは
知ってるような
知らないような


今日六月三十日は夏越しの祓い
夏越の祓ナゴシノハラエ
または
水無月祓ミナヅキバラエ
穢ケガれを祓ハラい清め、
無病息災ムビョウソクサイを祈願する
茅チの輪をくぐり、
人型に穢ケガれを移し流したりする。

六月ミナヅキの
なごしの祓ハラヘする人は
千とせの命
延ぶといふなり 
『拾遺和歌集』

半年過ぎた
明日からは
新しい半年が始まる
写真は今日植えた桔梗
早速 雨に打たれた
もう少し背が伸びるといいな
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倭は国のまほろば

2020-06-29 22:07:34 | 和歌と歌人
倭ヤマトは
国のまほろば
たたなづく青垣アオガキ
山隠ゴモれる倭ヤマト美ウルワし

和歌と歌人3
 倭建命ヤマトタケルノミコト
『古事記31』

倭建命ヤマトタケルノミコトは景行天皇の子
日本古代の英雄
悲劇の王として人々から愛されてきた
命ミコトが子供の時に兄を殺害し
その激しい気性を恐れた天皇は
身辺に近づけないために熊曾征伐に出す。
命は女装して宴に紛れ首長格の兄弟を打つ。
その時に瀕死の弟が倭建ヤマトタケルの名前を献じた。
その後山野の荒神や出雲建など平定。
大和に帰還するも、
休む暇も与えず天皇は東国征伐を命ずる。
種々の苦難と戦いながら、
旅先で妻も得たが旅中に
伊吹山の神に障サワって落命する。
その時に歌った思国歌クニシノビウタが
この歌だ。と

(思国歌クニシノビウタ)とは
くにしのひうた
とも
故国を追憶した歌。
また、国土をたたえる歌。
(シノフ)は
ほめる,
遥かなものをしのぶ意。
(まほろば)とは
「素晴らしい場所」
「住みやすい場所」という意味の日本の古語。
「まほらば」「まほらま」「まほら」
ともいう。楽園。理想郷。

「思国歌クニシノビウタ」のこと
知らなかった
まず読めないしね

写真は
大徳寺黄梅院
小林太玄筆
この世にて
雨に降られて
ぬるるとも
晴れて喜ぶ
日のあることを

今の世を詠ってるよう
6/30は夏越しの祓いだ
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みつみつし

2020-06-28 22:40:59 | 和歌と歌人
みつみつし久米クメの子等コラが
粟生アワフには
臭韮カミラ一本ヒトモト
そねが本モト
そね芽
繋ツナぎて
撃ウちてし止まむ

和歌と歌人2
 神武天皇ジンムテンノウ
『古事記12』

威力イリョクある久米の人々の
粟畑アワバタケには臭い韮ニラが
一本生えている
その根や芽が繋いでひとつにして
しまうように
やすやすと敵らを
まとめて撃ってしまおうぞ

てなとこかしら

神武天皇ジンムテンノウは
第一代の天皇
神武天皇の大和入りの際
それを阻ハバむ登美毘古トミビコを
撃退するときの戦闘歌謡のひとつであり
久米歌クメウタでもある

みつみつし とは
久米の枕詞で威勢がよい事を表してる

戦闘歌謡セントウカヨウとは
戦いに臨んでうたう歌で
記紀歌謡キキカヨウにはよく
が詠まれているとの
記紀歌謡キキカヨウとは
古事記と日本書紀に納められている歌
戦いの場面は茶の湯には
滅多に登場しないからか
戦闘歌謡を知らなかった

古事記も日本書紀も私はよく知らないから
仕方ないが
知らない事を調べるのも
事によっては面白い


写真は昨日から
書き始めた和歌と歌人のことを
書く種にしている本だ
飽きたり
面白くなくなったら
やめるかも
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八雲ヤクモ立つはスサノオ

2020-06-27 21:56:49 | 和歌と歌人
八雲ヤクモ立つ 
出雲イヅモ
八重垣ヤエガキ
妻ごみに
八重垣作る 
その八重垣を

和歌と歌人1
須佐之男命スサノオノミコト
『古事記・1』

古代コダイ伝承中の神
伊邪那岐命イザナギノミコトの
禊ミソぎにより生まれた
天照大神アマテラスオオカミ、
月読命ツクヨミノミコトの弟
八俣大蛇ヤマタノオロチを退治して
出雲にやって来た時詠んだと言われる


百人一首が終わったが
個人的に和歌や短歌のこと
もっと知りたいからと
一から始めた
古代から少しずつ現代に向かう
覚える事は難しいから私自身が
ふーんそうなんだ
とか
へーっ知らなかった
と思う事を書くつもりだ
でも思うやいなや
すぐ忘れる
まだ三歩も歩いていないのに
顔を上げただけでも
すぐ忘れるのだけれども
いいや
お気楽にいこうではないか


写真は
私の好きな
美味しいパン
明日食べようと思うと
明日が楽しみ
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古き軒端ノキバのしのぶにも

2020-06-26 23:36:54 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号百
百敷モモシキや
古き軒端ノキバの
しのぶにも
なほあまりある
昔なりけり
 順徳院ジュントクイン
『続後撰集』雑下・1205

順徳院は
1197~1242
第84代天皇。
在位1210~1221。
後鳥羽天皇の第3皇子。名は守成モリナリ。
承久の乱に敗れて
佐渡に流され、同地で没。
和歌に秀で、歌集「順徳院御集」、
歌学書「八雲御抄」などがある。


写真は
水芭蕉の押し絵
湿地に自生し
発芽直後の葉間中央から
純白の仏炎苞ブツエンホウと
呼ばれる苞を開く。
これが花に見えるが仏炎苞は
葉の変形したものである。
仏炎苞の中央にある円柱状の部分が
小さな花が多数集まった花序である。
開花時期は
低地では4月から5月、
高地では融雪後の
5月から7月にかけて。
葉は花の後に出る。
根出状に出て立ち上がり、
長さ80 cm、幅30 cmに達する。
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人もをし 人も恨めし

2020-06-25 23:33:34 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十九
人もをし
人も恨めし
あぢきなく
世を思ふ故に
もの思ふ身は
 後鳥羽院
『続後撰集』雑・1199

今朝地震があった
目が覚めてしまい
テレビをつけた
朝見る番組は
テレビ朝日をいつもつける
林修先生のクイズで
内容は忘れたが
今日の百人一首の
後鳥羽天皇の歌から
人もをし
を説明していた
全く偶然だが
嬉しい気持である
「人もをし」
とは
人も愛アイし
人も愛イトおし
ということらしい

百人一首もあと一首
時の経つのが早い
想望庵様はスラスラと
番号と歌と作者を言えるが
私は覚えられない
まあ
いいか

写真は頂いたもの
京橋千疋屋のゼリー
嬉しい

見てますよと
コメント頂き
嬉しい

まだ見てないが
例の10万円が入ったらしい
嬉しい

それを当てにして
アマゾンで買ったブラウスが
今日届いた
見るからに細い
試すと
袖付けがきつい
胸回りきつい
なんとXLなのにだ
哀しい
ショックでラインに愚痴ると
返品したらと言われて
初めてやってみた
アマゾンの返品
スマホで「返品する」を次へ
次へと進むと完了
箱に戻しガムテープで閉じた
明日運送会社が来てくれる
送り状も書かなくても良く
代金はあとで戻るらしい
服が入らないのは悲しいが
返品できて
目の前から消えるのは嬉しい

一日の回数をトータルしたら
悲しいより
嬉しいが多い方がいい
数え方でどうにも出来るしね
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みそぎぞ夏のしるしなりける

2020-06-24 22:38:09 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十八
風そよぐ
ならの小川の夕暮れは
みそぎぞ夏の
しるしなりける
 従二位家隆
『新勅撰集』夏・192

藤原 家隆フジワラノイエタカ
カリュウとも。
鎌倉時代初期の公卿、歌人。
法名は仏性。
壬生二位ミブニイと号する。
中納言・藤原兼輔カネスケの末裔。
権中納言・藤原光隆の次男。


紹鴎ジョウオウの
わび茶の精神を表現したという和歌は
見渡せば
花も紅葉もなかりけり
浦のとまやの
秋の夕暮れ
 藤原 定家の和歌


利休の
茶の精神を表わすものとしては
花をのみ 
待つらん人に 
山里の 
雪間の草の 
春をみせばや
 藤原家隆フジワラノイエタカの和歌を選んだ
という


写真は
昨日のお茶のお稽古のお菓子
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帷子カタビラ時の薄浅黄

2020-06-23 23:21:21 | 紫廼茶話会
紫陽花アジサイや
帷子時カタビラドキの
薄浅黄ウスアサギ 
     芭蕉

帷子時カタビラドキ
帷子カタビラを着る時期のこと
薄浅黄ウスアサギとは浅葱色アサギイロを薄くした
淡い青緑色のこと。
『淡浅葱』とも表記す。
『浅葱色』は平安時代からの伝統色で、
もとは若い葱ネギに因チなんだ色。
ただ実物の葱よりも青みが強く浅い色。


今日は
紫兎先生のお茶のお稽古
4か月ぶりに伺った
琳派の掛け物が掛かってる
むかしS先生が
お茶のお稽古がなくても
掛物には気を配って常に掛けておきなさい
そう仰っておられたが
いざとななると私は
出来なかった
この自粛中は
橘千陰の詠草を掛けたままだ

お茶のお稽古に
持って行く懐紙やら袱紗やらの
支度をしたが
ぐずぐずして時間がかかった
あと何が必要か考えがまとまらない
10時頃家を出たが
マスクをつけてない事に気が付いた
バックのなかから取り出す
ついでに手袋をした
朝は雨だったが
外は晴れ
いつもの日傘を忘れている
バックに入れるのを忘れた
日焼け止めも塗っていないから
焼けるがままだ
先生のお宅に到着し
まず手を洗って気が付いた
眉毛を描くことを
忘れてる
眉毛がないと顔がないが
マスクをしてるから
まあいいか
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まつほの浦の夕なぎに

2020-06-22 23:13:55 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十七
来ぬ人を
まつほの浦の
夕なぎに
焼くや藻塩モシオの
身もこがれつつ
 権中納言定家ゴンチュウナゴンサダイエ
『新勅撰集』巻13・恋3・849

藤原 定家フジワラノサダイエ、フジワラノテイカ
平安末期から鎌倉初期の公家・歌人。
藤原北家御子左流フジワラホッケミコヒダリリュウ
藤原俊成の二男。
最終官位は正二位・権中納言。


私の藤原定家のメモには
歌道の家
藤原北家・御子左家ミコヒダリケは
道長の六男の長家を祖とし
それから三代目が俊成
俊成の子が定家
定家の子が為家
その
為家の子の
長男為氏タメウジが二条家の祖
三男為教タメノリが京極家の祖
『十六夜日記』作者の
阿仏尼が
母の為相タメスケが冷泉家の祖
と書いてあった

写真は友人の和子さんが書いた葉書
「ドクダミの花を待っていたの
 テニスコートの道端に
 やさしく咲いていた」
和子さんとは病院で知り合った
抗がん剤を拒否し
亡くなった
それからもう30年位経った
生きてる限りは
元気で
面白くいよう
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ふりゆくものは我が身なりけり

2020-06-21 23:18:15 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十六
花さそふ
嵐の庭の雪ならで
ふりゆくものは
我が身なりけり
 入道前太政大臣ニュウドウサキノダショウダイジン
『新勅撰集』雑・1054

入道前太政大臣ニュウドウサキノダショウダイジンとは
西園寺 公経サイオンジキンツネ
平安末から鎌倉前期にの公卿・歌人。
内大臣・藤原実宗の子。
官位は従一位・太政大臣。
西園寺家の実質的な祖。
姉は藤原定家の後妻、定家の義弟。


写真はサカチカさんが持ってきてくれた
水羊羹
普通ようかんのカロリーの半分くらいだし
つるっと喉ノドごし良し
金粉が散ってる
茶の湯では常にあった
和菓子で知る季節感が
自粛生活では抜けていた
水羊羹
夏だね
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おほけなく

2020-06-20 21:44:01 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十五
おほけなく
うき世の民に
おほふかな
わがたつ杣ソマに
墨染スミゾメの袖
 前大僧正慈円サキノダイソウジョウジエン
『千載集』雑中・1137

慈円ジエン
平安末期から鎌倉初期の天台宗の僧。
歴史書『愚管抄グカンショウ』を記した。
諡号シゴウ・慈鎮和尚ジチンカショウ、
通称・吉水僧正ヨシミズソウジョウ、
父は摂政関白・藤原忠通、
母は藤原仲光女加賀、
摂政関白・九条兼実は同母兄。


今年は時間の経つのが早い
今日は
取っておいた包装紙
すべて捨てた
するとその中から
レターファイルが出てきた
何これ
お点前それも伝物奥伝のノートだった
お弟子様がずっと探していたものか
何年も探していたので
出てきて良かった
写真は
今は発行してない「季節の味」夏の号
年に四回発行
捨てようと思ったが
結局捨てられなかった
明日は夏至
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小夜サヨふけて

2020-06-19 22:57:58 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十四
み吉野の
山の秋風小夜サヨふけて
ふるさと寒く
衣打つなり
 参議雅経サンギマサツネ
『新古今集』秋・483

参議雅経サンギマサツネは
飛鳥井 雅経アスカイマサツネのこと
平安末から鎌倉前期の公卿・歌人。
難波頼経ナンバヨリツネの次男。
二条または明日香井を号す。
官位は従三位・参議。
飛鳥井家の祖。
『新古今和歌集』撰者の一人。
飛鳥井流蹴鞠の祖。

写真は
日比谷の宝塚の角にあったので
撮った
外出するとたくさん写真が撮れる
今日は雨
低気圧で具合悪い
短歌を作り何もしなかった
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世の中は常にもがもな

2020-06-18 22:37:30 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十三
世の中は
常にもがもな
渚ナギサ漕ぐ
海人アマの小舟オブネの
綱手ツナデかなしも
 鎌倉右大臣カマクラウダイジン
『新勅撰集』羈旅・525

常にもがもな=
永遠に変わらないでいてほしいものだ

鎌倉右大臣カマクラウダイジンとは
源実朝ミナモトノサネトモのこと
源頼朝の次男、
兄の頼家が追放されると
12歳で征夷大将軍に就く。
武士として初めて右大臣に任ぜられるが、
その翌年に頼家の子公暁に暗殺された。
歌人としても知られ、
92首が勅撰和歌集に入集し、
家集として『金槐和歌集』がある。


たまたまテレビを見ていたら
昨日のレセゾンのシェフの
ティエリー・ヴォワザンが出ていた
よる8時からBS102の
BSスペシャル二時間もの
「人生は旅だ 料理も旅Ⅱ」
帝国ホテルのフランス人シェフ、
ティエリー・ヴォワザンが、
日本の食の神髄と考える「コメ」
そして「日本酒」を探求する旅に出る。
圧倒的な映像美で日本文化の深層に迫る。
との内容説明
普通だったらスルーした番組
シェフはテーブルに挨拶に来てくれたし
袖すり合うも多生の縁

写真は帝国ホテルの植込
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友人との会食は注意

2020-06-17 22:53:04 | 食事会
友人との会食は
新型コロナウイルスを感染することがあるので
注意せよと このところのテレビで見たが
今日はまさにその
友人との会食だ
場所は帝国ホテルのレセゾン
今年の3月16日に
想望庵様に招待されたレセゾン
友人との会食としては
帝国ホテルならば
まずは安全ではないかしら
友人とは文の会のバイ様とヒロコ様
久しぶりに会うのなら
音読会とかの勉強ではなくて
美味しい食事会にしましょうよと
ネットで予約を試みるが
2名しか申し込めない
他のプルニエやいくつかのレストランを探し
人数を打とうとすると2名以上は打てない
どうしてふたりだけなの
行ってみて分かった
レストランは
ソーシャルディスタンス
三蜜を避ける
その為に
テーブル席は普通はふたり
電話をしてみると
3名も可能だった
丸テーブルに離れて3名
席のまわりは衝立で囲み区切られて
手も届かない
ゆっくりと
フランス料理のランチを楽しめた
はじめにスープと前菜の海老
次はメイン
魚か肉かどちらか
最後はデザートと飲物の
三プレートを頼んだ
ランチでは一番安い
サービス料別で料金は7,900円
飲物は始めにシャンパン
追加でグラスワイン
久々のお酒でもう気分良し
そのあとはお喋りに物足りず
ロビーのラウンジへ移動
時間を気にせずお喋りとお茶を楽しむ

予約時間の11時半から
4時半すぎにホテルを出るまでの五時間
非日常の時間
ホテルで食事をし
お茶を飲み
お喋りをする
コロナ自粛で
どこへも出かけられずの
三ヶ月の隙間を
このただ一回の食事会が
癒して埋めてくれたような
気がする

写真は
仔羊のローストさまざま野菜と梅
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人こそ知らね乾く間もなし

2020-06-16 23:24:00 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十二
わが袖は
潮干シオヒに見えぬ
沖の石の
人こそ知らね
乾く間もなし
 二条院讃岐
『千載集』恋2・760

二条院讃岐ニジョウインサヌキ
平安末期から鎌倉前期の歌人。
女房三十六歌仙の一人。
父は源頼政ミナモトヨリマサ。
母は源斉頼ミナモトノマサヨリ又はナリヨリの娘。
同母兄に源仲綱ミナモトノナカツナ、
従姉妹に宜秋門院丹後ギシュウモンインタンゴ。
内讃岐、中宮讃岐とも。

歌番号92は
和泉式部の歌の
 わが袖は 
 水の下なる石なれや 
 人に知られで 
 かわく間もなし
を本歌取りしたものから
「沖の石の讃岐」と呼ばれた。

今日はなんの日かと
電話でサカチカさんに聞かれた
何だっけ
菓子の日だって

菓子の日とは
平安時代848年6月16日
仁明天皇が
16の数にちなんだ菓子を
神前に供え
疫病退散と
健康招福を祈願したという
この事を嘉祥カジョウといい
この故事に基づき
1979年(昭和54年)に
全国和菓子協会が制定した。

写真はサカチカさんが
虎屋で買ってきてくれた
嘉祥カジョウ菓子蒸羊羹
美味美味最高
日本の味だ
ご馳走様
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