与謝野晶子
くろぐろと
鉄をよそほひ
生ナりいでし
茄子ナスビを打ちぬ
あけがたの雨
今日は土曜日
七月の晦日
明日から八月だが
コロナ禍の夏は
茶会も茶事もない
暫しじっとして
内的力を蓄えよう
明日は八朔ハッサク
果物ではない
八月一日は
「頼み」の日
今日は謡の稽古日
11時半からの予約のつもりが
電車の中で確認すると13時からだった
原宿駅の猿田彦珈琲で
パンと珈琲を食べ
稽古不足を補うように
時間までお謡の録音をきいて勉強した気分
いざ先生の前で謡ってみると
うまくいかないところが何ヵ所かあり
稽古不足と謡の理解不足が瞬時に露見
前回はコロナの陽生者が増えたからと休んだ
休んでも稽古しなければ
現状維持どころか
後退してしまう
喉も筋肉
日頃の稽古が必須
近頃はコロナ陽生者が非常に多く
休みたいがもう休めない
でも時間を間違えるのは
緊張感が足りないからだろう
写真は
喫茶店から撮った原宿駅前
謡の稽古の帰りは根津美術館へ
花を愛で、月を望む
日本の自然と美
7月22日(木・祝)~8月22日(日)
古筆から始まり屏風や硯箱
優雅な王朝趣味
冷泉為恭の公達
上の階は
夏点前ー涼みの茶
大津絵雷と太鼓図の待合
遠州らしき煙草盆に
火入は水鳥の呉須染付
清の籠莨入カゴタバコイレ
江月の一行
砂張釣舟花入
香合は布袋彫木彩漆
島物耳付茶入
井戸脇茶碗 銘は唐人笠
茶杓は桑山左近
古銅笹蟹蓋置
美術館の中はかつてなくすいてる
さらっと見て
帰りは渋谷までタクシー
原宿も渋谷も人が多い
やたらと混んでいるから
とっとと帰ろう
裁ちぬはぬ
こや山姫の
しら重ねて
涼しく見ゆる
瀧の色かな
香川景樹
今日は木曜稽古
白い木槿が咲いて森金さんが籠花入に入れた
お点前は続き薄茶や小習の包みふくさ
薄茶は茶箱
茶箱月点前、雪、卯の花
拝見もあり
頭をくるくると動かさないと
間に合わない
写真は今日の掛けもの
香川景樹の詠草
その歌は
昨日の伊勢の和歌を踏まえての和歌か
奥が深い
まあ それを楽しもう
伊勢
たち縫はぬ
きぬきし人も
なきものを
なに山ひめの
布さらすらん
「縫ってもいない着物は
着る人もいないのに
なぜ山姫は布をさらしているの」と
(仙人の衣は無縫)
むかしべや
なに山ひめの
ぬのさらす
あとふりまがへ
つもるはつ雪(藤原定家)
たちぬはぬ
もみぢの衣そめはてて
なに山ひめの
布びきの滝(順徳院)
たちぬはぬ
霞の衣春きては
花のにしきを
おりかさねつつ(藤原知家)
たちぬはぬ
たが いにしへの
衣とて
なほ布さらす
谷の卯の花(藤原行家)
秋の色の
かぎりと見るもかなしきに
なに山姫の木の葉そむらん(宗尊親王)
今日は村雨庵水曜稽古
台風を心配していたせいか
今朝は寝坊
起きたら八時半
お菓子屋さんはだいたい九時に
お弟子様は九時前にみえるかも
その前に種火を入れておかなければ
急いでパキパキと仕事をこなす
種火を入れ
釜をかけ
それから畳を乾拭き
掛軸はあらかじめかけてあるが
花は最近、お弟子様が入れる
茶席の花は
茶事ならば亭主
茶会は席主が
稽古の場合は
ほとんど指導する先生がいれる
うちでは
誰でも茶花を入れる事が
できるようにしたい
なにしろ私が楽だし茶花に興味をもてるようになるはず
急いでしたくしたが
間に合わず
お弟子様が畳を拭いてくれた
急ぐと疲れる
トホホ
斎藤茂吉
油蝉
いま鳴きにけり
大かぜの
なごりの著シルるき
百日紅サルスベリのはな
今日はお習字教室の日
台風のせいか
起きたくない
が
のろのろと支度して
今月と来月の仮名を完成させた
あとはペン字と細字をちょっと頑張ったが
集中力が続かず適当なところでおしまい
藤原 義孝フジワラノヨシタカ
和歌・歌人99
君がため惜しからざりし命さへ
長くもがなと思ひけるかな
《後拾遺集》
藤原 義孝フジワラノヨシタカフジ
954~974
藤原北家、一条摂政太政大臣・藤原伊尹フジワラノコレタダの三男(または四男)。
中古三十六歌仙の一人。
子に藤原行成がいる。
オリンピック
スポーツ好きとは言えないが
思わず見てしまった
今日は文の会
お昼は崎陽軒の焼売弁当を
家で食べる
バイさんは
ネスカフェの珈琲と
永谷園の味噌汁をご持参
美川様はパイナップルとスイカのカットフルーツ
まずはお茶を飲んでお昼
そのあとフルーツと珈琲
満足するまで食べた
オリンピック開会式から
コロナの話し
お喋りは止まらない
2時過ぎたから
ようよう少しは読みますか
大和物語
126段
むばたまの
わが黒髪は
白川の
みづはくむまで
なにりけるかな
檜垣の御
(後撰集)
写真は加賀の千代女
藤原長能フジワラノナガヨシ
和歌・歌人98
あられふる
交野のみのの狩衣
ぬれぬ宿かす
人しなければ
藤原長能 フジワラノナガヨシ、フジワラノナガトウ
949?-?
平安時代中期の官吏,歌人。
天暦3年?生まれ。
藤原倫寧トモヤスの子。
「蜻蛉カゲロウ日記」作者(藤原道綱の母)の弟。
従五位上,伊賀守となる。
中古三十六歌仙のひとり。
今日は土曜日
なにもない
用事がない
たんぱく質不足か
ゴロリゴロリ
藤原高遠フジワラノタカトウ
和歌・歌人97
逢坂の関のいはかど踏みならし
山たちいづる霧原の駒
藤原高遠 フジワラノタカトウ
949-1013
平安時代中期の公卿,歌人。
天暦3年生まれ。
藤原斉敏(ただとし)の子。
藤原実資(さねすけ)の同母兄。
大宰大弐(だざいのだいに),
正三位となったが,寛弘6年(1009)筑後(ちくご)国守の訴えで解任された。
中古三十六歌仙のひとりで,
「拾遺和歌集」以下の勅撰集に27首。
一条天皇の笛の師。
長和2年5月死去。65歳。
家集に「大弐高遠集」。
和歌は駒迎を詠んだもの
駒迎コマムカエとは
〘名〙 平安時代以降、
駒牽(こまひき)の時、
諸国から貢進される馬を
馬寮(めりょう)の使いが、
近江(滋賀県)の逢坂の関まで迎えに出たこと。
毎年八月中旬に行なわれた。
こまむかい。
近世には駒牽全体を指す語として用いられた。《季・秋》
陰暦八月十六日の宮廷行事とのこと
馬の掛軸つかえるかもね
忘れなければだが
源氏物語・夕顔
心あてにそれかとぞ見る白露の
光そへたる夕顔の花
源氏物語・夕顔
寄りてこそ
それかとも見め
たそかれに
ほのぼの見つる
花の夕顔
今日は木曜稽古
夕顔の棗とか
夕顔の平茶碗があるはず
稽古に使うのに探してみよう
今日のお菓子は葛焼きとわらび餅
順次やってくるお弟子様のたちは
それぞれの決めた点前をする
時間があったら花を入れる
軸の箱から出して掛軸を掛ける
外して巻いて軸の箱にしまう
毎回すれば考えなくとも
体が覚えてくれる
写真は汲便の複製 汲むのに便利
此あたり目に見ゆるものは皆涼し 芭蕉
おのおのが考える
涼しい景色を
想像すれば
おのずと
涼しい気分になる
洗い茶巾のお点前は
茶巾を絞るときの
そのかすかな音
建水へこぼす水の姿
ガラスや金属の手触りの冷たさなどは
山奥の小さな滝や
岩もる水のしたたる様を
想像して
涼しくなる
夏ならのお点前である
でも昨今
熱いときは熱い
心頭滅却すれば火もまた涼し
となるやも知れぬが
今や熱中症にも気をつけないとならず
クーラーがなければ危険だ
今日は水曜稽古
大きな平水指を出してのお稽古
平水指には割り蓋が多いが
そうでない大きい蓋は
左手で勝手付に置く
平水指の広い水面が涼しさを演出する
夏ならではの道具のひとつだ
すつかり好きになつたトマト
うつくしく
うれてくる 山頭火
今日はお習字
先生の森金さんが故郷から戻られて
お習字教室の再開
お習字初めて一年過ぎた
10級から少しずつあがっていく
現在漢字楷書が6級
仮名が7級
ほかに行書や隷書、王羲之の臨書
仮名は高野切の臨書と現代詩文がある
硬筆も色々、毎月作品を提出し二ヶ月後に
優秀だと写真とコメントがのり
佳作だと写真だけ載る
名前の上に丸がつくと
昇級する
お習字教室がなくとも
各自自宅でお稽古している人は
どの部門でも良い結果が出ている
たいして努力してない場合は
上達せず昇級しないことになる
今月はぞくぞくと昇級し
写真版には個人でも複数掲載され
KABA.ちゃんが四種類
サカチカさんは三種類
の科目で写真掲載されている
他の人も何らかで写真掲載されてるのだが
唯一私めのみ写真も載らず丸もつかず静かだ
お習字はコツコツ励むべし
日々の努力は
着実に身に付く
というわけだろう
此のところ わがお習字教室の熱気は
驚くほどに熱い
私だけ一ヶ月早いが
皆ほとんど同時にはじめた
もともとの才能とたゆまぬ努力
結果は順位としてあからさまに本に載る
切磋琢磨
くじけずに筆をもとう
グタグタせずに
少しの時間でよいから
十五分でも三十分でも
筆をもつ方が上達するだろう
みんなと一緒に頑張れば
上がらなくてもお習字は楽しい
上がるともっと嬉しいし
写真に載ると幸せいっぱい
皆さんおめでとう
古希を過ぎてもまだ修行中
勉強は楽しい でも
お習字はちょっと面倒だ
良寛
夏草の
しげりにしげる我が宿は
狩りとだにやは
訪ふ人はなし
良寛リョウカン
1758~1831
江戸後期の曹洞宗の僧侶。
歌人、漢詩人、書家。
号は大愚。
土曜日に大手町のワクチン接種会場へ行った
接種したのは妹と親戚の敏子ちゃん
二人とも二回目は熱が出た
同じ反応だったのでお互い安心した様子
解熱剤をのまなくても良い程度の発熱
今日は下がったようだ
写真は東京駅のドーム
天井を見上げてシャッター押したが
首が硬く上をむけない
そういえばこの動作をしてない
体操も何もしない
でもせめて
首くらいは回さないと
ダメだ
藤原実方フジワラノサネカタ
和歌・歌人96
かくとだに
えやは
いぶきのさしも草
さしも知らじな
燃ゆる思ひを
かくと→このように
だに→~だけでも
えやは→言うことができようか、いやできない
こんなにあなたを思ってます
というそのことだけでさえ
私は言えないのだから、
いぶきのさしも草のように
燃えているこの胸の思いの火を、
あなたはそれとご存じないでしょうね
藤原実方
998~960
平安時代の歌人。
左大臣師尹の孫。
父は侍従定時,
母は左大臣源雅信の娘。
父の早世のためか叔父済時の養子となった。
侍従,左近衛中将などを歴任したのち,
長徳1(995)年に陸奥守となって赴任し,任地で没した。
『拾遺集』以下の勅撰集に67首が入集。
藤原公任や大江匡衡,
また恋愛関係にあった女性たちとの贈答歌が多く,
歌合など晴れの歌は少ない。
慣習にこだわらない大胆なふるまいが多く,
和歌のほか,
すぐれた舞人としても活躍,
はなやかな貴公子として清少納言など
多くの女性と恋愛関係を持った。
奔放な性格と,
家柄に比して不遇だったことから,
不仲だった藤原行成と殿上で争い,
相手の冠を投げ落として一条天皇の怒りを買い
「歌枕見てまゐれ」といわれて
陸奥守に左遷されたという話などが生まれ,
遠い任地で没したことも加わって,
その人物像は早くからさまざまに説話化された。
(朝日日本歴史人物事典ヨリ)
かくとだにの和歌は
小倉百人一首の歌番号51
たぼたぼと
蛙混み合ふ
日のさかり
田岸は白き
虎の尾のはな
北原白秋
晴天
今日は妹と敏子ちゃんのワクチン接種
二度目
東京駅からはとバスの無料バス
緑美しい皇居前を通り大手町へ
梅雨が明けた
日差しがきつく暑い
でも日陰には風が吹いて
心地よい
終わったらほっとした
帰りは東京駅グランスタで
三人でアイス珈琲を飲んで
ちょっとした旅行の気分
駅弁買うの
忘れた