花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

Conversations With Myself

2020-02-20 22:53:25 | Weblog
 昼休み、たまたま通りかかったお酒屋さんに入ると、なかなかの、いや相当な品揃えで、蔵元がある県内でしか買えないだろうと思っていたお酒がたくさん並んでいました。東京ではあまり見かけない東北、北関東、甲信越などのお酒を眺めながら店内を回っていると、石川県小松市にある農口(のぐち)尚彦研究所の山廃純米がありました。

 農口尚彦さんと言えば、能登杜氏四天王のひとりにして「現代の名工」にも選ばれ、また黄綬褒章を受章した、知る人ぞ知る伝説の杜氏です。何たる僥倖と瓶を手にして躊躇なくレジに運びました。

 帰宅してから早速口を切りました。山廃なので濃厚で酸味のある味を予想していましたが、口にふくんでみると、濃厚と言うよりは重厚、酸味は控えめ。口の中で酸味がフアーっと開いていくのではなく、ふくんだ時のそのままの味が口、のど、胃の腑へストンと落ちていく感じでした。口全体に味が広がるのとは反対に、スーッと駆け抜けていき、静かな余韻だけが残る感覚。自分ひとりの勝手な表現を許してもらえるならば、「リニア(linear:直線的な)」な味わいと呼びたくなるものでした。これまでの山廃に対する先入観とは全く違った、「新しい天体」との出会いでした。

 杯を重ねると味に慣れてきて飽きが来ることがままありますが、そういったことは全くなく、最初の美味しさが当たり前のように続きます。「キレがある」とはこのようなことを指すのでしょうか。また、飲むにつれ何だか寡黙にさせられるお酒のようです。子どもの頃、線香花火の繊細な火花の明滅にじっと見入っていたさなか、ふと自分と花火だけとの世界に包まれたような気持ちになることがありました。それと同種の静寂が、にわかに現れたかのように覚えました。

 遠心力よりも求心力があるお酒。宴会よりも独酌にふさわしいお酒。「酔」よりも「冴」のイメージのお酒。放歌高吟よりも自己内対話へといざなうお酒。稀代の名杜氏が醸したお酒は、そんなお酒でした。

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