新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

「オークラコレクション」展 九州国立博物館

2018年11月30日 | 美術館&博物館

明治維新の後、日本の近代化に貢献した重要な実業家のひとりが大蔵喜八郎。鹿鳴館・帝国ホテルの建設、電力会社の創設など。そして日本・東洋の古美術を収集して大倉集古館を開設しました。
息子でホテル・オークラ創業者の喜七郎も父の後を継ぎ日本画を海外に紹介したり、父子による収集品の価値の高さは世界に認められています。
この膨大なコレクションから優れた名品が100点余り公開されています。屏風絵、巻物など大型の作品が多く見応えがありました。

鎌倉時代の「随身庭騎絵巻」のクロッキーみたいに動きのある絵は今描いたような新鮮さ。若冲「乗興舟」のモノクロの巻物は若冲?と思うほど意表をつくもの。大観「夜桜」は圧巻です。

4Fの特設会場で平戸松浦家伝来の「伊能図」が、没後200年の忠敬の功績を記念して開催されていました。私には地図の作成過程がまだ謎だらけなのです。

測量器具や測量の図の絵巻がありましたが、それでも地図ができるまでの細かい計算など、私にはまだ理解できないほどです。とにかく日本の沿岸部を歩いて地図を作成したことは凄いとしか表現できません。

忠敬の作成した九州ゆかりの地図も公開されてその正確さに驚きました。オークラコレクションと同時に見られたのはラッキーでした。
そうそう、展示のキャプションや説明も老眼鏡の必要はなし、ほんとに久しぶりに裸眼で見ることができました。レーザー光照射は成功!

九国博ヘ行くには太宰府の参道を通り抜けます。その紅葉がひときわ鮮やかでした。

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レシピのないグラタン

2018年11月29日 | 食・レシピ

どうしても肉に傾きがちな食事。夫が刺身を食べないことがそもそもの原因・・・。それに私が魚料理が苦手。

と言うことでまたサバ缶料理。グラタン皿に茹でたホウレンソウを敷き詰め、その上にサバ味噌煮缶、その上にシメジ、その上に茹で大豆、その上にとろけるチーズ、その上にミニトマト、牛乳も少し入れ、最後に粉チーズ。これをオーブントースターで焼きます。冷蔵庫の中を見回して重ねていった料理です。
ご飯は干しアミエビとキノコと人参を入れた炊き込みご飯。大根おろしにはウニシイタケをトッピング。みそ汁には残り野菜の白菜、キャベツをたっぷり入れました。

目のレーザー光照射から一夜明けた今日。クッキリ見える喜びが鏡を見て驚きに!目の「曇りガラス」の曇りが消えるとシワが!!肌の色が!! 見え過ぎるってこわい!

お肌ツルツル、顔も手も白くなった・・・はずだったのですが、これが「真実」ではなかったのです!高価な美容液の開始と目が曇り始めたのが奇しくも一致していたことから、美しき誤解!思い込み!恥ずかしい独りよがりでした。わが家の二人は一挙に「老け顔」に・・・。せいぜい病気をしないように頑張ります。

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YAGレーザー後発白内障切開手術

2018年11月28日 | 健康・病気

「後発白内障」、名前だけ聞くとドキッとします。3年前の白内障手術で水晶体囊にレンズを挿入しましたが、暫くして水晶体囊にある水晶体上皮細胞が再増殖して、透明になった部分が混濁するために少し見えにくくなり視力低下したものです。
治療法は特殊なレーザーを当て濁った後囊を除去します。外来で可能、眼帯も必要なし。

まず散瞳→点眼麻酔→特殊コンタクトを角膜に接触させ、細隙灯顕微鏡に頭を固定→角膜と眼内レンズを通して、その後ろにある混濁した水晶体囊に狙いをつけてレーザー光を照射

照射は5分ほどです。濁っていた水晶体囊が切開されて良好な視力が回復します。

事前の丁寧な検査と術後の視力確認など2時間はかかりましたが、病院の慎重な治療姿勢には信頼と安心感が持てます。

術後の注意や制約は何もなし。通常の生活でいいので暗くなった天神に寄り道を。地下街の「天神の泉」のカッパが模様替えをしていました。


デパ地下でコーヒー豆を買い、ふと後ろを振り返ると、今まで見なかったカレーライスのカウンターが目に入りました。

今晩は夫はお出かけ、夕食が要らないので「辛~い」カレーを食べるチャンスです。
最近話題になっている宮崎カレーの1週間限定の出店、「旅するカレー屋さん」です。

塩加減もちょうどよく、サラッとしているけどコクもあるカレーです。久々の辛いカレーに満足です。美味しかった!

手術から2時間経ち目が落ちついてくると余りにクッキリ見えてびっくりです。気分は上々、シュトーレンも買いました。
但し新聞の文字のみ老眼鏡が必要です。その文字もクッキリスッキリで、眼鏡の新調を考えるほどだったのが必要なくなりました。

2週間後の検診にOKサインが出ることを祈っています。

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皇帝ダリア

2018年11月27日 | ガーデニング

今年も澄み切った青空を背景に高々と皇帝ダリアが咲きました。
昨冬冷暗所で箱の中でさし芽にしていたのですが、2月には蓋を持ち上げて芽が伸び始めたので早すぎる移植をしました。どうにか咲きましたが成功率は40%の3本です。茎も細いし、花にも元気がありません。

二階に届くほど伸びるので、気がつかないうちに花が咲いていることもあります。

1mに成長したとき先端の芽を摘んでおけば、2mほどのちょうどいい高さで花を咲かせます。台風時期を越すので支えの棒が必要で、結構面倒です。庭に植えている家が割に少ないのは、やっぱり厄介な花の部類かも知れません。

先週呼子の山の中腹に、皇帝ダリアが支えもなく見事な群生をなして咲いていました。皇帝ダリアも本来はこんな咲き方をしたいのかも知れません。

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ふるさと納税

2018年11月26日 | くらし

全く無頓着だったふるさと納税ですが、友人の話を聞いてやる気を起こし、年内に間に合わせました。
冷凍で牛肉がドンと届いて、やっと実感!こんな「旨い」話ってあるんだと。もっと早くからやっておけばよかった・・・。

11月もあとわずか、そろそろお掃除をスタートしないと。

先ずカーテンの洗濯です。レースのカーテンまではよかったのですが、2倍襞のカーテンはアイロンがけに四苦八苦。布が重たくてアイロン台からずり落ちてなかなかプリーツがうまくいきません。イライラ、イラ。それでもレース6枚、カーテン4枚は終了。

苦労の洗濯も、見かけはほとんど変わらないけどけど気分の問題です。残りのカーテンは高さ2.3mが2枚。とても手に負えそうもありません。掃除機で丁寧に埃を取るか、クリーニングに出すか・・・。あ~ぁ、二階の分が残ってた!

掃除の合間のおやつ。大好きな紅玉は自分専用にストックしていますが、柔くなり始めたのでアップルパイにしました。今は市販のパイシートがあり、冷凍庫に入っているのでほんとに楽です。

疲れたときには甘さが快く胃に染みわたり美味しい!でもカロリー高っ!

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原田マハ『暗幕のゲルニカ』

2018年11月25日 | 本・新聞小説

単行本『暗幕のゲルニカ』がやっと文庫本になったので早速購入しました。
森ビル森美術館設立に携わり、ニューヨーク近代美術館勤務の経験を持つ原田マハさんならではの力量と知識が満杯の小説です。

2001年9月の衝撃の同時多発テロ、その報復とも言えるアメリカのイラク攻撃。パウエル国務は国連安全保障理事会でイラクを糾弾します。彼がそのロビーで記者会見した時に後方の壁に掛けられた「ゲルニカ」には暗幕が掛けられていました。「なぜ?誰が指示した?」。それがマハさんがこの本を書く契機になったのです。



主人公八神瑤子は子供の頃「ゲルニカ」を見た体験がもとで今ではMoMAのキュレーター。婚約指輪の代わりにピカソのハトのドローイングを送った夫はアメリカ人。その夫が前触れもなく突然に貿易センタービルのテロに巻き込まれました。アメリカはイラクへの報復に踏み出します。憎しみに憎しみが・・・。

そんな時にMoMAはアートの力で平和を訴えるべくピカソ展を企画し、「ゲルニカ」の展示をめぐって瑤子が行動を起こしスペインを往復します。それが目次の2001~2003年。
そのゲルニカを描いたパリ在住のピカソと愛人ドラ・マールの生活とヒトラーも参加しての故郷スペインの内戦が交錯します。「ゲルニカ」完成までの準備と制作過程、苦悩と曲折がドラ・マールの語りで事細かに説明されています。それが目次の1937年~1945年。

この二つの時代の話が並行して進み、ここがマハさんの上手さです。この二つの時代をつなぐのが「ゲルニカ」であり、その絵を守るべく奔走するスペインの若き資産家パルドです。
マハさんのアート小説には欧米の大富豪が絵のコレクターとして文化人としてたびたび登場し、読者を夢に誘う要素にもなっています。
「ゲルニカ」を狙うのは大戦中はヒトラー、終戦後はスペイン本国やゲルニカ爆撃を受けたバスク地方に発生したテロ集団。
瑤子はこのテロ集団に拉致され一時は生命の危険にさらされますが、ロックフェラーやパルドの尽力で「ゲルニカ」を無事里帰りさせて国連に飾ることができました。

瑤子がバスクのテロ集団に襲われた時、その中のひとりの女性がピカソのハトの絵を持っていたことから、ピカソの別れた愛人ドラ・マールの孫娘だったことが分かります。ちょっと作為的な不自然さを感じ、そこは無かった方がよかったかな・・・とは私の感想です。

スタートから最後までハトの絵を登場させたことは、ピカソとマハさんの思い「平和」を伝えたかったのでしょうか。

MoMAの内部に精通したマハさんの豊富な知識がしなやかでメリハリのあるストーリーになっていて、誰が実在で何が創作か分からなくなり何度も検索、検索、検索。


ピカソは「ゲルニカ」をパリ万博のスペイン館に展示するために速乾性のある工業用ペンキを使いひと月で仕上げました。そのために劣化が進むそうで、貸し出しを禁じた今はソフィア芸術センターに厳重に保管されています。
私もマドリッドでこの絵を見ました。内容は図録で見ていた通りですが、先ず3.5m×7.7mの巨大さに驚き、そしてモノクロのインパクトの強さに衝撃を受けました。


貿易センタービル、MoMA、「ゲルニカ」のあるスペインのソフィア美術館、の3拠点をめぐるストーリーの展開は、その場所を訪れた事があるだけに映像の如く鮮明に映し出され、ドラマのように楽しみました。

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便利!「ジャンボタクシー」と言う名の乗り合いバス

2018年11月21日 | 国内旅行記

ホテルのバイキングスタイルの朝食は「朝からつ茶漬け」がおすすめでした。
トッピングが魚醤、メンタイ、メカブ、塩昆布で特製スープをかけていただくものです。


唐津➡呼子➡名護屋城址へと向かいましたが観光センターでのアドバイスで助かりました。

呼子から名護屋城址までは昼間5時間ほどはバスの運行がなく、バスの役割を「ジャンボタクシー」が補うのです。料金は一律200円。
乗客が少ない大型バスを運行して採算悪化するよりも、ジャンボタクシーで市の補助を受けて一日に3路線を5便ずつ運行。一台に10名ほどかしら。乗客は高齢者が多く、あるバス停から先は希望の場所で降ろしてくれるという、何ともおおらかなルールがあるのです。

過疎地ではバス路線の廃線が取りざたされていますが、「呼子方式」はとても参考になるのではと思います。

朝鮮出兵の拠点がひと山丸ごと名護屋城址になっており、7年間の名護屋城時代の土木工事に気が遠くなるほどです。この周りに120藩の武士が陣地を構えていました。

本丸辺りの敷地。麓からかなり高くなっています。

太閤秀吉はここから朝鮮を睥睨し、欲望を膨らませました。

唐津城には秀吉の御朱印状が残っていました。朝鮮の日本人陣地に兵糧米を二万石送ったとか、それを独り占めにしないように監視しろとか、その内の200石は船で運んだ運び人に与えろとか、細かすぎる指示に秀吉の性格と人情を見た思いです。

呼子はイカ!と言っても二人ともイカ尽くしには躊躇。「海舟」でイカシュウマイの付いた煮魚定食を食べました。あら炊きが美味しい!


名護屋城博物館の展示も充実していました。

家に帰り着いたのは7時。歩行数12500歩。近場の旅でも「掘り出しもの」が沢山で大いに楽しみました。

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ほっとひと息のミニ旅・唐津へ

2018年11月20日 | 国内旅行記

 

9月からずっと忙しかったので、この辺で2食付きの宿でゆっくりしたい・・・と佐賀県の唐津にやってきました。バスと電車で2時間足らず、海と山の見える十分に旅情が味わえるところです。観光したいところも沢山あります。
東京駅設計で有名な辰野金吾監修の「旧唐津銀行」はなかなか見応えがあります。

重厚で黒光りのする木製の扉や階段に、当時の未来への希望に輝いた時代が見えてきます。

唐津銀行の創設者・大島小太郎の「旧大島邸」。茶室が素晴らしい。


更に素晴らしかったのは「旧高取邸」。炭鉱王の高取伊好の2300坪の邸宅で重要文化財の指定を受けています。決して華美ではないが杉戸絵や欄間に漢文の世界が見え隠れして、知識人の深い素養がしのばれます。
中でも室内に設けられた能舞台の見事さ、設計の工夫は見事です。撮影は禁止。ボランティアのガイドさんの説明がとても分かりやすく来て好かったところです。

唐津城へも。220段の石段はスルーしてエレベーターを利用しました。

天守閣から見る唐津湾は少し霞がかっていましたがやはり静かな美しい光景です。




夕食つきの宿はメニューの選択に悩む事もないのでやはり楽です。








今日の歩行は12000歩。明日は秀吉の朝鮮出兵の基点になった名護屋城址に向かいます。

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市長選挙のあとは

2018年11月18日 | くらし

今日は福岡市長選挙。立候補者は前市長と対立候補の計二人。時折テレビでウルトラマンらしきキャラクターが「選挙に行こう」と啓発活動はしていますが、選挙カーも見かけず政令指定都市にしては低調な選挙。

選挙のあと福岡東洋陶磁美術館へ足を伸ばしたら日曜日は休館日でした。美術館は月曜休館が普通と思い込んでいました。
お昼ご飯は歩きながら見つけた食堂「米吉」。うどん専門店の跡地に最近オープンして若い人に人気らしい小綺麗なお店です。
国内産にこだわったお肉は柔らかくて味付けがやさしく、少ない座席はあっという間に満席でした。
ハーフサイズの主菜が2種類を選べて、女性には嬉しいメニューです。

柿を焼く?・・・この奇想天外の作り方がスマホに出ていました。ちょっと気になり夕食のデザートに。 10分ほど焼いて真ん中にハチミツを垂らしました。ハチミツの甘さと柿の甘さって「周波数?」が同じなのかしっくり合っていて結構美味しく頂きました。焼き方を工夫してまた作ります。

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白内障手術3年後検診「後発白内障」

2018年11月17日 | 健康・病気

白内障の手術をしたのは2015年11月。「あとひと月待てば高齢者医療保険が適応されて両眼で12000円。今するなら3割負担で9万円。入院はひと月待ち、日帰り手術なら1週間後」と説明を受けました。
介護施設に入所している母の事を思えば、小康状態の今少しでも早く「今でしょ!」とばかりにその場で予約しました。
母はちょうどその一年後になくなり、思いきって手術しておいてよかったとつくづく思ったものです。手術後は通院もあるし、いろいろと生活の制約も多いからです。
術後は定期検査を2年間受けること、その後の検査は自由意思でしたが、私はずっと受け続けていました。その3年後の検査で左目の視力が少し落ちており「後発白内障」と診断されたのです。
眼内レンズを包んでいる水晶体囊に濁りが出て視力低下が起こるのです。外来で、レーザーを使い痛みもなく楽に施行できるとのことで、ついでに両眼一緒に月末に予約しました。
私は眠る前にベッドで文庫本を読むのを習慣にしており、それが目に影響して後発白内障になったのでは・・・と質問すると、関係ないと言われました。私のささやかな楽しみが維持できるのは嬉しいことです。

3時30分予約の診察を終えて外に出るともう薄暗く、この冷え込みに冬に向かう心細さが胸を突き抜けました。

そんな時のイルミネーションはいつも心を和ませてくれます。ここのスーパーでちらし寿司と牡蠣フライとホウレンソウのごま和えを買い、それが今日の晩ご飯です。

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世界遺産「三重津海軍所跡」、 「佐野常民記念館」

2018年11月11日 | 歴史

夫が1泊のOB会に出かけるので、ひとりで世界遺産を訪ねようと計画していたら妹夫婦が同行してくれました。電車・バスを使ってもアクセスしにくい場所にあるので車は大助かりです。
秋晴れの中を走行中に話の内容から妹夫婦が過去に行ったことを知り申し訳なく思いましたが、「2度目でも新しい発見があるから楽しみ」とさり気ない心遣いと対応に感謝です。

有明海の北岸に位置した筑後川の下流に、干満の差15メートルを利用して作られていた海軍所のドックが、広々とした野原の地中に静かに眠っていました。
三重津海軍所跡」は遺跡を目で見ることが出来ない世界遺産なのです。それはドックの骨組みが木造のために、空気に触れたら腐るという理由で埋め戻されているからです。
そんな可視「0」を「有」にしてくれるのがVR機器「みえつSCOPE」。音声ガイダンスを聞きながらSCOPEを覗くと、160年前の三重津海軍所のパノラマが浮かび上がります。5つのポイントごとに映像が切り替わり、それぞれの施設の説明があります。

この海軍所開設の中心になった佐野常民を顕彰した「佐野常民記念館」がすぐそばにあり、当時の海軍所の様子が細かく説明されています。
海軍所のドックは独特な作りで、底には貝殻を敷き詰め、側面は土と木で作られた日本最古のものとなっています。佐賀藩が自力で近代化を目指した苦心と苦労がしのばれます。
佐野常民は本でもよく目にしていたのでずっと気になっていました。ここで大きく取り上げられてやっとその全貌を捉えました。幕末の意気高き佐賀藩の、7賢人の一人だったのです。

お昼ご飯はお気に入りのお店という高級感漂う「本庄うなぎ店」でご馳走になりました。
   
久しぶりの専門店でのうなぎの蒲焼きはくどさがなくふっくらとしていました。食べた後のさっぱり感までがご馳走の範囲。ごちそうさまでした!

食事の後は、北へ向って佐賀市内の「肥前さが幕末維新博覧会」へ。ここは2度目ですが見ていないところもまだあります。

大隈重信記念館と生家。180㎝の巨漢だった重信は暴徒に襲われて片足を失いますが、お気に入りの赤いガウンと共にその義足も展示されていました。
早慶戦ではなく、諭吉とも親交があったようで諭吉関係の資料も展示されていました。

大通りの25の偉人モニュメントに再会。肥前は政治家は言うまでもなく、菓子メーカーの「森永」「グリコ」の創業者、大企業へと発展した「サロンパス」や「リコー」の創業者、建築の「辰野金吾「曽禰達蔵」などを輩出し、等身大のモニュメントがなぜか身近に感じられました。

徴古館。鍋島家の伝来品が展示されており、前回から展示替えがあっていたのでここも見てきました。佐賀藩は長崎警備を命じられていた事から対外国への危機意識が強く、それが原動力となり近代化に踏み切った実践力は、同じ長崎警備の福岡藩とは全く違っていました。

玉屋デパートの1F「ながさき幕末館」を覗くと、ここは佐賀藩とかかわりの深かった長崎県からの特別出展で、狭いスペースには色々と工夫が凝らしてあります。
古写真の中にフルベッキの集合写真を見つけました。「ここに龍馬が写っている」という説を聞いていたので探していたら、「結局は色々な資料を付き合わせた結果、ここに龍馬は写っていないという結論です」とのスタッフさんの説明にちょっとがっかり。
そんな私を気遣ってか「せめて集合写真の中に入りませんか?」と、古写真と合成体験し、スマホにダウンロードしてもらいました。

 
維新前後の熱きエリート達の後ろに立った「賄いのおばさん」、タイムトリップして上機嫌です。(この44人は佐賀藩が長崎に設けた英学校「致遠館」の生徒たちという説もあります)

こんなに歩きづめだったのに、妹夫婦は地元のレストランで夜のライブコンサートを楽しむそうで、お互いにいつまでも元気にしていたいものです。
私は佐賀駅から高速バス。高速が混んでいたので福岡まで2時間もかかり帰り着いたのは9時前。3㎝のローヒールで歩き回ったので足の薬指が痛い・・・。

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宮本亜門講演会 『波瀾爆笑』

2018年11月10日 | 講演会

ブロードウェイで、ベルサイユ宮殿オペラハウスで、大英博物館で、と国内外で大活躍の宮本亜門さんの講演会に行ってきました。舞台に登場されるや否や、観客にも幾つか問いかける視聴者参加型で先ず亜門氏と一体化。
話はとにかくテンポが速い、聞く人を飽きさせない勘とコツで、完全に亜門ワールドに引き込まれてしまいました。

宮本家のルーツ、両親の特異な出会い、不登校時代、演劇人の時代、演出家への目覚め、世界での活躍など、聴衆の息遣いさえ聞こえない程に宮本さんの世界に入っていました。
サスペンス風な表現には息を飲み、お笑い風にリラックスさせては大爆笑、そして静かに感銘し・・・ととても濃密な1時間30分でした。

ご自分の高校生時代の不登校と引きこもり状態を演出家らしく、劇的に、体を使って、声色を使っての話だから、狭い演台でなく広い舞台を行き来してのトークです。並々ならぬ才能が伺えました。

親や世間のいう『普通』が感受性の強い宮本氏には理解できなくて自分を世間とシャットアウト、部屋に鍵をかけてしまいました。親が言うのはいつも将来のこと
、先のことばかりで現在の自分を見てくれません。部屋にあった本、10数枚のレコードを毎日毎日繰り返して聴いていくうちに次第にイマジネーションが広がっていく体験をされたそうです。
ある日の両親のすざましいバトルを見た後で、やっと慶応病院の精神科で治療というよりは話に行くという感じが続いて、ある時気がついたら学校に行っていた・・・、という舞台演劇みたいな内容でした。その閉じこもりがなかったら今の自分はなかったかもしれないという言葉には深い思いがあふれています。
60歳とは思えない身体と頭脳、今を見る眼の若さに元気づけられました。

私も、世間の『普通』に居心地の良さと安心感、安定感を求めていた自分を重ねて、子供たちに辛い思いをさせたことに申し訳なさを痛感しました。今頃わかっても遅いか・・・。

海外で大成功だった作品の凱旋公演『画狂人
北斎』が2019年1月に、オペラ『金閣寺』が2019年2月に予定されているそうです。その一部が映像で流れて観たいと思いましたが、地方までは来ないだろうな・・・。

この日の昼食は、妹と一緒だったので例によってデパ地下の和食レストランで。

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『今夜は大成功!』

2018年11月07日 | 食・レシピ

とは、中間選挙のトランプ大統領のコメントではなくわが家の晩ご飯の感想です。
「親爺」様のブログ、ダイナミックな発想でドキッとするメニューがとても美味しいので、時々参考にさせてもらっています。
今晩の「青梗菜鍋」がそれです。

青梗菜のレシピが少なかった私はさっそく飛びつきました。
鶏団子に混ぜ込むのが何と福神漬け!「???」と思ったけど、考えてみれば味の濃い福神漬けはとてもよく馴染みそう。
生シイタケも刻んで入れ、歯ごたえがよく、絶妙な味は福神漬けだけで自己完結。スープには市販の白だしを使いとても美味しくできました。
シメの「ほうとう」はうどんに変わりましたが、うどん大好きな私は満足です。
青梗菜2輪、鶏肉ミンチ400グラム。食べ過ぎだと思ったけど箸が止まりませんでした。豪快な「親爺の料理」に感謝です。

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「これ ・・・モンブラン?」

2018年11月07日 | 食・レシピ

テレビ料理番組の「家でも簡単にモンブランができます」のフレーズと、ホントに簡単に見えたので渋皮煮を利用して作ってみました。
渋皮煮の渋皮部分を取り除た200gの栗、生クリーム、牛乳、砂糖を入れて20分程煮ます。鍋の中でつぶして滑らかにして、ビスケットの上に絞り出して形作りますが、この滑らかさと固さのバランスが難しく思いました。

   
それがこれ・・・です・・・。見た目がちょっと気色悪~い。
「これなに?」「いちおうモンブランだけど・・・」「どうやって食べるの?」「???」

あ~ぁ、カナッペみたいに3本指で持って「かじる」食べ方はもうケーキではありません。「アールグレイとモンブラン」の、秋の優雅なイメージは失敗に終わりました。


プロが「簡単」というのをサラリと受け取って挑戦しましたが、やはり家では難しいようです。渋皮煮と生クリームの混ざった味はアーモンドのような味になっていました・・・。「家でモンブランを作ってみたけど無理だった」という履歴の妙な納得の仕方に苦笑。この甘さを8個食べるのも大変。

生のピーナッツはなかなか手に入りませんが、その「生」を宅配で届けていただきました。「茹でるだけ」がとてもおいしいのです。茹でている間に油分が溶け出すのかさっぱりした味がやみつきになります。
ピーナッツを皮ごと茹でて食べることを知ったのは40年前に千葉人の友人からで、そのクセのないサッパリした味に驚きました。それ以来数回しかチャンスがありませんでしたが、今回また食べられることになりました。「炒る」のでなく「茹で」た感触は舌に優しくて味もおとなしい。嬉しい秋になりました。
   

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イワシの梅煮

2018年11月03日 | 住まい&掃除

ちょっとお洒落でちょっと高めのスーパーが2.5キロ先にあり時々利用します。そこでピッカピカに新鮮で小ぶりなイワシを見つけ「イワシの梅煮」にしました。
昔の料理番組は完璧な材料と作り方だったのでずいぶん時間もかかりましたが、味がじっくりしみこんで骨まで食べられる美味しいものでした。
昨今はスマホで検索すると、普通の人が投稿した料理のレシピが出てきて作り方も簡単なのでついそれに馴れてしまいました。
    

  
そんなイワシの梅煮は調味料を煮立てた中に梅とショウガを入れて30分ほど煮るだけ。仕上がりはとてもきれいです。

松茸の残り2本はやはり土瓶蒸しにしました。今のコンロと土瓶のサイズが合わずに、苦肉の策は五徳と揚げ物用のネット使用でした。
     

「これが最後の松茸よ」
「もう季節が終わりなのかな」・・・となんと能天気な・・・・。そんな何回も清水の舞台からは飛び降りません!
  
土瓶の底からぎんなんが出てくるのが楽しみ。大根、ほうれん草、鶏のバター焼きもしょうゆ味にして和風にしました。松茸ごはんは昨日の残りで「今年の松茸編」は今日で終わりです。

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過酷な下剋上からのし上がってきたソフトバンク、勝ちました!広島カープの強さは恐怖で、2点差くらいすぐ追い越す力があるので9回の裏まで不安でした。
ソフトバンクは故障者続出でしたが、改めて選手層の厚さを思いました。2塁まで対角線に投げた強肩の甲斐選手にビックリ、そしてセーフ!MVPは当然でしょう!福岡の街もしばらくは賑やかになるでしょう。
広島の新井選手にはヒットをのぞんでいましたが・・・。長い間お疲れ様でした。

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