ホテルのバイキングスタイルの朝食は「朝からつ茶漬け」がおすすめでした。
トッピングが魚醤、メンタイ、メカブ、塩昆布で特製スープをかけていただくものです。
唐津➡呼子➡名護屋城址へと向かいましたが観光センターでのアドバイスで助かりました。
呼子から名護屋城址までは昼間5時間ほどはバスの運行がなく、バスの役割を「ジャンボタクシー」が補うのです。料金は一律200円。
乗客が少ない大型バスを運行して採算悪化するよりも、ジャンボタクシーで市の補助を受けて一日に3路線を5便ずつ運行。一台に10名ほどかしら。乗客は高齢者が多く、あるバス停から先は希望の場所で降ろしてくれるという、何ともおおらかなルールがあるのです。
過疎地ではバス路線の廃線が取りざたされていますが、「呼子方式」はとても参考になるのではと思います。
朝鮮出兵の拠点がひと山丸ごと名護屋城址になっており、7年間の名護屋城時代の土木工事に気が遠くなるほどです。この周りに120藩の武士が陣地を構えていました。
本丸辺りの敷地。麓からかなり高くなっています。
太閤秀吉はここから朝鮮を睥睨し、欲望を膨らませました。
唐津城には秀吉の御朱印状が残っていました。朝鮮の日本人陣地に兵糧米を二万石送ったとか、それを独り占めにしないように監視しろとか、その内の200石は船で運んだ運び人に与えろとか、細かすぎる指示に秀吉の性格と人情を見た思いです。
呼子はイカ!と言っても二人ともイカ尽くしには躊躇。「海舟」でイカシュウマイの付いた煮魚定食を食べました。あら炊きが美味しい!
名護屋城博物館の展示も充実していました。
家に帰り着いたのは7時。歩行数12500歩。近場の旅でも「掘り出しもの」が沢山で大いに楽しみました。