新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

韃靼疾風録

2010年12月20日 | 本・新聞小説

Photo_3 「坂の上の雲」「竜馬が行く」「世に棲む日々」「最後の将軍」「飛ぶが如く」と読み進み、次は・・・と夫の書棚から見つけたのが「韃靼疾風録」でした。司馬遼太郎の著作の中で、小説のジャンルとしてはこの本が最後で、その後は論評や紀行文に移ったそうです。

時は江戸の初期。平戸に漂着した女性アビアはそれまではなじみのない顔つき、服装の韃靼の公主でした。平戸の下級武士、桂庄助はアビアを韃靼に送り届けるという藩命を受け、韃靼の詳しい情報も持ちえないままわずかの知識で未知の国、韃靼を目指します。

通商で潤う平戸藩は、爛熟期の明の成り行きに不安を覚え、勢いを増しつつある女真つまり韃靼という国との交易で利を得ようと考えたからです。

中国東北部では女真のヌルハチが後金を建て、その子ホンタイジが清国を建てて長城の外から明の本土を狙い着々と勢力を広げていきます。庄助はその歴史の現場に立ち会う形で中国の壮大な歴史に引き込まれていきます。

ホンタイジの死後、6歳のフーリンが皇帝になると摂政ドルゴンが剽悍な精神力と武力で、明末期の内紛や流賊の台頭と相まって、ついに念願の北京に入場しそこに清王朝を建てます。わずか5~60万人の女真が数億人の漢人を支配するに及ぶのです。清軍の中で「日本差官」という立場におかれた庄助は、北京にとっては夷狄の女真人である清が、どのようにして漢人の勢力を抑えていったかを見届けます。

日本を出国したのち鎖国令が出て、日本は庄助たちを置き去りにして扉を閉ざしてしまいました。ドルゴンの信頼を得た庄助ですが望郷絶ちがたく、妻となったアビアを連れて明の人間として長崎に帰り着き、その後は通事として吏務のなかに晩年を過ごします。

韃靼への途中で嵐にあい、避けるべく命を受けていた朝鮮の島にも立ち寄ることになってしまいます。当時から日本と朝鮮の関係がけして良好でなかったことは、「倭奴(ちっぽけで卑劣で無教養で礼儀知らずの強欲者)」という華の思想と秀吉の朝鮮出兵に根ざしているようです。

平戸藩は庄助とは別にもう一人、福良弥左衛門を明の内情を調べるために山海関に送り出していました。庄助と弥左衛門は清になったばかりの北京で偶然に出会いますが、庄助が名前と国籍を変えて日本に戻るのに対して、日本に捨てられたという思いの弥左衛門は自分から日本を捨て清の民になることも拒み、拘束を受けない道士に身を変え蘇州人として生きる道を選びます。日本、朝鮮、中国の陸と海の上に大きな軌跡を描きながら、17世紀の世界史の中で生きた人々の壮大な歴史ロマンです。

今ちょうど日経新聞に「韃靼の馬」が好評連載中で、「韃靼」の文字が新鮮でさらに興味を深くします。折からNHKで「蒼穹の昴」が放映されており、清の創始者ホンタイジの名前も出てきて興味がますます広がります。

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「翔ぶが如く」

2010年12月04日 | 本・新聞小説

Cimg6900 「坂の上の雲」「世に棲む日々」「最後の将軍」「竜馬がゆく」と読み進みましたが、私には維新直後の草創期の明治政府が思い描けずに、その部分が空白になっていました。

幕藩体制は壊したものの、将来の明確な展望がないままにスタートした明治政府が、どのようにして近代国家をつくりあげていったのかが具体的にイメージできませんでした。幕末志を高くして活躍した人たちがその後どうなったのか、維新後内政は具体的にどのように整えられていったのか・・・と気になり、読みだしたのがこの「翔ぶが如く」でした。

前半は、維新直後の留学組が西欧の思想にふれ、驚愕と使命感をもって帰国した後、それをどのように生かして近代国家を成立させていったのか、人間関係を詳しく説明しながらストーリーがすすんでいきます。太政官とはどんなものか、川路利良がどのような考えを持って警察機構を整備していったか、大久保利通はどのような考えを持って日本を構築しようとしたか、明治の軍隊はどのように整備されていったか細かく書かれています。

後半は、かつては同志であった大久保と西郷が、征韓論をめぐりはっきりとたもとを分かったあと西南戦争に突入していく過程が、薩摩武士の人間模様を交えながら展開していきます。鎮台を中心にした政府軍と最強と言われた薩摩軍との戦いがたくさんの資料をもとに詳細に書かれています。

その薩摩軍の戦闘ぶりを、西欧式軍隊の規律や規則をもった組織でなく、西欧兵器ももたず『上代の隼人が翔ぶが如く襲い、翔ぶが如く退いたという集団の本性そのままをいまにひきついでいるかのようである。』と書いています。薩摩士族はこれを美質と思っており、その特異な特性こそが西南戦争を引き起こしたのであり、むしろ西郷はそれに引きずられたのだ・・・と、司馬氏は言いたかったのではないでしょうか。

教科書では数ページで終わりそうな明治初期の10年間が、この本ではなんと7巻2400ページにも及んでいます。テストを離れた歴史の面白いこと!教育機関での歴史の授業のあり方に疑問がわきます。

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