新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

竜馬・船中八策

2010年10月29日 | 歴史

「竜馬がゆく」の心に残る場面としては、前回のいろは丸事件と船中八策です。

1867年6月、上洛中の山内容堂公に大政奉還を進言するために、参政後藤象二郎とともに長崎から船で出港。その船中で書かれたものと言われています。(以下は司馬氏の本から抜粋)

  1. 天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出ずべき事。
  2. 上下議政局を設け、議員を起きて、万機を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事。
  3. 有財の公家・諸侯、および天下の人材を備へ、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事。
  4. 外国の交際、広く公議を採り、新たに至当の規約(新条約)を立つべき事。
  5. 古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべきこと。
  6. 海軍よろしく拡張すべき事。
  7. 御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
  8. 金銀物貨、よろしく外国と平均の法を設くべき事。

これまでに竜馬がかかわった横井小楠、勝海舟、西郷隆盛、松平春嶽、河田小竜、高杉晋作、桂小五郎、久坂玄瑞、武智半平太…などから受けた影響と思想から竜馬が作り上げた集大成のようですが、読んでいる最中は竜馬の思想が具体的にどんなふうに成長してるかをつかめませんでした。

船中八策は、大政奉還の案だけでなくその方法まで書かれています。司馬氏も、1条が竜馬が「歴史に向かって書いた最大の文字」、2条で民主政体にすることを規定したと評価しています。

幕府を倒した後の政体まで考えていたことに、同船していた象二郎は驚嘆します。かつては佐幕派だった象二郎ですが、時運と若い優秀な頭脳が竜馬の考えを受け入れます。受け入れる素地があったのは自らもずっと学んでいた証拠です。のちに竜馬の功績を象二郎が横取りした…と聞くこともありますが、即座に大政奉還を理解したところは、さすがのちに土佐を背負っていくべき人物だったと思います。

船中八策がもとになって象二郎と容堂によって大政奉還建白書となり、討幕へと大きな流れができていきます。教科書では、象二郎、容堂の名は見ても、ここで竜馬の名が出てくることはありませんでした。歴史は常に為政者側の歴史のようです。

もっとも竜馬は、日本を生まれかわらせるのが目的で、生まれかわった日本で栄達する欲はなかったようです。「仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。後の二分は誰でもできる」と決して出世欲をみせませんでした。新政府樹立に功のあった「坂本・後藤閥と岩倉・西郷・大久保閥のふたつに分かれてしまう」ことを、聡明な竜馬がすでに懸念していたというのが司馬氏の考えです。

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写真の「新政府綱領八策」は「船中八策」とは別のものですが、竜馬直筆のものです。

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竜馬・いろは丸事件の賠償金額は?

2010年10月24日 | 本・新聞小説

司馬遼太郎「竜馬がゆく」を読みながら、一番感動したのは海軍学校設立でもなく、あの有名な薩長同盟でもなく、その後に起こる海援隊の傭船・いろは丸沈没事件に関しての竜馬の交渉術でした。

いろは丸事件は、瀬戸内海に於いて紀州和歌山藩船・明光丸といろは丸が衝突し、いろは丸が大破沈没した日本初の蒸気船同士の衝突事故です。非は明光丸にあるとする海援隊側の主張に対して、天下の御三家・紀州55万石が引くはずはありません。

双方の間で繰り返し賠償交渉が行われますが、竜馬は航海日誌や国際法『万国公法』を持ち出し、街に歌を流行らせて世論を盛り上げ、藩のトップも動員して世界を視野に入れ、これからの日本を見据えて理論的に攻めていきます。

そうして勝ちとった賠償金83500両(のちに少し減額されています)。この快挙に日本が大きく変わりつつあるエネルギーを感じ、竜馬の力というものを具体的に見る思いでした。

ちょうど検察と被告のように口論しあい賠償金を勝ち取ったことは、裁判闘争で勝ったようなもので、初めての「判例」として、長編小説の中でも心に残った一場面でした。

本を読んでいても竜馬を器の大きさという抽象的なとらえ方が多かったのが、やっとはっきりと竜馬の人物像をとらえることができた事件でした。

ところで83500両とは一体いくらぐらい?と思って調べてみました。現在の数字に置き換えると興趣も増すものです。

Img_2 写真は、磯田道史「武士の家計簿」からの資料です。

加賀藩猪山家文書(1846年)の両替データをもとに計算してみました。

現代賃金からの換算だと「83500×30万」で250億5000万円。この換算はちょっと高すぎる気がします。

現在の米価から換算すると「83500×55555」で約46億3800万円。

ある説では、1863年の1両は14800円。「83500×14880」で12億4248万円。昔のお金の換算はなかなか難しいです。

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ソフトバンク2勝1敗へ

2010年10月15日 | スポーツ

Cimg6767_2                       

初回から1点を失ったソフトバンク。昨日の悪夢がよみがえるかといやーな雰囲気が漂いました。

しかし、2回で山崎捕手の値千金の適時打で2点をもぎ取ると流れが変わってきました。

この展開で一挙にソフトバンクは盛り上がり、ロッテのミスもさることながら、和田投手の13奪三振2安打という好成績で勝ちに結び付けました。

Cimg6760_3初回に点を取られた和田投手は、「やってはいけないことをやってしまった」。でも 「和田投手は最後までボールの勢いが衰えず、調子がよくて安心していました」というのは女房役の山崎選手の言。

彼の逆転打と1 3奪三振の和田投手が仲良く並んでお立ち台に立ちました。

これでソフトバンクはアドバンテージの1勝を入れて2勝1敗です。日本シリーズへちょっと前進しました。

あすは気持ちを引き締めて頑張ってもらい、頑張って応援します。

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王会長も孫さんも嬉しそうです。和田投手の背中には後光 が差しています???(この4枚の写真はテレビから取ったものです)

球場を埋め尽くした赤いユニホーム姿の観客。ほとんど赤一色になりました。

福岡市民は実に「わかりやすい」です。

というのは、いつもは「ウォーキング銀座」 になるこの時間帯なのに、昨日は誰一人歩いてなくて私ひとり。

しっかり携帯ラジCimg6762_3オを聞きながらのウォーキングでしたが、なんとなく「非国民」ならぬ「非市民」の引け目を感じて今日はウォーキングは取りやめ。

明日もしっかり応援します。

 

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渋皮煮と渋皮付きマロングラッセ

2010年10月08日 | 食・レシピ

Cimg6750_3 猛暑猛暑と嘆きながらも、やはり栗の季節は確実にやってきました。我が家の秋のレシピの定番となった渋皮煮とそれを応用したマロングラッセを作りました。

まるまる太った2キロの栗は、早めに購入したので虫が入っていません。時期を外せば何割かに虫が入っていて出鼻をくじかれることがあります。

このところ鬼皮剥きは夫の作業になっており、便利グッズ「くりくり坊主」の出番です。コツがわかってきて、剥き方は「はなまる」です。

  1. 鍋に鬼皮を剥いた栗に水と小さじ2のタンサンをいれて一晩置きます。
  2. 鍋の水を捨てて、また水とタンサン小さじ2を入れて30分間コトコトと煮ます。
  3. 鍋のお湯を捨て、今度は水だけで同じように30分煮ます。
  4. お湯を捨てて、もう一度水を入れ替えて同じように30分煮ます。
  5. ぬるま湯の中で筋を取り、栗は1キロずつ2つに分けます。

 まず渋皮煮

  1. 砂糖400グラムとひたひたの水を加えて、50分煮ます。
  2. 醤油大さじ1杯半を入れ5分煮ます。
  3. 汁を含ませながら一晩おいたらおいしくなります。

 次にマロングラッセ

  1. 1リットルの水と400グラムの砂糖(ザラメがコクが出ます)を鍋で煮溶かして、栗を入れて煮たってから30分煮ます。このまま一晩置きます。
  2. 栗をとりだした鍋に、砂糖400グラムを追加して煮溶かし、栗を戻して30分煮ます。またこのまま一晩置きます。
  3. 鍋ごと火にかけて、栗が踊らないように注意しながら、ごく弱火で煮汁がとろっとするまで煮詰めます。90分ぐらい煮ました。
  4. 最後にケーキ用のブランデー大さじ5とバニラエッセンス数滴を入れます。ここで奮発してナポレオン大さじ1を追加しました。風味がぐんと増します。煮汁ごと保存瓶にいれて冷蔵庫で保存するとかなり持ちます。

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