新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

8日間の母との生活

2009年05月28日 | 母のこと

 母が白内障の手術をしました。今は手術も日帰りの時代になっています。右目は6年前に手術済みだったので、残る左目の手術でした。いつだったか眼科と脳外科は、飛躍的に医学が進んだと聞いたことがあります。繊細な眼のことなのに、本当に進んだものだと感心しました。

 手術は15分ぐらいで済みますが、検査や点眼で前後3時間ぐらいかかります。帰宅後は一日4回の3本の点眼と飲み薬、防護眼鏡の着用、術後2日間の検査通院など90歳の母一人ではやはり心細かったと思います。1週間後の検診を無事に済ませて8日間の看護兼手伝いから帰ってきました。3日の予定が8日に延びたのは、1週間検診までは付き添うべきだという夫からのありがたいメールが入ったからです。

200905251722000_2 8日間も母と二人で生活することはなかなかなかったので、いろいろな発見もしました。母が昔から日記をつけているのは知っていました。ずっと大学ノートを使っていたので、あるときから姉が3年当用日記をプレゼントして、もう10冊にもなっていました。

 縦に1ページ分、同じ日の3年分の日記が書けるようになっています。もちろん曜日は違ってきますが、去年の5月27日は何ををしていたかがよくわかるし、3年前のこの日・・・となるともう懐かしさがこみあげてきます。1冊に3年分の自分の記録が書き込まれるのです。

 3年当用日記だから、(3年分×10冊)で30年間分の日記がこの中に凝縮されているのです。大学ノートも加えれば、まさに母の半生の歴史でもあるのです。

 母と二人で日記を積み上げて見ていたら、面白い出来事を発見しました。1979年1月1日「イラン在住の婦女子の帰国命令が正式に発表されたと、テヘランから国際電話が入る・・・・」、1月2日「さっそく部屋の大掃除をして、部屋の割り当てを考える・・・・」、1月5日「成田に到着・・・・」、1月7日「無事到着して孫たちの無事な顔を見た・・・・」、1月8日「やっと落ち着いて正月らしい日を迎えた・・・・」

 テヘランに駐在していた姉一家が、イラン革命の勃発で急きょ実家に引き揚げてきたときのことです。降ってわいたような「珍事件」に、母は孫の学校のこともあるので大変な出来事だったのでしょう。私はもう結婚していたので、詳しい事の顛末は知りませんでしたが、こんなことがあったのだと感無量でした。

 白内障の手術後も、早く日記を書かないと忘れてしまうと気にしていました。私が帰る頃には、やっと日記が全部埋まったと安心した様子で、習慣というものは、体と心と日常の中にしっかりと根付くものだと感じ入りました。

 日記の扉には、毛筆で「尊厳死を望みます。」と書いた紙が張り付けてあり、氏名に印鑑が押してありました。子供としては心中複雑なものがあります。現在の日記帳は2008年から2010年までの分です。いつまでも書き続けてほしいと思いました。

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塩野七生「ローマ亡き後の地中海世界」上・下

2009年05月12日 | 本・新聞小説

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Siono4_3合わせ絵のように工夫されたカバーは、上・下を読んでやっと一枚の美しい古代ローマの遺跡の写真になりました。リビアの町から望んだ夏の地中海の写真です。

このように穏やかな海からは想像できないような、800年におよぶ地中海の覇権をめぐって、キリスト教の世界とイスラム世界の対立が書かれています。

下巻の帯には『キリスト教連合 VS 「海賊」率いるトルコ軍』とありますが、大のイタリア好きの塩野さんの思いがよく表れていると思います。トルコのスルタンが認めたトルコ海軍総司令官でさえも、塩野さんによれば「海賊」となってしまいます。

塩野さんは、「二つの文化文明の優劣はさておき、持てる力を最大限に活用して向上しようとした意欲ということなら、中世前期は絶対にイスラム側が優れていた。しかし、それが海賊業に向けられてしまったことが、的にされたキリスト教世界の住人にとっては不幸であった・・・」としています。

「海賊」と決めつけてはいるものの、歴史年表の後方に隠れているようなことでも丹念に資料を調べて書かれているので、世界史で詳しくは学ばなかったイスラムの世界が、自分の中ではどんどん広がりをもってきました。旅行やテレビや本からイスラム世界の優秀さに気づき興味を持ったことは、自分ながら意外なことでした。

本の中の面白い話の一つに、絶頂期のヴェネツィアの貴族の娘チェチリアがトルコの海賊に襲撃され、当然のごとくにハレムに献上されます。その後スルタンセリムの正妃になり、その息子もスルタン、ムラード3世になるというのです。それぞれが一神教をかかげるイスラム圏とキリスト教圏との対立であっても、血ではつながっている・・・、なぜかほっとするひと場面でした。

そのムラード3世がトルコの海軍総司令官に任命したのが、これも元ジェノヴァの市民「シナム・パシャ」です。当時はキリスト教の子供たちが、海賊に拉致されスルタンに献上されて、イスラム教に改宗して、トルコで重要な地位に上っていくことは珍しいことではなかったようです。

スルタンの親衛隊「イエニチェリ軍団」も、支配下のキリスト教国からの選りすぐりを強制的に集めてきて、イスラム教に改宗させ、勇猛な少数精鋭部隊として教育された兵士たちです。こちらは「海賊」とは明らかに異なる正規の誇れる軍団です。

この本では、800年間の地中海を取り巻く、ジェノヴァ、ヴァネツィア、イタリア、ローマ法王庁、スペイン、フランス、神聖ローマ帝国、そしてトルコの横のつながりがわかって、過去に読んだ本の背景としても、遅まきながらうなずけるところも出てきました。

西欧中心の史観に慣れていた私には、イスラムの歴史は新鮮です。イスラムの世界の高度な文明は最近とても気になるところです。イスラムの文明なくしては、ルネサンスもなかった・・・とも聞きました。偏見なく、その歴史に近づいてみたいと思います。

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