新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

ローマはやっぱり永遠だった

2024年02月24日 | 美術館&博物館
今、福岡市美術館で「永遠の都 ローマ展」が開催されています。カピトリーノ美術館からの出展です。
夫のラジオ講座にカピトリーノ美術館のことが取り上げられていて、話題にもしていたので、二人とも「絶対に見逃せない!」と雨なのに出かけました。
見たかったのはこれ《カピトリーノの牝狼》です。精巧な複製ですが、もう本物を見る気分!
塩野七生『ローマ人の物語』にも、ローマ建国のシンボルとして、ロムルス、レムスの双子の兄弟が狼の乳で育てられたことが書いてあります。前753年の話です。

 
数々の有名なフレーズを残したカエサル。後世に作られたもっと格好よい像も見たことがありますが、前1世紀のこの彫像が真実を伝えているのかも。

《アウグストゥスの肖像》前31年、内乱を制してローマ帝政を開始し、絶大な権限を握ったものの、「皇帝」を使わずに「元首」として共和政維持のカムフラージュを貫きました。

五賢帝の一人トラヤヌス帝。ダキアを征服して、領土を最大にした皇帝です。
38mの《トラヤヌス帝記念柱》は113年建設。今も街中にそびえ立っていますが、旅行中には余りにも古代の建造物が多く、車窓から見ても「ああ、そう」で終わっていました。
今回はレリーフの一部が複製として展示され、詳細を間近に見ることができました。すごい!
こうして2000年も前の文明を今見ている・・・、やはりローマは永遠です。

《コンスタンティヌス帝の巨像の頭部》も複製ですが、近くの人物と比較すると、その1.8mもある大きさにビックリします。
全体像を想像すると、これを作らせたローマの皇帝の偉大さがわかります。
コンスタンティヌス帝が建設したコンスタンティノープルが1100年後に陥落する本を読了したばかりだったので感慨ひとしおでした。

《老女像》の顔の表情と皺、服の襞と流れに、これが2世紀の彫像かと感動しました。

 


他に、カラヴァッジョ、ティントレットの絵画もあり、カメラOKだったので存分に撮ってきました。

最後のコーナーのテーマは「カピトリーノ美術館と日本」。
明治維新の最中、岩倉具視を筆頭に46名が630日ほどをかけて世界を回りました。その時の見聞録の一部が展示されていました。
エッチングの漢字表記は《騾馬古時集院ノ残柱》
明治初期の海外文化への憧れと努力が直に伝わりました。これが美術教育の急速な必要、美術館の設置へと繋がります。

80点ほどの展示を二時間半かけて回りました。もう絶対に無理なだけに、夫の「ローマに行きたいところだけどなぁ」が切なく響きましたが、それを少しでも補ってくれる素晴らしい展覧会でした。




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中世からの黒い服の流行をたどって・・・

2023年07月02日 | 美術館&博物館
新聞で10cmほどのこの石像を見たときにはっと胸をつかれました。これほどの悲しみを表現した絵や彫刻を見たことがありません。顔の表情は見えないのに体全体、いや服装に、深い悲しみが漂っているのです。

この「フィリップ・ポーの墓所」は制作が15世紀半ば、ルーブル美術館所蔵だそうですが、見た記憶はありません。美術館巡りのチェックリストに入れる知識も情報も持ち合わせていませんでした。今となってはとても残念です。

そうそう、これは日経文化欄『黒のモード』シリーズの中の1枚で、現在進行中です。
第1回の「善良公フィリップの肖像」は、漆黒の喪服が美しいブルゴーニュ家の君主の絵でした。

服飾史家・徳井淑子さんが『表情に乏しく見える黒だが、実はヨーロッパの歴史を饒舌に語る色だ。野暮と洗練、清貧と贅沢ーー。両極端のイメージを持つ黒い服の流行を中世から20世紀までたどる』というコンセプトで10枚の写真で解説されます。
黒の衣装の起源を服飾史、風俗史、宗教感の観点から解説されてとても興味深いシリーズになっています。

私の脳裏に残っているレンブラント、マネ、ホイッスラーの絵画は、どれも真っ黒の衣装とレースの白を強調したものです。今、その謎が解けていく最中でワクワクしながら読んでいます。



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「ゴッホ展」 ・・・響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

2022年01月27日 | 美術館&博物館
今、「ゴッホ展」が福岡市美術館で開催されています。昨年末12月23日~2月13日まで。
3時以降は来館者が減るという情報で自転車で行きましたが、逆にその時間を狙ってきたかのごとく混んでました。
列には並ばずに、音声ガイドを借りて列外の隙間から見ました。エアゾルの危険性を少しでも減らせたかな・・・。白内障手術の後は離れても良く見えます。

下の絵は、クレラー=ミュラー美術館のものでなく、ゴッホ美術館のものです。

コレクターのヘレーネは20世紀の初めからゴッホの作品に魅了され270点の作品をコレクション。その素晴らしさを後世に伝えることに情熱をそそぎ、クレラ=ミュラー美術館が設立されました。
収集作品もゴッホの生涯を網羅していて、展示もオランダ時代⇒パリ時代⇒アルル時代⇒サン=レミ、オーベル=シュル=オワーズ時代と分かりやすい流れになっています。
ゴッホは最初の3年間はデッサンに明け暮れたと言うだけに、その精神性に胸を打つものがありました。ふっと涙がこぼれそうになることも。

生前は一枚しか売れなかったと言うゴッホは決して幸せな人生ではなかったと思います。ただカフェテラスや金色に輝く黄色の太陽を見ていると、この瞬間はゴッホは最高に幸せだったのではと思います。
弟テオ、その妻ヨー、そしてコレクターのヘレーネなど、ゴッホの絵を信じていた人が居てくれたこと、そして今世界中の人が感動していることを思えば、ゴッホは最高の幸せに浸っているかも知れません。

1Fの展示室で「プラナカン・ファッション100年の旅」の企画展を見ました。繊細な模様のバティックを中心にしたファッションの変遷です。
この美術館にはアジアの布の貴重なコレクションがあります。

今、日経の文化欄で「祝祭の布 十選」が毎日掲載されています。
筆者はここ福岡市美術館館長岩永悦子さん。貴重な美しい布と共にその説明文が秀逸です。

福岡市美術館は大濠公園と一体化して、一番の福岡市のオアシスになっています。



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断捨離のはずが.....

2020年03月10日 | 美術館&博物館
外出を控えると家の中の仕事が次々と。書籍類の整理が目標ですが、なかなか能率が上がりません。

銀婚式でニューヨークの美術館を回って以来、ふと世界の美術館を回れるだけ回りたい...とそんな考えがムクムクと沸いてきました。それまでことさら美術に興味があった訳でもありません。
その頃フェルメール全盛期で、世界に30数点しか存在していない絵を何点を見られるかにも挑戦しようと思い、国内外で24点ほど見ることかできました。
まだバブルの残り香があり、ちょうど美術館の分冊百科が数社から定期刊行されていました。
講談社「La Muse世界の美術館全50冊」は世界の有名な美術館50館を紹介したもので、全50冊を集めました。ずっと保存しておくつもりでしたが、今はパソコンでもスマホでも見られます。処分しよう!
処分する前に、訪れた美術館を確認して決別しようと仕分けてみました。31の美術館を訪れていました。31/50、下の写真がそうです。

ページをめくると、はつらつと旅した当時の様子がくっきりと浮かんできます。初期の頃は娘との旅で、きっと足手まといだったと思いますが、貴重な思い出です。写真にもあげられなかった残りの19美術館、もう行くことはないでしょう。ボストン美術館もシカゴ美術館も。

それよりも、これに入っていない美術館がたくさんあります。その中で見逃せないのがニューヨークのフリックコレクション、チューリッヒのヴィンタートゥール美術館、オランダのマウリッツハイス美術館、ゲルニカを展示しているソフィア王妃芸術センター、パリのモロー美術館、台北の故宮美術館、これは一番に挙げておかないといけません。

その他に他社の分冊百科がテーマ別に80冊ほどあり中を開けば段々捨てがたくなりますが、半分は処分しようと思ってロープで結んで「借り置き」状態にして心の移ろいを確認してから処分します。

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布製マスクは効果がないとあまり話題にもあがりませんでしたが、ここにきて急にクルーズアップされ始めました。
政府が布マスクにも動き出したようで、これで引け目なく使えそうです。
一枚ずつ洗剤に浸け置く、塩素水に浸すなど面倒ではありますが、「ない、ない」ばかり言っては始まらない。孫娘に追加を作って送りました。



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太宰府とリアル三国志、そしてソフトバンク!

2019年10月10日 | 美術館&博物館
学業のお守りを頼まれていたので太宰府に行ってきました。

太宰府は海外の観光客の人気ナンバー1です。着物体験の美しい女性軍は、上手に着こなした中国からのお客さんでした。中国人にはラーメンも人気。ラーメン屋さんにも長ーい行列が。

屋根のシルエットが美しい!日本の美です。

右手の梅ノ木が、「東風吹かば・・・」の飛梅。お守りはデザインも用途も豊富になっています。

太宰府と九州国立博物館は、ここに来たらセットで巡るのが当然になっています。

今から約2千年前、魏・呉・蜀が天下をめぐってしのぎを削っていた時代。焼き物も彫刻も絵もやはり文明国、素晴らしいものばかりでした。


墓から出土した「儀仗俑」。堂々とした馬のたたずまいに惚れ惚れ。
「関羽・張飛像」19世紀。「関羽殿、すまぬ」と張飛が謝っている有名な場面です。


戦場の矢の流れをイメージしたという、天井からぶら下がった美しいアートです。
館内は写真撮影OK。さすが中国は太っ腹、大陸的です。
2時間たっぷり見て回り、4Fの文化財修復の展示を見ました。文化財は修理と管理がないと継続的な保存はできません。
住友財団は、これ迄千件を越える文化財修復の助成を行ってきたそうです。すごい!
その中の1つが先の熊本地震で足元から折れた「千手観音菩薩立像」でした。3年をかけて丁寧に修復され、完成していました。
        
益城町の心の支えだった観音菩薩像。元の姿に修復したいという強い思いが実現したのです。町全体の復興への足掛かりになりました。
修復なった観音像が美術館に展示されたときに、手を合わせ涙を流す町民の姿も映像に写し出されました。間もなく益城町のお寺に戻ることでしょう。

4路線のバス・電車を乗り継ぎ、ラッシュの中を帰りついたのは6時半でした。歳をとるとあのラッシュが嫌いです。梅ケ枝餅だけはしっかり買ってきました。

追記
今晩は、ソフトバンクvs西武の大切な戦い。このために夕食はお寿司と総菜を買って帰りました。
ソフトバンクは最初から大量得点!だから安心してスマホでブログを書きながら見ていましたが、中盤から雲行きが怪しくなり、9回裏にノーアウト、4ボール、2点差。もうドキドキで見ていられない・・・・、お風呂に逃げ込みました。心臓がちぢむ・・・。
しばらくして夫が、森投手が抑えて逃げ切ったと報告に来てくれました。ほっ。クライマックスシリーズ・ファイナルステージ2勝0敗です。
秋は重要な試合が目白押し。心臓がいくつあっても足りません。
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久留米市美術館

2019年06月28日 | 美術館&博物館
『ラファエロ前派の軌跡』が久留米市美術館で開催されています。
曇り空で昨日ほど暑くはないので急に思い立ちました。
ブリジストンの石橋正二郎氏にゆかりのある文化センターです。





英国絵画は同時代のパリの絵画とは明らかに違います。あまりに写実的過ぎて体温が伝わってこないというか・・・。でもその思想というか意欲はしっかり伝わり、素晴らしさには感銘を受けます。どこか惹かれるのは間違いなし。
風景、建築物は写真の代わりになるほどに緻密で素晴らしい技量です。
「ラファエロ前派」の成り立ちも思想もよくわかりました。多才な評論家ラスキンの業績も、ウィリアム・モリスの花柄も今に繋がっています。
2時間たっぷり、音声ガイドを聞きながら見て回りました。

美術館を取り巻く公園はかなり広く、さすが筑後平野のど真ん中に位置しているだけにゆとりがあります。

庭園はバラ、菖蒲、たくさんの花で埋まり、年中花が絶えません。

親子で鯉に餌をあげていました。

小さな滝のせせらぎのなかを飛び石づたいに向こう側にわたります。

白鳥も!

坂本繁二郎のアトリエが移築されていました。

最後は「楽水亭」の和パフェでひと息つきました。昨日やっと梅雨入りした後のひとときでした。

久留米から福岡まで特急電車で30分。スマホでのブログアップにはちょうどいい時間でした。

そうそう、電車待ちの時に西鉄の「レール・キッチン」が入ってきました。回送らしくスタッフさんだけが動いていました。地域を味わう旅列車、というコンセプト。余り身近過ぎて実感が湧きません。
3両編成。特急で1時間のところをゆっくり2時間半で走るようです。ランチで8000円ほど。





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OpAmへ

2019年05月19日 | 美術館&博物館
昨日のコンサートホールも日航ホテルもOpAmの中のレストランもドアか通路で繋がっているので、雨を気にせず快適に行動できました。

チェックアウト後はガラスの通路を通ってOpAm、大分県立美術館へ。

3か月前にも訪れていましたが、今日はゆっくり同館のコレクションを観ました。


3階のホワイエ、天井がぽっかり開いてホテルが見えます。大分県らしく杉材をふんだんに使った館内は温かくて明るくてほっとします。

孫たちの成長でスケジュール調整が難しくなりましたが、どうにか一緒にランチをすることができました。
ゴールデンウィークは我が家に向かう途中で孫息子が具合が悪くなり、そのまま自宅に逆戻り。だから久々の再会でした。明るく生き生きしている表情にほっとします。

帰りのJRの車窓から、また美しい麦畑を見ながら充実した二日間のひとり旅を思い出しています。
私の休日も終わりが近づいてきました。
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OPAM 大分県立美術館

2019年02月28日 | 美術館&博物館

2015年春にオープンして以来、何度も近くまで行きながらついぞ叶う事のなかったOPAM。今回やっと念願がかないました。

 

OPAMはプリツカー賞を受賞している坂茂氏の事務所の設計になるもので、2015年度のJIA日本建築大賞を受賞して話題を呼びました。噂に違わず斬新な建物でした。
 
 
ガラス張りの箱型のデザインは外から中のアトリウムの様子がわかるようになっています。
 
建物の上部は大分の竹工芸をイメージし、これを地元の杉材を用いて装飾兼建築的な支えとして組み立てられています。
 
 アトリウム「ユーラシアの庭」

 
アトリウム。
大分の歴史を遡り、それにちなんで日蘭のデザイナーの競演という事です。
 
竹工芸をモチーフにした骨組みの美しい天井。寄木細工のような和のテイストに温もりがあります。
 
天庭(あまにわ)。空に開かれたOPAMの透明な中庭で「光と風に包まれながら宇宙へ解き放とう」という意図が込められています。

普段美術館に行かない人をいかにに引き寄せるか、美術を楽しみ何度も日常的に足を運んでもらいたい、というテーマが生かされている美術館でした。

肝心の展示室は3階でコレクション展「日常へのまなざし」が開催されていました。
普段見逃しがちな何気ない日常の光景の中に息づく美。それを作家のまなざしで捉えて生き生きと細かく描かれています。遠い昔に見たような、懐かしむような、そして息苦しさも覚えるような、そんな絵でした。

 

福田平八郎の作品が27点も。地元出身の高山辰夫、田能村竹田、片多徳郎、朝倉文夫、宇治山哲平。春信、広重など等。時間が足りなくて2Fにあるレストランは諦めました。残念でしたが次回に回します。

夕食は娘夫婦と孫たちと会食。大盛りの器が次々に運ばれて見ただけでお腹いっぱい、年齢を感じずにはいられませんでした。確かにもう若い人たちの時代です。がんばれーっ!
 

 

大分から別府の宿に帰り着いたのは9時過ぎ。せっかくの温泉ですが疲れて翌朝入ることにしました。 

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別府美術館

2019年02月27日 | 美術館&博物館

保養所の近くに広大な別府公園がありました。今回初めてこの存在を知りさっそく街歩きに出発。


 
公園は広大な敷地で、向うにそびえ立つのが鶴見岳。ゲートの中に見えるのが125mのグローバルタワー。風邪気味の夫を宿に残し、ひとりここを散策しながら通り抜け、別府市美術館に行ってきました。
 
東京都美術館の生みの親である佐藤慶太郎氏が、後年別府に居を構えた時に文化的な物をここにも、と多額の寄付をされ、その基金を元に常設美術館が設立されました。その「常設」の意義を固く守って、近代日本画壇で活躍した作家たちの作品を網羅した密度の高いコレクションです。

佐藤慶太郎の胸像は朝倉文夫制作、肖像画は岡田三郎助制作。玄関ホールで最初に目につきます。
 
夕方4時近かったせいか入館者は私一人。学芸員さんがわざわざ出てきて丁寧に説明してくださいました。
学芸員さん一押しの福田平八郎《桃》は当館の開館記念として制作されたというだけあって、深く印象に残る優しい絵でした。油彩では表現できない様な桃の質感に思わず手が出そうなほどだし、桃の甘い香りまでもが感じ取れました。
 
プリンの下のパンフレットの絵が安井曽太郎《桃》です。
日本画・洋画ともに実によく収集されていています。村上華岳、山口華陽、安井曽太郎、小出楢重、小磯良平・・・、文化勲章受章者がずらり。

旅の終わりの日に、「これを見ないと損」とばかりに夫を連れてまた来館しました。今回の旅の大収穫。これだけの逸品揃いなのに入場料は100円!70歳以上は無料!


JR別府駅海側の街並みは商店街。別府は外人観光客の人気度も高いはずですがなんか低調・・・。再開発予定なのかシャッターが下りていたり、移転したりでなかなか昼食にありつけません。


やっと見つけたうなぎ屋さん、古いガラス戸に貼り付けた「国産のうなぎを使っています」の墨字に目が行きました。勇気を持って引き戸を開けると、誠実そうなおばあさんの挨拶を受けて美味しいはずと直感。蒲焼きは少し焦げていましたが、美味しさに夫も供満足でした。


スマホ片手にアジア系観光客のグループが戸惑う様子もなく入ってきました。ウナギは人気なのでしょう、スマホにはちゃんと情報が載っているんですね~。写真入りのメニューをスマホで撮りまくっていました。


おばあさんとどうやってコミュニケーションをとるのか気になっていたら、壁のメニューを指さして指で注文数を示していました。言葉はなくてもボディを使えばわかり合えるのが凄いし微笑ましいです。


海外のお客さんはスマホがあれば怖いものなし、どこにでも行ける、・・・そんな風に受けとれました。

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「オークラコレクション」展 九州国立博物館

2018年11月30日 | 美術館&博物館

明治維新の後、日本の近代化に貢献した重要な実業家のひとりが大蔵喜八郎。鹿鳴館・帝国ホテルの建設、電力会社の創設など。そして日本・東洋の古美術を収集して大倉集古館を開設しました。
息子でホテル・オークラ創業者の喜七郎も父の後を継ぎ日本画を海外に紹介したり、父子による収集品の価値の高さは世界に認められています。
この膨大なコレクションから優れた名品が100点余り公開されています。屏風絵、巻物など大型の作品が多く見応えがありました。

鎌倉時代の「随身庭騎絵巻」のクロッキーみたいに動きのある絵は今描いたような新鮮さ。若冲「乗興舟」のモノクロの巻物は若冲?と思うほど意表をつくもの。大観「夜桜」は圧巻です。

4Fの特設会場で平戸松浦家伝来の「伊能図」が、没後200年の忠敬の功績を記念して開催されていました。私には地図の作成過程がまだ謎だらけなのです。

測量器具や測量の図の絵巻がありましたが、それでも地図ができるまでの細かい計算など、私にはまだ理解できないほどです。とにかく日本の沿岸部を歩いて地図を作成したことは凄いとしか表現できません。

忠敬の作成した九州ゆかりの地図も公開されてその正確さに驚きました。オークラコレクションと同時に見られたのはラッキーでした。
そうそう、展示のキャプションや説明も老眼鏡の必要はなし、ほんとに久しぶりに裸眼で見ることができました。レーザー光照射は成功!

九国博ヘ行くには太宰府の参道を通り抜けます。その紅葉がひときわ鮮やかでした。

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鈴木春信 ボストン美術館浮世絵名品展

2018年08月20日 | 美術館&博物館

福岡市博物館で8月26日まで開催されています。

春信の活躍期間は10年ほど。その絵も8割が海外に流出し、日本で見るのは難しいとさえいわれているなかで、ボストンから130年ぶりに、150点が日本に里帰りしています。

春信は多色刷り版画(錦絵)の生みの親、華やかな浮世絵の歴史はここから始まったといわれています。私が好きだったのは《夕立》。いきなり降り出した雨に慌てて洗濯物を取り入れようとする女性の姿を描いています。慌てたので右足の下駄が脱げて裏返り、振り返った姿が夕立の力強い線の中で生き生きと描かれています。私の「今日の一枚」です。

春信の浮世絵には仕掛けが施されたものが多数あります。着物に隠された文字を探し出したり、古典の有名な場面を見立てた絵を読み解いたりと、当時の江戸町人の粋で知的好奇心が高い文化がしのばれます。 

三大小町、遊女、江戸の日常を描いた絵から、150年も戦のない江戸の暮らしは、ある意味では幸せな時代だったことをしのばせました。



春信亡き後に活躍した勝川春章の絵はさすが洗練されているし、最後の二枚は際立つ歌麿で締めくくられていました。歌麿の美人画は格別です。

この辺りは食事にいつも苦慮します。高級マンションとオフィスビルが建ち並びショッピングやレストランを拒んでいる気がします。そんな中でビルの奥に見つけたお寿司屋さんの1000円ランチです。「10人限り」の文字に惹かれて。

 

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ビュールレ・コレクション「至上の印象派展」九州国立博物館

2018年06月08日 | 美術館&博物館

梅雨空とは真逆の爽やかな展覧会が、九州国立博物館で開催されています。
第1次大戦後、ドイツ人、エミール・ゲオルグ・ビュールレは家族と共にスイスに帰化しました。武器商人として巨大な財をなし、わずか20年間に世界でも屈指のプライベート・コレクションを築き上げました。今回は、
その中から64点が展示されています。


右の少女は、ルノワールの『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』。父のダンヴェール伯爵はユダヤ系の裕福な銀行家で、この時イレーヌは8歳でした。この絵は第2次大戦中はナチスのゲーリングに所有されていましたが、戦後イレーヌに返されました。しかし3年後にビュールレが競売で入手しています。彼はスイスで武器製造会社を経営し、連合軍側にもナチスにも武器を売って巨万の富を築いていました。
絵画史上最強の美少女・・・のもう一つのタイトルは『可愛いイレーヌ』です。聡明で知的で品格のある無垢な少女の眼差しには、どこか来たるべき運命を見つめているような・・・そんな胸騒ぎも覚えます。
実際、長男は第1次大戦で戦死、娘、孫、妹らはアウシュビッツで命を落とし、イレーヌも2度の離婚を経験しました。
  
この『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』は、数年前にチューリッヒに行ったときには見ることはできませんでした。というのは、2008年、この美術館が窃盗団により4点もの印象派の絵を盗まれ、セキュリティの問題ありという事で開館が規制され、条件付きで月1日しか入館が許されていなかったからです。

チューリッヒに行ったのに観ることができなかったその絵が、自分のすぐ近くまでやってきたという事の方が奇跡とも思えます。この絵とモネの睡蓮に限ってカメラOKというおまけ迄ついていたのは何とラッキー!

展覧会は、肖像画、ヨーロッパの都市、19世紀フランス絵画、印象派の風景、人物、セザンヌ、ゴッホ、20世紀初のフランス、モダンアートの9章に分かれ、最後にモネの睡蓮で締めくくられています。


モネの晩年の大作《睡蓮の池、緑の反映》は、ビュールレがモネの息子から直接買ったもので、今回初めてスイスから国外に出たという貴重な作品です。

私が好きだったのはセザンヌの《赤いチョッキの少年》です。やっぱりセザンヌはいいなぁ~。この絵は、窃盗団に盗まれた4点のうちのひとつです。
数年がかりで4作品が無事取り返されて、今回の展覧会ではすべて展示されました。巨匠4人4点の作品の盗難は、ヨーロッパ史上最大の美術品盗難事件といわれました。

2015年には完全に閉館され、20年にはチューリッヒ美術館に移管される事が決定したので、今、世界数カ所を回っているようです。

この博物館らしい常設会場も見逃せません。企画展を見終えて、常設展示をゆっくり見て回るのもまた楽しいものです。

九州国立博物館は、太宰府天満宮の境内から山の斜面を長~いエスカレーターで上ったところにあります。外人観光客はほとんどが天満宮止まりのようで、参道はいろんな言葉が飛び交っています。土産物店の内容も外人観光客向けになっている気がします。
境内の楠の巨木、もこもこと盛り上がる葉、今が一番緑の美しい時です。

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やっと出会いました!「松林図」

2017年11月22日 | 美術館&博物館

私にはまぼろしの屏風図だった等伯の「松林図屏風」が、なんと九州国立博物館にやってきたのです。数年前、九州初上陸と話題をよんだ大分県美での展示を見損なって、もう縁がないものとあきらめていました。
その豪華な展覧会「新・桃山展」が11月26日まで、九州国立博物館で開催されています。

   
国宝、重文がズラリとあっては、それぞれの作品の前は順番を待つ人が行列なのは当たり前。各章ごとに人の列の隙間を見つけ上手に回ります。

   

  

等伯「松林図屏風」、故郷七尾の海の霧に包まれた情景を描いたものだそうです。が、霧は描がれていません。見え隠れする松の墨の濃淡だけでその情景を表す、すごい技だと思います。
近づいて見ると通常の絵筆で描いたとは思えません。線書きの先が細らず直線のままなのです。普通の筆では等伯の心は表せなかったのでしょう。松林図の前だけは人がまばらで、作品を遠巻きに見ています。
さすが皆さんよくご存じで、この朦朧とした空気感は離れて見ないと近くでは感じられないのです。
学生時代に19世紀ターナーの絵が大気を表現しているのに感動しましたが、等伯はそれよりも早く16世紀に描いたのです。余白が多い分だけ、見る人にいろいろな思いを持つ時間を与えてくれます。

数年前、安部龍太郎『等伯』が直木賞を受けました。その中の、聚楽第の秀吉の前で、等伯が松林図を披露する張りつめた場面が忘れられません。
家康も利家もいました。秀吉の「わしは今まで何をしてきたのであろう」とつぶやき、「心ならずも多くの人を死なせてしまいました」と涙を拭う家康・・・。大自然の幽玄を心で描いた絵を前に武将たちをねじ伏せた瞬間です。

もう一つの私の発見は永徳「琴棋書画図襖」、これも国宝。4枚のうち右2枚に描かれた松の木の葉。永徳のいつもの鮮やかな緑のべた塗とは違います。何故か足が動かなくなりました。
何故こうまで足を止めさせるか・・・?
   
葉は1本1本が描かかれ、それも普通は葉先が細くなるはずなのに、逆に葉先が太くなっています。
発散しようとするエネルギーを逆に内に向かわせようとする、そこに生じる倍化したエネルギーが私の心に飛び込んだのです。心に残る絵になりました。書画しか表しえない表現かもしれません。

もう1枚は「洛外名所図屏風」、作者はわかりません。とにかく清水寺、洛北、洛西あたりの庶民の暮しや景観が細かく描かれていて、ガラス戸の外からはよく見えません。複製でも映像でもいいからゆっくり、じっくりその風俗を楽しめたら、と私の希望です。
立ちっぱなしで3時間、もう1時間で常設展に回ったら閉館5時のアナウンスが。大宰府天満宮と連動しているので、門前町は閉まりかけていました。健康的な町です。

いつ行っても門前町の通りもお土産屋さんも中国人が埋め尽くしています。日本語が恋しくなるくらいです。こうして日本に対する理解が深まるといいなと思っています。
中国人の買い物もスマホが大活躍。梅が枝餅の店で、ピッ、ピッ、ピッとスマホを入力すると日本語に変換され「中に何が入っていますか?」の文字が出てきました。店員さんがそれを見て「ああ、あんこです」。「何個いりますか?」に対し、商品の個数と金額を書いた表で指さしします。決済もスマホの数クリックで終了。日本人の買い物と同じスピード、というよりおつりが要らない分早いかもしれません。日本人の買い物の仕方の方が遅れているような・・・。

この九州国立博物館の建設に関しては、箱モノに対する賛否両論がかしましく話題になりました。しかしオープンしてみれば、主たる収蔵品も少ないのに、美術館運営は見事に人の心を惹き付けて毎回盛況です。
  
   
右手の山はガラスに映った山で、違和感なく繋がって見えます。設計者の自然を取り込んだ見事な意匠が心憎いばかりです。

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奇想と独創の「ルドルフ2世」像

2017年11月10日 | 美術館&博物館

野菜と果物を緻密に組み合わせた奇怪な絵。豊穣の秋にもぴったりの絵です。この「驚異の世界展」が福岡市博物館で開催されています。

今回の目玉は《ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像》です。 
      

左が神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の肖像画、右が野菜と果物と花でルドルフ2世の顔に見立てた合成人面像です。作者はアルチンボルド。
ウェルトゥムヌスとはめぐる季節を司る植物の神。季節の移ろいという変身能力で、ウェルトゥムヌスがルドルフに姿を変えた瞬間を寓意をちりばめて描いています。

ルドルフ2世は、ハプスブルグ家きっての変わり者、奇人として評価は高くなかったようですが、近年「奇人ながらも当時最高の知性を備えた教養人」と評価が真逆になっているようです。
新世界からの珍奇なものばかりでなく、確かな審美眼で集めた絵画、工芸品、天文学者ケプラーを庇護し、錬金術、魔術などに夢中になり、それが後世の博物学への先駆になったようです。
ハプスブルグの歴史を書いた本を何冊か読みましたが、血族結婚を繰り返し他を排したために、異様なほどに血を凝縮させて結局は自滅の道をたどりました。それでも650年続いたという事は江戸時代の2倍以上です。
その歴史も面白く、オーストリアもチェコもハンガリーも領土だった事で、その地の旅行もまた面白く味わい深いものがあります。

途中、学芸員さんのギャラリーガイドもあり、立ちっぱなしで4時間以上もかかってしまいました。初秋の戸外はすでに薄暗く・・・。

夕食はイタリアンで美味しくいただきました。
  

   

最後の写真は夫の合成人面像です。美術館の体験コーナーで、額縁の前に立つとその人物を野菜や果物で合成した像が出来上がります。雰囲気が似ているのでビックリ!アルチンボルドもビックリでしょう。

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丸の内へ 勝川春章 《美人鑑賞図》

2016年03月23日 | 美術館&博物館

生誕290年記念の「勝川春章」展が出光美術館と太田記念美術館で同時に開催されており、どちらにしようかな・・・。そして下段の《美人鑑賞図》が展示されている出光に決めました。



展示メインの春章最晩年の《美人鑑賞図》。この絵は鳥文斎栄之《福神の軸を見る美人》の構図を元に描かれています。横にシカゴ美術館所蔵の絵が写真で出ていました。なぜ30歳も年下の栄之の絵を参考にしたのか・・・、その理由を解く美しい展覧会でした。

ついでに画中画の右軸は狩野探幽の《寿老図》、中央下の軸は《竹鶴図》だそうで、ほぼ正確に描き込まれているとか。美人図もですが、その掛け軸にも気を取られてしまいます。こんな趣向が春章が行きついた芸術かもしれません。

春章の墨と絵の具で一筆ひと筆丁寧に引き重ねていった美人画は、宮川長春からの系譜につながります。すでに歌舞伎の役者絵で人気を得ていた春章ですが、肉筆美人画を手がけるようになったのは50歳前後から。

「美人画家・春章の出発」の章は、上方の絵師の美人画にその表現の源流を求めたという絵が並んでいます。《雪中傘持美人図》等21点。

「春章の季節」の章は、彼が当代随一の美人画作家として名を馳せると、多くの浮世絵師が春章の美人画へと表現を近づけようとします。その中に酒井抱一の絵もありました。

「俗の中のみやび」の章は、円熟期に入った春宵は、中国や日本の古典的な文化になぞらえようとして芸術の深みを増していきます。《花魁図》等12点が勢ぞろい。

最後に、春章が残したものとして「浮世絵の黄金期へ」の章があります。春章が世を去った後、北多川歌麿、鳥文斎栄之の華々しい登場です。鳥文斎栄之の絵は品のある清廉な美人画でとても美しいものでした。ここにきて春章《美人鑑賞図》が栄之の美の世界と一致したところが納得できました。
この章に北斎の肉筆画も一枚ありました。彼は若き日に春章のもとで学んだ弟子だったのです。そういえば北斎も一時「勝川春朗」と名乗った時期がありました。

面白い資料の解説が展示されていました。江戸の著名人を職業別に記号をつけて表したものです。当時は浮世絵師と画家は区別されているのがわかり、画家の方が上に見られていたそうです。春章の扱いは画家。浮世絵画家から肉筆画家をめざし、そこで活躍し名声を得たのがうかがわれます。
( 国会図書館デジタルコレクション「江戸方角分」で1000人分の職業を見ることが出来ます )

今回はフェルメール、レンブラント、ボッテェチェリ、ダ・ヴィンチと、世界的にも超メジャーな画家の名前が東京まで飛んでいくきっかけを作ってくれました。それはテレビでもよく目にする絵であり画家であったりしましたが、今回特に心に残ったものは、そのほかのカラヴァッジョと勝川春章でした。両者とも超メジャーではないからこそ新鮮で、新しい知識を得られて心弾む思いでした。理解するというのは好きになるための一歩です。

江戸時代、たくさんの浮世絵や陶磁器が西欧に流れました。それは西欧人にショックを与えるほどの異世界の新鮮さでした。ジャポニズムという言葉が生まれたほどです。
だから2日間洋画ばかりを見た後、日本画のこの出光美術館に来た時の新鮮な感覚が、江戸の頃日本の絵を初めて目にした西欧人の衝撃の心とダブって、さもありなんと一人納得したものです。絵画芸術は洋の東西を問わず人間の心に問いかけ、奥深く入り込む魔法のようなものかもしれません。

随分前に娘と大英博物館を訪れた時に「日本館」にも足を延ばしました。百済観音の3体のレプリカのひとつが展示されていると聞いたからです。
しかし日本館に入った途端に目の前のガラスケースに凛と収まった美しい日本刀が目に飛び込みました。これが日本文化だったのか・・・、と衝撃的でした。一刀に込められた日本の精神。余分なものをそぎ落としそこに込められた心というか崇高なもの、それへの畏敬の念がわいてきて日本文化がいとおしく、とても誇りに思いました。今回の出光の日本画でさらにそれを確認しました。

絵を見終わってロビーのソファーでくつろぐと、全面ガラスの向うに桜田門が見えます。頭に浮かぶのは井伊直弼ですが、春の陽はそんな暗い歴史を飲みこんで、どっしりとした門は静謐に包まれてとても穏やかでした。

見終ってからの遅いランチは、丸の内ブリックスクエアのA16で。ガーデンを眺めながら窯焼きピッツァを。お店の人が「かなり大きいから二人で1個の方がいいと思います」とアドバイス。
ケーキは岩塩とオリーブオイルをトッピングしたチョコレートプディーノ。人気のケーキらしいけどチョコレートが濃厚過ぎて甘すぎて。日本初上陸のサンフランシスコのお店らしいけど、アメリカのケーキは超甘いから。
そういえばニューヨークの空港で、朝からサラリーマンらしきイケメンが砂糖がけの菓子パンを頬張っていました・・・。「ひぇ~っ」とびっくりポンの光景でした。

 

かくして3日間の旅は終了。 やはりカラバッジョと勝川春章が深く心にしみました。鼻歌が出そうなくらい満足した美術鑑賞でした。
                         (東京3日目 3月17日)

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