新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

得々!タクシーアプリ

2022年04月29日 | くらし
4月のタクシー乗車回数9回。ほとんど夫です。頭がふらついて体がぐらぐらする・・・といってバス停まで歩くのが苦痛のようでタクシー利用です。自宅から目的地、現地から自宅までと自由に設定して配車を依頼します。

市も老人には免許返納しタクシーを使うことを勧めているのに、ちょうど働き方改革とぶつかり、電話で依頼してもなかなか受け付けてもらえず困ることもあります。その事で市民にかなりの不平が出ています。

コロナ禍のこともあり、スマホにタクシーアプリを入れたのが2年前。だいたい7~8分で到着し、クレジット払いなので金銭のやり取りが無く清潔に降りることができます。こんなに便利なアプリがあるのは大歓迎です。

昨年12月から、タクシーのクレジットの請求をチェックすると極端に少ないのです。システムのどこかでトラブっているのかも、と連絡を取るべく検索していたら、なんと1回に200円の割引があったのです。
年が明けると「-400円」サービスも。

降車時に貰う領収書はメーター通りの金額ですが、クレジット請求は割り引きされた金額になります。

チップの可否も自由で、アカウントに表示された領収書です。

4月は400円✕4回、200円✕4回で、合計2400円の割引になっていました。9回の内、1回だけうっかり流しを拾ってしまいました。ちょっと残念!
こんなに割り引いてアプリの会社は大丈夫?と不安です。
まあ、安いに越したことはありませんが・・・。

🥣 🥣 🥣 🥣 🥣 🥣 🥣
晩ごはんは、大好きなバターチキンカレーです。野菜はいっさい入れずに、ヨーグルト・カレー粉・はちみつ・レモン汁・塩をもみ込んで2時間冷蔵庫へ。
あとは、トマトピューレ・生クリームを入れて煮込みます。

いたって簡単で、ちょっとオシャレな味がします。

春の雨は残酷。クリムスンクローバーが苦しげにのたうち回り、刈り込んでごみ袋2個にギュウギュウ詰め。私の庭仕事の量が見える形になりました。



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心にしみた言葉・・・「ちむどんどん」

2022年04月22日 | 減塩生活
美しい海と空と緑と澄んだ空気が、朝からリビングに飛び込んでくる「ちむどんどん」が素晴らしい展開を見せています。キャストがぴったりで、皆上手いですねぇ。ドラマはアメリカ統治時代の昭和39年から始まりました。あの頃は沖縄は「外国」で、近くて遠い島でした。

小学校の教室で、東京から来ている民俗学の青柳先生の言葉『人生は幸せになろうとする道のりです。明日は今日よりもきっと幸せになれる。その信念を持ち続ける勇気を、思い出が支えてくれる』が深く心に染み込みました。美しい自然と温かい人情に支えられて思い出はどんどん積み重なっていくでしょう。

自分は黄昏がだんだん濃くなっている立ち位置に居ますが、美しい言葉は直に心に響きます。人生ってまさに幸せになろうとする道のりなんですねぇ。

🍪  🍪  🍪  🍪  🍪  🍪  
グラノーラの賞味期限が切れていますが、捨てるのはもったいないので、牛乳,小麦粉,オリーブ油などを足してクッキーを焼きました。
さくさくと歯応えはいいですが、もう少し柔らかく仕上げたいので次は材料と作り方を工夫します。

産直の15,6㎝の柔らかい茹で筍をゲット。私は白ご飯が好きなのですが3合も炊いてしまいました。筍大好きだった夫は消化がよくなかったのか、お腹が弛んだというので、私一人が頑張って食べないと。
まあ春の季語みたいな筍料理、ノルマは果たしました。




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オイルサーディン利用

2022年04月21日 | 減塩生活
オイルサーディンといえばカナッペ・・・・ばかりではありません。
おかずにもなります。魚料理が少ない我が家には好ましいメニューですが、オイルサーディンは塩分が多いので食べる量に気を付けています。

今日のお昼ご飯です。
バルサミコ酢と醤油の味をつけています。汁物は即席味噌汁。

頂き物で最中タイプです。ただし1人分の塩分が0.88gだから、半分ずつにして、普通にお湯を注いでちょうどいい味でした。

インスタントのコーンスープを使うときも、1人分パックを二人分にして、鍋で水と牛乳を使います。インスタント製品は塩分に要注意です。


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佐渡裕、そして藤田宜永『大雪物語』

2022年04月20日 | 本・新聞小説
先に読んだ佐渡裕さんのエッセイが面白くて、もう2冊追加購入しました。

バーンスタイン最後の愛弟子と自他ともに認めるほどの師弟愛がホットに伝わってきます。佐渡さんはとても親しみやすい方なので、アンパンをかじりながら読んでも許してもらえそう。

音楽家のエッセイといえば、40数年前に団伊玖磨『パイプのけむり』の軽妙洒脱さにすっかり魅了されました。その後、「続パイプ…」「続々…」「又…」「又々…」と続き、27巻目の『さよならパイプのけむり』で終わったそうですが、最初の2冊ほどしか読んでいません。

友人から回ってきた本は藤田宜永『大雪物語』です。初めて見る名前でしたが直木賞受賞者でした。小池真理子さんの旦那さま。時期を違えて二人とも直木賞を受賞されていますが、2020年に肺がんで亡くなられています。

自分にはない視点で本が選ばれているので「おおっ!」というほど新鮮な感動に包まれました。

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201×年2月中旬、長野県K市に積雪99センチという記録的な大雪がもたらされました。避暑地で名高いK市ですが、冬の大雪の数日間に起こったドラマが6話つづられています。各話を点的にリンクさせているところも面白いところです。
1話「転落」:警察から追われる性悪な青年が、大雪の別荘で癌に侵された老女とひと時の穏やかな時間を過ごします。素性がばれて老女にも手をかけるか・・・と思われましたが、最後の2ページで青年の心が繋がります。

2話「墓堀り」:大雪の中で立ち往生する遺体運搬車。雪と車内に二重に閉じ込められるなか、遺体の娘と自然に本音で語り合いながら、淡々とそれぞれの人生模様をあぶりだしていきます。

3話「雪男」:大雪で起こる高校生同士の恋の終わりと、遭難から救ってくれた男性の愛の終焉を並行させています。

4話「雪の華」:かつて愛した女性が大雪で避難所に現れ再会。20年という歳月の中に生きた女性と、安定した生活を送る男性の心の襞を覗き見るような話です。

5話「わだかまり」:K町の除雪に出動した自衛隊員が、偶然生き別れの姉を見つけます。すさんだ姉と母を結び付けようとする真摯な若者の話です。大雪が少しだけ光をもたらして雪解けのきざしが。   

6話「雨だれのプレリュード」:かつて雪の日にK市で出会い結婚したピアニストと画家の妻。二人の能力と人気に格差が出て離婚へ。しかし大雪が、K市でまた二人を結び付けるという雪解けの話です。

どれも切なく哀しいけど、これから先人間関係が繋がっていくだろうと想像させるところにほっとします。最後には明かりが見える小説です。




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空とぶ「スーパードライ号」

2022年04月18日 | くらし
歩道で何人かの人が立ち止まり空を見上げています。「何ぃ・・・?」
眼に入ったのは赤と白の気球船で「新スーパードライ、始める」と横腹に書き込んでいますゆっくり飛んでいるように見えたけど、結構スピードが出ているのかすぐ小さくなってしまいました。

ほとんどの人は気づいていません。立っているときに視界に入る角度は限られているし、外出先で首を倒して空を見上げることは先ずはありません。
私は「人につられて」偶然見られて得しました。「人につられずに」そのまま気にせずに歩いた人は見逃しました。これって性格の違い?引きずられるってこと・・・!Σ(×_×;)! 

ネットで調べたらすぐにわかりました。
「スーパードライ36年目のリニューアル」の商品プロモーションで、5月30日まで全国の空を飛び回るそうです。プロモーションがビール市場の活性化に繋がるかな。

あんパンを焼きました。そのパンと借りていた本を友達に届けて、その帰りに気球船を見つけたのです。ラッキー!
その本というのが漫画の『将棋の渡辺くん』。奥さまの伊奈めぐみ作・全5巻は読むのに時間がかかりました。
絵がうまいし、シンプルな線で渡辺棋士も他の棋士もよく特徴をつかんでいます。

クスッと笑えるのですが、将棋に精通していないので考える時間が長くなり、それでも理解できない部分が多くありました。
ひとこまに吹き出しがたくさんあるのも苦手。それぞれがどの人物の会話なのか?
頭のなかで線で結んで、何だかテストを思い出します・・・。

漫画って頭の回転が速くないと向いていない・・・というのが私の感想です。


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吉村昭『アメリカ彦蔵』

2022年04月17日 | 本・新聞小説
タイトルが時代小説みたいで後回しになっていましたが、何のなんの歴とした歴史小説でした。以前読んだ前野良沢も間宮林蔵も然り、厖大な資料に忠実に・・・を旨としている吉村さんの秀作です。
560ページほどで、最近の一番の心を打つ小説でした。私の中では『おろしや国酔夢譚』と双璧をなします。


熊野灘沖で回船「永力丸」が難破。乗組員17人は太平洋の真ん中で、2か月間木の葉のように浮き沈みしながら幸運にもアメリカ商船に助けられました。

主人公13歳の彦蔵は実在の人物で、武士ではないので名前だけです。日本に帰るべく香港まで行きますが、日本の状況から帰国を断念して再びアメリカに戻ります。
それから7年、ようやく日本の土を踏んだ時は漂流から9年が経っていました。ただ、アメリカ国籍、キリスト教の洗礼を受けている「アメリカ人」としての彦蔵でした。
しかし、幕末の日本は攘夷の嵐が吹き、アメリカ人の彦蔵は身の危険を感じて再びアメリカに戻ります。

アメリカでは身分の差がなく温かく迎え入れられており、税関長サンダース夫妻に望まれて生活を共にします。教育も受けさせてもらい親子のような温かい絆で結ばれていました。

世界と時代と運に翻弄されながらも常に前向きの生き様が見事です。悲惨さがなく前を向いた彦蔵だから幸運を引き寄せたのかもしれません。ピアース大統領、ブキャナン大統領、リンカーン大統領と三代にわたって謁見もします。

アメリカから離れること三度目は、ハリス総領事の通訳になって日本へ帰ります。
日本では英語ができることで政府の高官と親しくなり、グラバー商会の通訳など積極的に活躍します。

伊藤博文のサポートもあり、凱旋のつもりで帰った故郷は、夢に描いていたものとは大きな隔たりがありました。
見慣れたアメリカとは程遠く、眼にする村は荒廃し、人々の眼にも生気が失われ、全く打ち解けようとする気配が見られません。
墓には既に自分の戒名が書かれていて「自分は村人には亡霊なのだろう。村は故郷ではなく、むしろアメリカこそが故郷ではないか」と空しくなりました。

「帰国してからあわただしく生きてきたが、それは大海を漂流していた折の延長のように思えた。英語に通じていることで重宝がられたが、冷静に考えてみると多くの外国人と日本人に利用されて生きてきただけのことで、自分が今でも坊主船に乗って漂い流れているような気がする」と来し方を顧みます。2つの国の狭間で揺れ動き、どちらにも根を張る場所を見つけられないもどかしさと哀しみに胸を打たれました。

彦蔵がサンフランシスコ、ニューヨーク、ワシントン、清国、ハワイで生活したこと、アメリカ政府の要人との出会い、アメリカの会社に勤めた体験が詳しく丁寧に描写されて興味を引きます。

幕府役人、伊藤博文、井上薫、木戸孝允らと交流する場面では、また違った角度から幕末・明治の外交の内外が見られました。

冒頭の漂流の場面の描写が迫力があり秀逸で息が詰まるようだったし、江戸時代の若者の、降ってわいたようなアメリカ体験。異文化への戸惑いと初々しさが、新鮮に心に響いてきました。

ジョン万次郎は歴史年表に載っても、載らなかった彦蔵の重たく深い人生の物語です。




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溶かしバターを加えてみました

2022年04月16日 | 食・レシピ
2日間の雨で庭の花が乱れに乱れてみだれ髪。ネモフィラもクリムスンクローバーも花径が長いのでのたうち回っています。毎年、ゴールデンウィーク明けが花の植え替え時期ですが、今年は早まりそうです。

🍰 🍰 🍰 🍰 🍰 🍰 🍰 🍰
今日のおやつは、「改良」ロールケーキ。スポンジ生地の目が荒くずっと気になっていたので、今回溶かしバターを生地に追加してみました。

一目瞭然、きれいに焼けました。溶かしバター25gですが、ケーキは微妙な量で変化します。

今までのいくつかのレシピには溶かしバターのことは触れてありませんでした。
しかし、オーブンレンジのレシピを見ていたら、これには溶かしバターが入っているのです。

考えたら、オーブンレンジに付帯しているトリセツ&レシピ集は、そのオーブンレンジの特質に合った調理法を探究しているはずです。
料理は頑固に、というよりは変えるのが面倒で自分の作り方を通していたのですが、これからはこのレシピ集にこだわってみようと思っています。



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ひと手間かけて「カフェ・オ・レ」

2022年04月14日 | 食・レシピ
カフェ・オ・レ。名前も見た目もお洒落です。
ミルクを温めて泡立てる・・・。ただそれだけのひと手間ですが、おやつが優雅になります。今日は一日中雨。

リンゴの煮たものとパイシートさえあれば簡単に焼けるアップルパイです。
パイ生地は高カロリーで1切れ分が200Kcal、これにリンゴの砂糖煮が加わります。
丸型に焼くと食べ切るのが大変なので、小型にして2個単位で焼いています。

ちなみに、カフェ・オ・レを泡立てるのはYenショップの泡立て器です。





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長ネギと鶏肉のレモン塩炒め

2022年04月13日 | 食・レシピ
レモン塩、聞いただけでさわやかなイメージが広がります。
長ネギをたっぷり使ったメニューです。

鶏肉200gの一口大を酒、塩少々で下味をつけておきます。
フライパンに油を敷いて鶏肉を炒め火が通ったら、斜め切りの長ネギ、赤ピーマンを加えます。
しんなりしたら、レモン汁大さじ1,鶏ガラスープの素小匙1,塩ひとつまみ、黒胡椒をふります。

リサイクル瓶の収集のゴミ袋にドキッ。日本酒,ワイン,ウィスキーの空き瓶が結構あり、これが全部私の体の中に!!( ; ロ)゚ ゚
毎日のアルコールは量的には少しですが、空き瓶を見たら愕然とします。

この日は「越乃寒梅」です。「これ、お水よ」と言ったら返事は「ニヤリ」でした。
夫はアルコール類は頭痛がするし飲みたいとは思わないから気にしないで飲めばいい、と言ってはくれますが、何しろ毎日となると・・・。
二人で話しながらワインを1本空けていた頃が懐かしいです。
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ホッケの塩焼きが残った ⇒ グラタンに

2022年04月10日 | 食・レシピ
前日のホッケの塩焼きが残っています。この冷えたものには食指が動きにくい・・・。リメイクをあれこれ考えて見た目をよくして錯覚を起こせばいい・・・。

茹でたほうれん草を下に敷き、ホッケの皮と骨を取り除いて乗せ、マヨネーズを塗って、とろけるチーズを乗せて、グリーンと赤味を足して焼きます。

目についたものを足し算しながら出き上がらせた結果がメニューです。それにしては、ちょっとおしゃれな昼ご飯になりました。ホッケは癖がないからグラタンにできたのかな。
クリームサンド、なかなかスパッといきません。

ちなみに昨日の晩御飯。こちらが本来のホッケのメニューですが、「本家」の方が貧弱になりました。
エノキをレンチンしたあとフライパンでチーズをのせて焼きます。香ばしくて酒の肴にもなります。


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食べたくなったら5分でおはぎ

2022年04月09日 | くらし
夫が聴力が落ちたようだと耳鼻科へ行きました。人の声は問題ないけど、テレビの限られた人の声が聞き取りにくいという症状です。
検査の結果「年齢にしてはよく聞こえる方ですよ」と言われて、明るい表情で帰ってきました。「お墨付き」これが一番の薬ですねぇ。
花粉症ではありませんが、この季節は花粉が鼻の奥にくっついて、そのために聞こえにくくなることも一因とか。こんな診断、初耳!

お互いに「経年劣化」は避けられません。「年齢の割には」は相対的で便利な殺し文句。これに安住すれば精神的に楽になります(ToT)

だから、今日のおやつは一人でした。
かつて「玄関開けたら2分でご飯」というコマーシャルがありました。リズムがいいので「食べたくなったら5分でおはぎ」と我が家にも当てはめてみました。5分もかかりませんが。
最近、ズルをする腕が確実に上がっています。その見事さに自分で感心するほどですが、自分の料理自体がヘタクソと心底思うことがあります。
「5分でおはぎ」のタネを明かせば、おはぎ用のご飯を一個分ずつ冷凍しておきます。つぶあんは北海道産の小豆餡を切らさないようにしています。冷蔵庫保存です。
だから、ご飯を解凍すれば5分もかからずにおはぎの出来上がりです。一個だけ作りました。

今迄はおはぎを作って冷凍し、それを解凍していましたが、ひょんなことからこのズルおはぎに。この方が手作り感がきれいです。美味しい餡を手に入れることが先決です。

🍰 🍰 🍰 🍰 🍰 🍰 🍰
昨日のおやつは、久しぶりに手作りのティラミスでした。一時ティラミス旋風が吹きまくりました。バブルの頃だったかなぁ。
マスカルポーネを使いよく作ったものです。チーズと生クリームと砂糖がたっぷり過ぎて、「神さまー、あっち見てホイ!」と警戒心に蓋をして食べていました。
ティラミスはいつ食べても、私が作っても美味しいです。


クリムスンクローバーが咲きだしました。開花が去年より早いです。

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吉村昭『間宮林蔵』樺太探検のその後の人生・・・②/2                                                                                                                                                                                                                                  

2022年04月08日 | 本・新聞小説
樺太・東韃靼の調査を終えた林蔵は蝦夷地南端の松前に留まり、調査の資料を纏めます。それを手伝ったのが、師と仰ぐ村上島之丞の養子·貞助です。林蔵は会ってすぐに彼の才能を見抜き、信頼して口述筆記をさせました。出来上がった「東韃靼地方紀行」「北夷分界余話」「北蝦夷島図」を携えて1年後江戸に戻ります。


幕府は林蔵の業績を高く評価し破格の昇進と報償金100両を与えます。
伊能忠敬を崇敬していた林蔵は、次の測量に備えて彼から本格的な測量技術を学びます。

林蔵は忠敬の不完全な蝦夷地の測量をやり直して蝦夷全図を作成し、忠敬を喜ばせます。忠敬と親しく交わりながら晩年には同居して師を支えました。
林蔵の蝦夷地図を合わせて「大日本沿海與地全図」が完成したのは忠敬の死後しばらく経ってからでした。林蔵は忠敬の一大事業の一端を担ったことを喜び、人々の称賛を浴びます。

このころ千葉沖に異国の捕鯨船が出没し、上陸騒ぎで人心の不安も増していました。幕府は海岸線の調査と捕鯨船の情報を得るべく、人心を動揺させない様に林蔵に内密御用が命じられます。林蔵は秘かに旅を続けながら続々と貴重な情報を幕府に伝えます。

その後、林蔵は海岸異国船掛に任命されますが、それは海防関係の隠密を意味していました。伊豆七島巡見では豊かな知識と問題解決への積極的姿勢が評価されます。

1828年秋、林蔵は天文方兼書物奉行·高橋作左衛門(景保)に託されたシーボルトからの小包を受けとりますが、危険を察知して中身を見ないまま奉行所に届け出ます。これがシーボルト事件を引き起こすきっかけになりました。
国内の大問題となり、高橋作左衛門は失脚。シーボルトは国外追放、獄死も相次ぎました。
江戸の関係者の処分のあと、林蔵は長崎の実状調査の命を受けます。林蔵の厳しく冷静な目は更に犠牲者を増やしました。
それまで畏敬の目で見られていた林蔵ですが、このシーボルト事件により、密告者、卑劣な男と白眼視されるようになりました。
西洋の知識に関心を持つ者が増え、日本地図と貴重な西洋の文献を交換したいという状況下では林蔵の行為は憎まれたのです。

相次ぐ異国船騒ぎに、林蔵は「これはロシア鑑の攻撃と違い捕鯨船で薪水を欲しがっているだけ。それを与えて穏便に退去させるのがいい」と冷静な分析を老中に進言しています。

蝦夷通として異国船の蝦夷襲撃に関わることが多かった林蔵は、続いて奥州、山陰、九州、四国の海岸線探索の命令を受け、海岸防備と各藩の政情を探る隠密の旅に出ます。

隠密としての鋭い勘で浜田藩の抜け荷(密貿易)を見抜きました。
浜田藩は無断で竹島(現韓国領鬱陵島)から大量の海産物を持ち帰り、さらに輸出入を拡大させて莫大な利益を生んでいました。
関係者は死罪、永蟄居、自殺に追い込まれます。この竹島事件で林蔵の業績が高く評価されました。

後ろ楯の老中大久保忠真が亡くなり、林蔵も床に伏すことが多くなります。探索中に両親は亡くなっており、故郷を捨てた自身に神仏の罰を見て気力も無くしました。
気ままに生きて探索で終わった人生、経済的には恵まれても家庭を持たない寂しいものでしたが、死の間際には養子縁組も成立しました。
渡辺崋山、矢部定謙と親しい友を先に亡くし、見舞いの書状や品物が届けられるなか65年の生涯を終えました。

最後のシーボルトが見た林蔵に関する記事がなかなか面白かったので記しておきます。
シーボルトに渡った地図を幕府は全て取り戻したと思っていましたが、シーボルトは捜査を受ける直前に日本、千島、樺太、東韃靼の地図を複製して他所の金庫に隠し、後に全てオランダに送っていました。帰国したシーボルトはそれらの資料をまとめて「ニッポン」として出版します。

シーボルトの林蔵に関する記述に、幕府から審問を受けるきっかけを作ったと憎しみを抱いていますが、地理学上の偉大な発見をしたことを認め称賛しています。そして林蔵の地図を挿入し「間宮海峡」と名付けました。

1853年に興ったクリミヤ戦争で、英国はロシア艦隊を「樺太半島」の付け根に追い込んで湾を封鎖しました。しかしロシアは海峡があるのを知っており、そこを抜けてアムール河を遡って逃げていたのです。シーボルトの「ニッポン」は一部の人の目に触れただけで英国は知らなかったのです。このことで間宮海峡の存在が世界に知られるようになりました。
その後1881年、仏の「万国地誌」に、世界地図の地名に日本人としてただ一人林蔵の名前が刻まれたのです。

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1945年ポツダム宣言を受諾した後の日本に、ソ連は一方的に侵攻してきました。江戸時代から日本の領土だったクナシリ、エトロフ、南樺太の日本人を、有無を言わさず違法な戦闘攻撃で追い出したのです。それは極めて短期間に興ったことでした。
一方的に領土を拡大する・・・、今のウクライナ侵攻も同じと思うと怒りがこみ上げます。


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早朝に、亀井聖矢さんのマリアカナルス国際コンクール第3位の素晴らしいニュースが入りました。
若い若いまだ大学生のピアニスト。美しく、柔らかく、繊細で、力強く、素晴らしい演奏です。

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江戸時代のクナシリ、エトロフ、カラフト・・・『間宮林蔵』吉村昭 ①/2

2022年04月07日 | 本・新聞小説
間宮林蔵。人知を越した苦労を重ねて樺太が「半島」でなく「島」であることを発見し蝦夷・樺太の地図の作成に名を残しましたが、後に幕府の隠密になりシーボルト事件にも絡み、世間の評価が急降下···。シーボルト絡みで少し知っていますが、もう少し詳しくと吉村昭『間宮林蔵』を選びました。
70ページほどの舞台はエトロフ。19世紀前後の北方の地政学は、江戸幕府はクナシリ島を支配下に置き、ロシアはウルップ島に植民地を設けていました。幕府はその二つの島の間に位置するエトロフ島の開発に積極的に取り組み、1798年に「大日本恵登呂府」の標柱を建てて日本領土と定めました。
これにより、ウルップ島はロシア領、択捉島は日本領となり、両島間の海峡が国境線になりました。この頃の両国は小康状態を保っていました。この均衡が崩れたのが1807年、ロシアによるエトロフ襲撃です。

エトロフ島で測量をしていた林蔵もこの事件に巻き込まれます。奉行所管轄下の会所の者は、抗戦することなく逃げ出したということで厳しい処罰を受けますが、抗戦を訴えた林蔵はただ一人許されて再び蝦夷地勤務を命じられます。

この事件は蝦夷地の防備を強化することになりました。1808年、林蔵は樺太北部の調査を命じられ、松田伝十郎と共に樺太に向かいます。伝十郎40歳、林蔵29歳。

雪と氷に阻まれ、水·食料の不足に難渋を極めながらもラッカに至ります。そこで二人とも樺太は「半島」でなくて「島」だと推測しますが、ラッカから先には進めずに証拠はありません。ここまでで終わり、林蔵がたどった距離は633㎞にもなりました。

しかし林蔵は推測でなく「島」である証拠を見極めたいと、すぐに2度目の探索に赴きます。アイヌ人は従順で人柄が良く、漕ぎ手のアイヌ人抜きの調査は考えられないほど、どれほど助けられたかしれません。

寒気にてこずり、凍傷で手に傷を負い、行きつ戻りつしながらも北端のナニオーにたどり着きます。そこでアムール河口の潮流が北と南に二分していることから、大陸とは繋がっていない「島」であることを確信します。


最大の目的は達したもののノテトに踏み留まり、ギリヤーク人と生活を共にしながら東韃靼に入る機会をうかがいます。
ロシアの蝦夷地襲撃が相次いでおり、ロシアの影響は東韃靼にまで及んでいるのかを知りたかったのです。

酋長からアムール河の下流に「デレン」という町があり、そこに清国の出張所があることを聞かされました。林蔵は酋長が貢物を持っていく時に同行し樺太から大陸に渡ります。
往きは河を登り山を越える困難な行程でデレンに着き、帰りはアムール河を下って海に出ました。

デレンでは好意的に迎えられ、出張所や風俗人種をしっかり観察して文字や絵で細かく記録した充実した数日間を過ごしました。
上記の地図はネットからお借りしました。赤のラインが1度目の探索、青色が2度目の探索です。

樺太が島であることを実証し、東韃靼に足を踏み入れたこと、北樺太に最も影響力を持っているのは清国であること、樺太にロシアの影響は及んでいないことを確信しました。
困難な旅の中でも樺太西岸の地勢、村落の地名、村と村の間の距離を書き連ね、旅の経過、叙述、住民の生活、気候、風土も書き加えていきました。
こうして1年2か月の調査の旅を終えて出発点のシラヌシに戻ることができたのは奇跡ともいわれています。

林蔵は、使命感と冒険心と国禁を犯すことの罪悪感の狭間で葛藤に苦しみました。
「鎖国中に東韃靼に渡ったことは国禁を犯したことになるか、否、幕府の命じた樺太北部は清国の支配にある、東韃靼に足を踏み入れても命令の範囲をそれほど逸脱したものとはいえない。北方経営を志す幕府に限りない利益を与えるはずだ」と事実を積極的に報告することにしました。
そして出来上がったのが「東韃地方紀行」「北夷分界余話」、地図は「北蝦夷島図」としてまとめ上げます。

樺太、東韃靼の調査の詳細部分が200ページほど。残りのページの部分が林蔵の後半の人生になります。
本は1冊で500ページの文庫本ですが、二つに分けて書くほどに違った人生を生きることになります。


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あれっ、ピアノ、金子隆博さんでは? カムカム····

2022年04月06日 | テレビ番組
アニーさんの正体はみんなの最大の話題でした。
夫の考えはいつもピント外れでしたが、今回はぴったり!「アニー平川」の名前を聞いたときに、ラジオ講座、それを経験していた人となるとやはり安子だと早くから言っていました。私は安子の娘ではないかと······。
最終版に一番の盛り上がりですね。

今日のジャズフェスティバルの場面。バンドの中の黒いハットのピアニストは金子隆博さんでしたよね。「カムカム」の音楽担当の。自身もサキソフォンが吹けなくなりピアノに転向したというのも錠一郎とそっくりです。粋な計らいですね。
金子さんのことは以前のブログに書いています。
まさに数奇な音楽家です。脚本もそれを参考に書かれたのかなと、その寄り添い方に拍手です。
アニーさんのマラソンシーン、すごかったですね。森山さんお疲れ様です。
同窓会みたいにみんな集まって最後は大盛り上がりです。


カロライナジャスミン。黄色は希望の色です。
カイドウ。ピンクは幸せの色です。

ブルーベリー。今年もたくさん実るといいな。

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gooblog同士ではリンクできなかったので、パソコンに移りました。スマホには限界があるのか、方法を知らないだけなのか。gooblog以外からはリンクできるのですが。




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寝台車とオートミール

2022年04月05日 | くらし
以前、ではなくもう昔になるかな昭和40年代には、博多発寝台車「あさかぜ」「はやぶさ」「さくら」「みずほ」がありました。所要時間15~6時間。今ならヨーロッパに着く時間です。
夕方博多を発つと朝には太平洋を見ながら食堂車で朝食です。そのときの粉砂糖を振った冷たいミルク味のオートミールが最高の楽しみ、最高の贅沢でした。コンデンスミルクの味もしました。

以来、オートミールはこのメニューだけにこだわっています。
手作りパンなら4日置きに焼き、食パンなら4日置きに買います。
それがないときはホットケーキ、コーンフレーク、オートミールに代わります。
オートミールは水ばかりでなく生クリームを大さじ2ほど入れるともっちりねっとり美味しくなります。砂糖でなく、雪のような粉砂糖は絶対欠かせません。1人30gが目安のようですが、とてもそれでは足りません。
小麦粉、粉類が値上がりします!世界の台所は大変です。
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