新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

沖縄の旅④ ひめゆりの塔

2013年02月26日 | 国内旅行記

戦後間もなく生まれた私は、子供の頃に大人たちがひそひそと話す言葉の中に、「ハイセン、テンノウ、センパン、サイバン、ヨクリュウ、ヒメユリ・・・」などを聞き、漠然と大変なことなのだと感じていました。
なぜ大人たちがひそひそ話していたのかを理解できたのは、ずっと後になってからです。「ひめゆり」がずっと心に残っていたのは、同姓のこともありそのあまりにも無残な青春のせいだと思います。
そのひめゆりの塔 に、やっと小さな花束を手向け、手を合わせる機会を得てほっとしたというのが実感です。

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多くの人によって手向けられた花と記念碑の間には深い洞窟が口をあけています。それは出口であって、奥には横穴の病院壕になっているとのこでしたと。
この中でひめゆり部隊は負傷兵の看護、水汲み、飯上げ、死体埋葬にあたり、寝る間もなかったそうです。
尖った荒々しい岩の洞屈からは梯子を使ってしか地上に上がれなかったとか。こんな劣悪な環境の中で、ひたすら国の、軍の、命ずるままに、そして疑うこともなく信じきった「鬼畜米英」の言葉を胸に忠実に行動しました。しかし、ついには見捨てられ、すざましい形で死んでいった若き乙女達を思う時に、胸をえぐられる思いと理不尽さへの怒りでした。ひめゆり学徒と教師は227名です。このほかにも多くの学徒隊が動員され1998名が戦死したそうです。

平和祈念公園  世界の恒久平和を願い、国籍、軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなられたすべての人の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」です。一つひとつの名前に命の重さが感じられます。

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旧海軍司令部壕

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豊見城にあるこの司令壕は当時450m。薄暗い通路は迷路になっておりアリの巣のようでした。
米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地でした。とにかく本土決戦を避けるために、米軍の上陸を少しでも遅らせようとして、日本軍は沖縄の島の南へ南へと下って行ったと、ガイドさんの静かに抑制したような説明が心に響きました。大本営は「時間稼ぎの玉砕戦法で本土の防波堤になる」ように指示したのです。

司令官幹部6名は、
米軍の猛攻に昭和20年6月13日夜半、拳銃自決を遂げました。その時、大田少将が海軍次官に宛てた、沖縄県民の献身的な協力について配慮をしてほしいと訴えた電報が残っています。
太田實海軍少将の電報 「・・・海軍が沖縄にやってきて以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約を強いられ、ご奉公をするのだという一念を胸に描きながら、ついに報われることもなく、この戦闘の最後を迎えてしまいました。沖縄の実情は言葉では形容の使用もありません、一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も6月いっぱいを支えるだけということです。沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をしてくださいますように。」


この日は7時間コースの定期観光バスで最後に行ったのが おきなわワールド
その中に
玉泉洞 があります。鍾乳洞です。30万年の歳月が作り上げた大自然の彫刻の中を30分ほどかけて歩きました。 

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ホテルの近くに、ユニークな形をした那覇市役所がありました。さながらサンゴ礁をイメージした建物です。夏の酷暑を避けるための工夫がなされているとのことでした。

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沖縄の旅③ 美ら海へ

2013年02月22日 | 国内旅行記

美ら(ちゅら)とは「美しい」「きれい」「清らか」という意味です。定期観光バスに乗り、美ら海を目指して沖縄自動車道を2時間走ってまず古宇利島(こうりしま)へ。サンゴ礁の海は、青のグラデーションを陽光にさらして透き通り、「美ら」という表現がピッタリの、まさにイメージ通りの海でした。

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離島・古宇利島に架けられた古宇利大橋は約2キロ、8年前に開通しています。屋我地島(やがじしま)を抜けてこの橋にさしかかった途端、パッと青く開けた視界に歓声が上がりました。

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本部(もとぶ)半島の今帰仁村(なきじんそん)へ。ここに世界遺産の 今帰仁城跡 があります。14世紀ごろ沖縄の北部を支配した北山王は、この今帰仁城(なきじんぐすく)を拠点に中国と貿易をしていました。緻密に堅牢に積み上げられた石の城壁がその勢力をしのばせます。日本にはこのような城を取り巻く城壁は見かけません。
下は、少しいびつになりましたが合成写真です。

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次に向かったのが 海洋博公園。沖縄国際海洋博覧会を記念して、その跡地に昭和51年に設置された国営公園です。

 

公園はテーマを持つ3つのエリアに分かれていますが、その中でも  沖縄美ら海水族館 は圧巻です。巨大水槽のアクリルパネルの厚さは60センチ! 高さ8.2m、 幅22.5m。記憶にある水族館のイメージを覆す、まるで海中の宮殿です。海の中で一緒に泳いでいるような錯覚さえおこします。

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3時間のフリータイムでしたが、それでも時間を気にしながら回りました。ここは、一日かけてゆっくり家族で訪れるべきところだと思います。

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沖縄の旅② 郷土料理

2013年02月22日 | 国内旅行記

若者用の旅雑誌を持って歩くのはちょっと気が引けましたが、グルメとショッピングの情報が満載だったので活用しました。かなりの重さです。

首里城に行く途中にある 琉球茶房「あしびうなぅ」。年季の入った建物も味も雰囲気も「これぞ沖縄」と、どっぷりと浸ることができました。庭に向かって自然を愛でながら食事をします。気が付いたら、門まで長ーーーい行列ができていました。かなり有名なお店のようです。12時前に入って正解でした。

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左: あぐー生姜焼き。  右: 島豆腐を使ったゴーヤーチャンプルー。生絞り豆腐を使うので形が崩れず、水っぽくもありません。本場のゴーヤーチャンプルーに感動です。ビールは沖縄定番のオリオンビールを。さっぱりしていてこの季節にもぴったりです。沖縄では「ゴーヤ」でなく「ゴーヤー」と伸ばす発音だそうです。

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この庭で珍しかったのが軒下を這うツル性の植物。赤と緑の細長い気根を三つ編みにして「暖簾」を作っている工夫が微笑ましくて。植物名はブドウ科のキッスス・シキオイデス。熱帯アメリカ原産。
写真左の赤い気根を編みこむと 右の写真のようになります。

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沖縄は牛肉もオススメと聞いていたのでサムズマウイのお店へ。目の前でパフォーマンスをしながら焼いてくれますアメリカ人が多かったのでヘンな予感がしましたが、案の定サーロインと言えどもちょっと硬かったかな・・・。

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沖縄家庭料理 「くんち家」。店内に沖縄の古い家屋を再現してあります。「オバァやオカァが作ってくれたあの味」が売り物。

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左: ミミガーの和え物。豚の耳で食感もよくてさっぱりとおいしいです。
右: てびち煮つけ。豚足をとろけるほど軟らかく煮込んでいます。

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左: 軟骨ソーキそば。トロトロに煮込んだソーキとさっぱりした出し汁が美味
右: コーレーグース。沖縄の調味料で 島唐辛子+泡盛+ヨモギ を2週間寝かせたものでソバに入れて食べます。超辛

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行く先々で、紫芋味、サトウキビ味、パイナップル味、シークァーサー味、マンゴー味のソフトクリームとシャーベット。ぜーーんぶ食べました。

パイナップルジュースはしぼりたてで新鮮だし、珍しかったのが サトウキビのジュース。ちょっと甘ったるいけどサトウキビの味に懐かしさを覚えました。


沖縄美ら海水族館の4F、東シナ海を一望できるオーシャンビューのレストラン「イノー」のランチがナイス!沖縄の食材を生かしたランチバイキングです。国立の水族館だけあってお値段も安い1470円!なんとシニア割引があるのです。


ひめゆりの塔の近くの食堂で食べた定番のランチ。これがなかなかの美味でした。家庭料理は周辺の町がおいしいようです。沖縄の炊き込みご飯「ジューシー」にソーキそばがついています。主食が2個も??? 海ブドウのプチュッとした感触もなかなか新鮮です。比嘉酒造の泡盛 「海人(うみんちゅ)」は12度でとても飲みやすかったです。

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空港で食べた最後の夕食はゴーヤーとスパムの炒め物、ミミガーの炒め物。うーん、これはビルディングの味かな、家庭の味とはちょっと違っていました。沖縄では食材を使いこなした家庭の味、おばぁの味を楽しみたいものです。
店内の壁には著名人、芸能人の色紙がずらーり!忙しくて時間のない人たちはこれでも「おいしい!」と食べたに違いない・・・、時間がないのですいている店を選んだのかな・・・と、最後にいろいろ詮索してしまいました。

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沖縄の旅① 世界遺産・ 首里城

2013年02月21日 | 国内旅行記

マイレージの有効期限が切れる直前に気づいて、あわてて申し込んだ特典航空券。行先を沖縄に絞り、モノレールの駅にもバスセンターにも国際通りにもアクセスのよいコンフォートホテルを選びました。 

私には初めての沖縄です。一度は行っておくべき所でしたが、暑がりの私にはいつも旅先の選定から外されていました。 

行ってよかったー!美しい海、独自の歴史、郷土料理、若い世代の祈りを込めた沖縄への思いを身近に感じてきました。根底にはずしりと重たい問題を抱えていますが、それでもNHK「純と愛」を彷彿とさせるまさに「夢の国」でした。 

8:05発のANAに乗り込むと、9:50にはもう那覇空港に。まずモノレール首里駅に荷物を預けて首里城へ直行。
予約した3日目の定期観光バスのコースには入っていますが、じっくり見学したいので別に時間をかけて回ることにしました。ラッキーなことにはちょうど館内ガイドが始まる時間でした。
 

下は平成4年に復元された首里城正殿。太平洋戦争中に、日本軍が首里城の下に地下壕を掘り陸軍司令部を置いたことから、米軍から総攻撃にあい焼失してしまいました。復元は県民の悲願でした。
中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式や石組み技術が認められ、2000年12月に世界文化遺産に登録。
 

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下は、首里王府の元旦の儀式 「朝拝御規式」の模型。NHKの「テンペスト」が思い起こされます。

琉球王国は小さくはありましたが、海上交易による富が蓄積されていた当時の様子がしのばれます。

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那覇港を拠点にした海外交易は琉球王宮の重要な経済的基盤でした。交易をおこなうには、中国皇帝から冊封を受け名目上の君臣関係を結び、臣下の琉球が貢物を捧げる義務があります。船には、中国皇帝への進貢物よりもはるかに多い貨物を積んでそれを売りさばき、琉球国王は朝貢よりも交易に重点を置いていました。

その進貢(朝貢)の儀式の模型です。

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屋根つきの舞台には国書と使節が鎮座し、それに向かいあって真ん中に立っているのが琉球国王。右の小さな櫓には使節の文書を代読する中国の役人がいます。立ち位置は両国の外交関係を左右するほど大切なことなのです。

庭の一角にある建物「系図座・用物座」で琉球舞踊の公演を見学することができました。中国の冊封使を歓待する為の古典舞踊です。文化にはその国の歴史や暮らしが端的に表れます。

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守礼の門を出てほどなく歩くと石造建造物 玉陵( たまうどぅんがあります。やはり世界遺産で、王、王妃、家族が葬られています。庭に敷き詰められているのは、砂利ではなくサンゴの化石でした。

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これも世界遺産で、石門と周りの木々を総称して園比屋武御嶽そのひゃんうたき と呼ばれています国王が安全を祈願したいわば拝所です。御嶽(うたき)とは村落に点在する聖域で、神にかかわる祭りや行事を行い、信仰の対象となっています。現在も祈願に訪れる人があるそうです。

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1429年に琉球王国が成立し、1879年に琉球王国が崩壊し沖縄県が置かれるまでの450年間、琉球は独自の文化を持つ独立国でした。発音と漢字が一致しないところにも、琉球独自の言語があったことがしのばれます。

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大分 竹田産のサフラン

2013年02月03日 | くらし

Img_1237以前、大分県竹田市のサフランのことをテレビで見たことがあります。この市の特産で、何と小学校の給食にたっぷりとサフランライスのメニューがあるのに驚きでした。
サフランは高価で1グラム1000円もするのです(ちなみにスペインでも4グラム2000円でした)。なんと幸せな小学生でしょう!

 

サフランは独特の風味があるし、スペイン料理に使うと思っていたので、日本で栽培されることを全く知りませんでした。
それも、竹田には100年もの歴史があるそうです。偶然にも、その竹田産のサフランをいただきました。

 

さっそく久しぶりにパエリアを作りました。子供には匂いがきつ過ぎないようにサフランを少なめに使いピーマンもインゲンに代えて。サフランを減らしたので、やっぱり黄色の色が出ていませんね~。レモンを切らしていました・・・。

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簡単!「カリフラワーのスープ」

2013年02月01日 | 食・レシピ

ずっと前はカリフラワーの独壇場みたいでしたが、ブロッコリーが出回るようになると、今ではカリフラワーが肩身が狭そうに半分に切られて売られています。 

見た目の色で勝負しても、「緑」 対 「白」で分が悪いようだし、葉緑素の無い野菜は軽くあしらわれがち・・・? 私もそうでした。

 

しかし新聞の記事で目からうろこでした。
『 ブロッコリーの方がビタミンC の含有量は多いのですが、カリフラワーも淡色野菜の中ではぴか一。100グラム中のビタミンCはほうれん草やコマツナの約2倍 』だし『 ボリュームも満点。受験生の夜食にもおすすめ 』 だそうです。
スープのレシピがついていたので、さっそく作りました。おいしいのに申し訳ないくらいに簡単な
レシピです。

 

*-∞-*-∞-*   カリフラワーのスープ(4人分)  *-∞-*-∞-*

 

① カリフラワー1個は子房に分け、玉ねぎ1個は繊維に直角に薄切り。
② 鍋に バター20グラムを溶かし、玉ねぎを炒めます。しんなりしたらカリフラワーを加えて炒   めます。
③水カップ3、固形スープの素1個 を加え、沸騰したらアクを取ります。
④蓋を少しずらせて、弱めの中火で約20分。水の量が半分ほどになったら火を止めます。
⑤鍋の中で木べらで細かくカリフラワーをつぶし、牛乳1カップと塩・コショウで味を整えます。ハーブソルトを使うと「それなり」の味になります。沸騰直前に火を止めることがポイント。上にレーズンなどを飾ると見た目もよくなります。

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今の季節のカリフラワーは甘みがあります。簡単な料理ながらコクがありボリュームもあり、オートミールにも見えます。一人分113キロカロリーだからダイエットメニューにもぴったりです。

緊急用に、茹でたほうれん草を冷凍しています。これをたっぷり使ってカリフラワーに代えてみたら、まさに栄養たっぷりのスープになりました。水を減らして牛乳を増やせば、クも出ます。
ほうれん草を裏ごしして滑らかなポタージュにする必要もなく満足感があります。
 

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ボストン美術館展 ― 九州国立博物館

2013年02月01日 | 美術館&博物館

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ボストンから九州にまでやってきました、あの等伯が!蕭白が!光琳が!
九州国立博物館ができて7年余り。九州でも美術界には沈滞ムードが漂う中、こんなに大量の名品を引き寄せてひとり気を吐いている感じがします。

 

フェノロサ、ビゲロー、天心がかかわった日本美術となれば、見る前から中身の濃さがわかります。
維新後の神仏分離令から廃仏毀釈へと走った日本の狂気。このような宝物が大量に二束三文で海外に流出しました。明治維新の急速な脱亜入欧で入ったヒビを目の当たりして痛みがずしりと走ります。
しかし、日本の国宝級のものが、外国の美術館で世界の遺産として大切に保存・管理されていることに改めて感謝しています。

Img_1230先ず目を引いたのが『馬頭観音菩薩像』です。
髪の毛ほどの截金の技術の評価が高いのですが、ひときわ目立つ赤の美しさに息をのみました。
ダ・ヴィンチの『受胎告知』の衣装の赤は、ヴィンチにしか出せない複雑で見事な色ですが、日本の平安期12世紀半ばの絵師も負けてはいません。

 


『吉備大臣入唐絵巻』は圧巻です。説明文と絵が交互に書かれた巻物で4巻。巻物の一部分でなく全部が帯状に展示されているのが素晴らしい!
超能力を使って空を飛び、とんちを働かせて難題を解き、時には碁石を飲み体を張って応戦。実に楽しい絵巻物です。
その説明文に『日本国』の文字があり、このころはもう「日本」と呼んでいたのを確認しました。
 

 

『平治物語絵巻』は、先のNHKドラマ「平清盛」の記憶も新しく、藤原信頼、源義朝が三条殿から後白河法王を連れ出す部分が細かく描かれていました。 

 

興味を引いたのは、今度の直木賞受賞作、安部龍太郎の 『 等伯 』 を彷彿とさせる展示設定でした。この本では狩野永徳と長谷川等伯が腕を競う熾烈な場面があります。この二人の絵師の技とその後ろにうごめく権力者たちのバトルです。
会場では、伝永徳 『 韃靼人朝貢図屏風 』 と等伯 『 竜虎図屏風 』 が、壁を垂直にして隣り合わせに展示されているのが印象的でした。
金箔を使った豪華で美しい色彩、端正な構図で描いた永徳。 
墨の濃淡だけで風をも表現した等伯。『 松林図屏風 』と同じく、静謐な空間には身の引き締まるような精神性が漂っています。この絵が描かれた時には、永徳はもう亡くなっていていて、『 竜虎図屏風 』を目にする機会はありませんでした。

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圧巻は曽我蕭白の8点におよぶ屏風と襖絵。太く一気に描いた筆遣いに、屏風からはみ出すほどのエネルギーがあふれています。このエネルギーが今の日本に欠けている部分でしょうか。
画集で見ると奇怪に見える鋭角と丸の輪郭線なのに、実際に絵の前に立つと作者の心が素直に響いてきて、やはり実物を見ることの素晴らしさを実感しました。
下は  蕭白 『 商山四皓図屏風 』です。

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この後、4Fの常設展へ。
博物館の常設では世界で初めてというスーパーハイビジョンシアターでは、現行ハイビジョンの16倍にあたる超高精細の映像で「海の正倉院・沖ノ島」が上映されていました。
 

この博物館は、文化財の非破壊検査用としては全国最大のCT装置を持っています。断層写真をコンピューター処理して立体画像を撮影するので、外国からの依頼もあるというのをテレビで見ました。収蔵品は少ないのですが、文化財の修復保存に力を入れているようです。

 

閉館の5時まで、ほとんど立ちっぱなしで4時間。帰りは太宰府の参道で、梅が枝餅とコーヒーのセットで〆。いつものコースです。

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