新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

「三段重」に牽制球・・・

2018年12月28日 | 食・レシピ

毎年の三段重のおせち料理、若者にも子供にも人気がないのです。定番お節に喜んだのはなき義母と夫でした。
秋口から、娘はお重より他の大皿料理や鍋物が子供が喜ぶとか、黒豆とカズノコとあごダシのお雑煮があればよいとか、しきりに牽制球を投げてきました。
孫がお重の蓋を開けて二段目三段目を覗くときのわくわくしている表情はいいものですが、一瞥してから「失望」の色が見え見えです。レストランの陳列みたいに派手ではないし、さもありなん・・・。

今年こそ思いきってお重は止めようという気になりましたが、孫たちにはお節料理の形式を記憶に留めておいてほしいという気持もあります。

揺れ動く気持ちのまま、豆腐入りのふわふわ伊達巻きを作り夕食に添えました。巻き簀を巻いていると、やっぱりお節料理の空気感に心が動きます。

豆腐を少し減らし、卵を1個増やしたらきっと食べてくれそう。

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・・・換気扇・・・

2018年12月26日 | 住まい&掃除

年末に限らず換気扇の掃除は一番苦になるところ。比較的まめに掃除はしているつもりでも、素手で触るとべとつきます。
前回掃除の10月から2か月経っているし、やっぱり暮れの掃除からは逃れられません。
カバー(整流板)を開けると、オイルパネルには洗剤では簡単には取れない油がこびりついていました。
取り付けてからまる5年、汚れが段々取れにくくなっています。毎回の掃除で取り切れなかったベトベトが少しづつ積み重なったものを、「術後白内障レーザー処理」の眼球はしっかり捕ました。

スマホで換気扇の掃除方法を探して重曹を使うことにしました。
整流板とオイルパネルは重曹を振りかけてこすり落とす、シロッコファンはたっぷりの45℃のぬるま湯に重曹半カップを溶かして30分の浸け置き洗いする。
その間にほかの掃除の仕方を見ていたら、何とコーティングしたファンには重曹は向いてない・・・と。わが家のがコーティングしてあるかどうかは不明。
ちょっと不安になり25分で取り出してみると、完全とは言えないまでもどうにか取れていました。
最後はスチームクリーナーを吹きかけてから仕上げます。

簡単に済むつもりが、想定外のよごれでover the time limit。そぼ降る年末の雨と合わせて気分も低調。

整流板よりもオイルパネルの前部が特に油がつき易く要注意。各部品はワンタッチで取り外せるので、スマホの説明を見ながら、2週間に一度は整流板とオイルパネルを重曹水で軽く拭くようにしようと決めました。

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買い替えどき

2018年12月22日 | くらし

昨年あたりからテフロン加工のフライパンが焦げ付くようになりました。最終手段はメラミンスポンジでこすり落とす・・・。
3年使用、セラミックコントロール27cmで決して安いものでは無いので、なかなか決心がつきません。でもいよいよ肉がきれいに焼けなくなり、とうとう決心を。
価格的にはさほど変わらないので、今度はメーカーを変えて「ビタクラフト ソフィアⅡ」にしました。
説明書をよく読んでいたら、私の使い方がかなり間違っていました。

予熱は「中火」で、「強火」は絶対避けること、必ず「中火~弱火」で、少し冷めてからスポンジで洗うこと、熱いうちの水はダメ、研磨材入りのクレンザーは使わないこと。何とも愚かな間違いばかりしていました。今度こそ! 


ついでに今使っているティファールの21センチフライパンの説明書を、今更ながら読むと愕然!!何と「IH専用」のフライパンでした。やっぱりスッキリは焼けませんでした。


厚手で重たいし質が良さそうなので買ったけど、肝心のところで間違っていました。わが家は都市ガス。さっそく買い直さないと!あ~ぁ、年末に何とも愚かな主婦の顛末でした。でも分かって良かった!

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「あさイチ」レシピの『さば缶と大根の炊き込みごはん』

2018年12月20日 | 食・レシピ

18日放送の「あさイチ」でまた「鯖」が出ました。
佐々木蔵之介が大好きだという鯖。和、洋、中華の三人のシェフが「さば缶」を使った料理をそれぞれ披露。その中のさば缶のご飯とピザトーストはすぐにでも作れます。
最近さば缶が手に入りにくくなりました。安価で栄養的にも優れて、調理が簡単ともなれば人気沸騰も当然でしょう。今日のお昼ご飯につくったら、ほんとに簡単でした。

材料は、鯖のしょうゆ煮・・・1缶、  大根(1cm角)・・・240g、  米2合

①炊飯器に米と、ダシ汁300ml、薄口醤油大さじ1と3分の2、みりん小サジ1、大根、さば缶を汁ごと入れて炊きます。
②炊きあがったご飯に、ザク切りした三つ葉(一把分)、しょうがおろし8gを入れて軽く混ぜる。 しょうがと三つ葉を入れるので、鯖特有のにおいがなくて食べやすい炊き込みご飯です。汁も使うので鯖を丸ごと骨までというスグレモノです。

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忘年昼食会

2018年12月18日 | くらし

博多と福岡。秀吉時代の「町人の町・博多」と少し時が流れて黒田長政の「武士の町・福岡」。那珂川を境にしていますが、時折その微妙な違いが浮き上がるときもあります。
今日は博多側に位置する「大坂屋」でサークルの忘年昼食会がありました。
黒田古文書のサークルらしく博多生まれ、福岡生まれの人が多く、それが話題になりました。福岡に途中侵入の私には興味津々。

「博多献上お献立」は地元料理が次々に運ばれてきます。その中で「博多雑煮」と「博多がめ煮」のダシと味付けがほんとに美味しくて、これがほんとの博多の味なのだととても参考になりました。


大正時代から続くというお店の雑煮は、博多ごりょんさんの味を大切に守ったアゴだし汁に、丸餅、ブリ、かつお菜、里芋、シイタケ、人参が入っています。私も見よう見まねで材料は同じ様なものを使いますが、ここまでの味が出ません。


「がめ煮」の具材の切り方に博多人と福岡人では微妙な差があるようで、少し甘めに煮含めた味になっています。京風では味わえないまろやかさがあるのは最初に具材を油で炒めたせいでしょうか。庶民的な味に、ふと博多山笠を裏で支えるというごりょんさん達の顔が浮かんできました。


博多雑煮とがめ煮がこんなに美味しく作れたら、お重なしでもお正月が演出できそう。とにかく本物の博多の味を味わえた幸せに満足です。今度のお正月に大いに参考になりました。

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諭吉 と重信

2018年12月15日 | 歴史

佐賀の大隈重信記念館を訪ねた時、庭に長身だった重信の銅像が建っていました。その建立に際して寄付金が余りにも集まっていなかったので、早慶戦を乗り越えて寄付したと義弟が苦笑していました。(写真はネットからお借りしました)

    

   

スポーツ界のみならずいつの間にか、早と慶を世間ではライバルとみていますが、この資料館で、福沢諭吉と大隈はずっと親交があったこと、暴漢に襲われて右足を失ったことを知りました。二人の関係を知ればもっと面白いだろうな・・・と。
ちょうど妹に貸していた『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』の下巻を所望され「???」・・・。私は上巻だけしか買ってないことに気づき慌てて購入。この中に二人の関係も詳しくでていたのです。
 
下巻は、義務教育では無意味に暗記した年表でしたが、その重要事項の羅列を分かりやすく繋いだ内容でした。諭吉を取り巻く政財界、教育界の人脈が浮き彫りにされて、渦巻く権力は資料をもとにした小説としてはなかなか面白いものです。
大隈とは「生涯を通じてライバルになったことなどなく、肝胆相照らす盟友であり続けた」そうです。義塾経営の財政難を相談したり、大隈のもとに有能な義塾生を送り込んだり、お互いの才能と人格を認め合っていました。

諭吉は思想家、教育家としてだけでなく、企業家としても渋沢栄一と比肩されるほどです。諭吉は情報交換のために「交詢社」を立ち上げ、ここで練られた構想が明治生命、東京海上、横浜正金銀行と、産業の近代化に貢献しました。

意外性は九鬼隆一の妻と岡倉天心の「不倫」。九鬼は妻と天心の関係に気づきましたが、不思議なことに、岡倉の才能をかっていた九鬼は力を合わせて美術の振興に大いに力を注ぎました。あの岡倉天心が・・・初耳でした。
九鬼は慶応義塾出身の官僚です。自分の門下から権力の亡者がでた情けなさと、九鬼の保身のために受けた裏切りを諭吉は終生憎悪しました。

もう一つは、諭吉の次女・お房の婿養子・福沢桃介のこと。米国留学と引き替えに強制的に婿養子となった桃介には相思相愛の女性がいました。後の川上貞奴です。(その後川上音二郎と結婚。海外公演、女優として活躍します)
お房は桃介の夜遊びに泣かされ、「桃介を去勢しておきたかった。そうすれば福澤先生も安心されたろうに」といわれるほど。福澤には3人の男の子がいましたが、娘を手元に置いておきたいほど子煩悩で、そのための婿養子だったようです。
その後、音二郎も亡くなり貞奴とよりを戻した桃介は、諭吉の死後は彼女と暮すようになり、聡明な貞奴のサポートで事業もうまくいったようです。

 大隈重信から、大久保利通、明治14年の政変、自由民権運動、国会開設運動、教育令、改正教育令と激動の歴史が少ないページで分かりやすく書かれていました。いきなり始まった近代は困難の中こうして夜が明けていったのです。

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健康診断の個別説明会

2018年12月13日 | 健康・病気

カレンダーは大晦日に向かって容赦なく進みます。可憐な花、かわいい実をつけた「綿の花」もすっかりドライフラワーになりました。

先月受けた健康診断の結果説明が個別に行われました。
このところ唯一チェックのつくLDLコレステロール。通知表を見るが如くドキドキ。う~ん、やっぱり基準値を超えていました。5年間の値が一目瞭然。

昨年の保健婦さんのアドバイスどおり、意識して「鯖、サバ、さば・・・」でしたがダメでした。
甘いものもかなり減らしたし、オイルの種類もマーガリンも意識しましたが・・・。相対的に青魚が不足しているのかなぁ~。
LDLコレステロールは高くても低くても「脂質異常」なんだと。説明では「基準値」ではなく「理想値」だから、と厳しいことは言われませんが、判定欄が「要指導」なのがスッキリしません。

BMIは20.2でメタボ判定は「非該当」でした。BMIが「20」を切ったら免疫力が落ちるので気をつけたほうがいいそうです。

胃、大腸、子宮がん検査もマイナス判定です。この検診は年齢74歳まで。その後は後期高齢者管轄に回されます。

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ショパンの好きな「ホット・チョコレート」

2018年12月08日 | くらし

チョコレートのコーナーにホット・チョコレートの作り方が書いてありました。
ショパンとドラクロアを描いた平野啓一郎『葬送』は4巻もある長編です。その中に、胸を患っていつも体調を壊していたショパンが家に帰り着くと、執事が「熱いチョコレートをお持ちしましょうか」と言う場面が随所にでてきます。多分ココアのこと。チョコレートと言うことをこの時に知りました。


そのホットチョコレートを、パウダーのココアで作るのでなく、温めた牛乳に刻んだチョコレートを溶かしながら作りました。寒さの今日は、ひとくち含んだだけでほ~っとします。ショパンの体に染み渡ったことでしょう。
濃厚で飲み応えがありますが、やっぱり甘すぎる・・・。ショパンの衰弱した体にはよく効いただろうと思えますが。

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席を譲られたら・・・

2018年12月04日 | くらし

JR快速に乗り換えたときに、若い女性が立ち上がりながら「どうぞ」。私は2つ目の駅で降りるので「ありがとう。でもすぐ降りますので」と言うと、女性はちょっと戸惑ったみたいにまた座りました。
暫くしてその女性は「お若いのに・・・返って失礼・・・申し訳ない・・・ごめんなさい」と。電車の音に邪魔されてうまく聞きとれず、若い自分が座ってしまい申し訳ないと解釈したので「いえいえ、気になさらないで」と。

それでも彼女が何か凄く気にしている雰囲気だったので、彼女の言葉を反芻しているうちに「お若いのに席を譲ると言って返って申し訳ない。・・ごめんなさい」と言ったのだと確信しました。

相手の心を汲まない私が悪いのであり、降りるときに「折角のご厚意を無にしてしまってごめんなさいね。すぐ降りるとこだったので。」「いえいえこちらこそお若いのに失礼なことを言ってしまって申し訳ありませんでした」。

2駅の間じゅう彼女はずっと落ち着かない思いをしたと思うと、席を譲られたときに素直に従えばよかったと後悔しました。これがきっかけで彼女の善意が損なわれないことを祈ってます。

地下鉄の中で。大学生が立ち上がって50代くらいの女性に席を譲りました。その女性は何かひと言言ってとうとう座りませんでした。変な空気が流れて大学生は所在なさそうに場所を変わりました。その席はずっと空いたままでした。これをきっかけに彼の善意は変わるかもしれない・・・。

リヨンでのこと。小雨で結構混んでいるトラムに1歳ぐらいの子供を抱き4歳ぐらいの坊やを連れた若いママが乗ってきました。立っている私の前の席が一つ空いたので坊やに勧めると、その横に座っている初老の夫人が「子供は座るべきでない。貴女が座りなさい」と私を指さしながら厳しい声で注意しました。子連れママの大変さを思った私だったのですが、私の考えが間違っていると指摘されたのです。国民性の違いかも・・・。

韓国の電車の中で。まだ60歳前の頃、男子高校生二人がさっと席を立ち私たちに席を譲ってくれました。二人ともまだ「譲られる」ことに慣れていない年齢なので愕然!それでも笑顔で「ありがとう」と腰掛けましたが、儒教の国で長幼の序があるからだと自分たちを納得させました。高校生の身についた自然な行為に感心しました。

今では私も譲られる年齢。でも座っているときに「譲るべきではないか」と迷う場面もしばしば。そんな時は「もう直ぐ降りますから」とさり気なく立ち上がり降り口の方に進むことにしています。

「譲る」「譲られる」はなかなか難しいものがあります。

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TOYOTA「Setsuna」展示 県立佐賀美術館

2018年12月01日 | くらし

世界遺産の三重津海軍所跡見学を夫にも勧めて、私も再度行ってきました。二回行けば、なぜ世界遺産か・・・の意味がよくわかります。
再度「肥前さが幕末維新博覧会」のパビリオンにも足を運びました。いろんな会場を渡り歩いたので、最後に幕末佐賀にピッタリの締めくくりになりました。2019年1月14日まで開催されています。

土曜日は駐車場もレストランも満員。やっと県立佐賀美術館のカフェレストランを見つけひと息つきました。
ここのロビーに面白い木の自動車が展示されていました。フォルムが美しく木を使った車体も実にきめ細やかで見とれていたら、トヨタ「SETSUNA」でイタリアの「ミラノデザインウィーク」で公開されたものだと知りました。

「クルマを新しさだけを追い求める工業製品として捉えるのでなく、愛着を持っていたわり手をかけて受けついでいく」がコンセプト。宮大工・船大工などの伝統技術が冴えています。

車体の木部のパーツは86枚のパネルでできており、傷んだ部分のパーツだけを取り換える凄いアイデア。手をかけることで世代を超えて使い続けることができるのです。路上では運転できませんがYouTubeで見ることができます。 

余り車に興味のない私はこの情報さえ知りませんでした。とにかくそのコンセプトにTOYOTAの未来を見据えた思いが表れていて素晴らしいです。

福岡に帰り着いたのが7時半。遅い夕食と買い物を済ませて家に帰り着いたのが9時半でした。一週間連日外出はさすが疲れました。

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