新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

折り紙―戦国武将の兜

2016年05月22日 | くらし

小3の男の孫は車での移動中や旅行バッグの中には必ず「折り紙」を入れて、自分で創作したり、折り紙本を見ながら折ったりと小さな創造物を楽しんでいます。

最近の折り紙は高度化しています。ハローウィンの頃には魔女の折り紙の本、子供に人気の恐竜の折り紙の本、最近では戦国武将の兜の折り紙の本まで出ています。
近年女子の間でも戦国ものがはやっているらしく、「刀剣女子」の文字までが表れました。
福岡市立博物館が《♪さ~け~は 飲~めぇ 飲~め~ぇ♪》の黒田節で有名な槍「日本号」を展示した折に写真撮影解禁にしたら、展示場はカメラ片手の女子でいっぱいになり学芸員さんもびっくりしたとか( ゜д゜ )

小学生の間でも歴史物がアニメや歌になっていて静かなブームを呼んでいるようです。夫が小3の孫に桜田門外の変を話している時に井伊直弼の名前が出ると「それって井伊直政の子孫?」と聞かれて「そうかも知れんなぁ」とあわてていました。

そんな孫が週末に来た折に兜を3つ折って行ってくれました。トイレギャラリーの入れ替えです。

左から島津義久、真ん中が武田信玄、右が徳川家康の兜。真田幸村の兜は「ちょーむずかしい」けど挑戦すると言っていました。

こぼれダネのヒエンソウが今年もあちこちで芽を出し生長はするものの、だんだん葉が萎れてきました。原因が分からずにいましたが、ある日2ミリほどの青虫を発見。駆除したり根こそぎ捨てたりして半分ぐらいは事なきを得ました。大好きな花です。

 

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原田マハ『ジヴェルニーの食卓』

2016年05月08日 | 本・新聞小説

友人の間を回りまわって私のもとに届いた文庫本、原田マハ「ジヴェルニーの食卓」集英社文庫。マティス、ドガ、セザンヌ、モネにかかわる4話の短編集です。ちょうど司馬遼太郎「この国のかたち」の角ばった文章を読んでいた目には、マハさんの透明感のある優しい文章とストーリーにホッと心を和ませました。

第1話「うつくしい墓」はマティスの晩年を描いた小説です。第二次大戦後のニースで孤児になった絵の好きな少女マリアが、富豪で絵画コレクターの未亡人の家政婦になり信頼を得たことから物語は展開していきます。

ある日女主人の命を受け、広大な庭のマグノリア(タイサンボク)の大木から3輪の花を切り取ってマティスに届けます。84歳の車椅子のマティスは、マグノリアを飾るためにマリアに花瓶を選ばせます。マリアが選んだのは翡翠色の花瓶、それも1輪だけ挿して。この行動がすっかりマティスの心をとらえて、今度はマティスの家のお手伝いとして働くことになりました。

ネット「季節の花300」からお借りしたタイサンボクの花

実はマティスは1941年に『マグノリアのある静物』で、全く同じ花瓶に1輪だけのマグノリアを描いていたのです。その頃は戦争も長引きそうで、マティスは十二指腸がんの手術後で、と明るいニュースは何もない時。マティスは騒がしい時期にあっても調和を表現すること、それが「私の勝利」だと絵に没頭します。
マリアのこのセッティングは「ほんとうにほんとうの、偶然の一致」でした。1枚の絵からこんなストーリーを膨らませていくマハさんのしなやかな頭脳に感服しました。キュレーターの履歴を持つマハさんの力量発揮というところでしょうか。この絵は私もポンピドーセンターで単なる静物画として見ていはいたのでしたが…。

          マティス「マグノリアのある静物」1941年

その日からマリアは、マティスの死に至るまでの6か月間を「悲しみは描かない・・・・ただ生きる喜びだけを描き続けたい」というマティスの傍で過ごします。
車椅子のマティスは、油彩画はやめて切り絵画に専念していました。その作業は秘書のリディアが手伝います。実際はリディアはマティスのモデルもつとめ、ミューズであり若き伴侶のはずですが、ここではマティスとリディアや富豪の未亡人との関係を詮索することなく、マハさんは陽光がきらめくニースの、美しいハーモニーのある明るい生活に仕立てています。
   

   
  ロックフェラー礼拝堂のバラ窓          ベッドでドローイングするマティス

この頃、マティスは車椅子で切り絵をしたりベッドでドローイングをしたりしてロックフェラー礼拝堂のバラ窓の制作中でした。その作業を終えて間もなくマティスは84歳の生涯を閉じます。その魂はマティスが「生涯を通して、もっとも重要で、かつ集大成となる仕事と認められているロザリオ礼拝堂」に息づいています。
         
    ニースのロザリオ礼拝堂             ロザリオ礼拝堂「生命の木」

「生涯を通して闘い続け、愛し続けた友」であるピカソとの交流にも触れています。ピカソは26歳の頃マティス『生きる喜び』をパリのアンデパンダン展で目にして虜になります。「マティスがいてピカソと出会った」瞬間です。

ピカソ『血のソーセージのある静物』。同じ1941年に、平静さを追及していたマティスはマグノリアを、ピカソは戦争に対する抑えようもない激しい感情を描いています。まさに正反対の静と動の画家。反発しつつも交錯しあいながら二人の人生はマティスの死まで太い糸で結ばれていました。

  

  マティス「生きる喜び」1905年      ピカソ「血のソーセージのある静物」1941年

この物語はマリアの思い出語りとして書いてあるので文章も美しく、読むだけでカラフルな場面をイメージでき、口調までもが耳に響きます。場所がパリでなくニースというのもうなずけます。
4話を通して歴史上の人物、印象派、ポスト印象派の画家たち、作品のタイトルがずらりと出てきてフィクションなのに本当にあったのでは…と思わせます。文中に出てくる作品をどうしてもアップしたくてネットで探しました。

私がマティスの絵で深く心を動かされたのが、エルミタージュ美術館で見た大型の「赤の食卓」。今もその感動は薄らぎません。以来どこに行ってもマティスの絵を探してしまいます。そのマティスがこの本の最初に出てきたので夢中になって読みました。この偶然にも気をよくしています。

              マティス「赤の食卓」1908年 180×220

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