新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

青梅の甘露煮

2007年06月30日 | 食・レシピ

6月の店頭で、主役の観があった梅。鮮やかな青梅、乙女の恥じらいのような少し赤みを帯びた梅、熟した梅…と主婦をそわそわさせた梅のシーズンももう終わり方です。

070630ume_003今年は梅干、黒糖梅酒、甘露煮を作りました。

特に、「青梅の甘露煮」は、梅の程よい酸味とうまみがぎゅっと詰まった手作りならではの味です。グラスによそってデザートに、皿によそえば緑茶のお茶請けになります。

今は熟した梅の時期で、もう少し早い時期でないと青梅が手に入りません。デパートでやっと群馬県産の青梅を手に入れました。

材料は500g単位で作ると作業がしやすいです。材料は青梅500g、砂糖400g弱。

作り方

  1. 水で洗った青梅は、なり口の小枝を取り除き、竹串や金串7,8本を束にしてゴムで縛ったもので、まんべんなく穴を空ける
  2. ホウロウの鍋に梅を並べてひたひたの水を注ぎ、弱火にかける。棒温度計で温度を見ながら50℃くらいになったら、静かにお湯を捨てる。これを2~3回繰り返してアクを取る。
  3. 鍋に水カップ3、砂糖130gを入れ、表面をガーゼでおおって火にかける。煮立つ直前に弱火にして5分ほど煮る。アクが出たらすくい取る。
  4. ガーゼの上から砂糖130gを入れさらに弱火で5分煮る。
  5. 残りの砂糖を入れさらに弱火で5分煮て火を止める。保存容器に梅とシロップを入れ冷蔵庫で保存する。

のときの温度が高が過ぎたり、3,4で強火で煮ないこと。皮が破れます。梅は青梅がきれいに仕上がります。

少し熟れた梅で作ると、皮が破れ実が崩れてしまいますが、でも何故かこちらのほうがシロップがちょっと黄みを帯び濃厚でおいしいでのす。ゼリーなど作る場合はこちらの方がうまみが出るので、両方作るとなおいいと思います。

070630ume_008京都大徳寺境内にある泉仙で精進鉄鉢料理を食べ、そこで「梅甘露煮」のお土産を買って帰りました。

ちょっと残念だったのは着色料が使ってあったこと。真ん中の小鉢がお土産の「甘露煮」で、上におろししょうがを乗せていただきました。

天ぷら、ゼリーと食べ方もいろいろ楽しめます。

コメント (14)

まる de ポンデケージョ

2007年06月25日 | 食・レシピ

070625pan_002 これは鳥の巣ではありません。由緒正しきポンデケージでもありません。でも、「まるでポンデケージョ」みたいに、外側はカリッと、中はもちもち!形も色も「ホンモノ」そっくりにできて、友達にも好評だったので載せてみました。

ポンデケージョはブラジルのチーズ入りパン。タピオカ粉を使うのだそうですが、それに代わるものとして白玉粉を使ったところがミソ。レシピは日経新聞からです。名前は『白玉チーズパン』です。

  • 白玉粉80グラム
  • 牛乳100ミリリットル
  • サラダ油大さじ4
  • A(小麦粉50グラム ベーキングパウダー小さじ1/2 粉チーズ30グラム)
  • 塩少々
  1. 白玉粉に牛乳を4,5回に分けて加えながら混ぜ、全体になじませます。
  2. ここにサラダ油を混ぜてから、Aを合わせてざるでボールにふるい入れます。塩を加え耳たぶくらいのかたさになるまで手でこねます。
  3. 棒状にまとめてから、12等分し、丸めます。
  4. 180度のオーブンで20分ほど焼きます。焼き上がりの目安は底にいい色がついたかどうかです。

調理時間40分、1個当たり98カロリー。こんなにカンタンに「ポンデケージョ」ができるとは思ってもみませんでした。私の大好きなパンだけにヒット商品です!




コメント (9)

映画 『サン・ジャックへの道』

2007年06月24日 | 映画

070623sannthiago4,5ヶ月前に予告編を見て、絶対に見逃すまいと思っていたのが『サン・ジャックへの道』です。だいぶ待たされました。映画館はKBCシネマ。ここは質の高いアート系作品を数多く上映することで有名です。ポイントカードのスタンプも満杯になって、今回は無料で観ることができました。(写真は、映画館のチラシからお借りしました。)

テレビ番組で見た世界遺産のサンティアゴ・デ・コンポステーラ。その長ーい巡礼の道と、終着のカテドラルが大変印象的でした。天井からロープでぶら下げた巨大な香炉を、堂内の天井に届くほど左右に揺さぶり、そのたびに白い煙が充満する・・・という儀式です。リュック一つに2か月分の必需品を詰め、ただひたすら歩く、歩く、歩く。その光景がずっと心に残っていました。これはそれを舞台にした映画です。『笑と涙で現代人のストレスを吹き飛ばすハートウォーミングな人間賛歌の誕生』という折り紙つきです。

とにかく、楽しくて、面白くて、おかしみがあって、悲しくて、感動があって、世界遺産の景色が美しくて、そして最後には希望があって、そんなものをがうまく交じり合った素晴らしい映画です。ガイドを含めて9人の巡礼者の組み合わせも最高で、それぞれが主役。特に3兄弟の演技のうまさは、感動もの。きっと、映画賞、取るだろうなー。私がよく観る会話の少ないフランス映画と違って、よくしゃべる、しゃべる、しゃべる!テンポが速くて軽快なリズム感があります。

言いたいことがいっぱいで、書きれないのでチラシの中から引用します。そして公式のホームページサン・ジャクへの道も見てください。

『聖地サンティアゴ(サン・ジャック)まで1500kmもの巡礼路を一緒に歩くこと。それが遺産相続の条件と知らされて、無神論者の上に歩くことなど大嫌い、仲も険悪な3兄弟が、物欲の炎を燃やしつつはるかなる旅路の第一歩を踏み出した。2ヶ月もかかる長旅の連れとなるのは、母親のためにイスラムのメッカへ行くと思い込んでいるアラブ系少年やわけありな女性など個性的な面々。それぞれの事情を背負って歩き始めた彼らを待っているものは・・・?』

コメント (6)

『ザムザ氏の散歩』とカフカ『変身』

2007年06月21日 | 美術館&博物館

Zamuza4  「日曜美術館30年展」で見た八木一夫氏の『ザムザ氏の散歩』が、1週間経っても、時おり現れては頭の中でぐるぐる回り「散歩」を始めます。以前写真で見たことはあっても、意識してみることがなかった陶芸でしたが、目の当たりにするとその凄みは全然違ってきました。そんなに大きい作品ではなく30cm四方ぐらいです。

触覚なのか足なのか、少し曲がったその先は今にもぴくぴくと動き出しそうで、グロテスクな有機体のような感じを受けました。でもよく見ると、あちこちの方角にバラバラに動こうとしている触角には愛嬌も感じられます。なにか去りがたい感情がに縛られて、とにかく圧倒される作品でした。(写真は「やきものネット」からお借りしました。)

会場にしつらえたテレビのモニターでは、この作品について司馬遼太郎氏が楽しそうに語っていました。『・・・人間の一番根性の悪いところをそのまま飾らずに形にしている・・・・。僕なんて他人の言葉で語っているようなもの・・・・』と。

帰宅して調べて知ったのですが、なんと「ザムザ氏」とはカフカ『変身』の主人公、グレーゴル・ザムザのことだったのです。

たしか息子の残していった書棚でこの本を見たような・・・と、急いで探してみました。100ページ足らずの薄い文庫本です。若い頃、等身大の巨大な虫を想像して拒否反応を覚えた作品です。が、読み返してみると、「虫」氏の心情も肉親の心情もその場の状況も、実に客観的に冷静に正確に捉えているのに驚きました。「虫」氏の異常な状態に家族は何を思い、何を望むか、時間の経過とともに変わってくる心の動きの描写が実に見事です。読み進みながら、自分を家族に置き換えたときも、やはり同じ思いだろうと想像しました。

自分のエゴや『根性の悪さ』が表れても、それを見ないふりをしてもっともな言い訳を考える・・・。自分に突きつけられた命題のような気がして、何かとても重いストーリーでした。

『変身』の終わりに近いところに、『自分がもうまったく動けなくなっているのがほどなくわかった。―――― 感動と愛情とを持って家の人たちのことを思いかえす。自分が消えてなくならなければならないということにたいする彼自身の意見は、妹の似たような意見よりもひょっとするともっともっと強いものだったのだ。こういう空虚な、そして安らかな瞑想状態のうちにある彼の耳に、教会の塔から朝の三時を打つ時計の音が聞こえてきた。窓の外が一帯に薄明るくなりはじめたのもまだぼんやりとわかっていたが、ふと首がひとりでにがくんと下へさがった。そして鼻孔からは最後の息がかすかに漏れ流れた。』があります。

このくだりを読みながら、暮れになくなった飼い犬のことを思い胸が締め付けられました。痛いとも苦しいともいわず、うめき声も出さず、ただ力なく眼球だけを動かして私を見ながら、ひょっとしら犬はこんなことを考えていたのかもしれないと…。

本文からは、その虫を連想させる具体的な形は読み取れません。私はまったく別の虫を想像していました。「巨大な褐色の虫」の正体の答えは無数にあり、この作品もその一つだと思いました。

展覧会場でふと立ち止まった作品が、いろいろなことを考えさせてくれました。

コメント (5)

高橋由一 『鮭』

2007年06月17日 | 美術館&博物館

東京藝術大学大学美術館がオープンしたのは確か1999年秋。その12月に、高橋由一の「鮭」を見るために、2時間並んでやっと入場できたことが、今でも鮮明に心に残っています。

0706nagasaki_1 その「鮭」が九州にやってきました。場所は、長崎県美術館。NHKの「日曜美術館30年展」で展示されています。

中学1年のとき、「図工」の教科書で、初めて見た『「鮭』。風景画でもなく、人物画でもなく、果物などの静物画でもなく、粗縄に垂直にぶら下がっただけの「鮭」。カット見開いた目と口。縦と横の断面の赤い肉の流れ。うろこの形と色。乾燥して皺になった皮。縄の表現の見事さ。身を欠いた鮭というテーマの面白さ。中学1年生の私には衝撃的で、それでいて親しみやすく、ずっと心に残った絵でした。

「日曜美術館」は30年というロングランの番組。その中から、印象に残る作品や作家を取り上げて、テーマ別に構成された見やすい展覧会でした。「夢の美術案内が、今、現実になる」というキャッチフレーズが心を揺さぶります。45作家の名品が176点。2時間半かけてゆっくり観ました。

テーマごとにテレビモニターが設置され、文化人が作家を語り絵を語り、作家が作家を語り、作家が自身を語り、この番組で見出された作家を紹介したりと、映像も交えてのユニークな美術案内になっています。

映像の中の、あの絵、あの顔、あの声、あのアナウンサーと、懐かしさに顔がほころび、「日曜美術館」の果たした役割の大きさを思いました。こんな番組は、やはりNHKならではのものでしょう。

コメント (9)

ユニークな「甘夏のマーマレード」

2007年06月15日 | 食・レシピ

友人から甘夏のおいしいマーマレードをいただきました。友人の料理には、いつもひとひねりしたところがあって、実においしいのです。案の定、今までのマーマーレードと何かが違う…。味がマイルドで緩めの食感もいいのです!早速作り方を教えていただきました。

なるほど、今までのように、刻んだり、水にさらしたり、長く煮込んだりしないから調理もカンタ070607aperitif_002_1 ンで時間も短いのです。材料も、甘夏と砂糖といたってシンプル。夕食の後片付けの後、カンタンに作れました。

 甘夏2個(1個300gぐらい)をごしごし洗う。ここからがユニークなところ!黄色い表皮のつぶつぶを大根の下ろし金でこすり取ります。仕上がりが丁度ビロードのような感じになります。(絵を描く友人らしく、実にうまい表現で分かりやすい!)

② ①を丸ごとひたひたの水で25分~30分煮て、取り出して冷まします。070607aperitif_004

③ ②を皮と袋に分け、袋をしごいて実とジュースを取り出します。このとき種は丁寧に取り除きます。

④ 荒く刻んだ皮、実・ジュースをミキサーにかけます。少し皮を残すぐらいが食感がいいと思います。

 甘夏の50%ぐらいの砂糖と④を鍋に入れて、070615mamared_007好みの硬さに煮ます。煮立った後そんなに時間はかかりません。ソースにも使うなら少し緩めがいいでしょう。

 ジャムなどの空き瓶を利用し、口までいっぱい入れたらすぐ逆さにして冷まします。070615mamared_009

1個500gの大き目の甘夏を使ったときは、どうしても白い綿の部分が多くなり苦味が増しました。

1個300gぐらいの甘夏なら皮も薄く、ほろ苦さが丁度いいように思います。2個の甘夏で、仕上がりが500gのビン1本半です。

コメント (14)

黄金のリュトン

2007年06月14日 | 美術館&博物館

Ryuton0706「ペルシャ文明展」が、今、福岡市博物館で開催されています。(6月24日まで)

サブタイトルは「煌めく7000年の至宝」で、気の遠くなるような昔に、高度な細工の技術、デザイン的にもこんなに優れている国が存在していたことに、改めて畏敬の念を覚えました。

パンフレットの「有翼ライオンの黄金のリュトン」は、紀元前6世紀頃のアケメネス朝のものです。この頃日本は縄文時代・・・と思うと、ペルシャ文明の発展がいかに大きかったかが偲ばれます。

 と同時に、今も昔も「金」に固執する人の心に変わりはなく、歴史を動かしたり、その一端を担ってきた意味が考えさせられます。

Ryuton3 ヤギ、ヒツジ、ウシ(前1500-前800)などの土器は、形がユーモラスでバランスがとれていて親しみを覚えるものもたくさんあり、デザインがとても斬新だと感心しました。

Ryuton2 3~7世紀のササン朝になると、この文化はシルクロードを経て日本にも伝わり、正倉院にはペルシャ伝来と思われる工芸品がたくさん残っているそうです。右はガラスの「円形切子碗」で、これに似た碗が正倉院にあったような記憶があります。

ペルシャ王朝は、興亡を繰り返しながらも7世紀まで続き、その大帝国が集めた富と権力の一端に触れることができる展覧会です。

コメント (4)

アペリティフの日(6月第1木曜日)

2007年06月08日 | くらし

070607aperitif_008 世界で同じ日に開催される「アペリティフの日」に参加しました。主催はフランス農水省、フランス食品振興会、九州日仏学館、JALリゾートシーホークホテル福岡です。

「アペリティフ」とは、食前の飲み物と一口ディッシュを楽しむフランスの習慣のことだそうです

フランス政府は、毎年6月第1木曜日を「アペリティフの日」と定めて、世界各国で同時にイベントを開催。昨年は19カ国28都市でイベントが行われたそうです。 2007年は全国7会場で開催され、福岡JALリゾートシーホークホテルもその一つになり、好奇心も交えて初めて参加しました。

070607aperitif_020福岡近郊から腕自慢のシェフが集まり、高い帽子に真っ白の清潔な服でずらっと並ばれると、なかなか壮観です。

自己紹介と腕によりをかけた一口ディッシュのコメントがありました。シェフの帽子の高さが微妙に違うのがちょっと気になりました。

日仏学館講師&タレントのセバスティアン・ブローさんが司会。フランス語が理解できるわけではないけど、ホールの天井が高すぎて声が反響し、美声が聞き取れなかったのが残念でした。

070607aperitif_027_1 昼の部3000円。飲み物用に3枚と一口ディッシュ用に8枚のチケットが用意されており、足りない分は追加購入できます。

一口ディッシュが並ぶあちこちの「アミューズブース」には、本当に「一口」サイズのかわいくておもちゃみたいなディッシュが並び、小さいから余計においしそうに見えました。070607aperitif_025

飲み物のブースには、シャンパン、ワイン、カクテル、リキュール、ビール、ミネラルウォーター・・・と選り取りみどり。チケットを手にうろうろ、目はきょろきょろ・・・!

シャンソンのライブ、大道芸のアトラクション、ワインの銘柄当てコンテスト、お楽しみ抽選会もありました。ピエロさんの愉快な風船アートは、体で調子を取りながら実に巧みにいろいろな動物を形作っていきます。「奥様、お手をどうぞ。」と手渡されたのはプードルでした。2時間、味と雰囲気を楽しみました。

070607aperitif_013東京会場の六本木ヒルズアリーナには3500人が集まるとか。三ツ星レストランのシェフや料理の鉄人が参加…とは、さすがに話題も華やかです。

食ばかりでなく、親日派のシラクさんに代わり、サルコジ大統領がどんな対日姿勢をとるかも気になるところです。

コメント (11)

デュオコンサート

2007年06月06日 | 音楽

Sikimori_2 6月2日、木野雅之&式守満美のデュオコンサートがありました。二人とも英国在住で、3月のスコットランドでの演奏を皮切りに日本に渡り、東京から佐賀そしてツアーの最後がここ福岡でした。

木野氏は現在は日本フィルハーモニー交響楽団のソロ・コンサートマスター、式守さんはヨーロッパ各地で演奏活動を行っている期待の新進ピアニスト、福岡市出身です。

プログラムは、シマノフスキー、イザイ、レスピーギ、貴志康一、ヒナステラなど、私には馴染みの少ない近現代音楽家の作曲によるものでした。演奏者も相当な技術を駆使して、ステージが宇宙になったような感じを受けました。聴衆にも難解な曲に思われましたが、みんな身を乗り出して聴いていました。強烈な不協和音が心のどこかで調和するような、そんな感じを受けました。

曲ごとに、木野氏の分かりやすい解説があり、特に貴志康一については興味深いものがありました。1909年大阪に生まれ、28歳で夭折した天才音楽家。ヴァイオリニスト、作曲家、指揮者として活躍。ベルリンフィルでは、あのカラヤンよりも先に指揮棒を振ったとか。1949年、湯川秀樹氏がノーベル賞を授賞したときの晩餐会で奏でられのが貴志氏の「竹取物語」だったそうです。お伽噺のイメージが浮かぶような日本らしい曲でした。    20世紀初めの日本に、世界に通用する作曲家がいたということが、私にはとても新鮮に聞こえました。こういう解説があると、音楽がぐっと身近になります。

木野さんはさすがソロ・コンサートマスター。大きな体から出るダイナミックな音も、絹糸のように繊細な音も自由自在という感じです。バイオリンは、1776年製ロレンツォ・ストリオーニでした。恩師リッチから譲り受けたものだそうです。

Sikimori06020004_4 式守さんの演奏は、前回のコンサートではショパン、 ドビュッシーなどでしたが、今回のような近現代の曲も演奏され、随分幅が広いと思いました。演奏後の評判も、とてもいいものでした。

右が、読売新聞(6月9日夕刊)に掲載された記事です。演奏後のこの表情から、やはりお二人とも満足感と安堵の様子が感じとられます。( この写真をクリックしていただくと、記事が読めます。)

コメント

飛騨高山、白川、奥飛騨の旅

2007年06月01日 | 国内旅行記

新幹線で掠めることはあっても、なかなか下車することはなかった岐阜。親孝行を兼ねて母と妹と3人で、飛騨高山・白川郷を旅しました。

070526okuhida_011_1中部国際空港から一路北上して、坂道の馬込宿へ。

070526okuhida_007_1『木曽路はすべて山の中にある』といわれた中山道。江戸から80里を歩いてきた旅人も、まだまだ京都まで52里。それでも、木曽路を越してこの馬込宿でほっと一息ついたことでしょう。

今は道路も整備されていますが、一部石ころの狭い道が往時の名残をとどめていました。島崎藤村の生誕地もここです。

黒い格子戸の家ごとに昔の宿の名前が書いてあり、中山道の旅人に思いを馳せて散策しました。道路の両側を、勢いよく走り流れる雪解け水は、飲めそうなほどに澄んでいました。「美しい国日本」がここにはありました。

お泊りは下呂温泉。林羅山に日本三名泉の一つにあげられたそうです。源泉そのままのせいかお肌つるつる!でもちょっと湯温が高かった…。

070526okuhida_021 翌日は終日雨。それでも飛騨高山と白川郷は、雨の不快を寄せ付けない興味と魅力がありました。

070526okuhida_029_2特に小京都・高山は、城下町らしく四角く区切られた道路と端正な造りの家が続き、気品のある街並みです。今回の旅の印象が深かったところでした。和菓子の林盛堂で買った赤かぶや山ごぼうの納豆が珍しく、お抹茶にも合いそう。

国指定の「高山陣屋」は、徳川幕府の天領で、役所と郡代役の住居と御蔵をあわせた名称です。幕末に60数か所あった郡代・代官所の中で、唯一現存する陣屋だそうです。

陣屋専属のガイドさんの解説を聞きながら各部屋を回り、役人の仕事、御白州、寺院や町年寄りの詰所、郡代の生活の様子など行政、裁判などが具体的にイメージできました。3人の評価も一致しました。

070526okuhida_045 世界遺産の白川郷は岐阜県の一番北にあります。村内には120の合掌家屋があるそうです。合掌造りの家は、景観的にも機能的にも、日本人の心の故郷として遠い日を呼び覚まさせてくれ、心に響くものがありました。妹は冬にも訪れており、雪の白川郷はもっと美しい景観だそうです。

070526okuhida_049生活しながらその一部を開放している「和田家」を見学。築後400年の風格と威厳に圧倒されました。屋根や柱を支えるために、工芸品のように見事に締められた縄。その技術を継ぐ人も、今ではほんの数名とか…。

合掌造りの家は、今から70年ほど前、ブルーノ・タウト氏により、「論理的、合理的で日本には珍しい庶民の家」だと評価されています。「日本美の再発見」として、京都の桂離宮とともに有名になっています。

厳しい地形、近代的な生活様式のギャップ、屋根の葺き替えなど膨大な維持費。世界遺産はいつまで世界遺産でいられるのでしょうか。このたたずまいを見ながら、いつまで保存できるのかしらと不安になりました。

お泊りは奥飛騨温泉郷。深山幽谷の中の静かな宿で、丁寧な心づくしの料理をいただきました。闇の中の露天風呂は最高!奥飛騨は、川床から湧き出す露天風呂天国。氷壁の舞台にもなりました。

070526okuhida_094_1070526okuhida_084翌日はうって変わった快晴で、まさに奥飛騨日和!

2つのロープウェイを乗り継いで全長3200m、乗車11分。標高2156mの展望台に向かって、穂高の山々を堪能するようにゆっくりと登ります。自分たちの位置と、眼下の木々の緑と、山頂の白い雪に、みな合唱のような嬉しい歓声をあげました。

九州ではおよそお目にかかれない3000m級の雪を冠った山々。360度が展望できます。どっしりと、神々しく、威厳と神秘さを秘めた近寄りがたい存在でした。もう来ることはないかも・・・としっかりと心と目に収めてきました。

「母親と娘たちの旅」に気持ちよく送り出してくれた夫殿二人に感謝しているのに、さらに二人して和食の店で私たちの帰りを待っていてくれました。空港から直行して、おいしい夕食をいただきながら旅の話でひとしきり。お互いに人を思いやることの大切さをしみじみ思いました。起承転結、すべて感謝! 感謝!

コメント (13)