新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

オーブントースター料理  「あさイチ」4月27日より

2021年04月30日 | 食・レシピ
*「肉巻き」···ズッキーニに豚バラを巻いて、オーブントースター1000w20分。
*「ミニトマトのマリネ」···小さなトマトで代用。オリーブ大さじ1を振りかけ1000W10分。取り出してレモン・蜂蜜各小さじ1、塩ひとつまみをかける。
*「ローズマリーポテト」···じゃがいもに粉チーズ大さじ1、塩ひとつまみをまぶしてオリーブ油大さじ2強、ローズマリーを乗せて1000Wで20分。一度にできるし、これなら簡単そう・・・・だったけど・・・・。

番組ではどれも気軽にオーブントースターを使用していましたが、わが家は器の関係で電子レンジのグリルを使いました。

肉巻きから水分が出すぎて、やはりオーブントースターの方がよさそう。ポテトだったのでご飯が余分でした。
トマトのマリネはミニトマトを使うのがレシピどおりです。マリネらしくなります。

番組では手際よく進められるので見る方も簡単と思いがちですが、一応料理と名がつけばそれなりに手がかかります。しつこい油分の処理など調理器具を洗い終わるまでが大変です
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「ポークビーンズ」を「チリコンカン」にリメイク!

2021年04月29日 | 食・レシピ
今朝の「所さん!大変ですよ」(再放送)の健康術で、チリコンカンの料理が出てきました。ポークの代わりにサバ缶を入れたヘルシーレシピ。
夫の「美味しそうだぁ」のひと言に「サバだけどOKなの」と言質をとって、昨日のポークビーンズの残りを、さっそく昼ごはんにリメイクしました。

ポークもサバも入っています。トマトって食材の臭みを隠してしまう優れものですねぇ。
サバ缶はしっかりしたものを選ぶ方が美味しくいただけます。

新玉ねぎにラップをかぶせ600Wで7分。レンジから出したらバターを乗せ、とーろとろ玉葱の出来上がり。今の時期だけのレシピです。
ピラフはモチ麦入りの冷やご飯(1人分100g)、魚肉ソーセージとピーマン入りです。
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朝井まかて『恋歌』  直木賞受賞作

2021年04月27日 | 本・新聞小説
同じ作家の本を次から次へ読んでみたくなる・・・。今度は朝井まかて『恋歌(れんか)』です。

主人公は明治期に一世を風靡した有名な歌人・中島歌子(登世)。
幕末の江戸、裕福な商家育ちの登世は自らの恋情を成就させ水戸藩士に嫁ぎます。夫・以徳は過激な尊王攘夷派の天狗党。ここから登世の凄絶な人生が始まります。
3年間の水戸で地獄を見た暮らしから、生き延びて江戸に戻ってからは歌人として「萩の舎」の開塾。華族夫人令嬢を始めとする門下生千人の名門塾になりました。そのなかに忍び込んだ水戸の暗い影、そして孤独····。

水戸の女たちは敵味方に関わらず重すぎるほどの思いをかけて内乱を生き抜きました。幕末の血塗られた日々があってこその今があることを伝えなくてはいけない。誰もが今生を受け入れて骸だらけの大地に足を踏みしめねば、一歩たりとも前に進めない。歌子の思いは深く葛藤の後、自分を凄惨な牢獄に閉じ込め夫の命を奪った憎き諸生党の末裔を養子に迎え「萩の舎」の後継にします。それが歌子の水戸への鎮魂であり、亡き人への祈りだったのです。

歌子の手記を門下生に読ませる形で話は進みます。巻末に出てくる年老いた前藩主夫人(斉昭の妻)との静かなやり取りの場面が印象に残りました。

薩長のように志に生き志に死ぬという幕末の表舞台でなく、あまりにも悲惨で救いようがない水戸藩内の、敵味方に別れて殺しあうという内乱です。
幕末史のなかでは数行、数ページでしか語られない「天狗党」を格調高く1冊に歌い上げた歴史小説。著者の力量は直木賞受賞に表れています。

***余話*******************
水戸藩の「天狗党」と「諸生党」の内乱は血で血を洗う何も産み出さない無益な戦いだったと言われています。この戦いで水戸の優秀な人材は全て失われ、明治政府の顔触れに水戸藩士の名前は見られません。
過激な尊皇攘夷派「天狗党」は『青天を衝け』に必ず出てきます。その伏線は25日に登場した藤田小四郎(藤田東湖の子)の登場です。藩を越えて「惇忠」も過激な尊皇攘夷の天狗党に関わった疑いで捕らえられます。彼らも歴史の波に飲み込まれました。
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重宝しています 貝印「コンパクト電動シャープナー」

2021年04月25日 | くらし
我が家の包丁砥ぎは夫の仕事でした。子供時代には「肥後守」を自分で砥いでいた…という「時代の子」ですが、その包丁砥ぎも先が見えてきました。
そのころ、男の子の筆入れにはこの小刀が入っており、それを上手に使いこなせる自慢比べをしていたようです。昭和30年代の話で、今の学校ではナイフ類は禁止されているようで、鉛筆を削るのはシャープナーということか…。

そのシャープナー、こちらは包丁砥ぎですが、狙っていたのものが手に入りました。貝印「コンパクト電動シャープナー」です。

新聞に掲載されたせいか、直接貝印の会社でも、ネットでも、ホームセンターでも手に入りませでした。それがやっと在庫が確保できたのか貝印のホームページで注文できました。価格3850円が新規会員登録で1000円の割引です。


砥石は特許技術の荒砥と仕上げ砥石の組み合わせの構造になっており、別売の単3電池4本を入れて使います。
包丁の刃をスリットに入れて手前に5秒ほどかけて引きます。それを3回繰り返します。
切れ味は抜群!トマトでも玉ねぎでも薄切りがサックサク。ずいぶん前から電動シャープナーを検討していましたが、使い心地がわかりにくく迷っていました。この度の新聞の掲載で、説明を読んで納得と信用で購入しました。何しろ貝印でこの価格は安い!買って大当たりのお役立ちグッズでした。

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マーガレットが1株でこーんなに広がりました。狙っていた色ではなかったけど、この勢いには圧倒されます。真夏にはたぶん枯れるだろうな・・・。



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朝井まかて『眩(くらら)』『先生の御庭番』

2021年04月17日 | 本・新聞小説
日経新聞小説・浅井まかて『秘密の花壇』は滝沢馬琴が主人公でした。馬琴は偏屈な戯作者と言われながらも花を愛する意外な素顔も。とにかく朝井さんの「たおやか」と定評のある文章と市井の人間の捉え方がうまくて、他の本も読みたいと求めたのが『眩(くらら)』です。

表紙は、葛飾応為《吉原格子先図》。夜の光と影がラ・トゥールの《大工の聖ヨハネ》とぴったり重なりました。

北斎の娘・栄(応為)は離婚して父のもとで画業の手伝いをしながら絵を描くことへの意欲を持ち続けます。
すでに名を馳せていた北斎なのに台所はいつも火の車。そのうえ甥がトラブルを起こして金策に走るのが常で、その気苦労ははかり知れません。兄弟子である多才な渓斎英泉への恋情にも翻弄されます。
ある時、光が物の形を作っていることに気づきました。そして色をたくさん使わなくても濃淡を作ればいくらでも華麗さは出る・・・。ついに墨の他には岩紅、岩紺、岩黄だけで彩色した《吉原格子先図》が誕生します。
深い暗闇の中にろうそくで浮かびあがる静謐な景色、営みのけなげな美しさには人生の品格さえ感じられます。一度目にしたら忘れられない浮世絵です。
ストーリーだけでなくたおやかな文章表現に、もう一度読んでもいいなと思っています。

長崎出島に薬草園を作る依頼を受けて、いわば押し付けの形で15歳の植木職人・熊吉が担当することになりました。しかし熊吉は蘭語に興味をもちひそかに狙っていた仕事でした。
依頼主はシーボルト。薬草園の拵えや「ばたびあ」に送る茶樹の種の荷造りに夢中で働きます。
シーボルトが作った鳴滝塾の塾生の生活、出島の町並みと生活、商館長との人間関係、江戸参府、草木の採集、とシーボルトの動きが細かく書かれていて興味を深くします

植物を生きたまま船でオランダに運ぶことはシーボルトの念願でした。輸送期間は途中の係留期間を含めて7か月。この難題にシーボルトを慕っている熊吉は試行錯誤を繰り返し心底努力します。

そんな時に起きたのがシーボルト事件。たくさんの荷を積み込んだオランダへ戻る船が長崎湾内で大嵐にあって大破、荷物もたくさん流れ出しました。その中に持ち出し禁止の日本地図「伊能図」の写しが入っていたのです。
写しだとしたら他にもあるはずと幕府は躍起になります。幕府の追求は厳しく、シーボルトの周りにいた門人、絵師、通詞が次々に捕らえ、悲惨な最期を遂げた役人もいました。問い詰められてシーボルトが差し出したのは蝦夷の地図でした。
もう一枚の伊能図の写しはこの地図が先生の手元にあるだけで厄災になる」と、熊吉が散らばった荷物の中からとっさに自分の懐に入れていたのです。シーボルトは日本地図をオランダに持ち帰るという重大な使命を受けていたのです。

熊吉は草花を丁寧に押し花にして標本も作っています。シーボルトが好きなあじさいの押し花の標本の裏に地図を押し込め、それに手紙を添えてシーボルトが母への贈り物にするようにしました。幕府といえども私信にまでは手を出すはずはない・・・と。

門人の中には、シーボルトの依頼で論文に取り組んだことや地形調査にうまく利用されたのではないかと疑念を持つ者も出てきました。熊吉はそんな疑念を払拭して、ただひたすら忠実なお庭番に徹していきます。

オランダに送った草木1200箱のうちに260が無事に到着しており、「これで欧州が変わる。いろんな苦難に見舞われたが、学問上私が失ったものは何もなかった」というシーボルトの瞳に熊吉なりの理解をします。シーボルトが無事オランダの土を踏み、渇望した富と栄誉を掌中につかみとってほしいと。
このあとシーボルトは国外追放となり、再び日本の地を踏むことを禁じられ、妻と娘を残したままオランダに向かいました。

やがて日本は国を開きオランダとの間に通商条約を結び、シーボルトの追放令も解かれ、公儀は対外交渉の顧問として江戸に招きます。
ペリーに軍事を伴う急激な開国を迫らないように進言したのは他ならぬシーボルトで、その功績を公儀が認めたということです。この時に娘以祢(いね)に再会しています。
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2回目の「豆腐丼」

2021年04月16日 | 食・レシピ
昨日の豆腐丼は豆腐が多過ぎたので小さい充填豆腐を使い、海苔と梅干しをプラスしました。熱々のうちに食べればもっと美味しいと思いますが、お昼が肉料理になったので、どうしても丼は最後。冷めてしまいました。次は熱々ふわふわの豆腐丼を目指します。

お肉は夕食にお酒と一緒にゆっくり食べたいのですが、夫が消化が悪いからと最近は昼ご飯に食べたがります。なんか間抜け・・・。
クリームシチューが少し残っていたので、カボチャをレンチンして加えてグラタンに。
スープは塩豚を作ったときの茹で汁を使ってわかめスープに。
春菊1把分は、茹でてゴマ・わさび・砂糖・しょうゆで和えています。
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「お変わりありませんか?」

2021年04月15日 | くらし
このところブログの更新がないので、ということで届いた友人からのメールは過去にもありました。息災でいるかどうかという気遣いが、じんわり心に届き嬉しく思っています。

そこでブログ更新です。庭の植え替えを少しずつやっています。

華やかなサクラソウやネモフィラの後はマーガレットです。そばに植えていたクリムズンクローバーを取り除いたら、我が天下とばかりにすごい勢いで増えています。

エニシダはかなり切り詰めていたのでこんもりと咲きました。地植えにすると軒まで届いてしまうので鉢から出さないでおきます。先が見えた人生はこじんまりがモットー。

ゼラニウムは夏場に傷んでいましたが、春先から元気が出てきました。吸い込まれそうな真紅には近寄りがたさも感じます。

今年一番咲かせたかった花、矢車草のピンクです。種から育てました。葉が野菜みたいに広がって息長く咲きそうです。

こちらはブルー。

ポットの目隠しに植えたもの。期待どおりどんどんはびこり、手のかからない花です。

スナップエンドウの終わりにはたっぷり収穫できました。店頭のスナップエンドウも値上がりしてたので満足です。

冬の間中気をもんだスナップエンドウですが、終わってみれば想定外の収穫でした!やっぱり又植えようかな。でも、確か同じ土には植えられなかったような・・・。

昨日の「ためしてガッテン」はお豆腐編でした。
「充填豆腐」という言葉を始めて知りました。店頭で確かめると確かに普通の豆腐と区別して書いてあります。
パックごと10分茹でて、そのままご飯の上に落とす・・・ということで、そのとおりにやってみました。もちろん国産大豆です。出演者が褒め称えたほど美味しさはなかった・・・。でも、もう少し工夫します。うまく行ったらこんなに簡単な丼はありませんから。

お昼ごはんの豆腐丼は茹でて乗せただけ。サラダチキンは切っただけ。茹で玉子も切っただけ。トマトも切っただけ。
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シンクと排水口の汚れを「ガード」

2021年04月07日 | くらし
使用26年経過の排水口。近年汚れがつきやすく毎日掃除しても、翌日には薄茶色の水跡がつきます。排水口の上部縁にも黒色の汚れが・・・。
新しいうちはほとんど汚れがつかず時折洗剤で洗うくらいでしたが、長く使ううちに水をはじく力が弱まり水切れが悪くなりました。
すると残った水に含まれる微細なゴミを核にして更に汚れがひどくなる気がします。
そんなときにスプレー式のコーティング剤が便利だという情報を新聞の家庭欄で見つけました。
掃除した後にコーティングしておけば、付着した汚れが落ちやすくなり、次回からはお湯で流すだけでかなりきれいになるということです。
シンクの水滴が玉状でなく大きなアメーバ状に残るようになると要注意だとか。

さっそくホームセンターへ。

シンクと排水口を洗剤できれいにした後コーティングしました。

コーティングは万全でなく、毎日さっと掃除して一日を締めくくります。定期的にコーティングするようにしました。
維持管理、なかなか大変です。
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『青天を衝け』・・・・川路聖謨のエピソード

2021年04月05日 | テレビ番組
いよいよ井伊大老が登場。将軍家定から取り立てられた井伊直弼。その大役に最初は戸惑うところは人間味が出ていました。
大老の地位を得れば、あとはその力は雪達磨のように膨らんでいきます。意を決して大声で「びっちゅーう」と備中守堀田正睦を睨み付けると、老中たちがビックリして萎縮したところから自信が出たような・・・。井伊直弼のエンジン全開です。

ついに目の上のたん瘤、一橋派の弾圧が始まりました。それは先ず、「慶喜を将軍に」と建白した川路聖謨(としあきら)に及びます。
(私は「としあきら」と少し字余りの名前が好きでした)


聖謨は西之丸留守居役への格下げをたまわります。処分は志士よりも先ずは幕閣から始めました。安政の大獄へと向かう「暗政」の始まりです。

畏まって「ははーっ」とこれで終わり。大老の一言には何も申せません。

余話・・・数年前、古文書サークルで、ペリーよりひと月遅れてプチャーチンが長崎来航するところを読みました。ここで川路聖謨(かわじとしあきら)はキーワードです。大河ドラマで活躍の場面を期待していましたが、やはりペリーの存在感は大きく交渉の顛末はこちらに分がありました。
聖謨は日田の小役人の息子に生まれ、後に旗本の養子になり、その才能を認められどんどん出世していきます。奉行時代には貧民救済など地元民にも慕われていました。
なんといってもハイライトは1853年に長崎に来航したプチャーチンが開国通商を求めたときのこと。聖謨は幕府の代表として交渉を始めます。プチャーチンはその人柄を「ヨーロッパでも珍しいほどのウィットと知性を備えた人物」として高く評価しました。
翌年、日本側全権川路聖謨とプチャーチンの間で日露和親条約が結ばれます。この条約には国境確定があり、エトロフ島とウルップ島との間を国境に定めました。
ロシアはエトロフもロシアのものだと主張しましたが、開拓し住んでいるのは日本人だと強く主張してそれが認められたのです。列強から軍事的にも攻撃を受けてはならないという緊張感の中で行われました。

聖謨はこの実力をもってしても将軍問題で一橋派に属したために留守居役の閑職になり、のち隠居差し控えになりました。
5年後には再び外国奉行を拝命しますが、思い描いた役割とは程遠く半年で辞任。その後幕末の政局に関わることはありませんでした。
1868年、江戸開城を目前に、武士の作法に乗っ取り、中風の体で居宅のまま自決します。》


留守居役を仰せつかり、雨の中を歩く聖謨役の平田満の姿が目について離れません。
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伊集院静『ミチクサ先生』その⑩ 279~298

2021年04月04日 | 本・新聞小説
散歩がてらにナショナルギャラリーに出かけた金之助(漱石)。ここでのターナーとの出逢いがきっかけになった美術館巡りは、深い霧に神経衰弱さえ自覚し鬱陶しい日々を送っていた金之助(漱石)にある光を差しのべてくれました。
特に、「ハムレット」の恋人オフィーリアの悲劇の結末を描いたジョン・エヴァレット・ミレイ″オフィーリア″に深く感銘をうけます。


『若く美しい娘、オフィーリアがひっそりとした水辺に浮かんでいる。両手と顔を水面から出し、ドレスを着たオフィーリアはまるで浮遊したように描かれてある。水にわずかに浮かんだドレスの上に、水辺に咲いた花が木から舞い落ちていて、まるで落花の、椿の花びらのように、この苛酷な悲劇の結末をより鮮やかなものにしている』と、文学作品の物語の根幹、叙情を一枚の絵で表現できることに深く感じ入ります。
帰国して書いた、熊本・那古井温泉を舞台にした『草枕』にもオフィーリアは度々出てきます。

この頃イギリスに注文された戦艦「三笠」が進水式を終え引き渡しを待っていました。国家公務員が給与の10%を無条件で国に収めていて、その製艦費の結晶なのです。
ロシアの南下政策に神経をとがらせていた英国にとって日本の海軍力は信頼できるものであり、日英同盟を締結するのは当然の流れでした。

当時、長ければ半年もかかる日本からの手紙。正岡子規の「僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヨウナ次第ダ・・・今夜ハフト思イツイテ特別ニ手紙ヲカク・・・」に鼻の奥を熱くしながら、子規の期待に応えるべく英文学に励むことを新たに決意します。
下宿のオーナーから自転車に乗ることを進められ猛特訓します。

その頃子規は、母と妹の愛情に支えられて壮絶な最後を迎えていました。子規は己を信じ漱石を信じるまっすぐな若者。その友を得た金之助は幸運でした。
手紙に「子規逝くや十七日の月明けに」の句を添えて、子規の死を知らせてくれたのは高浜虚子でした。
死の事実だけが金之助の胸の底に届き、悲しみのなかで「手向くべき線香もなくて暮の秋」など5句の悼句を発句します。これほどの数を発句したのはあとにも先にも、その秋だけでした。

そんな中、金之助の2年間の留学生活も終わろうとしていました。金之助は他の留学生に比べて驚くほど多くの本を買い込み、本の山の中の暗い部屋で一日じっと机につき、一点を見つめている・・・。゙夏目狂セリ゙の電報が文部省に届きます。



文部省はドイツに滞在する同期留学生の藤代禎輔に、金之助を保護しすぐに日本に連れ帰るよう指示します。
しかしロンドンで見た金之助は何一つ変わらない江戸っ子の金之助で、藤代は一人先に帰国しました。
金之助が神経衰弱の自覚があったのは事実。だから療養のために自転車に乗ったり、スコットランド旅行で美しい田園風景に触れて回復しつつあったのも確かだったのです。
帰国準備の中で本の多さに、周りは「この街の本を皆持って行くのか?いっそ大英博物館も一緒に船に積んだらどうだ」と呆れるほどでした。
その大量の書物と金之助を乗せた船が出発したのは明治35年の師走のことでした。
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蒸し大豆でポークビーンズ

2021年04月02日 | 食・レシピ
定期的に蒸して冷蔵庫保存している蒸し大豆は結構使い勝手がいいので重宝しています。圧力鍋を使いますが、茹でるのと全く味が違います。そのまま食べてもいいくらい。
いつも自己流に作るポークビーンズを味の素レシピを使ってきちんと作りました。

☆材料☆

①豚肉はAをもみこみ、15分置く。玉ねぎ、ニンジンは1cm角
②フライパンにオリーブオイル、にんにくを火にかけ、香りがたったら玉ねぎ・ニンジンを加えて炒める。
③豚肉も加えて炒め、色が変わったらコンソメ、Bを加えて強火。煮たったら中火で5分程煮る。
④大豆を加えて、さらに10分、塩・こしょうする。

豚肩ロースのかたまり肉を使ったので歯応えが出たし、コクがあってなかなかおいしくできました。久々に合格です。

えびのリゾット。米の水加減を1合分間違えてごわごわに出来上がりました。捨てるにはしのびないのでリゾットに。コンソメ、牛乳、粉チーズ、エビを加えてアルデンテで、まぁそれなりの味になりました。
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