新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

ついに現役引退・・・電子レンジ

2013年11月20日 | くらし

この古ぼけた電子レンジ年齢35歳。引っ越し3回。一度も病気無し。覚えている家族の顔は6人。これがこの電子レンジのプロフィールです。価格は14万円と高かったのですが、1回も故障無しの超スグレモノ。現在の電化製品の見本にしたいくらいです。

当時には珍しくスチーム機能があること、パンの発酵機能もついていることです。ケーキが2段同時に焼けること、茶碗蒸しも10人分が一度に可能なことなどで私の大のお気に入りでした。

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ドアを開けると、セラミックのターンテーブルあります。上部のヒーターも料理によってアップダウンするのです。
このヒーターには私の「日本一間抜けな、愚かなエピソード」が詰まっています。「銀行のカウンター」で行員さんが、目をぱちくりしたあの表情が忘れられません。客観的にはとても面白く受けそうですが・・・。時々思い出し笑いをしています。

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手動でダイヤルをぎりっぎりっと回すと、自分が器具を支配しているのだというプライドが持てるのです。何よりも長持ちさせているという主婦の誇りも大きいのです。娘の家で最新式の電子レンジを見ても全く心は動きません。

ところが、最近電気製品の劣化で事故が起きるニュースを頻繁に耳にします。だんだん不安になりました・・・。
ガス工事に来た人に「35年」のことを言うと、「丁寧に使われるのはいいのですが、あまり長く使うと製品が劣化して事故につながりますから」とやんわりと「否定」されてしまいました。またまた不安は広がり、プライドと誇りがだんだんしぼんできます。
しかし無傷のレンジを買い替えることにはまだ抵抗があります。いっそ故障してくれたらと願っていましたが、その兆候もなく
毎日朝から軽快に活躍してくれるのです。

そこで過去1年間あたりの原価償却値を出してみると4200円。「な~んだ、これなら買い替えても、もう納得の範囲内・・・」と買い替えを決心しました。数字の持つ威力です。記念写真を撮るとちょっと惜しくなりました。

35年間一度も故障しない製品を作った三菱電機に表彰状をあげたいくらいです。

35年前は部品も国産、工場も日本。今のようなデジタル仕様の便利さ、軽快さ、デザインの良さを競う家電以前のものは、機能は単純でしたが故障も少なかったと実感しています。
これでもかこれでもかと技術革新をして、付加価値過剰の商品があふれています。その機能のどれだけが使いこなされているのかしら?使われない機能は、その能力を葬り去られて空しい気もします。
今の若い人はこんな古いタイプの電子レンジってみたことがない人が多いでしょうね~。博物館ものかも。

という訳で新顔の電子レンジがやってきました。操作に慣れるまでは、説明書が手放せない複雑さです。

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オーブン使用の第一号作品は、tomokoさんのブログで見たアップルケーキを焼くことにしました。ドイツのホームメイドケーキで≪アプフェル・クーヘン≫というのだそうです。

私の大好きな紅玉が出回りたくさん買い込んでいます。使うなら『今でしょ!』とばかりにさっそくスタートしましたが、「小麦粉が足りない!」と買いに走る間に、軟らかくしたバーターが硬くなっていました・・・。

tomokoさんのレシピみたいにすんなりにはいきませんでしたが、第一号の顔は立てたと思います。
tomokoさんの本物のケーキはこちら。美しさが全然違います。

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老い支度・・・換気扇の取り換え

2013年11月19日 | 住まい&掃除

私の苦手な家事、それは換気扇の掃除。ファンはどうにか掃除できても、ファンの向こうの扉と木枠の油の汚れには手が届かず、20年の油が固まっています。ファンの方は見た目はきれいになっても、いつも気持ちは中途半端・・・。

掃除の洗剤が強力すぎて塗装部分が剥げ落ち、これも20年の付き合いです。掃除の度にファンを取り外すのが、ガステーブルに上がっての作業になります。年をとったら大変な作業に・・・。
ガステーブルを取り換えた時、そのパンフレットに私の気持ちとぴったりの換気扇が載っており、思い切って交換することにしました。
ガステーブルの時と違って未練など露ほどもありません。さらりと、いや喜んで Bye-bye です。


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 いざ交換となると、取り外したスペースが広すぎて、取り付けた規格品の隙間をどう埋めるかに四苦八苦していました。でも3時間後、違和感なく無事に取り付け終了。

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整流板を開けると何とシンプルなデザイン!私の好みです。フィルターがありません。

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お手入れランプが点灯したら、黒いリングのオイルトレーに溜まった油を洗い流すだけでOKなんだそうです。フィルターからの解放されます!
シロッコファンは年一度くらい洗えばいいとのこと。取り外しもワンタッチ、これならかなり年をとてっもいけそう。
最初は不必要と思っていたLEDライト。青く明るい光は心を明るくする要素があるようです。

最近、何となく「老いじたく」という言葉が頭をよぎります。身の丈に合った生活をと言いますが、最近は年齢にあった生活をとチャンネルを切り替えて、今のうちにできることをやっています。

 

 

 

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和風の下ごしらえ ⇒ 洋風メニューに

2013年11月17日 | 食・レシピ

介護施設に入所している母の元に通い始めて2年10か月。それなりにペースをつかんで夕食の準備も手際よくやれるようになりました。6,7時間かけて、帰宅はいつも5時過ぎ。それに合う下ごしらえをしていきます。

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この日は和食のメニューの予定。
サケを塩麹に漬けに。焼いて大根おろしを添えるつもり。大根は輪切りにしてコンソメスープで30分ほど煮て味をしみこませていきました。後でバターで焼いて柚子胡椒で食べる予定。ピーラーで剥いた大根の皮は味噌汁の具にする予定。ほうれん草は茹でてシラスと和えます。レタスは洗って冷蔵庫でシャキッとさせておきます。ここまでやっていると、帰宅後の調理が非常に楽なのです。

記憶がまだらになった母と取りとめのない会話をして帰る途中のこと。ワインコーナーで秋のフェアをやっていました。おいしそう~!
このところプリン体カットの発泡酒が主流だったのでたまには・・・・・・・。その時、夫から「前立腺の癌検査は異常なし」というメールが入り、これで購入決定!
こうなると、予定の献立ではワインに合いません。「うー
・・・」と思案しながら帰ってきて、テーブルには「うまく変身」した献立を並べました。

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コンソメ味の大根、厚めに切った作り置きの塩豚、シメジをバターで焼いて洋風に。サケは塩焼きをホイル焼きに変更。味噌汁は薄めの味にしてトマトを浮かべて「強引に」味噌スープに。
バターとトマトがあればかくも変身できるものか・・・、と我ながらこの強引料理に感じ入りました。ワインにもよく合いました。

 

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孤高の「皇帝ダリア」

2013年11月15日 | ガーデニング

7年前に母と行った日南海岸の旅で、散策の途中で初めてこの花を見ました。11月に咲いていた一重の楚々としたダリアらしき花。木のように背が高く、名前は正確にはわからずじまい。
あるときpapahaponさんのブログで、旅行先の花と同じものを見つけて、それが「皇帝ダリア」であることを知り、ぜひ欲しいと苗を植えつけました。
ところが茎はどんどん伸び、木のように太くなり、9月が終わるころにも一向に咲く気配さえありません。肥料のやり過ぎで失敗したのだと、早々に抜き取ってしまいました。


Img_2729「皇帝ダリアはもっと遅く、11月中頃から咲く」ということを知ったのはずっと後のことです。

やっぱり諦めきれずに再挑戦。春に球根を植えました。真夏のあの酷暑にも動じず、ただひたすらぐんぐん伸びました。ぐんぐん太りました。
「今度こそ!」と数度の添え木もしながら、咲いてくれることを信じながら気長に気長に待ちました。

見あげるほど高くなった頃、空気が冷気を帯び始めると、茎のてっぺんにたくさんのつぼみが見えてきました。やった!成功!これぞ「孤高の皇帝ダリア」です。「皇帝ダリア」とはよくぞ名づけたものです。「皇帝」って誰のこと?ナポレオン?オクタヴィアヌス?始皇帝?
球根を植えてから待つこと7か月。そして初めて皇帝ダリアを見た時から7年が経っていました。

3メートルも伸びた茎のてっぺんから下を向いて咲いている花は、睥睨するような威厳すら感じます。花びらにも品位があります。花が下向きなのは嬉しい!上向きの花だったらあまり楽しめないでしょう。

Img_2730_2地面から伸びた茎は頑丈そのもの。皇帝であるための基礎固め???
まるで竹のようで、茎だけ見ると、とても花の茎とは思えません。

一度、10月に吹き荒れた突風で、根元から90度真横に倒れたことがあります。
万事休す・・・とあわてましたが、立て直すと何事もなかったかのように成長を続けました。さすが、皇帝です。

地植えは、根を凍らせない限り越冬が出来そうです。挿し木もできるそうです。

今日たまたまバスの中から数えきれないくらいの花を付けた皇帝ダリアを見つけました。
「あれくらい増やしたい!」の思いを実現させたくて、次の季節にもつながるように大切に育てたいと思っています。

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一週間後の開花状況。雨に打たれて元気がありませんが、どんどん開いていきます。花の命は結構長そうです。

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大学主催「市民カレッジ」・・・・映画『善き人のためのソナタ』

2013年11月14日 | 映画

ほど近いところに学生数2万人の巨大な大学があります。次々に新しいお洒落な建物に建て替わり、常に「増殖」している生き物のようです。
その大学の運営方針として、地域住民とのコミュニケーションをはかるべく有料無料の「市民カレッジ」が企画されています。

今回は、3か月間の「映像にみるヨーロッパ文化」に参加して、10月11月で4本の映画を観ました。レジメが準備されており、教授の解説があってから映画が始まります。
我が家には関係なかった大学ですが、若い人たちであふれるキャンパスを歩くのは実に快適で、この雰囲気が好きで毎回の映画鑑賞会を楽しみにしています。

先ずは開始前に学食で腹ごしらえ。快適な空間で快適な料金で老夫婦は「学生」を追体験しています。400円しなかったカツカレー。
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『善き人のためのソナタ』  壁崩壊直前、盗聴と密告により体制を維持していた東ドイツが舞台。
社会主義の敵を暴くことだけに使命を感じているシュタージのヴィースラーの任務は、著名な作家ドライマンを24時間体制で盗聴すること。しかしドライマンの人間的な生活を盗聴するうちに任務への疑いが生じ始めます。・・・・・・・
壁崩壊後に、ドライマンは初めて監視されていたことを聞かされ愕然とします。シュタージ博物館で見つけた自分の監視記録の報告書。しかし途中から内容が事実と異なり始めたことに気づき暗号名「HGW XX7」の存在を知ります。それにより自分が救われたことを知ったドライマンは、HGW XX7(ヴィースラー)を探し出します。しかし背中を丸めカートを引いて配る郵便配達の姿をただ遠くから見つめるだけでしたが、この時ある思いが胸を貫きました。
それから2年後、ヴィースラーは本屋でドライマンの本を見つけます。本の扉には「HGW XX7に感謝をこめて捧げる」と献呈の文字が記されていました。かつて完全に対立する関係だった二人が、本という形を通して融和が完成したのです。ホッと胸を打つ瞬間でした。1冊の本の存在が、直接に対面しなくてもお互いの心と心を繋ぐ・・・、素晴らしいことです。心を打たれるラストシーンでした。



『魔笛』  オペラの舞台を映像化したもの。いくつかのパートに分割して、教授によるモーツァルトの楽譜の分析、見どころの解説、物語の展開の説明があってから映画に移ります。素人には実に丁寧でわかり易く、「オペラってこんなに楽しかったのー?」と思ってしまいました。
馴染のある夜の女王のアリアでは、あのコロラトゥーラの場面で女王がアップされ、その表情が迫ってきて舞台よりも迫力がありました。


『サラの鍵』  フランスのユダヤ人迫害は、ナチにより強制されたものでなく、フランス警察や憲兵の積極的な協力がありました。1995年、シラク大統領はホロコーストにおけるフランス国家の責任を認めました。フランス人には「時効の無い負債」があったのです。胸をつくストーリーでした。
時は1942年、パリで一斉検挙を受けた少女サラはとっさに弟を納戸に隠し鍵をかけてしまいます。両親とは離れ離れ、サラは鍵を持ったまま収容所に送られます。ここから物語が始まるのです。


『ロングエンゲージメント』  第1次大戦中にフランスで、銃で自分の手を打ち抜くなど除隊を狙った行為をした5人の兵が処刑を受け、武器も食料もないままに仏・独の中間地点に放置されます。当然それは死を意味します。その中に生き残った者がある…という噂から物語が展開していきます。
足に障害を持つマチルドは、婚約者マネクを含む5人は処刑されたことを告げられます。しかし処刑の事実に食い違いがあることを見出して、不屈の精神でマネク探しが始まります。消えた婚約者を探しての長い道のり・・・・。
記憶を失い名前も変わっているマネクをやっと見つけ、会いに行く瞬間が実に象徴的でした。石段をゆっくりと一段ずつ上って、逆光の戸口に立ったマチルドの後ろ姿。ワイエスの絵にあったような芸術的な印象的な場面です。その先には緑の庭の真ん中にマネクが座っていました。愛情と信念を持ってついに探しだした婚約者。これがまさにタイトルの『ロング・エンゲイジメント』の「長い婚約」なのでした。

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