夫が1泊のOB会に出かけるので、ひとりで世界遺産を訪ねようと計画していたら妹夫婦が同行してくれました。電車・バスを使ってもアクセスしにくい場所にあるので車は大助かりです。
秋晴れの中を走行中に話の内容から妹夫婦が過去に行ったことを知り申し訳なく思いましたが、「2度目でも新しい発見があるから楽しみ」とさり気ない心遣いと対応に感謝です。
有明海の北岸に位置した筑後川の下流に、干満の差15メートルを利用して作られていた海軍所のドックが、広々とした野原の地中に静かに眠っていました。
「三重津海軍所跡」は遺跡を目で見ることが出来ない世界遺産なのです。それはドックの骨組みが木造のために、空気に触れたら腐るという理由で埋め戻されているからです。
そんな可視「0」を「有」にしてくれるのがVR機器「みえつSCOPE」。音声ガイダンスを聞きながらSCOPEを覗くと、160年前の三重津海軍所のパノラマが浮かび上がります。5つのポイントごとに映像が切り替わり、それぞれの施設の説明があります。
この海軍所開設の中心になった佐野常民を顕彰した「佐野常民記念館」がすぐそばにあり、当時の海軍所の様子が細かく説明されています。
海軍所のドックは独特な作りで、底には貝殻を敷き詰め、側面は土と木で作られた日本最古のものとなっています。佐賀藩が自力で近代化を目指した苦心と苦労がしのばれます。
佐野常民は本でもよく目にしていたのでずっと気になっていました。ここで大きく取り上げられてやっとその全貌を捉えました。幕末の意気高き佐賀藩の、7賢人の一人だったのです。
お昼ご飯はお気に入りのお店という高級感漂う「本庄うなぎ店」でご馳走になりました。
久しぶりの専門店でのうなぎの蒲焼きはくどさがなくふっくらとしていました。食べた後のさっぱり感までがご馳走の範囲。ごちそうさまでした!
食事の後は、北へ向って佐賀市内の「肥前さが幕末維新博覧会」へ。ここは2度目ですが見ていないところもまだあります。
大隈重信記念館と生家。180㎝の巨漢だった重信は暴徒に襲われて片足を失いますが、お気に入りの赤いガウンと共にその義足も展示されていました。
早慶戦ではなく、諭吉とも親交があったようで諭吉関係の資料も展示されていました。
大通りの25の偉人モニュメントに再会。肥前は政治家は言うまでもなく、菓子メーカーの「森永」「グリコ」の創業者、大企業へと発展した「サロンパス」や「リコー」の創業者、建築の「辰野金吾「曽禰達蔵」などを輩出し、等身大のモニュメントがなぜか身近に感じられました。
徴古館。鍋島家の伝来品が展示されており、前回から展示替えがあっていたのでここも見てきました。佐賀藩は長崎警備を命じられていた事から対外国への危機意識が強く、それが原動力となり近代化に踏み切った実践力は、同じ長崎警備の福岡藩とは全く違っていました。
玉屋デパートの1F「ながさき幕末館」を覗くと、ここは佐賀藩とかかわりの深かった長崎県からの特別出展で、狭いスペースには色々と工夫が凝らしてあります。
古写真の中にフルベッキの集合写真を見つけました。「ここに龍馬が写っている」という説を聞いていたので探していたら、「結局は色々な資料を付き合わせた結果、ここに龍馬は写っていないという結論です」とのスタッフさんの説明にちょっとがっかり。
そんな私を気遣ってか「せめて集合写真の中に入りませんか?」と、古写真と合成体験し、スマホにダウンロードしてもらいました。
維新前後の熱きエリート達の後ろに立った「賄いのおばさん」、タイムトリップして上機嫌です。(この44人は佐賀藩が長崎に設けた英学校「致遠館」の生徒たちという説もあります)
こんなに歩きづめだったのに、妹夫婦は地元のレストランで夜のライブコンサートを楽しむそうで、お互いにいつまでも元気にしていたいものです。
私は佐賀駅から高速バス。高速が混んでいたので福岡まで2時間もかかり帰り着いたのは9時前。3㎝のローヒールで歩き回ったので足の薬指が痛い・・・。