『 願はくば 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃 (西行) 』と詠んだ西行は、まさに旧暦2月の満月の白く光る夜、花盛りの桜のもとで73年の生涯を終えました。その西行を偲んだ歌が藤原俊成の『 願ひおしきし 花のしたにて をはりけり 蓮(はちす)の上も たがはざるらん 』、そして末尾の一句が桜を愛した西行の『 仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば 』で閉められています。
700ページにわたる『西行花伝』の最終章の終わり方が見事でした。送迎バスを待ちながら霊園の休憩所で読み終えた時、余韻に浸りながらガラス窓に目をやると燃え立つ若葉が生命を謳歌していました。泉水の静かな流れと音が演出でもしたかのような最終章にふさわしい終わり方でした。
NHK「平清盛」では、容姿端麗だったという西行役を藤木直人が演じています。先に「顔写真」が決定してしまい、本を読む際にも最初から強引に「藤木西行」が出てきてきたことは、幸なのか不幸なのかはわかりませんが。
朝廷、公家の紛らわしい姓名、摂関家、台頭してきた武家、位階など複雑この上ないので、人物相関図をメモし、ページをシールでマークしながら読み進みました。
本著は、西行(佐藤義清)の幼いころから73歳の晩年までを、弟子の藤原秋実が聞き語りの形式でまとめ、西行の人間像を浮かび上がらせて行くという手法を取っています。西行に関係のあった人たちとの交流から生まれているものだけに、見る角度がたくさんあってストーリーの運び方が丁寧でした。
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義清(西行)は紀ノ国田仲荘で領主の子として裕福に育ちます。しかし律令制の国衙と相容れない荘園制度に、私領は矛盾を抱えてトラブルが多くなっていくのを目にしながら成長します。
8歳で父を失いますが、田仲荘を徳大寺家の本所(名目上の領土保持者)にしたことから京に出て出仕。亡くなった母が義清が宮廷内できちんとした職を得るための支度として絹2000匹を用意していました。そのおかげで18歳で兵衛尉につき、弓馬や蹴鞠の鮮やかな技量で認められ、北面詰所で鳥羽院の近臣になるという輝かしい昇進をし、公家の歌の集いにも顔を出しそこで歌の道を磨いていきます。
ある日余興の流鏑馬の鮮やかさから待賢門院(鳥羽院中宮)から特別の褒賞を受けたことが、その後の西行と待賢門院との相愛と苦悩、歌の精進へとつながっていきます。
西行は待賢門院を才女というよりは「凡庸で薄紅色の靄のようなものが立ち込めた、たまらなくいとおしくかわいい人」とみています。一夜限りの愛を交わした西行は月にも花にも女院の姿を感じ、女院へのもどかしい思いを幾つもの歌にし秘められた恋に苦しみます。
西行と友人の清盛が論争する場面があります。ここに清盛ばかりでなく父の忠盛もどうしても手に入れたい「公家ブランド」の獲得への強い執念が見られます。「この世で事を成すには二つの力」が必要で「武力と権能」。権能は見えない働きで、畏怖させる力、例えば摂関家のような家柄、門閥、身分、位階・・・。武力をもっている平家が、もう一つの権能を手に入れてここそ世の中を変えていけるという考えです。
そのころ最大の理解者で従弟の佐藤憲康の死に合い、世のはかなさに打ちのめされますが、浮世のすべての定かならぬものを超えて、それをしっかり支えるのは歌であることに気づきます。そしてこの世の森羅万象を愛するために、この世を美しく生きるために現世を捨て浮世から離れてこそ、その良さがみえてくる事に思い至り出家のことを考えるようになりました。現世にとどまると現世のしがらみにとらわれ、現世の良さが見えてこないというものでしょうか。然し出家しても心の迷いや弱さに苦しみました。『 身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ(西行) 』
保元の乱に関しては、かなり詳しく書いてあります。西行は待賢門院の子である崇徳上皇とは歌を通じて親しく交わっていました。策略により近衛帝に位を譲らされた崇徳上皇が歌の道で生きようとしていたところに、突然の近衛帝の死。それは崇徳上皇に、天皇家の正統なる継承者である子の重任親王に天皇の位を継がせたいという欲望をわかせました。が、思いもかけない後白河天皇が誕生したことが、朝廷と摂関家と武士を巻き込み、天皇派と上皇派に分かれて争う大きな渦となっていきます。西行は、崇徳院が左大臣・頼長らの策謀に巻き込まれないで歌で生きていって欲しいと奔走しますが、それもむなしく結局はあっという間に後白河帝方の勝利に終わりました。上皇方の頼長は流れ矢に当たり命を落とします。この時の処罰で采配をふるったのが、後白河帝を押して頭角を現してきた信西(藤原通憲)です。崇徳上皇を四国讃岐に配流し、近臣側近には拷問ののち死罪を言い渡して、冷酷な信西の存在と名を世に知らしめました。
また信西(藤原通憲)が下した残忍な処罰で、義朝に父・為義と弟たちを斬らせ、清盛に叔父・忠正と従弟たちを斬らせ世の中をふるいあがらせました。それは台頭してくる武士の力を武士自身の手で減殺するという考えがあったようです。信西の妻が後白河帝の乳母でもあることから宮廷内で急速に力を延ばしていきますが、後になるとその目に余るやり方に後白河帝も反発を覚えるようになっていきます。
一方、保元の乱を未然に防ぐために崇徳上皇を説得しようと奔走した西行でしたが、無残な結果に終わり深い哀しみの中に沈みます。そのことで心神喪失の状態になったところを高野山に連れて行かれ、日月をかけた荒行で回復していきます。真の意味の出家とは、「我という家を出、我執という家居を脱却」して森羅万象の良さに住みなし、心を同調させることだと思い至り、さらに強い意志を持ち京に戻ってきます。
西行は50歳の時に崇徳院の配流された讃岐に旅します。京に出没する怨霊に心を痛め、崇徳院は不運を他人の所為にせず、一切の苦難をかき抱いて森羅万象の中に同調していってほしいと鎮魂の歌を捧げます。
世の中は大きく変わり、源平の乱が始まり平家の都落ちがあります。諸国は武士の合戦で人馬が殺傷され、その荒廃に激しい憤りを感じて『 死出の山 越ゆる絶え間は あらじかし なくなる人の 数つづきつつ(西行) 』と詠んでいます。
出家した西行は人知れず庵を結んで歌い続けたのではなく、現実の世の中にもしっかりと目を向けていました。重源に頼まれて東大寺大仏殿再建のための砂金調達に、再び老骨に鞭打って陸奥の藤原秀郷のもとに向かい役割を成し遂げます。それは自分の利や昇進を抜きにした世の中のためにというものでした。
この旅の途中で偶然に源頼朝に出会います。頼朝の鋭いまなざしは勝利、成功しか見ない心なき心だが、心が生命である限り必ず森羅万象の持つ愛しさ、哀れの思いに戻ってくると、頼朝の人格の中に確信をします。
西行は、この現世に「頼朝ほどの器量の人は他には見いだせない・・・頼朝は私が生涯に見ることができたもっともすぐれた人物の一人であった」と深く感じました。『 心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮(西行) 』の歌を、この場面に持ってきた辻氏の構成のうまさが表れています。
この本は西行を中心に政治、朝廷、歌の世界、仏教思想、恋が書かれていますが、哲学的なところがよく把握、理解できないままでいます。しかし歴史小説とみると、その密度の濃さに引きづりこまれてしまいました。
700ページの中から、西行の心の奥の葛藤というよりはエピソード的なものを抜き出しました。NHK「平清盛」と連動する部分です。今日5月27日の放映は『保元の乱』。先週の最後の場面に高野山から降りてきた西行の後ろ姿が見えました。今日は如何に・・・。
分厚い本からはとても辻氏の思いを書ききることはできませんが、この本に巡り合えたことはラッキーでした。ブログ仲間の記事に見つけた『西行花伝』、きっかけを作ってくださったtocoさんに感謝しています。
解説の中に、辻氏の双璧をなすのがこの『西行花伝』と『背教者ユリアヌス』だとあります。さっそく注文して文庫本3冊が届きました。やっぱり長~い・・・。