新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

ユニークなピアニスト、高雄有希

2013年04月30日 | 音楽

「高雄有希とともに」のコンサートが、このゴールデンウィーク中に4回、福岡市の周辺でそれぞれ場所を変えて開催されます。
写真はコンサートを終えての高雄氏。観客と同じ目線でという姿勢、有り余る才能に甘んじることなく謙虚な言動に好感が持たれます。

以前コンサートで、ある有名女流バイオリニストは熱狂的なアンコールの要請にも関わらず、冷たく微笑んで丁寧にお辞儀をするとさっさと舞台を去っていきました。観客として突き放されたような小さなわだかまりが残りました。(音楽家も人間、ひょっとしたら体調がよくなかったのかもしれませんね)
素晴らしい音楽だけを提供するのがプロではないと思います。音だけなら室内で静かにCDを聞いていればいいのですが、音の向こうに人間性にも触れたいのです。ライブで音楽+心の交流をして、幸せ感に浸りながら心地よく帰宅することが大切だと思います。

20130429_3福岡市出身ということで、以前からコンサート情報ではよく耳にする名前でしたが、聴くのは今回が初めてでした。その才能の片鱗がうかがわせるのが、子供の時からのユニークな略歴です。

幼児期を家族とともにアメリカで過ごし、母親からピアノの手ほどきを受けています。そしてなんと15才でドイツのリューベック音楽大学に留学しているのです。
★ 九州・山口ジュニアコンクール 12才 グランプリ受賞
★ パルマドーロ国際コンクール最年少 15才 金メダル
★ 第10回チャイコフスキー国際コンクール最年少 16才 セミファイナル受賞
★ 第6回シドニー国際ピアノコンクール最年少 18才 2位 (聴衆賞1位)
★ シドニーのオペラハウスでコンサート、2800席の観客をわかせ、ABCでライブ放送
★ ロスアンジェルス・フィルとのコンチェルトに17000の聴衆が熱狂する

『 これは神技だ!、陶酔!恍惚!熱狂!歴史に残る名演 ! 』と、
ドイツの新聞で称賛を浴びた彼は、現在東京大学大学院博士課程のイタリア文学を専攻する学生でもあるのです。
ちなみに司会者によれば、高雄氏が話す言語は6か国語だそうで、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、イタリア語、そして英語よりは少し苦手な日本語。

略歴を見ると10代の華々しい活躍のあと、「賞」が見られないのはなぜ…と思っていました。
聞くところによると、コンサートを離れていた間に大検を受け、東大文3に入学されたのです。15才でドイツの大学生だったということは、日本で再度大学を受験するには大検で受験資格を取らざるを得ないでしょう。
大検で大変だったのは家庭科の勉強だったとか。「鰺の可食率や調味料何g」とかの勉強の逸話を知り、ふんわりとしたトークの裏には大変な受験時代があったのが頷けます。体調を壊された時期もあったとか・・・。

もう一つ。9才の時にロンドンの高級百貨店ハロッズに置いてあったピアノでショパンのワルツを弾いていたら、いつの間にか人垣ができたとか。そこでピアニストの快感を味あわれたそうで、逸話も上質です。
ドイツ留学時代に「鳥のカタログ」を練習していると小鳥たちがやってきて毎回合奏していたとか・・・。
逸話を集めるとそれだけで物語が出来てしまうような、やはりユニークなピアニストです。やっぱりすごい!すごい!


今日の演目は、 ラフマニノフ:「エレジー Op.3-1」 ラヴェル:「夜のガスパール」、「ラ・ヴァルス」では解説付きのトークで、素人にもわかり易く親しみが持てました。

ラ・ヴァルスとはワルツのこと。ところどころに聞き覚えのあるウィンナーワルツのフレイズがはいります。そして美しいワルツがすごい力で破壊されていく・・・、第一次大戦後の不安な状況を語っているのだそうです。

静かな語り口とは対照的に、鍵盤をたたく力強さにピアノでこれだけ表現できるものだと感動し、「ラ・ヴァルス」は男性の力強さがないと弾けないのかも・・・と思ってしまいました。
また消え入るような繊細な音にも耳をそばだてて透明な世界に引き込まれました。

トークによれば
、教授との対談形式で学内限定のコンサートもあるとか。やっぱりユニークですね~。
日本大使館の招へいでコンサートが開催され文化交流に貢献しながら五大陸制覇をされたそうです。
中村紘子さんに「高雄君は三拍子揃ったピアニスト」「完璧な演奏」と評されたそうで期待は大きくなります。

ピアノと、大学院で専攻している文学と、トークをミックスさせた新しいタイプのピアニストが登場するような予感と期待感が広がりました。
音楽愛好家の底辺を広げ、横にも広がりを見せ、なるほど楽しませてくれるような、今までにないそんなピアニストの出現を待ちたいものです。

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じぇじぇじぇ!ばっぱのわかめごはん

2013年04月23日 | 食・レシピ

NHKの朝ドラ「あまちゃん」は、一日のスタートにふさわしい明るい人情ドラマです。
おどろきの言葉「
じぇじぇじぇーー!」がでてくると、ストーリーは新鮮で愉快な展開を見せてくれます。
「じぇじぇじぇ」は今年の流行語大賞になるかも! 明るい「じぇじぇじぇ」がいっぱい増えますように・・・。


そのあとの番組「あさイチ」の舞台が東北の大船渡からでした。
あれから2年、地震と津波の大災害から少しずつ復興を形にしていく地元の人たちの前向きな姿勢に、とても心を打たれました。

そこの三陸わかめを使った地元ならではのレシピが紹介されました。
レポーターの「今までのわかめご飯の中で一番おいしい!」を聞いて、さっそく作ってみたくなりました。
別鍋で味をしみこませたわかめとしらすをご飯に混ぜるだけ。炊き込みご飯ではなく混ぜご飯です。

そうそう、ここ大船渡では、「ばぁーらー」がおどろきの表現です。東北の言葉には温もりがあります。

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★わかめご飯   ♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪

<材料>
 ・米 2合  ・わかめ 50g  ・しらす(乾燥) 30g
<調味料>
 ・水・・・100ml   ・薄口しょうゆ・・・大さじ2   ・みりん・・・大さじ2
 ・砂糖・・・小さじ3強   ・酒・・・小さじ1~2

<作り方>
①ごはんは炊いておく。
②わかめは塩抜きして水気をよくきって細かく刻んでおく。

③<調味料>を全て鍋にいれ、ひと煮立ちさせる。
④上記の鍋にしらすをいれ少し煮て味をしみ込ませ、次にわかめを入れて20秒くらい混ぜたら、すぐに火をとめる。
⑤汁ごと炊いたご飯に入れて混ぜればできあがりです。
レポーターの言葉通りの、本当においしいわかめご飯でした。



★ わかめの白和え  ♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪;;;:♪:;;;:♪

<材料>
 ・塩蔵わかめ・・・50g   ・人参・・・4分の1本   ・クルミ・・・20~30g
 ・豆腐・・・小さ目の1丁   ・塩・・・少々   ・砂糖・・・大さじ3

<作り方>
①わかめは塩抜きして水気をよくきって荒く刻む。 人参は千切り → 湯通し → 水を切る。 豆腐は、キッチンペーパーで水分を切っておく。
②クルミをオーブントースターで軽く焼き、すり鉢で少し荒目にすりつぶす → 豆腐を加え、豆腐の形がなくなるまですりつぶす。
③最後に、砂糖と塩、小さじ1/3の白だしで味付けをし、人参とわかめを加えればできあがり。

今日の夕食は肉なしのヘルシーメニュー。イワシのつみれと白菜を薄味のダシで煮込みました。
卵焼きの中には、牛乳、干しアミ、ほうれん草、砂糖少々、ダシ少々を入れて焼いています。
お吸い物は、残ったわかめと白髪ねぎのわかめ汁でした。

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たかが「おから」、されど「おから」

2013年04月17日 | 食・レシピ

天神ソラリアB1Fにある惣菜と定食のお店「一二味(ひふみ)」は、メインの料理の他に惣菜のバイキングがあります。そんなに豪華な食材ではないけど、なぜか心懐かしい、それでいてちょっとおしゃれ、料金もリーズナブルなお店です。

マイナーな食材と美味さから、がぜん挑戦意欲がわいてきました。舌と目で得た情報から想像して、
さっそく家で作ってみました。「おからぜんざい」です。

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時間がたち過ぎて、抹茶が水分を含んでしまいちょっと色が悪くなってしまいました。

ふだんは見向きもされないおから。ず---っ
と前に、おからのコロッケを食べて以来おからのファンです。
一袋300gで100円と申し訳ないくらいの価格です。一度に100g しか使わないので、次の日はメニューを変えないと・・・。
100円ショップの品は簡単に処分できますが、100円のおからはなぜか捨てられないのです。

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「えーっ!これがおから?」 という驚きのリアクションが楽しみですよo(^-^)o 

中に入れる食材をいろいろ挑戦してみて、やっと満足いくのが出来上がりました。

① おからはきめが細かくて白いのを選ぶ。舌ざわりが断然違います。国産大豆使用のおからです。

② フライパンを熱して、100グラムのおからを丁寧に炒ります。ぱらぱらになったら、とろけるチーズを一掴み入れて混ぜます。

③ 牛乳を100ml ~120ml ぐらい入れて混ぜ、しっとりしたら小豆缶(砂糖入り)の小豆を大匙2~3を入れて混ぜ合わせます。甘さはお好みで。私は小さじ1ほどの砂糖をたしました。味を引き締めるために塩もほんの少し。

④ 皿にのせて、しゃもじなどを使ってケーキの台みたいに形作ります。上に茶こしで抹茶をふるって、飾りに小豆のトッピング。食べる直前にふるのがベストです。

「これ、デザート?」と聞かれましたが、私にもわかりませーん。惣菜に数えてもらった方が、一品助かります。

馬子にも衣装だから、おからにもドレスを!小豆を入れて抹茶を飾ってやると、ちょっとした「外出着」になります。
安くておいしいおからを使いましょうo(^-^)o 

 

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平清盛と聖徳太子のルーツを探って

2013年04月15日 | 本・新聞小説

3月末、テレビ東京系列で「世界遺産“三大迷宮”ミステリー」という、かなりショッキングな、興味津々の番組がありました。

厳島神社から始まる問題提起。厳島神社は水を利用した建物であり、北西向きに建てられており、舞楽「抜頭」はペルシャの踊りであることから謎解きが始まります。
祭神がゾロアスター教からのものだった・・・。そこから平清盛と聖徳太子の関係を探っていくと、聖徳太子のブレーン・秦河勝が登場し、彼らの先祖が同じペルシャ人だというところにたどり着きます。

その根拠になるものを京都、奈良、はては出羽まで足を延ばしつぶさに検証していきます。
★ 厳島神社の高舞台での舞楽「抜頭(ばとう)」はペルシャ人の物語であること。
★ 厳島神社は593年から始まる。
★ 厳島神社の隣にある大願寺は、神仏分離令により、厳島神社から弁財天を持ってきて祭神としている。
★ 推古天皇の飛鳥宮は593年から始まり、聖徳太子は摂政であった。
★ 聖徳太子が活躍した飛鳥の宮は、水の回路をめぐらした水の都であった。
★ 厳島の大願寺と大阪・四天王寺(593年創建 聖徳太子の御霊を慰めるために創建)には、弁財天(ペルシャに起源)、抜頭という共通のキーワードがあり、ペルシャとのつながりがみえてくる。
Photo_2 太秦(うずまさ)にある渡来人、秦氏のゆかりの神社「木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)」には三本足の鳥居の中に祀る神がゾロアスター教と合致する。それは水の中に建てられていた。
★ 秦氏は、山城を拠点にして
織物や交易で莫大な富を築く。秦河勝は聖徳太子の有能な側近として歴史にも名を残す。
★ 祇園祭の山鉾の懸装がペルシ絨毯。代表者も、ペルシャ一帯の文化は祭りの思想に大きな影響を与えたと証言。
★ 聖徳太子の母親、穴穂部間人(あなほべのはしひと)の「はしひと」は「ペルシャ人」という意味。
Photo_4出羽三山神社を開山したのは、聖徳太子のいとこ、蜂子王子で、肖像画は顔は真っ黒で、鼻が異様に高く異相の人である。見慣れた聖徳太子の肖像画は、中国・莫高窟の壁画を真似て書かれたものだという。
★ 厳島神社の社殿とペルシャのペルセポリスの宮殿向きは、同じ北西向き。冬至の南東からの日の出は春に向けての復活であり、それを北西から拝する事はとても重要なこと。

以上のことを整理すると、聖徳太子も平清盛も秦河勝も先祖はペルシャ人で、ゾロアスター教の影響を受けているということでした。

平清盛は、先祖をペルシャ人に持つ聖徳太子にあやかるために、水の中に、北西向きに厳島神社を建てたのではないか…というのが番組の結論でした。

いくつかのキーワードが共通だからという理由でこの説を導くのは、かなり危険を伴いますが、見ている方はなぜかわくわくしてしまうのです。

  

  .:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜:..

ここ
に出てきた「秦河勝」で思い出したのが、司馬遼太郎の短編小説です。たしか秦一族の先祖は大陸から渡来した集団で、帰化人として日本歴史上に重要な役割を果たし名を残した・・・だったような。

Img_1811_2急に、もう一度読んでみたい!秦氏の先祖を確認したい!という欲求がわきてきました。
しかし、その文庫本はもう処分してしまっていて、本のタイトルすら忘れてしまいました。


そこで、検索、検索、検索して探しだしたのが『 兜率天の巡礼 』という短編のタイトルです。
それは「
ペルシャの幻術師」(文春文庫)に収められていることがわかりました。ラッキー!

すぐにパソコンで購入手続き。なんとリユースで48円で出品されているのです。プラス
送料250円で、数日後に手にすることができました。帯までついていて、大切に本を扱っていた前のオーナーの人柄がしのばれます。

 

 *-∞-*-∞   司馬遼太郎 『 兜率天の巡礼 』  ∞-*-∞-*

うだつの上がらない主人公の大学教授は、ある日、長く病床にあった愛妻を失くしてしまいます。従順なその妻が亡くなる数日前に突然に発狂した事からこの物語が始まります。

ある講演会がもとで大学を追われた主人公は、妻のすざましいまでの発狂の原因をさぐるべく、そのルーツを求めて調査を始めると、意外なことが次々にわかってきたのでした。

妻の本家の当主から、「自分たち
秦氏の祖先は、千数百年前にコンスタンチノープルを追われた景教徒のユダヤ人ではなかったか」という衝撃的な話を聞きます。
秦氏がはるばる日本にやってきた経緯と古代キリスト教の一派の景教の東遷について知るべく、異常な執念を持って文献を読みあさるうちに、時空を超えて5世紀のコンスタンチノープルに飛び、教授はネストリウスになり替わります。

5世紀、東ローマ帝国のコンスタンチノープルで宗教会議で敗れたネストリウス派は、キリスト教界から永久に追放されます。コンスタンチノープル、ペルシャ、インドと、遠く東へ流亡の旅に出て再び故郷に戻ることは許されませんでした。

東へ東へと逃げ延びながら、
200年かかってにたどりついたのが7世紀の中ごろ。時の太宗に滞在を許され、キリスト教を「景教」と称し、そこに「大秦寺」を建立するに至ります。( この寺を詠んだ漢詩も残っており、史実であることを証明しています)
しかし9世紀の中ごろ、武宗が過酷で大規模な廃仏毀釈を行なった際に、大秦寺も巻き込まれた形で寺院は破壊され、景教徒たちは永久に歴史の文献から姿を消すことになります。
残されたネストリウス派の人々はまたしても「孤絶の天涯」をさまようことになります。

これとは別に、
景教徒の日本渡来は唐よりもはるかに古く、コンスタンチノープルを東へ逃れ、ペルシャを経て、インドへ入り、インド東岸を離れて中国沿岸地帯をつたいつつ赤穂の比奈の浦に流亡してきたのが秦氏の先祖になっています。
彼らは、秦姓
名乗り、そこに大闢( だいびゃく )神社を建て、境内にイスラエルの井戸「いすらい井戸」を掘ります。「大闢」はダビデの漢語訳で、後には大避神社とよばれるようになります。ちなみに大秦国とは中国表記のローマ帝国のこと。

『日本書紀』には、秦氏の先祖は秦の始皇帝の末裔 功満王の子 弓月ノ君が、山東120県の民を率いて日本に帰化したと明記されていますが、秦氏末裔の当主は、英のゴルドン女史の立てた説によりユダヤ人説を信じています。
秦姓は、「大(ローマ帝国)」の秦であり、
の始皇帝の末裔ではないということです。

秦一族の先祖、普洞王は河内からたけのうち峠を越えてやがて大和に達し、飛鳥のおおきみ(天皇)を訪ねます。これまでの流浪の地と違って平和で穏やかな風土の大和を気に入り、女性を娶りその子孫にあたるのが
秦川勝ということになっています。ようやく信ずべき形で世に現れたのが6世紀のこと。コンスタンチノープルを追放されてから100年を経ていました。

秦一族は拠点を播磨から京都・太秦に移し、養蚕の技術を使って織物で財をなし、川勝は聖徳太子を強力にバックアップし、歴史にもそのに名を残すほどになります。
秦氏が京都太秦に建立した
大闢の社(大酒神社)に、三本足の鳥居ややすらい井戸」にユダヤ人の痕跡を残しています。河勝が建立した広隆寺は、聖徳太子の別墅として献上されました。

旅の最後に、教授が「
兜率天の曼荼羅」の壁画を求めてたどり着いたのが、嵯峨野の上品蓮台院弥勒菩薩堂。秦一族の何者かが建てたという弥勒堂に、その壁画がありました。
薄暗い堂の中で、ろうそくの明かりを頼りに剥げ落ちたしみだらけの壁画の中に妻に似た顔を発見し、自分も壁画の中に入ろうとするような錯乱状態の中で意識を失います。そしてろうそくの火が燃え移り堂は炎上してしまいます。それは昭和22年8月31日。焼け跡から一体の焼死体が発見されたというところで、この物語は終わります。



『 日本の景教の衰微の原因は穏やかで豊饒で美しい山河の日本の風土にある。インドでもシリアでも、肌骨を刺す自然の中にこそすぐれた神は生まれる。自然が人間の肉体をいじめないところに神は育たない。
大和には、個性の弱い、温和な、妥協性に富んだ生活の神々がいて、微笑をもって彼らを迎え入れたため、やがて景教徒はユダヤの神を祀ることを忘れさせた。
100年を経たずして唯一神エホバの神は、日本の神々と同格になり、それぞれ名を変えて各地の神社に素性も知られずに祀られることになった 』
というのを景教消滅の経緯としています。

テレビでは聖徳太子の祖先もペルシャ人ということになっていますが、この小説では、秦氏との関係は『仏陀の徒であった摂政の太子は秦氏が異教の神をいだいていることを暗に知りつつも陽に口を緘していたようであった。秦氏の感謝はかくて政治資金に現れるのである。それにもまして、秦の長者川勝は、この魅力ある怜悧な青年と語れる快感をできるだけ多く持ちたかったのも本心であろう』 としています。

テレビでは秦氏の先祖はゾロアスター教、この本では景教。共通しているのは、「ペルシャから来た」「ペルシャを経由してきた」ということです。まだまだ謎の部分があるところに興味が尽きません。


史実と想像と幻想を隙がないほどがっしりと組み合わせて、読者を引き込んでしまう巧みさに司馬氏の作品の魅力があります。


最近では聖徳太子はいなかったとか、藤原氏の時代に記録を抹殺されたとかいろいろな説もありますが、まだ十分な記録が残っていない古代には、そこはかとないロマンをかきたてる余白の部分がたくさんあり、作家の数だけロマンあふれる小説ができそうです。
それに、日本人のルーツは?自分がどこからきてどこへ行くのか?と、やはり自分の足元は気になるものです。

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和っ!

2013年04月07日 | 食・レシピ

春野菜の甘みが嬉しい季節です。ちょっと変わった新玉ねぎ料理は、市内のフリーペーパーに載っていたもの。 春野菜で和の夕食です。

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① 新玉ねぎ2個は、芯を残して8つ割りにして、色が透き通るまで蒸します。

② 皿に花が開いたように盛り付け、蒸した時の汁も少しかけておきます。

③ 梅干し2~3個の実を包丁でたたき、オリーブオイルを大さじ1、バジル粉、黒こしょう  を混ぜて梅ソースを作ります。

④ 玉ねぎの真ん中に梅ソースを乗せ、カツブシを乗せ、緑を散らせば出来上がり。

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今年は、公園のソメイヨシノも頑張って長めに咲いていました。
500mのウォーキングコースの周りには、30本の大きな桜の木があります。
いつもはソメイヨシノが終わりかけるころに「御衣黄」桜が咲き始めるのですが、まだ十分にソメイヨシノの美しさが残っているときに、待ちきれないように「御衣黄」が咲き始めました。

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7日、日曜には満開で、芯がほんのりピンクに色づいていました。


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日が経つにつれピンク色が多くなっていき、最後は遠くから見たらピンクの桜になります。

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そばのフェンスに掛けられていた説明書き。せっかくの御衣黄を広く知らせたいと、有志の方がわざわざ張ってくださったようです。

 

若いカップルが、「この桜は珍しいね~」と言いながら写真を撮っていましたが、説明書きに気づいて「へぇー、そうなんだ~」と感激していました。

ソメイヨシノは、満開の頃は白に近いピンクですが、日を追うごとにピンク色になって、桜餅の色(?)になるのに気づきました。
散った花びらが花絨毯になっても、足元で日ごとにピンクが濃くなっていきます。
この変化していく様も、ウォーキングの時の楽しみでした。

 

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北九州 「 いのちのたび博物館 」

2013年04月06日 | 美術館&博物館

正式名称は、「北九州市立自然史・歴史博物館」。入館するとよくわかりますが、まさに古生代からの命のつながりが年代を追って展示されていて、子供も大人もわくわくする博物館です。
40年ほど前、北九州の地で、子供の手によって偶然発見された魚類化石。「 いのちのたび博物館 」のスタートにもなる一大発見でした。
10年前にオープンしたこの博物館に、私の情報が不足していました。単なる資料館だと思っていたのです。ところが、ところが・・・!

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入ってびっくり! 広い空間には、巨大な骨のキョウリュウがずーっと奥まで林立していました。

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35mのセイスモサウルスの背骨はまるでジェットコースターのようです。向うに見えるのは有名な恐竜、ティラノサウルスです。

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左:ティラノサウルスの頭部          右:セイスモサウルスの頭部
左の肉食獣、
右の草食獣。あごの骨の大きさも形状も、その違いが一目瞭然です。

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恐竜と言えども、子供はやはりかわいいものです。肉付けはしなくても、母親の後を追いかける姿を想像して思わず顔がほころびます。

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左:モルフォチョウの表側          右:モルフォチョウの裏側
こんな華麗なチョウも、裏の見えない部分は「経費削減」か? 合理的ですね~。

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見事としか言いようのない擬態虫。
トリの真似をしたかった人間は、科学技術の進歩を待って飛行機という形で成し遂げました。葉っぱの真似をしたかった虫は、まさに葉っぱに化けました。いったいどんな「技術」を持っていたのでしょう。
人間と虫。どちらが高等生物なのか・・・。いのちのたびの神秘の部分です。

★ エンバイラマ館( 白亜紀ゾーン )

 

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曲がりくねった長~いトンネルを歩きながら、これから展開する世界に期待がわきます。
トンネルを抜けると、そこは北九州の1億3000年前の白亜紀ゾーン。まるでキョウリュウが生きているかのように繊細に首を動かし、リアルな皺や皮膚の色、肌の感触までが学術的な裏付けで再現されています。



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雷鳴もとどろき、火山の爆発もあります。恐竜たちも不安そうな鳴き声をあげながら体を動かしています。まさにタイムスリップしたような時間と空間です。
子供たちは目を覆ったり、耳をふさいだり、つないだ手に力が入ったりと、臨場感たたっぷり!


歴史ゾーンもありますが、5歳の孫にはやはり自然史ゾーンの恐竜、魚、鳥、虫が面白いようです。

「進化」という言葉も、子供にとっては「ポケモンの進化」でおなじみの言葉。逆に私の説明の間違いを直してくれました。

見たり、触ったり、感じたりと、子供にも大人にも十分に楽める博物館です。すぐそばには、「スペースワールド」もあります。

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またまた簡単料理

2013年04月05日 | 食・レシピ

とりむね肉は脂肪分が少なくヘルシーな食品です。脂肪分の多いモモ肉から切り替えて、レシピもいろいろ工夫しています。
モモ肉のコクのある味に比べると、最初は物足りなく思いましたが、とにかく後片付けが楽なのです。洗う時は、トリの脂も結構しつこいですから。

★ 圧力鍋を
使ったむね肉の料理。自分勝手流で名前もレシピもありません。

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① 輪切りにした玉ねぎ2個分を圧力鍋の底に敷き、冷蔵庫にあったカボスジャムを大さじ2乗せました。
② その上に、とりむね肉2枚(約500グラム)を乗せます。
③ 水100ミリリットル、しょうゆ大さじ2、みりん大さじ2、さとう小さじ1、鶏がらスープの素少々混ぜ合わせて上からかけます。
④ 圧力鍋のおもりが動き始めたら、火を弱めて9~10分煮ます。火を止めて、圧力が落ちてから肉を取り出します。
⑤ 玉ねぎと煮汁をコクが出るまで蓋をしないで煮つめ、それをソースにします。

付け合せのもやしは油を一滴も使いません。
①フライパンにもやし一袋分を広げ、千切りの人参を散らします。
②醤油、水、ダシを混ぜて薄味にして、上からかけてもやしがしんなりするまで、蓋をして煮ます。


たったそれだけです。お皿にもやしを敷いて、とりを乗せ、その上に煮つめたソースをかけるだけです。


★ サケのソテーにたっぷりの野菜ソースをのせました。

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骨を抜いた「ときザケ」の冷凍を使いました。
① 解凍し、サラダ油で普通にソテーします。
② サケを取り出したフライパンにサラダ油を熱し、バターを小さじ1ほど継ぎ足して玉ねぎを炒め、シメジを炒め、トマトと手近にあった茹でブロッコリーをさっと炒めます。塩コショウしてバルサミコ酢小さじ1を入れて味を整え、サケの上にたっぷりと盛り付けました。たったこれだけです。これで4種類の野菜が摂れます。

バターとバルサミコ酢を足すだけで、手抜き料理をごまかせますo(^-^)o 

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春キャベツの「超簡単メニュー」

2013年04月03日 | 食・レシピ

野菜がグンとお安くなりました。お店ごと買って帰りたい気分にかられます。
春キャベツを使ったレシピがちょうど日経新聞に出ていたので、少しアレンジしてさっそく作ってみました。超簡単でおいしかったので、また作ります。

「春キャベツとアサリの土鍋蒸し」ですが、土鍋を持っていないのでタジン鍋で作りました。

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①アサリ400グラムは塩抜きしておきます。(水500ミリリットルに塩大さじ1を入れ、ひたひたにつけておきます)
②マカロニ(またはスパゲッティ)を50グラム茹でておきます。
③キャベツ500グラムはくし形に切ります。
④鍋にキャベツ、アサリ、トマトの順に入れ、酒80ミリリットル、しょうゆ大さじ10ミリリットルを入れ、中火で10分ほどアサリが口を開けるまで蒸し煮にします。
⑤スパゲティを加えコショウをふり、再び蓋をして火を止め、1分ほどそのままにしておきます。

春キャベツの水分とアサリのうまみだけで、他には何も加えなくても絶妙な味がでてきます。
スープが澄んでいるので、お鍋の具が少し残っている段階で、白いご飯にかけて「スープご飯」にするとおいしいです。

「おから」を使って。
おからを炒り、牛乳+水を入れよくなじませます。お酢と砂糖とブイヨン粉末を少し入れて甘酸っぱく味付けをして、とろけるチーズを入れてよく混ぜます。和風のおからとはまた違って、とてもさっぱりとした味でおいしいです。
野菜バイキングのお店で、あまりにおいしかったので真似をしてみました。お店のはもう少しコクがあったので、生クリームが入っているように思いました。

黒い皿の左にあるのは「食べるラー油」。手作りをいただいたもので、「食べるラー油」でこれよりおいしいものを食べたことはありません。大切に食べています。

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