新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

「光る君へ」為時の栄転

2024年05月20日 | テレビ番組
従五位下の官位を受けた為時は「淡路守」の除目を受けた後、直ぐに「越前守」に栄転しました。

何故か?それは、宋人が70人も逗留しているという越前には、漢籍に詳しい父・為時こそが相応しいと、まひろが父に黙って、為時名で申文を提出したからです。(実際は為時本人が漢詩の申文を提出したそうです)

漢詩の申文は「学問に励んだ寒い夜は 血の涙が袖を濡らし 除目の翌朝 無念さに天を仰ぐ私のまなこには ただ青い空が映っているだけ」と。
それが道長の目に留まり「為」の文字が、まひろから送られた文の「為」に一致したのを確認し、まひろの本心を知ったのです。(映像の中では流麗な文字が「春朝」になっていましたが、他の資料では「翌朝」となっています。天皇が読むときにも「よくあさ」でした。まさか書家さんが間違えたのかなぁ???・・・→写本の段階で文字が変わったりしているそうです)

漢詩の申文は天皇の心を動かし、道長の推挙もあり、「淡路守」から」「越前守」へと昇格の国替が除目されました。
大国越前と小国淡路。大国と小国では、格式にも待遇にも雲泥の差があるようです。父が能力に相応しい国司になり、まひろは本当に嬉しそうでした。

為時役の岸谷五朗さんが、抑えた演技で味のある漢学者を演じておられます。越前でも博識を元に活躍されることでしょう。

一条天皇は17歳と若いけれど聡明です。情に流されず伊周兄弟に配流の裁定を下しました。
道長には目障りであった伊周兄弟でしたが、帝が独自の裁定を下したことで、道長はクリーンな立場を維持したまま長徳の変が終わりました。

長徳の変の後、弟・道綱は「中納言」に昇格。道長に忠誠を尽くした藤原斉信が「蔵人頭」から「参議」に昇格して公卿の仲間入りをしました。

伊周兄弟の配流で定子の実家は没落。後ろ楯を失った定子は髪を下ろしましたが、その後は・・・。

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アジサイの「夢手鞠」です。
10年も経つと、本来のアジサイ色が変色してきます。
「青いアジサイ専用の肥料」をあげてもなかなか元に戻りません。


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「光る君へ」 若き公達たち

2024年05月15日 | テレビ番組
道長は右大臣になりました。何かと気疲れの多いことが続きます。
「関白」は陣定(じんのさだめ=公卿の会議)に出られません。道長は公卿たちの意見をしっかり聞くためにも右大臣・内覧のままでいたいと天皇にも明言します。
「今までの関白とは異なる道を歩みたい」という道長の思いを、天皇はしっかり受け止め好ましく思ったようです。この頃の道長は、まだしっかりクリーンでした。

ある日、除目をめぐって若き4人の公達はそれぞれの思いを述べます。
公仁(町田啓太)は、北家のパワーバランスが道長に移ったことで出世レースを降り「漢詩や和歌の世界で生きる。参議のままでいい」と達観しています。
藤原斉信(金田哲)は現在の蔵人頭から参議に上げて欲しいと頼みますが、道長のもう一人の妻・明子の兄の源俊賢(本田大輔)を参議にと考えています。道隆の死によって、道長の方にすり寄ってきましたが、その能力は道長も認めるところでした。
公任は、藤原行成(渡辺大知)の書の能力で女性から公家の裏情報を得て道長の政治に生かすことを進言します。行成は後に蔵人頭に抜擢されます。
こうして道長のブレーンが固められていきます。この四人は、後に「一条朝四納言」として道長に仕えることが、NHKのキャストにも紹介されています。
ちなみに、道長の時代は左大臣、右大臣、内大臣、大納言、権大納言、中納言、権中納言、参議など約20人ほどとか。

この日の放送の一番の明るい話題。ある日、突然にまひろの父・為時が叙爵されました。10年も捨て置かれたのに、なんと「従五位下」です!
五位になったから、これで「貴族」の仲間入りです。国司になる権利も得ました。これが来週の伏線になるはずです。

「藤原」「源」と同じ姓がたくさん出てきます。官位も複雑ですが、少しでもわかるとドラマがより楽しくなります。
  
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種をばら蒔いていたので、ニゲラの花があちこちで開花しました。

怪獣みたいな名前だし、細裂した葉は刺々しくて心に馴染みません。でもブルーのグラデーションは気に入っています。 




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兄弟(道隆・道兼・道長・詮子)の関係)……光る君へ

2024年04月23日 | テレビ番組
前回の「光る君へ」の一場面で、兄の関白・道隆と道長が顔を近づけ、蔓延する疫病対策で語気を荒くして言い争う場面がありました。民に対する考え方や、中宮・定子の御殿建築を税で賄うなど、二人は考え方が元から違っていました。
一条天皇と中宮・定子を取り囲む朝廷の部屋でも、道隆やその長男・伊周は居ても道長は居ません。明らかに兄弟が寄り添っている感じはありません。

道隆の身内びいきは露骨で、19歳の伊周と道長は同じ「権大納言」。少し後の恩赦では、8歳年下の伊周が道長を追い越して「内大臣」に、道長は「権大納言」のままでした。
「内大臣」は常設ではなく、上席の左右大臣を飛び越えて摂政・関白に就くことも可能な臨時の職なのです。

道隆の目には、道長は面倒で小癪な捨て置けない存在になっていました。道長もその初期から兄の中関白家と同調せずに距離を取り続けました。

道長と姉・詮子との関係。詮子が円融天皇の中宮になれなかったときに、皇子(後の一条天皇)を連れて実家に帰っていましたが、その時に道長と信頼関係が結ばれていました。以来、一条天皇の母である詮子は道長に目をかけており、道長を引き立てます。

癖の強い道兼は花山天皇を退位に追い込んだ策謀と実行の人で、非情になりきれるダークな面を持っていますが、自宅に人を招き漢詩や和歌に興じて人望もあったようです。
ドラマでも道長は兄として敬意を払い、兄を支え、道兼は権大納言、右大臣と出世していきます。

正暦元(990年)から長徳元(995年)までが道隆一家の栄華の5年間で、道長、道兼には雌伏の時でしたが、疫病がこの構図を完全に塗り替えていきます。


生きな粉と卵とバナナを使ったおやつです。
 
レンジ600Wで3分で出来ます。



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「光る君へ」第14回から

2024年04月08日 | テレビ番組
990年、兼家(段田安則)一家に大きな変化がありました。この夏兼家は他界しますが、その前に様々な手を打っていました。道隆(井浦新)の娘定子を入内させ、道隆を「関白」、更に「摂政」にします。
兼家の死後、道隆の権力欲は大きく膨らみ独裁が始まります。

今日の道隆と道長(柄本佑)のやり取りに重要な場面がありました。
道隆「定子(高畑充希)さまを中宮にする」
道長「えっ?円融院(板東巳之助)の遵子(中村静香)さまが中宮としておられますが・・・」
道隆「中宮の遵子さまには皇后にお上がりいただき、定子さまを中宮になし奉る」

この事は歴史上でも大変なことで、分かりにくいので山本淳子さんの本から要約します。
制度上「后」と呼ばれる地位は三つあって、中宮(皇后)と皇太后と太皇太后を言います。后の地位は独立していて、天皇の代替わりや死により「后」が代わることはなくそのままです。
新しい中宮が立てられる時とは、「后」である3人の誰かが亡くなるなど空席ができた時しかタイミングはありません。
そこで道隆は、中宮に「皇后」という別称があることを利用して、「中宮」と「皇后」の二つに分けます。今の中宮を皇后に、定子を新中宮として立后させたのです。
これ以来「后」は異例の四人体制となっていきます。そして後に、道長も同じ手段を使います。

この「立后」を事を「聞いたことがないと」驚く藤原実資(秋山竜次)は、有職故実に詳しく学識のある公家です。
実資は道長の又従兄弟で、藤原北家の嫡流の矜持と莫大な資産を有しています。
実資から見れば道隆や道長は分家筋にあたるのですが、道長の栄華の中でも常におもねることはなかったそうです。
実資が60年以上も書き続けた漢文日記『小右記』は有名で、現在一級資料として扱われています。

「光る君へ」をBSの6時から観るために、夕食は作り置きを利用しました。
キーマカレーを解凍して。冷凍したホウレン草をミキサーにかけてポタージュに。肉じゃがはたくさん作り置きしています。




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―光る君へ― 道長『妾ではだめなのか』

2024年03月25日 | テレビ番組
まひろと道長の訣別シーン。ストーリーの繋ぎ方がいいですねぇ。
まひろに『妾ではだめなのか?』と詰め寄る道長。
正義感があり、打算のない恋愛をしているつもりの道長の本心が出ました。
『男(おのこ)は女柄(めがら)なり』が道長の頭にあったことは「栄華物語」にも出ているようです。
山本淳子さんによれば『兼家の家において、血統のよい家に婿取りされて自分の〈格〉を上げようという考えを持ったのは、末子の道長が初めてなのだった』とあります。道長は野心家だったのですね。

先ず、姉・詮子の薦めで醍醐天皇の孫という高貴な宮・明子を最初の妻にします。
継いで、左大臣・源雅信の娘の倫子に求婚します。
「源氏」は血統が天皇に近い高貴な氏族で、臣下の「藤原氏」とは血が違うのだそうです。
だから最初、雅信はこの申し出を一笑に付します。しかも兼家がクーデターで花山天皇を退位させ、孫を即位させて摂政に収まるという野心にまみれた下品な一族は問題外でした。

しかし倫子は道長に心引かれていました。母・穆子が全面的に倫子をサポートし雅信を説得したので、道長は遂に土御門殿の婿入りに成功しました。
「政界トップの摂政の息子が源氏の重鎮である左大臣の婿になる」、この結婚こそが道長の望月に繋がっていくのです。


兼家役の段田安則さん、雅信役の益岡徹さんの心の機微の演じ方が素晴らしいですね。

💠💠ブルーベリーの花💠💠

今年はどのくらいの実が付くか楽しみです。





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麦4割の黒大豆ご飯 & 生きな粉菓子

2024年03月19日 | テレビ番組
きな粉を早く使いきりたい!そんな時に取って置きの簡単レシピを発見。きな粉とハチミツと豆乳と塩ひとつまみをよく混ぜて、ラップで四角くピッチリと包み、冷蔵庫で冷やすだけの一口菓子です。
麦4割と極小黒大豆のご飯。ポロっとして味のあるご飯は体にいいと主張しています。
白いソースは、ヨーグルトにおろしニンニク、オリーブ油、塩少々を混ぜたものです。
夫の骨量が減少しているからとクリニックからもらってきたレシピからです。
私と同じのみ薬を処方されていました。

「ブギウギ」もあと少し。演技過剰も大阪弁だと妙に納得できます。テーマソングも音楽も活気があるし、その早いリズムに慣れてくると終わるのが惜しい気がします。
誘拐事件は事実だそうです。ラジオのトーク番組でいっていました。
スズ子のリビングで、後方に見える房のついた安手のゴブラン織。あれを見て直ぐ何か分かる人も少なくなっているでしょう。あの中はテレビです。
昔のテレビは、購入時にあのようなカバーの付属品が付いていました。
大道具小道具もドラマのうち。ストーリー以上に共感している人も多いでしょう。




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『らんまん』の『解体キングダム』

2023年07月13日 | テレビ番組
今朝の『らんまん』。長屋の女性5人が丸太を持ち「それいけーっ!」と、仕切りの土壁を目指して突き進む!壁をぶち抜く!
万太郎が石版印刷機を据え付けるために長屋の改装に踏み切ったのです。

大きな壁の穴から見えた表情には、江戸の女性の気っ風が溢れて爽快でした。

壁を壊す・・・、これと同じ光景が昨夜のNHK『解体キングダム』で放送されました。私のお気に入りの番組です。
ホテル解体のために、100tの巨大重機で、30mの高さにあるコンクリートの壁を、10m×4mのパーツに分けて地上に下ろすというものです。
高層ビルの解体には「階上解体」と「地上解体」があります。前者は最上階に重機を運び上げてから、1階ずつ下に向かって解体していきます。この時の放送もあり得ないほど見事で感動しました。
後者は重機を地上に据えて解体する方法で、40mのアームを伸ばして作業をします。これくらいのビルは地上解体の方が日数が少なく経費も安くなるそうです。

横はマンションや駐車場という市街地ゆえに、振動や音を最小限にするために「三角倒し方法」をとります。
ピンポイントで2ヶ所の表面のコンクリートを剥がし、内部の鉄筋を溶断したあと、左上の箇所をつかんでゆっくり引っ張ります。
重機からは、遠すぎて細部が見えないので、壁の近くにいる人が上下左右を細かく指示し、連携プレーで壁は前方にゆっくり倒れてきます。・・・といっても熟練のオペレーターの息を詰めた作業が続きます。

700組の結婚式に使われたホテルでも、コロナの影響でついには解体を決意せざるを得なかったという辛い選択があったのです。

入念に作り上げた建物を、40年も経てば今度は入念に破壊する。ここに使われたエネルギーの量を思うと、何か理不尽な世の中だと思ってしまいます。
NHK+で、見逃し番組を見ることができます。





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『どうする家康』

2023年02月20日 | テレビ番組
大河ドラマもすでに7回を終わってしまいました。ずっと楽しみにしていた大河。なのに今度はどうにも話の波に乗れません。
この日のために司馬遼太郎『関ヶ原』『覇王の家』、火坂雅志『天下』をしっかり読んで備えたのが、かえって邪魔したような・・・。

世間にはこの家康像が出回り、だからあまりにもかけ離れた今度のドラマの家康像に戸惑っているのです。

そういえば、たぬきおやじのイメージを破る肖像画を見て、その意外性に少しイメージを変えたのを覚えています。

この大河ドラマに対して「アンチ派」の苦情が出ているそうですが、番組の時代考証担当が論破されている記事を読みました。
『歴史研究者は一次資料(日記、書簡、公文書)しか信用しない。しかしそれでは人物像は何を考えていたのかは一切わからない。だからこの部分を、後から家康の家臣らが綴った『三河物語』や『松平記』などの二次資料から言葉や性格、決断などを拾って肉付けしていく。そもそも大河は史実ではなくフィクションです。
一次資料にない部分は当時の常識から逸脱しなければ、自由に脚色していい。あくまでも史実を言うのであれば、大河ではなく「歴史探偵」を観ていただければよい』ということです。それに、毎月新しい資料が発見されるそうです。

なんだか自分の心を見透かされたようで恥じ入りました。そうなんだ・・・フィクションとして観ないといけないのだ。紙の活字を目にするとそれが実像と思い込む愚かな自分がいました。だから「歴史探偵」は面白い!とても興味深く見ています。


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『舞いあがれ!』と映画『ウォール街』・・・似てる

2022年10月31日 | テレビ番組

今日はハロウィーン。突然の圧死で命を落とした韓国の惨事に心が痛みます。今夜の日本では冷静さを持って楽しんでほしいと思います。

朝ドラ『舞いあがれ!』、先週は大学生のお兄ちゃんの登場。就活がうまく行ってないのではと心配しいた家族の元に、大企業の内定を持ってきました。
喜ぶ家族を前に「3年で辞めて後は投資に専念する、大学3年間で2000万円貯めた、指1本で億稼げる人間になる」と口にします。
東大阪で誇りを持って物づくりに励む父親は「無いものを作り出す、人を笑顔にする、お前には夢はないのか?」と。
息子は「金稼ぐ、働く目的は他にある?」と話は噛み合いません。
そういえば21世紀のはじめはホリエモンのこんなニュースが話題になりました。 

この放送の数日前に映画『ウォール街』が放送されました。
航空会社の飛行機整備工の誠実な父親と証券会社に勤める息子もお互いを認めあえません。息子はチャーリー・シーン、父親は実の父親でもあるマーティン・シーン、伝説の投資家にマイケル・ダグラス が演じます。これがすごい!
父親の「自分を誇れる人間になれ。財布の大きさで人を測るな。あぶく銭を求めず物を作れ」を聞き入れないままに、息子は上昇思考だけを追求して危険な道にはまっていきます・・・。

ドラマと映画の奇妙に一致する父親と息子の会話がずっと心に残っています。これはストーリーのひとつの伏線になりそう・・・。

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『鎌倉殿の13人』の中の慈円

2022年09月27日 | テレビ番組
第37回「鎌倉殿・・・」で後鳥羽上皇が似顔絵を描くシーンがありました。なかなかの腕前です。そこで描かれたこの似顔絵。

これを見て吹きだしたのは平賀朝雅で畠山一族を滅ぼす原因を捻出させた張本人です。時政とりくの娘婿であわよくば将軍にも・・・という役どころです。
そして、この似顔絵は「慈円」で仏教界の頂点・天台座主に何度も返り咲くほど人望厚いお坊さんです。

ドラマの中では山寺宏一さんが演じます。
慈円の書いた『愚管抄』は、中世でも最も重要な歴史書と高く評価されています。兄が摂政・関白の九条兼実(田中直樹役)とあって政治にも深くかかわっています。歌人としても有名です。

今回のドラマは『吾妻鏡』をもとに書かれているようですが、これは北条氏側に立つ記述で客観性に欠けているといわれています。それに対して『愚管抄』は朝廷側から見たものです。

その慈円が案内役を務める「ゆる~い本」が『眠れないほど面白い吾妻鏡』板野博行著。『吾妻鏡』をところどころ訂正しながら進んで行きます。
これを読んでから関係小説を読むととても理解しやすく、人物相関図の絡み合った糸がほぐれてドラマもわかりやすいです。

若き頃、試験のためにだけ丸暗記した無味乾燥な「慈円、愚管抄」にやっと枝葉が付き始めました。彼がこれから朝廷政治にどうかかわっていくか期待しています。

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『ちむどんどん』、今日の顔ぶれがいいね👍

2022年09月15日 | テレビ番組
やっと再開にこぎ着けた沖縄料理の店「ちむどんどん」、繁盛している1か月後の客のなかに「見ぃつけたー」の人が二人いました。

開店初日雑誌片手に来た客は帰りがけにぼそっと「美味しかったよ」。
1か月後、その客が連れてきた客がジョン・カビラさん。このドラマのナレーターです。あきさみよー!!
その相席にちらりと大竹まことさん?と思う客がいて、字幕を遡ると川平朝清さん、カビラさんの父親です。 

放送界で活躍した経歴の持ち主でやはり沖縄復帰を記念して沖縄にゆかりの深い人を登場させたのでしょう。
「にぃに」もやっと落ち着いて、最終回に向かって明るい展開になっています。
「暢子」の頬がこけて、ドラマの長い撮影のなかで、座長として心身の消耗が大きかったのでしょう。
演技力は評価されても、ストーリーの展開で人気がでなかったようで、陰ながら応援していました。きっとこれから巻き返していく予感です。
美しい沖縄の風景に朝から心をなごませてくれて、毎朝楽しみに見ていました。



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家康は清和源氏との繋がりが必要だった

2022年08月05日 | テレビ番組
「ハヤシソン!」という面白いテレビ番組があります。歴史の偉人の子孫を調査し、偉人の隠れた一面を発掘していくバラエティ番組ですが、林修先生を登場させることにより深みのある番組になっています。

今回は、尾張徳川家初代·義直が家康の死後に作成したという16mにも及ぶ「御系図」が紹介されました。

尾張徳川家のお宝が厳重に保管されているお蔵から取り出されたものでした。初代義直が家康の死後に作成したものです。

清和天皇まで遡る清和源氏からの繋がりが書かれ、徳川を武家政権の正統だと示すものです。

丁度、来年の大河ドラマに備えて火坂雅志『天下 家康伝』を読み終えたところで、その始まりの部分に「松平家康」から「徳川家康」に変わるくだりが出ていました。
若き家康は守護職·三河守任官を朝廷に申請していましたが、松平家から三河守が出た前例はないとすげなく断られていました。三河国の支配を強化するために守護職の権威を望んでも、松平姓をのままでは守護職を得ることは不可能でした。

そこで動いたのが家康が懇意にしている京の商人·茶屋四郎次郎。五摂家の近衛前久や神祇職·吉田兼右に積極的に働きかけを行います。
『その結果、吉田兼右が元は清和源氏の新田氏につらなり、藤原氏にも通じるという徳川家の系図を見つけ出し、その端に家康の名を書き加えることで、ついに叙任が認められたのだった。系図の偽造ではあるが、当時はさほど珍しいことではない。以後家康は松平姓を捨て、徳川家康と名乗ることになる』と明快ないきさつが書かれています。

それが1566年12月。朝廷より「徳川」の姓をたまわり、従五位下三河守に叙任されたことで、名実ともに三河国の支配者となり、領内支配に自信をつけた家康は大きく一歩を踏み出すのです。
松平家は武士の名門源氏、平氏につらなる家柄ではなかったのが、巧妙に頼朝と祖を同じくする清和源氏に「挿入」されたのです。家康は終生「吾妻鏡」を手元に置いていたそうです。

歴史とは面白い!  
もう少し若い頃、歴史小説も大河ドラマもオジサンのものだと避けていましたが、60代になってから突如その面白さにはまりこみました。この面白さに出会わなかったら、老後の時間をどんな風に埋め合わせていたのだろう・・・。






 


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13人の権力闘争の始まりは「忠臣は二君に仕えず」

2022年07月30日 | テレビ番組
結城朝光がうっかり言葉にした「忠臣は二君に仕えず」。それを大きく捉えた梶原景時は将軍に讒言します。
朝光からその苦境を聞かされた実衣は「私が何とかします。大丈夫」と。

その数日後、日頃から景時に不満をもった御家人66人の連判状を将軍頼家に提出します。

頼朝、頼家に絶大な信頼を得ていた景時でしたが、頼家はあっさりと排除する決断を下します。その時の景時の驚きと悲しみ。無言の表情の獅童さんの演技が素晴らしかった!
かつて絶体絶命の頼朝の命を助けた景時のあっけない終焉でした。

これは幕府の舵とをりを誰がするのか、御家人の血で血を洗う抗争の始まりです。13-1=12。鎌倉殿の裏で何が行われていたか、三浦義村や義時の顔も出てきました。

頼朝と同様に女性に対してだらしない頼家は、こともあろうに安達景盛の妻に心を寄せ略奪を図り、それを認めない安達盛長·景盛親子を討とうとします。その横暴ぶりは政子によりいさめられます。政子強し!
この場面は権力をかさにきた頼家の暗君ぶりを描くために本にもよく出てきます。

頼家と12人。プラス影で暗躍する武士。鎌倉殿はこれから荒れに荒れます。

そうそう、この後、結城朝光は80数歳まで生きて活躍します。政子のお陰です。







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«落ち穂ひろい» 実は穏やかな絵ではなかった····

2022年07月02日 | テレビ番組
林先生の「名画ミステリー」を録画予定でしたが忘れていました。でも大丈夫、お助けアプリがあるのです。

解説は山田五郎さん。ぶらぶら美術館でもお馴染みですが、とても分かりやすいのでずっとファンです。

この中で目新しかったのが、フェルメール«窓辺で手紙を読む女»の修復で後ろの壁に浮かび上がったキューピッドの画中画。それがなぜ消されていたかについてでした。
それは売買の段階で「売れない画家フェルメールの絵ではなく、国民的な画家だったレンブラントの作品に見せかけて高額で売りたかったから」というものでした。
現地ドレスデンで見たこの作品にはキューピッドはありませんでした。
修復された絵を見て背景が賑やか過ぎ、余白の美として修復されないほうが良かったのに・・・。
でもフェルメールには「恋文」の意図があって描いたもの。消されていた部分が表れてきっと喜んでいるでしょう。

ミレーの«落ち穂ひろい»はソフトな色使いと農婦の穏やかな雰囲気が伝わって私の好きな絵のひとつでした。
オルセー美術館で感動したし、近くの美術館で開催された時のバスカードが残っています。

···が~、実はこれが穏やかな収穫風景ではなく悲しい状景だったのです!
1948年の2月革命の年に製作されたミレー«箕をふるう人»は、農民を生き生きとリアルに描写したことが、革命と結びつけられて高く評価されました。
これがもとでミレーは単なる農民画家ではなく、歴史画家としての夢も捨てきれないでいたのです。

麦畑の「落ち穂」は刈り入れで落ちた穂ではなく、キリスト教の教えでもある「意図的に」残された穂、福祉の一貫として落とされた穂だったのです。
3人の女は夫や働き手を失ったかわいそうな人たちで、恵みのために落とされた穂を集めていたのです。背景の刈り入れ風景には、働く人や馬に乗った管理者も描かれています。

ミレーは「ただ農民を描くのではなく、キリスト教の教えを埋め込むことで、歴史画家としての一面ものぞかせる」という手法をとったのです。

紹介された8作品のうち唯一実物を見ていないのがムンク《叫び》です。
強烈な印象を残すこの作品は、「叫んで」いるのではなく、実は「耳をふさいでいる」のでした。

過去に妹や母の死に直面したことから死への恐怖心、女性関係にだらしがなかったムンクが必要以上に女性を恐れていたこと、このことで常に不安を抱えており、「自信の心の中の叫び」「自然を貫く果てしない叫び」にさいなまれていました。その叫びから逃れようと耳をふさいでいたのです。
叫ぶとふさぐは全く逆ですが、この色とタッチと構図には、見ている方が不安になるほど強烈な印象であることには変わりません。

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今日のおやつは昨日作ったギモーヴです。


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「鎌倉殿」の 範頼と丹後局

2022年06月26日 | テレビ番組
源範頼、「いい人」の結末は悲しいものでした。
範頼に関する知識が少しあったので、登場当時からあまりにぴったりのキャストに最期を思うと心がうずきました。幽閉されてもなお兄頼朝のことを気にかけていましたねぇ。「鎌倉悲劇」のひとつです。
大江広元が範頼をかばうかと思いきや起請文に難癖をつけて、ここもイメージが大きく崩れました。

数年前まで、頼朝の知的でイケメンの肖像画にすっかりイメージを作りあげていましたが、何とあの肖像画は足利直義ではないかという説が出てかなりショックでした。

少しでも鎌倉政権を脅かすものを次々に消していく冷酷さに、頼朝の人物を計りかねません。不安材料を全て潰していく手法で武家政権を確立しましたが、人の心を読めなかったことが源氏を三代で終わらせたのでしょうか。
頼朝が横目で義時を斟酌するときの表情、歩いていく後ろ姿の孤独感、大泉洋さんの頼朝役はうまいですねぇ。

舞台は京都、政子と大姫を前にした丹後局の言動は圧巻でした。美しさと醜さと。

公家の優位性を見せつけ「東夷」と見下した京香さんの表情、美しさの裏に潜む本性をむき出しにした演技に息が止まりました。
それを受けた政子を演じる小池栄子さんの、恐怖心と悔しさに耐える大きな目の演技も素晴らしかった!
丹後局の品格を備えた権力欲はこれだけでは終わらず、今後の動きに目が離せません。
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