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新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

ある詩より ーー母への思い

2019年01月23日 | 母のこと

同じ古文書のサークルの方の小説「ほくろ」が載っているということで「九州文学 第44号」を入手しました。
それよりも表紙を開いて先に飛び込んできたのは『置いてきた』という松野弘子さんの詩でした。衝撃的で心のなかで号泣・・。

  ~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜

『置いてきた』 松野弘子

    置いてきた  
    病院のベッドに   ただひとり
    胎児のように縮こまる 白髪の母を置いてきた
    見知らぬ人達の中に 置いてきた
    目も開かず 口を開けたまま
    たったひとり 置いてきた
    今ごろは ひとりぼっちの夜の底

      ~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜


「置いてきた」というぶっきらぼうな言葉の中に、作者の、娘としての母に対する深い愛情、自分の孤独、どうしようもない現状、懺悔の心の痛みを自分の心と重ねて辛すぎる詩でした。

母の三年忌を終えた今も、なお私の心に引っ掛かるのは母の最期の虚ろな表情です。
何度も旅した仲良し母娘4人ですが、旅の楽しい記憶よりも、介護施設や病院での表情ばかりが胸を去来します。
『置いてきた』という赤裸々な言葉はグサッと胸を刺しました。母の老後生活を正面から見るのが怖くて目を背けようとしていた自分の心を、この言葉が容赦なくえぐり出したのです。

92歳まで独り暮らし、それから介護施設と病院での5年間。母の元をたびたび訪れることで自分を肯定しながら自分だけを見つめ、母の心をないがしろにしていたのです。

気丈な母は「娘たちにはそれぞれの生活があるから」というのが口ぐせでしたが、きっと孤独だったと思います。その現状をどうにか出来たという自信は無いものの、とにかく正面から受け止めないできた私の心に刃は的中したのです。

置いてきたんだ・・・。間違いなく置いてきた・・・。よどんでいた私の心の澱をすくい取ったかのように強い言葉はショックでした。しかしこの正直な言葉に私は救われた思いです。何かに正面から刃を突きつけて欲しかったのかも知れません。ふしぎに清々した気持ちが残りました。

台所に立つとき、ひとりで静かな時間を持ったときに、この詩を口ずさんで、また泣くでしょう。
文学は強いメッセージを放つものですね~。

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両親の法要

2018年10月04日 | 母のこと

母が亡くなってからもう三回忌を迎えました。亡くなって暫くは複雑な諸手続で忙しく、一段落すると寂しさが募ります。
要介護になっても、「生きている」というその存在が私の心のより所になっていました。今、命の重さをかみしめています。

私たち3姉妹はみな家を出て、誰も帰ってくる当てがなく家は売却処分。今は池も大きな庭石も庭木もきれいに取り払われていました。
ドラマの映画でよく見るような「実家に帰らせていただきます!」の名台詞を吐くこともなく、懐かしの家も役割を終えてしまいました(@_@)
今回、父の17回忌を少し早めて一緒に執り行いました。二人とも長命だったので法事に出席できる状況の両親の兄弟姉妹はいません。

法要の読経も二人に別々のお経を。その一つがお坊さんの考えで観無量寿経でした。
法要が済むとお坊さんにも出席いただいて和やかな会食になりました。食事の時も「阿弥陀三部経」の話で盛り上がりました。毎回お坊さんとこんな話ができるので3姉妹夫婦はお坊さんにとても敬意を表してるし、親しみを持っています。
京都仕込の板前さん。さすが美しいです。

土瓶蒸しに秋を感じます。
  秋色満載!            


器が季節にピッタリ。四季毎にメニューと器が違います。

イチジクの天ぷらが好評でした。美しくて食べるのがもったいない・・・。

真宗大谷派はあまりルールの細かい事を言われないのでプレッシャーがありません。デザートはバイキングスタイル。沢山頂いて久しぶりに会話が弾みました。

集まることが大好きだった両親が、こんな和やかな集まりを一番喜んでいると思います。

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留守の間に・・・

2013年03月16日 | 母のこと

介護施設に入所している母が少し認知症状もでてきており、しきりと家を恋しがります。
92歳までしっかりと独り暮らしをしており、友人知人かつての教え子などが集まってきていた楽しい生活が今も忘れられずに、また独り暮らしをしたいと言い張るのです。家に帰ればその楽しい生活が再現できると錯覚しているのです。

2011年小脳出血、大腿四頭筋部骨折で、入院、リハビリ、入所を繰り返し、自宅でも常に見守り状態で介護するように指示され、そのためには付き添いが必要になりました。かねてから抑え込んでいた不安が的中しました。すでに3人の娘たちは嫁いで、母はずっと一人暮らしだったのです。
いろいろ話し合って介護施設のお世話になってから、はや2年が過ぎました。私は月に5,6回、隣市に住む妹もしばしば訪れるし、姉も冬と夏に1か月単位で帰省して施設の母を訪問しているのですが、それでは満足できず自宅が恋しいばかりのようです。その心の内がよくわかるのですが、それを気づかないふりしている自分の心が辛いのです。

自宅の鍵を持ってきてと電話までかけてくるようになり、とにかく一時帰宅を
させて母の心を穏やかにしようと、2泊3日の一時帰宅を計画しました。
静まり返った部屋を掃除し、寝具類を長時間乾燥機にかけて、人が生活できるように清潔さを取り戻すのにストレスがかかります。

昨年12月には1泊だけの一時帰宅をしました。その時のアドバイスは常に部屋を21℃に保ち、風邪をひかないように、常に目を離さないように、ということでした。
夜中にも3台のエアコンを稼働させっぱなし、3度のトイレに付きそいます。その都度、施設の介護士さんの大変さを思い感謝の念でいっぱいになります。
今回もちょど寒波が来た時で、寝室は23℃にして、風邪を引くことなくすみました。

今回の一時帰宅3日目。もう施設には戻りたくないと言い出すのでは・・・と不安でしたが、2泊3日の自宅生活を心から喜んでくれたし、独り暮らしは無理なことも認識できたようです。

パフで顔を軽くおさえ紅をさし、後ろを向くことなくしっかりと戻っていきました。その笑顔を見ただけで、帰宅させてほんとによかったと思いました。
気丈な母は、娘にはそれぞれの生活があるからと愚痴を言いませんが、母の心が100%幸せではないと推し量ると胸が詰まり、あえて見ないふりをしている自分の冷淡さをののしりたくなりました。
施設に帰ってもまた、同じように帰りたいということでしょう。

それでも娘としての義務を果たして、心も晴れやかになって帰宅すると、花たちはいっせいに花を咲かせていました。寒波の中にも、後戻りをすることのない春の陽射しを確実に感じとっているのですね~。

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庭に咲いたクリスマスローズ

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こぼれダネのポピー                

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 ムスカリ      アネモネ

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花茎の短いチューリップ   花カイドウ

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ブルーベリー        シクラメン

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西洋サクラソウ と こぼれ種のポピー

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母の入院

2011年02月21日 | 母のこと

Cimg6788 92歳で一人暮らしをしていた母が入院してしまいました。小脳内出血です。子供たちに迷惑をかけまいと強気で頑張っていることに安心し、高齢なのに心身ともに健康な母を「娘孝行な母親」とか言って誇りに思っていました。

老後のあるべき生き方として過大に評価していたのかもしれないし、いつかはこういう日が来ることを正面から見つめることが怖くて目を背けていたのかもしれません。そんな心の片隅を冷静に見つめては落ち込んだり反省したり後悔したりしています。

夜中に具合が悪くなる数時間前にはきちんと日記がつけられていました。でも最後の一行に列のゆがみと文字の乱れがあり、倒れる前兆があったことを目の当たりにしてショックを受けました。日記をさかのぼれば、昨秋に2,3か所同じようなところが見受けられました。

この冬はことさら寒さがつのり、複数のリモコンで各部屋を温度調節をするのは92歳には酷だったのかもしれません。できる限りの環境に整えてはいたものの、誰かがそばについておれば・・・。そんな後悔にさいなまれています。

現在は、脳外科病棟の明るい部屋でリハビリも始まりました。計算力や記憶力のテストは大丈夫ですが、立ったり歩いたりすることは介助なしではできません。ベッドの上では食欲もわきません。

       .:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜

入院して20日過ぎました。二日ぶりに病院に行くと表情も顔色も驚くほど元気になっていました。やっと食事がおいしくなったとのこと。昼食も8割ぐらい食べました。

今までのご飯の量があまりにも多すぎて、それを見ただけで食欲がそがれるので減らしてほしいとお願いした後から食欲が出たとのこと。食欲は見た目からとは健康人すらそうですから、ベッドの上では些細なことが改善の突破口になるようです。

今回はひょっとしたら寝たきりに・・・と覚悟していたけど、思いのほか回復が早く、今日は介助つきでトイレにも行きました。カレンダーを見ながらしっかりと日付けを覚える努力をしています。

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8日間の母との生活

2009年05月28日 | 母のこと

 母が白内障の手術をしました。今は手術も日帰りの時代になっています。右目は6年前に手術済みだったので、残る左目の手術でした。いつだったか眼科と脳外科は、飛躍的に医学が進んだと聞いたことがあります。繊細な眼のことなのに、本当に進んだものだと感心しました。

 手術は15分ぐらいで済みますが、検査や点眼で前後3時間ぐらいかかります。帰宅後は一日4回の3本の点眼と飲み薬、防護眼鏡の着用、術後2日間の検査通院など90歳の母一人ではやはり心細かったと思います。1週間後の検診を無事に済ませて8日間の看護兼手伝いから帰ってきました。3日の予定が8日に延びたのは、1週間検診までは付き添うべきだという夫からのありがたいメールが入ったからです。

200905251722000_2 8日間も母と二人で生活することはなかなかなかったので、いろいろな発見もしました。母が昔から日記をつけているのは知っていました。ずっと大学ノートを使っていたので、あるときから姉が3年当用日記をプレゼントして、もう10冊にもなっていました。

 縦に1ページ分、同じ日の3年分の日記が書けるようになっています。もちろん曜日は違ってきますが、去年の5月27日は何ををしていたかがよくわかるし、3年前のこの日・・・となるともう懐かしさがこみあげてきます。1冊に3年分の自分の記録が書き込まれるのです。

 3年当用日記だから、(3年分×10冊)で30年間分の日記がこの中に凝縮されているのです。大学ノートも加えれば、まさに母の半生の歴史でもあるのです。

 母と二人で日記を積み上げて見ていたら、面白い出来事を発見しました。1979年1月1日「イラン在住の婦女子の帰国命令が正式に発表されたと、テヘランから国際電話が入る・・・・」、1月2日「さっそく部屋の大掃除をして、部屋の割り当てを考える・・・・」、1月5日「成田に到着・・・・」、1月7日「無事到着して孫たちの無事な顔を見た・・・・」、1月8日「やっと落ち着いて正月らしい日を迎えた・・・・」

 テヘランに駐在していた姉一家が、イラン革命の勃発で急きょ実家に引き揚げてきたときのことです。降ってわいたような「珍事件」に、母は孫の学校のこともあるので大変な出来事だったのでしょう。私はもう結婚していたので、詳しい事の顛末は知りませんでしたが、こんなことがあったのだと感無量でした。

 白内障の手術後も、早く日記を書かないと忘れてしまうと気にしていました。私が帰る頃には、やっと日記が全部埋まったと安心した様子で、習慣というものは、体と心と日常の中にしっかりと根付くものだと感じ入りました。

 日記の扉には、毛筆で「尊厳死を望みます。」と書いた紙が張り付けてあり、氏名に印鑑が押してありました。子供としては心中複雑なものがあります。現在の日記帳は2008年から2010年までの分です。いつまでも書き続けてほしいと思いました。

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湯泉と焼き物とお茶の町・嬉野

2009年01月10日 | 母のこと

7回目の父の法要を終えた後、母と私たち娘3組の夫婦計7名で1泊旅行をしました。行く先は湯の町・嬉野です。

028_2佐賀で途中下車して佐賀城本丸歴史館へ。天守閣が物見櫓と権力の象徴なら、本丸は藩主が政治を行い生活する場所。その本丸御殿の復元が2004年8月に完成していました。

本丸の復元としては日本で最初、木造復元物としては日本最大規模。建物ばかりでなく、ここでは名君鍋島直正の藩政改革、人材育成、近代科学の発達などの貴重な資料がわかりやすく展示され、ボランティアの解説付きで興味深く見学しました。近代の黎明期に名だたる優秀な人物をたくさん輩出した佐賀の誇りが静かに輝いていました。すぐ隣の県のことなのに、うかつにも本丸復元の貴重な情報を見逃していました。合計4時間、納得するまで満足するまで観て回りました。

嬉野の老舗旅館大正屋の美しい庭に面した部屋に入ると、すぐに和菓子とおうすが供されて、正座してしっとりした気分に浸りました。嬉野茶の産地とあって、お茶へのこだわりが優雅なサービスになっているのです。ネットでの評価に違わず、おもてなしの心が嬉しくすっかり気に入りました。90歳の母のために準備された花束にも感激です。

Photo_5Photo_4温泉博士から、科学的根拠を指して『三大美肌の湯』のお墨付きをもらっただけあり、独特のとろみがある泉質は、確かに肌に心地よく美肌美人の気分になってしまいました。少し離れたところにある露天風呂にも行き、お肌はつるつるつる。重曹泉のためか浴槽にも湯の結晶はなくて、お湯は透明で浴室も清潔です。

朝食には嬉野名物の「温泉湯豆腐」。ここの温泉水で煮込んだとろとろの豆腐と白く濁ったスープを特製のタレでいただきます。噂ではネットで販売している大正屋の温泉湯豆腐の年商は、なんと1億円だそうです。 日本人はどうも「とろとろ」の響きと食感には弱いようです。もちろんおいしいですよ!


048_2車で30分のところに磁器の町・有田があります。伝手があって人間国宝中島宏氏の弓野のご自宅に行くことができました。日本文化の良さをすべて凝縮させたような静かで優雅な家の作りと庭。作品にも庭の木々にさえも、品格のある中島氏の芸術感覚がしのばれました。 写真右の真ん中奥に見える木が柞(ユス)の木で、その灰を媒溶剤として釉薬に用いるのだと奥さまが説明してくださいました。

Manji_3054_3有田には、中島氏の他に14代酒井田柿右衛門氏(写真左)と井上萬二氏の家が隣接して建っています。ともに人間国宝。この地に3名の人間国宝とは、さすが有田の名にし負うものだと思います。

右は、井上萬二氏の「白磁丸形壷」です。「形そのものが文様」が信念で、端正でそれでいて温かく、無駄がなく、まさに究極の美だと思いました。

磁器の町・有田の器は、ちょっとしたお弁当にも使われています。ふつうは黒塗りのプラスチックに入っているお弁当も、ここでは磁器の蓋つきの器に入っていました。同じ味でも、こんな工夫のランチに心がおどります。 

前日のお昼には、お濠のそばで佐賀牛のごちそうになるし、夕食は睦月会席。グルメと温泉と歴史の旅は快適で、まさに近場の再発見でした。

Seisi2帰りに親戚の製紙工場に立ち寄り工場見学をしました。原料から製品ができ、箱詰めからトラックに載せるまでのフルオートメーションを目の当たりにするのは初めてで、もう驚きの連続でした。原料を次に目にするときは、すでに巨大なロール紙になっていました。ISO9001とISO14001を取得して環境にも心を配り、工場とはおよそ無関係の主婦には目新しいことばかりの社会科見学でした。日進月歩の技術の進歩と、巨大な煙突から流れる水蒸気の白煙を見ながら、日本も100年に一度という窮状から必ず脱却できる・・・と確信しています。

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熊本・南小国町・小田温泉

2008年06月08日 | 母のこと

081年末に肩を複雑骨折した母が、努力を重ね見事に復活。 元気になってまた一人暮らしを始め ました。昨秋の京都旅行が最後になったのかな・・・と覚悟していただけに、また母と旅行ができるようになった幸せをしみじみ思っています。妹と3人です。

今回選んだのは、熊本南小国町の小田温泉です。日経新聞で温泉大賞に輝いた黒川温泉はあまりに有名になりすぎたし、そこから2キロほど離れた静寂な森の宿「山しのぶ」の離れ部屋を予約しました。

Ota4063確かにここは穴場でした。新緑のトンネルをくぐった向こうに、静かにたたずんだ宿があります。1500坪の広い敷地内には数棟の離れ部屋があり、それぞれに専用の内風呂と露天風呂が付いていて24時間OK!主婦感覚では、まあなんと贅沢な…という感じです。それでも飽き足らずに敷地内の露天風呂や内風呂めぐりをして、最後は「囲炉裏談話室」で振る舞い酒を堪能しました。もちろん地酒。

右上の写真はじゃらんからの借り物ですが、でっかいロキングチェアーが印象的な図書室です。その向こうは田植えが終わったばかりの田んぼ。2階は天文館になっています。ウグイスの鳴き声、グミの木、アジサイなどよき子ども時代を思い出させるものでした。

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食事処での夕食も満足のいくものでした。おしながきを見ながら次々に運ばれてくる御馳走にわくわく!

地元の食材を生かして、手を抜かず丁寧に作られた一品一品。これだけを家で作るとしたら何日かかるのかしらと主婦はすぐに考えてしまいます。

部屋に帰ると、お夜食にと三人分のおにぎりが置いてありました。そうそう、その夜は報道スペシャル番組『中田英俊の真実』があるのでちょうどよかった!

設備の整った大きいホテルが増える一方で、こんな風に小さくてもこだわりを持った離れ形式の旅館も増えているような気がします。

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翌日は「くじゅう花公園」へ。九重の雄大な自然の中に花のじゅうたんが広がっています。何度訪れてもその都度四季折々の花が咲いて違う顔を楽しませてくれます。ちょうど幻の花「ブルーポピー」の展示があっていました。「ヒマラヤの青いケシ」は、その神秘的な美しさから「天上の妖精」と呼ばれているそうな。3000〜5000mの高山植物ゆえにガラスケースの中で温度調節がされていました。

高速に乗らずに下道に下りたら、山深い両側は新緑の香りぷんぷん!九州のおへそは、まだまだ豊かな自然と緑がいっぱいでした。

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京都旅行③

2007年11月02日 | 母のこと

071030kyoto_065071030kyoto_071びわ湖畔の夜明けはたいへん印象的で、21階の部屋から眼下を見下ろせば釣り船が点々と。朝靄の中に、まるで浮世絵の世界でした。

びわ湖の周りに住む人たちは、いつもこんな贅沢な景色と雰囲気に浸っているんですね~。

今日は、私たち2人は大阪市立美術館の『BIONBO/屏風』展に行き、他の5人はびわ湖の東岸の石塔寺、安土城址方面に行くことになりました。

『BIONNBO/屏風 日本の美』展の大阪会場は、今日がオープニング。8月頃よりいろいろな情報を得ていたのでぜひ見たいと思っていました。

「BIONBO」は「ビオンボ」と読み、屏風という意味のポルトガル語、スペイン語です。屏風は、生活の中に、祭礼に、儀式にと多機能を持つと同時に、海外の貴顕への贈答品であったという大きな役割も担っていました。

オランダや朝鮮に贈られた屏風が里帰りし展示されるとは胸が躍るものです。さらに驚きなのは襖絵を屏風に仕立て直し、それがドイツ、アメリカ、日本に散逸し数奇な運命をたどったものが、今回一堂に会しめでたく再会。元の屏風の復元にせまるというドラマッチックな展覧会でもあるのです。

『レパント戦闘図・世界地図屏風』は、この時代に、日本の絵師が広く海外にまで目を向けていたことがわかって、塩野七生著『レパントの海戦』を彷彿とさせるものでした。

興味深かったのは、オランダに贈る返書の写しが展示されていたことです。清国のアヘン戦争のようにならないように、日本に開国を進めるオランダの文書に対して、返書は日本はまだ開国の時期でないとしたためられていました。海外への文書ともなれば、写しといえども上質な和紙と格調高い墨蹟が見事でした。なんだか、歴史の一場面に遭遇した感じでした。

100点ほどの展示は、京都に舞い戻る時間を考えるとゆっくりは見られませんでした。帰りの乗車を新大阪からしたらとみんなは勧めてくれましたが、最後はみんな集まってきちんと挨拶とお別れをしたいと思って。大阪環状線の乗り継ぎでだいぶ時間をとり大幅に遅れましたが、6個の携帯が飛び交い無事に全員に会えました。

かくして2泊3日の母、娘3人、婿殿3人、合わせて7人のフルメンバーの旅も終わりました。「楽しかったね~!」の母のひと言が嬉しく心に響きました。

Toritetu2博多駅に着いたのがちょうど夕飯時分。居酒屋「とり鉄」で旅の終わりを締めくくりました。京都の上品な和食もいいですが、博多の居酒屋メニューに舌鼓を打ちながらくつろぐのもいいものです。

写真は、とり鉄名物ばくだんつくね串。卵の黄身をつけて食べますが、母も大好きです。

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京都旅行②

2007年11月01日 | 母のこと

さて今日は、二手に分かれて行動することになりました。栂尾組と市内観光組です。

この数年間に、母と娘たちは数回の京都、奈良観光をしており、周辺のまだ行っていないところは?・・・と地図と首っ引き。

071030kyoto_030 曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)洛北の屈指の名刹で、門跡とは皇室一門の方による住職の寺をいうのだそうです。建築様式に桂離宮との様式の類似点が見られるそうです。

狩野永徳の襖絵、探幽の障壁画、遠州好みの枯山水が名刹の名を裏付けています。「上之台所」の特別公開はラッキー!貴賓をもてなす時に使われたものだそうで、主婦はやはり台所の大きなかまどが気になります。

曼朱院に到る道は、両側から延びたカエデの葉がつながって、まさにトンネル。ほんの少し色づき始めたもみじのトンネルに、思わず「わぁ~っ!」と声を上げてしまいました。

運転手さんの説明によれば、関東の人は、きちんと色づかないと納得しないけど、京都の人は色づき初めを「見ごろ」というそうな・・・。「ほんの少し」が京都人の奥ゆかしさを表している071030kyoto_050 のでしょうか。


★詩仙堂―こんなに美しい名前なら・・・という期待どおりの、閑静で起伏のある庭は、文人石川丈山の住まいにふさわしい品のあるひかえめな住まいでした。

詩仙の間には、中国の36詩人の肖像(狩野探幽画)と詩がかけられています。鹿おどしの音が、ここに不釣合いなほど大きかったのは、まさに鹿猪が庭園を荒らすのを防ぐためで、むしろその音を楽しんで老隠の慰めとしたのだとか。丈山は、煎茶(文人茶)の開祖でもあるそうです。

★泉仙(いづせん)― 071030kyoto_054大徳寺の境内を曲がりくねって進んだ大慈院の中に泉仙があります。肉を一切使わない精進料理。豆腐や揚げで本当の鶏肉のように料理したものもあり、その味と技に魅せられたリピーターの私が、ここを推薦。みな満足でした。外人さんが多く、縁台での食事が気に入ったようです。きっと英文ガイドブックに書いてあるのでしょう。こんなに曲がりくねった奥まったところがよく分かったものだと感心しました。

禅僧の使う鉄鉢を形どった漆の器に、四季の野菜を使った料理が美しく盛られてでてきます。食べ終わったら、こんなに合理的に重なってしまうところが見事!

★竜安寺071030kyoto_056 ― 石庭=竜安寺というほどに著名な枯山水の庭は、もちろん世界文化遺産。こ071030kyoto_058 こに来れば、みんなが自然に方丈の縁側に座って庭を眺めたくなります。

ツアーのガイドさんの大きい声が耳に入ったんですが、塀の奥に行くにしたがって低くなるように設計されていて(要するに遠近法を取り入れているのかな?)、実際よりも広く見えるように工夫されているそうです。塀は、土に油が混ぜてありレンガより強度があるとのこと。池泉回遊式の広い庭園も見事でした。

★嵐山―何度来ても、京都は嵐山散策をしないと収まらないような・・・。陽も傾き始めて、運転手さんのおすすめで車窓見学になりました。狭い竹林の中を車OKなんです。

この日の宿はびわ湖畔。ホテルの37階のレストランで卒寿のお祝いの席を設けました。お祝いの挨拶、乾杯、お礼の言葉と形式を踏めば、やはり改まった厳粛な気持ちになります。健康でみんなが集まれるってほんとうにすばらしいことです。

子供が母親の元気を喜ぶ以上に、母が娘と婿殿の健康を心から喜んでいるのをみて、「親思う心に勝る親心」の句をしみじみ思いました。

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京都の旅①

2007年10月31日 | 母のこと

母の卒寿を記念して、京都周辺を旅しようということで、娘たち3組の夫婦が日本の真ん中に集まりました。九州と東京から計7人、2泊3日の旅です。

満89歳の母は、起床5時半、6時半のテレビ体操、30分のウォーキング、10分間の屈伸運動、新聞をチェックして自分で作っている「政治ノート」への記入、連用日記帳・・・と元気そのもので、全く手をとらない一人暮らしなのです。この「娘」孝行の母親の健康と生き方は、私たち娘の誇りでもあります。真似は出来ないけど・・・。071030kyoto_001_5

「狩野永徳展」・・・ ちょうど史上初の大回顧展が開催されており、『京都限定。30日間の奇跡―その迫力にかなうものなし』というパンフのインパクトのある文字を見れば、待ち時間90分も仕方ないか・・・。

国宝『洛中洛外図屏風』の前では全く人が動かず、さすが人気の作品です。これは九国博でも見ていたので2度目の嬉しいご対面。

国宝『唐獅子図屏風』の見上げるような大作には圧倒されます。新発見の『洛外名所遊楽図屏風』、聚光院所蔵・国宝『花鳥図襖』・・・。国宝5件、重文9件のみならず狩野派の素晴らしい芸術に目を奪われました。同じ頃、海の向こうはルネサンスで、ミケランジェロ、ティツィア071030kyoto_003 ーノが活躍していた時代です。

★三十三間堂・・・正面の柱間が33あり120m。何度訪れても新鮮な気持ちで見られます。

埃をかぶってはいるものの、中尊を真ん中に左右に500体、合計1001のご本尊とは、なかなか壮観です。目の前に、国宝の二十八部衆像がずらりと並び迫力満点。国宝雷神・風神には、鎌倉仏師の熱い息吹が感じられます。

★南禅寺・・・ここは敷地内全体が博物館のような感じ。国宝の方丈、小方丈の狩野元信、永徳、探幽の襖絵がずらり。小堀遠州の方丈庭園はさすが細かく計算された名園です。お抹茶をいただきながら、小さな空間が大きな自然にも見える庭を前にひと休みです。

071030kyoto_017_2 ここの境内を横切っているのが明治に作られたという琵琶湖疎水のレンガのアーチ。中世と近代が妙にミスマッチ!ローマの水道橋みたいだと一人悦にいっていました。琵琶湖疎水の文字の中に、明治の産業と技術への意気込みが感じられます。

九州よりも日暮れが早い京都。母もよく歩きました。夕食は、ホテル内の中国料理「六本木樓外樓」で。人数が多いと、一番まとめやすいのは中国料理でしょうか。日曜日だったので、長男が孫代表で駆けつけてくれました。

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飛騨高山、白川、奥飛騨の旅

2007年06月01日 | 母のこと

新幹線で掠めることはあっても、なかなか下車することはなかった岐阜。親孝行を兼ねて母と妹と3人で、飛騨高山・白川郷を旅しました。

070526okuhida_011_1中部国際空港から一路北上して、坂道の馬込宿へ。

070526okuhida_007_1『木曽路はすべて山の中にある』といわれた中山道。江戸から80里を歩いてきた旅人も、まだまだ京都まで52里。それでも、木曽路を越してこの馬込宿でほっと一息ついたことでしょう。

今は道路も整備されていますが、一部石ころの狭い道が往時の名残をとどめていました。島崎藤村の生誕地もここです。

黒い格子戸の家ごとに昔の宿の名前が書いてあり、中山道の旅人に思いを馳せて散策しました。道路の両側を、勢いよく走り流れる雪解け水は、飲めそうなほどに澄んでいました。「美しい国日本」がここにはありました。

お泊りは下呂温泉。林羅山に日本三名泉の一つにあげられたそうです。源泉そのままのせいかお肌つるつる!でもちょっと湯温が高かった…。

070526okuhida_021 翌日は終日雨。それでも飛騨高山と白川郷は、雨の不快を寄せ付けない興味と魅力がありました。

070526okuhida_029_2特に小京都・高山は、城下町らしく四角く区切られた道路と端正な造りの家が続き、気品のある街並みです。今回の旅の印象が深かったところでした。和菓子の林盛堂で買った赤かぶや山ごぼうの納豆が珍しく、お抹茶にも合いそう。

国指定の「高山陣屋」は、徳川幕府の天領で、役所と郡代役の住居と御蔵をあわせた名称です。幕末に60数か所あった郡代・代官所の中で、唯一現存する陣屋だそうです。

陣屋専属のガイドさんの解説を聞きながら各部屋を回り、役人の仕事、御白州、寺院や町年寄りの詰所、郡代の生活の様子など行政、裁判などが具体的にイメージできました。3人の評価も一致しました。

070526okuhida_045 世界遺産の白川郷は岐阜県の一番北にあります。村内には120の合掌家屋があるそうです。合掌造りの家は、景観的にも機能的にも、日本人の心の故郷として遠い日を呼び覚まさせてくれ、心に響くものがありました。妹は冬にも訪れており、雪の白川郷はもっと美しい景観だそうです。

070526okuhida_049生活しながらその一部を開放している「和田家」を見学。築後400年の風格と威厳に圧倒されました。屋根や柱を支えるために、工芸品のように見事に締められた縄。その技術を継ぐ人も、今ではほんの数名とか…。

合掌造りの家は、今から70年ほど前、ブルーノ・タウト氏により、「論理的、合理的で日本には珍しい庶民の家」だと評価されています。「日本美の再発見」として、京都の桂離宮とともに有名になっています。

厳しい地形、近代的な生活様式のギャップ、屋根の葺き替えなど膨大な維持費。世界遺産はいつまで世界遺産でいられるのでしょうか。このたたずまいを見ながら、いつまで保存できるのかしらと不安になりました。

お泊りは奥飛騨温泉郷。深山幽谷の中の静かな宿で、丁寧な心づくしの料理をいただきました。闇の中の露天風呂は最高!奥飛騨は、川床から湧き出す露天風呂天国。氷壁の舞台にもなりました。

070526okuhida_094_1070526okuhida_084翌日はうって変わった快晴で、まさに奥飛騨日和!

2つのロープウェイを乗り継いで全長3200m、乗車11分。標高2156mの展望台に向かって、穂高の山々を堪能するようにゆっくりと登ります。自分たちの位置と、眼下の木々の緑と、山頂の白い雪に、みな合唱のような嬉しい歓声をあげました。

九州ではおよそお目にかかれない3000m級の雪を冠った山々。360度が展望できます。どっしりと、神々しく、威厳と神秘さを秘めた近寄りがたい存在でした。もう来ることはないかも・・・としっかりと心と目に収めてきました。

「母親と娘たちの旅」に気持ちよく送り出してくれた夫殿二人に感謝しているのに、さらに二人して和食の店で私たちの帰りを待っていてくれました。空港から直行して、おいしい夕食をいただきながら旅の話でひとしきり。お互いに人を思いやることの大切さをしみじみ思いました。起承転結、すべて感謝! 感謝!

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日南海岸

2006年11月17日 | 母のこと

一人暮らしの母と日南海岸に旅行しました。

日南の海は、波打ち際に漂着物もゴミも浮いていないのが信じられないくらいの美しい海で感動しました。雑多な物が流れ着く日本海側の海。大陸や半島に近いからかな・・・とは私の感想。

061116nitinan_014_1 宮崎はプロ野球の各球団のキャンプ地。ダンロップ・フェニックスの開催を控え、ウッズ選手も宮崎入りをしているもよう。まさにスポーツの街の様相を呈していました。泊まったところが南郷プリンスホテルとあって、ライオンズのキャンプと同宿でした。ラッキー!ホテルはこの海岸に面し、こんな美しいところにライオンズは陣取っていました。

選手は砂浜で朝礼を終えると、観光客とは別のレストランで朝食。夜のリラックスタイムにも、部屋の片隅で談笑しながらピッチングのフォームの研究。テーブルには4、5本のビール瓶が・・・。自由時間でも、さすがプロは熱心です。松坂選手が抜けた後を補わないといけませんからね。

ちなみにジャイアンツ歓迎のたれ幕もありました。立派な屋内球場と屋外球場を持っています。一軍選手は車で二軍選手はランニングで球場に向かうとか。スポーツの世界もなかなか厳しいようです。

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宮崎は、街路にワシントニア・パームの規則正しい並木が続き、エキゾチックで清潔感漂う美しい街並です。

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都井岬の野生馬。全く人を恐れません。夕刻になると自然に集団ができていました。

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九州のおへその部分、そして神話のふるさと高千穂。垂直に切り立った峡谷は圧巻です。紅葉のピークは一週間後とか。九州人にしては初めての訪問でした。

061116nitinan_016飫肥杉で有名なというより、NHKテレビ小説「わかば」で名を馳せた飫肥。飫肥城は隠れた名所で、九州人にも知名度は低いようですが、武家屋敷にその生活のあとが偲ばれる静かな落ち着いた町。小村寿太郎の故郷でもあります。15年前に来たときよりかなり観光客が増えていました。

『いも、栗、カボチャ』は女性の三大好物とガイドさんのお墨付き。 おみやげがカボチャの丸ごと味噌漬け、栗100%の羊羹、いきなりだんご(サツマイモの厚切りに小豆餡をのせ、小麦粉の皮でくるんで蒸したもの)と、いつの間にか「三大」が揃ってしまいました。地元のちょっと田舎っぽい食べ物には魅力がいっぱいです。

061116nitinan_009 そうそう美味しかったものに、地酒の冷酒「綾錦」があります。こんなに丁寧に冷やしてくれました。

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母と妹との湯布院旅行

2006年10月19日 | 母のこと

1018ufuin_030_2 晴れマークの続く爽やかな秋の日、数十年前の『元家族』が湯布院に旅をしました。母と3人姉妹の気ままな2泊3日の旅です。これはNHKの朝のドラマに出てきた由布岳です。



1018ufuin_015_1 親戚のリゾートマンションが宿。ウィークデーとあって、施設内の大浴場も露天風呂も貸しきり状態で、贅沢な時間と空間を独占しました。



1018ufuin_025_1 湯布院は、温泉ランキングでも常に上位。総合3位、雰囲気2位、知名度3位、泉質11位、施設完備6位の九州の真ん中で頑張っている温泉です。小洒落れたお店も多く、芸術の香りも漂います。 金鱗湖畔でのモーニングサービスはナイス!700円~950円。木製クラフトの器も素敵です。

1018ufuin_013_1 家事を放棄した女4人は、したたかに食と湯と話を堪能しました。特に雑誌で選りすぐった「食」には大満足!!旅館「田ノ倉」の食事処・藤五庵の3650円の夕食もいうことなし。こんなに安くていいのでしょうか・・・。


1018ufuin_035_1点在する近隣の高原には、見るべきたくさんのところがあります。瀟洒な「榎木孝明美術館」は残念ながら休館日でした。11月の一周年記念には本人来館とのこと。


1018ufuin_011_6くじゅう花公園」では、行けなかった美瑛をイメージしました。コスモス畑は、年齢に関係なく心を解放し、郷愁に浸れるところです。ススキの群生の向こうには 煙をはく久住連峰が。遠望しながら心を残し、登山を次の課題に回しました。


1018ufuin_002_1蕎麦好きには見逃せない『そば街道』の雰囲気と味。小国(おぐに)の山道を縫ってたどり着きました。地元産のそば粉を使い蕎麦職人の技とプライドが感じられるメニューでした。

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大宰府天満宮

2006年06月05日 | 母のこと

 梅雨前の晴れた日がチャンス、母を誘い大宰府天満宮に行きました。菖蒲はまだ咲き始めで、それでも水面と花の取り合わせには心が和みます。40種3万本が咲きそろうにはまだ間があるようです。

隣接の九州国立博物館にも足を運び「琉球展」を見ました。アジアを意識した国立博物館は、当初の心配をよそにかなりの入館者を保っているようです。3時間余り館内を歩き回りましたが、米寿の母のタフさには感心します。中身よりも建物の大きさと設備の立派さに驚いたようです。

 見たかったのは「混一彊理歴代国都之図」で、モンゴル帝国の遺産ともいうべき15~16世紀のアジア東方の「世界地図」です。

今、日経の新聞小説で「世界を創った男 チンギス・ハン」(堺屋太一著)が連載され、目新しい世界が開け実に面白いストーリーです。

近年、ソ連邦の体制の崩壊で矮小化されていたチンギス・ハンの新しい解釈が進んでいるそうで、情報の少なかったアジアの中央の歴史が実に生き生きと描かれ、夢を膨らませながら楽しく読んでいます。そんなモンゴルの関係資料を是非見たかったのです。

  大宰府の味は、なんといっても「梅が枝餅」。茶店の赤い毛氈の上で、菖蒲池を見ながらティータイムにしました。

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横浜集合!

2005年10月20日 | 母のこと

-ランドマークタワー (写真はホテル提供)

タワーの中にある横浜ロイヤルパークホテル(49~70階)の68階「皇苑」で、母の米寿の祝いをしました。8月に出席者のアンケート調査から始まり、場所探し、案内状、フライトの予約、ホテルの手配…と面倒な手続きを夫が引き受けてくれ大助かりでした。

母は福岡在住ですが、出席者の希望が関東地区ということで、いたって元気の母が関東に出向くことになりました。建物はほとんどが2階建という所に住んでいる母には、68階の高さはことのほか印象深かったようです。

母の3人娘と配偶者、孫世代、ひ孫世代の計21名が出席。なんと母から孫9人に10万円ずつの逆お祝儀。いつも心を配ってくれます。
孫世代の配偶者には初対面だったり、ひ孫世代には新しい誕生があったりしましたが、そこは一族の集まり、楽しく和やかな会になりました。


新横浜ラーメン博物館 (写真はHPより)

米寿解散後は、「しょうゆラーメンが食べたい…」という私に、息子がアドバイスしてくれたのがここです。宿泊した新横浜プリンスホテルからほど近く、雨の中を、夜の小腹を満たすために私の娘夫婦と出かけました。話に聞いていたよりもさらに懐かしい感じがして、まさにタイムスリップ!!遠い昔の白黒映画の世界そのものでした。

この博物館のコンセプトは『そこに広がるのは郷愁の世界。昭和33年、日本のどこにでも見られた下町が、みごとな夕焼けのなかにたたずみます。うまいラーメンをよりおいしく食べていただくだけでなく、昭和30年代初期への時間旅行も楽しんでいただきたいという大胆な演出です。夕焼けとラーメンが恋しくなったらいつでもこの街をお訪ねください。』 という、心を引きつけるものでした。

051015_013私が食べたのが、荻窪ラーメン『春木屋』の醤油ラーメン。煮干の香りが漂う複雑な旨みのスープ、コシのある自家製麺、予想どおりの高い満足度でした。

写真はまさに昭和30年代のテレビです。サッシでなく木製のガラス戸が懐かしい光景です。

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