新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

ある詩より ーー母への思い

2019年01月23日 | 母のこと

同じ古文書のサークルの方の小説「ほくろ」が載っているということで「九州文学 第44号」を入手しました。


それよりも表紙を開いて先に飛び込んできたのは『置いてきた』という松野弘子さんの詩でした。衝撃的で心のなかで号泣・・。

  ~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜

『置いてきた』 松野弘子

   置いてきた

   病院のベッドに      
   ただひとり

   胎児のように縮こまる    
   白髪の母を置いてきた

   見知らぬ人達の中に     
   置いてきた

   目も開かず      
   口を開けたまま

   たったひとり    
   置いてきた

   今ごろは      
   ひとりぼっちの夜の底

      ~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜~゜


「置いてきた」というぶっきらぼうな言葉の中に、作者の娘としての母に対する深い愛情、自分の孤独、どうしようもない現状、懺悔の心を痛いほど感じて辛すぎる詩でした。

母の三年忌を終えた今も、なお私の心に引っ掛かるのは母の最期の虚ろな表情です。
何度も旅した仲良し母娘4人ですが、旅の楽しい記憶よりも、介護施設や病院での表情ばかりが胸を去来します。
『置いてきた』という赤裸々な言葉はグサッと胸を刺しました。母の老後生活を正面から見るのが怖くて目を背けようとしていた自分の心を、この言葉が容赦なくえぐり出したのです。

92歳まで独り暮らし、それから介護施設と病院での5年間。母の元をたびたび訪れることで自分を肯定しながら自分だけを見つめ、母の心をないがしろにしていたのです。

気丈な母は「娘たちにはそれぞれの生活があるから」というのが口ぐせでしたが、きっと孤独だったと思います。その現状をどうにか出来たという自信は無いものの、とにかく正面から受け止めないできた私の心に刃は的中したのです。

置いてきたんだ・・・、間違いなく置いてきた。よどんでいた私の心の澱をすくい取ったかのように強い言葉はショックでした。しかしこの正直な言葉に私は救われた思いです。何か正面から刃を突きつけて欲しかったのかも知れません。ふしぎに清々した気持ちが残りました。

台所に立つとき、ひとりで静かな時間を持ったときに、この詩を口ずさんでまた泣くでしょう。
文学は強いメッセージを放つものですね~。

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両親の法要

2018年10月04日 | 母のこと

母が亡くなってからもう三回忌を迎えました。亡くなって暫くは複雑な諸手続で忙しく、一段落すると寂しさが募ります。
要介護になっても、「生きている」というその存在が私の心のより所になっていました。今、命の重さをかみしめています。

私たち3姉妹はみな家を出て、誰も帰ってくる当てがなく家は売却処分。今は池も大きな庭石も庭木もきれいに取り払われていました。
ドラマの映画でよく見るような「実家に帰らせていただきます!」の名台詞を吐くこともなく、懐かしの家も役割を終えてしまいました(@_@)
今回、父の17回忌を少し早めて一緒に執り行いました。二人とも長命だったので法事に出席できる状況の両親の兄弟姉妹はいません。

法要の読経も二人に別々のお経を。その一つがお坊さんの考えで観無量寿経でした。
法要が済むとお坊さんにも出席いただいて和やかな会食になりました。食事の時も「阿弥陀三部経」の話で盛り上がりました。毎回お坊さんとこんな話ができるので3姉妹夫婦はお坊さんにとても敬意を表してるし、親しみを持っています。
京都仕込の板前さん。さすが美しいです。

土瓶蒸しに秋を感じます。
  秋色満載!            


器が季節にピッタリ。四季毎にメニューと器が違います。

イチジクの天ぷらが好評でした。美しくて食べるのがもったいない・・・。

真宗大谷派はあまりルールの細かい事を言われないのでプレッシャーがありません。デザートはバイキングスタイル。沢山頂いて久しぶりに会話が弾みました。

集まることが大好きだった両親が、こんな和やかな集まりを一番喜んでいると思います。

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留守の間に・・・

2013年03月16日 | 母のこと

介護施設に入所している母が少し認知症状もでてきており、しきりと家を恋しがります。
92歳までしっかりと独り暮らしをしており、友人知人かつての教え子などが集まってきていた楽しい生活が今も忘れられずに、また独り暮らしをしたいと言い張るのです。家に帰ればその楽しい生活が再現できると錯覚しているのです。

小脳出血、大腿四頭筋部骨折で、入院、リハビリ、入所を繰り返し、常に見守り状態で介護するように指示され、そのためには二人が付き添う必要があるのです。
かくして介護施設のお世話になるようになり、はや2年が過ぎました。月に5,6回は、施設の母を訪問しているのですが、それでは満足できず自宅が恋しいばかりのようです。

自宅の鍵を持ってきてと電話までかけてくるようになり、とにかく一時帰宅をさせて母の心を穏やかにしようと、2泊3日の一時帰宅を計画しました。
静まり返った部屋を掃除し、寝具類を長時間乾燥機にかけて、人が生活できるように清潔さを取り戻すのにストレスがかかります。

昨12月には1泊だけの一時帰宅をしました。その時のアドバイスは常に部屋を21℃に保ち、風邪をひかないように、常に目を離さないように、ということでした。
夜中にも3台のエアコンを稼働させっぱなし、3度のトイレに付きそいます。その都度、施設の介護士さんの大変さを思い感謝の念でいっぱいになります。
今回もちょど寒波が来た時で、寝室は23℃にして、風邪を引くことなくすみました。

一時帰宅3日目。もうセンターには戻りたくないと言い出すのでは・・・と不安でしたが、2泊3日の自宅生活を心から喜んでくれたし、独り暮らしは無理なことも認識できたようだし、パフで顔を軽くおさえ紅をさし、きっちりと帰っていきました。その笑顔を見ただけで、帰宅させてほんとによかったと思いました。でもまた、同じようなことの繰り返しになるかもしれませんが。

心も晴れやかになって帰宅すると、花たちはいっせいに花を咲かせていました。寒波の中にも、後戻りをすることのない春の陽射しを確実に感じとっているのですね~。

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庭に咲いたクリスマスローズ

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こぼれダネのポピー                  孫の記念樹、アーモンド

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ムスカリ                             アネモネ

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花茎の短いチューリップ                  花カイドウ

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ブルーベリー                         シクラメン

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西洋サクラソウ と こぼれ種のポピー 

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母の入院

2011年02月21日 | 母のこと

Cimg6788 92歳で一人暮らしをしていた母が入院してしまいました。小脳内出血です。子供たちに迷惑をかけまいと強気で頑張っていることに安心し、高齢なのに心身ともに健康な母を「娘孝行な母親」とか言って誇りに思っていました。

老後のあるべき生き方として過大に評価していたのかもしれないし、いつかはこういう日が来ることを正面から見つめることが怖くて目を背けていたのかもしれません。そんな心の片隅を冷静に見つめては落ち込んだり反省したり後悔したりしています。

夜中に具合が悪くなる数時間前にはきちんと日記がつけられていました。でも最後の一行に列のゆがみと文字の乱れがあり、倒れる前兆があったことを目の当たりにしてショックを受けました。日記をさかのぼれば、昨秋に2,3か所同じようなところが見受けられました。

この冬はことさら寒さがつのり、複数のリモコンで各部屋を温度調節をするのは92歳には酷だったのかもしれません。できる限りの環境に整えてはいたものの、誰かがそばについておれば・・・。そんな後悔にさいなまれています。

現在は、脳外科病棟の明るい部屋でリハビリも始まりました。計算力や記憶力のテストは大丈夫ですが、立ったり歩いたりすることは介助なしではできません。ベッドの上では食欲もわきません。

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入院して20日過ぎました。二日ぶりに病院に行くと表情も顔色も驚くほど元気になっていました。やっと食事がおいしくなったとのこと。昼食も8割ぐらい食べました。

今までのご飯の量があまりにも多すぎて、それを見ただけで食欲がそがれるので減らしてほしいとお願いした後から食欲が出たとのこと。食欲は見た目からとは健康人すらそうですから、ベッドの上では些細なことが改善の突破口になるようです。

今回はひょっとしたら寝たきりに・・・と覚悟していたけど、思いのほか回復が早く、今日は介助つきでトイレにも行きました。カレンダーを見ながらしっかりと日付けを覚える努力をしています。

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8日間の母との生活

2009年05月28日 | 母のこと

 母が白内障の手術をしました。今は手術も日帰りの時代になっています。右目は6年前に手術済みだったので、残る左目の手術でした。いつだったか眼科と脳外科は、飛躍的に医学が進んだと聞いたことがあります。繊細な眼のことなのに、本当に進んだものだと感心しました。

 手術は15分ぐらいで済みますが、検査や点眼で前後3時間ぐらいかかります。帰宅後は一日4回の3本の点眼と飲み薬、防護眼鏡の着用、術後2日間の検査通院など90歳の母一人ではやはり心細かったと思います。1週間後の検診を無事に済ませて8日間の看護兼手伝いから帰ってきました。3日の予定が8日に延びたのは、1週間検診までは付き添うべきだという夫からのありがたいメールが入ったからです。

200905251722000_2 8日間も母と二人で生活することはなかなかなかったので、いろいろな発見もしました。母が昔から日記をつけているのは知っていました。ずっと大学ノートを使っていたので、あるときから姉が3年当用日記をプレゼントして、もう10冊にもなっていました。

 縦に1ページ分、同じ日の3年分の日記が書けるようになっています。もちろん曜日は違ってきますが、去年の5月27日は何ををしていたかがよくわかるし、3年前のこの日・・・となるともう懐かしさがこみあげてきます。1冊に3年分の自分の記録が書き込まれるのです。

 3年当用日記だから、(3年分×10冊)で30年間分の日記がこの中に凝縮されているのです。大学ノートも加えれば、まさに母の半生の歴史でもあるのです。

 母と二人で日記を積み上げて見ていたら、面白い出来事を発見しました。1979年1月1日「イラン在住の婦女子の帰国命令が正式に発表されたと、テヘランから国際電話が入る・・・・」、1月2日「さっそく部屋の大掃除をして、部屋の割り当てを考える・・・・」、1月5日「成田に到着・・・・」、1月7日「無事到着して孫たちの無事な顔を見た・・・・」、1月8日「やっと落ち着いて正月らしい日を迎えた・・・・」

 テヘランに駐在していた姉一家が、イラン革命の勃発で急きょ実家に引き揚げてきたときのことです。降ってわいたような「珍事件」に、母は孫の学校のこともあるので大変な出来事だったのでしょう。私はもう結婚していたので、詳しい事の顛末は知りませんでしたが、こんなことがあったのだと感無量でした。

 白内障の手術後も、早く日記を書かないと忘れてしまうと気にしていました。私が帰る頃には、やっと日記が全部埋まったと安心した様子で、習慣というものは、体と心と日常の中にしっかりと根付くものだと感じ入りました。

 日記の扉には、毛筆で「尊厳死を望みます。」と書いた紙が張り付けてあり、氏名に印鑑が押してありました。子供としては心中複雑なものがあります。現在の日記帳は2008年から2010年までの分です。いつまでも書き続けてほしいと思いました。

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横浜集合!

2005年10月20日 | 母のこと

-ランドマークタワー (写真はホテル提供)

タワーの中にある横浜ロイヤルパークホテル(49~70階)の68階「皇苑」で、母の米寿の祝いをしました。8月に出席者のアンケート調査から始まり、場所探し、案内状、フライトの予約、ホテルの手配…と面倒な手続きを夫が引き受けてくれ大助かりでした。

母は福岡在住ですが、出席者の希望が関東地区ということで、いたって元気の母が関東に出向くことになりました。建物はほとんどが2階建という所に住んでいる母には、68階はことのほか印象深かったようです。

母からみれば子供世代、孫世代、ひ孫世代の計21名が出席。孫世代の配偶者には、私は初対面だったり、ひ孫世代には新しい誕生があったりしましたが、そこは一族の集まり、、楽しく和やかな会になりました。

b新横浜ラーメン博物館 (写真はHPより)

米寿解散後は、「しょうゆラーメンが食べたい…」という私に、息子がアドバイスしてくれたのがここです。宿泊した新横浜プリンスホテルからほど近く、雨の中を、夜の小腹を満たすために娘夫婦と出かけました。話に聞いていたよりもさらに懐かしい感じがして、まさにタイムスリップ!!遠い昔の白黒映画の世界そのものでした。

この博物館のコンセプトは『そこに広がるのは郷愁の世界。昭和33年、日本のどこにでも見られた下町が、みごとな夕焼けのなかにたたずみます。うまいラーメンをよりおいしく食べていただくだけでなく、昭和30年代初期への時間旅行も楽しんでいただきたいという大胆な演出です。夕焼けとラーメンが恋しくなったらいつでもこの街をお訪ねください。』 という、心を引きつけるものでした。

051015_013私が食べたのが、荻窪ラーメン『春木屋』の醤油ラーメン。煮干の香りが漂う複雑な旨みのスープ、コシのある自家製麺、予想どおりの高い満足度でした。

写真はまさに昭和30年代のテレビです。サッシでなく木製のガラス戸が懐かしい光景です。

 

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