新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

秋月に遊ぶ

2017年10月25日 | 古文書・サークル活動

秋月、あきづき、この美しい響きが大好きです。福岡から高速を使えば1時間足らずの町に、サークルの研修を兼ねて秋の一日を遊びました。

先ずはうきは市へ。白壁と清流が美しい町です。白い町並みは子供の頃にタイムスリップした感がありました。町並みの維持管理は大変なことだと思いますが、それを上回る郷土愛がしっかり見えます。

写真のように川の片側に2列の溝を作り、庭に引き込んだ水路に流す分と生活排水を流す分とに分けて環境に配慮してあります。
右手がこの水を取り込んでいる「山崎家」の庭。三奈木黒田家の御殿医だったという事から特別に見学させてもらい、お抹茶とお菓子のご馳走にまでなりました。
たっぷりと豊かに流れる川にはごみもなく、それが豊かな町、明るい町の印象を与えてくれます。数百年前に筑後川に堰を築き水路をめぐらして、町と田畑に水が行き渡る仕組みになっています。

  樹木に覆われた清流庵は別世界です。和食レストランでランチを。源氏物語をイメージした個室が並んでいました。

  満足の昼食の後は秋月城址散策と秋月博物館見学へ。
秋月は山あいに立地していて開発が遅れていましたが、城下町の特徴を残していたことから町並みを整備すると、たちまち“筑前の小京都”と呼ばれる人気の観光スポットになりました。
  

       
秋月藩の藩医、緒方春朔はジェンナーより6年も早く、人痘による天然痘予防を成功させました。実際に地元の庄屋の子供に試したようなことは、葉室麟氏の本で読んだ記憶があります。

三奈木黒田家は江戸期を通じて福岡藩の筆頭家老を代々努めてきました。その始まりは大河「官兵衛」でもお馴染みですが、
官兵衛は伊丹領主・荒木村重に捕えられ土牢に1年ほども監禁されました。
その時の牢番・加藤重徳は官兵衛に手厚く接し、有岡城脱出の際の救出を手伝ったのです。官兵衛はその恩に報いるために重徳の次男玉松(一成)を育て、後には黒田24騎の一人として活躍するまでに成長しました。
その後24騎の家臣たちが次々と消えていく中で、唯一明治期まで1万6000石の家禄を家督相続しながら、家老の上座について重要な位置を占めてきました。

    
左は三奈木黒田家の初代当主黒田一成の墓、右は10代目溥整(ひろのぶ)の墓。サークルで溥聖の安政期の日記を解読することに挑戦しています。その意味での墓参りも旅の目的のひとつでした。

1個700gもある「新興」は、覆いの袋が少し破けるほどにパンパンに膨らんだ実が採り頃だそうです。3個で2キロの梨をゲットして重たいお土産に。滴り落ちる果汁と甘さとずしりとした重量感が、初めての梨狩りの思い出になりました。

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サンマ+松茸+秋ナス

2017年10月18日 | 食・レシピ

今年は国産マツタケが不作だそうで、店頭にもほとんど見かけません。カナダ産もなくて中国産のみ。全国展開のスーパーなら農薬の基準はどうにかクリアしているだろうし、一応は秋を味わってみるべく土瓶蒸しを作りました。サンマも小ぶりだけどキラキラ新鮮。秋茄子は地元産。

      

★ サンマの塩焼き(NHKの放送より。私には大事な調理方法です)
 ①両面焼きのグリルを3分予熱する
 ②10倍希釈のみりんを全体に塗る
 ③塩をふる
 ④強火で7分焼く 
 ⑤皿の上で2分間余熱を入れる

★松茸の土瓶蒸し
 土瓶にダシ、しょうゆ、塩、酒と、松茸、エビ、鶏肉を入れて火にかけ、沸騰す
 る直前に火を止めます。三つ葉か春菊を入れます。

★焼きナス。順序的にはサンマを焼く前に両面グリルで7分ほど。サンマを焼く時    
 の予熱の役割を兼ねます。

★松茸ご飯
 ①海外物は香りが少ないので、その分お米を減らして1合に、酒大さじ1弱、
  みりん小さじ2強、白だし大さじ1弱、塩小さじ半分程を入れて炊飯器の
  1合のメモリに合わせて水を入れる
 ②松茸を入れて普通に炊く。 


無形文化遺産だけど、和食は色味が少なくて地味・・・。そしてどうしても塩分が多くなります。
地味色の食卓に赤みをプラスするために、いただき物のレインボーレッドキウイを添えました。福岡県産の人気上昇中のキウイです。

       

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コスパ、最高!

2017年10月13日 | 本・新聞小説

天神のど真ん中に、見える「隠れ家」を発見しました。騒ぐこともないのですが、新しくつたや書店にカフェが入ったのです。
文庫本を買って2時間余り、コーヒーを飲みながらゆったりと読書をしてきました。主婦にとっては最高の時間空間です。
新刊に混じってリユースが陳列されていたらしく、私が買ったのがそれでした。料金を払う時にわかり、なんとラッキー!新刊と比べてもリユースも遜色ありません。大型書店もいろいろな工夫をしており意外でした。大歓迎です。

それにカフェも安い!2階の窓辺に席を取ると、目の前の街路樹の向うはパルコ。なのに騒音もなく実に静かです。何よりもその場所は路線価1㎡785万円で、これほどのコスパの良い場所と時間はざらにはありません。超低価格でリッチな気分、サイコーでした。

ところが読み終えて分かったのが、買った本は(一)だったので、(二)(三)(四)巻が必要です。Amazonでリユースを探すとなんと「1円」なのです!こんなの初めて。司馬さんに申し訳ない様な・・・。
でも背に腹は代えられません。早速マウスをポチッ!各巻に送料258円は必要ですが、二日後には届きました。本の好きな人は丁寧に扱うのでしょうね。紙の色が黄ばんだ経年劣化だけでした。

       

テレビではちょうど出版社の記者会見があっていました。各図書館に対して「出版不況をもたらすので、新刊本は1年間貸し出さないでほしい」という要望です。本が売れないのだそうです。それぞれが死活問題を抱えているのですね~。
写真は3円で購入した本。「貸出」よりも「リユース」の方が問題かも・・・。出版社さん、ゴメンナサイ。

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カズオ・イシグロ 「わたしを離さないで」

2017年10月09日 | 本・新聞小説

ノーベル文学賞受賞のニュースは、テレビのテロップよりいち早くスマホのライブニュースで知りました。マイクの前で発表された言葉の中に確かに日本人の名前の響きが・・・。ムラカミ・・・ではありません。かすかに聞き取れた「イシグロ・・・」に、瞬間的に数年前から話題に上るイギリス在住の日本語を話せない日本人作家が頭をよぎりました。
少し遅れて同時通訳の「カズオ・イシグロ」の名が。やはりあの作家でした。「えっ?・・・」と夫が急いで書斎に行き一冊の本を持ってきました。カズオ・イシグロ「私を離さないで」。

読書家だった夫の友人S氏が、亡くなる数年前に面白かったからとわざわざ我が家まで持ってこられた数冊の本の中にそれが入っていたのです。
S氏は無類の本好きという事もあって、丁寧に扱われていた本の扉には蔵書印を押した紙が几帳面に貼ってありました。夫もこの系統の文学書はあまり好みでないのでそのままになっていたようです。人文科学、社会科学と多岐にわたったS氏の愛読書と想い出話をひとしきり・・・。

ページをぱらぱらとめくると、何か読みにくそう・・・。「アルジャーノンに花束を」系の本はどうも苦手なのです。歴史上に生きた人間の生き様の方が興味を引きますが、S氏の送ってくれた気持ちとノーベル賞受賞作家の本ということで読み始めました。

    

ところが、ところが、夜の9時に読み始めて朝方4時まで一気に読み終わりました。ここでひとまず終わろうという切れ目がないのです。ひとつの謎が次の章でわかる、というような自然な流れになっています。

「介護人」「提供者」「ヘールシャム」「特別な場所」「保護官」など、最初はよく理解できない言葉が出てきますが、その謎がページを追うごとにおぼろげにわかってきます。それでも臓器提供はほのめかされながら明確に話題にされる事はありません。子供たちの背景や家族が全く出てこない閉鎖的な環境なのに、恵まれた施設と教育内容・・・。とても不可思議な、そして怖さのある世界です。

三分の一ぐらい読み進んだところで、保護官の「・・・あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老後はありません。いえ、中年もあるかどうか……。いずれ臓器提供が始まります。あなた方はそのために作られた存在で、提供が使命です。………あなた方は一つの目的のためにこの世に産み出されていて、将来は決定ずみです。……遠からず、最初の提供を準備する日が来るでしょう。それを覚えておいてください。みっともない人生にしないため、自分が何者で、先に何が待っているかを知っておいてください」という決定的な言葉に、「ヘールシャム」がクローン人間の施設なのだと確信しました。

牧歌的なイギリスのなだらかな丘に建つ「ヘールシャム」で、運命を静かに受け入れた生活は16歳で終わります。前半に比べて、「ヘールシャム」を出た後半の15年は、介護人生活のこと、数回にわたる提供者達の生活の支援など重苦しく進行します。
クローンゆえ子供を産めない身体にも、だからこそ、心身の恋愛は肉体の健康のためにむしろ推奨されます。クローンでも人間としてルーツへの苦悩、知りたいという願望、自分に似た2~30歳上の「ポシブル(親)」を探しに行くところなど身をつまされます。
医学の進歩と弊害、倫理感、クローン人間を作り出した人間がクローン人間に持つ恐怖感、差別感、恋愛、3年間の命の延長のための粘り強い抵抗と交渉など、奇怪な進展の中に多くの問題が含まれ、真実が含まれ、SF の世界のすぐ隣にある現実のように考えさせられました。

イシグロ氏の英文は土屋政雄氏の日本語訳です。ネイティブの英国人作家作品を日本語訳した角ばった文章とは違った趣があります。あたかも最初から日本語で書かれた様な流れるような優しい文体は、訳者が素晴らしいばかりではないように感じました。
きっと、友人S氏も自分の愛読書がノーベル文学賞作家の本になったことを天上で喜んでいることでしょう。                                                                                                                                                                                                                                           

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旅の編集(米国 1994年、1999年)

2017年10月03日 | 海外旅行(2003年以前編集)

日焼けした写真をスキャンしてパソコンに保存し、記録のなかった旅の編集作業をしています。

残された記憶を元に資料や写真の日付を見ながら編集していくと、意外に記憶は甦るものだと驚きました。不確定な場所の写真も背景を参考にして検索すると、その場所や建物が特定できるというパソコンのありがたさを感じています。

1994年のニューヨークは、そびえ立つ貿易センタービルがアメリカの国力と繁栄と誇りを象徴して、それは不動のものと思われました。ディナークルーズで、アメリカの国歌が流れるとアメリカ人は総立ちになって胸に手を当てて・・・。愛国心に満ちたアメリカの繁栄はずーっと続くと思っっていました。

★1994年6月  初めてのニューヨークとカリフォルニア

    

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そして、眠らない街ニューヨークが忘れられなくてもう一度計画しました。ちょうど福岡からアメリカ西海岸への直行便ができて、連休を利用すればアメリカといえども可能な旅になっていました。

★ 1999年3月 ニューヨーク & フィラデルフィア

    

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