新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

甲斐路の旅②

2009年06月30日 | 国内旅行記

涼しい清里から高原列車で甲府に下りてくると、まさに「下界」という感じで、盆地の暑さがこたえました。甲府といえばワイン。このチェックも欠かせません。

Kiyosato_035 サドヤ醸造工場の見学をした後、敷地内のレストランでランチをと考えていましたが、どうしてもスケジュールが合わずに、見学を断念しランチだけになってしまいました。でも、牛肉のワイン煮込み、モッツァレラチーズのデザートは、ワインと牛乳のご当地らしいメニューで納得。豚のワイン煮込みなんていうのもありました。醸造元のプライドでワインにはこだわっているようです。

JR中央本線で山梨に入り、長ーい笹子トンネルを抜けるとそこは一面のブドウ畑。ぱっと視界が開け緑が飛び込んで、なるほど文学的な景観です。勝沼ワイン、甲州ワインと国産のワインが多く出回るようになったのはそんなに昔ではありません。山梨の風土がワイン造りに合ったのでしょう、今では貴腐ワインもあるようです。前日泊まったペンションでは、国産は高いということで輸入ワインを使っていました。

山梨県立美術館・・・ミレーの美術館として有名なこの美術館には、今年の一月に新たに「ミレー館」が誕生し、ミレーとバルビゾン派の作品が展示されています。ミレーの作品が15点とは素晴らしいコレクションです。「眠れるお針子」と他3点は不況の昨年購入されたもの。山梨の文化に対する姿勢に、地方の美術館の使命と誇りを感じました。

この美術館は広大な芸術の森の中にあり、向かい側が県立文学館。手入れの行き届いたバラ園や池や茶室、音楽堂があります。その間に点在する野外彫刻が見ものです。これだけを一堂にさりげなく備えているその意気込みに脱帽です。山梨県の精神文化の豊かさでしょうか。ここをジョギングしている人のなんとも幸福そうな顔をうらやましく思いました。

佐藤忠良と奥のリンゴの佐藤正明、岡本太郎、船越保武、ザッキン、ムーア、ロダン。ほかにマイヨール、ブールデル・・・と、屋外にこれだけの彫刻を備えているところはそうはないと思います。

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夕食には、郷土料理の「ほうとう」をと思って、3人に聞いたところ、各人が「山梨の人は、ほうとうは食べませんよ。」とそっけない返事。確かにメニューの写真をみても食指が動きません。ぐるぐる回って探し当てたのが、手作り居酒屋「かっぽうぎ」。店をのぞいてみて若い女性のいるお店はだいたい美味しい証明です。薄味がよく浸み込んだ居酒屋メニューにはなまる!

ホテルに戻ったら、多分ウェルカムドリンクに地元のワインが提供されるはず。そう思って、タコの唐揚げをテイクアウトすることも忘れませんでした。

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清里の森で

2009年06月29日 | 国内旅行記
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 画像の真ん中の白い参画を押してください。画像が動き始めます。
上は、清泉寮のポール・ラッシュ記念センターへの小道です。セミと小鳥たちの鳴き声が聞こえます。
下は、清里写真美術館のロビーです。デザインがしゃれていて、ゆとりのある空間が印象的でした。5時過ぎで人気も少ないのでちょっとだけ撮ってみました。
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甲斐路の旅①

2009年06月27日 | 国内旅行記

 早朝6時に家を出発、7時過ぎには機内に、9時には羽田到着。新宿からJR中央本線で一路山梨へ。小淵沢で小海線に乗り換え、午後2時にやっと目的地の山梨県北部の清里に着きました。すぐ向こうは、もう長野県です。

 きよさと・・・、なんとも美しい響きの標高1300mの高原の街は、八ケ岳連峰の南麓の裾野にあります。80年代バブルのころに、都会の若者が押しかけるファッショナブルな高原の街…ということで人気を得ていて、九州からは遠い存在でした。今では、バブルが崩壊して観光客は半減し、訪れる年代層も上がったとか。駅前の商店街のシャッターが、いくつか下りているのがなんともさみしい感じがしました。が、いえいえまだまだ十分に清里の緑の広がりと奥の深さは色あせてはいませんでした。

★小海線ー高原列車・・・・・「ハイブリッド列車」は、まっすぐにそそり立つ白樺やカラマツ林をかき分けて、標高1300mまで傾斜をつけながら登っていきます。遠景の南アルプスとチラリと見えた富士山のシルエットが、九州から遠く離れたことを確実に証明してくれました。白樺林と洋風の別荘の組み合わせはメルヘンチックで、高原列車の快適な30分間は、いわゆKiyosato_012 る「清里」の導入部分なのです。

清里フォトアートミュージアム(K*MoPA) ・・・・・ 国内外の写真家の作品や、若手写真家の作品を積極的に収集し展示する写真専門の美術館です。基本理念の一つが、写真に情熱を燃やす青年たちの作品を未来への遺産として後世に伝えたいという素晴らしいものです。

 『2008年度 ヤング・ポートフォリオ展』で、若者の写真表現の情熱を観てきました。33カ国6281枚の応募の中から286枚が当館のパーマネント・コレクションとして購入され、それが展示されていました。

 まわりの風景や環境に配慮したモダンな建物も見る価値があります。写真芸術の発信地の名にふさわしい美術館でした。

 九州より早い夕暮れで、昨日は暖房をたいたという程の涼しさでした。清里では念願のペンションに宿泊。オーナーの楽しい話を聞きながら夕食をいただきました。鳥の声で眼を覚ました朝は気分爽快!巨大なサラダボールに山盛りのグリーンサラダを盛った中にいる…、そんな錯覚も起こしかねないみずみずしい朝の散歩でした。

*:・゜*:二日目は、オーナーから聞いた情報をもとに清里探訪です。Kiyosato_031_3*:・゜*:

清泉寮(財団法人キープ協会)・・・・・ 広大な緑の敷地の真ん中にある赤 いとんがり屋根 は清里のランドマーク。創設者の米国人ポール・ラッシュは、第2次大戦で疲弊した日本を立て直すべく、清里に酪農を中心とした高冷地農業を発展させようと心血を注いだのです。

Nisino_majyo_7EPから名付けられたもので、今もその夢と理想は確実に受け継がれているのがわかります。 Soft_4

アメリカン・フット ボールを広めたのもポール・ラッシュです。  

 この農場でできたケーキ、ジャム、ワイン、清里にちなんだグッズは人気商品。濃厚なソフトクリームは絶対に見逃せない一品で、混じり気のない清里の味を体に刻印してきました。Kiyosato_022_4

 そうそう『西の魔女が死んだ』のロケも、ここキープの森でした。写真はそのセットで、この1枚だけでも清里がよく表現されています。

清里ピクニックバス・・・・・ 観光スポットを4ブロックに分けて、レトロなバスは1時間20分で 一周します。乗車券300円。一日周遊券600円を上手に利用すれば、清里を思いっきり堪能できます。

 バスのコースは、「清泉寮」、絵画・造形・ガラス・絵本の美術館、「萌木の村」、温泉、お店、レストランなどを巡り、気にいったところで降りて見学し、また次のバスを待てばいいのです。柳生博さんの「八ヶ岳倶楽部」も林の中にありました。

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How much ?

2009年06月15日 | くらし

 バブル・・・、あの熱気はもう遠い昔になってしまいました。その頃 OL は、お金に糸目もつけずにブランド品や高級品志向でした。バブルがはじけかけても、その傾向は急には修復がきかなかった様な気がします。アラフォー・・・ですね。

娘がもう5年も前に先輩にもらってきたのは、そんな世相を反映した高級スカート2枚でした。まだ袖も…、でなく脚も通していないタグが付いたままのもので、なんと68000円の値札も付いています。バブルの熱気は、必要でもないものを簡単に買ってしまう・・・そんな精神状態にしていたのでしょう。今考えると怖いような気がします。その頃の旅行では、自由行動になると若い女性はブランド品のショッピングに余念がなかったようでした。

Kurasi_008 このスカート、輸入品とあって布地も縫製も申し分はないのですが、デザインが装飾的でちょっと首をひねってしまいました。娘も途方に暮れて、適当に処分しておいてとロッカーに押し込んだまま出て行ってしまいました。

 主婦には驚きの価格だし、簡単には処分できない・・・。どうにかしてこの宿題を片付けなければ・・・。

 いただいたその気持ちと、もったいないという気持ちに揺り動かされながら、1枚はバザーに提出、もう一枚はリフォームしてエプロンにすることに決定。

 我ながらグッドアイディアですが、ということは、エプロン1枚当たりHow much?  うーん、主婦の日常には気の遠くなるような値段です。

 プリントされたシルクオーガンジーの裏からグリーンの綿布がはってある12枚剥ぎのスカートから、ウエストのカーブを利用して2枚のシェフエプロンができました。エプロンの紐とウエストの部分は、スカートの裾の幅広のフリンジを利用したので、1枚のスカート布だけで、足しもせず減らしもせずに、効率のよい裁断ができました。

 市販のものと違って、ウエストにぴったりとフィットした着用感はばっちりです。が、洗濯表示がドライマークになっています。本来エプロンは汚れるもの。洗濯機の中でガラガラガラ・・・の運命は免れません。あとがどうなることか…。

でも、とにかくリフォームして、もったいない精神を形にし、それなりに努力したことは自分で納得。1枚は娘がもらってくれるかな・・・、たぶん要らないというだろうな・・・・。

  

   *:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:・゜*:

 VistaのService Pack2と Internet Explorer8.0をインストールした後から、ブログの写真がアップできないようになりました。OCNに問い合わせると、下記の返事がありました。

   『 恐れ入りますがご利用のInternet Explorer8.0では、
   ブログ人で対応しておらず、そのために不具合が生じていると
   思われます。
   Internet Explorer7.0以下をご利用いただくかFireFoxにて
   ブログ人をご利用いただけますようお願い申し上げます。』

 さっそくInternet Explorer8.0アンインストールすると、元通りに写真がアップできるようになりました。

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「よみがえる黄金文明展」福岡市博物館

2009年06月06日 | 美術館&博物館

 トラキア・・・。古代トラキアと古代がつくものは、世界史でもおよそテストとは無縁・・・。ということで馴染みのない名前ですが、2004年8月にブルガリア中部から出土したトラキア王の黄金マスクは「世界史の教科書が書き換えられるほどの偉業」「ツタンカーメンのマスクに匹敵する」として21世紀の大発見として注目を集めました。

 ニュースだけでは単なる知識で終わっていたのが、展覧会場に入ったとたんに圧倒されました。マスクよりもっと古い、紀元前5000年前の集団墓地から発掘された王笏、腕輪、アップリケの5つの黄金細工が展示されていたのです。

 従来、新石器時代と考えられていた紀元前5000年に、すでに金製品の文明があった・・・!それはエジプト王朝よりはるか昔、ブルガリアの地に世界最古の黄金文明が存在したといことなのです。驚きと素晴らしさに意表をつかれた思いで、ボクシングでいえば第一ラウンドが終わる前に完全にKOです。

 ホメロスの「イリアス」に黄金の国トラキアの記述が見られますが、トラキア人はもともと文字を持たなかったためにギリシャの文献に頼るしかなく、いまだにその歴史は謎に包まれています。

Appurike_2 左は紀元前5000年前の雄牛型アップリケ。大きさは6センチぐらい。この輝きが紀元35masuku_2前5000年のトラキアの技術とセンスを証明しています。どうやって金を発見したのか ・・・・。すごい文明だったのです。

 右が世紀の大発見トラキア王の黄金のマスク」。紀元前5世紀後半のもので672g。(ちなみにシュリーマン発見のアガメムノンのマスクは60g)

 1989年の社会主義体制の崩壊でモラルが低下して盗掘が横行し、それを恐れた調査団はてっとり早く重機を使って発掘をしたとか。発掘調査といえば、刷毛で丁寧に土を落とす手作業を見慣 れていたので、これにも驚きです。Photo_4墓石の重みでマスクの中央がへこんでいるので、かえって表情に愛嬌が感じられます。

 マスクと同じ部屋に展示されていた華麗な黄金の花冠は紀元前4世紀中ごろのもので、高度な金細工技術がしのばれます。

 マスクと花冠だけが展示されたこの部屋には、ローズオイルのほのかなバラの香りが漂っていました。

 というのも、 このマスクが発見された場所が「バラの谷」と呼ばれる広大なバラ畑の中。1リットルのローズオイルを生産するためには3トンのバラの花が必要だとか。ブルガリアはローズオイルの生産地で、世界市場の8割を占めているそうです。金色の輝きとバラの香りのコラボレート!素敵な演出です。

 人類が今までに採掘した金の量は、オリンピック用のプールに3つ分とか。170点の展示物のほとんどが金、金、金。ホメロスさえもが称賛した黄金造りのトラキアには、勇猛果敢な戦士も多かったようです。群雄割拠で一つにまとまることがなく、もし全民族がまとまったなら、世界でも最強を誇ることができたはず・・・と、古代歴史家のヘロドトスは言っているそうです。

Torakia_2 造形の美しさと繊細さを、カタログに出ている分だけでも載せておきます。

 上から黄金の花冠(前4世紀)、腕輪(前5000年)、鹿型リュトン(前4世紀末~前3世紀初)、 フィアラ杯(前4世紀末~前3世紀初)、

 下段左からアンフォラ型リュトン(前4世紀末~前3世紀初)、女性頭部型リュトン(前4世紀)、兜(前4世紀前半)

 トラキア人としては、紀元前3000年ごろよりブルガリアを中心に広大な勢力を築き始め、前1200年ごろのトロイ戦争ではトロイ側につきました。古代ギリシャの影響を大きく受けて社会的経済的に発展し、最盛期は紀元前5世紀~前3世紀。

 その後1世紀の中頃にはローマ帝国の、5世紀にはビザンティン帝国の属州となり、500~700年頃に、スラブ人や遊牧民族ブルガール人の侵略でトラキア文化は消滅しました。

 いまだに謎の多いトラキアの歴史と秘宝の数々は、存分に好奇心をくすぐり大変充実した満足度の高い展覧会でした。

 発掘されて間もないというのに、トラキアの遺宝のまばゆいばかりの金銀宝飾品を貸し出し、日本に初公開してくれたブルガリアに感謝します。

 そうそう、映画でカーク・ダクラス扮したローマ帝国の反逆者スパルタクスはトラキア人でした。ローマ帝国下では奴隷で剣闘士でしたが、今ブルガリアでは強大な権力に立ち向かった国民的英雄だそうです。

 ブルガリアといえば、以前は大きな粗末な瓶に入ったイチゴジャム、今はヨーグルト、琴欧州・・・。海外旅行もまだ少ない…という感じですが、紀元前5000年といえば、日本はまだ草創期縄文時代・・・と思うと、とても不思議な浮遊感を味わいました。

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