新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

晩秋の庭

2007年11月29日 | ガーデニング

Sanpo_2071112niwa_006 旅行から帰ってくると、公園の桜の葉が見事に色づいていました。すごく冷え込んだ日があったと聞いて、それがよかったのでしょうか。今年は、街路樹の紅葉もことさら美しく思われます。

写真はウォーキングコース。旅行で増えた体重もこのコースで元通りに。周囲500mのウォーキングコースは夜になっても、たくさんの人がひたすら歩く、歩く、歩く!無料のダイエットコースは有り難い!

晩秋の庭は、夏の名残の花がまだ咲いています。ハーブ類は、触るとパイナップルやストロベリーのおいしい香がするし、ランタナはほっといてもすくすく育つ手のかからないスグレモノです。

071129_2ちょうど1年前に突然死んでしまった愛犬チャグ。留守中によくチャグの世話を頼んでいたOさんも大変悲しんでくださって、哀悼のお花をいただきました。

花が枯れたあとにさし芽をしていたら、初めて黄色の花を咲かせました。たった1本だけ根付いて1年がかりで成長し、チャグの命日に照準を合わせたように花開きました。 嬉しくて大切に育てようと思っています。

旅行の間に、寄せ植えのポットも株が大きくなり、スィートピーとポピーも芽を出し、やっと移植をしました。花壇の苗の植え付けもやっと終わりました。球根はゆっくり冬眠をすることでしょう。

コメント (5)

07 イタリア旅行 7,8日目

2007年11月26日 | '07 秋 イタリアの旅

早朝6時ローマのフィウミチーノ(レオナルド・ダ・ヴィンチ)空港に向かって出発。ホテルの厨房がまだ開かないということで「お弁当」。といっても簡単な飲み物とパンとビスケットの類。パンがおいしかったからよかったものの、なんとも侘しいものです。だーれも文句を言わないところがまた「すばらしい」と思います。(そういえば、10年前も帰るときはこんな感じでした。)

出国審査は相当に厳しく、ビニール袋に入れた液体類や機内持ち込みのチェック。マフラー、コート、ジャケット類は脱いでボディチェック。場合によっては靴も脱がされます。このあとパスポートの検査があり、さらに搭乗直前にもう一度機内持込のバックを開けて検査。なかなか疲れるところです。

Ekitai0001_2液体類は1個が100ml以下合計1000mlまでジッパーつきの縦横20センチの透明ビニール袋に入ることが条件。旅行ガイドには写真のように出ています。

昨年までは全く気にしなくてもいいことでした。厳しくなったのは、確か今年の3月からだった思います。だから、旅先で買ったワインもオリーブも持ち込めません。買ったお土産は、ドライトマトやポルチーニ、オリーブ石鹸などなど。出国審査が終わったあとロビーの免税店で買えばいいようです。

071113italy_389イギリスのヒースロー空港に071113italy_391向かう途中、アルプスの山々が見 えました。この山を越えて、ナポレオンはイタリアに攻めたのです。

帰りは、ヒースロー空港での乗り継ぎ。今までのツアーではほとんどが乗り継ぎ便で、直行便は3回ぐらいしか経験していません。これだと楽です。でも、乗り継ぎでは時間的にもゆとりを持って計画されているので、時差の関係もあり2日がかりになってしまうのです。ふーっ。

071113italy_401JALの機内食は、帰りには必ず小071113italy_403さな蕎麦がつき、のびていると はいえかなり味もいいので楽しみです。繊細な和の味は、イタリア料理の後には、かなりの高得点もの。よく煮込んだルーがおいしいカレーライスもばっちり。これももう和食の部類に入っています!

フライトの12時間は、あまり眠れなくてひたすら映画を観ていました。封切前の観たかった映画もありラッキーでした。

翌日12時50分に関西航空に到着。国内乗り継ぎのカウンターで、自分で気づかなかったスーツケースの破損を指摘してもらいました。JAL側で修理してもらえるとのことで助かりました。

スケジュールが密だったので、長ーい旅をした感じです。時間に振り回されたけど、個人旅行でこの観光をすれば、何倍も時間がかかったことでしょう。パック旅行の長短を考えるとき、やはり長のほうが大きいと思います。

塩野七生作品をイメージしながらの旅は、私には何かひとくぎりついたという感じをもてました。そしてもう一度読んでみたい本も出てきました。

帰宅したら、前もって冷凍しているおにぎりと、お味噌汁と、お漬物があればもう充分です。

コメント (9)

07 イタリア旅行 6日目

2007年11月26日 | '07 秋 イタリアの旅

また朝早い出発で、南イタリアのポンペイを目指して255キロ。途中のトイレ休憩でコインがなくて大変。コインが欲しくてガム2個とキャンデー2個で10ユーロだしたら、おつりに5ユーロ紙幣しかくれなくて失敗。ミネラルウォーターならコインでお釣りをくれると思って、5ユーロ紙幣を出したら、お釣りがないといって売ってくれません。日本のトイレは無料!なんと便利でありがたいことかと実感しました。

Ponpeigousei_2紀元79年夏のある日、突然ヴェスヴィオ火山の噴火で灰に埋もれた古代都市ポンペイ。都市の機能と生活を一瞬にして奪われたまま6mの灰の下に1700年も封印されてしまったポンペイ。それが発掘されて当時の姿がそのままの状態で目の前に。なんとドラマチックでしょう!写真はフォロ(政治、経済、宗教の中心地)。

071113italy_316071113italy_292_2街は碁盤の目のように規則正しく、古代ローマ人の生活そのままが目の前に広がっています。パン屋、焼き窯、バー、共同水飲み場、男女に分かれた浴場、サウナ、エステの部屋。

個室に分かれた娼館には、美しいフレスコ画も残っていてみんな興味津津。アダムとイブ以来原罪を背負っているのですから。

071113italy_288 右の写真は車輪の後が残る石畳の道路。石を高く並べた横断歩道は、馬車の車輪が通れるように工夫されています。水道の鉛管はむき出しに見ることができるし、下水もあったのです。インフラの整備された都市。これが今から1900年も前の世界なのです。ローマ帝国の偉大さが偲ばれる遺跡です。

071113italy_307心を打つのは、灰に埋もれた人々の遺体が空洞化し、そこに石膏を流し込んで、逃げ惑う市民の形が再現された展示です。演技ではない本当の死の恐怖が伝わってきてやりきれない思いでした。

鉄の鎖のような痕があるのは、多分奴隷だったのでしょうか。これだけの大都市を作るには、奴隷の存在なしには実現されなかったでしょう。

071113italy_334昼食はボンゴレスパゲティとタコのフライ。甘味のあるタコが絶妙な味でした。赤いのはトマトジュースではなくブラッドオレンジジュース。これで4ユーロもするのです。高い、高い!イタリアは何でも高くなっているというのが実感でした。

ワインは、ラクリマクリスティの白。「キリストの涙」という意味の美しい名前です。噴火で荒れ果てたナポリの街を天上から見たキリストが、哀しみのあまり涙を流し、その涙が落ちた場所にぶどうの木が生えたことからつけられた名前とか。イタリア南部のワインです。

071113italy_349ポンペイの帰りにナポリに回りました。ここは観光客にとっては危険な場所だそうで車窓からのみ。

街の中は、東南アジアのような猥雑な感じがありました。

1回だけ写真スポットに降りましたが、「貴重品はバスに置いていってください。」と、なんともナポリにとっては不名誉な印象しかありませんでした。

夕食はホテルでローマの代表料理サルティンボッカ。テーブルに添乗員さんに入ってもらって、ワインを飲みながら楽しい最後の晩餐となりました。何のトラブルもなく、こんなにスムーズにいったグループも珍しいと言ってもらうと、やはりみんな嬉しいものです。

え~っ、明日のモーニングコールは5時!今からスーツケースの荷物をまとめないと!

コメント (9)

07 イタリア旅行 5日目

2007年11月25日 | '07 秋 イタリアの旅

早い出発、7時45分!フィレンツェから1時間ほどでシエナに着きました。

071113italy_218_2 071113italy_229シエナは、ローマ建国の際に、双子の兄ロムルスに敗れた弟レムスの子供たちによって開かれたという逸話の街です。

トスカーナの丘に立つ赤茶色の街。それがシエナです。 建物が今も当時の姿で残り中世の香ぷんぷんです。

曲がりくねった石畳の道、細い路地。細くても車も走っています。古い館に洗濯物を見ると、14世紀の歴史が今も大切に息づいているのが分かります。

071113italy_220シエナは南北ヨーロッパの交通の要所に当たり、商取引が発達し商人と銀行業の街として繁栄しました。巡礼の道でもあったので、巡礼者のための病院活動も盛んだったそうで、Img_2467_3 内部にフレスコ画を持つ病院は今は美術館になっていました。 1472年の銀行は現在も続いていて、そこに誇り高きシエナを見ました。

フィレンツェの大聖堂よりも大きい聖堂をと計画されたドゥオモは、14世紀半ばのペストの流行で2/3が死亡。計画は中断されたままで、その聖堂にシエナの栄光と挫折を見ることができます。

071113italy_227_2街の中心にあるカンポ広場は、 ゆるく傾斜した貝殻状の美しい広場で、「世界一美しい広場」の異名があるそうです。市民は、ここに砂を敷いて行われる伝統行事のパリオ(地区単位の裸馬のレース)に熱狂し、市民の結束を確認するとか。

貝殻状の広場にはプブリコ宮マンジャの塔があります。ここで添乗員さんから、伝統菓子のパンフォルテ(小麦粉、アーモンド、蜂蜜、ドライフルーツなどを固めて作った日持ちのいいお菓子)の話が出たものだから、みんないっせいお店をめがけて飛び散りました。私は入手に失敗。

071113italy_236バスはローマに向かって240キロをまた走る、走る!今までとはがらっと代わった近代的な街の姿、それがローマです。ここで昼食のピッツァ。顔より大きいマルガリータに「え~えっ・・・」といっていたみんな、ぺろりと平らげました。レンガ窯焼きは美味でした。

昼、夕食は、アンティパスト(前菜)、プリモ・ピアット(主食で主にパスタ)、セコンド・ピアット(魚介類)、それにドルチェ(デザート)がつきます。飲み物は各自オーダー。ドルチェはティラミスやクレーム・カラメル。ジェラートのときもあります。

以前に比べると、ローマ市内はお祭りのような人出で、特にトレビの泉スペイン階段では疲れましたー。解説を聞きながら、塩野さんの『ローマ人の物語』の記憶を引っ張り出し、一人納得しながらわくわくしてバスから眺めていました。トラヤヌスの記念柱も車窓からですが、しっかり確認しました。フォロ・ロマーノの下車観光ができなかったのが残念です。

夕方、三越でショッピングタイム。ここで1時間半もつぶすのはもったいない。夫と2人で暗くなりかけた街を散策しました。あちこちで割引セールをしていました。ローマの人もやはり並ぶんですね~。歩かないとやはり旅の実感は味わえません。

Img_2523 夜はカンツォーネディナー071113italy_278_2 マカロニを長くした穴あきパスタ。この人数では伸びるのもしかたない・・・。みんな残していました。セコンド・ピアットのチキンも量が多すぎて見ただけでお腹いっぱい。カンツォーネは声の伸びもすばらしくさすが本場です。

カンツォーネを聴いたあと、郊外のホテルに着いたのは21時。明日のモーニングコールは6時。出発は7時半。

コメント (7)

07 イタリアの旅 4日目

2007年11月23日 | '07 秋 イタリアの旅

今日の午前中は、フィレンツェ市内観光。まずは市街の大パノラマを眺められる丘の上のミケランジェロ広場へ。

Hirobagousei_2巨大なクーポラはフィレンツェのシンボルでサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオモ)。高さ91m。その左はジョットの鐘楼。左端は静かに流れるアルノ川とベッキオ橋。街全体に統一感があり世界遺産の名に恥じない美しい街です。15世紀、この街でメディチ家をめぐるルネッサンスの文化人、芸術家たちの人間模様が繰り広げられました。

071113italy_194071113italy_184_2 ドゥオモの内部は重厚な造りで、天井にはヴァザーリのフレスコ画

シニョーリア広場には、一時衰退したメディチ家を再興したコジモ一世のブロンズ像や、多数の彫刻が立ち並んでいました。

ルネッサンス絵画を堪能できるウフィッツィ美術館は、絶対に見逃せないところです。2000点の名画から選択するとなると、やはりガイドさんについて回るのが一番賢い旅行者的歩き方です。前回はフィリッポ・リッピ『聖母子と天使』が印象に残りましたが、今回はダ・ヴィンチ『受胎告知』の表情の美しさが目に焼きつきました。

中華料理の昼食にみんな大喜び。午後は嬉しい自由行動です。ほとんどの人はオプションのピサ観光でしたが、私たちは前から狙っていたメディチ家礼拝堂ピッティ美術館に行きました。入場券は、前者が6ユーロ、後者が8ユーロ。

富と名誉を知らしめるためのメディチ家礼拝堂は、外観は質素ですが、豪華な大理石や宝石を使った内装が圧巻です。ミケランジェロの屈指の名作が3面にあります。

071113italy_178賑やかなヴェッキオ橋を渡ると、ピッティ宮があります。その中に美術館・博物館があるのです。ティツィアーノ、ヴァン・ダイク、ムリーリョ、ルーベンス、ボッティチェリ・・・の名画が、壁面全体に所狭しと掛けられています。ラファエロ9点はやはり別格!あの有名な『小椅子の聖母』もここにあるのです。071113italy_207_3

これだけの名画を備えているのに、ウフィッツィほど入場者が集中しないので、ゆっくりじっくり観られるのはなんたるラッキーさ!5時まで2巡しました。

宮殿の壮大なイタリア式庭園のボーボリ公園もすばらしいものです。ずっと奥に丘状に広がっています。前回は庭園内のカフェでティータイムでしたが、今回は時間がなくて見るだけにとどめました。

夕食はまたイタリア料理。毎回ワインとデザートが楽しみです。

明日はまた早起きです。今までは寒かったけどずっと快晴。明日も晴れそうです。

コメント (6)

07 イタリアの旅 3日目

2007年11月22日 | '07 秋 イタリアの旅

今日のヴェネツィア市内観光は私にとっては一番の目的のところです。塩野七生『海の都の物語』は、ヴェネツィア共和国の1000年の壮大な盛衰史です。資源も何もない沼地のようなところから、どのようにして地中海の覇者になっていったかが面白く書かれていて、ぜひこの目で確かめたいというのが念願でした。

071113italy_105Venis6_5 時40分に本土を出発したバスは、長~いリベルタ橋を渡ってヴェネツィア本島へ。ローマ広場でモーターボートに乗り換え、一気にサンマルコ広場の見える船着場に向かいました。水上から見るヴェネツィアの街は、まるで水に浮かんでいる様でとても感動しました。

5~6世紀に本土を追われた人々が、水に囲まれた土地なら侵略者から身を守ることができると、泥湿地の小さな島に営々と人工の都市を築いたのです。なんとも心を揺さぶる話です。

この街の下には、無数の木の杭が打ち込まれ、その上に海水に強いイストリア半島産の石材を何重にも積み重ね、その間はセメントで固めて強固な地盤作りをしているのです。右の図は、『海の都の物語』より、抜粋しました。

071113italy_136_2ヴェネツィアの守護神を祭るサン・マルコ寺院。天井のモザイクはすべてガラス。この装飾モザイクのガラスを作ることによってヴェネツァのガラス製造が発展したそうです。

1時間の嬉しいフリータイムは、ドゥカーレ宮殿見学。入場券が12ユーロと高かったけど、ヴェネツィアの富の象徴であり、ドージェの住居としてもぜひ観たかったのです。十人委員会の間、元老院の間、世界最大の油絵ティントレットの『天国』・・・などが観られました。じっくりというわけにはいかなかったけど、本のイメージと重ね合わせて感動の見学。集合時間のために出口に急いでいて、なんだか殺風景な通路になったと思っていたら「牢獄」の方向に迷い込んでいました。

071113italy_143071113italy_114_2 ヴェネツィア体験には、ゴンドラ遊覧は欠かせません。ゴンドラは片方の櫂しか使わないので左右非対称。1艘300万円するらしく、漕ぎ手をゴンドリエーレと呼ぶそうです。狭い水路でも櫂をたくみに操って、石の建物にこするようなことも、対向のゴンドラにぶつかるようなこともありません。

写真右は、ゴンドラから見た街の細い細い路地。石畳で覆われて、縦横無尽に走っているようです。車の乗り入れができない島内では、荷物の運びは手押しの二輪車。数多い階段状の橋も事実にたくみに上り下り。ヴェネツィアの暮らしぶりが分かるようでした。

071113italy_141魚介類が豊富なヴェネツィアの昼食は、イカスミパスタとエビのから揚げ。ギョッとする黒色。日本では馴染みのない色に似合わずとても美味でした。毎回必ずでてくるイタリアのデザートもおいしいです。

これからフィレンツェに向かい、高速を走って走って4時間。車窓のトスカーナの景色を充分に楽しみました。ポー川をわたり、本の中に出てくるフェラーラ、ボローニャも地図で見当をつけました。ホテル着は19時30分。

フィレンツェのシェラトンホテルは、サッカーの中田選手が3年間、もちろん最高級の部屋に住んでいたそうです。同じ宿にとまるなんてもったいな~い!

ホテルでの遅い夕食でしたが、雰囲気も上々でちょっとリッチな気分になりました。

明日は少しゆっくりの出発のようです。

コメント (6)

07 イタリアの旅 2日目

2007年11月22日 | '07 秋 イタリアの旅

071113italy_0358時15分、予定通りの早い出発。みんなの呼吸はぴったりです。目指すはスフォルツェスコ城

14世紀の終わりに野武士の中から台頭し、1450年にはミラノ公国を建ててイタリア四大勢力の一つにまで成長したスフォルツァ家の堅牢な造りの城です。10年前には予備知識もなく、大砲の石の玉が積んであっただけの印象でした。

でも、今回は塩野氏の『ルネッサンスの女たち』をもう一度読み返していたので、イメージが膨らんで一人悦に入っていました。“イタリア第一の女”といわれた女傑のカテリーナもここで育ったのです。本と歴史と建物がぴったり重なる快感は本人だけの喜びで充分です。

071113italy_040071113italy_043 写真はスカラ座。スカラ座広場からヴィットリオ・エマヌエレ2世ガレリアを通ってドゥオモ広場へ。

ヴィットリオ・エマヌエレ2世ガレリアは、芸術的な美しさのアーケードです。巨大な鉄枠のガラスのドームの天井はアールヌーヴォー様式です。その大きな壁面には四大陸をイメージしたフレスコ画が描かれて見事なものです。高級ブランド店やカフェが立ち並ぶガレリアで使ったのは地下のトイレだけ。有料かな・・・と思ったけど、係りの人がいなくて無料でした。

071113italy_053071113italy_065ドウォモは、イタリア最大のゴシック建築で完成までに500年を費やしたという気の遠くなるような建物です。

天に高く伸びた尖塔は135本、彫像は2245体もあるとか。

美しいステンドグラスは、大部分が15~16世紀のものです。

黄金のマリア像や、生きたまま皮を剥がれたという聖バルトロメオが、その皮膚を体に巻きつけている生々しい彫像もありました。

リゾットの昼食の後は、ロミオとジュリエットの街世界遺産ベローナへ。ここはミラノとヴェネチアの中間地点で昔から交通の要所です。

071113italy_089071113italy_085古代ローマの植民地だったことから、2000年の風雪に耐えた円形競技場「アリーナ」があります。ローマのコロッセオより保存状態がいいとか。

今もオペラの公演に使うそうで、収容数は22000人とか!すごい!土木建築がいかに進んでいたかがわかります。2000年前は日本は弥生時代・・・。

14世紀の街並みがそのまま残っていたり、右上の写真は、エルベ広場の16世紀のフレスコ画が残っている建物です。何気なく残っている中世の趣が感動です。

071113italy_073人気のジュリエットの家。このテラスから「ロミオさま、どうしてあなたはロミオなの!」と苦しい恋の声が聞こえてきそう。ヨーロッパ中からの観光客で混雑していました。

ダンテが「神曲」を書いたところということで、シニョーリア広場にはダンテの彫像もありました。

各時代の足跡を大切に残していて、さすが世界遺産の街でした。

1時間半ぐらい走って、ヴェネチアへ。今は街に入るために許可書がいるそうでドライバーさんが小さな事務所に入っていきました。

夕食の舌ビラメの料理を食べたあと、戸外で迎えのバスをかなりの時間待ちました。世界遺産の街は道路が一方通行で、タイミングが合わないとなかなかバスと出会えません。温度は手持ちの温度計でなんと6℃。寒~っ!

今日のバスの走行距離は4時間あまり。私にとっては、車窓の景色も本と重ね合わせて楽しいひと時です。明日はまた早起きです。

コメント (9)

07 イタリアの旅 1日目

2007年11月21日 | '07 秋 イタリアの旅

かって娘と訪れたイタリアで、その歴史と芸術に圧倒されて以来ずっとイタリアを思い続けていました。塩野七生さんの著作にぐいぐい引き込まれ、ルネサンスの美術書を見るたびにその思いは深まっていきました。

そして、トレビの泉で肩越しに投げたコインの効き目はやっと10年経ってから表れました!

成田発13時25分、JALは快晴の中をアムステルダム経由でミラノに向かって出発。アムステルダムまで12時間。ここで待ち時間3時間。さらにミラノへ向かって2時間飛びました。071113italy_001

071113italy_004 飛んで、飛んで、飛んで、食べて、食べて、食べて、飲んで!少し寝て。

映画も未公開のものも含めて、観ました、観ました、観ました!

シートの面積だけが自分の居場所。念のためにシートベルトをしてほぼ軟禁状態です。

機内食2食とドリンク、おやつタイムと、客室乗務員さんは、ワゴンを押して回ってまさに食の世話係。さわやかな美しい笑顔に救われます。

各空港では、セキュリティチェックが相当に厳しく、何度関門をくぐったやら・・・。写真はアムステルダム空港。そろそろクリスマスのイルミネーションもちらほら。

ミラノのホテルに着いたときは、自宅を出てからすでに一日が経とうとしていました。ツアーのグループは36名。こんなに難儀な道のりでも、スーツケースはシールの跡がべたべたと、ヨーロッパ大好きの人たちばかりのようです。

明日のモーニングコールは6:45。出発は8:15。「うわ~っ、はやーっ!」の声があちこちで。

でも、旅の疲れもものともせずに、みんな涼やかな顔でメモを取っていました。これから8日間、スーツケースを開けたり閉めたりの忙しい日が続きます。

コメント (5)

カボスのマーマレード

2007年11月04日 | 食・レシピ

今の季節にいただくのは、秋の香がプンプンのカボスです。大分産を2kgもいただきました。昨年までは鍋物にしか使わず、最後まで使い切るのはなかなか難しくて。

そこで思いついたのが、甘夏のマーマレードにヒントを得たカボスマーマレード。早速挑戦してみました。(1kgの作り方です。)

  1. 071016hakataza_005 カボスの緑の皮をピーラーで薄く剥きます。
  2. タップリのお湯で20~30分ほどゆでたら、水を取り替えながら一晩アク抜きをします。
  3. カボスを横半分に切り、種を取り除いて、真ん中の星型の硬い芯をはさみで切り取り、汁をしぼります。しぼり汁はそのままとっておきます。
  4. 3のカボスの半分の量を薄くスライスし、残りの半量はざく切りにして水1カップ弱を入れてミキサーにかけます。
  5. 3のしぼり汁に水1カップ弱、砂糖500g前後を入れて火にかけ、アクをとりながら煮ます。105℃ぐらいになったら、4でスライスしたものとミキサーにかけたものを入れて煮ます。
  6. 焦げないように混ぜながら、木杓子で底に一文字が書けるようになったら火を止め、保存容器に入れて冷まします。およそ1リットルのマーマレードができます。少しゆるいかなと思うくらいで火からおろした方が、冷えてちょうどいい硬さになります。

07104kabosu_004_2今日の朝食は、カボスのオンパレード。パンにもヨーグルトにもカボスマーマレード

サラダには、絞り汁にしょうゆを混ぜただけの新鮮でマイルドなカボスしょうゆのドレッシング。(しょうゆとかけ醤油を混ぜて入れてもおいしいです。)市販のものよりずっとマイルドです。

バナナのスライスにカボスを搾り、グラニュー糖をふりかければ、ちょっと目新しい朝の一品になります。(これはイタリアに行ったときにデザートとしてでたものです。もちろんカボスでなくレモンでしたが。)

今まで網に入ったカボスをいただくと、ふっとため息が出ていたのが、今年はもう3キロ目を使っています。カボス大歓迎です!

コメント (12)

京都旅行③

2007年11月02日 | 国内旅行記

071030kyoto_065071030kyoto_071びわ湖畔の夜明けはたいへん印象的で、21階の部屋から眼下を見下ろせば釣り船が点々と。朝靄の中に、まるで浮世絵の世界でした。

びわ湖の周りに住む人たちは、いつもこんな贅沢な景色と雰囲気に浸っているんですね~。

今日は、私たち2人は大阪市立美術館の『BIONBO/屏風』展に行き、他の5人はびわ湖の東岸の石塔寺、安土城址方面に行くことになりました。

『BIONNBO/屏風 日本の美』展の大阪会場は、今日がオープニング。8月頃よりいろいろな情報を得ていたのでぜひ見たいと思っていました。

「BIONBO」は「ビオンボ」と読み、屏風という意味のポルトガル語、スペイン語です。屏風は、生活の中に、祭礼に、儀式にと多機能を持つと同時に、海外の貴顕への贈答品であったという大きな役割も担っていました。

オランダや朝鮮に贈られた屏風が里帰りし展示されるとは胸が躍るものです。さらに驚きなのは襖絵を屏風に仕立て直し、それがドイツ、アメリカ、日本に散逸し数奇な運命をたどったものが、今回一堂に会しめでたく再会。元の屏風の復元にせまるというドラマッチックな展覧会でもあるのです。

Repanto2_2『レパント戦闘図・世界地図屏風』は、この時代に、日本の絵師が広く海外にまで目を向けていたことがわかって、塩野七生著『レパントの海戦』を彷彿とさせるものでした。

興味深かったのは、オランダに贈る返書の写しが展示されていたことです。清国のアヘン戦争のようにならないように、日本に開国を進めるオランダの文書に対して、返書は日本はまだ開国の時期でないとしたためられていました。海外への文書ともなれば、写しといえども上質な和紙と格調高い墨蹟が見事でした。なんだか、歴史の一場面に遭遇した感じでした。

100点ほどの展示は、京都に舞い戻る時間を考えるとゆっくりは見られませんでした。帰りの乗車を新大阪からしたらとみんなは勧めてくれましたが、最後はみんな集まってきちんと挨拶とお別れをしたいと思って。大阪環状線の乗り継ぎでだいぶ時間をとり大幅に遅れましたが、6個の携帯が飛び交い無事に全員に会えました。

かくして2泊3日の親子、婿殿のフルメンバーの旅も終わりました。「楽しかったね~!」の母のひと言が嬉しく心に響きました。

Toritetu2博多駅に着いたのがちょうど夕飯時分。居酒屋「とり鉄」で旅の終わりを締めくくりました。京都の上品な和食もいいですが、博多の居酒屋メニューに舌鼓を打ちながらくつろぐのもいいものです。

写真は、とり鉄名物ばくだんつくね串。卵の黄身をつけて食べますが、母も大好きです。

コメント (8)

京都旅行②

2007年11月01日 | 国内旅行記

さて今日は、二手に分かれて行動することになりました。栂尾組と市内観光組です。

この数年間に、母と娘たちは数回の京都、奈良観光をしており、周辺のまだ行っていないところは?・・・と地図と首っ引き。

071030kyoto_030 曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)洛北の屈指の名刹で、門跡とは皇室一門の方による住職の寺をいうのだそうです。建築様式に桂離宮との様式の類似点が見られるそうです。

狩野永徳の襖絵、探幽の障壁画、遠州好みの枯山水が名刹の名を裏付けています。「上之台所」の特別公開はラッキー!貴賓をもてなす時に使われたものだそうで、主婦はやはり台所の大きなかまどが気になります。

Mansyuin_3曼朱院に到る道は、両側から延びたカエデの葉がつながって、まさにトンネル。ほんの少し色づき始めたもみじのトンネルに、思わず「わぁ~っ!」と声を上げてしまいました。

運転手さんの説明によれば、関東の人は、きちんと色づかないと納得しないけど、京都の人は色づき初めを「見ごろ」というそうな・・・。「ほんの少し」が京都人の奥ゆかしさを表している071030kyoto_050 のでしょうか。

★詩仙堂―こんなに美しい名前なら・・・という期待どおりの、閑静で起伏のある庭は、文人石川丈山の住まいにふさわしい品のあるひかえめな住まいでした。

詩仙の間には、中国の36詩人の肖像(狩野探幽画)と詩がかけられています。鹿おどしの音が、ここに不釣合いなほど大きかったのは、まさに鹿猪が庭園を荒らすのを防ぐためで、むしろその音を楽しんで老隠の慰めとしたのだとか。丈山は、煎茶(文人茶)の開祖でもあるそうです。

★泉仙(いづせん)071030kyoto_054大徳寺の境内を曲がりくねって進んだ大慈院の中に泉仙があります。肉を一切使わない精進料理。豆腐や揚げで本当の鶏肉のように料理したものもあり、その味と技に魅せられたリピーターの私が、ここを推薦。みな満足でした。外人さんが多く、縁台での食事が気に入ったようです。きっと英文ガイドブックに書いてあるのでしょう。こんなに曲がりくねった奥まったところがよく分かったものだと感心しました。

禅僧の使う鉄鉢を形どった漆の器に、四季の野菜を使った料理が美しく盛られてでてきます。食べ終わったら、こんなに合理的に重なってしまうところが見事!

★竜安寺071030kyoto_056 ― 石庭=竜安寺というほどに著名な枯山水の庭は、もちろん世界文化遺産。こ071030kyoto_058 こに来れば、みんなが自然に方丈の縁側に座って庭を眺めたくなります。

ツアーのガイドさんの大きい声が耳に入ったんですが、塀の奥に行くにしたがって低くなるように設計されていて(要するに遠近法を取り入れているのかな?)、実際よりも広く見えるように工夫されているそうです。塀は、土に油が混ぜてありレンガより強度があるとのこと。池泉回遊式の広い庭園も見事でした。

★嵐山―何度来ても、京都は嵐山散策をしないと収まらないような・・・。陽も傾き始めて、運転手さんのおすすめで車窓見学になりました。狭い竹林の中を車OKなんです。

この日の宿はびわ湖畔。ホテルの37階のレストランで卒寿のお祝いの席を設けました。お祝いの挨拶、乾杯、お礼の言葉と形式を踏めば、やはり改まった厳粛な気持ちになります。健康でみんなが集まれるってほんとうにすばらしいことです。

子供が母親の元気を喜ぶ以上に、母が娘と婿殿の健康を心から喜んでいるのをみて、「親思う心に勝る親心」の句をしみじみ思いました。

コメント (9)