新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

丸ごとトマトの蒸しスープ

2014年06月29日 | 食・レシピ

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これは「丸ごとトマトの蒸しスープ」。ラジオ番組でちょこっと小耳に挟んだだけなので想像をも含めて作ってみると、とても美しく美味しくできました。( 通りすがりさんからコメントをいただきました。「トマトスープを紹介したのは木曜日の麒麟の川島明さんですよ」ということです。私もよく知らない人で確かに「カワシマ」の名前が出ていました。失礼しました )

そのラジオ番組というのがNHKラジオ第1「すっぴん!」です。月曜から金曜の午前中の4時間を藤井彩子アナがアンカーとして担当しています。日替わりのパーソナリティーは、それぞれが個性豊かなダイヤモンド☆ユカイさん、松田悟志さん、高橋源一郎さんなどで話の進行がとても滑らかです。

藤井さんの4時間を毎日担当するそのアナウンス力と多岐にわたる知識と、どんな出演者にも正面から向き合い話を深めていくことができる能力にはいつも感心しています。詭弁もありますが、なぜか良心が感じられて人間の大きさが感じられます。
テレビニュースを担当されていたときは、声の質が何となく機械的で態度が大きくて・・・と感じていましたが、ラジオの今の番組は藤井さんしか担当できない天職だと、とても評価しています。
台所にラジオを置いていますが、キッチンに立つのにあまり苦痛を感じなくなったのは、この藤井さんのおかげかも・・・。

そこでこの作り方。何度か自分で試してみた結果のレシピです。
①トマトはヘタをくりぬく。
②トマトの上に十文字を入れる。こうしておくと後で皮が外れやすいのです。
③耐熱皿にトマトを並べ、ニンニクみじん切りをふりかけ、オリーブオイルをかけ、     柚子こしょうをのせます。

④電子レンジで軽くラップをして500wで7分くらい。一滴の水も加えないのがミソ。

⑤耐熱皿が結構汚れるので、テーブルに出す時は器を変えるといいです。テーブルに出す前に、切れ目の十字から薄皮をペロリと剥がすと食べやすいし見かけも美しくなります。

来客用にもいいくらいにおいしいです。調味料が全くいらないというのもトマト自身の持つうま味成分のおかげだと思います。
今どきピースご飯!? と思いがちですが、生協の冷凍で北海道のグリンピースで甘くておいしいのです。

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’14 パリ~リヨン~南仏⑩

2014年06月28日 | '14 パリ・リヨン・南仏

10日間の旅は初日と最後二日間は飛行機の中。遠いのか近いのかは気持ち次第。実質旅行日は7日間ですが、夏場だったのでホテルに帰るのは夜10時ごろで、気候も良かったしかなり得した気分です。

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ありふれた機内食ですが、皆が待ち遠しく思っている時間です。「ご飯」が「ご馳走」でした。年をとってくると、こんなにご飯に執着するものかと意外でした。

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旅行中に遅くまで動き回る習慣がついてなかなか眠れません。小さいライトで文庫本を読んでいてふと気づくと、真っ赤に染まった雲海の中から太陽が昇り始めました。太陽が顔を出してしまうのは意外と速いのですね。

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最後の軽食が終わりが、この旅の終わりが近づいてきた合図となります。何となく機内もざわつき始めました。イケメン機長さん自らが、1対1の対応で税関申告書を配り始めました。この演出も見事です。

飛行高度を少しずつ下げながら、7日朝8時半に福岡空港に到着。これが成田か関空経由だったら帰りは夕方になります。昨年から福岡⇔アムステルダム直行便ができて、フライトのスケジュールがシンプルになったことはラッキーでした。
まだバブルの余韻が残っていたころ、福岡発の英国、米国への直行便ができました。土日と連休を使って米国に5泊6日の旅を実行しましたが、その頃の日本はみんな浮わついていた・・・のかな~。私も・・・。
6歳の孫が「バブルって、大人たちがめっちゃ無駄遣いをしたことでしょ。」と、痛いところをついてきました。今はアニメでこんなことまでやっているそうです。わかり易い。

空港に到着してターンテーブルでスーツケースを待っていましたが、私のスーツケースが運ばれていないことがわかりました。前回のスイスから帰るときには、夫のスーツケースが届かず遅れて宅配されてきたので、よくあることと帰宅しましたが、お土産が遅れてしまいました。
二日後には宅配便で届けられましたが、その中に遅配のお詫びとKLMの割引券25€が入っていました。夫の時は他航空会社で何もなかったし、会社によりずいぶんサービスが違うものです。

どうして遅れたのか・・・、ロクシタンのハンドクリーム十数本が流動物として怪しまれたのかしら・・・、単なる手続きミスかしら・・・といろいろ想像するとあまり気持ちのいいものではありません。

10日間の気ままな旅は、初めてのTGV体験で南仏まで足を延ばしました。緊張もしましたが、一つひとつクリアするごとに充実感を覚えた旅でした。


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パリの裏窓の風景。表通りに面したところと比べるとあまり統一感がありません。パリの表と裏をしっかり見てきました。それでも、最後の晩餐ならぬ最後の旅行地にどこを選ぶかと問われれば、やっぱり「フランス」にします。歴史と文化と芸術は奥が深く、街並みの美しさも飽きることがありませんから。

パリのホテルは古かったけど、目的地へのアクセス度は★★★★★で、使ったメトロの切符は28枚。ホテルの朝食のパンもおいしかったし、フロントは愛想よかったし。でも、もう一度と宿泊するかとなると、やっぱり止めておきます。

帰ってみるとあれもこれもと見損なったところがかなり出てきました。当分はフランスの余韻に浸れそうです。


ワールドカップの日本の結果はとても残念なものでしたが、サッカーがらみでもう一つ。

パリ・ガレ・リヨン駅の前のブラッスリーで夕食をしたときのこと。一人のアフリカ人が隣のテーブルに着くときに、何となく目が合ったので微笑みながら会釈をしました。
私が料理の量にびっくりしているときにも、顔を合わせて何となくニッコリしたり。食事が終わって携帯をかけていましたが、そのあとでその客の方から「ムッシュー」と声をかけてきて、主人とかなり長くしゃべっていました。
その人はカメルーンの国会議員で10日間の休暇でパリに来たとのこと。視察を兼ねてでしょうか。奥さんは仕事(どうも学校の先生みたい)が休めなくて一緒に来られなかったということでした。
二人はカメルーンのこれからの国の経済のことを話していました。夫もアフリカにはたびたび仕事で訪れていたし親しみがあったようです。最後にとっても楽しかったとお互いに握手を交わして別れましたが、いいひと時でした。

カメルーンも頑張ったけど一次予選敗退。日韓ワールドカップの時は、大分県の中津江村にカメルーンの選手たちが寝起きしてとても話題を呼びました。カメルーンの人たちは、その時も素朴で温かくて正直な印象がありましたが、今回もやはりそうでした。遠い国カメルーンに少し近づけた旅でした。 

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’14 パリ~リヨン~南仏⑨

2014年06月26日 | '14 パリ・リヨン・南仏

朝7時半にホテルを出発してド・ゴール空港へ。帰路につきました。前日にフロントに頼んでいたエアシティーサービスのスーパーシャトルが依頼時間きっちりにやってきて、感激の料金は二人で35€+チップ5€、予算の3分の1で済みました。ホテルの設備は納得いかないものでしたが、フロントの笑顔の対応がよかったのが救い・・・。

セキュリティーチェックに手間取るので、空港には出発の3時間前に到着しておくようにと旅行社からしっかり言われていました。朝食抜きで出発したので、待合室のカウンターで最後のおいしいパンを!

 

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空港のトイレ。ここに来るとトイレも清潔なのでホッとします。手洗いの蛇口の下は真平・・・。水はどこに流れるの?大丈夫?と思って横の婦人をちらり・・・。大丈夫です。真平らには違いないけど奥に向かってかすかに傾斜しています。田舎者はあわてました~。

 

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ド・ゴール空港ターミナル2、ホールFでの日本人の親子4人。娘二人とパパはマンガに夢中、ママは読書。フランス在住の家族でしょうか、4人の真剣なそのまなざしがちょっと微笑ましかったので撮ってみました。フランスは日本漫画の消費大国になっているとか

Photo_4 今度のパリ旅でぜひ食べたかったものの中にオムレツがあります。前回の旅の最終日に食べたオムレツのおいしさが忘れられず、もう一度あのオムレツを!

 

そこで、前回と同じお店に行ったのですが、経営者が変わっていたようで、ふわふわトロトロの真っ黄色のオムレツではなく、焦げ目の付いたありふれた焼き方のオムレツに愕然としました。この後、別のお店でも確かめましたがやっぱりダメでした。
帰国後わかったのが、あのカフェ・ド・フロールの隣のレ・ドゥー・マゴにはふわとろオムレツがあるという写真が出ていました。気づかずに残念!(写真はネットからお借りしました) 今、家の台所で、ふわとろオムレツに挑戦しているところです。

Photo_3左はフランスSNCFのHPから拝借、パリ・ガレ・リヨン駅の写真です。

フランスの新幹線で驚いたのが、新幹線と在来線がターミナル駅では同じ線路を使っていること!だから在来線の車両と新幹線の車両がごちゃ混ぜに並ぶのです。郊外に出ればスピードを出すための専用線路があるようですが。
だからフランスのTGVは他の国にも直通運転ができるのです。もっともターミナル駅での乗車が複雑なのもそこに起因しているようですが。
新幹線・在来線の線路が同じというのは、日本みたいな新幹線の為の用地確保の大変さから解放されることでしょう。

 

フランスと言えば何でもお洒落、センスがいいと思うのは間違い。あるフランス人のブログで「日本の新幹線の普通車両は、フランスのTGVの1等車両に値する」と書いてあるそうです。座席の手入れの良さ、車内の清潔さ、トイレなど日本の新幹線の方が格上というのは私も感じました。日本はメンテナンスに気を配っています。

 

 

ターミナル駅のホーム内の線路の汚さには目を背けたくなるほど。線路の端のまさに帯状に敷き詰めたような煙草の吸殻に目を見張りました。線路の上には何やら異物も・・・。日本では考えられないような光景に愕然としました。
団体ツアーでは、きれいなところばかり連れて行ってくれますが、個人旅行ではこういうところも、目をそむけずにしっかり見てきました!日本の清潔さ、こぎれいさはゆるぎないものです。

 

Img_3635日本を出ると、どこへいっても苦労するのがトイレ。
有料トイレを見つけるとまずは「行っておく」こと。数度の旅行でしっかり学習しました。大体0.5~0.7€。いつも財布にはコインを確保しておきます。

ルーブル美術館の地下カルーゼル・デュ・ルーブルには高級トイレ2€(280円)があり夫が試してみました。日本人ならあまり感動するほどのものではないようです。フランス人には日本のトイレの清潔さは感動ものらしいですよ。
写真は有料トイレで一番きれいだったパリ・ガレ・リヨン駅のトイレ、0.6€。こんな快適なトイレは私の経験では新設の駅ぐらいしかありませんでした。しかし、大きな駅なのにトイレ全体は狭くて扉の数もたった4個ほど。このトイレ事情でフランス人は事足りるのかしら・・・と不思議なくらいです。ちなみにウォッシュレットはほとんど見かけませんでした。

 

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10日間の足をサポートしてくれたものがこの靴です。旧市街の石畳に足が耐えられるものとして店員さんが勧めてくれたものです。ヒールの高さ6センチ、つま先の厚さ2、5センチ。マジックテープで足首をしっかり固定できるところが安全につながった気がします。これまで晩秋の旅行が多く寒さも防ぐブーツが一番楽でしたが、今回は夏場、これにして本当に快適でした。アドバイスに感謝しています。

Img_4179 ネームカード。タクシーに乗るときにちょっとした発音の違いで通じないことがあります。夫が事前に作ったカードが役に立ちました。
備えがあったので憂いはありませんでした。

 

パリからアムステルダムのスキポール空港へ。そこで福岡への直行便に乗り換えてヨーロッパを離れました。

 

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’14 パリ~リヨン~南仏⑧

2014年06月23日 | '14 パリ・リヨン・南仏

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最後のパリ街歩きはセーヌ右岸です。紅茶の店マリアージュに行こうとメトロの駅から地上に出るといきなり美しい市庁舎が目の前に。長方形のビルでなくベージュの壁と黒い屋根のコントラストが美しい、優雅で気品のある建物です。

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やっと見つけたマリアージュは改装中。14年前に目をつけていたお店で、娘と歩いた日を思い出しました。別の場所にあるお店を探して、あの黒缶のマリアージュを買いたいのです。

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ショーウィンドーの眼鏡。メガネで球形を形どったものでパリの香りがします。

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コンフィズリー。カラフルなかわいい砂糖菓子がいっぱい。アーモンドに糖衣をかけたボンボンやヌガー。

 

ルーブル美術館へ。前回のパリ旅で見損なった16世紀、17世紀、18世紀のフランス絵画と半地下のルーブルの遺跡を見に行きます。


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ルーブルにこんな遺跡があったことをテレビで初め知りました。拡張工事を進めるうちに美術館の下からフィリップ2世のルーブル要塞が発見されたのです。

12世紀の終わり頃セーヌを遡って攻めてくるノルマン人への備えでした。遺跡はどれも何百年も、何千年も前に住んでいた人たちの息遣いを伝えてくれるところに興味を持ちます。

Img_4092フランス絵画16,17,18,19世紀の作品を見ることが主な目的です。ことに16世紀の作品はフランス絵画の基礎をなすものだからしっかりと見ておきたいです。
 左の絵はフランソワ1世。16世紀、彼はフォンテンブロー宮殿で華麗な世界を作り上げ、宮廷でフォンテンブロー派を開花させます。内外ともに多事多難な時代であったにも関わらず、優雅でどこか冷たい女性美が創造されました。








下は、16世紀フォンテンブロー派「ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人」。



官能的であるのに不健康な感じは与えません。妹のビヤールは、ガブリエル・デストレの右の乳房をつまんでいます。このちょっと変わったしぐさは、ガブリエルがアンリ4世の子供を懐妊したことを象徴していると解釈されています。

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17世紀、シャンパーニュ「1662年の奉納画」。左上の銘文には、作者の娘が病気で足が動かなくなった時、神に祈りを捧げて奇跡的に恢復したことを感謝するために描いたとあるそうです。

真っ白い僧衣と赤い十字架が印象的。イタリア絵画なら神への感謝を豪華に描くが、ここでは上から差し込む光のみ。奥深い静謐の中にフランス的なものがあり、イタリアからも北方の絵画からも影響を受けながら、そこに独自の絵画を生み出した「フランスの勝利」と高階氏は言っています。

フランス人は17世紀のことを「偉大なる世紀」と呼ぶそうです。ルイ14世の治世下、芸術や文化において歴史に名を残した多くの人を輩出し、今日まで続くフランス文化の基礎を築きあげたからです。

Img_4061_218世紀、 「マラーの死」。これと同じものをベルギー王立美術館で見て感激しました。でも、なぜルーブルに・・・・?
よく見るとルーブルのものは、木の台に書かれている文字が違います。拡大して見ると手紙の文字も少し違います。

調べてみると、オリジナルはブリュッセルの王立美術館にあり、ルーブルのそれはオリジナルを忠実に複写したものだそうです。
好きな絵だから複写でも見ることが出来てラッキーでした。





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18世紀、ヴァトー「シテール島への船出」。この絵によってアカデミー会員になります。「ピエロ」もあります。見たかった絵にやっと巡り会えました。

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天井を見あげるとドキッとするような真っ青な色が!でも、こんな現代的な絵が古い宮殿によく馴染んでいます。アンリ2世の間にあるブラックの天井画。

4時間も昼食抜きで見ていたので、さすがにお腹がすきました。地下1階のフードコートに駆け込んでパエリアを注文。ずっとお米が恋しかったからです。???フランス人は水分の多いパエリアを食べるんだ・・・。


 

カルーゼル・デュ・ルーブルの地下2階には有名店が入っています。ロクシタンやマリアージュでお土産を買いちょっと荷物が増えました。


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この後、地下鉄1号線の終点、ラ・デファンスへ。街並みが揃っている中心地と違って、パリ郊外の新開発地区。数十年前に仕事で訪れたという夫が、ここがどう変わっているかを確認したいということでした。
林立する超高層ビルには4000もの企業が入っているとか。アレバの本社もありました。ユニクロもありました。
左に半分だけ見えるのは「新凱旋門」。ここはシャンゼリゼ通りの都市軸上にあり、凱旋門から一直線につながっています。新都市と言えどもパリのシャンゼリゼ、凱旋門を突っ切ってここまでが一直線なのです。都市開発と伝統を見事に融和させたパリ。総合的な街づくりが素晴らしい都市です。
地下鉄1号線が他に先駆けて車両を新しくし、無人運転に切り替えたのは当然でしょう。あふれるビジネスマンの混雑をさばくためには、快適で迅速な運転が必要だったのです。パリに新市街もなかなか魅力的でした。ただ先頭車両に運転手が居なくて、乗客が座っているのはちょっと不安・・・。

歴史地区へ戻り、バスティーユ広場へ。1798年7月14日、パリ民衆は王政を倒すためにバスティーユ監獄を襲撃、フランス革命の発端となった事件です。監獄は解体されて今は超モダンなオペラ・バスティーユが誕生し、この日もドレスアップした人たちが開場を待っていました。


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6日は、ちょうどノルマンディー上陸作戦70周年の記念日で、騎馬のパレードがゆったりと通り過ぎて行きました。馬を使うところがいいですね~。

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運河には、水上生活用の船が浮かんでいます。水はあまり澄んではいませんでしたが、パリつ子の憧れだとか聞きました。

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最後の夕食は夜の9時半。疲れが出てあまり食欲がありませんが、複数の飛行機雲を眺めながらオムレツを食べました。ホテルに戻れば荷物の詰め込みが待っています。

屋根の針状のシルエットは、暖房用の名物のパリの煙突。原則的に使用していないとか。今も使っている人は年に2度の煙突掃除が義務付けられているそうです。どの屋根にもこんな形の煙突があり、その煤で一昔前までは黒いパリだったとか。













  


 


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’14 パリ~リヨン~南仏⑦

2014年06月19日 | '14 パリ・リヨン・南仏

この日夜にパリに戻る予定で、夕方TGVに乗るまでリヨンの街巡りをします。今まで何度か海外の旅をしましたが雨に合ったのは2度目くらい。ほとんどの人が傘なしの状態。雨に濡れるのが不快でないのが不思議なくらいです。

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写真はリヨン・ペラーシュ駅。TGVに乗り降りしたのはこの駅です。前日利用したTGVが予想外に混んでいて、パリに戻る列車のアッパーシートにスーツケースを持ち上げるのは大変だと思い、まずは切符売り場の窓口へ。ロアシートに座席の変更はできるけど、手数料が一人34€もかかる…と言うことであきらめることにしました。
結果的にはそれでよかったのです。リヨン発パリ行きのTGVは始発だったので、荷物置き場も1Fに楽に確保できました。


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リヨンのもう一つの駅、パーデュ駅にトラムを使って行ってみました。乗れる乗り物には何にでも乗ってみたいのが私です。ゆっくり走るトラムからの車窓の景色は市内見学になります。
車内で4歳くらいの子がシートに座ろうとしたのを、近くにいた初老の婦人が厳しく注意していました。こんなに小さい時から、みんなで子供たちを教育するんだなと感じ入りました。
ここはビジネス街に成長し、ペラーシュ駅をしのぐ発展ぶりで、新幹線もこの駅の方に多く停車します。それにしても第2の都市の駅前の自転車が気になります。

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フルヴィエールの丘に登るケーブルカーの、今度は左の路線に乗りました。紀元前43年、カエサルの副官がこの丘に街を築いたのがリヨンの起源だそうで、その時のローマ劇場の遺構です。
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分厚い壁に、古代ローマの権力の大きさと進んだ土木建築の技術がしのばれます。 古代ローマの勢力は内陸に向かってどんどん駒を進めて行きました。ローマ以外にはなかなか古代ローマの遺跡が見つけにくいので、ここはぜひ見たかったところです。が、古代人が踏みつけたデコボコの石畳がとても歩きにくかったです。

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リヨン・ペラーシュ駅前、カルノー広場にあるマリアンヌ像。フランス共和国の擬人化されたイメージとか。フリージア帽を冠ってライオンの頭を撫でています。共和制や自由の象徴として国民に慕われているようです。
「GLOIRE DE LA REPUBLIQUE 1889」と銘が刻んであります。「共和国の栄光」とでもいうのでしょうか。フランス革命からちょうど100年を経た時に建てられたのでしょうか。

さて、夜7時過ぎにパリに無事到着。これでやっと新幹線5枚の切符を使い果たしました。ホッと一息。


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夕食の一品。フォアグラのパテ、鴨のテリーヌ、フロマージュがかなり量が多くて、最後はいつも苦しみます。こんがり焼いたトーストが乗っかっているのに、別にバスケットにバゲットがついてきます。センスのいいパリジェンヌの胃袋に、この量がすんなり収まるというのが私の不思議・・・。 


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山ほどのインゲン豆のソテー。我が家の料理を思い出したようで夫は納得の一品でした。

 




 


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’14 パリ~リヨン~南仏⑥

2014年06月17日 | '14 パリ・リヨン・南仏

TGVを利用して、リヨン駅発でプロヴァンス、アヴィニョンを巡る日帰りのスケジュールです。混雑した朝の駅の電光掲示板を見るとなんと!・・・

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8:58発マルセイユ行(下から2段目)に黄色で「retard 50 min.」の無情な文字が!マルセイユ行きが50分も遅れているのです。

日帰りの旅なので、このままだとスケジュールが狂ってしまいます。キャンセル、変更はできないチケットですが、ダメもとで窓口で聞いてみるとあっさりとプロヴァンス経由の別の列車に変更してくれました。「例外のない法則はない」を実感、ほっとしました。日本では当たり前のことですが・・・。予定より8分遅れただけでスケジュールのダメージはなし。まずはクリアです。


エクスアン・プロヴァンスと言えばセザンヌ、サント・ヴィクトワール山が真っ先に頭に浮かびます。石切り場、乾いた石の山、道路際にはたくさんの松。セザンヌとゾラが出てきそうです。


TGVエクス・アン・プロヴァンスの駅で降りると、バスで20分足らずで市街地のバスターミナルに到着しました。

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これがひと月前に完成したターミナル。ひっきりなしにバスが発着しています。
 複数の旅行者のブログで『中心街へのアクセスが複雑で、もっとも観光しにくい街』と書かれていたので心配していました。夫がバス時刻表で一応アクセス路は確保していましたが、旅行出発直前に『2014年5月2日から新たなバスセンターが完成』という情報をゲット。アクセスが全くシンプルになっていました。2年間もかかる工事だったそうで、これもラッキー!

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バスターミナルからほどなく歩くと大きな噴水にぶつかります。ド・ゴール広場、通称ロトンド。向こうにセザンヌの像があります。ここも工事中。


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ロトンドからメインストリートのミラボー通りが伸びています。道路の真ん中は車が入らない歩行者天国。マーケット、大道芸人、音楽演奏者、人間彫像?が楽しませてくれます。

 

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セザンヌやゾラも通ったという「レ・ドゥー・ギャルソン」。陽光がまぶしい南の故郷をセザンヌはこよなく愛しました。

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通りの真ん中の歩道区分体にはいろいろな出店が並んでいて観光地の実感が。途中でかわいい女の子の服を見つけてゲット。

★グラネ美術館

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小さなこじんまりした美術館です。若きセザンヌはこの美術館の中にあったデッサン学校に通い、いくつかの作品を模倣していてそれが展示されていました。

 

セザンヌは生前ほとんど評価されず、エクスの人たちも彼に冷たかったとか。この美術館に彼の作品が加わったのは没後80年近くも経ってからだそうです。だから出身地の割には作品は数えるほどです。
列車からは遠くサント・ヴィクトワール山を望みましたが、近くに行くことはかないませんでした。道路がかなり混んでいていたのです。
このあたりには、セザンヌの絵でもよく見る松が多く、乾いた石の山、石切り場が目につきます。絵画を思い浮かべながら、ゾラとの楽しい日々をイメージすることができました。

松の丸太や板を使った建築が温かい雰囲気を出して、プロヴァンスが自然に囲まれた街であるのがわかります。




この後、新幹線で20分ほどでアヴィニョンに到着。そこで列車TERに乗り継いでアヴィニョン・サントル駅、つまり市街地に向かうことが出来ました。昨年の旅行者の情報では複雑な「バス移動」のみということでしたが、直前の情報入手で「2014年より列車での市内移動が可能」になったそうで、これまたラッキーでした。

アヴィニョンは中世の城壁に囲まれた街でローヌ川のほとりに開けています。14世紀、70年間にわたって教皇庁が置かれ、7代の教皇の住まいとなった教皇宮殿やアヴィニョンの橋があります。

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城壁がぐるりと街を取り囲み、レピュブリク門から入ります。ここから「アヴィニョン歴史地区」が始まります。

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門からはプラタナスの並木通りがまっすぐ北に伸びています。

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城壁。以前から、なぜかこの「城壁」というものが大好きなのです。ヨーロッパの中世の街にはよく見かけますが、この城壁が韓国の水原(スウォン)にもあり世界遺産に指定されています。


★教皇庁宮殿


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日本語オーディオガイドを聞きながらの見学です。日本人観光客が多いのでしょうね。
14世紀初め仏王フィリップ4世は、教会の権威を利用してヨーロッパの主導権を握るべく、クレメンス5世(フランス人)をローマからアヴィニョンに移して支配下に置き、その後70年間続きます。有名な「アヴィニョンの捕囚」です。壁の高さ50m、厚さ4m。「世界で最も強固な宮殿」と言われる所以です。私の頭の中ではずっーと、あの巨大なローマ法王庁と「捕囚」という文字が結びつかずにいました。

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内部は仏革命の時に壊されて味気ないほどがらんとしていますが、とにかく広い、広い、そして堅固な建物です。大きな台所では300人分の食事が作られたとか。アヴィニョンは大いに栄えましたが、70年後にグレゴリウス11世がローマに帰還すると、再びのどかな街になったそうです。


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窓のこんなだまし絵も旅行者を楽しませてくれます。

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旅先では疲れが出るとあまり食が進まなくなります。これは一応前菜のメニューですが、これだけでもお腹いっぱいです。


 

★アヴィニョン橋(サン・べネゼ橋)

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この橋はよく見ると川の途中で止まっています。12世紀には22連のアーチの橋で900mぐらいあったのが、今では4連のみのアーチ橋。戦争、洪水、疫病などでついに修復はならなかったとか。

 

「♪アヴィニョンの橋で 踊ろよ、踊ろよ~♪」の歌がありますが、幅4mでは輪になって踊るほど広くはありません。

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アヴィニョンの橋の上から眺めたアヴィニョンの街。石造りの街は威圧感さえ覚えます。

アヴィニョンの見学は4時間予定していましたが、私の希望で橋を優先したので、夫の行きたかったアングラドン美術館に入れませんでした。入館時間5時30分を3分越えてしまったので入館が断られたのです。もう一組の客もいたけどダメ。閉館までの30分間で簡単に見てほしくないという理由でした。ゴッホの『線路上の汽車』だけでも見たかったのですが。

4枚目のTGVチケットで、アヴィニョン発18時52分、リヨン着19時56分。乗り遅れることもなく無事に一日が過ぎました。



 


















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’14 パリ~リヨン~南仏⑤

2014年06月15日 | '14 パリ・リヨン・南仏


この日はパリから新幹線TGVでリヨンへ移動します。列車に関しては多くの日本の旅行者のブログに助けられました。手続き、乗り方も写真入りで説明してガイドブックよりも丁寧。いわば無料のティーチャーに感謝しています。ネットがなかったら成立しなかった旅かも・・・。




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今回日本で予約したTGVのe-ticket5枚です。キャンセルも変更も効かないのでTGV体験が一番緊張しました。家のプリンターでの印刷だから何ともそっけないチケットです。国内で利用する航空券と同じではありますが・・・。


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パリ・ガレ・リヨン駅で、まずは電光掲示板のチェック。自分の乗車するホールと、ホーム番号のチェック。ところがこれが出発15分くらい前にしか確定しないので、みんな上を見あげながらじっと待ちます。
2つあるホームが離れているので、どのホールになるかが肝心。それによって移動を素早くしないとチケットが無効になってしまいます。途中から乗り込んでも、発車2分前までの乗車が原則。
改札口はないので、売り場で買ったチケットは必ず刻印機で刻印して乗車しないと後で高額な罰金が発生します。しかしe-ticketは車内で検札の折に提示すればいいことになっています。

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日本の鉄道は懇切丁寧ですが、フランスでは自分の乗る列車番号を掲示板のアルファベットの場所で位置確認をし、その場所で乗車するようになっています。適当に飛び乗っても列車内の移動ができないところもあるので、最初からきちんと座席を確かめて乗らないと大変なことになります。何しろスーツケースを運びながらだから。

家庭用プリンターで印刷したチケットが通用するか不安もありましたが、車掌さんがバーコードにピッと赤い十字の光線を当て「メルシー・ボークー」で終わり。これで5分の1のチケットをクリアしてホッと一息。車掌さんが普通のスーツを着ているので検札の人とは気づきませんでした。



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フランスはEU最大の農業国です。リヨンまでどこまでも続く畑、畑、畑。それなのに農産加工品の輸入は増えているようです。日本で買うオランジーナが140円に対して、全く同じオランジーナがルーブル美術館では462円もしました!果物は輸入しているんだ・・・。

 

★ リヨン到着

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2時間後リヨンに到着。リヨンはパリに次いで2番目に大きい都市とか。でもパリのざわめきはなく落ちついています。スリも居なさそうo(^-^)o 気持ちも楽になります


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どこに行っても花屋さんにやっぱり目が止まります。

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パリでは時間に関係なくお店に入っていましたが、レストラン街は閑散としていて、通りがかりの人に7時にしか開かないよと言われました。ここは2時を過ぎると7時まで閉まってしまうのです。お昼抜き・・・になるかもと情報収集が足りなかった事を反省。


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やっと見つけたお店でキッシュとサラダならOKでした。キッシュがとってもおいしかったです。必ずついてくるバゲット、これがまたおいしくて私はこれだけで十分!

★リヨン美術館

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BS朝日「世界の美術館」に後押しされて来たリヨン美術館です。はじめて見る印象派の絵画がたくさん展示されていました。古代から近現代までの作品を収蔵しています。パリの美術館のように観客は多くなく、閉館時間を告げに来られるまでゆっくり見ることが出来ました。緑に囲まれた彫像もある中庭は自由に出入りができて市民の憩いの場になっています。

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反対側の出口から出ると美しい市庁舎があります。6時過ぎていますが、まだまだこれから観光タイムです。

 

★フルヴィエールの丘
地下鉄の乗り方はパリと一緒。新市街のベルクールで乗り換えて旧市街のヴュー・リヨン駅へ。ここで右と左に分かれた2線のケーブルカーが、旧市街の丘の上に向かって走っています。丘の住人が使う足だからメトロの切符でそのまま乗り継ぐことが出来ます。

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リヨンの街を一望できるフルヴィエールの丘の展望台で。旧市街、新市街、ソーヌ川、ローヌ川、赤い屋根が美しくどこまでも続きます。(合成写真だから不自然なところも出ています)

 ケーブルカーでひとまず新市街に戻りましたが、夕食は旧市街のレストラン通りに行ってみようと、今度は歩いてソーヌ川を渡りました。
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リヨンはミシュラン星付きのレストランがひしめき合うと聞きましたが、ガイドブックで見た郷土料理を出す「ブションBouchon」の庶民的なビストロへ。

パリを離れるとメニューはフランス語の説明のみ。こんな時はガイドブックの写真を見せて「これ」というのが間違いがありません。
期待して待ったのがこれ・・・。あまりの量の多さに食べる前からお腹がいっぱいになりました。

左はリヨン産ソーセージのボイル。盛り方も大胆!この量は日本人なら2人前はあります。隣席の人も同じ料理を食べていましたが、この前に前菜のサラダを大量に食べていました。右が「クネル」というリヨン産のすり身料理で、かなり人気のメニューのようです。




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パリでもリヨンでもいたるところに自転車のスタンドがあります。自転車の街巡りが夢なのですが、交通ルールが違うので要注意とかでいつも諦めています。料理の大胆な盛り方と違って、こちらは美しいほどのデザインと並べ方です!

 

ホテルに着いたときは夜の10時。完全に時間の観念がずれてしまいましたが、チェックインはお昼に済ませていました。

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デザイナーグループによる愉快なデザインのホテルです。インテリアも素敵でした。デザイナーの紹介プレートが外壁に打ち込まれていました。朱色を基調にした、今までにないホテルのデザインです。
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パリの味気ない古いホテルに比べると、やっと・・・・とホッとしました。この色遣いはフランスだから許せる・・・のかも。いやフランスだからできるのです。

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’14 パリ~リヨン~南仏④

2014年06月13日 | '14 パリ・リヨン・南仏

メトロのシャトレ駅で降り、歩いてセーヌ河を渡った所にコンシェルジュリーが屹立しています。先入観からかそのたたずまいに厳しさすら感じます。今回行きたかったところで、3度目にやっと念願がかないました。

★ コンシェルジュリー


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コンシェルジュリーと聞くと先ずフランス革命が頭に浮かびます。ロベスピエールの恐怖政治によりあらゆる敵対分子が逮捕されます。2700人以上の人が逮捕され裁判にかけられ、ここで最後の日を過ごし断頭台へと消えていきました。 

①                         ②
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③                         ④
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当時の牢獄は有料で、払える金額により3つに分かれています。写真を見れば一目瞭然です。
④はマリーアントワネットが処刑される前の2か月半を過ごした独房の再現です。あのヴェルサイユから牢獄へ・・・。精神の変容をきたさないほどの強い心を持っていたのでしょうか。

★サント・シャペル教会


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壁を少なくして鳥かごのような列柱が支えになっています。色鮮やかなステンドグラスで埋められているゴシック様式の教会です。

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2階に上がると思わずため息!さらに全面ステンドグラスに覆われた幻想的な世界が広がり、ため息と感嘆の言葉しか出てきません。


★クリュニー中世美術館

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多分野にわたる中世の美術品が収蔵されていますが、有名なのは貴婦人と一角獣のシリーズです。昨年日本でも話題を呼びました。
タペストリーとは思えないほどの細かな表現に絵画ではないかと思ってしまう程です。いまだに織り方が理解できません。なぜかここも嬉しいフリーでした。



★カルチェ・ラタン地区の街歩き
パリ大学を中心とした文教地区。「ラテン地区」という意味で、その昔パリ大学はラテン語で講義が行われていたとか。
途中に小さな公園がありそこで休息。パリの女性はとても読書好きでいたるところで本を読んでいます。


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★サン・ジェルマン地区の街歩き

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サン・ジェルマンデ・プレ教会の近くに、サルトルの書斎にもなったという老舗「カフェ・ド・フロール」があります。そこに唯一日本人ギャルソンがいました。白いシャツ、黒いチョッキ、黒い蝶ネクタイ、白いエプロン、髪の乱れもなく、洗練されて、たたずまいがビシっと決まったギャルソンです。私たちのテーブルに着いてくださいました。ミルフィーユが切れていたのでお勧めのケーキがこれ!一人分だそうです!紅茶はマリアージュのダージリンにしました。

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パリっ子はとんでもなく甘いものがお好きなようで・・・。この後夕食は抜きになりました。ケーキ2100円、ティー910円。
ギャルソンの存在があまりに印象的だったので帰国して調べてみると、山下哲也氏(
山下氏のブログはここ)であることがわかりました。日本人が有名カフェのギャルソンに雇用されることは奇跡に近いとか。大学卒業後意を決してギャルソンの道を選びフランス文化の継承に生きることを決めたそうです。新聞にも載るほどの有名人に給仕してもらってとっても幸せです。

付け加えていうならば、山下氏は2007年版Newsweek誌日本版で「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれ、2年前には内閣府広報室発行の雑誌の表紙・特集を努めたとか。
先の5月の安倍首相来仏の折に、歓迎の晩餐会に大統領から招待されたそうです。その時に安倍首相は山下さんのことを知らなかったので、オランド大統領が山下さんを紹介したとか。
山下さんのブログはピリリと辛い所も、ユーモラスなところもあり知らない世界を覗けます。文章もうまいです。若き日本人がこうして国際的に働いていることにとても誇りを感じました。

モンパルナスまで足を延ばしましたが、モンパルナス・タワーがそびえていて、パリの街にはちょっと不似合いな感じ。少し歩いてみましたが印象にあまり残らない街でした。



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’14 パリ~リヨン~南仏③

2014年06月12日 | '14 パリ・リヨン・南仏

前日下調べをしたパリ・リヨン駅から、念願のフォンテーヌブローに向かいます。サイトで調べると、駅は混雑しているので必ず「イル・ド・フランス」の窓口でチケットを求めことがアドバイスされていました。列車の止まるホールと番線は出発15分前ぐらいにしか電光掲示板に出ません。
それを確認して、チケットを刻印機で印字して乗り込み、また「ひとつクリア!」とホッと一息。約40分でフォンテーヌブロー・アヴォン駅に到着します。そこから宮殿までのバスに積み残されて、やっと見つけたタクシーに乗りこみました。


往きはパリ・ガレ・リヨン駅が始発なので出発まで少し時間があります。列車内は地下鉄のように混雑しておらず二階座席もかなり空席が。「ここならスリの心配はまずなし」とカメラのデータの整理をしていると、一人の男性が近づいてきました。手には四つ折りにした新聞とその上にサインらしきものがずらりと書かれたA4サイズの紙が乗っています。
その男性はボールペンを差し出してフランス語で「書いて」というしぐさをしますが、こんなところで署名する道理はなく「ノン」というと、それでもしつこく紙を押し付けて懇願するように頼んできます。「non」と何度かやり取りするうちにふと気づくと、バッグのファスナーが10センチほど空いているのが見えました。「おーっ!ノン!」と大声を出すと、夫も同時に「あっ!」叫んだので、その男性は両腕を開いて失敗したという仕草をして去っていきました。
バッグを
新聞紙で覆い、サインしている間に、下に隠した手で財布を取ろうとしたのでしょう。

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左はこういう状況だったという写真。右はスリ対策として、手芸店で買ったフックの付いた皮ベルトで、ファスナーの金具とショルダーの部分を固定するように工夫したもの。「防衛」のパフォーマンスを見せつけるために。チープなバッグもスリ対策 o(^-^)o 
混雑した地下鉄ではないからと、この時は「防衛」を解除していました。前回に続いてまたもや寸でのところでスリを回避できましたが、危なかったー・・・。あんなに気をつけていたはずなのに、狙われたというだけで気分は低調に・・・。あのサインをした人の数だけ、スリの被害にあったのかしら???

★ フォンテーヌブロー宮殿

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この宮殿は今回ぜひ行きたかったところです。11世紀以来フランス歴代の王たちが愛したフォンテーヌブローの森。現在の宮殿は歴代王の築城の結実ですが、16世紀ここにフランソワ1世がフランスで初めての本格的なルネサンス様式の宮殿を建築しました。あのレオナルド・ダ・ビンチを招へいし、父と息子のように信頼し合った二人です。

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宮殿の歴史はナポレオン3世の時代まで続きます。ナポレオン皇帝はここを自分の権威の象徴にしようと大きく足跡を残しました。しかし彼が流刑地エルバへと旅立つときに、別れの儀式が行われたのもこの馬蹄形の階段でした。

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イタリアの芸術家を招きフランス風に解釈しなおしたものが「フォンテーヌブロー派」。これがフランス絵画の基盤を形成したと聞いていたので、今回は是非この目で確かめたかったのです。

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舞踏の間では、ちょうどピアノのコンサートが行われていました。約1時間近く、ラッキー!

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豪華さではヴェルサイユ宮殿に劣るが、優美さや洗練という点ではフランス随一という評価もあるようです。ヴェルサイユより観光客が少ないので落ち着きました。

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フランスでもっとも大きな宮殿と言われるほどの広さを見て回り、疲れて外に出ると、美しい庭園が広がっていました。

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パリジェンヌはどこにいても絵になります。

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カトリーヌ・ド・メディシスが作らせたディアヌの庭園。小便小僧ならぬ「小便犬」がユーモラス。

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宮殿は6時に閉館しますが、庭園は自由のようです。一日中をここで遊びました。ラッキーだったのは、フェスティバルということで入場料は「フリー」、日本語のイヤホンガイドも「フリー」。出店がたくさんあって、マカロン、アイスクリームをたっぷり食べました!

夕食をしてホテルに帰り着いたのが11時前。夜の9時半でも明るいのでつい時間の観念が狂ってしまいます。たっぷり12時間以上も観光・・・。まだ観光2日目なのに4,5日も居た感じで、得した気分です。


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’14 パリ~リヨン~南仏②

2014年06月10日 | '14 パリ・リヨン・南仏


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先ずはホテルすぐそばのメトロ1号線で国鉄のパリ・ガレ・リヨン駅へ。翌日使用する近郊列車と新幹線TGVの離発着駅をチェックします。
ネットで事前に調べるとかなり複雑な駅構内だったし、構内図を理解するまでにやっぱり時間を取りました。それにパリの駅はいつもどこか大がかりな工事中。しかもその期間が長いのです。ここも然り。

★ パリの地下鉄
パリのメトロは14線あり番号で区別され縦横無尽に走っています。駅や「i」マークのインフォメンションで地下鉄路線図をゲットすることが先決。乗車駅名、降車駅名とその線の番号と、終着駅名を正確にメモしておけば大丈夫。
チケットは10枚つづりを買うと便利です。販売機がコインかカードしか受け付けないので常にコインの残量を気にしていました。

迷路のように入り組んだ地下道を歩いて乗り継げばチケット1枚でほどんどどこへでも行けます。途中で間違ったのではないかしらと思うほど延々と歩くことも。まるで地下の道路です。




★ ギュスターヴ・モロー美術館

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写真はギュスターブ・モロー美術館。サン・ラザール駅を東北方面に歩いて10分ほどの高級住宅街にあります。遺言で国にすべてのものが寄贈され、モローの自宅がそのまま美術館になっています。彼が生活したベッドや家具、日用品までが展示されています。

モローは象徴主義、神秘的な絵画で知られる世紀末の画家です。幻想的で気高く、神々しくこの世のものでないような美しい情念の世界を描いています。
遺言の中には彼の私生活を公表しないという条件も入っていたとか。絵ばかりでなく私生活も神秘に満ちています。久しく傍流異端の画家と見られていた彼の絵に、正統的な美術史的評価がなされたのは1960年代から。

生涯を独身で通したモローは、生前から着々と自宅美術館の設計図を描いていたようです。フランス絵画の主流の派には属さず、独自の技法で描きためた絵画、デッサンは膨大な数にのぼります。それを自分の気に入った邸宅にびしっと閉じ込めて資料の散逸を避け、今は有数の貴重な美術館になっています。当時寄贈を受けたフランス政府は傍流が故に戸惑いもあったようですが。フランス絵画史は奥が深いです。

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左から「出現」、真ん中が晩年の大作「ユピテルとセレメ」。油彩850点、水彩350点、デッサン7000点が壁一面に飾られたり、収納棚に収められています。またここのらせん階段が実に見事でモローの設計だそうで、建物だけでも一見の価値があります。

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上は未完成の絵。精緻で気が遠くりそうなほどの装飾にいろどられた絵が生まれる前の状態がわかり、それがとても興味を引きました。

★ 凱旋門

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ナポレオンの命によって着工されましたが、ナポレオン失脚、工事中断などを経てやっと完成したときにはすでにナポレオンは亡くなっていました。今も昔もフランスの栄光を象徴しています。入場券売り場には長ーい行列が!ここはパス。行列は日本もパリも同じようです。


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凱旋門直下には身元不明の一人の戦死者の墓があります。第1次世界大戦の戦死者150万人の代表として葬られていますが、祖国に命を捧げたすべての人々の共通の記念碑です。無名の人を代表に・・・、やっぱり市民革命を経験したお国柄です。

★ エッフェル塔
上に上るためにチケットを買う人の曲がりくねった列列列・・・。エレベーターの人数は限られているし今日のうちに登れるのかしら???
以前夜に上ったことがあるので、今度は昼間にパリ全体を望みたかったのですが・・・。代わりに前にあるシャイヨー宮に入って4階の高さから市内を一望しました。

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★ フランス料理はどこへいったの?

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街のほとんどはカフェ、カフェ、カフェ。ほとんどがブラッスリーも兼ねています。メニューのライスの文字に飛びついたのですが、米とは程遠い形をしていました。ミルクで炊いたような味。シェフの料理は一向に見つかりません。「1664」マークのビールはおいしくて飲みやすく、前回の時は気づきませんでした。どこのカフェも似たり寄ったりのメニューです。

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午後8時30分の夕食。まだまだ外はこんなに明るいのです。テラス席は道路を向いており、飽くことなく通りを眺めながら実にゆっくり食事をしています。まるで観客が舞台でも見るように・・・。パリッ子はこよなくパリを愛しているのが感じられました。
カフェは、カウンター、テーブル・テラスと料金が区別されています。テーブル・テラスは料金が高くなります。飲食にはなんと30%の税金が!日本の8%がとても安く感じられました。フランス政府にずいぶん税金を払ってきましたo(^-^)o 

この後、近くのスーパーで買い物をしました。水は必需品です。フランスの水は高く、日本で自販機500ml:140円が、パリでは1.9€(266円)もします。パリでの生活はかなり窮屈に感じます。





















 



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’14 パリ~リヨン~南仏① 

2014年06月08日 | '14 パリ・リヨン・南仏

今回の旅の始まりは、BS朝日「世界の名画~素晴らしき美術紀行~」です。ナレーションは要潤。絵と作者自身のエピソードと作者が生きた時代的背景・・・等々興味が尽きない番組です。
パリ、リヨン、プロヴァンス、アヴィニョンを点として、それをフランス新幹線TGVで線でつないでいく旅10日間を計画しました。前回のパリ旅行で見逃したものへの心残りにも「決着」をつける旅でもあります。
航空機とホテルは旅行社に頼みました。’11年は 1€=109円、サーチャージ45400円。 ’14年は 1€=140円。サーチャージ51400円、旅行者には痛い負担増です。
 


福岡からKLMで乗り継ぎのアムステルダム・スキポール空港へ直行、そこでパリ便に乗り換えます。福岡から成田・関西への移動がないといことだけでも気分は爽快。


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朝7時半に家を出て朝食抜きなので、搭乗してすぐに出た機内食をおいしくいただきました。南アフリカのワインは初めてでしたが、軽めで私にはとてもおいしかったです。

ドゴール空港に着いたのが午後6時。複雑な構内のインフォメイションセンターを探してスーパーシャトルを予約、最後の便に間に合いました。3組の乗客をそれぞれのホテルまで送ってくれるまさにエアシティサービスです。順次乗客を送り届けながら市内を半周以上もして、すでに私は観光気分。パリは9時半までは明るいので街のカフェにも活気があります。
下記の写真はパリの午後9時半のカフェの中から。こんなに明るいので一日がフルに使えます。


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空港から市内までのアクセスは、日本で旅行社に依頼すると日本語ガイド付きで2万円もするというのでタクシー(60€)にする予定でしたが、もっと安く二人で43€のシャトルとは何とラッキー!こうして旅は幸先いいスタートをきったはずですが・・・。

パリ市内のホテルは、建物が古いのに料金が高く、バスタブがなくシャワーだけというのが多いそうです。新幹線発着のパリ・ガレ・リヨン駅にほど近いホテルを旅行社で探してもらったのがここ・・・。ドアを開けた途端に体が固まりました・・・・・・。

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しかし、掃除は行き届いているし、水もお湯もふんだんに出るし、寝具も清潔だし、アメニティーはよくないけれど地下鉄の駅が目の前というところが何より。夜遅くてもホテルに安全に戻れます。
40部屋はヨーロッパの旅行客で満室状態なのです。ヨーロッパ人の旅行感覚とはこういうものかも・・・、目的は観光なんだから・・・・、と気持ちを切り替えて明日に備えました。






 






 

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