新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

サンクトペテルブルグ市内観光

2005年06月30日 | '05 ロシア旅行

旅行6日目は、サンクトペテルブルグ市内観光ネヴァ河運河クルーズです。

18世紀ピョートル大帝が、ここを「ヨーロッパの窓」と呼んで西欧の宮廷文化を取り入れたので、街を彩る多くの美の遺産が、ロマノフ王朝の栄華を今に伝えています。

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世界でも3番目に大きな聖堂といわれるイサク聖堂は、建物も内装も素晴らしいものでした。高さは30階建てのビルに等しく、建築に40年間を費やしたというだけあって、教会が帝政と結びついていかに強大な権力を持っていたのがわかります。湿地帯での建築ということで、聖堂の下には合計2万4000本の杭が打ち込まれており、その上に花崗岩や石灰岩を敷いたそうです。建築現場のミニチュアが展示されていたのがとても興味深く、西欧の巨大な建築の謎が少し解けました。

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0506peteruburugu_064ネヴァ河の支流や運河を含めると、65本の川と100以上の島が365の橋で結ばれていて、「北のヴェニス」と呼ばれる由縁だそうです。塵ひとつ浮いていない水量たっぷりの美しい運河に感心することしきりでした。

0506peteruburugu_089明日は自由行動だから、みんなで食事をするのはこれが最後。つまり最後の晩餐でした。

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エルミタージュ美術館

2005年06月29日 | '05 ロシア旅行

0506peteruburugu_001 旅行の5日目は、待望のエルミタージュ美術館(ここをクリックするとテレビ「『美の巨人たち』のエルミタージュ美術館編が見られます)見学です。

皇帝のすまいの「冬の宮殿」と4つの建物から構成され、1050の部屋があり、その中の400室が展示室。コレクションが300万点というから、もう天文学的数字にも思えました。

館内では、現地ガイドさんの日本語解説を、個人に渡されたイヤホンで聞くというとてもありがたい方法でした。

さすがガイドさんはよく調べており、ポイントを絞った旅行者的見方は、中身の濃いものでした。カメラ持込の手続きをミスって、写真が撮れなかったのはとても残念でしたが、、自由行動の日に再度訪れる予定にしているので、挽回のチャンスがあります。

昼食にピロシキが出ましたが、外側がクロワッサン風で、日本のピロシキのほうが勝ち!でした。ビールは安くて大ジョッキが4ドルくらいです。

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夜は、ムソルグスキー・オペラ・バレエ劇場でバレエ鑑賞でした。演目は「ドン・キホーテ」。

超人間的なしなやかな美しい動き、衣装の素材もデザインも色も素晴らしく、出演者が多く、さらにオーケストラボックスには50名ぐらいの演奏者がいました。日本に比べて贅を尽くしているというのが実感です。舞台の奥行きが深いのも印象的でした。

ロシアのバレエは世界最高峰の芸術といわれ、本場でしか味わえない贅沢でした。欲を言えば、マリインスキー劇場だったらよかったのに・・・と少し心を残しました。

余韻に浸りながら、ホテルに着くとまた白夜の海辺に行きました。寝台車でもらったスナックボックスのイクラとサラミを肴にビールを飲もうということで。いくらは日本に持って帰れるけど、サラミは持ち込めないからという理由もあったのです。でっかいトリのバーベキューのジュウジュウいうのを食べながら、また白い夜の時間を楽しみました。もう完全に体内時計が狂った感じです。

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サンクトペテルブルグ

2005年06月28日 | '05 ロシア旅行

朝7:00、待望のサンクトペテルブルの駅に到着。旅行社のツァーはよく行き届いたもので、レストランには朝食の準備がされていました。

サンクトペテルブルグは、スウェーデンの侵入を防ぐために、要塞を建設したことに始まった街で、ピョートル大帝は首都をここに移しました。以後200年間、西欧の建築、文化、思想を積極的にとり入れましたが、皮肉にもこれがついには革命を引き起こすことになる歴史的運命を持っていたようです。

0506moscow_160365の橋と65の運河を持つサンクトペテルブルグは「北のベニス」と呼ばれるそうです。その河岸に立つ美しい建物を横目に、一路郊外のエカテリーナ宮殿へ。

ロココ調の優雅さと幾何学模様の庭園はやはり感嘆に値するものでした。内装も見事で、特に「琥珀の間」は全面に琥珀が用いられ、世界の奇跡と称されたとか。オリジナルは、ナチス・ドイツ軍が持ち去り、いまだにそれは行方不明だそうですが、2003年に元のとおりに再現されたとのこと。テレビで見ていたので、ここはぜひ見たいと思っていたところです。カメラ撮影が禁止の部屋でした。

0506moscow_156 0506moscow_158 約200年前に、ロシアの地に漂着した大黒屋光太夫が、ここでエカテリーⅡ世に拝謁し、その部屋を見ることも楽しみの一つでした。18世紀末の鎖国の日本と、このきらびやかな宮殿の文化・・・。カルチャーショックはどんなものだったのでしょう。 井上靖の『おろしや国酔夢譚』の強烈だった印象と思い合わせて、光太夫の心情に思いを馳せました。

0506moscow_165名物「つぼ焼き」の昼食の後は、フィンランド湾に面したペトロドヴァレェツへ。 ピョートル大帝夏の宮殿があるところです。

0506moscow_176明るい黄色の壁、金色のクーポルはひときわ印象的で、外国人観光客でいっぱいでした。階段状の140もある噴水、緑豊かな壮大な公園には、大帝の強い意志が働いているのが見えました。水辺では、短い夏を楽しむロシアの人の姿が印象的でした。

1200人収容の巨大なホテルは、いろんな国の言葉が飛び交って、外国人の団体客でいっぱいでした。ここも4つ星。3連泊です。スーツケースをとき、ほっとしてハタと思いついたのが白夜のフィンランド湾。事前にネットの旅行記を見ていたのを思い出しました。

0506moscow_183 ホテルの裏手にある海岸には、真夜中の12時というのに、まだまだ人がいっぱい。白夜祭りもあるそうで、ビールを飲みながら、沈まぬ太陽と白い夜を楽しむ人たちの仲間入りをしました。夜は結構冷え込みました。白夜の体験はこの旅行の嬉しい収穫でした。

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モスクワ市内観光

2005年06月27日 | '05 ロシア旅行

3日目のスケジュールは市内観光。治安とトイレのアドバイスを受けて、いざ出発。

モスクワ最大の観光名所はクレムリン。テレビで、ほんの10数年前までは、ソ連の象徴の赤旗が翻っていたのを見ていたので、今こうして観光客とし立っていることが信じられないくらいでした。

0506moscow_135クレムリンは城塞を意味し、その中に巨大な権力を持つ皇帝の居城があり、さまざまな建築や宝物など、ロシア文化の最高の粋が集められていました。 「武器庫」にはエカテリーナⅡ世のきらびやかな衣装や宝石を散りばめた王冠、戦利品、献上品などの膨大な 財宝が展示され、世界の宝石はここに集まれり・・・のような錯覚を受けてしまいました。

0506moscow_127肖像画のエカテリーナⅡ世はふくよかでしたが、戴冠式のときのドレスを見ると、こんなに華奢なウエストだったんですね。

「赤の広場」と聞くと、闘争猛々しく感じるけれども、この由来は雑然としていた広場を、17世紀に美しく模様替えをしたところから(美しい広場)、つまり「赤の広場」と呼ばれるようになったそうです。 私はてっきり革命の色だと思い込んでいました。レーニン廟の近くには片山潜の廟もありました。

0506moscow_098 広場の入り口には聖ワシリー教会あります。9本の不均衡なねぎ坊主は、それぞれひとつずつがロシア正教会になっているそうで、面白く美しい建物です。

0506moscow_093モスクワ大学にも行きました。ここを卒業すれば、ロシア社会のエリートとして将来の出世が約束されるとか。ちなみに現地のガイドさんもここの出身だそうです。日本に来たことが無いのに、日本語ぺらぺら。四字熟語もことわざもバッチりで、びっくりしたり感心したり。ロシアの大学生は、よく勉強しているようです。 夕食後は、ボリショイ・モスクワ国立サーカスを楽しみました。円形ステージが真ん中にあり、3400席のどの席からも見れるようになっています。サーカスは久しぶりに見ました。

0506moscow_148夜になり、いよいよサンクトペテルブルグに向けて出発。胸わくわくの、一等寝台の二人用コンパートメント。二つのソファー兼ベッドの間には小さなテーブル、窓辺には花、ティーポットと狭いながらも工夫がみられました。スナックボックスの中には、サラミソーセージ、イクラ、パンやジャム、ティーバッグなどが用意されており、ビールを買い込んでいなかったのが悔やまれました。トイレは聞いていたとおり、あまり快適なものではありませんでしたが。

0506moscow_146眠るのがもったいない気がして、時々車窓から白夜の景色を楽しんでいましたが、いつの間にか、一日の疲れが熟睡へと導いていました。

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モスクワ到着→黄金の環へ

2005年06月26日 | '05 ロシア旅行

インチョン空港から、ツンドラと森林タイガの上を9時間飛んで、モスクワに到着。2時間もかかった入国審査に、政情不安と旧政権時代の名残なのか能率の悪さを感じました。

0506moscow_087 23時過ぎにやっとホテルに着くと、入り口でまたもや手荷物とボディのX線チェック。今までの旅行と違うな・・・と緊張感が走りました。ホテルは、スターリン様式の29階建て、高さ172m。一応4ッ星。800人収容の大きさは、部屋にたどり着くのに一苦労。

ホテルの両替所の能率が悪く、ずら~りと行列が。さらに困ったのはコインが底をついたらしく、フロントに頼んでもダメで、これでは自販機のミネラルウォーターも買えません。苦肉の策で、ロビーのバーでビールを飲み、そこでやっとミネラルウォーターを入手したときには、時計はもう「明日」になっていました。

この先の旅が思いやられると不安が生じましたが、翌日の世界遺産見学から、やっと旅らしくなり、みんなの意気も高まりカメラがめまぐるしく動き始めました。

まずはロシア中世の面影を残す古都が点在する「黄金の環」の観光です。1000年の歴史を持つウラジミール0506moscow_017、街そのものが博物館といわれる とスズダリ

昼のボルシチはさすが本場の味で、私の舌によく合0506moscow_026 いました。

心引かれたのは、木彫りの窓飾り。古い木造家屋でも、各戸の趣向を凝らした窓飾りの家がずらりと並んでいました。 0506moscow_063 0506moscow_054長い冬に閉じ込められた家の主人が、個性と技術を生かして彫ったという窓飾りは、それはそれは美しく楽しいものでした。

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ロシアの旅

2005年06月25日 | '05 ロシア旅行

0506moscow_1130506moscow_157モスクワとサンクトペテルブルグを旅してきました。

夫の積年の夢であったエルミタージュ美術館コレクションの鑑賞がやっと叶いました。

総勢18名のツァーで モスクワ2泊、サンクトペテルブルグ3泊。車中1泊。機中1泊。

途中の移動が一等寝台のコンパートメント使用ということ、サンクトペテルブルグでの自由行動が一日半ということ、ロシアの往復に無駄が無いことがこの旅行を選ぶきっかけとなった理由です。

入国審査に2時間もかかり、ソ連崩壊後とはいえ、まだまだ制約の多さに戸惑いましたが、 かつて世界を二分していたあの「ソ連」に降り立ったということ自体にとても感慨を覚え、初めて人工衛星が飛んだときのニュースをしみじみ思い出しました。あの頃は、月も「ソ連」も私にとってはるかなる遠い世界のことでした。

日本の45倍の面積に、日本とほぼ同じ人口・・・。やはり広いです。6,7月はロシアのベストシーズンとあって、日本の4月ぐらいの気候で快適な旅になりました。白夜も体験し、浜辺で真夜中24時の水平線すれすれの太陽も見ることが できました。

「北のベニス」と呼ばれるサンクトペテルブルグは芸術の街。劇場が多く、バレエ、オペラ、コンサート、サーカスが常に上演されていて、可能な限り楽しみました。色白ですらりとした美人が多く、「シャラポワ」嬢さんがたくさんいました。

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