昨年秋に塩野七生著『ローマ人の物語』をやっと読み終わったあと、ちょっとした脱力状態におちいりました。そうなるほど、私にとっては長く、面白く、エネルギーを使う本でした。そんな時にちょうど『ローマ亡き後の地中海世界』(上)が発行されたのです。
塩野さんの本はルネサンスを中心にした本が多く、私もここから入り込んでその面白さにひかれ、ヴェネツィア1000年の興亡を描いた『海の都の物語』、ビザンチン帝国の終焉を書いた『コンスタンティノープルの攻防』、イスラム勢力の興隆してきた中での『ロードス島攻防記』、キリスト教国がやっと勝利した『レパントの海戦』と読み進みました。
しかしそれでは私には歴史を点で捉えることしかできなくて、もっと世界史が知りたいと『ローマ人の物語』にまで至りました。やっとのことで読み終えてみると、しかし今度は西ローマ帝国滅亡とルネサンスの間までがどうしても埋まらないのです。
そんな中で読んだ『ローマ亡き後の地中海世界』は、私の疑問に応えてくれるぴったりの本でした。何よりもそこにルネサンスの萌芽を見出したからです。イスラムに支配されたスペインの高度な文化の発達が、後のルネサンスにつながったことをテレビで見て興味を持ち、まさにその前哨となる部分がありました。
「パクス・ロマーナ」が崩れた後の地中海は、サラセンの海賊の襲撃でイタリア半島とシチリアはまさに暗黒の世界。アフリカ北部サラセンの海賊がイタリアの海辺の街はおろかローマ教皇の居住地まで襲い荒しまわったことは、私には驚きの知識でした。
しかし、シチリアにおけるアラブ・イスラムの支配200年の中で、「イスラムの寛容」はキリスト教徒とイスラム教徒の共生を赦したのです。そして、アラブ人はシチリアの首都パレルモに「ビザンチン帝国の締め付けを嫌ってペルシャに逃げたギリシャ人を通して知った、哲学、天文学、数学、幾何学、医学、のすべてを移植した」のです。それは「イスラム支配時代のシチリアに限定されず、後代にも広く影響した」のでした。
海賊に拉致され奴隷としてアフリカに連れて行かれたキリスト教徒。十字軍ばかりでなく修道会や騎士団が、奴隷として拉致された人たちを何百年にもわたって救出し続けた努力も記されています。
「パクス・ロマーナ」が過去の栄光となり、地中海をはさんで向かい合ったキリスト教とイスラム教という一神教同士の闘い。年表には表れにくい細かい記述もあり、中世前期が大変面白くまとめられています。
少し疑問に思ったところ・・・。ふつうは、オットー1世の戴冠で962年が神聖ローマ帝国の起源とされていますが、塩野さんは800年フランク王国シャルルがローマ法王レオ3世から冠を受けたときを神聖ローマ帝国の始まりとしています。
800年のこの戴冠が、後代の歴史家から「ヨーロッパの誕生」のビッグイベントとされているところから、塩野さんも同じ見方をされたのでしょうか。
下巻の刊行が待ち遠しいですが、あと1年待たねばならないと思います。