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ちくま新書は本当に 装丁がやぐい

ちくま新書は本当に 装丁がやぐい

 ちくま新書は本当に 装丁がやぐい。バラバラになるように作られてるとしか思えない。何らかの意図があるんでしょう。

アレキサンドロスからの発想

 来週のミュージックステーションにドロスが出演。それで頭に浮かんだのがテッサロッサのスターバックスの風景。

 クレオパトラ時代のエジプトの首都はアレキサンドリアだったのかな。カイロを構築したのは、ムスリムだから6世紀以降です。となると、やはりアレキサンドリアが首都なんだ。だから ローマ軍にアレキサンドリア図書館は焼かれてしまった。
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なぜノーベル平和賞、マララじゃないのか?

『ノーベル賞の舞台裏』より

 平和賞--政治への影響とあやふやな理想

 銃弾が生んだヒロイン

  予想が現実となったのは、周知の事実だ。ちょうど一年後の十四年十月十日、ヤーグランはマララヘの平和賞授与を高らかに発表、児童労働根絶に取り組むインドの活動家男性、カイラシュ・サトヤルティとの同時受賞だった。パキスタンとインド両国民への同時授与は、委員会の優れたバランス感覚の発揮でもあり、関係改善の糸口が見出せず、カシミール問題などをめぐって核戦争の可能性すら排除できないインド・パキスタン両国に平和の対話を呼びかけた格好だった。

  マララ・ユスフザイは一九九七年、パキスタンの北西部スワトで、教育問題活動家であり学校経営者のジアウディン・ユスフザイの長女として生まれた。スワトは山に囲まれた渓谷にあり、マララは自著『私はマララ--教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』(クリスティーナ・ラム共著、金原瑞人・西田佳子訳)で「最も甘いイチジクが育つ場所」と、その風光明媚な故郷を振り返っている。

  スワト渓谷は、○七年ごろから、イスラム武装勢力「パキスタンのタリバン運動(TTP)」の支配下に入り、女子教育はイスラムの教えに反すると主張するTTPの影響でマララが通っていた父の学校が閉鎖された。こうした女子教育に対する抑圧について、マララは英BBCウルドゥー語放送のブログで告発を始める。これがTTPの目に留まり、暗殺の標的となってしまう。

  一二年一〇月九日、同級生らと下校途中のバスに乗っていたマララを襲ったのは、覆面の若い男だった。通学バスに乗り込んで来た男は「マララは誰だ」と女子生徒らを問い詰め、女子生徒らの反応からマララを割り出すと、黒いコルト四五口径をマララの頭に向け、躊躇なく引き金を引いた。銃弾はマララの頭部から肩へ抜け、首の近くで止まった。

  女子の教育権利を求め立ち上がった十五歳の少女が頭を撃たれるというテロ事件は世界中に衝撃を与えた。二〇〇一年に隣国アフガニスタンで起きた戦争のあおりを受けたテロの頻発に苦しんできたパキスタン国内はもとより、欧米やアジア各国、国連から非難の大合唱となった。

  この強い同情と支援を受けて、瀕死のマララはイスラマバードの軍病院で緊急手術を受けた後、英国政府とアラブ首長国連合(UAE)の計らいで、英中部のバーミンガムに移送された。マララは医療チームによる懸命のケアで奇跡的に回復、事件から約三ヵ月後の一月初めには退院を果たす。

  そして、三月二十日には、バーミンガムの女子高に通学を始めた。念願の自由な教育を享受するマララを世界は祝福し、マララが、〝普通の高校生〟として生きていくと予想した。頭部を撃ちぬかれ、その事件の巻き添えで、旧友たちも重症を負った十七歳が求めることは、平凡な人生の享受のはずだった。マララも例外ではないと世界の誰もが思った。

  しかしマララは、その期待を良い意味で裏切る。女子高への通学開始後間もない時期にビデオメッセージを発表し、「皆さんの祈りの力で日々回復している。新しい人生を授けられた」と世界に呼び掛けたのだ。

  注目が高まる中、七月には国連に招かれ、「世界には、平和と教育の、平等のために声を上げた何百人という活動家がいる。テロの被害を受けた人々は、何百万人とおり、数千人が死亡した。私はそうした人々の一人にすぎない。タリバンは銃弾が私たちを沈黙させられると考えた。しかし、彼らは失敗したのです」と演説した。そして、テロと戦うためには「教育が唯一の解決策。ペンと本を手に取ろう。それが最強の武器です」と訴えた。一年足らず前に、頭部を撃ち抜かれた少女の堂々たる演説が世界を揺さぶった。

  米CNNテレビを中心に、欧米メディアは競い合ってマララ・ストーリーを放映した。十月の平和賞発表を念頭に、世界中にマララ・ブームが起こり、平和賞受賞へのキャンペーンが自然発生した形で広がった上、国際人権団体、アムネスティ・インターナショナルやハーバード大学、欧州議会といった世界の名だたる組織が競うように、マララに人権賞や人道賞を授与、ノーベル賞は確定したかに見えた。マララは、駄目押しのようにノーベル賞発表の三日前に自伝『私はマララ』を出版した。

 平和の寵児

  女子の教育権利の拡充を訴えた少女がイスラム過激派の襲撃を受け、意識不明の死の淵から生還する--。そのストーリーだけでも世界を驚嘆させるに十分だったかもしれないが、マララを史上最年少の平和賞受賞者に押し上げた陰には、およそ十代とは思えぬ卓越した情報発信力がある。

  二〇一四年十月十日、英国時間午後四時半。マララが家族とともに暮らす英中部バーミンガムには、受賞決定後のマララの「第一声」を聞こうと、世界各国から百人を超える報道陣が駆けつけていた。

  世界の注目を集めるスピーチの会場となったのは、市中心部にあるバーミンガム図書館の一室だ。父親のジアウディン氏も見守る中、緑を基調とした鮮やかな民族衣装をまとってマララが登場すると、会場からは祝福の大きな拍手が湧き起こる。一斉にフラッシュがたかれる中、いくぶん緊張した面持ちながらも、堂々とした佇まいを見せるマララ。会場を見渡すと、身ぶり手ぶりを交えながらゆっくりと話し始めた。「ノーベル賞受賞者に選ばれて光栄です。この尊い賞、ノーベル平和賞を名誉に思います。最初のパキスタン人、最初の若い女性、最初の若者として受賞者となることを誇りに思います……」

  さかのぼること、約六時間半。ノルウェーの首都オスロでマララの平和賞受賞が発表されたのは、英国時間の午前十時のことだ。マララはちょうどその時、自らが通うバーミンガムの女子高校で化学の授業を受けていた。その内容は、陽極と陰極の電気分解。平和賞候補の筆頭としてさまざまなメディアで取り上げられていたマララは、授業を受けながら、平和賞の結果発表は気にならなかったのか。

  自分が受賞者に決まったと初めて知った時の状況を、マララはスピーチの中でこう振り返っている。

  「受賞を知った時間は十時十五分だったと思います。ノーベル平和賞の発表はもう終わっている時間でした。まさか自分が受賞するとは思っていませんでした。十時十五分になったとき、受賞できなかったと確信していました。すると突然、先生の一人が教室に入ってきて私を呼び、『大切なお話があります』と言うのです。彼女から『おめでとう。ノーベル平和賞に決まったわ。子どもの権利のために働いている偉大な人と一緒にね』と言われ、本当に驚きました」

  女子教育の権利を訴え続けているマララが受賞者に決まったのは、まさに自身が教育を受けている最中のことだった。それも、史上最年少での受賞というおまけ付きだ。

  ノーベル賞の「普通」の受賞者であれば、メディアを通じてすぐにでも喜びのメッセージを世界に伝えていたかもしれない。あるいは、受賞発表の日は学校を休み、自宅で待機しながら家族と選考結果を待っていたかもしれない。

  しかし、マララが取った行動はそのいずれでもなかった。十七歳の普通の女の子として、その日の授業を続けたのだ。

  「ノーベル平和賞受賞が分かったとき、学校を早退しないと決めました。むしろ、授業を終えようと。物理の授業に行き、学びました。英語の授業に行きました。全くいつも通りの一日でした」

  マララが触れている通り、平和賞が発表された後も、本人が通うバーミンガムのエッジバストン女子高校の周囲は極めて静かだった。校舎には関係者以外立ち入ることはできず、内部の様子を詳しく知ることはできなかったが、予想に反して地元の人々が集まることもなく、歓迎行事が行われることもなく、ごく普通の日常が営まれていた。普通の学生としての生活を優先したいと常々語っていたマララの意向を、学校も周辺自治体も尊重し、そのくせ息を呑んでマララの言動を見守っている。そんな雰囲気であった。

  地元の人々が受賞を喜んでいなかったわけではもちろんない。マララが生活するバーミンガムは、英国でも有数の南アジア系コミュニティーを抱える。受賞が決まったことを受けて話を聞いた住民からは「同じパキスタン人として誇りに思う」(パキスタンから移住した雑貨店店主)といった、おおむね好意的な反応が返ってきた。パキスタンで襲撃を受けた後に搬送され、マララの「第二の故郷」となったバーミンガムの人々は、マララを温かく受け入れていた。

  マララがあくまで「学生としての普通の一日」を優先させたことで、受賞後の「第一声」のスピーチが設定されたのは、授業終了後の午後四時半。スピーチ内容は、十七歳の少女とは思えぬ配慮に満ちていた。家族や学校への感謝に加え、共同受賞者であるインドの人権活動家サトヤルティと連携して活動していく方針も表明する。圧巻だったのは、この受賞決定後の第一声で、早速、和平仲介活動に着手したことだった。

  マララは、カシミール問題などをめぐって緊張関係にあるインドとパキスタン両国の首相に対して、大胆にも十二月の平和賞授賞式への出席を呼び掛けた。両国から平和賞受賞者が同時に誕生したこの機会を利用した、政治家もびっくりの提案だった。会見場がざわつくのがわかった。

  ノーベル賞委員会が平和賞の授賞理由としたのは、マララが「少女らが教育を受ける権利の代弁者」であり、たとえ子どもや若者であっても、自らの力で状況を改善できる力があると示したことを評価したからだ。さらに、ノーベル賞委員会に呼応するかのように、平和賞が自分だけでなく「声なき全ての子どもたちのためのもの」だとして世界中に語りかけた。「世界の子どもたちよ、権利のために立ち上がれ」と。

  配慮が示されていたのはスピーチの内容だけではない。一人でも多くの聴衆に直接語りかけるため、英語とパキスタンの国語であるウルドゥー語、アフガュスタンの公用語であるパシュトゥー語の三つの言語で同じ内容のスピーチを行うという徹底ぶりだった。

  あまりにドラマチックな展開、完璧なノーベル平和賞の受賞者。しかし、ここで少し意地の悪い疑問が各国の取材記者たちの頭に浮かんでいた。

  「ずっと学校の授業を受けていたマララが、どうやってこれだけの原稿を用意できたのか」と彼らはうわさした。

  前述の通り、当日の午前十時十五分ごろに平和賞受賞を知ったマララは、学生としての通常の一日を送ることを選んだ。本人が言及しているように、物理や英語の授業を受け、学校を終えた後ではじめて、メディア対応のために学校を後にしたはずだ。

  平和賞候補として最右翼とされていたマララだけに、自らが受賞した場合に備えてある程度は事前に演説の構想を練っていたのかもしれない。しかし、授業の合間にこれだけの原稿を用意するのは、普通の人間ではまず不可能な作業だ。もちろん、受賞を受けた演説でスピーチライターを使ってはいけないとの規則があるわけではないし、この時に使ったとの確証もない。ただこの時、マララをめぐり世間が抱いている「無垢で素朴」というイメージとは異なる、ある程度演出された「平和の使徒」であるとの印象を持ったこともまた事実である。

  過去にノーベル平和賞を受賞した人物の大多数と同様、マララにもまた、一部でうわさされる「影」の部分や陰謀論が存在する。

  その一つが、マララの名前が広く知られるきっかけとなったブログだ。女子教育はイスラム教の教えに反し、「パキスタンのタリバン運動(TTP)」は当時マララが通っていた学校を閉鎖した。マララはこれに反発する形で、英BBC放送のウルドゥー語のブログでペンネームでの告発を始めたわけだが、学校経営者でもあった父ジアウディンが実はこの内容に深く関与していたのではないかとの噂は、地元では早い段階からささやかれていた。つまり「父親の操り人形」なのではないかという見方だ。

  さらにマララの主張はあまりにも欧米的な価値観が強調されており、「欧米の操り人形」なのではないかという批判もある。マララを初期の段階で見いだしたのはBBC放送や米紙ニューヨーク・タイムズなど欧米の大手メディアだったこともあり、マララが「実はパキスタンの評判を落とすために活動している米中央情報局(CIA)の工作員なのではないか」という陰謀論すら存在するのだ。フェイスブックには「CIA工作員であるマララをわれわれは憎む」と題されたページも作られているほどだ。

  こうした事情を反映し、マララの平和賞受賞が決まった際、国際社会のムードとは対照的に、出身国であるパキスタンの人々の反応は必ずしも祝福一色ではなかった。ソーシャルメディア上には、祝福のメッセージに匹敵するほどの否定的なコメントが掲示された。BBCは、マララを声高に批判する地元記者の声を伝えている。「マララヘの平和賞授賞は政治的な判断であり、陰謀だ。彼女には特別なところなんて何もない。彼女はただ、『西欧が買う』ものを売っているだけの存在なんだ」

  受賞発表のその日、マララの故郷スワトも静まりかえり、祝福の雰囲気とはほど遠いものがあった。学校の同級生らも、マララの名前を出すことを明らかにためらっていた。たとえマララと同じ考えを持っていたとしても、マララ支持を公言することはイスラム過激派の標的になる危険性をはらんでいる。純粋にマララを応援できる立場にあった英国のパキスタン移民とは対照的に、故郷パキスタンの人々が直面しているのは、マララの平和賞受賞によって簡単に変わることなどない厳しい現実であり、生命の危機だった。

  その心情を理解するには、強大な敵対相手インドと、常に諸大国の利害が利権を争ってきたアフガュスタンに挟まれて振り回されてきたパキスタンという国の立場を知る必要があるだろう。マララヘの平和賞は、パキスタンという複雑な国家への理解と関与も世界に求めていることになる。

  「欧米の歓心を買うばかりで、故郷のために何もしていない」といったパキスタンでの冷ややかな受け止め方は、ノーベル賞という存在が絶対の普遍的価値を持つものではなく、欧米的な価値観の押し付けと感じる人々も世界には少なくないことを浮き彫りにしている。
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「考える」と何かいいことがあるか?

『考える練習帳』より

「考え方」が変わると、すべての言動が変化する

 ただ、この「考える」という行為は、ありとあらゆる場面で(やろうと思えば)ほとんど、すべての行動に伴ってできる行為なのです。

 だから「考え方」が変わると、すべての言動に変化が出てきます。

 もちろん、これはいい方向もあれば悪い方向もあり得ます。

 本書ではそれを読者の皆さんにとって「いい方向」に持っていくためのヒントを提供することを目的としています。では、具体的にどのようなメリットがあるのか、1つずつ見ていきましょう。

世界が変わって見える

 これは、本当に大げさな話ではなく、考えることによる最大の変化だと言えます。

 もちろん、基本的には「目に見えている」物理的な事象に変化があるわけではありません。赤いものが青くなったり、1つだったものが2つになったり、丸かったものが四角になったりするわけではなく、むしろ「目に見えない」ものが抜本的に変化するのです。

 では、その「目に見えないもの」とは何でしょうか?

 実は、これが人間と他の動物とを分けている最も大きな差ということが言えます。

 それが、いわゆる「認識」というものです。

 1つの事象を捉えても、人によって大きな認識の差が出てきます。

 たとえば、1つのりんごを目にした場合にも「美味しそう」「赤がとってもキレイ」「どこで採れたんだろう?」「何の料理に使えるだろう?」といったように、人による認識は様々です。

 このように、1つの「目に見えるもの」から無数の「目に見えないもの」に思いを及ぼす頭の中の行為が、他の動物に比べて決定的に発達しているのが人間の認識なのです。

 「考える」という行為は、このような認識レベルに劇的な変化をもたらします。

 様々な目の前の事象からいかに思いを広げ、それを未来に向けていかに発展させていけるか?

 これが人間の知的能力であり、その基本となるのが「考える」という行為なのです。

 つまり、人間の様々な悩みや無限の可能性も、すべてこの考えるという行為が握っているのです。

 目の前に起こっている事象は誰にとっても同じことです。でも、そこから一人ひとり違人生が発展していくのは、ひとえにそれをどう捉えてどのように発展させるのかという個人の思考の結果が反映されているからです。

 相手からの視点で考えてみる

  では、思考の結果で何が変わるのでしょうか?

  たとえば、日常的なコミュニケーションに変化が起こります。

   「自分の視点だけではなく、相手からの視点で考えてみる」

   「なぜ、相手がそう言っているのか、背景を考えてみる」

   「なぜ、相手は自分と正反対の意見なのかを考えてみる」……。

  このように考えるだけでも、単に「理解できないから嫌いだ」という発想が変わってくるかもしれません。

  単純に1つのものを見ても、ポジティブに捉える人とネガティブに捉える人がいるのは、皆さんも日常的に経験済みでしょう。

  それを「なぜ?」と考えるだけでも、ものの見方に大きな変化が表れてきます。

  もし、あなたのまわりにネガティブ思考の人が多かったとしても、自分だけでもポジティブ思考に変われば、それまでの悩みが解消できる可能性があるでしょう。

  さらに、まわりのネガティブに考える人たちの気持ちがわかれば、その人たちに対するあなたの見方も変わってくるかもしれません。

  もちろん、嫌いな人をいきなり好きになることはないでしょうが、少なくとも「理解できる」と変わるだけでも、大きな変化になります。

  また、仕事においては、単に相手(お客様や上司など)に言われたことだけをやるのではなく、「その先に」相手が何を望んでいるのか、相手が口には出してはいないが「本当に達成したいことは何なのか?」を考えることで、言われたことをやった以上のことを提案して相手に喜んでもらえるかもしれません。

 「考えるカ」のわずかな差が、「天と地」ほどの差になる

  一般的に、新しいアイデアを生み出せる人は、他の人よりも日常生活で「不満を多く感じる人」と言えます。

  意外に思えるかもしれませんが、不満を感じたときにそれを愚痴で終わらせる人と、そこから「どうすれば解消できるか?」と考えて前向きにアイデアを出して改善のために行動する人とでは、それこそ、その後の展開に「天と地」ほどの差がついていくのです。

  前者は「ただの不満が多い人」と周囲からは否定的な評価をされてしまいますが、後者は「アイデアマン」であり「前向きに行動する人」と肯定的な評価をされます。

  スタート地点は一緒だった二者を分けたのは、その後に「考える」ことをしたかどうかなのです。

  先にお話ししたように、このような「わずかだが大きい差」が「考える」という行為に関しては、日常的に無数に繰り返されていきます。

  ここで挙げたような「ものの見方の変化」が、さらにどのような変化につながっていくのかを、次節以降で解説していきましょう。

「先が読める」ようになる

 知識や経験が「過去の集大成」だとすれば、考えることはこれから先のことに役立ちます。

 知識や経験を増やすことの大きな目的は、それを今後の人生に活かしていくことです。もちろん、知識や経験を増やすことそのものも人生を豊かにする目的として十分ありえます。

 しかし、さらにそれを活かすためには考える力が必要です。

 そもそも知的能力とは、なんでしょうか?

 その一つが「一を聞いて十を知る」ことです。

 先人が積み重ねたことを学ぶのも、それを自分に当てはめて別の機会に役立てることができるからです。

 自分が経験したことは、学びの源として大きいことは間違いないですが、そこに応用が利かせられなければ全く同じ状況が再度訪れない限り、次に役に立つ機会はありません。

 動物と人間の違いは、物事を「一般化」できるかどうか?

 でも、1つの学びを異なる機会に応用させることができれば、それは大きな武器となります。

 一言で表現してしまえば、動物と異なる人間の武器というのは、このように「個別事象を一般化して様々な場面に応用させる」ことなのです。科学技術がその典型的な例です。

 物理等の法則を学ぶことは、まさに「一を聞いて十を知る」ことです。

 1つの法則が無数の応用へとつながり、それが様々な新しい技術となって人間の生活を豊かにしていくのです。

 これは、他の動物とくらべて人間が圧倒的に優れている能力であり、ここに「考える力」が大きく貢献しています。

 これにより「過去から未来への類推(先が読める)」が可能になります。

 過去の知識や経験を活かすためには、経験そのものを増やすことも必要ですが、そこで得た知識を「そのまま」ではなく、いかに一般化できるかどうかです。一般化することで、知識や経験を何倍もの形で未来に向かって活かしていけるのです。一般化するためには「考える」ことが不可欠です。

「自由に」なれる

 「考えることと自由との間に一体何の関係があるんだ?」と思った人も多いと思います。

 でも、これらは非常に密接に結びついていて、ある意味コインの裏表のような関係になっています。

 人類の歴史というのは、ある意味、自由の獲得の歴史です。

 たとえば、人間の叡智の象徴とも言える科学技術は、私たちを物理的な制約から自由にしてくれました。

 乗り物によって距離という制約をなくしたり、火や冷凍技術によって食物を時間という制約から自由にしたり、お金という発明によって物の交換を自由にしたり、あるいは民主主義という社会システムの開発によって独裁者の支配から自由になったりといった具合です。

 これらは、すべて人間が知的創造(つまり考えること)によって生み出したことと言えます。物理的な制約があっても、頭の中では自由に考えられるどんなに物理的に制約されていようとも、頭の中は自由であるはずです。つまり、これが考えるということなのです。

 まずは、自由に構想することから物理的な制約を取り払うための第一歩が始まります。

 これが、世界を変える様々なイノベーション(革新)に変わっていきます。

 イノベーションの形は物理的な製品であったり、社会の仕組みであったりと形式は様々ですが、このようにして自由になるための仕組みが整えられていきます。

 一見、自由とは正反対に見える法律や規制などの規則についても、本来はそれらがあることで、実は社会や国家といった集団の中で、より人間が自由になるために考え出されたものであると言えるでしょう。
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21世紀、フィンランドという価値

『物語 フィンランドの歴史』より 二度の対ソ連戦争--第二次世界大戦下、揺れる小国

グローバル化する犯罪の余波

 政治、経済、文化などが国境を越えて地球規模で拡大していったグローバリゼーションの影響は、冷戦が終結し、ソ連が崩壊した時期にあたる一九九〇年前後から世界各地で認識されていった。フィンランドも例外ではない。むろんグローバリゼーションには正の面と負の面があるが、負の面に注目すると、特に犯罪について触れるべき事件が起こっている。

 たとえば、ユーチューブといったインターネットを通じて犯行声明が発信される犯罪が、フィンランドでも発生している。

 二〇〇七年一一月にヘルシンキ近郊のヨケラ高校で三年生が銃を乱射し、八名の死者を出した後、犯人が自殺する事件が起きた。翌年の二〇〇八年九月にも、フィンランド西部のカウハヨキの職業訓練学校で学生が銃を乱射する事件が起こった。いずれもューチューブで邪行声明が行われていた。

 二つの事件は、事件自体が人びとを驚愕させるものだったが、このような犯罪がフィンランドでも起こったことが大きな衝撃を与えた。また、これらの事件が日本で報道された際に、フィンランドの国民一人当たりの銃の所有率の高さが話題となった。たしかにフィンランドは、アメリカ、イエメン、スイスに次いで一〇〇人当たりの銃所有率が四五・三%と高い(二〇一六年)。アメリカのような銃社会というイメージが一部で広がった。ただし、フィンランドの銃所有率の高さは狩猟の伝統によるところが大きい。

 北欧では二〇一一年七月にノルウェーのオスロでの連続テロ事件やウトヤ島での銃乱射事件が二人の青年によって引き起こされたことが大きな衝撃を与えた。安全な国々という印象が強かった北欧も、もはや安全ではないという認識が生まれてきている。

 世界各地で広がる貧富の格差も、二〇〇〇年代からフィンランドでも見られるようになってきた。かっては格差が少ない国とされてきたが、グローバル化の波が押し寄せ、派遣社員という雇用形態が増加し、不安定な雇用が拡大したからである。

 フィンランドでは、冷戦終結後の不況によって、社会保障給付の削減が行われたため、公的機関が担ってきた福祉サービスの一部が民間に移行し、社会保障のあり方が変化してきている。不況は福祉国家を揺るがせ、このまま高水準の福祉政策を維持できるかは先が見えない状況にある。

少子・高齢化と少数移民社会からの変化

 高齢化もまた他の先進国と同様に大きな問題になっている。

 フィンランドの人口は一九九一年の時点で五〇〇万人を超え、二〇一六年には五五〇万人にまで増加した。人口は都市に集中し、二〇一六年段階ではヘルシンキを中心とした首都圏に一一二万人が居住している。

 人口構成を見ると、世界の先進国と同じく少子・高齢化に直面している。フィンランド統計局の調査によると、フィンランドでは二九五〇年に一四歳以下のフィンランド人が人口の三〇%を占めていたが、八〇年には二〇・二%、二〇一〇年には一六・五%と低下している。この状況が続くと、二〇四〇年には一五%を割ると推測されている。

 他方で六五歳以上のフィンランド人は、一九五〇年には人口の六・六%にすぎなかったが、八〇年に一二・七%、二〇一〇年には一七・五%まで上昇している。少子・高齢化がさらに続くと二〇四〇年には二六%を超えると推測されている。なお、スウェーデン語系の住民の割合も独立以降から徐々に減少し、二〇一五年には人口の六%である。

 二〇一五年、二五~四四歳までのフィンランド人の一〇人に一人が外国にルーツを持つという統計結果が出された。その多くはロシア、エストニアの出身であり、次にソマリア、イ

 北欧のなかでも経済発展が遅かったフィンランドは、一八六〇年代から一九一四年までに北アメリカヘ三三万人、一九六〇年代後半から七〇年代前半まではスウェーデンに三〇万人の移民を送り出す側の国であった。

 経済発展を遂げた一九八〇年代終わりから移民や難民の受け入れを広げたものの、第二次世界大戦後、労働力の問題や「人道的観点」から移民や難民を多く受け入れてきたスウェーデンなど他の北欧諸国と比較すると積極的ではなく、年間三〇〇〇人台にとどまってきた。

 一方で、ソ連崩壊後の一九九〇年四月にコイヴィスト大統領は、旧ソ連に居住しているフィンランドにルーツを持つ人びとを受け入れ、彼らに自動的に居住権を付与することを約束した。それゆえ、三万から三万五〇〇〇人ものフィンランドにルーツを持つ、カレリア地峡に主に居住していたイングリアの人びとがフィンランドに居住するようになった。

 二〇一五年以降、シリア情勢の悪化に伴い、シリアから大量の難民がヨーロッパに押し寄せると、フィンランドも三万を超える難民を引き受ける。一六万人も引き受けた隣国スウェーデンと比較すると少ないが、フィンランドでは過去最大の受け入れ数だった。一部の若者たちは、このような大量の難民受け入れに不安を感じ、難民排斥運動を起こしている。それは、難民を受け入れたヨーロッパ諸国と共通する問題と言えよう。

 他方で安全保障の見地から、NATO加盟問題が再浮上している。だが、ロシアはフィンランドのNATO加盟に反対の立場を崩していない。

 二〇一六年七月にフィンランドを訪問したプーチンーロシア大統領は、記者会見でフィンランドがNATOに加盟するのはフィンランドの問題だとしながらも、もし加盟したら、フィンランドの防衛軍はもはや独立的なものではなく、ロシア国境まで延長するNATO軍の一部になるだろうと述べ、その場合にはロシア軍はフィンランドとの国境近くに移動するだろうと、牽制する発言をしている。

フィンランドという価値

 日本では、「フィンランド」は、国そのものより、「北欧」という地域で歴史的に認識されてきた。吉武信彦などの研究者がすでに指摘しているように、北欧と日本との利害関係は薄く、地理的な距離があることから基本的に好ましいイメージで見られてきた。高水準の福祉の影で重税の側面が強調されることもあったが、総体的に肯定的な評価が多い。

 他方、フィンランドで起こった個々の事象や個人、芸術などにも注目が集まり、それらを通してフィンランドという国が日本で認識されてきた。

 二一世紀に入ると、フィンランドは教育の分野で注目されるようになった。OECDによる生徒の学習到達度調査、通称PISAの第一回目(二〇〇〇年)で、フィンランドが読解力の得点で世界第一位になったことがきっかけである。折しも日本ではゆとり教育の是非が問われており、塾もなく受験戦争もないフィンランドの「ゆとり教育」によっても世界第一位になれることが実証され、注目が集まったのである。

 しかし、二〇一二年度に実施されたPISAではフィンランドは読解力六位、科学的リテラシーが五位、数学的リテラシーが一二位と順位を下げる。逆に日本はフィンランドより上位になった。この結果を受けて、フィンランドの教育ブームは一段落した感があるが、フィンランドに〝すぐれた教育〟という新たなイメージが加わったことは確かである。

 ここではフィンランドの教育が日本よりすぐれている、あるいは劣っているといった評価はしない。従来あまり関わりのない外国に注目が集まるときは自国の問題解決のための方策であることが多く、フィンランドの教育も日本の教育の新たな模索からスポットライトが当たったと言えよう。他方、フィンランドという国の実情に注目が集まることによって、イメージだけではない実態を伝える機会となった。

 フィンランドを実際に訪問する日本人も年々増加している。

 フィンランドヘの直行便があるフィンエアーは一九八三年に日本就航を始めた。二〇一六年には成田国際空港、関西国際空港、中部国際空港からヘルシンキ近郊のヴァンター国際空港までの便が毎日運航され、夏季には福岡国際空港からの直行便も就航した。

 このようなフィンエアーのアジア路線は中国も同様であり、北京、上海など五つの都市に加えて二〇一六年からは広州便が就航し、アジアとフィンランドの距離がより近くなっている。日本航空も二〇一三年に成田からヘルシンキヘの直行便を運航し始めている。

 このような直行便の増加に加えて、二〇〇六年に公開されたオール・フィンランドロケの日本映画『かもめ食堂』をきっかけに、観光地としてフィンランドが注目を浴びた。

 フィンランド観光局のデータによると、二〇一五年度のフィンランドヘの日本人観光客(フィンランドに宿泊した人数)は二〇万三四〇〇人。フィンランドのヴァンター国際空港はヨーロッパヘのハブ空港でもあり、トランシットなどの一時滞在者も含めると同年には日本から四五万四〇〇〇人もの観光客がフィンランドの地を踏んでいる。これらの数は年間六〇万~八〇万もの日本人観光客を受け入れるドイツ、フランスよりも少ないが、フィンランドが普通の観光地として選択肢のひとつに加わったと言えるだろう。

 フィンランドは依然「遠い国」であるが、徐々に日本人にとって「普通の国」になってきたのではないだろうか。つまり、時折フィンランドの一部分が取り上げられ、もてはやされることはあっても、フィンランドは輝かしい「理想郷」ではもはやなく、ヨーロッパ諸国のなかの一国として認知され始めてきたのではないか。

 極北の寒冷地にすぎなかったフィンランドは、スウェーデン、ロシアといった大国に支配された歴史を経て、一世紀前に独立を果たした。北の端の新興国家は紆余曲折しながらも困難な現実に立ち向かい、豊かな社会を築いていった。

 このような歴史を踏まえると、フィンランドという「価値」は、遠い極東の地目本からも見出せるのではないだろうか。フィンランドを取り巻く情勢は、日本と同様に日々変化し続けている。しかし、小さな国の舵取りは私たちにこれからも多くの示唆を与えてくれるに違いない。
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「自由」そのものに価値があるわけではない

『ひとまず、信じない』より 政治論 覚悟を決めない政治家たち

「自由」そのものに価値があるわけではない

 「誰かに必要とされている」ということが、人間にとっては一番重要だということを書いた。人には必ず「自分の席」が必要だ。自分の役割があって、それが誰かの役に立っていることが、人が幸福感を得るための条件であると指摘した。

 何も持たないことが自由だと勘違いしている人たちがいる。結婚したり、子どもを持ったり、会社で役職に就いたりすると、面倒を抱えることになる。だから、そんなものはない方が自由だという理屈である。

 しかし、その考えが正しいとはとうてい思えない。

 「自由」は人間が勝ち得た最大の美徳という言われ方がよくなされるが、「自由」そのものに絶対の価値があるわけではない。自由とは抽象的な概念ではなく、何かをなすための方法論的な価値でしかない。自由そのものに、最終的な価値があるわけではないのである。

 こういう言葉が誤解されて拡散し、大量に消費されるのが現代社会の特徴だ。「自由」「平等」「平和」といった概念が、それ自体の価値によって何物にも代えられないという誤解である。それが意味することを十分に吟味することもなく、ただ、抽象的な言葉の概念だけで、それ自体の価値を犯すべきではないという思いこみ。これらが、本質的な問題を見えなくしているだけだ。

 「自由」と「平等」に絶対の価値があるなら、それらはいずれも「絶対的に」守られるべきであるが、このふたつは両立しない。必ず矛盾を生じさせる。そうなると、どちらかの価値を毀損させてでも、片方の価値を守らなければならなくなる。その時点で、価値は絶対でなく相対的なものとなる。

 今は自由という言葉が、競合する相手を蹴散らし、踏みつぶすための便利な言葉として使われる。新自由主義と呼ばれるものは、すべてそのようなものだ。好きなだけ自由にふるまって成功し、好きなだけ稼ぐべし、というのが自由の定義だ。

 そんな考えと平等が並び立つわけがないのである。

 わがまま勝手に生きたいから、自由でいたいと思うのであれば、おそらく他人の自由を毀損することになる。自由に家庭を捨て、自由に他人の財産を奪い取り、自由に仕事を辞めれば、その分、誰かの権利を侵害することになる。

 革命で自由を手にしたフランスの市民は「人間と市民の権利の宣言」で、自由とは「他者に害をなさない範囲で、あらゆることを行うことができること」と定義している。抑圧されてきた市民が王政を打倒し、政治的な自由を手に入れたときは、自由にも制限があることが認知されていた。それが「自由」そのものに絶対の価値があるように思われていく中で、制限がなくなった。

 「人間と市民の権利の宣言」にもある通り、自由とは他人を傷付けない範囲で何かをなすための方法である。何とか現実と折り合いをつけ、責任をきちんと取りながら、それでも自分のやり方を貫くことができる裁量が自由ということだ。

 自分勝手に生きて、他人を蹴落とすことが自由ではないはずだ。同時に何もしない自由などというものも本来存在しない。誰もいない孤島で、「おれは自由だ」とつぶやいてみたところで、その自由には何の意味もないし、何の価値もない。

 スイスでは家庭で使う洗剤から窓枠の色まで、すべて決められている。この状態は、ある種の自由人たちにはとても息苦しく感じられるだろう。「永世中立」という、これも言葉の響きだけで憧れる人は大勢いるか、スイスという社会はそういう独特のバランスの上に成り立っているのである。

 つまり、はみ出るものを許さないという態度だ。

 そういう社会ではロックンローラーはいらない。パンクなど、もってのほかだ。しかし、社会というのはロックンローラーもいれば、まじめな勤め人もいるから成立する。多様性があって、成り立っている。多様性が確保された社会は、平等性にいくらか欠けるかもしれない。しかし、個人生活のすべてが法律で定められた、完全平等の世界よりはよほどましに思える。

 では、スウェーデンのような高福祉社会は本当に人間の理想だろうか。平等に安心の老後が訪れる社会は、確かに魅力的に映る。でも、その代償として25%の消費税率は受け入れなければならない。スウェーデンという社会は、そうやって成立しているのだ。それが理想社会だろうか。必ず不満が出てくるのではないだろうか。

 スイスのような国は嫌だ、スウェーデンみたいに税金を取られるのも我慢ならない、アメリカのような新自由主義社会で踏みつぶされるのはもっと耐えられない。そうなってくると、残るのは中国のような国しかない。少なくとも中国は新自由主義でもないし、党独裁のもとで人民は平等ということになっているが、その実態はおそらく抑圧的な社会であるに過ぎない。

「可能性」にがんじがらめにならないために

 自由は自己を実現するために必ず必要となる道具だ。自由は言葉だけの抽象的な概念ではなく、何らかの具体的な方法である。腕の良い職人であれば、確かな技術を持っていることが、自由に仕事を続けることにつながる。その意味で言えば、自由とは「技術」ということになる。企業の経営トップは自らの考えに従って、自由に経営判断を行うことができる。ここでは自由とはそれが許される「地位」のことである。

 何かを実現するために自由は必要なのであり、自由は手段ということにほかならない。それ以上のものではないが、自己実現のためにはどうしても必要なものだ。だから、何も背負わない状態を自由とは呼べない。そこには達成感がないからである。何も背負うことができない人間は、周囲から見れば、いてもいなくてもよい人間ということだ。それは自由ではない。

 誰かに必要とされる生き方と、好き勝手に生きる生き方というのは、それほどまでに違うものだ。若い人は特に、このあたりでつまずく。年寄りにはない可能性を秘めていることが、自分の価値だと誤解している。どんな人生でも自由に選べるという可能性が自分の価値だと思うから、いつまでも可能性だけを留保したいと願う。

 もちろん若いうちはどんな人生でも選べるだろうが、選んだ後はその人生を歩むしかない。可能性をいつまでも留保するということは、いつまでも選択しないということであり、それは可能性がないということだ。可能性を担保し続けることは、可能性を殺すことなのである。そして可能性とはすべてを選択できることではなく、たったひとつを選択できるということである。結局は若者と老人はどちらもたったひとつの人生しか送ることができない。若者に価値があるわけではなく、若者と老人はまるで同価値の中にいる。

 ひとつの仕事を選べば、当然のようにどんな仕事でも選べるという可能性を放棄することになる。それが怖いからと言って職業を選択しなければ、いつまでたっても職業人にはなれない。逆説的だが、仕事に就かなければ、「仕事を辞める自由」もあらかじめ奪われていることになる。こうなってくると、もはや言葉遊びだ。

 つまり、「可能性」という概念にも絶対の価値がない。「自由」と同じことだ。

 「可能性」は選択して初めて「可能性」となる。「自由」は何かを背負って初めて「自由」となる。それぞれの言葉の持つ逆の行動が、その言葉に初めて価値を与える。きれいな虹は遠くから見るからこそ美しく輝くのであって、近づいて見ようとすると見えなくなる。それと同じで、「可能性」や「自由」を価値のあるものにするためには、それらを追い求めてはいけないのである。

 仕事に就き、結婚もすべきだ。仕事が嫌なら辞めればよい。結婚が耐えられないなら離婚すればよい。そうして再就職しても、再婚してもよい。精神的には大きな痛手となるかもしれないが、それでも何もない人生よりはまっとうな人生である。
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家族であるとはどのようなことか

『社会学入門』より 「働くこと」の社会的な位置づけ

家族の多様化

 家族のあり方は、時代によって大きく変わってきています。第2節でみたように、夫が会社で働き、妻が専業主婦として家事を行い子どもを育てるといったあり方(「男性稼ぎ手+専業主婦」)は、近代化にともなって生じた、過渡期的な家族形態ですし、日本においては、欧米社会ほどには一般化しなかったものです。現時点からみれぱ、むしろ家族のあり方は多様化してきていると主張されることが多いですし、またそういわれたほうが、みなさんの実感にあうかもしれません。実際に家族のあり方は、夫婦共働きはもちろん、母子もしくは父子世帯、ステップファミリーや、事実婚にもとづく家族、といったふうに、多様なものになっているようにみえます。家族が多様化している、ということ自体が、社会学の研究課題でもありますが、ここでは以下のことに気をつけておきたいと思います。

 まず、家族が多様化しているといったとき、それ以前には、それほど多様ではなかった、ということを含意しています。第2節では、産業化がもたらす雇用労働の増加によって「男性稼ぎ手とその家族」が出身家庭から自立し、「核家族」のようなあり方が生じたこと、また、現在は、「男性のみが住居と離れた職場で働く」段階から「男女ともに住居と離れた職場で働く」段階に入っていることが示されていました。こうした変化の意味について考えていくことは、重要な社会学の課題です。同時に、それまで標準的だといわれていた「家族」が、どの程度、実態に即しているのかについても、議論のなされてきたところです。むしろ家族の多様性を主張することは、「標準」だとされる家族形態からみて「逸脱」だとみなされることへの異議申し立てとしての性格や、「逸脱」だとされる家族を包摂していこうとする志向も持っていました。

家族定義問題

 他方で、家族が多様化しているというとき、その際に数え上げられるさまざまな「家族」の形態が、同じ「家族」という概念のもとで理解できる、ということを前提としています。つまり、「男性稼ぎ手」型の家族も、夫婦共働きの家族も、シングルマザーの家族も、(そして、場合によっては、事実婚や同性カップルの場合も)そのいずれもが、同じように比較することのできる「家族」である、ということを示しています。私たちは、日常的にも「家族」という言葉を使っていますので、その意味するところは理解できているはずです。けれども、そもそも「家族」という概念が、いったい何を指しているのかということを、学問的に議論し始めると、意外と難しい問題が生じます。つまり、家族に対してなんらかの定義を与えようとすると、どうしてもたくさんの例外が見つかってしまうので、なかなか決定的な定義にいたらない、ということで、「家族定義問題」と呼ばれることもあります。

 こうした家族の定義をめぐる問題は、家族社会学のなかでも繰り返し論じられてきましたが、実際に、先にあげた「多様化」が進んでいるとすると、家族を特定の成員構成によって定義することは、いっそう難しくなるでしょう。あるいは、家族をなんらかの特徴によって定義づけるやり方は、どうでしょうか。「同居」のようなわかりやすい特徴づけをあげてみれば、こちらもそんなに簡単ではないことがわかるでしょう。「別居」していても「家族」といえる場合はいくらでもあるでしょう。また、「家族」は、私的領域のなかで「子育て」を担っている、という考え方がありますが、この場合にも、それにあてはまらない家族があるだけでなく、現在、そもそも誰が「子育て」や「介護」といったケアを行うのか、ということ自体が問題になっています。

家族定義問題への対応

 こうした定義の難しさに対しては、さまざまな対応方法があり、D.チールはそれらを「特定化」「放棄」「置き換え」「拡張」の四つに分類しています。順にみていくと、それぞれの研究目的にあわせて、「家族」という概念を限定的に使っていく、という考え方があります([特定化])。逆に「家族」という概念を使うことをやめて、「親密な関係」のような新しい概念を使って研究を進めていく、という考え方もあります(「放棄」)。あるいは、新しい「家族」という概念を、多様化にあわせて、新しい現象に使えるように「拡張」してみる、ということもできるでしょう。法律婚によらず同居するカップルや同性のカップルを「家族」という概念のもとでとらえるとき、「家族」という概念の方が拡張されている可能性があります。こうした考え方は、家族の多様化という考え方にもなじみやすいかもしれません。

 さらに「家族」という概念に関連していそうな特徴を、たとえば、夫婦間の性的親密性や、(介護や育児のような)ケアの提供、同居による生活の共同のように分解していくこともできるかもしれません。その延長で、たとえば同居による生活の共同は、「家族」ではなくても、現在、高齢者にとってのコレクティブハウス、また、若者にとってのシェアハウスというかたちでなされているので、そうした現象について研究していくこともできます。あるいは、このような考え方を突きつめていくなら、私たちがこれまで「家族」という言葉でとらえてきた現象のある部分は、他のものでも置き換えられることがわかってくるかもしれません。ある種の社会学的研究は、実際に社会を動かしていくための指し手にもなりうるでしょう。

 ここでは、これらの対応の方法に加えて、もう一つ別の考え方を紹介したいと思います。それは、研究者の方で「家族」という概念を定義するのではなく、そのかわりに、「家族」という概念を私たちが日常的にどのように使っているか、差し戻して考えるという方針です。この方針は、先にあげた四つの分類のなかでは、「家族の置き換え」のなかに位置づけられています。

記述のための方法としての「家族」

 「家族」とは何か、誰が家族なのか、家族は何をしているのか、といった問いは、社会学的な家族研究における基本的な問いだといえます。こうした問いに対して、研究者が定義することによって答えるのではなく、家族にかかわるさまざまな言説に着目し、私たちが日常的に記述を行い、家族にかかわるさまざまな現実を構築していく過程を明らかにしていく(社会構築主義的な)考え方があります。代表的なものに、そのものずばり『家族とは何か』という書物にまとめられた。J.F.グブリアムとJ.λホルスタインによる研究があります。

 私たちが「家族」という概念を使って何をしているのか、その用法に着目していくと、この概念が、さまざまな行為を動機づけていることに気づかされます。たとえば、誰が介護をするのか、ということを決定する際に、しばしばどこまでが「家族の責任」なのかが論じられます。そのとき、介護方針を決定していく過程において、「家族」という概念が用いられて問われるわけです。

 こうしたことは、私たちの日常を振り返ってみても、ごく当たり前のこととして理解できるでしょう。この本を読むまで、「家族」という言葉を知らなかった、という読者はいないはずで、私たちは、この言葉を当たり前のように使っています。ただし、わざわざこの言葉をつかって、「家族」であることを強調する必要がある場合というのは、ある程度限られてくるでしょう。その一つに、ケアを必要とする人のケアを誰がするのかについて考えるとき、その重要な候補の一つを指し示すものとして、「家族」という言葉が用いられるわけです。

 もちろん、私たちが「家族」という言葉を用いる際にあてにしている結びっきもまた、先に紹介したような「家族定義問題」のなかで定式化しようとした特徴づけと無縁なわけではありません。逆に、そこで論じられていた「家族」にかかわる結びっきは、私たちが実際に社会生活を成り立たせるための資源として用いることができるものでもあるのです。私たちは、「家族」にかかわるさまざまなリソースを用いて、私たちの社会生活を成り立たせています。

家族に期待される規範

 たとえば、『家族とは何か』のなかには、そもそも「誰が家族なのか」という問いが際立ってみえる事例があります。そこでは、私たちの日常の概念としての「家族」の用法が、より制度的な思考と結びついて用いられています。どういうことかというと、ある患者の入退院をめぐる判断をする際に、そこで医療や司法の専門家が、誰がその患者の家族なのかについて考えなければならない、といったかたちの特徴的な事例になっているのです。一方では、精神科医が、自分の患者を治療プログラムどおり退院させたいと考えています。他方、判事は、この患者に対して行為能力がないのではという判断のもと、措置入院させたほうがよいと考えています。ここで、入退院の判断をめぐって、この患者の家族が探されることになります。

 精神科医は、患者は自分の家族と一緒に暮らしている、といっています。昨年離婚したが、ガールフレンドと子どもと彼女のおばと同居しているのだ、と。それに対して、判事は、誰が彼をコントロールしておくのかを問い、責任をとりうる人物を求め、「ほとんど家族があるようにはみえません」と結論づけています。つまり、医師にとっては、治療プログラムを支援してくれる人が「家族」であり、判事にとっては、彼を監督してくれる人が「家族」なのです。ここでは、誰が家族なのかが、確かに問われています。治療的関心のもとでは、「家族」とみなされた同じ人が、「身柄引き受け人」を求める司法の目のもとでは、「家族」とはみなされない、という相反することが生じているわけです。「家族」であるかどうかを判断しているのに対し、判事は、「身柄を引き受ける」ことができるかどうか、という基準で、「家族」であるかどうかを判断しているのです。

 こうした結びつきには、さまざまなものがあります。「親は子どもを育てるべきだ」「長男は親と同居するべきだ」などなど。こうした結びっきを、家族に期待される規範と呼んでおきましょう。もちろん、私たちは、こうした規範に自動的にしたがうものではありません。つまり、「親と同居することをのぞまない長男」はいくらでもいるでしょうし、また、「育児を積極的には担当しない親」もいるでしょう。ただし、他方で、こうした例外事例が、ただちに規範を覆してしまうようなものでもありません。第急節の恋愛関係や結婚の排他性の規範においても示したようにかりに浮気や不倫が増えているとしても、ある程度規範を尊重するからこそ、それを隠しながらこそこそするのでしょう。同様に、もしも強い理由もなく育児を放棄する親がいたら、家族規範に照らして非難される可能性があります。もしも仕事との兼ね合いで、育児になかなか時間がさけないのでしたら、家族規範とどのように両立するか調整がなされるかもしれません。実際に、これから詳しくみていくように、家族による子育てを社会が支援しようと試みる現場においては、こうした調整の実践をしばしばみることができます。
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米中戦争にいたる道程 サイバースペースに潜む戦争の加速要因

『米中戦争前後』より 戦争にいたる道程

火花は大火事になる危険をはらむ

 森林管理当局ではよく知られることだが、山火事の原因で放火が占める割合は、実は極めて小さい。はるかに多いのは、タバコの火やキャンプファイヤーの不始末、産業事故、落雷だ。さいわい森林でも国際関係でも、ほとんどの火花は大火災にはつながらない。

 火花が火事につながるかどうかは、環境的な条件に左右されることが多い。「山火事を防げるのは、あなただけだ」というポスターは、キャンプやハイキングに訪れた人に注意を促すが、日照りが続いたり、熱波が到来したりすると、森林管理当局は追加的な警報を出し、火事の危険性が高い場所を立ち入り禁止にする。可燃性化合物の倉庫や、プロパンガスボンペ、給油所にも監視の目を光らせ、自然条件が悪化すると監視を強化する。

 現在の米中関係の場合、火花を大火事に発展させる環境的な要因は、地理、文化、歴史から、それぞれが近年の軍事行動で得た教訓まで幅広い。ドイツとイギリスのケースとは異なり、アメリカと中国は地球の裏側に位置する。このため、中国の戦略家らはよく、米中の艦艇がカリブ海で偶発的に衝突する可能性はゼロに近いことを引き合いに出す。それは中国が「アメリカの海」をうろついていないからであり、アメリカもそれにならって引っ込んでいれば、東シナ海や南シナ海で米中の艦艇が衝突するリスクはなくなるはず、というのだ。米国防総省にも、「距離の過酷さ」ゆえに、米軍が東シナ海や南シナ海でまともな対中作戦を展開できるのか疑問視する声がある。

 だが、現在の米中関係で最も関連性の高い環境的要因は、覇権国と新興国の力学が生み出すトウキディデス・シンドロームだ。この環境要因は中国の屈辱の世紀、とりわけ日本の侵略・占領時代の残虐行為に対する怒りに照らして考えると、一段と深刻だ。だから東シナ海の島の領有権問題は、特に大きなリスクをはらんでいる。安倍晋三首相、あるいはその後継者によって日本の平和憲法が改正され、日本が軍事力、なかでも海からの上陸能力を増強すれば、中国は「注視する」以上の行動を起こすだろう。

 「歴史とは国家の記憶だ」と、キッシンジヤーは初の著書で述べている。その記憶は、未来に向けた国家の決断に大きな影響を与える。アメリカは第二次世界大戦後に介入した五つの戦争のうち、四つで敗北するか、少なくとも勝っていない。アメリカも中国も、そのことを十分意識している。朝鮮戦争はせいぜい引き分けだし、ベトナム戦争は負けた。イラクとアフガニスタンはいい結果になる可能性は低い。1991年にジョージ・H・W・ブッシュ大統領が始めた湾岸戦争だけは、サダム・フセインのイラク軍をタウェートから撤退させて明確な勝利を収めた。ロバート・ゲーツ元国防長官はその事実を踏まえて、自明なことを指摘した。「将来、米軍の大規模な部隊をアジアか中東、あるいはアフリカに再び派遣するよう大統領に助言するような国防長官は、マッカーサー将軍の上品な表現を借りれば、『頭を検査してもらうべきだ』」と。

 さらにここ数十年、アメリカと軍を戦争に送り込んできた政策当局者たちは、戦闘で米兵の命を失うことに大きな抵抗を示すようになった。犠牲者をなるべく出したくないと考える傾向は、戦略面に深刻な影響をもたらしている。兵士が危険にさらされるという理由で、特定の作戦分野全体が選択肢から外されることもある。その一方で、政治家も勝利について語ることが減り、兵士を守ることを気にかけるようになった。中国指導部はそれに気づいており、戦略を立案するとき考慮に入れるようになった。なかには、中国には国のために命を差し出す独身男性が何百万人もいると(オフレコでだが)自慢した者もいる。

 マッチとガソリンの関係のように、偶発的な衝突事故や第三者の挑発が加速要因となって戦争に発展する場合がある。クラウゼヴィッツは、さまざまな加速要因を総称して「戦場の霧」と呼んだ。トウキディデスは、戦争とは「偶然が重なった出来事」と述べたが、クラウゼヴィッツは『戦争論』でそれを発展させ、「戦争とは不確実性の領域だ」と述べている。「戦場における行動を左右する要因の四分の三は、不確実性の霧に包まれている」。こうした不確実性のために、司令官や政策当局者は攻撃的な行動をとる場合がある。あるいその逆の場合もある。

 1964年、トンキン湾で哨戒活動をしていた米駆逐艦マドックスが、北ベトナム軍の攻撃を受けた。2日後、マドックスが二度目の攻撃を受けたという情報が入った。北ベトナム軍の大それた行動に憤慨したロバート・マクナマラ米国防長官は、議会を説得して、トンキン湾決議法案を採択させた。北ベトナムに対する事実上の宣戦布告だ。ところがそれから数十年後、二度目の攻撃の情報は間違いだったことを、マクナマラは知った。「つまり、ジョンソン大統領は、実際にはなかった2回目の攻撃に対して北爆を許可したことになる」と、マクナマラは書いている。たったひとつの間違った警鐘が、アメリカをベトナムという泥沼に引きずり込む重要な役割を果たしたのである。

 敵に「衝撃と畏怖」を植えつける破壊的兵器の登場は、不確実性の霧を濃くした。標的への誘導や通信に不可欠な軍事衛星などの指揮命令系統を攻撃すれば、敵の司令部を麻庫させることができるからだ。1991年の湾岸戦争で、米軍はこの戦術のバージョン1・Oを実施した。「砂漠の嵐」作戦はイラク軍の情報部を破壊し、サダムーフセインと現場の司令官らの通信を断絶した。孤立したイラク軍は何もできなくなり、米軍機のパイロットたちにとっては、「樽の中の魚を撃っている」ようだったという。

サイバースペースに潜む戦争の加速要因

 衛星攻撃兵器は、米中戦争が起きた場合に大きく影響しそうな加速要因のひとつだ。このような兵器は、長いことSF小説の世界でしか見られなかったが、今や現実となっている。中国は2007年に気象衛星の破壊に成功して、衛星攻撃能力があることを世界に見せつけた。その後も、衛星攻撃兵器の実験は定期的に行われている。

 衛星は敵による弾道ミサイルの発射を知らせたり、天候を予想したり、作戦を立案したりと、アメリカの軍事活動のほぼあらゆる側面で重要な役割を果たす。GPSはほとんどの誘導兵器をより精密にするカギであり、船舶や航空機、さらには地上部隊が現在地を把握するのを可能にする。アメリカは、どの国よりもこの技術に大きく依存している。衛星システムがなければ、司令官は戦場の師団、海上の艦艇、およびその間にいる誰にも命令を伝えられない。そのシステムを破壊する衛星攻撃兵器は、運動エネルギーを利用して物理的に衛星を破壊するものから、妨害電波で軍事衛星を無効にするものまで幅広い。

 サイバースペースは、新たな破壊技術によって決定的優位を得る新たなチャンスをもたらす一方で、事態を暴走させる危険をはらんでいる。攻撃用サイバー兵器の詳細は極秘扱いされており、常に進化している。アメリカがイランの核開発計画に対して行ったサイバー攻撃など、その一端が一般に明らかになるケースもある。今やアメリカの中核的なサイバー攻撃組織である国家安全保障局(NSA)と米サイバー軍、そして中国のこれらに相当する組織は、サイバー兵器を使って軍事ネットワークを遮断したり、送電網など重要な民間インフラを麻庫させることができる。また、プロキシを使ったり、国際的なコンピュータ・ウイルスのネットワークを構築したりして、サイバー攻撃の犯人を偽り、問題の解決を遅らせることもできる。

 衛星攻撃兵器と同じように、サイバー兵器は現代の軍隊が依存する指揮系統や標的情報を破壊して、決定的な優位を生み出せる。しかも誰の血も流さずに。これは危険なパラドックスをもたらす。戦争を鎮圧するつもりの措置が、相手には大胆な挑発行為と受け取られる可能性があるのだ。物理的な戦場は南シナ海に限定されていても、サイバー兵器では送電網を遮断したり、病院や金融システムの一部を麻痺したりと、相手方のインフラの脆弱な部分を攻撃できる。また、サイバー兵器によって通信系統が破壊されれば、戦場の霧は濃くなり、誤った判断を下す可能性は何倍にも高まる。

 今やアメリカも中国も、敵からの第一撃を乗り切り報復できるだけの核戦力をもつ。だが、サイバー兵器の場合、相手からの深刻な第一撃を堪えられる保証はない。たとえば、中国が米軍のネットワークに大規模なサイバー攻撃を仕掛けたら、アメリカのサイバー攻撃能力、あるいは極めて重要な指揮命令系統や監視体制を運用する能力は、一時的に失われるかもしれない。この状況は、「やらなければやられる」という危険な力学を生か恐れがある。みずからのシステムが麻痺する前に、相手のコンピューター・ネットワークの基幹部分を叩かなくては、というインセンティブが働くのだ。

 そんな大掛かりなものでなく、小規模なサイバー攻撃を仕掛けて、暗黙の警告を送つたらいいじやないか--。そんなことを言うグループが、中国政府にも米政府にもいるかもしれない。それなら誰も死なないし、世間に知られることもない。軍または民間インフラに大規模なサイバー攻撃を仕掛ける可能性を示すだけだ、と。だが、もし相手がこちらの意図とは異なる解釈をしたら、サイバースペースで報復合戦がエスカレートするするかもしれない。サイバー兵器に関しては双方とも「やらなければやられる」ことを意識して、「無力化される」側になることを恐れているから、自分たちのサイバー兵器が使えるうちに過大な報復をしようと思うかもしれない。

 サイパースペースには危険な加速要因が複数あり、アメリカと中国を意図せず戦争に陥れるかもしれない。第一の加速要因は、「拒否と偽り」だ。たとえば中国側がソーシャルメディアで他人になりすましたり、マスコミを利用したり、マタウェアに偽の痕跡を残したりすると、アメリカの捜査担当者は、犯人は中国ではないと考えて、第三者の責任を問うかもしれない。この作戦が成功すると、戦場の霧はますます濃くなる。

 機密ネットワークの信頼性を傷つけることも、敵が意図せぬ受け止め方をして、戦争の思わぬ加速要因になる可能性がある。たとえば、中国政府のインターネット検閲を可能にしている、ハードウェアとソフトウェアの集合体「グレート・ファイアウォール」。アメリカが中国に少しばかり警告してやろうと、グレート・ファイアウォールの運用に不可欠なシステムを無効化したとする。だが、中国指導部はこれを「少しばかりの警告」と受け止めないかもしれない。市民が視聴できる情報を管理することは、彼らの存亡に関わる重大事であり、アメリカは中国の体制転覆を図ろうとしていると受け止めるかもしれない。

 戦争の最も直接的なツール、とりわけ核兵器と比べて、サイバー兵器は精密で微調整がきくと言われる。だが、その約束は幻想にすぎない。システムやデバイス、そしてモノのコネクティビティが高まったことで、ドミノ効果が生まれやすくなった。あるシステムをハッキングしても効果を把握しにくいため、攻撃側はターゲットを調整するのが難しく、意図せぬエスカレーションを生みやすい。

 2016年の時点で、インターネットに接続され尭産業管理システムは世界に18万あった。いわゆる「モノのインターネット(loT)」(世界で約100億台のデバィスがつながっている)が拡散したことで、魅力的なターゲットは急増している。そんななか、サイバー領域における「巻き添え被害」は、伝統的な戦争と同じくらい致命的で破壊的なものとなりかねない。たとえば軍事目標のハッキングは、意図せず医療機関や金融機関のシステムを無力化する恐れがある。米軍のサイバー司令官らは、アメリカはサイバー戦争でも最強の兵器をもつと強調するが、その一方でアメリカが最もサイバー攻撃に弱いことも認めている。
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モレスキンのダイアリーは3年連続

8.4「市民主体」

 本気でどうしたらいいのかを考えないといけない。危機感を共有しないと難しい。最大の武器は存在していること。そのための武器は揃っています。市民主体で変革していく。ただ、皆が依存し合っている。

 今の状態に対して、カリスマを待っている。カリスマでは済まないこと。それは悪い方向に進んでいくこと。

 やはり、宗教ではないけど、神との合体みたいなもの、超国家との合体みたいなものどう考えさせるのか。それらを助ける、NPOではないけど、思いを寄りそうものが必要です。

 それが人類の生残り、進化を掛けるもの、今のままではダメだという危機感につながる、もっと大きな決意をさせることです。

8.5「情報処理」

 8.5「情報処理」は今の状況です。それらがいかに役に立つのか。ただし、それには主体がなければムリです。

 メッセージというのは、バラバラな情報、それで考えるためのもの、発信する元、まとまったものをそのまま受入れるわけにはいかない。

 情報共有を使って、何をどう変えていくのかというのが、教育制度の変革。だから、ライブラリのところは変えます。これらは個別に考えてはダメです。システムとして緩やかに変革していくことです。

 企業も儲けるためではなく、変革することで、自分たちの存在を認めていく。

あそべる豊田ではあそべない

 「あそべるとよた」ということで言ったけど、麻雀大会どこでやってんの。何もない。

モレスキンのダイアリーは3年連続

 来年も生きることにしたので、モスレキンのデイリーダイアリーを買いました。KDMでなんと30%引きで2000円。黒です。ここ2年間は赤だった。

 店内を見ていて、ボールペンを 見つけてしまった これが2000円のエナージェルで手帳に書きやすかった。標準の0.5mm以外に、0.3mmと1.0mmの替え芯を購入した。ギリギリの生活費なのに、文房具はやめられない。

 モスレキンの赤いダイアリー、ほとんど書かれることなく、終わってしまう。起きた時間を書こう。なにしろ、メモで埋めましょう。2千円以上したのだから。持ち運ぶにはかさばりますね。
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地域は本当に存在するのか

地域は本当に存在するのか

 未唯空間で地域のコミュニティは未来を作るという結論になってるけど、地域が見えなくなってる。地域なんていうものが本当にあるのか。

 ウンマとかキブツとかのコミュニティのイメージはわくけど、現実の豊田と言った時に、地域で活躍してるものは見えない。行政もNPOも地区も見えてこない。コミュニティを考える時は地域性を省いた方がいい。

ウンマの場合

 神とつながる個人。その間にウンマが介在するという図式。この方が分かりやすい。個人の能力が 多様性が発揮できる。

変革を先にイメージする

 では地域性を抜くにはどうしたらいいのか。それは家族制度及び 学校制度からの脱却になっていく。そのためには 個人が生まれた理由に立ち戻ることです。なぜ存在するのか、存在の力がどこまで及ぶのか。

「人は死んだらどうなるの」by 生田絵梨花

 少しイメージが出来上がりました。この空間を無限次元にすることによって、そのうちの任意の3次元を各自が持ってる。単にその3次元が消滅するだけなんです。

 生田絵梨花、今日はシンガポールでイベントですね。いつフィンランドに行くのかな。来年6月のモーツァルトまでには行かないといけない。

 いくちゃんがシンガポールで指サインしていた。Babymetal のフォックスサインの口の部分がないカタチ。何を意味してるのか。ひめちゃんに抱きつくときにマイクを外してるイヤモニを外していた。いくちゃんならではの表現。

なぜ、地域を考えたのか

 ここ20年近く、メーカーの販売店の存在理由を考えてきた。地域での配置と捉えた。販売店経営者も地域と共にあると思っていた。コミュニティと にエネルギーをもたらすものとして存在できる。これは販売店経営者へのヒアリングで痛感したことです。彼らは地域でしか 生きていけない。

 課題になるのは行政です。彼らの自意識です。勝手に主役だと思ってます。環境学習施設の設立にあたっての市民参加の時に痛感した。やっておれない!!

Googleの音声認識

 Googleの音声認識で「地域」と発音しても「ケーキ」になってしまう。馬鹿じゃないか。単語が先に決まっていて、その中の候補を出すロジックですね。候補欄を見ているとそう見えてくる。

豊田シネマのビル内の無線環境

 豊田シネマの喫茶店のwifiがあるかと聞いたら、あるというので確認したら、外国人用だった。まるで意味ない。

新刊書の争い

 今週は、嫌な老人連中が来ていたけど、30冊確保できました。奥さんに言わせると「それはあんたのこと」だよ。腰が腰痛なので運ぶのは大変。いつ報われるのか?
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豊田市図書館の30冊

203.2『世界史年表』

210.2『世界史年表』

317.95『シンプルな政府』〝規制〟をいかにデザインするか

761.14『ドビュシーはワインを美味にするか?』音楽の心理学

031.5『ギネス世界記録2018』

141.5『考える練習帳』

793.5『テトリス・エフェクト』世界を惑わせたゲーム

336.5『コクヨのシンプル整理術』仕事がサクサクはかどる

332.06『資本主義の終焉』資本の17の矛盾とグローバル経済の未来

762.34『ブラームスとその時代』大作曲家とその時代シリーズ

361『社会学入門』社会とのかかわり方

311.3『日本ナショナリズムの歴史Ⅳ』国家主義の復活から自民党改憲草案案まで

311.3『日本ナショナリズムの歴史Ⅲ』「神話史観」の全面展開と軍国主義

772.1『わたし、還暦? まあいいか2』

007.13『強いAI・弱いAI』研究者に聞く人工知能の実像

940.27『カフカ マイナー文学のために』

493.12『私がアルビノについて調べ考えて書いた本』当事者から始める社会学

311.1『内乱の政治哲学--忘却と制圧』

914.6『ひとまず、信じない』情報氾濫時代の生きかた

129.1『朝鮮思想全史』

913.6『これは経費では落ちません!3』経理部の森岩さん

377.7『ノーベル賞の舞台裏』

748『ふらの・びえい 冬』

589.77『携帯型ゲーム機 超コンプリートガイド』

289.3『スターリンの娘 上』「クレムリンの皇女」スヴェトラーナの生涯

289.3『スターリンの娘 下』「クレムリンの皇女」スヴェトラーナの生涯

235.04『フランス史【中世】Ⅳ』

167.1『フトゥーワ イスラームの騎士道精神』

238.92『物語 フィンランドの歴史』北欧先進国「バルト海の乙女」の800年

319.53『米中戦争+A1001:E1030前夜』新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ
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