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第10章は「私の物語」

第10章は「私の物語」

 その最初になぜか他者の世界を意識するのか。なぜ他者の世界が存在するのか、生きているけど存在するのか、生き残れるのか。

10.2「哲学の世界」

 他者の世界のベースは哲学です。哲学からのヒントはふたつ。存在と歴史です。存在するならば 社会はどうなる? そして時空間のキーワードは何か? 哲学では課題解決は望まない 存在の 意味を問うだけです それに対する答えは 他者が決めることです。

10.3「数学の世界」

 存在と無は、数学の世界では無限次元のなかの任意の3次元で表現できる。無限次元が故に 次元の 拡大縮小は自由にできる。死はその三次元の消滅。そのアナロジーは 超国家と個人に当てはめるそこまでです。端と中核がくっついた空間が可能になります。それでトポロジーの次なる空間を作り出します

10.4「歴史認識」

 歴史を三つに分けると①依存の時代、②今、③自立の時代。その変節点を迎えるかどうか人類は試される。進化の準備は整ってる。

「海底に人」で想像するものって何?

 海底に人が歩いているのかな。

 ニュースはあまりにも短縮している。おかしく思う。

10.5「私の分化」と10.6「私の統合」

 ハイアラキーから配置に変換するプロセスを示す。それらを自分の場合に則して示す。それが可能になる前提は存在の力です。

 分化で自分自身をバラバラにしていく。そして 発信していく。内なる世界でそれを行っていく。それが生涯に亘る教育過程。それは空間のある一点から近傍を作り、チェーンで伝播していく様。それらから意味ある空間を作るのが統合。コミュニティは大きな役割を果たす。

10.7「全てを知る」

 生きてる間の一つの目標がこれです。全ててどこまで? 知るってどういうこと? 放り込まれた以上、これが役割です。

 知るために、すべての項目を未唯空間に集めて、分類してきた。それらを未唯宇宙で展開しようとしている。知ってどうするのか。答えを最初からあるんじゃないのか。考えていると答えがやってくる、その感覚を楽しんでいるだけかもしれない。

10.8「私の世界」

 どうでもいいという 到達点 存在と無から存在の無に向かう。決して、独我論ではない独我論。言葉では表現できない。だから、語らない。
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