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「考える」と何かいいことがあるか?

『考える練習帳』より

「考え方」が変わると、すべての言動が変化する

 ただ、この「考える」という行為は、ありとあらゆる場面で(やろうと思えば)ほとんど、すべての行動に伴ってできる行為なのです。

 だから「考え方」が変わると、すべての言動に変化が出てきます。

 もちろん、これはいい方向もあれば悪い方向もあり得ます。

 本書ではそれを読者の皆さんにとって「いい方向」に持っていくためのヒントを提供することを目的としています。では、具体的にどのようなメリットがあるのか、1つずつ見ていきましょう。

世界が変わって見える

 これは、本当に大げさな話ではなく、考えることによる最大の変化だと言えます。

 もちろん、基本的には「目に見えている」物理的な事象に変化があるわけではありません。赤いものが青くなったり、1つだったものが2つになったり、丸かったものが四角になったりするわけではなく、むしろ「目に見えない」ものが抜本的に変化するのです。

 では、その「目に見えないもの」とは何でしょうか?

 実は、これが人間と他の動物とを分けている最も大きな差ということが言えます。

 それが、いわゆる「認識」というものです。

 1つの事象を捉えても、人によって大きな認識の差が出てきます。

 たとえば、1つのりんごを目にした場合にも「美味しそう」「赤がとってもキレイ」「どこで採れたんだろう?」「何の料理に使えるだろう?」といったように、人による認識は様々です。

 このように、1つの「目に見えるもの」から無数の「目に見えないもの」に思いを及ぼす頭の中の行為が、他の動物に比べて決定的に発達しているのが人間の認識なのです。

 「考える」という行為は、このような認識レベルに劇的な変化をもたらします。

 様々な目の前の事象からいかに思いを広げ、それを未来に向けていかに発展させていけるか?

 これが人間の知的能力であり、その基本となるのが「考える」という行為なのです。

 つまり、人間の様々な悩みや無限の可能性も、すべてこの考えるという行為が握っているのです。

 目の前に起こっている事象は誰にとっても同じことです。でも、そこから一人ひとり違人生が発展していくのは、ひとえにそれをどう捉えてどのように発展させるのかという個人の思考の結果が反映されているからです。

 相手からの視点で考えてみる

  では、思考の結果で何が変わるのでしょうか?

  たとえば、日常的なコミュニケーションに変化が起こります。

   「自分の視点だけではなく、相手からの視点で考えてみる」

   「なぜ、相手がそう言っているのか、背景を考えてみる」

   「なぜ、相手は自分と正反対の意見なのかを考えてみる」……。

  このように考えるだけでも、単に「理解できないから嫌いだ」という発想が変わってくるかもしれません。

  単純に1つのものを見ても、ポジティブに捉える人とネガティブに捉える人がいるのは、皆さんも日常的に経験済みでしょう。

  それを「なぜ?」と考えるだけでも、ものの見方に大きな変化が表れてきます。

  もし、あなたのまわりにネガティブ思考の人が多かったとしても、自分だけでもポジティブ思考に変われば、それまでの悩みが解消できる可能性があるでしょう。

  さらに、まわりのネガティブに考える人たちの気持ちがわかれば、その人たちに対するあなたの見方も変わってくるかもしれません。

  もちろん、嫌いな人をいきなり好きになることはないでしょうが、少なくとも「理解できる」と変わるだけでも、大きな変化になります。

  また、仕事においては、単に相手(お客様や上司など)に言われたことだけをやるのではなく、「その先に」相手が何を望んでいるのか、相手が口には出してはいないが「本当に達成したいことは何なのか?」を考えることで、言われたことをやった以上のことを提案して相手に喜んでもらえるかもしれません。

 「考えるカ」のわずかな差が、「天と地」ほどの差になる

  一般的に、新しいアイデアを生み出せる人は、他の人よりも日常生活で「不満を多く感じる人」と言えます。

  意外に思えるかもしれませんが、不満を感じたときにそれを愚痴で終わらせる人と、そこから「どうすれば解消できるか?」と考えて前向きにアイデアを出して改善のために行動する人とでは、それこそ、その後の展開に「天と地」ほどの差がついていくのです。

  前者は「ただの不満が多い人」と周囲からは否定的な評価をされてしまいますが、後者は「アイデアマン」であり「前向きに行動する人」と肯定的な評価をされます。

  スタート地点は一緒だった二者を分けたのは、その後に「考える」ことをしたかどうかなのです。

  先にお話ししたように、このような「わずかだが大きい差」が「考える」という行為に関しては、日常的に無数に繰り返されていきます。

  ここで挙げたような「ものの見方の変化」が、さらにどのような変化につながっていくのかを、次節以降で解説していきましょう。

「先が読める」ようになる

 知識や経験が「過去の集大成」だとすれば、考えることはこれから先のことに役立ちます。

 知識や経験を増やすことの大きな目的は、それを今後の人生に活かしていくことです。もちろん、知識や経験を増やすことそのものも人生を豊かにする目的として十分ありえます。

 しかし、さらにそれを活かすためには考える力が必要です。

 そもそも知的能力とは、なんでしょうか?

 その一つが「一を聞いて十を知る」ことです。

 先人が積み重ねたことを学ぶのも、それを自分に当てはめて別の機会に役立てることができるからです。

 自分が経験したことは、学びの源として大きいことは間違いないですが、そこに応用が利かせられなければ全く同じ状況が再度訪れない限り、次に役に立つ機会はありません。

 動物と人間の違いは、物事を「一般化」できるかどうか?

 でも、1つの学びを異なる機会に応用させることができれば、それは大きな武器となります。

 一言で表現してしまえば、動物と異なる人間の武器というのは、このように「個別事象を一般化して様々な場面に応用させる」ことなのです。科学技術がその典型的な例です。

 物理等の法則を学ぶことは、まさに「一を聞いて十を知る」ことです。

 1つの法則が無数の応用へとつながり、それが様々な新しい技術となって人間の生活を豊かにしていくのです。

 これは、他の動物とくらべて人間が圧倒的に優れている能力であり、ここに「考える力」が大きく貢献しています。

 これにより「過去から未来への類推(先が読める)」が可能になります。

 過去の知識や経験を活かすためには、経験そのものを増やすことも必要ですが、そこで得た知識を「そのまま」ではなく、いかに一般化できるかどうかです。一般化することで、知識や経験を何倍もの形で未来に向かって活かしていけるのです。一般化するためには「考える」ことが不可欠です。

「自由に」なれる

 「考えることと自由との間に一体何の関係があるんだ?」と思った人も多いと思います。

 でも、これらは非常に密接に結びついていて、ある意味コインの裏表のような関係になっています。

 人類の歴史というのは、ある意味、自由の獲得の歴史です。

 たとえば、人間の叡智の象徴とも言える科学技術は、私たちを物理的な制約から自由にしてくれました。

 乗り物によって距離という制約をなくしたり、火や冷凍技術によって食物を時間という制約から自由にしたり、お金という発明によって物の交換を自由にしたり、あるいは民主主義という社会システムの開発によって独裁者の支配から自由になったりといった具合です。

 これらは、すべて人間が知的創造(つまり考えること)によって生み出したことと言えます。物理的な制約があっても、頭の中では自由に考えられるどんなに物理的に制約されていようとも、頭の中は自由であるはずです。つまり、これが考えるということなのです。

 まずは、自由に構想することから物理的な制約を取り払うための第一歩が始まります。

 これが、世界を変える様々なイノベーション(革新)に変わっていきます。

 イノベーションの形は物理的な製品であったり、社会の仕組みであったりと形式は様々ですが、このようにして自由になるための仕組みが整えられていきます。

 一見、自由とは正反対に見える法律や規制などの規則についても、本来はそれらがあることで、実は社会や国家といった集団の中で、より人間が自由になるために考え出されたものであると言えるでしょう。
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