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 『現代イスラーム講義』

東大塾『現代イスラーム講義』

世界に広がる預言者ムハンマドの一族「異」なるものへの共感

森本一夫東京大学東洋文化研究所教授

イスラーム史、イラン史専攻。なかでも預言者ムハンマド一族の研究を特色とする。東京大学人文科学研究科修士課程修了(東洋史学)博士(文学)東京大学東洋文化研究所助手、北海道大学文学研究科助教授などを経て現職にいたる。研究業績に『聖なる家族―ムハンマド一族―』(山川出版社、2010)『ペルシア語が結んだ世界もうひとつのユーラシア史―』(編著、北海道大学出版会、2009)、『シーア派の自画像一歴史・思想・教義-』(翻訳、慶應義塾大学出版会、2007)などがある。

はじめに

第3講の講義を担当する森本一夫と申します。私は、自分にとっては「異」なるものであるムスリム諸社会の歴史を、「異」なるものに対する好奇心に突き動かされながら、しかし同じ人間の営為として共感的に見るという姿勢を大事にしつつ、研究している者です。専門分野は歴史です。こういう私ですから、今日はまさに、一見物珍しい「異」なるものも子細に見ていくとどんどん身近に感じられるようになる。自分と同じ人間の営為なんだなあと共感が湧いてくるという、そういう体験を皆さんにしていただこうと思っています。「イスラームとどう付き合うか」というテーマの連続講義に参加されているのですから、皆さんご自身も私と同様ムスリムではない。外部から「イスラーム」という対象を眺めるという立場でおられるという前提でお話しさせていただきます。「異」なる部分は確かにある。しかし、同じ人間の営為である限り共感的に理解できる道筋はいくらでもある。この当たり前の陳腐なことがこの講義のメッセージということになります。しかし、ことイスラームに関する限り、教養豊かな受講生が集まるグレーター東大塾というような場においてさえ、この陳腐なことが繰り返し強調される必要があるというのが、日本で一般的なイスラーム認識についての私の現状理解です。

講義の主役はイスラームの預言者ムハンマドの一族だと称している人々です。いま現在、世界中にはムスリムが18億から19億人くらいいると言われていますが、そのなかにはこのムハンマド一族を称する人たちが、確実に数千万のオーダーで存在します。億を超える可能性もあるかもしれません。預言者の一族というと、ムスリムの間にごくごく少数そのような立場を称する人がいるという話だとお考えになるかもしれませんが、そういうことではないのです。この非常に広範な現象が今日の主題です。預言者の一族とされる人々が多数存在し彼らの血統が特別視されているということは、明らかに我々にとっては「異」なることでしょう。しかし、特別な血統という言説それ自体、あるいは特別だとされる血統が存在するときにそれをめぐって起こる人間模様は、多分皆さんにも身近に感じていただけるものなのではないかと思っています。例えば、ムハンマド一族に属していると特権に与ることができるということを知った上で細かく見ていくと、そこには、では誰がムハンマド一族で誰がそうでないかという問題をめぐるかなり泥臭い人間的な営みがあるわけです。

話の進め方は以下の通りです。まず、講義の前半では、ムハンマド一族とは具体的にどのような人々なのか、そうした人々はどのような理屈にもとづいて特別な人々として遇されているのかを説明します。この部分では、目新しいものに対する好奇心を全開にして、なんと世界にはそんなことがあるのかと、「異」を知ることを楽しんでいただければと思います。その上で、講義の後半では、前半でその俯瞰図をお示しした「異」なる現象の細部のいくつかにズームアップし、そこで起きてきた、またいまも起きている、人間的な営みについてお話しします。後半はしたがって、うわー、自分がこの人の立場でこのルールのこのゲームに参加していたとしたら絶対同じようにプレイするな/しないなというような、共感的な姿勢で聴いていただければ、私の狙いはうまくいったことになります。

世界に広がる預言者ムハンマドの一族

なお、以下で「ムハンマド一族」というとき、それは大方の含意としてはムハンマドの直系の子孫とされる人々を指しているとご理解ください。次の「ムハンマド一族の面々」で触れる人たちは、実際全てムハンマドの直系の子孫と称している人たちです。では、なぜムハンマドの子孫と言ってしまわないかというと、そこにはすでに、子孫こそが一族だという意見と一族はもっと広い範囲の親族を含むのだという意見の対立という人間的な営みが関係しています。これについては、また講義の後半で説明することといたしましょう。

1 ムハンマド一族の面々

過去に生きた、そして現在を生きているムハンマド一族の人々を見回し、預言者につらなるこの血統の広がりを確認するところからお話を始めたいと思います。最初にとりあげるのはヨルダンの国王アブドゥッラー2世です。ヨルダン王家は、第一次世界大戦中のオスマン帝国に対するアラブ大反乱(映画『アラビアのロレンス』の舞台となった反乱)を率いたメッカ太守の子孫です。メッカ太守の家は12・13世紀の交から1925年までイスラーム第一の聖地を支配し続けてきた超名門なので、アブドゥッラー国王はその超名門を通じた預言者の直系の子孫ということになります。アブドゥッラー国王のお母さんはイギリス出身で、前王との結婚前はクリスチャンだった方ですが、血統は父方が繋がっていればいいのでこれはムハンマド一族を称する障害にはなりません。

ヨルダン政府は2004年に「アンマン・メッセージ」というものを出していて、スンナ派やシーア派、またその他のイスラーム諸派に対し、同じムスリムとして手に手を取り合って平和的にやっていくことを呼びかけています。ここで面白いのは、なぜヨルダン政府がそうしたメッセージを出すのかという説明です。メッセージのなかでは、ムハンマド直系の子孫である我が王家には、イスラームに関わる事柄についてイニシアティブを取る責任があるのだとはっきりと述べられています。この一例だけからも、ヨルダン王家にとって、ムハンマド一族の血統はただのお飾りなのではなく、実質的な意味をもっているということがお分かりいただけるでしょう。

ブルネイ・ダルサラーム国の現国王(スルタン)、ハサナル・ボルキア国王もムハンマド一族の血統を称しています。ブルネイではいまに続く王家が14・15世紀に支配を固めるのですが、比較的初期のうちに、アラブ圏からやってきたとされるムハンマド一族の人物が王家に婿入りし、王家はそれ以降ムハンマド一族の血統を称しています。世界を見回すとき、王様というものには何らかの聖なる後ろ盾があるとされるのが普通で、マレ一世界にも王権と聖なるものを結びつけるマレー世界独自の理論が存在するのですが、イスラーム化に伴いムハンマドにつらなる血統も意味をもつようになっているわけです。

二人の国王とは大分趣きが変わりますが、いわゆるイスラーム国(IS)のリーダー(講義当時)、アブー・バクル・バグダーディーがムハンマドの子孫を称していることにも触れておきましょう。これは、彼がムスリム共同体全体の指導者を意味するカリフの位を称していることと関係していると考えられます。明確な規定によってそれが条件とされているわけではありませんが、預言者ムハンマドの権威を引き継ぐカリフにはムハンマド族出身者がふさわしいという考えがそれなりに広く受け入れられているからです。ムハンマド一族の血統という問題は、実は直近の時事ネタにも深く関係しているのです。

さて、ISがとくに敵視している相手の一つがシーア派(ここではシーア派のなかでも十二イマーム派を含意以下同様)です。イランの最高指導者アリー・ハメネイ師と言えば、そのシーア派世界の重要人物ですね。彼の前の最高指導者は、皆さんもっとよくご存じかと思いますが、ルーホッラ・ホメイニ師でした。この二人もムハンマド一族の血統を称しています。最高指導者になる資格としてムハンマド一族の血統が定められているわけでは決してないのですが、少なくともホメイニ、ハメネイという2代の最高指導者については、彼らがムハンマド一族に属していることがその権威を高める一要素となってきたと言って間違いないでしょう。

このように、イスラーム圏の政治指導者をザッと見回してみただけでも、ムハンマド一族の血統を称している人々がそれなりにいることが分かります。他にもモロッコ王家がムハンマド一族の血統を称しているのは有名です。以上からは、また、ムハンマド一族を称す人々がイスラーム圏のさまざまな場所に、またイスラームの二大宗派であるスンナ派とシーア派の両者にまたがって、生きていることも分かります。

次に宗教指導者の例を見てみましょう。イスラームについて語るときに政治指導者と宗教指導者を端から別のものとして話を進めてしまうのは方法として決して正しくはないのですが、ここで宗教指導者というのは政治的には目立った活動をしなかったタイプの宗教指導者を含意するということでお許しください。先の政治指導者というのも同様にゆるく理解していただけると幸いです。宗教指導者の間にもムハンマド一族を称する人たちがたくさんいます。図2はインドで買ったポスターの一部ですが、描かれているのは12世紀のイラクで活動した聖者、アブドゥルカーディル・ジーラーニーという人物です。一般にムハンマド一族出身とされています。ここでジーラーニーを出したのは、しかし、単に宗教指導者の一例としてのジーラーニーがムハンマド一族出身と理解されていることをお伝えしたかったからではありません。彼の例は、ムハンマド一族とされる家系には、同じくムハンマド一族とされる聖者を通じて血統を主張している例が数多く見られるという、もう一つの広範な現象をお伝えするのにちょうどよいのです。聖者ジーラーニーの子孫たちは、往々にして、イスラーム神秘主義(スーフィズム)教団の一つでジーラーニーの衣鉢を継ぐとされるカーディリーヤで指導的な立場にありました。そして彼らは、カーディリ―ヤの発展と歩を合わせるように各地に移住していったのです。その結果、仮に本人は宗教指導者としての役割を果たしていなかったとしても、聖者ジーラーニ一の血統とムハンマドの血統を合わせもつ人々が、それこそ西はモロッコから東はインドネシアまで広く見られるようになっています。このような、ムハンマド一族の血統を称す聖者を先祖とする二重の意味での聖なる家系は、さまざまな場で見ることができます。

さて次の図3ですが、これはイランのサーヴェという町の墓地で撮ったものです。この人は家族の墓参りに来た人からお金を取っては、供養のためにと言っていいでしょう、墓に向かってクルアーンだか祈疇の文句だかを詠んでいました。普通に考えて、豊かな、あるいは社会で指導的な立場にある人とは言えないでしょう。慎ましい生活をおくる人の日銭稼ぎと考えるのが自然かと思います。ムハンマド一族は、ここまで見てきたような社会の指導層に見られるだけでなく、こういう人たちも含んでいるのです。しかもこの場合、家族のお墓にお参りに来た人たちにとって、この人がムハンマド一族の一員だということには明らかに意味があります。お金を払って宗教的なテクストを詠んでもらう際、ムハンマド一族の詠み手とそうでない詠み手がいるならば、人情としてはやはり一族の人に頼みたいということになるわけです。このように、ムハンマド一族の人々は、単に庶民や貧しい人々の間にもいるというだけでなく、そのような人たちにとっても彼らが帯びている血統が得になる場面があるのです。一国の指導者からお墓のクルアーン詠みにいたるさまざまな社会階層の人を含み、しかもそうした人々それぞれが置かれた状況に応じて意味を発揮しうる血統。ムハンマド一族の血統がもつ面白さがここにあります。

さてしかし、家族の墓参りに来た人たちは、どうしてこのおじさんがムハンマド一族の一員だと分かるのでしょうか。すでにお分かりかもしれませんが、実は、このおじさんが被っている緑の帽子と肩にかけている緑のショールは、イランでは誰もがそれと理解するムハンマド一族の印なのです。おじさんは、自分はムハンマド一族だよと一目で分かる格好をして墓地で客待ちをしていたのです。イランでは、シーア派のお坊さんの場合、黒のターバンがムハンマド一族の、白のターバンがそうでない人の、印になっています。お坊さんの場合、お坊さんとしての正式な服装をすれば、否応なしにムハンマド一族かどうかが外見的に示されるということになります。それに対しお坊さんでない場合は、このおじさんが身につけているような、はっきりした緑色をしたいくつかの特定のアイテムが印となります。こちらは全くの随意で、自分の血統を外見で示したいと考える人だけが使うものになります。帽子とショール(首に巻いたり首や肩に掛けたりする、あるいは腰に巻くこともある)が代表的なものです。緑色は天国の住人の衣の色ともされ、一般にイスラームを象徴する色と考えられている色ですが、このように、ムハンマド一族の人々が一目見ただけでそれ以外の人々と区別されるような格好をしていることはかなり広く見受けられることです。図4は、16世紀末のオスマン帝国に暮らしたムハンマド一族の人々を描いたものですが、ここでも彼らが緑のターバンを被っているのが分かるでしょう(本をお読みの方は挿図を白黒でご覧かと思いますが、4人のターバンはす)。そしてもう一つ、ターバンの下から伸びている二筋の髪の房にも注目してください。この二筋の髪の房というのも、いまではどうも廃れてしまったようですが、昔はムハンマド一族であることを示す印として広く知られたものでした。

ムハンマド一族を他と区別する手段としてもう一つ大事なのは、彼らだけに使われる特別な呼び名です。例えば彼らは、モロッコでは一般に「シャリーフ」と呼ばれます。「高貴な人」という意味です(女性の場合はシャリーファ)。南フィリピンなどではこれがなまって「サリップ」となるようです。同様にイランではアラビア語の「サイイド」(女性形は「サイイダ」)がペルシア語になまった「セイイェド」が使われます(インドでの「サイヤド」というのも同じ)。このうち「サイイド」という称号について言うと、これはアラブ圏でもそれなりに広く使われていたのですが、20世紀に入ってからムハンマド一族を特別視するのはよくないという主張が言論界で力をもつようになった結果(この動向については講義の最後で少し説明します)、我々が教科書で学ぶような標準アラビア語ではムハンマドー族の意味では使われなくなり、ただの「ミスター」という意味で使われるようになってしまいました。したがって、イランで誰かが私に「セイイェド森本」と呼びかけたとすると私は「いやいや私はムハンマド一族ではありません」と言わないといけないのに対し、ヨルダンで誰かに「サイイド「森本」と呼ばれても問題ないという、やや混乱した状況が生じています。あと、私が「サイイド」と言うと意外と多くの方が「あっ、私も一人知っている」と、オリエンタリズム批判で有名なエドワード・サイードの名前を嬉しそうにおっしゃるのですが、残念ながらこの二つの単語は別物です。「サイイド」はアラビア語のローマ字転写ではsayyid、サイードの方はsaidで、似てはいるのですが別物です。ちなみに「サイード」の方は「幸せな」(形容詞)、「幸せな人」(名詞)というような意味です。

2ムハンマド一族を支える考え方 せーら

世界のムスリムの間にかなり多数のムハンマド一族とされる人々が、しかも社会のさまざまな場所に散らばる形で、暮らしてきたことがお分かりいただけたと思います。では次に、彼らの広範な存在を支えている、ものの考え方を見てみましょう。こうした現象は、ムハンマド一族の血統には意味がある、血統をもつ人は他の人とは違う、という考え方があってはじめて可能となったと考えるのが自然でしょう。主張しても誰も何とも思ってくれない血統であったならば、これほどの広がりを見せることにはならなかったと考えられます。皆が皆そう思っているわけではないにしても、ある程度は人々に特別だと認められていなければこういう状況にはならなかったでしょう。では、ムハンマド一族の人々はそれ以外の人々と何が違うとされているのでしょうか。以下では彼らにはそれ以外の人々にはない「ありがたさ」が備わっているという考え方と、彼らには他の人々はもたない、他の人々に対する権利があるという考え方の二つに分けて説明したいと思います。

まず、ムハンマド一族のありがたさですが、これには聖典クルアーンそれ自体に根拠があるとされます。最もよく知られているのが「アッラーはただ、この家のものたち(よ)、おまえたちから汚れを取り除き、そしておまえたちを清らかに清めたいと欲し給うのである」という章句です(33章33節;中田考監修『日亜対訳クルアーン』より)。この章句は、「家のものたち」が「ムハンマドの家のものたち」、さらには「ムハンマドの一族の者たち」と解釈され、ムハンマド一族が神によって「汚れを取り除」かれ、「清らかに清め」られた人々であることを示すものと解釈されます(他の解釈もあるのですが、そのことには後に触れます)。神によって汚れを取り除かれ、清められたというのですから、これはムハンマド一族の者たちが他の人々には及びもつかない神与の清らかさをもった本性的にありがたい人々であることを意味するということになります。ムハンマド一族のありがたさに関する議論のなかには、この章句にもとづき、ムハンマド一族の者はその本性的な清らかさによって、現世で罪深い人生をおくっても最後にはその罪はぬぐい去られ地獄に行くことはないと主張するものさえあります。また、さまざまな罪を犯すムハンマド一族出身の者をどぶに落ちた金貨に喩えた論者もいます。どんなに泥が表面を覆い尽くしたとしても、それは金貨の輝きに少しの影響も与えるものではないというわけです。また、一般信徒の日常的な実践というレベルでは、例えばムハンマド一族の人々には病を治す力があると信じられているケースがあることが指摘できます。そういう場合に、そう信じている人をつかまえてあなたのその信仰の典拠は何ですかと問うても、まあ大半はポカンとされるだけでしょう。しかし、そのなかにそれなりの宗教教育を受けた人がいた場合に、その人がこの章句に言及しながら自分の信仰を説明したとしたら、それはいかにもありそうなことだと思います。「清らかさ」は、広く聖性一般に敷衍可能なものと観念されているのです。

ムハンマド一族のありがたさは、彼らには信徒たちを導く使命が与えられているという意味でも主張されます。この主張がなされる際に最も頻繁に典拠として引かれるのは、ムハンマド自身が語ったとされる、私の死後、信徒たちはクルアーンと私の一族に従っていれば道を踏み外すことはないという言葉です。他にも、私の一族はノアの箱舟のようなもので、それに乗った者は救われるが乗らなかった者は滅び去るという内容の言葉も伝えられています。なお、ムハンマドの言とされるこうした伝承はハディースと呼ばれ、クルアーンにつぐ典拠性をもつとされています。

ムハンマド一族のありがたさに対する信仰は、彼らがムハンマドといったさらにありがたいご先祖さまたちと時空をこえた超自然的なつながりをもつとされることにも及びます。一般信徒向けに説教の会などで語られてきた逸話のなかにはムハンマド一族に対しどう振る舞うべきかを説いたものがあるのですが、この考えはそうした逸話のなかにとくにはっきりと現れています。ムハンマド一族の者たちに対して善行を行った人が、夢、あるいは覚醒時のヴィジョンに現れた預言者などムハンマド一族のありがたい始祖たちから褒美を与えられる、逆に、ムハンマド一族の者にすげない態度をとった人がそうした始祖たちからつれない態度をとられてしまう、というような逸話が多く見られるのです。歴史的に見ればとうの昔に亡くなってしまっているといっても、ムハンマドなどのありがたい始祖たちはこの世界とは次元の違う不可視界と呼ばれる世界で自分の一族のことを見守っており、夢やヴィジョンを通じてこの世のできごとにも介入してくることがあるというわけです。

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