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『万物の黎明』

 『万物の黎明』

人類史を根本からくつがえす

デヴィッド・グレーバー

なぜ国家は起源をもたないのか

主権、官僚制、政治の卑賤なるはじまり

「国家の起源」の探求は、「社会的不平等の起源」の探求とほとんどおなじくらい古い。そして、それとおなじくらい熱い議論が交わされてきた。そしてまた、多くの点で、それとおなじように骨折り損である。今日、世界中のほとんどの人間が、国家の権威の下で暮らしているとふつうには考えられている。おなじように、ファラオ時代のエジプト、股の中国、インカ帝国、ベニン王国などの過去の政治体制も、国家ないし、すくなくとも「初期国家」とみなしてよいという感覚は浸透している。しかし、国家とはなにかについて社会理論家のあいだにコンセンサスがないため、問題は、これらの事例をすべて包摂しながら、それでいて、ガバガバすぎて無意味にならないような定義をどのように設定するか、になる。ところが、これが意外とむずかしいのである。

「国家」という言葉が一般的に使われるようになったのは、六世紀後半になってからのことである。フランスの法律家ジャン・ボダンが、この言葉をひねりだしたのがことのはじまりだ。ジャン・ボダンは、魔女、狼男、邪術師の歴史などをテーマにした、影響力のある論文を執筆した人物でもある(さらにボダンは、女性に対する極度の憎悪によっていまだに記憶されている)。しかし、おそらく最初に体系的な定義を試みたのは、ルドルフ・フォン-ェーリングというドイツの哲学者であろう。かれは一九世紀後半に、「国家とは、所与の領域内で合法的な強制力の使用を独占することを主張する機関である」とする定義を提起した(この定義は、それ以降、社会学者マックスェーバーのものとみなされるようになる)。すなわち、まずある一定の範囲の土地の領有権を主張する。そして、その境界線の内部では、人を殺害すること、殴打すること、肉体の一部を切断するこ監禁することをゆるされる唯一の機関がわれなりと宣明する。イェーングの定義によれば、そのとき、政府は「国家」となるのである。

フォン・イェーリングの定義は、近代国家にはかなり有効であった。ところが、人類史のほとんどにおいて、支配者はそのような大仰な主張をしていなかったことがすぐにあきらかになった。あるいは、われは強制力を独占するものなり、などと口ではいうが、そこにはほとんど実質がなかったのである。つまり、その主張は、われは森羅万象を支配するものなりといった言明と変わるところがなかったのだ。フォン・イェーリングやヴェーバーの定義を保持するならば、たとえばハンムラビのバビロン、ソクラテスのアテネ、征服王ウィリアム支配下のイングランドなどは、まったく国家ではないと断じるか、あるいはもっと柔軟でニュアンスのある定義をひねりだす必要にせまられることになろう。マルクス主義者にも、国家の定義がある。かれらによれば、国家が歴史的にはじめて登場するのは、新興支配階級がわが権力を防衛するためである。他者の労働力に依存して日常的生活をいとなむ人間があらわれるや、かれらは必然的に支配の装置を構築することになる。公式的にはみずからの所有権を守るため、実質的にはみずからの優位性を保つためにである(まったくルソー的思考の系譜に属している)。この定義ならば、バビロン、アテネ、中世イングランドは、あらためて国家の名に値するものとなる。だが、それはまた、搾取をどのように定義するかなどといった、あたらしい概念上の問題も導入した。また、リベラル派にとっては、このような定義は、国家が善良なる機関となる可能性を排除するものであり、好ましくなのだった。

二〇世紀のほとんどを通じて、社会科学者たちは、国家をより純粋に機能的観点から定義することを好んだ。社会が複雑になるにつれ、あらゆるものごとを調整するため、トップダウンの指揮構造を形成する必要性が高まってきたと主張したのである。現代の社会進化論者のほとんどが、基本的にこの論理を踏襲している。そこでは「社会の複雑性」を示す証拠があれば、反射的にそれはある種の統治機構の存在を示す証拠とみなされる。(たとえば、都市、町、村落、小村といった)四段階の集落ヒエラルキーについて語るとして、それらの集落のすくなくとも一部にフルタイムの専門家(土器づくり職人、鍛冶屋、僧侶や尼僧、職業兵士や音楽家)がいたとすれば、それを管理する装置は、それがどのようなものであれ、事実上、国家でなければならない。そして、その装置が実力の独占を主張したり、めぐまれぬ労者の労苦で生活するエリート階級を支えたりはしてかったとしても、遅かれ早かれそうなることは避けられなかった、とこういうわけだ。この定義にも利点はある。断片的な遺物からその性質や組織をあきらかにしなければならない超古代社会について推測するばあいには、この定義は役に立つ。とはいえ、その論理は完全に循環している。基本的には、それは「国家は複雑であるからして、複雑な社会組織は国家である」といっているにすぎないからである。

実のところ、前世紀の「古典的な」理論的定式化のほとんどすべてが、まさにこの想定から出発している。つまり、大規模で複雑な社会には必ず国家が必要だという想定だ。とすれば、真の争点は、以下の点にある、なぜそうなるのか?なにがしかの筋の通った実際的理由からか?それとも、そのような社会は必然的に物質的余剰を生みだすからなのか?すなわち、物質的余剰があれば、――たとえば太平洋岸北西部の魚の燻製のように――分け前を他より多く手に入れようとする人間たちが必然的に存在することになるからか?

第8章ですでにみてきたように、最初期の都市に対して、このような想定はとりわけ有効ではない。たとえば、初期のウルクは、いかなる意味でも「国家」ではなかったようにおもわれる。それに、古代メソポタミア地域でトッブダウンの支配が出現したとしても、そこは低地の河川流城に位置する「複雑な」大都市ではなく、周辺の山麓に位置する小規模な「英雄」社会だった。ところが、それらの社会は行政管理の原理を嫌っていたため、結果的にこれもまた「国家」とみなしえないようにおもわれる。後者の「英雄」社会」に民族誌的に比肩ものがあるとすれば、それは北西海岸の社会かもしれない。というのも、そこでも政治的リーダーシップは、自慢好きで虚栄心の強い戦士貴族の手にゆだねられ、かれらは、称号や財宝、平民の忠誠や奴隷の所有権をめぐって派手な争いをくり広げていたからだ。ここで想起してほしい。ハイダ族やトリンギット族らは、国家装置と呼べるものをもたないだけではなかった。かれらはフォーマルな統治機関のすべてを欠いていたのだった。

すると「国家」は二つの統治形態(官僚的形態と英雄的形態)が融合したときにはじめて出現したのだな、と考えるむきもあるだろう。それもありえないわけではない。しかし、それと同時に、そもそもそんな問いに本当に意味があるのか、と疑義を呈することも可能だ。国家が不在であって君主支配、貴族支配、奴隷制、極端な形態の家父長制の支配は可能であり(実際にあきらかに可能であった)、国家がなくても複雑な灌漑システムを維持したり、科学や抽象的な哲学を発展させたりすることが同様に可能であるならば(これもまた実際にそうであったようにおもわれる)、ある政治体は「国家」であって、ある政治体は「国家」じゃないと区分することで、人類の歴史について本当に意味あることを学ぶことができるのがつうか?もっと退屈でなく、もっと重要な問いがあるのではないだろうか?

この章では、その可能性を探ってみたいとおもう。古代エジプトと現代イギリスの統治機関のあいだには深いところで共通するものがあるにちがいないから、それを正確に解明しなければならない、というふうに考えるのではなく、問題全体をあらたな視角から検討してみるなら、歴史はどのようにみえてくるだろう。都市が誕生したほとんどの地域で、やがて強力な王権や帝国が誕生したことはまちがいない。しかし、それらにはどんな共通点があるのだろうか?はたして実際に共通点はあったのか?それらの出現は、人間の自由と平等、あるいはその喪失の歴史について、なにを物語っているのだろうか?それ以前のものの根本的な断絶を示すものがあるとすれば、それはどのようなものだろうか?

ここでは、支配の三つの基本形態にかんする理論が提示され、それが人類史にもつ含意の探究に手が着けられはじめる

この課題に取り組むためのベストの方法は、第一原理に立ち返ることである。わたしたちはすでに、根源的ないし基本的自由の諸形態についてはふれた。すなわち、移動する自由、命令に従わない自由、社会的関係を再編成する自由である。では、支配の基本的形態についても同様に語ることができるだろうか?せーら

ルソーが有名な思考実験で、すべては私的所有、とりわけ土地の所有権に帰結すると考えたことを想起しよう。間が最初に囲いを築き、「この土地はわたしのものだ、わたしだけのものだ」といったあのおそるべき瞬間に、それ以降のすべての支配形態、つまりその後のすべての破滅的事態が必然となった、というわけだ。これまでみてきたように、社会の基礎としての、そして社会的権力の基盤としての所有権へのこのような執着は、西洋特有の現象であ実際、「西洋」なる観念になにがしかの実質的意味があるとするならば、それはおそらく、こうした観点から社会を認識している法的・知的伝統を指すということができよう。そこで[ルソーのものとは]いささか異なる思考実験をはじめるには、ここがよい出発点になるもしれない。封建貴族や地主階級、あるいは不在地主の権力が「土地を基盤としている」というとき、わたしたちは実質的にはどのようなことをいっているのだろうか?

わたしたちはしばしば、このような言い回しを、うわいた抽象論やご立派な建前をかきわけて、シンプルな物質的現実に接触するための方法として用いている。たとえば、一九世紀イングランドの二大政党であるホイッグとトーリーは、じぶんたちが理念をめぐって争っている、つまり、自由市場リベラリズムの観念と伝統の観念との対立を体現しているとみせかけたがっていた。史的唯物論者ならば、実際にはホイッグは商人階級の利益を代表し、リーは地主の利益を代表していたのだと反論するかもしれない。もちろん、かれらはただしい。それを否定するのは無謀なことである。しかしながら、わたしたちが疑問におもうのは、「土地」(あるいはその他の形態の)という財産が、それ自体すぐれて物質的なものであるという前提である。なるほど、土、石、草、垣根、納屋や穀倉などは、すべて物質的なものである。しかし「土地という財産[不動産]landedproperty」が論題にあがっているようなとき、実質的に語られているのは、特定のテリトリー内にある土、石、草、垣根などすべてへの排他的アクセスや支配に対する個人の権利のことである。つまり、現実には、これは、そこにじぶん以外のだれにも手出しさせない法的権利を意味している。この意味で土地が本当の意味で「あなたのもの」になるのは、あなたの権利主張に異議を唱えようなどとだれも考えないばあいや、武器を携えた人間を必要なときに動員なたの権利主張に異議を唱える人間や許可なく侵入立ち去ろうとしない人間を、脅したり攻撃したりする力があるばあいにかぎられる。たとえあなたずからの手で不法侵入者を撃ったとして、その行為が権利の範囲内であったことを他者に認めてもらう必要がある。いいかえれば「不動産」とは、実際の土や岩や草ではない。それは、道徳と暴力の脅威の微妙な組み合わせによって維持される法的了解である。事実として、土地所有権は、ルドルフ・フォン・リングが、テリトリー内――国民国家よりはるかに小規模のテリトリー内ではあるが――における国家による暴力の独占と呼んだ論理を完璧に示すものである。

このような議論はいささか抽象的に聞こえるかもしい。だがそれは、土地や建物を占拠したり、さらには政府を転覆させようとしたことのある読者なら痛感されるであろうが、現実に生じる出来事の単純な記述なのである。究極的にいえばだれもが知っていように、実力で排除するよう命令を下す相手としての人間がいるかどうか、もしいるようなばあい、実際にその人間が命令にすすんで従ってくれるかどうか、それにすべてがかいる。革命が公然たる戦闘で勝利することはめったにない。革命家が勝利するときは、かれらを弾圧するために送り込まれた人間の大半が銃撃を拒否するか、端的に帰宅してしまうときなのだ。

とすると、財産もまた政治権力と同様、究極的には(毛主席がうまいこといったように)「銃口から」生まれるのだろうか?あるいはせいぜい、銃口を使いこなす訓練を受けた人間たちの忠誠を確保する力能から生まれるのか?

そうではない。というか、正確にはそうではない。

その理由を説明するために、また思考実験をつづけるために、別の種類の財産をとりあげてみよう。たとえばダイヤモンドのネスである。キムカーダシアンが数百万ドルの価値のあるダイヤモンドのネクレスを身につけてパリの街を歩いていたら、彼女はみずからの富をみせつけているだけでなく、暴力をあやつる権力を誇示していることになる。なぜなら、公衆の目にあらわれていようがいまいが訓練された私的な武装警備員なしに、彼女にそんなことはできないことなど、だれもが知っているからである。あらゆる種類の所有権は、イェーリングのような法理論家が婉曲に「実力」と呼んだものによって最終的に支えられている。しかし、地球上のすべての人間が、突然、物理的損傷を受けることがなくなったらどうなるか、ちょっと想像してみよう。たとえば、だれもが他の人を傷つけることができなくなるような薬を飲んだとする。キム・カーダシアンは、じぶんの宝石に対する排他的権利を維持できるだろうか?

まあ、あまりひんぱんに見せびらかすとだれかに盗られてしまうので、無理だろう。しかし、ふだんから金庫に隠しておき、その金庫の番号を彼女だけが知っていて、事前告知なしのイベントで、信頼できるオーディエンスにだけ公開するというのであれば可能であろう。つまり、他者が有していないアクセスの権利を確保するための第二の方法、それは情報の統制だ。ダイヤモンドがどこに保管されているのか、いつダイヤモンドを身に着けて登場するのかは、キムと彼女の親しい関係者だけが知っている。このことは、不動産や店舗商品など、最終的に「実力の脅威」支えられているあらゆる財産にも当然あてはまる。も間がたがいを傷つけることができないのであれば、だれもなにかがじぶん以外には絶対不可侵であること、なにかを「全世界」に対抗して所持することができるなどと宣言することはできなくなるだろう。かれらのできることは、[暴力を使えないのだから]排除されることに同意する者を排除することしかなくなるのである。

さらに実験を一歩すすめて、地球上のすべての人が別の薬を飲むと、秘密を守ることができなくなり、しかもたがいに肉体的な危害をくわえることもできない、と考えてみよう。情報へのアクセスも実力へのアクセスと同様に平等となったのである。キムはいまだダイヤモンドを保持できるだろうか?可能性はある。ただし、キム・カーダシアンという人間が、他のだれにも手に入らないものを手に入れる資格があるほどユニークで並外れた人間であると、れにでも納得させることができればの話だ。

わたしたちは、これらの三つの原理――それぞれ暴力の統制、情報の統制、個人のカリスマ性と呼ぼう――社会的権力の三つの可能な基盤でもあると提起したい。暴力の脅威は、傾向としては最もたよりにできるものであり、だからこそ世界中で統一された法制度の基礎となっている。それに対し、カリスマ性は最も脆いものとなるきらいがある。通常、この三つはある程度共存している。対人暴力がまれな社会ですら、知によるヒエラルキーが存在することがある。その知がなんであるかはとくに問題ではない。たとえば、技術的なノウウ(銅の精錬方法とか植物療法のやりかたなど)であったり、あるいは、わたしたちにはまったく理解不能であるようなこと(二七の地獄と三九の天国の名称とか、そこを旅するとどんな生き物に出会えるかなど)であったりする。

現在では、たとえばアフリカやパプアニューギニアなどの一部では、官僚制的運営を必要とするほど複雑なイニシエーション儀式がおこなれているのがよくみられる。いかなる公式の位階も存在しない諸社会で、新加入者は、徐々に高いレベルの秘教的知に手引きされていくのである。とはいえ、そのような知のヒエラルキーが存在しない場所でも、当然ながら個人のあいだに差異はつねに存在するものだ。人一倍、チャーミングだったり、おもしろかったり、知的だったり、肉体的に魅力的だったり、そのようにみなされる人物はいるものなのだ。そうならないように緻密な安全策を講じている集団であっても、必ずなんらかの差異が生じることになる(たとえば、ハドザ族のような「平等主義的」狩猟採集民のあいだで、成功した狩猟者を儀礼的に嘲笑うように)。

平等主義的エートスには二つの方向性がありうる。ひとつは、そのような個人のいかなる特性のようなものをも完全に否定し、人びとをまったく同一であるかのように扱うべしと主張すること。もうひとつは、そのような特性を称賛し、どのような順位づけもなしえないほど根本的に異なっているとみなすことである(たとえば、最高の腕の漁師と最も威厳のある長老、ョークにかけてはだれにも負けない愉快な人間を、結局どうやって比較し順位づけできるのだろうか?)。このようなばあい、ある種の「極端な個人」そのように呼ぶことができるならば傑出した役割、さらには指導的役割をもはたすこともあるだろう。ここでは、ヌアー族の予言者、アマゾンのシャーマン、マラガシの占星術師=魔術師であるポマシmpomasy、あるいは肉体的に(そしておそらくそれ以外にも)特異な属性をもつ個人にきわめて多く集中している後期旧石器時代の「豪奢なる」埋葬などが想起されるかもしれない。しかし、これらの事例がひそかに語っているように、このような人物たちは、きわめてまれな存在であって、だから、その権威をどのような種類であれ継続的権力に転化させることははなはだ困難であったとおもわれる。

この三つの原理についてきわめて興味深いのは、それらの原理のいずれもが、現在、近代国家の土台をなす諸制度の基礎となっていることである。暴力の統制のばあい、これはあきらかだ。近代国家は「主権者」である。つまり、近代国家は、かつては王のものであった権力を保持している。権力を保持しているとは、実際にはフォン・イェーリングのいう領土内での強制力の正当なる行使の独占に相当する。理論的には、真の主権者は、法を超えた力を行使する。古代の王は、この権力を組織的に行使することはほとんどできなかった(これまでみてきたように、かの王たちの絶対的とされる権力なるものも、王が立つか座るかしている場所から一〇〇ヤード[およそ九一メートル]以内では、かれらだけが恣意的暴力をふるえる唯一の人間であることを意味するにすぎなかった)。現代の国家では、おなじ種類の権力が、一〇〇〇倍ほども強化されている。というのも、それが第二の原理たる官僚制と結合しているからである。官僚制を論じた偉大な社会学者であるヴェーバーがずっと以前に観察したように、行政組織はつねに、情報の統制のみならず、ある種の「公務上の秘密」に足場をおいている。秘密諜報員が近代国家の神話的シンボルとなっている理由がこれである。ジェームズ・ボンドは、殺しのライセンス、カリスマ性、秘密主義、そして説明責任のない暴力を行使する権力を兼ね備えている。だがそんなジェームズ・ボンドを支えているのが、大いなる官僚制機構なのだ。

主権と、情報を保存・集計するための高度な行政管理技術との組み合わせによって、個人の自由は、あらゆる種類
の脅威にさらされる――それは監視国家や全体主義体制への端緒をひらくのである――が、この危険性は、第三の原理である民主主義によって相殺されると、わたしたちはつねに確信している。近代国家は民主主義的である、すくなくとも民主主義的であるべきだと一般的に考えられている。しかし、近代国家における民主主義と、たとえば、共通の問題について集合的に審議していた古代都市の集会のありようとでは大幅に異なっている。むしろ、わたしたちがなじんできた民主主義は、実質的には、大物たちのくり広げる勝敗ゲームにすぎず、それ以外の人間は、ほとんど野次馬にすぎないのだ。

現代の民主主義のこの局面に古代の先例をもとめるならば、アテネやシラクサ、コリントの集会ではなく――逆説的に――、『イリアス』に描かれているような、(競争、決闘、ゲーム、贈与、生け贄など)はてしない「アゴーン[競合]」に充ちた「英雄時代」における貴族の抗争に注目すべきであろう。第9章で述べたように、後期ギリシア都市の政治哲学者たちは、選挙を、公職の候補者を選抜するにあたっての民主主義的方法とはまったく考えていなかった。民主主義的方法とは、現代の陪審員のようなソーティション、すなわちくじ引きによる選抜だったのである。選挙とは、貴族政の方法であって(貴族政aristocracyとは「選良による支配」を意味している)、平民(英雄的な貴族社会では家臣のようなものであった)に、生まれのよいもののなかからだれを最良とみなすべきかを決めることを許容するものであった。生まれのよいものとは、この文脈では、政治をプレイすることにみずからの時間の多くを割くことのできのを意味していた。

 乃木坂工事中に違和感 お気に入りが一人もいなかった 田村・早川・清宮・松尾・久保・賀喜・池田 #乃木坂工事中
 ガソリン 補助 よりも 梨・ぶどう補助を要求する!
 個の目的を中間の存在で共有させるのがコミュニティの役割 #乃木坂はコミュニティ
 本質はそんなことではない
 家の中の写真を撮ってみたけど どう見ても ゴミ屋敷
 豊田市図書館の1冊
204『万物の黎明』人類史を根本からくつがえす
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 『万物の黎明』

人類史を根本からくつがえす

デヴィッド・グレーバー

なぜ国家は起源をもたないのか

主権、官僚制、政治の卑賤なるはじまり

「国家の起源」の探求は、「社会的不平等の起源」の探求とほとんどおなじくらい古い。そして、それとおなじくらい熱い議論が交わされてきた。そしてまた、多くの点で、それとおなじように骨折り損である。今日、世界中のほとんどの人間が、国家の権威の下で暮らしているとふつうには考えられている。おなじように、ファラオ時代のエジプト、股の中国、インカ帝国、ベニン王国などの過去の政治体制も、国家ないし、すくなくとも「初期国家」とみなしてよいという感覚は浸透している。しかし、国家とはなにかについて社会理論家のあいだにコンセンサスがないため、問題は、これらの事例をすべて包摂しながら、それでいて、ガバガバすぎて無意味にならないような定義をどのように設定するか、になる。ところが、これが意外とむずかしいのである。

「国家」という言葉が一般的に使われるようになったのは、六世紀後半になってからのことである。フランスの法律家ジャン・ボダンが、この言葉をひねりだしたのがことのはじまりだ。ジャン・ボダンは、魔女、狼男、邪術師の歴史などをテーマにした、影響力のある論文を執筆した人物でもある(さらにボダンは、女性に対する極度の憎悪によっていまだに記憶されている)。しかし、おそらく最初に体系的な定義を試みたのは、ルドルフ・フォン-ェーリングというドイツの哲学者であろう。かれは一九世紀後半に、「国家とは、所与の領域内で合法的な強制力の使用を独占することを主張する機関である」とする定義を提起した(この定義は、それ以降、社会学者マックスェーバーのものとみなされるようになる)。すなわち、まずある一定の範囲の土地の領有権を主張する。そして、その境界線の内部では、人を殺害すること、殴打すること、肉体の一部を切断するこ監禁することをゆるされる唯一の機関がわれなりと宣明する。イェーングの定義によれば、そのとき、政府は「国家」となるのである。

フォン・イェーリングの定義は、近代国家にはかなり有効であった。ところが、人類史のほとんどにおいて、支配者はそのような大仰な主張をしていなかったことがすぐにあきらかになった。あるいは、われは強制力を独占するものなり、などと口ではいうが、そこにはほとんど実質がなかったのである。つまり、その主張は、われは森羅万象を支配するものなりといった言明と変わるところがなかったのだ。フォン・イェーリングやヴェーバーの定義を保持するならば、たとえばハンムラビのバビロン、ソクラテスのアテネ、征服王ウィリアム支配下のイングランドなどは、まったく国家ではないと断じるか、あるいはもっと柔軟でニュアンスのある定義をひねりだす必要にせまられることになろう。マルクス主義者にも、国家の定義がある。かれらによれば、国家が歴史的にはじめて登場するのは、新興支配階級がわが権力を防衛するためである。他者の労働力に依存して日常的生活をいとなむ人間があらわれるや、かれらは必然的に支配の装置を構築することになる。公式的にはみずからの所有権を守るため、実質的にはみずからの優位性を保つためにである(まったくルソー的思考の系譜に属している)。この定義ならば、バビロン、アテネ、中世イングランドは、あらためて国家の名に値するものとなる。だが、それはまた、搾取をどのように定義するかなどといった、あたらしい概念上の問題も導入した。また、リベラル派にとっては、このような定義は、国家が善良なる機関となる可能性を排除するものであり、好ましくなのだった。

二〇世紀のほとんどを通じて、社会科学者たちは、国家をより純粋に機能的観点から定義することを好んだ。社会が複雑になるにつれ、あらゆるものごとを調整するため、トップダウンの指揮構造を形成する必要性が高まってきたと主張したのである。現代の社会進化論者のほとんどが、基本的にこの論理を踏襲している。そこでは「社会の複雑性」を示す証拠があれば、反射的にそれはある種の統治機構の存在を示す証拠とみなされる。(たとえば、都市、町、村落、小村といった)四段階の集落ヒエラルキーについて語るとして、それらの集落のすくなくとも一部にフルタイムの専門家(土器づくり職人、鍛冶屋、僧侶や尼僧、職業兵士や音楽家)がいたとすれば、それを管理する装置は、それがどのようなものであれ、事実上、国家でなければならない。そして、その装置が実力の独占を主張したり、めぐまれぬ労者の労苦で生活するエリート階級を支えたりはしてかったとしても、遅かれ早かれそうなることは避けられなかった、とこういうわけだ。この定義にも利点はある。断片的な遺物からその性質や組織をあきらかにしなければならない超古代社会について推測するばあいには、この定義は役に立つ。とはいえ、その論理は完全に循環している。基本的には、それは「国家は複雑であるからして、複雑な社会組織は国家である」といっているにすぎないからである。

実のところ、前世紀の「古典的な」理論的定式化のほとんどすべてが、まさにこの想定から出発している。つまり、大規模で複雑な社会には必ず国家が必要だという想定だ。とすれば、真の争点は、以下の点にある、なぜそうなるのか?なにがしかの筋の通った実際的理由からか?それとも、そのような社会は必然的に物質的余剰を生みだすからなのか?すなわち、物質的余剰があれば、――たとえば太平洋岸北西部の魚の燻製のように――分け前を他より多く手に入れようとする人間たちが必然的に存在することになるからか?

第8章ですでにみてきたように、最初期の都市に対して、このような想定はとりわけ有効ではない。たとえば、初期のウルクは、いかなる意味でも「国家」ではなかったようにおもわれる。それに、古代メソポタミア地域でトッブダウンの支配が出現したとしても、そこは低地の河川流城に位置する「複雑な」大都市ではなく、周辺の山麓に位置する小規模な「英雄」社会だった。ところが、それらの社会は行政管理の原理を嫌っていたため、結果的にこれもまた「国家」とみなしえないようにおもわれる。後者の「英雄」社会」に民族誌的に比肩ものがあるとすれば、それは北西海岸の社会かもしれない。というのも、そこでも政治的リーダーシップは、自慢好きで虚栄心の強い戦士貴族の手にゆだねられ、かれらは、称号や財宝、平民の忠誠や奴隷の所有権をめぐって派手な争いをくり広げていたからだ。ここで想起してほしい。ハイダ族やトリンギット族らは、国家装置と呼べるものをもたないだけではなかった。かれらはフォーマルな統治機関のすべてを欠いていたのだった。

すると「国家」は二つの統治形態(官僚的形態と英雄的形態)が融合したときにはじめて出現したのだな、と考えるむきもあるだろう。それもありえないわけではない。しかし、それと同時に、そもそもそんな問いに本当に意味があるのか、と疑義を呈することも可能だ。国家が不在であって君主支配、貴族支配、奴隷制、極端な形態の家父長制の支配は可能であり(実際にあきらかに可能であった)、国家がなくても複雑な灌漑システムを維持したり、科学や抽象的な哲学を発展させたりすることが同様に可能であるならば(これもまた実際にそうであったようにおもわれる)、ある政治体は「国家」であって、ある政治体は「国家」じゃないと区分することで、人類の歴史について本当に意味あることを学ぶことができるのがつうか?もっと退屈でなく、もっと重要な問いがあるのではないだろうか?

この章では、その可能性を探ってみたいとおもう。古代エジプトと現代イギリスの統治機関のあいだには深いところで共通するものがあるにちがいないから、それを正確に解明しなければならない、というふうに考えるのではなく、問題全体をあらたな視角から検討してみるなら、歴史はどのようにみえてくるだろう。都市が誕生したほとんどの地域で、やがて強力な王権や帝国が誕生したことはまちがいない。しかし、それらにはどんな共通点があるのだろうか?はたして実際に共通点はあったのか?それらの出現は、人間の自由と平等、あるいはその喪失の歴史について、なにを物語っているのだろうか?それ以前のものの根本的な断絶を示すものがあるとすれば、それはどのようなものだろうか?

ここでは、支配の三つの基本形態にかんする理論が提示され、それが人類史にもつ含意の探究に手が着けられはじめる

この課題に取り組むためのベストの方法は、第一原理に立ち返ることである。わたしたちはすでに、根源的ないし基本的自由の諸形態についてはふれた。すなわち、移動する自由、命令に従わない自由、社会的関係を再編成する自由である。では、支配の基本的形態についても同様に語ることができるだろうか?せーら

ルソーが有名な思考実験で、すべては私的所有、とりわけ土地の所有権に帰結すると考えたことを想起しよう。間が最初に囲いを築き、「この土地はわたしのものだ、わたしだけのものだ」といったあのおそるべき瞬間に、それ以降のすべての支配形態、つまりその後のすべての破滅的事態が必然となった、というわけだ。これまでみてきたように、社会の基礎としての、そして社会的権力の基盤としての所有権へのこのような執着は、西洋特有の現象であ実際、「西洋」なる観念になにがしかの実質的意味があるとするならば、それはおそらく、こうした観点から社会を認識している法的・知的伝統を指すということができよう。そこで[ルソーのものとは]いささか異なる思考実験をはじめるには、ここがよい出発点になるもしれない。封建貴族や地主階級、あるいは不在地主の権力が「土地を基盤としている」というとき、わたしたちは実質的にはどのようなことをいっているのだろうか?

わたしたちはしばしば、このような言い回しを、うわいた抽象論やご立派な建前をかきわけて、シンプルな物質的現実に接触するための方法として用いている。たとえば、一九世紀イングランドの二大政党であるホイッグとトーリーは、じぶんたちが理念をめぐって争っている、つまり、自由市場リベラリズムの観念と伝統の観念との対立を体現しているとみせかけたがっていた。史的唯物論者ならば、実際にはホイッグは商人階級の利益を代表し、リーは地主の利益を代表していたのだと反論するかもしれない。もちろん、かれらはただしい。それを否定するのは無謀なことである。しかしながら、わたしたちが疑問におもうのは、「土地」(あるいはその他の形態の)という財産が、それ自体すぐれて物質的なものであるという前提である。なるほど、土、石、草、垣根、納屋や穀倉などは、すべて物質的なものである。しかし「土地という財産[不動産]landedproperty」が論題にあがっているようなとき、実質的に語られているのは、特定のテリトリー内にある土、石、草、垣根などすべてへの排他的アクセスや支配に対する個人の権利のことである。つまり、現実には、これは、そこにじぶん以外のだれにも手出しさせない法的権利を意味している。この意味で土地が本当の意味で「あなたのもの」になるのは、あなたの権利主張に異議を唱えようなどとだれも考えないばあいや、武器を携えた人間を必要なときに動員なたの権利主張に異議を唱える人間や許可なく侵入立ち去ろうとしない人間を、脅したり攻撃したりする力があるばあいにかぎられる。たとえあなたずからの手で不法侵入者を撃ったとして、その行為が権利の範囲内であったことを他者に認めてもらう必要がある。いいかえれば「不動産」とは、実際の土や岩や草ではない。それは、道徳と暴力の脅威の微妙な組み合わせによって維持される法的了解である。事実として、土地所有権は、ルドルフ・フォン・リングが、テリトリー内――国民国家よりはるかに小規模のテリトリー内ではあるが――における国家による暴力の独占と呼んだ論理を完璧に示すものである。

このような議論はいささか抽象的に聞こえるかもしい。だがそれは、土地や建物を占拠したり、さらには政府を転覆させようとしたことのある読者なら痛感されるであろうが、現実に生じる出来事の単純な記述なのである。究極的にいえばだれもが知っていように、実力で排除するよう命令を下す相手としての人間がいるかどうか、もしいるようなばあい、実際にその人間が命令にすすんで従ってくれるかどうか、それにすべてがかいる。革命が公然たる戦闘で勝利することはめったにない。革命家が勝利するときは、かれらを弾圧するために送り込まれた人間の大半が銃撃を拒否するか、端的に帰宅してしまうときなのだ。

とすると、財産もまた政治権力と同様、究極的には(毛主席がうまいこといったように)「銃口から」生まれるのだろうか?あるいはせいぜい、銃口を使いこなす訓練を受けた人間たちの忠誠を確保する力能から生まれるのか?

そうではない。というか、正確にはそうではない。

その理由を説明するために、また思考実験をつづけるために、別の種類の財産をとりあげてみよう。たとえばダイヤモンドのネスである。キムカーダシアンが数百万ドルの価値のあるダイヤモンドのネクレスを身につけてパリの街を歩いていたら、彼女はみずからの富をみせつけているだけでなく、暴力をあやつる権力を誇示していることになる。なぜなら、公衆の目にあらわれていようがいまいが訓練された私的な武装警備員なしに、彼女にそんなことはできないことなど、だれもが知っているからである。あらゆる種類の所有権は、イェーリングのような法理論家が婉曲に「実力」と呼んだものによって最終的に支えられている。しかし、地球上のすべての人間が、突然、物理的損傷を受けることがなくなったらどうなるか、ちょっと想像してみよう。たとえば、だれもが他の人を傷つけることができなくなるような薬を飲んだとする。キム・カーダシアンは、じぶんの宝石に対する排他的権利を維持できるだろうか?

まあ、あまりひんぱんに見せびらかすとだれかに盗られてしまうので、無理だろう。しかし、ふだんから金庫に隠しておき、その金庫の番号を彼女だけが知っていて、事前告知なしのイベントで、信頼できるオーディエンスにだけ公開するというのであれば可能であろう。つまり、他者が有していないアクセスの権利を確保するための第二の方法、それは情報の統制だ。ダイヤモンドがどこに保管されているのか、いつダイヤモンドを身に着けて登場するのかは、キムと彼女の親しい関係者だけが知っている。このことは、不動産や店舗商品など、最終的に「実力の脅威」支えられているあらゆる財産にも当然あてはまる。も間がたがいを傷つけることができないのであれば、だれもなにかがじぶん以外には絶対不可侵であること、なにかを「全世界」に対抗して所持することができるなどと宣言することはできなくなるだろう。かれらのできることは、[暴力を使えないのだから]排除されることに同意する者を排除することしかなくなるのである。

さらに実験を一歩すすめて、地球上のすべての人が別の薬を飲むと、秘密を守ることができなくなり、しかもたがいに肉体的な危害をくわえることもできない、と考えてみよう。情報へのアクセスも実力へのアクセスと同様に平等となったのである。キムはいまだダイヤモンドを保持できるだろうか?可能性はある。ただし、キム・カーダシアンという人間が、他のだれにも手に入らないものを手に入れる資格があるほどユニークで並外れた人間であると、れにでも納得させることができればの話だ。

わたしたちは、これらの三つの原理――それぞれ暴力の統制、情報の統制、個人のカリスマ性と呼ぼう――社会的権力の三つの可能な基盤でもあると提起したい。暴力の脅威は、傾向としては最もたよりにできるものであり、だからこそ世界中で統一された法制度の基礎となっている。それに対し、カリスマ性は最も脆いものとなるきらいがある。通常、この三つはある程度共存している。対人暴力がまれな社会ですら、知によるヒエラルキーが存在することがある。その知がなんであるかはとくに問題ではない。たとえば、技術的なノウウ(銅の精錬方法とか植物療法のやりかたなど)であったり、あるいは、わたしたちにはまったく理解不能であるようなこと(二七の地獄と三九の天国の名称とか、そこを旅するとどんな生き物に出会えるかなど)であったりする。

現在では、たとえばアフリカやパプアニューギニアなどの一部では、官僚制的運営を必要とするほど複雑なイニシエーション儀式がおこなれているのがよくみられる。いかなる公式の位階も存在しない諸社会で、新加入者は、徐々に高いレベルの秘教的知に手引きされていくのである。とはいえ、そのような知のヒエラルキーが存在しない場所でも、当然ながら個人のあいだに差異はつねに存在するものだ。人一倍、チャーミングだったり、おもしろかったり、知的だったり、肉体的に魅力的だったり、そのようにみなされる人物はいるものなのだ。そうならないように緻密な安全策を講じている集団であっても、必ずなんらかの差異が生じることになる(たとえば、ハドザ族のような「平等主義的」狩猟採集民のあいだで、成功した狩猟者を儀礼的に嘲笑うように)。

平等主義的エートスには二つの方向性がありうる。ひとつは、そのような個人のいかなる特性のようなものをも完全に否定し、人びとをまったく同一であるかのように扱うべしと主張すること。もうひとつは、そのような特性を称賛し、どのような順位づけもなしえないほど根本的に異なっているとみなすことである(たとえば、最高の腕の漁師と最も威厳のある長老、ョークにかけてはだれにも負けない愉快な人間を、結局どうやって比較し順位づけできるのだろうか?)。このようなばあい、ある種の「極端な個人」そのように呼ぶことができるならば傑出した役割、さらには指導的役割をもはたすこともあるだろう。ここでは、ヌアー族の予言者、アマゾンのシャーマン、マラガシの占星術師=魔術師であるポマシmpomasy、あるいは肉体的に(そしておそらくそれ以外にも)特異な属性をもつ個人にきわめて多く集中している後期旧石器時代の「豪奢なる」埋葬などが想起されるかもしれない。しかし、これらの事例がひそかに語っているように、このような人物たちは、きわめてまれな存在であって、だから、その権威をどのような種類であれ継続的権力に転化させることははなはだ困難であったとおもわれる。

この三つの原理についてきわめて興味深いのは、それらの原理のいずれもが、現在、近代国家の土台をなす諸制度の基礎となっていることである。暴力の統制のばあい、これはあきらかだ。近代国家は「主権者」である。つまり、近代国家は、かつては王のものであった権力を保持している。権力を保持しているとは、実際にはフォン・イェーリングのいう領土内での強制力の正当なる行使の独占に相当する。理論的には、真の主権者は、法を超えた力を行使する。古代の王は、この権力を組織的に行使することはほとんどできなかった(これまでみてきたように、かの王たちの絶対的とされる権力なるものも、王が立つか座るかしている場所から一〇〇ヤード[およそ九一メートル]以内では、かれらだけが恣意的暴力をふるえる唯一の人間であることを意味するにすぎなかった)。現代の国家では、おなじ種類の権力が、一〇〇〇倍ほども強化されている。というのも、それが第二の原理たる官僚制と結合しているからである。官僚制を論じた偉大な社会学者であるヴェーバーがずっと以前に観察したように、行政組織はつねに、情報の統制のみならず、ある種の「公務上の秘密」に足場をおいている。秘密諜報員が近代国家の神話的シンボルとなっている理由がこれである。ジェームズ・ボンドは、殺しのライセンス、カリスマ性、秘密主義、そして説明責任のない暴力を行使する権力を兼ね備えている。だがそんなジェームズ・ボンドを支えているのが、大いなる官僚制機構なのだ。

主権と、情報を保存・集計するための高度な行政管理技術との組み合わせによって、個人の自由は、あらゆる種類
の脅威にさらされる――それは監視国家や全体主義体制への端緒をひらくのである――が、この危険性は、第三の原理である民主主義によって相殺されると、わたしたちはつねに確信している。近代国家は民主主義的である、すくなくとも民主主義的であるべきだと一般的に考えられている。しかし、近代国家における民主主義と、たとえば、共通の問題について集合的に審議していた古代都市の集会のありようとでは大幅に異なっている。むしろ、わたしたちがなじんできた民主主義は、実質的には、大物たちのくり広げる勝敗ゲームにすぎず、それ以外の人間は、ほとんど野次馬にすぎないのだ。

現代の民主主義のこの局面に古代の先例をもとめるならば、アテネやシラクサ、コリントの集会ではなく――逆説的に――、『イリアス』に描かれているような、(競争、決闘、ゲーム、贈与、生け贄など)はてしない「アゴーン[競合]」に充ちた「英雄時代」における貴族の抗争に注目すべきであろう。第9章で述べたように、後期ギリシア都市の政治哲学者たちは、選挙を、公職の候補者を選抜するにあたっての民主主義的方法とはまったく考えていなかった。民主主義的方法とは、現代の陪審員のようなソーティション、すなわちくじ引きによる選抜だったのである。選挙とは、貴族政の方法であって(貴族政aristocracyとは「選良による支配」を意味している)、平民(英雄的な貴族社会では家臣のようなものであった)に、生まれのよいもののなかからだれを最良とみなすべきかを決めることを許容するものであった。生まれのよいものとは、この文脈では、政治をプレイすることにみずからの時間の多くを割くことのできのを意味していた。

 乃木坂工事中に違和感 お気に入りが一人もいなかった 田村・早川・清宮・松尾・久保・賀喜・池田 #乃木坂工事中
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 本質はそんなことではない
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