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『社会学の歴史Ⅱ』

『社会学の歴史Ⅱ』

他者への想像力のために

社会学者は社会のなかでなにを問い、新しい社会学の言葉をどう紡ぎ出してきたのでしょうか。20世紀後半から現代へとつながる社会学の歴史を、大学生への講義ライブというかたちで解説。私たちがいま直面する「社会という謎」を考えるための必読書。
ニクラス・ルーマン

ふたたび、社会という謎

きょうの最終回は、ニクラス・ルーマンについて講義します。ルーマンは、第9章でも触れたように、シュッツの現象学的社会学を独自の形で導入して、パーソンズの理論を反転させる斬新な社会システム理論を創造しました。その基本的着想は、世界は「他でもありうる」という可能性にあると思います。この考えからは、いまの社会はたまたまのものだという無根拠さと、社会は別の姿になることができるという希望を引き出すことができるでしょう。

彼が切り開いた、まったく新しい「社会学的想像力」とはどのようなものなのか。それは、ただ社会学理論を革新するだけでなく、2020年代を生きる私たちがいま直面し、翻弄されている「社会という謎」を考えるための力強い道具を与えてくれるように思います。

1はじめに

●社会は人間から成り立つのではない

「全体社会」の理論?

みなさん、こんにちは。前回の講義から思いもよらぬ休講が続きました。新型ウイルスの影響で、きょうはオンラインでこの講義をお届けしています。こんな形の授業になるとはまったく想像していませんでしたが、みなさん聞こえているでしょうか(読者のみなさんは、時間の流れがおかしいなと思うかもしれませんが、大目に見てください!)。しかもきょうは最終回.じつに難解なニクラス・ルーマンを論じる回です……。

でも、この講義を準備していて、いま目の前で起きている事態をルーマンの社会学ほど正確に描き出すものはないのではないかとも感じています。彼は1998年に亡くなりましたが、その20年以上後の社会を驚くべき精度で予言し、腑分けしているように思うのです。

まず彼の主著のひとつ、1997年の『社会の社会』から引用してみましょう。冒頭の章「全体社会という社会システム」の開始すぐ、ルーマンはこれまでのところ社会学は「全体社会(Gesellschaft)の理論に関して言えば、ある程度満足できる成果すら提出できなかった」と述べます。「古典的な社会学」(デュルケームやヴェーバーやジンメルが含まれます)も、「目下のところ存在する唯一の体系的な社「会学理論」であるパーソンズによる「行為システムの一般理論」も.「理論的に基礎づけられた近代社会の記述」をできていない。全否定です。なぜそんなことになってしまったのか。

彼は、次の4つの前提が認識の障害となってきたからだといいます。すなわち、

1全体社会は具体的な人間から、また人間の間の関係から成り立っているはずである。

2したがって全体社会は人々の合意つまり意見の一致と目標設定の相補性を通じて構成されており、また統合されているはずである。

3全体社会は領域や領土によって境界づけられた統一体である。したがってブラジルはタイと異なる全体社会であるし、アメリカ合衆国はロシアと異なるし、ウルグアイはパラグアイと異なっているはずである。

4それゆえに、全体社会は人間集団や領土の場合と同様に、外から観察することができるはずである。(『社会の社会1』、11頁)

の4つです。これを見て、どうでしょう。3は、社会を国民国家の枠組みでとらえてはいけないという、しばしば主張されることかもしれません(ウォーラーステインも賛成するでしょうね)。4は、社会を観察する社会学者は社会のなかにいることしかできない、とはっきり言語化している、ということだと思います。

でも、1は「社会は人間とその関係から成り立つ」という前提です。これが障害となって社会の理論が阻まれてきたとしたら、どんな認識から出発したらいいのでしょう。「古典的社会学」は個人と社会の関係、人間と人間の関係をひとつの焦点にしてきたわけですが、社会は「人間」から成り立つのでないのなら、いったいどう考えたらいいのか。2は、パーソンズが論じたような、人間と人間の「合意」や「共通価値」が社会を支えるという前提への疑問です。でもそうだとしたら、なにが社会を社会として成り立たせるのか。

ルーマンは、こう述べます。「以下の研究では、こういったラアンチ・ヒューマニスティックディカルに反人間中心主義的で、ラディカルに反領域主義的で、そしてラディカルに構成主義的な社会概念への移行をあえて試みる」。――「人間」を中心にしない社会学をあえて試み、そこから「社会とはなにか」を考え直す。じつにラディカルな問題設定です。

でもそんなことどうしたらできるのか。この章でのルーマンの答えを予告的に述べておきましょう。「合意による統合が、全体社会を構成するだけの意義を有していると、そもそも考えてよいのかどうか。むしろこう仮定するだけで十分ではないのか――コミュニケーションが独自のかたちで・・・・・・続いていく中で、同一性、言及されるもの、固有値、対象が産出されていくのである、と」。コミュニケーションが接続することが「社会」である。この考えからは、ヒューマニズム「《人間中心主義》は••••••難破する。・・・・可能性として残されているのは、身体と精神を備えたまるごとの人間を、全体社会システムの環境の一部分と見なすことだけである」。そして、「人間はコミュニケートできない。コミュニケートできるのはコミュニケーションだけである」。――人間は社会システムの「環境」である?コミュニケーションだけがコミュニケートできる??

ちょっと急ぎすぎですね。きょうの講義はルーマンの大胆な構想を、私が理解できる範囲で伝えようとするものです。ただ、いまこのオンライン画面を通して行っている授業は、ルーマンのいう「社会」と似ているようにも思います。いまは一方向的に私が話していますが、ディスカッションを始めると私とみなさんの発言や表情の画像が画面上に次々と「接続」して、「社会」のようなものができるでしょう。そして、私とみなさんそれぞれの「身体と精神を備えたまるごとの人間」は、この画面=社会の「外」にある。画面上のコミュニケーションが「社会システム」、その外にいる「人間」は「環境」。こう考えると、少しだけイメージできるかもしれません。

もうひとつ、彼は晩年にエコロジーやリスクを論じ、「社会システム」がその「環境」とのあいだでどんな危機に直面し、それにどう対処するか(対処できないか)を鋭く描いています。そこには、このオンライン授業を生むことになった現代社会の特徴を考える重要な手がかりが含まれていると思います。講義後半では、こうしたアクチュアルな論点にも触れたいと思います。

生涯

ルーマンは1985年の「伝記姿勢、そしてカードボックス」というインタビューで「伝記というのは偶然の集成です」と語っています。「偶然」という言葉もきょうのキーワードのひとつですが、このインタビューをもとにその生涯を見てみましょう。

ニクラスルーマン(NiklasLuhmann)は、1927年12月8日ドイツ北部のニーダーザクセン州リューネブルクで生まれました。父は高等教育を受けておらず、祖父から醸造と麦芽製造工場を引き継いだ人(いつも厳しい経済状態だったとのこと)。母はスイス人でホテル経営の家系出身で、ルーマンの兄弟2人も大学に行っていません。ただ寛容な両親で、好きなことを自分で決定できたと彼はいいます。

1943年、ルーマンは15歳で高射砲部隊補助隊員として動員され翌年末に入営、第二次大戦の最前線に送られますが、捕虜となってフランスの収容所で強制労働に従事します。ドイツ敗戦時17歳だった彼は、「以前も以後もすべてが正常のように見えたのですが、すべてが別のようになり、そしてすべてはそのまま同じものでした」と感じます。敗戦後「すべてが自然に正常になるだろう」という希望に反して、彼は9月までアメリカ軍の捕虜収容所に収容されます。「私がアメリカの捕虜収容所で体験した最初のことは、私の時計を腕から剥がし取られ、殴られたことです」。ナチズムは終わりましたが、他でありうる可能性と思っていた別の世界はなにも変わらなかった。「私は1945年以後、単純に失望したのです」。

ルーマンは1946年からフライブルク大学で法学を専攻し、比較法に興味をもちます。もともと弁護士志望でしたが、卒業後弁護士事務所で司法研修生として働く時期に、上司の不当な要求を断れないのが嫌だと考え、「もっと自由があると思われた」役所に入ります。1954年リューネブルクの上級行政裁判所で行政裁判判決用参照システムの組織化に従事、裁判所長官の秘書としても働き、1955年にはニーダーザクセン州政府の文化省に入ってナチス時代の損害の著作目録で単行本72冊、論文他465点(1)という彼の仕事をどう扱えばいいのか。本章では思い切って『社会システム』前半と『社会の社会』のひとつの章に焦点を絞ろうと思います。じつは、助走として1968年の『信頼—社会的な複雑性の縮減メカニズム』を紹介することも考えたのですが(シュッツとの関係の理解にも有用で、コンパクトなルーマン入門書としてお勧めです)、『社会システム』との重複もあり長くなりすぎるので、残念ながらカットします。以下、彼の社会学がどのように視界を反転させ、どんな新しい地平を切り開くのか、見ていくことにしましょう。

 2012年『137億年の物語』より
『モーセは神の助けを得て、ユダヤの人々を奴隷の立場から救い出し、「乳と蜜の流れる」約束の地に移住させた。
アブラハムの長男イシュマエル (ハガルの息子)は、旧約聖書からは早々に姿を消すが、 本書では、後に重要な役割を演じることになる。イシュマエルも12人の息子を授かり、その子孫がアラブ人だとされているのだ。
それでは、神はどちらに約束の地を与えたのだろう。 アラブ人なのだろうか、ユダヤ人なのだろうか。 それとも、分かち合いの精神を学ばせるために、 両方の民に与えたのだろ うか。この土地の正当な所有者がどちらの民族なのかという問題は、 人類史上、最も長く続く争いのもとになった。長期間にわたる宗教戦争や領土紛争にも発展し、争いは今日も続いている。』

 vFlatはこれだけ 波打っても読み取ってくれるありがたい
 トークはてれさにした
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