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『13歳からのイスラーム』

コーランを知ろう

  • コーランってなに?

◆コーランの作者

ユダヤ教やキリスト教では「聖書」が、仏教では「お経」がそれぞれ重要な教えです。これと同じく、イスラームにも重要な教えがあります。それが「コーラン」です。では、このコーランの作者はだれでしょうか。

Qコーランの作者はだれ?

  • 神②天使③ムハンマド

くり返しになりますが、ムスリムにとって神は唯一で、世界を創造し統治する、他にはない重要な存在です。ムハンマドは名前を持つ一人の人間です。そのムハンマドが神から授かった言葉は、のちに一冊の本にまとめられました。それがコーランです。「朗誦されるもの(口に出して唱えるもの)」という意味で、アラビア語では「クルアーン」といいます。コーランはすべてアラビア語で記され、全部で114章からなっています。それぞれの章はさらにいくつかの節に分けられます。3節だけのごく短い章もあれば、200節以上の長い章もあります。

では、コーランの作者はだれになるのでしょうか。ムスリムの考え方では、コーランは、神が預言者を通して人間にあたえた一冊の書物です。それに従えば、答えは①ということになります。

◆ムスリムの4つの啓典

神に由来する書物を啓典と呼びます。ムスリムにとっての啓典は全部で4つあります。1つめは紀元前1200年ごろの預言者ムーサー(モーセ)が授かったとされる「律法の書(トーラー)」、2つめは紀元前900年ごろのダーウード(ダビデ)の「詩篇」、3つめは紀元前後の預言者イーサー(イエス・キリスト)が授かった「福音書」です。600年ごろの預言者ムハンマドを通じてもたらされた4つめの啓典が「コーラン」です。みなさんのなかには、「あれ?!?!モーセはユダヤ教で、イエスはキリスト教じゃないの?」と疑問に思った方がいるかもしれません。前にも触れましたが、イスラームとこれらの宗教はすべて一神教で強いつながりがあるのです。

なお、ここからはコーランの内容の解説になるので、先に第2部を読んでもよいでしょう。

◆神のお告げを書き留めたもの

さて、コーランははじめから現在のような書物の形になっていたのではありません。もともとは、ばらばらの短い啓示がムハンマドに伝えられたのでした。最初の啓示は、前章で説明したようにムハンマドが4歳のころに下されたと言われています。そのときのようすを伝える、こんな逸話があります。

ある日、ムハンマドは、メッカ郊外にあるヒラー山の洞窟で瞑想にふけっていました。すると突然、何者かが目の前にあらわれて、「よめ」と言いました。ムハンマドは、文字の読み書きができなかったため、「よめません」と答えました。

すると、その訪問者は、ムハンマドの首をおそろしく絞め上げました。「よめ」「よめません」「よめ!」「よめません」。そんな押し問答の末、ムハンマドは観念し、「よめ」という言葉を繰り返しました。

すると、その訪問者は言いました。

「よめ、創造主であるあなたの主のお名前において。彼は人間を血の塊からおつくりになった。」

これが最初にムハンマドが受け取った神の言葉でした。そして、その訪問者は、啓示のなかだちをする天使、ジブリール(ガブリエル)だったということが後にわかりました。

以来、ムハンマドは20年以上のあいだ、ジブリールを通じて、いろいろな瞬間に啓示を受け取り、それを周囲の人びとに伝えました。人びとは、その言葉を忘れないように、木片やラクダの骨、ナツメヤシの葉などに書き留めておいたそうです。神の言葉がすべて集められ一冊の本の形になったのは、ムハンマドの死後20年を経た650年ごろだったと言われています。

コーランのなかの言葉は、神がムハンマドに伝えた順番で並んでいるわけではありません。たとえば、「よめ」に始まる、最初の啓示は、コーランの9番目の章「血の塊章」に入っています(1、2節)。言葉の順番は、神の意図の通りにムハンマドが生前に指示していたと言われています。

  • コーランの主題(1)―神のこと

◆コーランの4つの主題

ムスリムの人びとにとって、コーランのなかにある言葉は、すべて神に由来するもので、どれも大切なものです。そのなかにはいったいなにが書かれているのでしょうか。

コーランの主題は大きく分けて4つあります。1つめは「神のこと」。神とはどのような存在なのかが、コーランのさまざまな箇所で語られます。2つめは「現世のできごと」。この世界がどのように生まれたのか、天地創造や人間の誕生、それから神の預言者たちや使徒たちにまつわるできごとについて語られます。3つめは「来世のできごと」。ここでは、現世には終わりの瞬間があり、その後来世が始まることが示されます。最後は、「人間に対する神の命令」です。そのなかには、罪や断食など宗教儀礼にかかわる命令と、食事や装い、家族や社会のあり方など生活にかかわる命令があります。

◆開始の章のなかの神

コーランのなかでも、多くの人びとにとってもっともなじみ深いのが、「開始の章」と名づけられた第1章です。7節からなるこの章は、ムスリムが毎日の礼拝で必ず唱えるものです。礼拝を覚えたばかりの子どもたちでも、みんな知っている部分です。

  1. 慈しみ広く、情け深いアッラーのお名前において

◆ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーム

  1. アッラーよ、あなたを称賛します、諸世界の主よ

ルハムドリッラーヒラッビルアーラミーン

  1. 慈しみ広く、情け深いお方

◆アッラハマーニッラヒーム

4.審きの日をとり仕切るお方

◆マーリキヤウミッディーン

5.わたしたちはあなたを崇め、あなたにこそ救いを求めます

イイヤーカナアブドゥワイイヤーカナスタイーン

6.わたしたちを正しい道へとお導きください

イフディナッスィラータルムスタキーム

7.あなたの怒りをこうむったり、道を踏み外したりしない、あなたが恩寵を授ける人びとの道へと

スィラータッラズィーナアンアムタ
アライヒムガイリルマグドゥービアライヒムワラッダーリーン

世界のすべてを創り出したのは、この唯一神である。天地を創ったのも、人間を創ったのもそう。そして神は、この世のすべてのものに対して優しく、良い行いには良い事柄で報いてくださる。ムスリムのあいだではそのように信じられています。

一方、神は厳しい顔も持っています。この世が終わるとき、神はすべての人の一生の行いを確かめ、人ひとりが来世をどこで過ごすべきかを判断します。善行を多くした人は楽園のある天国へ、悪行のほうが多かった人は灼熱の地獄へと送られます。

全能で、優しく、厳しい神。そんな神を崇め、そんな神に救いを求めてムスリムは生きていく。この開始の章のメッセージは、コーランのなかでその後もくり返されています。

  • コーランの主題(2)―現世のできごと

◆天地創造

天地や人類は、いつから、どうやって存在しているのでしょうか。コーランには、神による天地創造に関する表現がたびたび出てきます。たとえば、神が「あれ」と言っただけですべてのものがあらわれたという表現(2章117節)や《目に見える柱もなしに天を創り、地上にがっしりとした山を据えつけてあなたたちの足元がぐらつかないようにし、そこにありとあらゆる動物を散らばせた》という言葉(31章10節)などがあります。

コーランには、神が最初の人間であるアーダムとその妻を泥土からつくったとあります。神は2人にこう言いました。《アーダムよ、あなたとあなたの妻は楽園に住みなさい。そして、どこでも望むところで食べるがいい》。そのとき、一本の木についてだけ、こうつけ加えました。《ただ、この木に近づいてはならない》(7章14節)。

◆地上に降り立ったアーダム

コーランによると、神は人間を創造する前に、光から天使を、火から悪魔を創りました。悪魔は人間が自分よりも神から大切にされていることに不満を抱き、アーダムとその妻にこうした。

《おまえたちがこの木に近づくことを主が禁じたのは他でもない、おまえたちが天使となるか、永遠に生きる者となるからだ》。2人は悪魔に欺かれ、神に禁じられた木の実を食べてしまいました。すると突然、自分たちが裸でいることを恥じるようになりました。楽園の葉で体を覆い始めた2人を見て神は言いました。《私はあなたたちにその木を禁じ、悪魔はあなたたちの明白な敵だと言わなかったか。2人は楽園を追放され、地上に住むようになりました(7章20〜25節)。

神の言葉を預かり、地上に降り立ったアーダムは、最初の預言者となりました。その後、次のページで紹介しているヌーフやイブラーヒー、ユースフをはじめ、数多くの預言者があらわれました。コーランにはそれぞれの人物に関する物語が記されています。

  • コーランの主題(3)――来世のできごと

◆現世のおわりと来世

コーランのなかでたびたび言われているのが、現世(この世)にはやがて最後の日がやってくるということです。その日は「終末のとき」と呼ばれます。それがいつなのかは明らかにはされていません。ただしコーランには、その日、あらゆる天変地異が起こると書かれています。《そのとき、大地はぐらぐらと揺れ、山々は粉々にくずれ、ちりとなって吹き散らされる(5章4~6節)。さらに、太陽の光は失われ、星々は流れ落ち、海はふつふつと煮えたぎり(8章1~6節)、人は皆、死に絶える(50章13節)とあります。

突然、ラッパの音が鳴り響きます。それを合図に、すべての死者が墓場や死に場所から甦り、ぞろぞろと列をつくって、神の御前へと向かっていきます(50章4節)。これが「復活」と呼ばれるできごとです。神の前で人びとは生前におこなったことを記録した帳簿を手わたされます。コーラン〈もっとくわしく>によると、帳簿を右手にわたされた人は喜びいさんで天国へ行き、左手にわたされた人はいやいやながらも地獄に送られることになります。

「真実の日章」6章の2~3節には、次のようにあります。

自分の帳簿を右手に渡された者は言うだろう、「みなさん、私の帳簿を読んでみてください。私の善行が報われる日が来ると思っていた」。そして良い暮らしを送るのだ。天の楽園の中で。……だが、帳簿を左手に渡された者は言うだろう。「こんな帳簿はもらわなければよかった。自分の行いの報いなど知らないほうがよかった。(現世の死で)すべてがおわればよかったのに。財産も役に立たなかった。権威も消え失せた」。(地獄の番人に対して)おまえたち、彼を捕まえて縛れ。そして、灼熱の地獄にくべるのだ。

◆天国と地獄

天国は「楽園」と呼ばれます。コーランによると、そこには「水」、「乳」、「酒」、「艦」が流れる清らかな4つの川があり、豊かな木々にはあらゆる果実が実っています(4章15節)。楽園の住人は金の腕輪で身を飾り、上質の緑色の衣服を着て、毎日寝椅子に寄りかかり、ゆったりと過ごしています(1章3節)。おなかが空くこともありません。黄金の大皿や杯が回ってきて、そこから好きなものを飲み食いすることができるのです(4章7節)。

一方、地獄は「火獄」と呼ばれます。コーランには、地獄の住人が、首に枷や鎖をかけられ、湯や炎のなかを引きずり回される姿が描き出されています。

コーランの主題の最後、4つめは生活に関わるさまざまな決まりごとです。これは、次の章でくわしく説明します。

⚪コーランに登場する「旧約聖書」の預言者

●ヌーフ(旧約聖書のノア)

神を信じない人びとに最後の警告を伝えつかかれるために遣わされた預言者・使徒。彼の言葉ほろを聞きいれなかった人びとを滅ぼすために、だいこうずい神は大洪水を起こしました。ヌーフは神の命はこぶね令によって、箱舟をつくり、自分の家族とすべての動物の雄と雌を連れて船に乗りこみ、のが難を逃れました(23章23~30節)。

●イブラーヒーム(旧約聖書のアブラハム)

イスラームでは一神教の礎をきずいた、重要な預言者・使徒の一人として知られています。神からの試ぎせいささ練として息子イスマーイールを犠牲として捧げようしんこうあつとし、その信仰心の篤さを神に認められ、祝福されまいけにえす。左の絵は天使が息子の代わりに犠牲となる動物をもって降りてきたところ(37章83~113節)。イブラーヒームは後にイスマーイールとともにメッカにカアしんでんバ神殿を建設しました(2章125~127節)。

●ユースフ(旧約聖書のヨセフ)

コーランの中で、ユースフの物語は「もっとも美しねたい「い物語」と言われます。兄弟に妬まれ、幼いころに井戸に捨てられたユースフは、商人に拾われ、エジプトの大臣に売られます。大臣の家で美しく、知識の豊富な若者に成長したユースフに、大臣の妻が思いを寄せます。右の絵はこの物語を土台にして、1540年ごろのイランで描かれたもの。ユースフのあまりの美しさに大臣の妻の友人たちが驚いているところです(12章)。

イスラームと他者

  • イスラーム社会を支えるしくみ

◆寄付は当然の行為

この章では、イスラーム世界を支えるしくみについて見ていきましょう。

巡礼などと同じように、ムスリムの義務とされたものに「喜捨」があります。「喜捨」とは、他人の利益のために寄付をおこなうことで、アラビア語ではザカートあるいはサダカとよばれました。をして他人を助けることは、当然ながら善い行いとされ、来世で天国に行くためにも必要な行いと考えられていました。そのため、義務として強制される喜捨(ザカート)だけでなく、自発的な喜捨(サダカ)もさかんにおこなわれていました。とくに、支配者や大商人など裕福な人びとにとり、自発的な喜捨をおこなうことは天国に行くためだけでなく、自分たちが善きムスリムであることを社会に示し、権威や名声を保つためにも重要なことでした。

◆ワクフのしくみ

自発的に喜捨をおこなったことを広く社会に示すために、ムスリムはアラビア語で「ワクフ」とよばれるしくみを用いました。ワクフは、自分の土地や建物をアッラーにささげ、だれの手にもわたらないようにし、土地や建物が生む利益を末長く他人のため、社会のために活用できるようにするしくみでした。

たとえば、畑の持ち主は、自分の畑をアッラーにささげ、畑で栽培した作物、あるいはその作物を売ることで得たお金をモスクの運営のために役立てました。あるいは、建物の持ち主が、自分の建物をアッラーにささげ、建物を人に貸して得たお金(賃料)を学校の運営のために役立てることもありました。また、ワクフにより運営された施設には、その施設を建設し、土地や建物を喜捨した人びとの名前が付けられました。これにより、その人が喜捨をおこなった事実が広く社会に知らされ、来世のみならず現世における利益ともなったのです。

下の絵は、エジプトのモスクの内部のようすです(1840年代)。ワクフによって運営されたこの建物は、学校の機能も兼ね備えた大きな複合施設で、たくさんの人がここで勉強しました。

◆社会を支えたしくみ

ワクフというしくみがイスラーム社会で広まったのには、ムスリムとして善い行いをしたいという思いのほかにも理由がありました。それは、自分の子孫にまとまった財産を残したい、という思いです。ワクフによりアッラーにささげられた土地や建物には、有給の管理人を置くことが定められていました。その管理人の仕事を子孫が代々受け継ぐことにより、子孫の生活を保証することができましたし、ワクフによりアッラーにささげられた土地や建物は以後、他人の手にわたることが禁じられたため、財産が一族の手を離れる事態も防ぐことができたのです。このように書くと、ムスリムは個人の利益のためだけにワクフを利用したと思うかもしれません。しかし、ワクフにより数多くの公共の施設が支えられていたことは紛れもない事実です。また、一族の生活を守るためにこのしくみが使われた場合も、一族が死に絶えたときには、孤児など苦しい立場の人びとのために役立てると決められていました。

ワクフを通じ支えられていたのはムスリムだけではありませんでした。たとえば、水飲み場などイスラーム社会全体に不可欠な施設を維持するためにも用いられました。キリスト教徒やユダヤ教徒などムスリム以外の人びともまたこのしくみを用いて、自らの財産を守るためだけでなく、公共のために土地や建物を活用していたのです。

  • ムスリム以外の人びととの関係

◆共存のしくみ

第3部の冒頭で見たように、ムスリムに征服された土地の人びとがイスラームに改宗するまでには、い時間がかかりました。また、イスラームに改宗しなかった人びともいました。歴史上のイスラーム社会はムスリム以外の人びとの存在を当たり前と考える社会だったと言えるでしょう。

イスラーム社会の支配者はムスリムであり、イスラームはその他の信仰よりも優位に立っていました。そのことをムスリム以外の人びとが認めさえすれば、平和に共存するためのしくみがイスラーム社会にはありました。ムスリム以外の人びとはイスラームの保護(ズィンマ)の対象、すなわち庇護民(ズィンミー)となり、信仰の自由が認められ、生命や財産も保障されました。ズィンミーとなりえたのは、当初はイスラームと同じ一神教であるユダヤ教やキリスト教の信者のみでしたが、後にはそれ以外の宗教の信者がズィンミーと認められる場合もありました。

◆ズィンミーの苦労

しかし、ズィンミーとして生きることは、ムスリム以外の人びとにとって良いことばかりではありませんでした。常にそうするように強制されたわけではありませんでしたが、彼らはさまざまな決まりごとを守らなければなりませんでした。

たとえば、ムスリムと簡単に区別できるように定められた服装をすること、特定の色(預言者やイスラームに深い関わりのある緑色)を使用しないこと、武器を持ち歩かないこと、さらには馬に乗らないことなどが定められていました。現在は、このような決まりは廃止されています。

 夢の中で詳細から概要に移るような指示があった
 詳細から 概要を作り出す決意
 なんとなく この壁紙(8月2日)だけで生きてる感じ #早川聖来
 なんとなく 60年前のロシア版 『戦争と平和』の舞踏会のシーンを思い出させる #早川聖来
 ヒントはムスリムにありそうです アラーは偉大なり そのアラーを内に持つ私も偉大なり 後段部分を言い切れないムスリムが変わらない
 おかわりはいつもワンモアアイス
 しーちゃんがプログラミングスクールの単独コマーシャル 電算部はアセンブラー から始まった。12技術部は8x ともに機械言語 だからロジックはよくわかった

 豊田市図書館の8冊
  209『人類の歴史を変えた8つのできごと Ⅰ:言語・宗教・農耕・お金編
209シ『人類の歴史を変えた8つのできごと Ⅱ』民主主義・報道機関・産業革命・原子爆弾編
302.25『インド グローバル・サウスの超大国』
302.27『「アラブの春」の正体』欧米とメディアに踊らされた民主化革命
135.23『情念論
317.3『公務員の「お仕事」と「正体」がよ~くわかる本』
162『宗教が変えた世界史』ビフォーとアフターが一目でわかる
302.27『獅子と呼ばれた男』
304『日本の歪み』
134.97『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』
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