『ハンナ・アーレント 全体主義の起原』 100分de名著 異分子排除のメカニズム
『ヴェニスの商人』は、ユダヤ人を利用しながら、都合が悪くなると悪魔呼ばわりするヨーロッパ社会の身勝手を表した作品だと指摘する人もいます。重要なのは、当時の社会に通奏低音のように響いていたユダヤ人への憎悪や嫌悪感が、文学作品に描かれるほど浸透していたということです。
この漠然とした憎悪が、十九世紀に入ると次第に「政治的」「イデオロギー的」な色合いを帯びていきます。その背景としてアーレントが注目したのが、絶対君主制から「国民国家」への移行でした。
国民国家とは、英語で言うと「nation state」です。国家と訳される「state」は、法律が整備され、官僚組織や警察、軍隊などを備えた「統治のための機構」を指します。「nation」は通常「国民」と訳されていますが、日本語のニュアンスとしては「民族」に近い--厳密に言うと、「国民」と「民族」は異なりますが、それについては第2回にお話しします。語源であるラテン語のナチオ(natio)は「生まれ」という意味で、「nation」は生まれを同じくする、文化的アイデンティティ(同一性)を共有している、ということを含意します。さらに言えば、文化的アイデンティティ--具体的には言語や歴史など--を共有する人たち、フランス人とかドイツ人、イギリス人、ロシア人といった人々の共同体が、自分たちで自分たちを治めるべきだという自治の意識をもったとき、それが「目9已になります。
こうした文化的アイデンティティや自治の意識は、近代になって顕在化したものです。それまでは、自分が住んでいる土地をたまたま治めている領主がいて、その人に従属していることは意識されても、領民同士の仲間意識、連帯感は希薄でした。
ところが十九世紀の初頭から中盤にかけて、人々の間に「国民」意識が急速に広まります。きっかけとなったのは、ナポレオン戦争でした。
ナポレオン率いるフランス国民軍が周辺の国々に侵攻し、ヨーロッパの大半を支配下に置くと、支配された人々の間に「自分たちはフランス人ではない」という認識と、「フランス人に支配されるいわれはない」という対抗意識が芽生えてきました。十九世紀初頭には数十の領邦国家に分かれていたドイツでも、ナポレオン戦争に敗北し、フランスの支配下に入ったことをきっかけとして「国民」の連帯や、統一された国民国家が必要だという意識が一気に広まりました。
有名な「ドイツ国民に告ぐ」という講演がなされたのは、ちょうどこの頃です。強烈な「共通の敵」が出現すると、それまで仲間意識が希薄だった人々の間に強い連帯感が生まれ、急に「一致団結」などと叫ぶようになるー。これは、今でも(意外に身近なところで)見られる現象です。
『ヴェニスの商人』は、ユダヤ人を利用しながら、都合が悪くなると悪魔呼ばわりするヨーロッパ社会の身勝手を表した作品だと指摘する人もいます。重要なのは、当時の社会に通奏低音のように響いていたユダヤ人への憎悪や嫌悪感が、文学作品に描かれるほど浸透していたということです。
この漠然とした憎悪が、十九世紀に入ると次第に「政治的」「イデオロギー的」な色合いを帯びていきます。その背景としてアーレントが注目したのが、絶対君主制から「国民国家」への移行でした。
国民国家とは、英語で言うと「nation state」です。国家と訳される「state」は、法律が整備され、官僚組織や警察、軍隊などを備えた「統治のための機構」を指します。「nation」は通常「国民」と訳されていますが、日本語のニュアンスとしては「民族」に近い--厳密に言うと、「国民」と「民族」は異なりますが、それについては第2回にお話しします。語源であるラテン語のナチオ(natio)は「生まれ」という意味で、「nation」は生まれを同じくする、文化的アイデンティティ(同一性)を共有している、ということを含意します。さらに言えば、文化的アイデンティティ--具体的には言語や歴史など--を共有する人たち、フランス人とかドイツ人、イギリス人、ロシア人といった人々の共同体が、自分たちで自分たちを治めるべきだという自治の意識をもったとき、それが「目9已になります。
こうした文化的アイデンティティや自治の意識は、近代になって顕在化したものです。それまでは、自分が住んでいる土地をたまたま治めている領主がいて、その人に従属していることは意識されても、領民同士の仲間意識、連帯感は希薄でした。
ところが十九世紀の初頭から中盤にかけて、人々の間に「国民」意識が急速に広まります。きっかけとなったのは、ナポレオン戦争でした。
ナポレオン率いるフランス国民軍が周辺の国々に侵攻し、ヨーロッパの大半を支配下に置くと、支配された人々の間に「自分たちはフランス人ではない」という認識と、「フランス人に支配されるいわれはない」という対抗意識が芽生えてきました。十九世紀初頭には数十の領邦国家に分かれていたドイツでも、ナポレオン戦争に敗北し、フランスの支配下に入ったことをきっかけとして「国民」の連帯や、統一された国民国家が必要だという意識が一気に広まりました。
有名な「ドイツ国民に告ぐ」という講演がなされたのは、ちょうどこの頃です。強烈な「共通の敵」が出現すると、それまで仲間意識が希薄だった人々の間に強い連帯感が生まれ、急に「一致団結」などと叫ぶようになるー。これは、今でも(意外に身近なところで)見られる現象です。
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