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病態生理学を学ぶための基礎知識 老化と死

『病態生理学』より 病態生理学を学ぶための基礎知識

老化

 誕生の瞬間から加齢変化は始まり、やがては生体の恒常性の維持ができなくなる。この状態を老化という。老化は細胞レべルでも組織・臓器レペルでも、そして個体レベルでも生じている。

 1 細胞・組織の老化

  細胞の老化にはさまざまな原因が考えられている。まず遺伝学的には、寿命にかかわる遺伝子が存在する。さらにDNA末端にはテロメアとよばれる配列があり、細胞分裂の回数の上限を規定している。また細胞の活動の結果として産生される活性酸素は、細胞や組織を損傷する。さらに排泄されなかった老廃物は時間がたつほど生体内に蓄積していく。これらが総合的に細胞や組織の老化を促進していると考えられている。

 2 個体の老化

  細胞や組織の老化に伴い、高齢者では体内の水分量は減少し、タンパク質の量や骨量なども減少する。さらに加齢に伴い血管では動脈硬化が進行し、虚血や出血などをおこしやすくなる。心機能・肺機能・消化機能・腎機能・内分泌機能・免疫機能・神経機能・生殖機能・精神活動なども低下する。

  体力や身体諸機能の低下は、転倒や御盾、失禁、誤嘸、口腔の不衛生、低栄養などを引きおこす。さらに精神活動の低下は、睡眠障害・抑うつ状態・せん妄・認知症などを引きおこし、生活機能の低下をもたらす。

  老年症候群

   加齢により身体の諸機能が低下すると、身体活動の低下や知的活動の低下が生じ、日常生活がうまくいかなくなる。このように日常生活動作activity of daily living (ADL)を障害し、日々の生活の質quality of life(QOL)を低下させる状態を老年症候群という。老年症候群は、明確な疾病ではなく、また症状が致命的ではないので、初期には日常生活への障害が小さい。しかし、時間とともに高齢者のいわゆる不健康寿命の増大の大きな原因となる。

死の定義

 1 死の定義と脳死・脳幹死

  死の3徴候

   自発呼吸の停止、心拍動の停止、瞳孔の散大(および対光反射の消失)の3項目を死の3徴候といい、かつてはこの3徴候がそろうことが死とされてきた。

  脳死

   しかし、生命維持の技術が発達し、こうした死の徴候の発現を延期することができるようになり、脳死といわれる概念が出現した。この背景には移植医療における臓器摘出の問題も少なからぬ影響を与えている。

   脳死は、呼吸と循環の中枢である脳幹を含む全脳が、回復不能な程度まで機能を喪失した状態である。しかし、人工呼吸器や輸液などの生命維持装置の補助により、脳機能の停止から数日間であれば他臓器の機能を維持することが可能である。

  脳幹死

   一方、脳幹が出血や梗塞などにより不可逆的な損傷を受けると、自発呼吸や脳幹反射は失われ、脳幹死とよばれる状態となる。脳幹死は、やがては全脳死にいたる。 したがって、脳幹死は、全脳死の前段階ということができる。日本では、移植医療法により脳死患者からの臓器移植が行われるようになり、実質的に脳死(全脳死)を死としているが、英国では脳幹死をもって死としている。

   脳死の判定は、基準にもとづいて厳格に行う必要がある。

 2 延性意識障害(植物状態)

  外傷や低酸素、循環障害などにより大脳半球の機能が障害されると、生命維持の基本である呼吸・循環機能は保たれているものの、運動・感覚機能や高度な知的活動は欠如する。このような状態は、遷延性意識障害といわれ、いわゆる植物状態となる。自力で食物を摂取することも排泄することもできず、呼びかけにこたえたり意思疎通をはかることは困難である。ごくまれに状態が改善することもある。
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病態生理学を学ぶための基礎知識 腫瘍

『病態生理学』より 病態生理学を学ぶための基礎知識

良性腫瘍と悪性腫瘍

 すべての細胞は一定の規律に従って分裂・増殖しているが、なんらかの原因でこの規律からはずれた細胞が無秩序に増殖したものを腫瘍という。腫瘍形成の中心になっている細胞を腫瘍細胞という。

 腫瘍の形態

  皮膚や粘膜表面にある腫瘍細胞がかたまり(結節、腫瘤)をつくりながら増殖する場合、その多くは突出したふくらみ(隆起病変)としてあらわれる。これをポリープという。茎を形成しながら発育し、あたかもマツタケのような形態になったものを有茎性ポリープという。また多数のポリープが密集して発生した病態をポリポーシスといい、大腸などでみられる。

 腫瘍の悪性度

  腫瘍はその臨床的性質および生物学的性質により良性腫瘍と悪性腫瘍とに分けられる。その分類基準は、形態、発育速度、浸潤形式、転移の有無などである。両者の中間的性質を持った腫瘍もある。臨床的には、良性腫瘍は身体への影響が軽微で局所的であり、致死的ではないものが多く、悪性腫瘍は重篤で致死的なものが多い。

上皮性腫瘍と非上皮性腫瘍

 ヒトの組織は、体表や腔所の内面をおおう上皮組織とその深部にある非上皮組織とに分けられる。上皮組織は、皮膚・呼吸器・消化器・内分泌器・泌尿生殖器などに存在する。一方、非上皮組織は、骨・筋肉・脂肪・神経・血管・血液などで、どの臓器にも共通して存在する組織である。上皮組織と非上皮組織とは基底膜で明確に分離されている。上皮組織内には血管もリンパ管も存在しない。

 がん腫と肉腫

  悪性腫瘍のうち、上皮細胞から発生した悪性上皮性腫瘍を癌carcinoma (癌腫、カルチノーマ)といい、非上皮細胞から発生した悪性非上皮性腫瘍を肉腫sarcoma (サルコーマ)という。両者をあわせてがん(キャンサーcancer)、悪性新生物とよばれる。

  呼吸器・消化器・内分泌器・泌尿生殖器から発生する悪性腫瘍のほとんどは上皮性腫瘍、すなわち癌である。骨には上皮組織が存在しないため骨から発生する悪性腫瘍はすべて肉腫である。胃には上皮細胞と非上皮細胞か存在する。

  したがって、胃には上皮細胞が悪性化した胃癌と非上皮細胞か悪性化した胃肉腫の両方が発生する。胃以外の多くの臓器にも上皮細胞と非上皮細胞が存在するが、肉腫の発生頻度は癌に比べれば非常に低く、悪性新生物の約9割は癌である。

 組織型

  上皮組織には、扁平上皮・腺上皮・尿路上皮(移行上皮)などがあり、上皮性腫瘍の分類は、この発生母地の種類によって行われている。これを組織型という。扁平上皮から発生したものが扁平上皮癌、腺上皮から発生したものが腺癌、尿路上皮(移行上皮)から発生したものが尿路上皮癌(移行上皮癌)である。どの上皮由来か判然としないものを未分化癌という。

がんの進展・転移

 がんの臨床的に大きな問題は、遠隔転移をおこすことである。がん細胞が発生した部位でそのまま発育した腫瘍を原発性腫瘍といい、別な場所から非連続性に移動し、そこで発育した腫瘍を転移性腫瘍という。転移の様式には、血行性転移、リンハ行院転移・播種などがある。

 1 血行性転移

  上皮性腫瘍の場合、がん発生初期のがん細胞は、血管もリンパ管も存在しない上皮組織内に限局して存在している。増殖によりがん組織が基底膜を破ると、そこには血管やリンパ管を含む非上皮組織かおり、血管壁を破って血管内に侵入したがん細胞は血流に乗って全身をまわる。やがて遠隔組織の血管内壁に接着したがん細胞は、その部分の血管壁を破り、組織に侵入して発育する。これが血管を介した血行性転移である。

  非上皮性腫瘍の場合は、発生母地の組織内にすでに血管が存在するため、腫瘍発生直後からすでに遠隔転移をしている可能性がある。

  血行匝転移は、全身どこにでも転移する可能性があるが、最初の毛細血管に引っかかることが多い。そのため通常の静脈内に侵入した場合は肺に、門脈内に侵入した場合は肝臓に転移しやすい。このような転移性腫瘍は複数の部位に同時に発生することも多い。

 2 リンハ行性転移

  がん細胞がリンパ管内に侵入した場合は、リンパ行性転移となりリンパの流れに従ってリンパ節を順番に転移していく。原発巣からのリンパ流を最初に受けるリンパ節をセンチネルリンパ節といい、がんのリンハ行性転移はこのセンチネルリンパ節に最初におこる。センチネルリンパ節にがん細胞が存在しなければ、リンハ行既転移はまだおきていない可能性が高い。

  ウィルヒョウリンパ節転移

   腹腔内臓器からのリンパは胸管を通り左内頚静脈と鎖骨下静脈がつくる左静脈角部より静脈内に流入する。したがって、左鎖骨上高リンパ節に転移がある場合、がん細胞の静脈内への流入による全身への転移の可能性がきわめて高くなる。これをウィルヒョウリンパ節転移という。

 3 播種

  胃や大腸のような腹腔内臓器のがんが浸潤して腹膜まで達すると、がん組織が腹腔内面に顔を出す。すると腹腔内にあたかも植物の種をばら播いたようにがん細胞が広がり、広い範囲に多数の転移巣を生じる。これを播種という。

  腹膜播種と胸膜播種

   胃がんや膠臓がんが腹膜方向に発育した場合、腹膜播種が生じる 。また、肺がんが胸膜面まで発育すると胸膜播種が生じる。播種による転移巣が発育すると炎症をおこし、腹水や胸水がたまってくる。これをがん性腹膜炎・がん性胸膜炎という。この場合、貯留している腹水・胸水はタンパク質の含有量が高く、しばしば血性で、液中にはがん細胞を含む。

  シュニッツラー転移

   腹腔内で最も低位置にあるダグラス高(女性の直腸と子宮との間)や直腸膀胱高(男性の直腸と膀胱との間)には、腹腔内に播種されたがん細胞が集まりやすく、転移巣をつくりやすい。このような転移をシュニッツラー転移という。シュニッツラー転移の有無は、直腸の指診で診断可能である。

がん遺伝子とウイルスによる発がん

 がん遺伝子

  ヒトは、src、ras、myc、her2などのがん遺伝子を持っている.こうしたがん遺伝子は、本来は細胞の分化や増殖を調節する遺伝子としてはたらいているもので、通常の制御された状態では細胞をがん化させる作用はない。しかし、なんらかの原因で制御がはずれて活性化されると、がんを発生させることがある。

 がん抑制遺伝子

  また、ヒトの正常細胞には、p53やBRCA1.2といったがん化を抑制するがん抑制遺伝子も存在する。これらの遺伝子に欠損や変異がおこると、がんが発生することがある。たとえば、遺伝子に異常があると、家族性乳がんの発症リスクが高まる。一

 ウイルスによる発がん

  ヒトT細胞白血病ウイルス1型(HTLV-1)はヒトヘの感染により成人T細胞白血病(ATL)を発症する。また、ヒトパピローマウイルス(HPV)は、子宮頭がんの原因となることが知られている。
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看護の継続性と情報共有 入院中の情報伝達と共有

『看護学概論』より 看護の継続性と情報共有 事例でみる看護の継続性の実際 ⇒ 入院した時に、医師と看護婦間の連携の悪さでトラブルを起こしたことがある。情報共有が必要なのは、医師との間だとして、システム設計して、提案したら、ドクハラに在った。

1 入院時の情報収集とその管理

 AさんはY病院に入院し、治療を継続している。

 会社の健康管理室の看護師は救急車に同乗し、X診療所さらにはY病院まで同行して、Aさんのそばで経過を見まもった。そして、必要な情報を提供するとともに、家族への連絡が必須と判断して、緊急連絡先として登録している家族に電話し、Y病院に向かうように伝えていた。Aさんの妻は2年前に他界したため、キーパーソンとなるのは近くに居を構える長男である。長男がかけつけたときはAさんも落ち着いた様子で、病棟の担当看護師は本人と長男から入院時の情報収集を行った。

2 担当看護師問の情報伝達・共有(療養生活の24:時間をつなぐ)

 ●勤務帯がかわるときの情報伝達・共有

  病院における看護師の勤務は、日勤・準夜勤・深夜勤の3交代、もしくは日勤・夜勤の2交代となるが、患者にすれば療養生活には切れ目があるわけではなく、24時間連続したものである。そこで、看護師の勤務交代によってケアがとぎれないよう、患者の状況などの情報を次の勤務者に引き継ぐ必要がある。

  病院によって引き継ぎの方法はさまざまであるが、Y病院では経過表を用いて「申し送り」を行っている。引き継がれる情報は個々の患者の状態によって異なるが、さまざまな症状の変化、それに伴う日常生活の状況(食事内容や摂取状況、睡眠の状態、昨日行った看護ケアの内容やそれに対する愚者の反応など)、患者の心理面などについてである。この情報の伝達により、次の担当者がケアの内容・方法を調整し、より適切なケアが提供できる。

 ●看護チーム内での情報共有と看護内容の確認

  Y病院では、申し送りのあと、固定チームの日勤看護師全員(4~5人)がそのチームが受け持つ患者の病室を訪問する。一人ひとりの患者にあいさつをしながら状態を直接観察し、輸液や人工呼吸器、心電図モニターなど患者に装着されている医療機器の設定などもチーム全員で確認する。

  このようにチームの患者について情報を共有することで、チームの看護師であれば誰でも対応できるようにしている。とくに医療機器などについては、医療・看護を継続し、安全に提供するためにも、複数の目で確認するシステムは重要である。

 ●看護カンファレンス

  施設によりさまざまなよび方をされるが、ここでは「看護チームカンファレンス」としよう。カンファレンスはほぼ毎日行われ、チームで受け持つ患者について、必要な看護の方向性などを確認する。ここでは患者情報の共有だけでなく、治療方針などの今後の方向性をふまえ、焦点化すべき看護上の問題を明確化したり、それにそった看護計画を立案したり、過去に立案して実施してきた看護援助の成果について評価したりするなど、話し合われる内容はいわゆる「看護過程」のプロセスにそった内容である。

  看護チームカンファレンスでは、チームの患者全員について評価するのでなく、入院後間もなくて計画立案の必要のある患者や、立案した際に決めておいた「評価日ノにあたっている患者数名ずつについて話し合う。こうして、患者1人について何日かに1回、看護計画の立案・修正がなされることとなる。

  入院初期のAさんの場合、入院時看護計画を立案することになる。Aさんは発症直後であるため、バイタルサイン、意識レベル、麻痺などの変化について観察を行っていくことを確認した。

 ●勤務時間帯の中間でのチームにおける情報共有・確認

  勤務帯の途中の報告も重要である。とくに日勤帯においては、午前中に処置やケアが集中し、また、それらが一段落したところで日勤帯勤務の看護師も交代で休憩をとるため、中間での報告も欠かせない。患者の状態に変化はないか。ケアは予定どおり行われたかなどの情報を共有する。

  看護師も労働者であり、夜勤帯であっても休憩時間は保障されている。その場合も、担当患者の状況を報告するとともに、個々の患者に必要な観察や決められた時刻に行う看護ケアや医療処置などが円滑に行われるように、「残り番」の看護師に依頼する。

 ●施設内の部署間における情報伝達と共有

  Aさんの治療は静脈内注射であり、部署をまたいだ医療・看護の展開はなかった。しかし、たとえば、手術を受ける場合、とくに心血管系手術などの侵襲の大きい手術を受ける場合は、手術後に集中治療室intensive care unit(ICU)を経由してまた一般病棟に転棟することもめずらしくない。そのような場合も、看護情報の伝達と共有化がなされる。

  全身麻酔で開腹手術を受ける患者を想定してみよう。手術予定が組まれ、「患者名」「術式名」「入院病棟」などの情報が手術室に伝えられると、手術室看護師が情報収集を始める。手術数日前には、患者の状態を直接確認するため、手術室看護師による術前訪問が行われる。

  術前訪問は、当日にその患者(手術)を担当する看護師が訪問することが望ましい。電子カルテで病院内のどこからでも情報が閲覧できる場合は、ある程度の情報は電子カルテによって収集可能であるが、直接対面することで、より詳細な情報が得られる。たとえば、「難聴あり」との情報が電子カルテ上にあった場合、どの程度なのか、どちら側からどのように話しかければ聞こえるのかなどは直接対面しなければ知りえない情報である。また、顔を合わせていることで、手術当日、患者も安心して手術室に向かうことができる。手術室入室時は、病棟看護師から手術室看護師に対し、最新の患者の状態や行われた処置についての情報提供がなされる。この際、「術前チェックリスト」(施設により名称は異なる)などを用いて行う場合が多い。
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メディアと小規模のコミュニティ

『メディア文化研究への招待』より メディアが先か、文化・社会が先か? 国民的メディアの衰退--商業化・断片化・グローバリゼーション ⇒ 乃木坂をコミュニティと見た時に、46時間TVなどを新しいメディアと位置づけたい。

メディアと小規模のコミュニティとは互いに相容れないとする議論の紹介から、この章ははじまった。しかし、前者が後者の発展と強化に貢献しうるいくつもの方法を、われわれは明らかにした。

この議論により、メディアは一様なものではなく、いくつものタイプに分かれ、それぞれがアイデンティティやコミュニティの類型にさまざまな意味を持つことが示された。マスメディアによるネガティブな報道が周縁的コミュニティの抵抗と結束を惹起する一方で、ローカルないしニッチ・メディア内のポジティブで内輪の語り口が、アイディアや交流や集団的アイデンティティの共有スベースを用意する。また、草の根的ないしDIYメディアの広がりは、オンラインでもオフラインでも、場合によってはコミュニティを土台から構築し促進する。たとえ他の場合には結びつきがいくぶん弱い人間関係を築くことがあるとしても、である。

しかしながら、われわれが検討したさまざまなメディアコミュニティの本質と意義のレベルに関する大事な議論は、未解決のままである。性的マイノリティ集団のアイデンティティと結束の強さは、多くの人が認めるところであろう。第10章で見たエスニックマイノリティ集団と同様に、彼/彼女らは主要なメディアから排除・非難されがちであり、ニッチで草の根的なコミュニケーションに依存している。だが、これが特定の趣味や商品選択を軸に据えた集団の構成となると、事情はそう明快ではなくなってくる。極端なまでのスポーツ狂、SFファン、若者向けの音楽シーンは、実体を伴ったコミュニティを本当に形成しているのだろうか。それともそうした集団は、あまりに結びつきが弱く、パラパラで、一時的なものであって、実体を伴っているとはとても言えたものではないのだろうか。その答は、コミュニティをまずどのように定義するかにかかっている。

テンニースやレッドフィールドのように従来の定義を真剣に捉える者にとって、コミュニティとは相互依存を強いられた状況にのみ現実的に存在する、長期にわたる共生とかかわり合いを意味する。純正で濃密なゴミュニティの有機的な強さは、人びとに生まれつき備わっていて選択の余地のない、所与の要因を反映したものと考えられる(最もわかりやすいのは地理的な孤立であるが、社会階層・エスニシティ・宗教的伝統によるものもある)。

この観点からすると、メディアは距離の制約を取り除き、人びとが社会や文化をまたがってさまざまな選択をできるようにしたことで、自分たちがつながる相手やモノを決めるという〈選択〉を持ち込んだのである。そして、そうした選択の幅は、メディアと消費文化の普及によって飛躍的に大きくなった。

そのせいもあって、地域性、社会階層、宗教、その他もろもろのコミュニテイの基盤は、われわれの生活を形成する度合いの点では役割が小さくなったと考えられる。その結果、個々人は確たる結びつきを喪失し、自分の選択によって自らのアイデンティティを形作るものとされる。ジグムント・バウマンは、なにかに所属したいという燃えるような欲求が、人びとをしてあらゆる種類の象徴や組織に自らを帰属せしめる、と考えた。その多くが、メディアやポピュラーカルチャーに関係するものなのである。われわれは、自分が生まれ落ちた地域や階層や宗教によって定義されるのではなく、ホラー映画ファン、ゴルフファン、ゲームのプレイヤー、セレブ・ウォッチャーとして自分をアイデンティファイすることを自ら選択するのである。

〈個人化理論〉の観点からすると、こうしたメディアや消費に関係したアイデンティティは選択されるものであるから、選ばれない可能性も同じくらいある。したがって、コミュニティに対するわれわれのかかわりも、常に「じゃあまたね」といった性質のものとなる。人びとは、特定のなにかに入れ込んだ形で自らを帰属させるのではなく、部分的・一時的な帰属をしたり離脱したりを繰り返す、と考えられる。そうした集団は、コミュニティの特徴である、互いに対する感情や責任の揺るぎない強さを示すこともない。集団自体が移ろいやすく、皮相なのである。そうした集団は、(テンニースがゲマインシャフトを定義した際に考えたような)各成員の個人的利害より集団が優先するという状態とはかけ離れており、集団から集団へと流れゆく移り気な個人に隷属する。この観点からすると、メディアが広範で包括的であればあるほど、また選択の幅が大きければ大きいほど、〈個人化された〉社会(すなわち、安定して実体を伴ったコミュニティではなく、いくっものかかわりの間を浮遊する個々人を中心とした社会)にメディアは資することになる。

こうした見方が示唆するものはなにか。それは、地域メディア、専門誌、二ッチなテレビ放送、DIYファンジン、対象を限定したインターネットサービスには、その見かけほどの実体やかかわりが欠如している、ということである。意のままにそれらに参加したり離れたりできるということで、それらはコミュニティではなく、個人の便宜で集まった烏合の衆となるのである。

しかし、こうしたコミュニティに関する絶対的な予見をとる必要はないのかもしれない。相互依存や孤立を強いられた結果による100%の自足と参加こそが、コミュニティと呼ばれるにふさわしい条件だと主張したとしたら、懐古趣味に陥る危険を冒すことにもなる。また、現代の集団内にも、明確にして重要な共同体的特徴が存在することを見落としかねない。さらにそうした集団を促進するメディアの役割を理解する機会を逸してしまいかねない。

確かに選択という側面があろうし、必ずしも生涯にわたるものであったり排他的であったりするとは限らない。だが、相当数の小規模な社会集団が、強い帰属意識、独自の価値観と慣習、内部の濃密なコミュニケーションを示し続けている。過去の理想化された基準に適合しないからといって、こうした集団の意義を見過ごすのは慎みたい。その共同体的特徴の規模と性質や、さまざまなメディアがコミュニティ発展のために果たす役割を注視していきたい。
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チームはコミュニティ

狭い分野に縛りたくない

 なぜ、狭い分野を学習するのか。それの研究者になるのか。縛りたいのか。縛られたいのか。

チームはコミュニティ

 齋藤孝の『人はチームで磨かれる』は古い。トヨタなどを参考にしている。中身を知らずして。超えたものがない限り、日本はダメになる。やはり、乃木坂のチームです。「ダンケシェーン」の映像が頭から離れない。チームの中の歴史をどう表現するのか。

 乃木坂はチームであり、コミュニティである。そこでのリーダーのあり方と個人での分化のあり方。個人のチャレンジを支援するコミュニティ。それがコミュニティに戻ってくる。

 重要なのは「らしさ」をどう表現していくのか。それをメンバーが考えていくこと。それが分化となる。色々なモノとつながっていく。

 その時に、優秀な人ほど、チームで一緒になって、やる時には隠れる。それが生田の特徴かもしれない。チャレンジすることは個人のレベルで行う。

 一期生と二期生というカタチでの世代間の役割が明確になれば、チームが分化する土壌として、インフラになります。。

スタバの没落

 スタバが客を選ぶようになったら、おしまいです。同時に、アメリカ的な合理主義は不要です。

出版からコンテンツへ

 出版のための仕組みもできる時代です。コミュニティとメディアの関係が変わっていく。それを乃木坂が表しています。

 そして、コンテンツはメディアが全て残ります。それをつなげるのは、視線によってことなります。46時間TVでも、個人によって、すべて異なります。個人のライブラリの枠を超えます。

 私のデジタルライブラリに反映できるようにしていく。
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