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知の三部作

所有するのは面倒なこと

 共産主義が実験したのは、私有財産をなくすやり方であった。それを権力で圧迫した。自由が損なわれた。

 それに対して、所有することがいかに面倒なのか、余分なことなのかの気づきがあって、新しいシェアが出てくる。スニーカーを洗う洗濯機をそれぞれ持つんですか。300mの高さになる2万冊の本をどこに所有するのか。

 空を飛ぶ飛行機を皆が持つんですか、潜水艦を持つんですか。そんなものはその場に在って、皆で使っていかないと成り立たない。電車もバスもそんな形で行われて、シェアの世界を作っている。車だけは何で所有しないといけないのか。持てば、欲が出てきます。格好よくしたい。これは余分なことです。

 ベンツに見られるように、大きなマークを付けて、それを自分のモノにしていく時代は終わりにしないと存続できなくなる。

知の入口

 そして、知の入口。今こそ、知が必要です。知とは、先を見ることです。どうなっているのか、どうしたらどうなるのかという論理もその中に入ります。ソクラテスもそれでどうなるのかを対話した。だから、無知の知というのは、相対するものが質問になる。

 知の入口をどこに作るのか。相対するものを何にするのか。ベースが無ければ、インフラが無ければ、本一冊を手に入れるだけでも大変な時代だと、それさえできない。今はそういうものがあったとしても簡単に手にいられない。

 環境は情報共有により、無料で情報が入ってくる。無線環境とタブレットがあれば、できる時代です。だけど、人間は変わっていない。あくまでも受け身です。受け身でいてはいけないときに受け身です。

意思決定が変わる

 受け身から先を知りたいという知の入口に行くための環境をどう作っていくのか。お節介なモノをどう作っていくのか、コンセルジェを含めて、体制を作っていく。コンセルジェは専門家です。知でもって、何をするかというと、意思決定です。行動するための意思決定です。

 その意思決定のプロセス自身も変えていく。そのためには考えないといけない。そのためには学ばないといけない。皆の意見を聞かないといけない。そういう中間の存在の場をどう作っていくのか。

知の共有

 そして、知の共有。愛される図書館。ニュージーランドの公共図書館は愛されようとしている。人口が少ないことは、一人の人間の価値を増やしていけない。移民者を同化するための環境として、公共図書館が発達してきた。

 本に対して、大きな変化が起こっている。電子書籍です。ベルギーなどは紙がないから、本が貴重です。何しろ、森がないから。環境でもって、森を破壊した。有名なのは、レバノン杉です。ベネティアの開発で、レバノン杉の伐採した。レバノンの旗になっている。ローカリズムの象徴です。

 電子書籍になると紙は要らない。コンテンツが中心になっていきます。CDで音楽業界は変わってきた。今や、無料で乃木坂も聞けます。映像も見えます。それは一つずつの環境じゃないからです。共有環境だからです。そのコンテンツでもっているのではなく、コマーシャルでもっている。

クラウドでの知の共有

 それを為しうるのは、クラウドです。クラウド環境でいかに安くするのか。シェアしていくのか。セールスフォースのように欲張ってはいけない。グーグルのようにやっていくのがクラウドです。ディスクが不要です。端末だけで拡がっていく。だけど、人間が変わっていない。人間を変えるところで止まっています。

 それが知の共有です。個人が持っているものが皆のモノになっていく。自分ンデジタル化した電子書籍を全体に共有していく。図書館はそれらの拠点。それぐらいのつもりでやっていけば、割と簡単にできる。問題は、分化されたものをいかに統合していくのかのプロセスとシナリオです。

知の未来

 そして、知の未来。知の三部作でも同じだけど、知というのは、先を見るということです。それを個人の環境でどうやっていくのか。なぜ、それが必要なのか。その先をどう見ていくのか。それが知の未来です。

 今を知ること。多くの本があり、その内のいずれを自分のライブラリにしていくのか、そのライブラリを皆のライブラリにしていくのか。そして、皆が安心して行動できるようにしていくのか。それで政治形態を変えていく。今を知るとはそういうことです。

 それと数学と一緒になっているということは、全体を知るということです。局所だけを対象にするNPOが多い。一カ所だけを穴を掘って、皆を陥れて、穴を埋めて、また、掘ってのNPOが多い。全体を知った上で、なぜ、戦争をしないといけないのかから、戦争を見ていくようなアプローチが必要です。そこで初めて、なぜという言葉が出てきます。

 その上で先を知る。今までのハイアラキーの世界から存在の力の世界に変えていくことです。未来を語るとか、如何に集合知を作っていくのかがあります。では、知はどうなっていくのか。当然、教育は変わる。知を得ることをカプセル化していく。作ることはロボットが行っていく。では、市民は何をしたらいいのか

新しいアテナイ

 これは新しいアテナイです。戦争によって、多くの奴隷を得て、彼らに市民権を与えて、働かせる。自分たちはその上に君臨する。ソクラテスでないけど、民主制を作った。本当の意味の民主制ではないけど。皆とどういうカタチにするのか。他のモノを犠牲にせずに、使うことを主にして、資源を先に延ばしていく。その世界を作り出す。その時に教育が変わる。私としては、知がどのように伝播するのかを知のカプセルをテーマにしていきたい。

本と図書館編

 本と図書館編は大体のキーワードが出てきている。そんなに複雑になっていない。だから、それぞれをもっと具体化していきましょう。図書館人に何を求めるか。知の世界をどのようにイメージ化していくのか

 図書館をいかに守るのか、そのためにどのように行動するのか。読書会を今のように婚活の場にしてはしけません。マット、先を見ていけるようにしていかないと。
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OCR化した9冊

『学問の自由と大学の危機』

 民主主義と学問の自由

 学問を取り巻く状況

  「である」論理から「する」論理への転換

  新自由主義と官僚主義の結合

  人文社会系の学問の苦境

 安倍政治はなぜ猛威を振るうようになったのか

  フルデモクラシーヘの挑戦と挫折

  二一世紀型全体主義

  反知性主義と政治主導

 ここからどう反撃するか

  学問の社会的役割の確認

  読者の拡大と了解可能な言説

『中国史』

 中国・中華思想

 国民政府の時代

  国民革命

  国家建設

 抗日戦争

  戦争の勃発と社会の変貌

  日中戦争の展開と第二次大戦

 国共内戦と人民共和国の誕生

  大戦終結後の混乱

  人民共和国の模索

 大混乱と再生、そして大国の道

  文化大革命

  改革・開放と強国の夢

『怖いクラシック』

 孤独--ラフマニノフとマーラーの「抽象的な恐怖」

 ラフマニノフの最初の故郷喪失

 先駆者としてのチャイコフスキー

 「前奏曲」での成功

 《悲愴》という革命

 指揮者としてのマーラー

 交響曲作曲家としてのマーラーの始まり

 ラフマニノフの悲運の交響曲

 「二十世紀最初の協奏曲」

 夏休み作曲家マーラー

 ラフマニノフの幸福な日々

 マーフー、ウィーンと決別

 最後の日々

 「怖い音楽」の変質

『臨床看護総論』

 終末期における看護

 終末期の特徴

 終末期の患者のニーズ

 終末期にある患者への看護援助

『14歳の君へ』

 歴史

 戦争

 宇宙

『外食国際化のダイナミズム』

 ハンバーガー店から見た食材選好

 定食店から見た日本食の受容問題

 牛丼店における食事空間問題

 トンコツラーメンと食の価値観

『歴史のなかの社会国家』

 旧東ドイツに中間組織は存在したか--人民連帯の活動を手がかりに

『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』

 他者--リベラルは『ビジネス』を巻き込めるか

 ↑デモは居心地がいい--松沢呉一氏が語る本音

 ↑そんなデモでは拡がっていかない

 デモヘ行くと友だちに引かれる--初心者の退路--敗つ戦略

 リア充を厭うデモ充ばかりがオルグされる

 隣人をオルグできますか--北方謙三『草奔枯れ行く』の教訓

 世論調査では多数派の反戦・脱原発がなぜ孤立しているのか

 「向こう三軒両燐」世間に引かれる恐怖を知らない大学教授匁生

 K・レーヴィットが見た日本人の二階建て意識樗逗

 イシューを独立させて問う世論調査のおかしさ

 命より大切な会社と肩書き、原発より怖い人事評価

 リストラこそが勤め人の「今そこにある危機」

 惰性で生きられる会社共同体の日常を失う恐怖

 キリストのごとく峻厳な橋本紅子氏のスピーチ

 いつまでも大東亜戦争ばかりを引き合いに出していたら逆効果

 反戦運動はひとつ前の戦争に反対してばかり

 ↑大東亜戦争をもう一度やるのは困難至極

 情報分析と状況判断の能力なきリベラルが憲法論へ逃避する

 三ちゃん二生のデモ--実務的知性の希薄

 「ビール瓶の蓋一万個」か「蓋ひとつと瓶ひとつ」か

 上野千鶴子と國分功一郎--「勝ちぐせ」と『敗北直視』

 実務家社会人の関心は景気と社会保障

 肝の中の肝は先取りしている安倍〝社労族〟政権

 ↑デモよりゼネ・ストのある社会を!

 ↑コミュニティ再生の世紀--もう一つの戦前へ

『悪という希望』

 悪とともに在ることの希望と困難

 本書の構成

 トクヴィル

 「公共的に生きていくための術」を支える「他者」の存在
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