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反映対比表 2016 Week 08

02月22日

 『自動車の社会的費用』は正しい 8.8.1.1③ メーカー利益の源泉

 指導者 ペリクレス 民主制 4.6.1.1① アテナイの都市国家

 指導者 ペテロ イエスとの関係 4.3.1.3③ 偶然が歴史を創出

 「先見性の失墜」 8$8.1.1③ メーカー利益の源泉

02月23日

 コミュニティが先に在る 5.3.2.1③ 外への思いをカタチに

 世界は一つの国家に統一されるべきなのか 10.6.4.4③ 次はLL=GGの世界

 九条を掲げた日本にできる国際貢献 10.4.3.4① アジア環境社会

 ローカルとグローバルをつなぐ 3.3.4 グローカル

02月24日

 生活費がひっ迫 7.3.1.1③ 最低限の維持

 侮っているうちに大きなものになっている 4.1.3.1① 民主主義が生んだ

 存在の無から始まる思考 7.8.1.3② 部分から全体

02月25日

 ヨーロッパ作戦の開始 7.3.1.3④ 意図された偶然

 スタバでの連続講義 6.6.4.2③ スタバでキンドル

 スタバ崩壊の危機 7.5.3.1④ 心を開いて!

 モスの焼肉ライスバーガー 3.1.1.1① 商品展開

 ICレコーダーへの入力 7.1.4.4③ 寝ながら考える

 岡崎図書館の10冊 6.3.1.2① 新刊書争い

 未唯空間が表現するもの 1.5.2

 数学で考える 2.1.1.1③ シンプルにできる

 数学の歴史と未来 2.8.4.4④ 数学で全体の安定化

 数学の社会への展開 2.6.4.1① 生活規範を決定

 数学で覚醒させるには 2.8.2.1④ 関心はオープン

 新しい数学が表すモノ 2.7.1.4② 空間を刷り合わせ

02月26日

 名古屋へ行く計画を取りやめ 7.4.1.4② 非連続な時間

 未唯空間第三章 社会編 3.社会

 地域の行動から見ていく 3.1.4.2② TGALが行動基準

 ハメリンナモデル 3.3.1 ハメリンナ

 地方行政のあり方 3.3.2.2④ やっている素振り

 「中間の存在」がキーになる 3.5.1.3③ その場が生活の基本

 「中間の存在」の役割 3.5.2.1 中間の存在

 地域インフラ 3.6.3 地域インフラ

 合意形成が変わる 3.7.3 合意形成

 サファイア社会 3.8.4 サファイア社会

 未唯空間第4章 歴史編 4.歴史

 民主主義の歴史 4.1.1.4③ 民主主義のカタチ

 国民国家の歴史 4.2.2.4② 各国の歴史

 歴史認識 4.3.4 4.3.4 歴史認識

 未来方程式 4.5.1 未来方程式

 歴史哲学が変わる 4.6.2 存在の力

 新しい循環 4.7.1 新しい循環

 国の規模は500万人 4.7.3.1 国家形態

 個人と超国家が一緒になる分岐点 4.8.4.1 市民と超国家

 戦争と平和 4.3.2.2③ 民族で独立

 このままでいくと 4.歴史

 フルデモクラシーヘの挑戦と挫折 9.6.4.1 民主主義

 二一世紀型全体主義 4.1.3.4① 共感は時代を反映

 反知性主義と政治主導 6.4.4.1③ 教育を変えるには

 中国・中華思想 4.3.4.4③ 大きな視点で見る

 抗日戦争が中国にもたらしたもの 4.1.4.2② 中国全体を取り込む

 ラフマニノフとマーラー 1.1.2.1① 絶対的な孤独

02月27日

 歴史のキーワード 4.1.1.4② 直接民主制の限界

 歴史の動き 4.4.2 歴史の動き

 「教育を変える」とは 6.4 教育を変える

 歴史のなかに時空間 7.8.3.2① 未来の歴史に収束

 新刊書争いが激化 6.3.1.2① 新刊書争い

 「春ですね」メール 7.5.3.1① メールはトラウマ

 非連続な日々 7.4.1.4② 非連続な時間

 全てを知るの意味 7.7.1.3② つながる瞬間

 この世界への違和感 1.3.1.1③ ちっぽけな存在

 未唯空間第5章 仕事篇 5.仕事

 サファイア循環 9.4 サファイア循環

 中間の存在 5.3.2.2① 知識と意識の場

 キーワードを見つける仮説・実証 1.5.3.4③ テーマの完結性

 そして、地域への展開 2.4.4.1④ 近傍を社会の核に

 朝活で元町のスタバ 6.3.3.2④ 一日に20冊

 分化と複数性 4.6.3 分化

 人口減少 9.1.1.1② 少子化問題

 池田晶子『14歳の君へ』の戦争 4.5.2.1③ 地域は手段を喪失

 共和制から帝政へ 4.2.1.2① 指導者を渇望

 「春ですね」メール 7.5.3.1① メールはトラウマ

 終末期にある患者への看護援助 7.3.1.2③ 一人で生きていける

 なぜ人は戦争するのか 4.5.2.1③ 地域は手段を喪失

 内的宇宙の不思議の輪 1.3.1.2④ 絶対的孤独を選ぶ

 外食国際化 牛丼店における食事空間問題 7.6.3.3① 社会の位相化

02月28日

 フランス革命とナポレオン帝政 4.2.1.2① 指導者を渇望

 死ぬ時の痛さを客観視 1.1.1

 新しいスーパーもお客に甘えている 7.6.3.3① 社会の位相化

 共同体という作り事 9.6.3.4① 配置の仕組み

 中間組織としての人民連帯 3.5.2.1 中間の存在

 中間組織の現代的意味 3.5.2.1 中間の存在

 そんなデモでは拡がっていかない 2.6.4.2② Facebookの共有指数

 肝の中の肝は先取りしている安倍〝社労族〟政権 9.8.1.4① 一律社会保障は破綻

 デモよりゼネ・ストのある社会を! 2.6.4.2② Facebookの共有指数

 コミュニティ再生の世紀--もう一つの戦前へ 5.3.2.2② 場を作り出す
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反映対比表 2016 Week 07

02月15日

 ギリシャの参戦記念日 4.3.2.2① 巻き込まれる小国

 今日は誕生日ですね 7.5.3.1① メールはトラウマ

 リクだけが話し相手 7.6.2.3② 一人で生きていける

 哲学者と歴史 4.3.1.1① 国を超える

 ゆっくりした時間の進み方 7.4.1.4③ 心のままに

 信頼できる交通手段 5.7.4.2② 地域の交通体系

 床屋には年寄り 7.3.1.4① 退社後の生活

 安い昼飯 7.3.1.4① 退社後の生活

 全てを知るという夢の実現に向けて 7.7.1.3① 考えがつながる

 スンナ派とシーア派の争い 4.3.1.3④ 宗教は国を超える

 第六千年紀 4.6.1.4② 自由の破壊

 血糖値を下げる! 7.2.2.1③ 糖尿病が根源

02月16日

 『ハンニバル戦争』からはじまる世界 4.2.2.4③ 戦争と平和

 アマゾンから新しい業態 9.4.3.2① 大胆な構造変化

 男性と合うのは面倒 7.5.3.1② 女性の笑顔

 9.4「大きな循環」 9.4.1 大きな循環

 ハンニバルの包囲殲滅 4.2.2.4③ 戦争と平和

02月17日

 私の夢は「全てを知る」 1.2.1.4① 考え続ける

 哲学を変える 10.2.3.4② 歴史哲学から変わる

 配置と位相 2.6.2.4④ 知識と意識の展開

 存在は無 10.8.3.2④ 人間存在の意味

 全てを知るとは 10.7.3 全てを知る

 宇宙と個人のつながり 10.6.4.4③ 次はLL=GGの世界

 ほとんどの人が信じていない 10.8.2.1③ 多重世界でループ

 メールは来ない 7.5.3.1① メールはトラウマ

02月18日

 「使う」のが人間の仕事 9.7.2 カバーリング

 共和制と帝政 4.6.1.1① アテナイの都市国家

 痛みを思い知らせる 4.3.2.1③ 都市国家

02月19日

 スタバのバリスタがおかしい 9.4.3.2③ 高度サービスで循環

 図書館に求められる資源の状況 6.3.4.3① 経営は曲がり角

 図書館運営とサービスを生み出す新たなモデル 6.3.4

 図書館が地域や市民の活力源となる 6.3.4.2① 町全体を図書館に

 2015年難民危機とバルカン諸国 4.7.3.4③ 欧州と中間の存在

02月20日

 10年間の図書館の資源の推移 6.3.4.3① 経営は曲がり角

 ギリシア支配を狙うイギリス 4.7.3.3① 甘えで思考停止

 支配民族のいなかったオスマン帝国 4.7.3.4① イスラムの落とし所

 トルコ 新たな国家へ 4.7.3.4③ 欧州と中間の存在

 イベリア半島のカルタゴとローマの痕跡 4.7.4.2① 地中海国家の価値観

02月21日

 バルカン諸国に囲まれたギリシャ 4.7.3.3③ 価値観の異なる社会

 今週の40冊の本の処理 6.3.3.2④ 一日に20冊

 豊田市へ散歩 7.2.2.2① シンプルに行動

 「乃木坂46時間TV」はコマーシャルなし 3.1.3.2③ モノ作り主体

 プラグマティックな実験国家 4.7.3.2③ シス精神と学習意欲

 完璧なはさみ撃ち カンナエの戦い 4.3.2.1③ 都市国家

 戦争の科学 スブタイ 4.3.2.1② 遊牧国家

 オンライン・ショッピング 8.6.2.4 アマゾン
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反映対比表 2016 Week 06

02月08日

 未唯の30歳の誕生日 7.2.1.4② 未唯への態度

 久しぶりの散歩 7.3.1.4② 毎日の使い方

 町は「ガラガラ」 5.8.1.1① クライシス前提

 「公共財」と「フリーライド」(タダ乗り)の問題 8.8.1 公共のあり方

 メッカ巡礼記 アレクサンドリアに上陸 4.2.2.3① 地政学で読み解く

02月09日

 スタバに行けない 7.3.1.4① 退社後の生活

 未唯空間第7章の小項目見直し 7. 生活

02月10日

 午前中、動けない 7.3.1.4① 退社後の生活

 「み」の連鎖 7.5.3.1③ 女性の生き方

 未唯空間第8章の小項目見直し 8.クルマは誰のもの

 8.4「必要な機能」 8.4 必要機能

 8.5「情報の使い方」 8.5 情報の形態

 8.6「情報共有」 8.6 情報共有基盤

 8.7「分化と統合」 8.7 分化と統合

 8.8「クルマ社会」 8.8 クルマ社会

 「図書館協議会」傍聴を希望 6.1.4.3③ 図書館協議会で意見

02月11日

 本を買う趣味がなくて正解 6.3.1.3③ 本屋と総合的体制

 第7章の要約 7. 生活

 岡崎市図書館 6.3.2.4④ 周辺の図書館

02月12日

 第8章の後ろ部分はグチャグチャ 8.7 分化と統合

 友だちがいなくて正解 7.5.1.1④ 孤立した存在

 第9章への取り掛かり 9.環境社会

 サファイア三部作 9.4 サファイア循環

 9.7「地域インフラ」 9.7 地域インフラ

 9.8「環境社会」 9.8 環境社会

 インダストリー4・Oのもたらす問題の本質 5.6.4.2① 社会状況は待てない

 フィンランド ネウボラの誕生の歴史的背景 9.8.1.1② 共同体のエネルギー

 出発点としての多元的自己 1.6.4.1① 分化は複数性

02月13日

 夢って、何だろう 1.2.1.3① 自分を語る

 年収を上げる読書法 6.1.2.1③ 全体を知りたい

 全ての分類 1.5.1.3② 7つのジャンル

 5000年史を書きたい 6.6.3.3④ 本の書き方教室

 調べてほしいこと 6.6.3.3② 調べてもらう

 幣原外交 4.3.2.3② 日本の集団的浅慮

 広田外交 4.3.2.3② 日本の集団的浅慮

 東亜新秩序構想 4.3.2.3② 日本の集団的浅慮

 相談は面接か、面接は相談か 7.6.3.4② カウンセリング

 モンゴルの軍隊 4.3.2.1② 遊牧国家

02月14日

 中間の存在の役割 2.4.4.1② 常識で社会を再構築

 えぷろんで奥さんと遭遇 7.2.1.3③ 余計なことはしない

 ゆっくりとした時間の進み方 7.4.1.4③ 心のままに

 未唯への誕生日祝い 7.2.1.4② 未唯への態度

 「ハンニバル戦争」 4.6.1.1① アテナイの都市国家

 仏教式葬儀は、今や現実にそぐわないものに 7.3.1.2③ 一人で生きていける

 カーネギー「今日、一日の区切りで生きよ」 7.4.1.4② 非連続な時間

 カーネギー トルストイの家出 7.3.1.2③ 一人で生きていける
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137億9千万年の<今>の意味

数学と哲学と歴史と宗教

 それが宗教とつながっていく、一つの特徴です。宗教はいかに中間の存在を活性化させるかです。生きていくということは個人の問題であると同時に全体の問題である。だから、それが一緒にならないといけない。

 数学と哲学と歴史と宗教は同じ方向に向かって行く。それが未唯宇宙の世界です。

トランプ革命

 アメリカでトランプ革命が起きようとしています。ドイツよりも民意のレベルが低い米国ならあり得ます。

 もうじき、民主主義が全体主義に変わる。このプロセスをアメリカで見ることが出来ます。大学の教養部の時の問題意識そのものです。ナチの戦間期で不明な部分です。これだけはしっかり見て、次へ行きましょう。

 格差に対する怒りをどこに求めるか。移民に求めるか、支配者に求めるか、貿易国に求めるか。これは各層により異なる。はけ口を求めている。

 アメリカの状況はナチ勃興前夜ですね。当時の英国の役割を日本が果たせるか?

怒るから発すること

 ヒットラーも怒ることで民衆の同意を得た。それを拡大していった。怒ることで政権に付いたものは、その怒りをどこに求めるか。それはナチが証明しています。フランスとイギリスにぶつけた。イギリスには届かないので、ロシアにぶつけた。

137億9千万年の<今>の意味

 どうしても、137億9千万年の内の、この時という感覚と、その前も後も見えない。人間の存在が納得いかない。特に男というものに対して、

 だけど、なぜ、俺という存在は、こんなところでこんなことをやっているのか。

新刊書が少ない

 先週に続いて、新刊書が少ない! 実質は15冊程度。後は員数合わせ。本だから冊数か。
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豊田市図書館の30冊

302.3『ヨーロッパから民主主義が消える』 難民・テロ・甦る国境 予約本

C34.2『高速バス進化の軌跡』1億人輸送にまで成長した50年の歴史と今

377『「文系学部廃止」の衝撃』

376.8『2020年の大学入試問題』

914.6『夜中の薔薇』

222.01『史記列伝(四)』司馬遷

209『ヴィジュアル版 海から見た世界史』海洋国家の地政学

014『情報資源組織論』JLA図書館情報学 テキストシリーズⅢ 9

114.2『死ぬ力』

916『シャバはつらいよ』

702.16『明治、このフシギな時代』

914.6『人生の旅をゆく2』

183.5『無量寿経』

134.6『ヘーゲルからニーチェへ(下)』十九世紀思想の置ける革命的断絶

181『ブッダが説いたこと』

954.6『恋愛論(下)』スタンダール

112『時間論』

414『ホモロジー入門』幾何学Ⅱ 大学数学の入門⑤ 珍しく、NDCの4番台、つまり数学ですね

016.2『IFLA公共図書館サービスガイドライン』--理論の公共図書館サービスのために--

364『平成28年版 社会保障便利事典』

323.9『行政法』

762.1『武満徹・音楽創造への旅』

913.6『覇権大戦1945 シベリア大戦車戦』  完全な冊数あわせ!

913.6『覇権大戦1945 バルト海艦砲作戦』  だって、借りる本がないんだもの

913.6『覇権大戦1945 B29ソ連極東制圧作戦』税収減(他の自治体への取り回し)の影響

913.6『覇権大戦1945 バイカル奇襲作戦』  本を減らすよりも道路工事を減らせ。

913.6『覇権大戦1945 黒海進攻作戦』    インターそばの工事はいつまでやっているのか。

913.6『満州大動乱 石原莞爾の暗躍』    岡崎に比べると千円以下の本が多すぎ

913.6『満州大動乱2 張家の野望』

913.6『満州大動乱3 日ソ激突!』
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海から見た世界史 ギリシアの冒険譚

『海から見た世界史』より

ギリシア世界は典型的な海洋世界であるが、真の海上帝国を築くことは決してできなかった。アテナイをはじめとするギリシアの都市国家は植民市や交易の拠点を築き、なかにはまさに命令権を行使しようとした都市もあったが、永続することはできなかった。その理由はいくつもの都市国家に分割されていたこととともに、おそらくこうした政治構造の基盤となるのに適した後背地がないことにあった。

プトレマイオス朝だけはアレクサンドリアという町のおかげで第一級の役割を果たす可能性もあったが大陸の問題に気をとられて海上での前途をなおざりにしてしまう。

エーゲ文明やそれ以上にミュケナイ文明が深く根づいていたギリシアは、「海の民」の侵攻にたえ、なかでも中近東の通商ルートが通じていたイオニア地方の諸都市国家がまず最初に蘇った。とくにミレトスは、その発展で抜きんでた地位を獲得した。紀元前9世紀から小アジアにおけるギリシアの都市同盟を基盤としたミレトスは、黒海を支配し、トレピゾンド経由でカフカスの鉄を、ドン川河口のタナイス経由でスキティアの小麦や干魚を手に入れた。権力を握るか失うかがこの小麦ルートを支配するか否かにかかるという意味で、この航路はエーゲ海の地政学全体を形づくるものであった。

ミレトスは銅や鉄、金、銀、樹脂、小麦やワインの地方市場を支配し、この独占取引から得た利益を元手にトラキアを植民地化した。そしてコリントス地峡経由の輸送を初めて実現して、紀元前6世紀にアドリア海に達したーここはスズや銀、とりわけ琥珀の陸上輸送ルートの出口である。各都市は当然ながら西方への拡張を続け、通商に必要な植民市を築いていった。フォカイアはマッサリア(マルセイユ、前600)やニース、アンティーブ、アグドを築き、一方コリントスはシュラクサイ(前734)、メガラ、セリヌスを築いた。ヨーロッパ側のギリシアは手工芸品に力を入れ、その活動に欠かせない貴重なスズ等の金属を探すとともに、黒海だけに依存しないためにシチリアの小麦も求めはじめた。

というのも、ペルシアという新たな勢力が黒海を脅かしてきたからである。ペルシアはイオニア諸都市国家への支配を強めていき、一方それと同盟するフェニキアが地中海の大部分の市場でギリシアと対立した。この対立の震源地となったのはシチリアであった。

ペルシア戦争は戦略的な観点からみて重要な戦いである。これは海を支配すること--そして技術革新を実現すること--で、大陸帝国と海上勢力の戦いにおいて優位に立てることを、初めて明らかにした戦いだからである。前700年頃にコリントスのアメイノクレスが考案した有名な3段擢船のおかげで、アテナイとコリントスの船団はこの戦いでずっと戦略上優位な立場に立つことができた。この船は甲板がひと続きで、船員と兵士は舶先と船尾に作られた台上に配置される。船員は1枚だけの帆を、兵士は飛び道具を操作する。そして衝角で敵船を突き破る形の海戦をするわけだが、この力強い船を決定的に扱いやすくしたのは漕手たちであった。彼らは自由民で、その技を現代の最先端技術者と同じように評価され、高額で雇われた。

戦いの幕開けを告げた地はマラトンである。ベルシアのクセルクセス1世とその同盟国カルタゴが、ヘラス都市同盟を率いるアテナイの戦略家テミストクレスの軍と対決した。陸の勝者ペルシアは、海上での無能さがゆえに交渉せざるをえなくなった。ベルシア人はダーダネルス海峡を越えてテルモピュライ峠に突入したが、すでに長くなり過ぎていた補給線が、サラミスの戦い(前480)でギリシア海軍が勝利したことによって断たれたからである。とはいえ大規模な部隊がまだマケドニアからコリントスに至る陸地を占めており、ペルシアの残軍がプラタイアイとミカレで打ち負かされるのは紀元前479年になってからである。ペルシア戦争はこれで終結するわけではないが、海上を支配していたことでギリシアは、もっと正確にはアテナイは、好きなときに好きな場所で相手を襲うことができるという明らかな利点を有していた。紀元前460年にエジプトのイナロスがペルシアの支配に対して反乱を起こしたときにも、ギリシアは三段櫂船による援軍を送り、ナイル川をさかのぽってメンフィスを攻囲することができた。

もうひとつギリシアにとってよかったのは、ペルシアの補給線がひどく長く延びていたことである。ペルシア軍は1本の陸路だけで補給を受けていたため、トヴキアから撤退せざるをえなかった。そして前448年に講和条約が調印され、イオニア地方の諸都市国家はペルシアの支配から解放された。ベルシアは今後海軍をエーゲ海に派遣しないこと。陸軍はエーゲ海沿岸に1日行程距離以上は近づかないことを約束した。この大陸に対する海の圧倒的勝利は、政治家ペリクレスによるアテナイ黄金時代の到来を準備するものとなる。

女神アテナの都市アテナイの勢力の基盤は、ラウレイオンに銀の鉱脈を発見したことにあった。これによってアテナイは1年を通して艦隊をもち、これまで秋から春には暇を出していた士官や漕手がつねに使えるようになったのである。この初の常設海軍は、デロス同盟の結成によってさらに規模を増した。一種の「相互扶助」であるこの同盟のもとに、ペルシアの領土拡張政策を不安視していたイオニア地方の多くの都市国家(デロス同盟の財産が置かれたデロスのほか、サモス、キオス、レスボス)が結束した。加盟都市はそれぞれ船か金銭を出さねばならなかったが、大部分の都市は通貨を出すほうを選んだため、アテナイはすぐに富を貯えることになった。ペルシアに勝ったことで新たに多くの都市国家がデロス同盟に加盟したが、この同盟はしだいにその真の姿をかくしづらくなっていった。すなわち、絶対的権力をもつアテナイの傀儡であるということだ。銀鉱脈に富むタソスが反乱を起こすもアテナイに負かされたことが、それを物語っている。

デロス同盟とスパルタが盟主のペロポネソス同盟が戦った第1次ペロポネソス戦争(前460~446)が終わると、アテナイは陸においても海においてもギリシアの最高権力の座を獲得した。アテナイはそれを利用してデロス同盟の財産をみずからの領地内に移して「ペリクレスの世紀」の財源とし、とくにパルテノン神殿を建設した。とはいえこのアテナイ帝国に食糧調達に適した後背地がないことに変わりはなく、アテナイはこれに苦しんだ。油、ドライフルーツ、羊毛を生産し輸出するとともに、キオス島やタソス島、アッティカのブドウ苗から作ったワインも扱い、同時に陶器やブロンズの手工芸品も製造し輸出したが、生活必需品全般は輸入していたのである。

アテナイでは年に10万トンの小麦が必要で、800隻の船で主に黒海のみならずエジプトやシチリア島からも運んでいた。穀物市場はしかも厳しく管理された。というのも穀物輸送船はアテナイのペイライエウス(ピレウス)港に入ると、積み荷の3分の2をそこで降ろすことを強制され、再輸出できるのは残りの3分の1だけだったのである。アテナイではこれにくわえて、トラキアやマケドニアで入手する麻や鉄、造船材、木材、ピッチ、魚の塩漬けも扱った。しかし輸入する資源がそれほどあるということが、アテナイの衰退の原因にもなった。スパルタのリュサンドロス将軍はアテナイ艦隊を打ち破ると同時に、黒海の小麦輸送船団を奪うことにも成功した。第2次ペロポネソス戦争(前431~404)はこれで勝負がついた。

アテナイはしかしペイライエウスを中心にした商業活動を一貫して続けた。商業だけに特化したペイライエウスの町は幾何学的に設計されていて、道は直角に交差し、大きな卸売市場があった。エーゲ海の中心地のひとつであるペイライエウスの--すなわち全取引から税を徴収して財を増やすアテナイの--幸運は、古代世界の要所に位置することであった。小麦と木材だけでなく、シチリアの果物とチーズ、ティルスの赤紫染料と織物、キプロスの銅、コリントスの瓦、エジプトのガラス、アビシニア[エチオピア]の象牙、アラビアの香料、カルキス[エウボイア島]の剣、ブルターニュのスズがここを中継地として、地中海全土からやってきた買付人の手へとわたった。このアテナイの特権的な状況は紀元前4世紀初頭まで続く。
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アメリカ独立革命 共和主義改革

『アメリカ独立革命』より 共和主義社会

革命期の人びとは、人間は将来どうなるのかが定まった運命に生まれてくるのではないと確信していたので、自分自身や未来を自分たちがふさわしいと思うように作り変える能力をもっていると信じていた。近代においてこのような確信をもっていた人たちはほかにはいない。べンジャミン・ラッシュ博士は、一七八二年七月に、フランス王室に世継ぎが生まれたことを祝うためにフィラデルフィアで開催された祝宴においてアメリカ人が示した熱狂に興奮している。かれは、プロテスタントのアメリカ人たちが、憎悪するように教えられていたもの--フランスのカトリックの君主制--をいまや熱狂的に祝っているのを実感した。かれは、つぎのようにのべている。祝宴は「自由への愛を手放してしまうほどのつよい偏見、聖なる意見、あからさまな矛盾などありえないことを、紛うことないはどはっきりとわれわれに見せてくれている」。自由で共和主義的なアメリカは、「可塑的な状態に」あり、そこでは「すべてのものが新しく豊穣である」ので、「自由、知識、および、人間に与えられる福音とが結びついて作用することから人間の精神が得られる完全さを世界にたいして示すことが、神意によって定められているようだ」。

革命後、アメリカ人たちは、自分たちの理想や生活様式を新しい共和政体と調和させようと精力的に努めながら、自分たちの文化を刷新しようとした。啓蒙主義的な人たちは、独立直後、その後まもなくプリンストン大学の学長になるサミュエル・スタンホープ・スミスがジェイムズ・マディソンにのべたように、「徳についての確固たる権威をもつ守護者」として新しく習慣となるべき諸原理は、共和主義的な法律によって生みだされ、育まれるし、これらの諸原理は精神の力とともに人びとの「理想や目的に新しい方向」を与えることができると信じていた。理性をくり返し用いることによって--「徳の失われた観念を呼び戻すことによって、すなわち、くり返される戦いと度重なる敗北のあとに徳が習慣上の優位を獲得するまで、徳の観念について思いをめぐらせ悪徳の動機に打ち勝つようになるまで……くり返しそれを行為の動機として使うことによって」--このようにして理性を用いることによって、アメリカ人は、「徳が習慣となった」社会を作り出すことができると考えられたのである。革命期の人びとの道徳的・社会的改革への熱心な取り組み、多くの視覚芸術にみられる共和主義的な主題、そして、おそらくもっとも重要な点であるが、スミスの言葉を借りれば、「初期の徳目教育のもつ偉大な重要性」にたいする共和主義者たちの献身は、このような前提から生まれたものであった。

アメリカ人は、暴政は無知のうえに建てられていると理解していた。一七八〇年のマサチューセッツ邦憲法が定めているように、「徳に加えて分別や知識が人びとのあいだに広がることが……権利と自由とを維持するためには必要「である」」。革命期のこのような考え方は、アメリカ史のほかの時代には見られないほど、教育の重要性についての演説や著作を溢れ出させることになった。教育にたいするアメリカという国特有の強迫観念は、革命とともに生まれたのである。

一七七六年の時点で、アメリカにはわずか九つの大学しかなかったけれども、その後の二五年間で一六以上の大学が設立された。同時に、革命の指導者たちは、公費で賄われる包括的な学校制度を確立するための入念な計画を練り上げている。これらの計画のほとんどはすぐには実現されなかったけれども、すべての市民の教育について邦が基本的に責任を負うという共和主義的な理念は残りつづけ、ついには一九世紀前半の公立学校運動のなかで実現されていった。

もちろん、正規の教育制度は、革命期の人たちが考えていた教育のほんの一部でしかない。アメリカ人は、おびただしい数の科学関連の団体や医学関係の結社を作り、国中にあらゆる種類の印刷物が溢れた。アメリカで一六三七年から一八〇〇年までに公刊された書籍やパンフレットのうち四分の三は、一八世紀が終わるまでの三〇年のあいだに出版されている。一七八六年から九五年にかけて、二八の教養ある郷紳向けの雑誌が刊行された。植民地時代全体で刊行された雑誌の数よりも六冊多い雑誌が、この数年間に発刊されたのである。アメリカ人は、開明され洗練された人間になろうとして、あらゆることについての手引書--友人への手紙の書き方からお辞儀の前の爪先立ちの仕方まで--を求めた。一八世紀に公刊されたアメリカの綴字教本の三分の二は、一七八三年から一八〇〇年までの一七年間に出版されている。一七八三年に初版が出たノア・ウェブスターの綴字大教本は、一九世紀初めまでに三〇〇万部売れていた。

書き方や綴り方は重要ではあったけれども、読書ほどは重んじられなかった。植民地時代、大きな都市にしか設けられていなかったわずかな数の私立図書館に、新たに、公費で運営される図書館が付け加わった。そして、それらの図書館は、増加しつづける読書クラブや、講演、討論団体を後援した。新聞は、相対的に言えば、革命前にはあまり発刊されていなかったけれども、その数はすぐに驚くべき勢いで増えつづけ、ほどなく、アメリカの民衆を世界でもっとも新聞を読む公衆に仕立てあげたのである。

アメリカ人は自分たちのことを、なによりも感情と感受性が豊かな人間であると思っていたので、慈善や人道主義の団体を熱心に設立した。実際、植民地時代に設立された数よりも多くの人道主義的な団体が、革命後の一〇年間に作られている。これらの慈善団体は、病人の手当てをし、低賃金の労務者を援助し、孤児を収容し、投獄された負債者に差し入れを行ない、難破船の船員用のバンガローを建てた。「マサチューセッツ人道協会」の場合には、水難の犠牲者のように死んでいるように見えるが実際には死んではいない「仮死状態」の人を蘇生させることまでも試みている。

ジェファソンなどの革命の指導者たちは、植民地時代からつづいている厳罰的な刑法を緩和させる草案を作成している。ペンシルヴァニア邦は、その先鞭をとって、殺人をのぞくすべての犯罪について死刑を廃止した。同邦は、過去に行なわれていたような、鞭打ち、手足の切断、死刑などの肉体的な処罰によって犯罪者を公開の場で罰する代わりに、改心のための講習所として設計された感化院の独房に犯罪者を隔離する実験を始めたのである。まもなく、ほかの邦もつづいてこのような新しい種類の刑務所を設けるようになった。アメリカで行なわれたこのような改革ほどに刑罰の改善が進んだ国は、西洋世界のどこにもなかった。

学校、慈善団体、感化院--これらはすべて、社会を改革し、それをより共和主義的にするためには重要であった。しかし、これらのどれも、もっとも基礎的な社会制度である家族ほどには重要ではない。君主制や政府が作り上げた伝統的な家父長制的絆を否定し、個人の自由や権利を強調することによって、革命は、否応なく家族内の関係にも影響をおよはした。それは、遺産の相続順を維持(限嗣相続)するとともに、長子以外の子弟たちの利益を放棄させる(長子相続)ことを図るイングランドの伝統的な相続制度や貴族制的な法手続きを廃止した。多くの邦が、子女のあいだの平等をかなりの程度認める新しい相続法を制定した。革命後、いたるところで、小説家や著述家が、子どもを理性的で独立した市民に育てることの重要性を力説している。

妻にたいする夫の権限には、法的にはほとんど変化がなかったけれども、伝統的な夫婦関係には、かつては見られなかったような疑問が呈された。革命を経てアメリカ人は、以前とは異なり、女性の平等な権利の主張を意識するようになった。一部の女性たちは、いまや、結婚の誓約において「したがう」という言葉を使わなくなった。なぜなら、それは、女性を夫の「奴隷」に変えることだからである。圧力を受けて、家父長制的な旧来の法律でさえ一部修正されはじめた。新しく共和制を採用した諸邦は、いまや、離婚や契約の権利、あるいは、夫が不在の場合には事業を行なう権利などを女性に認めた。女性たちは、男性にのみ権利が属するのではないこと、そして、もし女性が権利をもつのであれば、かれらはもはや男性より劣位にあると見なされるべきではないことを主張しはじめた。一七九〇年、マサチューセッツ邦の著名な政治家の娘であるジュディス・サージェント・マレイは、「コンスタンティア」という匿名で、『両性の平等について』と題した小論を発表している。いまや、一般読者向けの読み物はいたるところで完璧な共和主義的結婚の模範を提供した。それは、金銭ではなく、愛、理性、相互尊重にもとづいた結婚であった。そして、その結婚においては、夫や子どもたちに徳を教え込むうえで、女性が大きな役割を果たすことになる。このように女性や母親が新たに果たすようになった大きな役割は、女性が男性と同じように教育を受けなければならないことを意味した。かくして、革命後の二〇年のあいだに、女性にたいする高等な知識を授けることだけを目的とした専門学校が数多く設立されたのであった。これは、世界のほかの地域では例を見ない事態であった。女性は、ほとんどすべての場所で選挙権を認められていなかったけれども、上層階層に属する女性の一部は、独力で政治的媒介者として活動するようになった。彼女たちは、交際術やさまざまな非公式の社会的慣習を使って、縁故関係を築いたり、内々に取引の段取りをしたりして、アメリカにおける支配階級とでも呼べるようなものの形成に一役買ったのである。
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欧州流イスラムとは

『イスラム化するヨーロッパ』より イスラムと欧州政治

イスラム教徒の政治参加が遅れていることは、白人にとって決して歓迎すべきことではない。イスラム教徒の国民意識が希薄なことの証左であり、いつまでも白人社会の外で、自己完結したイスラム社会を築くことになるからだ。

このため、「欧州のイスラム教」を育てようとする模索が各国で始まった。どこの出身であれ、今はヨーロッパ人であり、その中でイスラム教徒としてのアイデンティティを培っていければ、という試みである。

シャルリー・エブド銃撃テロの二か月後、フランスのパルス首相は「イスラム学」の教育課程を創設すると発表した。政教分離が国是のフランスで、あえてイスラム教に切り込もうとする大胆な試みだ。

計画によると、宗教の教義に加え、イスラム教徒の歴史、信者の権利を包括的に学ぶ新課程で、二〇一五年中に国内十数か所の大学・機関に設置するという。アルザス地方のストラスブール大は二〇一一年、法学部に国内初の「イスラム学」課程を設けており、これがモデルとされた。フランスの政教分離に合致したイスラム教指導者の養成が狙いで、パルスは国内出身者だけでなく、外国から来る説教師にも履修を義務付けていく方針を示した。パルスは「国が教義や信仰に介入するわけではない。だが、宗教の実践は公の出来事であり、政府が無関心ではいられない」と主張した。

国は政教分離の原則から宗教団体を支援しない。このため、フランスのイスラム団体が信者の増加に伴ってモスクを設置し、それを運営しようとすれば、サウジアラビアやカタールなど外国のイスラム団体の支援に頼らざるを得なかった。これらの国から招かれた説教師らは往々にして中東のイスラム原理主義派と結びつき、一部はイスラム過激思想を若者に植え付けているという批判がかねてからあった。仏政府は二〇一五年までの三年間で約四十人の過激派説教師を追放している。オーストリア政府は、モスクに対する外国からの支援を規制したほどだ。

ただ、国が主導して「穏健派」説教師を育成するのは容易ではない。イスラム法学の名門大学はエジプトやサウジにある。西欧ですべての説教師を養成できるとは考えにくい。ある報道では、フランス国内にいる説教師約千八百人のうち、フランス人は約三割程度にすぎないという。

一方、仏政府は、さまざまなイスラム組織の代表を集めた対話の場を新設することも決めた。二〇〇三年、国内イスラム組織を糾合する「イスラム教フランス評議会(CFCM)」が政府主導で設立されたが、組織間で信仰と政治との距離をめぐって意見対立が絶えなかった。目下、建設的な役割を果たせないでいる。

ドイツのメルケル首相は二〇一五年七月、イスラム教徒の断食明けの食事イフタールに加わった。ドイツ首相として初めてだ。今後は首相府主催でイフタールを行うという。キリスト教民主同盟(CDU)の党首である首相が、国内第二の宗教であるイスラムとの共存を進める、という決意を示したものだ。

メルケルはイスラム教徒の集会で、「この国に憎しみや人種差別、過激主義はいらない」と述べた。さらに「イスラムはドイツの一部だ」と訴えた。念頭にあったのは、反イスラム移民を訴える「ペギーダ」の存在だ。「ペギーダ」は、代表がヒトラーの扮装をした自撮り写真をフェイスブックに載せていたことが発覚し、幹部が離脱するなどのスキャンダルに見舞われた。以後、デモ参加者は減少していたが、六月に行われたドレスデン市長選では女性候補を擁立し、第一回投票で予想を上回る十パーセント近くを得票。根強い支持があることを示した。

メルケルのイスラム教に対する姿勢は就任以来、変化した。メルケルは二〇一〇年には、「多文化主義は失敗した」と宣言し、イスラム教徒との共存の限界を認めていた。この時は、ガウク大統領が「イスラムはドイツの一部」と発言し、それにメルケル政権の閣僚が反論したことで、イスラム教の位置づけが国民的論議となっていた。それから五年後、首相はガウク発言を支持するに至った。欧州を目指す大量の難民を目の当たりにしたこと、そして国内世論を分断するペギーダに対する反感が、メルケルを変えたのかもしれない。メルケルは牧師の娘で、東ドイツで育った。

非イスラム教徒とイスラム教徒の間には心の壁が広がっている。

英国のスカイ・ニュースが二〇一五年三月に発表した世論調査では、イスラム教徒の六十四パーセントが「イスラム教徒は英国社会に溶け込むため、十分に努力している」と答えた。しかし、非イスラム教徒で、これに賛同する人は十八パーセントしかいなかった。同じころ、フランスで行われた世論調査で、「イスラム教は暴力的」な宗教だと考える人は三十三パーセントにのばった。

シャルリー・エブド銃撃テロ事件の後、「イスラム教は宗教改革を経ていない。だから欧州に適応できない」という声が出た。欧州では、ローマ・カトリック教会の権威に対抗してプロテスタントが出現し、啓蒙主義の時代を経て、市民革命が王権神授説を倒した。宗教との取っ組み合いの末、人権や民主主義を確立した長い歴史がある。これに対し、イスラム教は預言者ム(ンマドとその弟子たちの時代を理想とし、コーランの教えを至上とする考え方から抜けられない、という主張だ。

政教分離の原則を貫いて、公共の場から宗教を排除するのか、それともキリスト教文化圏にイスラム教の居場所を定めるのか、欧州流のイスラム教改革をめざすのか、各国は共存に向けてそれぞれの道を模索していくしかない。いずれにせよ、イスラム教徒の選挙や国政参加を進めることは不可欠である。
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