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反映対比表 Week 51

12月14日

 「存在と時間」のうち、「時間」を解析しないと 7.2.3.4③ 存在が武器

 室内着をユニクロで半額で買いました 7.3.3.1② シンプルに対応

 シェアリングの新段階--個人が供給者になる 9.8.1.3④ 所有権を放棄

 自動車でも同様の変化 8.8.2.3② クルマとインフラ

 「所有か利用か」に影響する要因 9.8.1.3② シェアする企業

 人間が不幸になる三つの原因 1.4.4.3③ 他者が見る目はない

 人間の欲動の放棄 9.8.1.3④ 所有権を放棄

 攻撃欲動と性欲動 9.8.3.1② 共同体のエネルギー

 中東の王国 4.2.4.3③ 征服の歴史

 中東の王朝 4.2.4.3③ 征服の歴史

12月15日

 大学に入った夢 6.4.3.2④ 危機感を認識

 要望を知ることは思いを知ること 5.6.2.1④ 要望を作り上げる

 状況を知る 3.5.2.2③ 使用状況を共有

 「歴史」は現存在にとって「生起」である 4.4.2.1① 私が存在する理由

 現存在の「命運」と他者との「歴運」 4.4.2.1① 私が存在する理由

 「ひと」の「時刻化可能性」と公共化された「時間」 7.2.3.4③ 存在が武器

 ヘーゲルの「精神と時間」への言及 7.2.3.4③ 存在が武器

 ソ連・フィンランド戦争 4.3.4.2① 巻き込まれる小国

 イタリーの進攻芳しからず 4.3.4.2① 巻き込まれる小国

 ソ連の防備充実 4.3.4.3③ ウクライナ問題

12月16日

 メーカーの活動に違和感を感じる 5.4.4.2① 将来ビジョン

 ハンナ・アーレントの周りの人 10.2.1.4④ ハイデガー

 渋滞という厄災 8.8.2.3③ 共有の交通体系

 アーレントの複数性 1.6.1.3① 複数性がテーマ

 「活動」を「分化」とみなす 1.6.1.3① 複数性がテーマ

 サファイアではThinkとActが循環する 2.2.4.2① 思考と行動

 病院の駐車場で轢かれても、治療は簡単 7.3.2.1④ 状況を判断

 哲学における根本的に新たな出発の必要 10.2.1.1③ デカルト

 図書館は無料貸本屋なのでしょうか 6.3.1.3③ 本屋との関係

12月17日

 昨日の私からの指示 7.4.1.4② 非連続な時間

 玲子さんはアテネを忘却 7.4.1.4② 非連続な時間

 タブレットを忘れた 7.1.3.4② 考える道具

 岡崎市図書館の新刊棚 6.3.1.1① まとまった情報

 さっきの自分と今の自分は非連続 7.4.1.4② 非連続な時間

 これなら、Iさんに会いに行ける 7.4.1.4② 非連続な時間

 水素ステーションの安全性 8.8.2.1② 地域インフラ最適化

 家のことは何もやらない 7.2.1.3③ 余計なことはしない

 「活動的生活」と「観想的生活」 1.1.4.1① 行動せず、考える

 20歳から26歳のアーレントの手紙 1.4.3.2④ 孤立からμとの対話

12月18日

 先のことを考えずに名古屋へ 7.4.1.4② 非連続な時間

 2カ月ぶりのIさんとの会話 7.5.3.1② 女性の笑顔

 会える時に会えるもの 7.5.3.1④ 心を開いて!

 ミッドランドスクウェアシネマ 7.5.3.2③ 好き嫌いは文化

 未唯空間の項目の詳細 1.5.2.1④ 要素に詳細資料

 置き手紙生活 7.4.1.4② 非連続な時間

 池田晶子さんは面白い 1.4.3.2③ 内なる世界と接点

 アーレントの考える範囲 1.4.3.2④ 孤立からμとの対話

 周りがプアな理由 1.1.1.1③ あまりにも狭い

 誕生日雑感 1.3.1.3① 親は親ではない

 失礼な少子化問題 9.1.1.1② 少子化問題

 ムハンマドとイスラームの誕生 4.2.2.1① ムハンマドの意識

 複数性 1.6.1.3① 複数性がテーマ

 地球に住む 1.3.1.1④ 宇宙の感覚で考える

 アーレントとハイデガー 1.4.3.2① 絶対的存在

 愛は力 1.3.2.3③ 思いがあれば叶う

 孤立と孤独 1.1.1.1① 絶対的な孤独

 数学の変化 2.3.4.2① 哲学の言語表現

 ヘーゲルとマルクスの歴史哲学 4.6.1.3④ 恣意的な分配

 近代の歴史意識 4.3.1.1④ 個人の歴史認識

 歴史と政治 4.2.4.4① 西洋の文明・文化

 歴史に始まりと終わりはない 4.5.4.4② 歴史の歴史が揃う

 原子爆弾があらゆる暴力の模範 4.3.4.4① 国民国家の限界

12月19日

 置き手紙生活 7.4.1.4② 非連続な時間

 大雑把な活動パターン 7.3.3.1③ 最低限の維持

 未唯へ

 ICレコーダーの使用 7.1.3.4② 考える道具

 ギリシャのワイン 4.2.2.4① 多様化が知恵を生む

 レバノンのワイン 4.2.2.4① 多様化が知恵を生む

 ナチズムの教育学 4.1.3.3④ 全体を支配

 移民に対する米国内の論争に対するグローバルな視点 4.2.1.3② ローカルから反発

12月20日

 雑記帳が900号 7.4.2.1③ ライフログ

 豊田市の地域インフラはムダばかり 9.7.2.1① インフラを有効利用

 一人の宇宙 1.3.1.4④ いつでも抜け出せる

 ぐるっと散歩 7.3.3.4② 毎日の使い方

 900冊の雑記帳の抜粋 7.3.4.2① 書き起こし

 ブラックべリーの例 8.6.2.1③ 情報収集と整理は別

 水素活用の課題 8.8.2.3② クルマとインフラ

 水素に関連して「必要な安全対策」 8.8.2.3② クルマとインフラ

 東京オリンピック・パラリンピックでの活用に向けた環境整備の方向性 9.8.3.2③ 大都市圏

 なぜ東京なのか? 8.8.3.2④ 企業は地域と協働

 課題先進地が地域づくリ先進地 9.6.1.3④ 地域でインフラ構築
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反映対比表 Week 50

12月07日

 8.1「要望を知る」 8.1 中間の思い

 Iさんへのレス 7.5.3.1① メールはトラウマ

 パートナーから2週間以上、連絡なし 7.3.1.1② ハレーすい星

 詳細まで、頭に入れ込む 1.5.1.4② 項目の耐久性

 原因と結果のロジック 9.1.2.1① CO2増加で温暖化

 9.2「多様化」 9.2.1 多様化

 非連続だからスケジュール通りに 7.4.1.4② 非連続な時間

 ユニクロのネルパン 7.3.3.1② シンプルに対応

 考える範囲を広くする 2.1.2.1② 全体が見えてくる

 スーパーとコンビニの戦略 3.1.1.2③ きめ細かい戦略

 フェースブックはPR媒体 8.6.2.2② 声の吸い上げ

 10.1「多くの人が生きられる」 10.1.1 多くの人が生きる

 ランチの女性 7.5.3.1② 女性の笑顔

 パートナーからの電話 7.3.1.1③ パートナーの相談

 出生と出産 1.3.1.3① 親は親ではない

 歴史と年齢 4.3.1.1④ 個人の歴史認識

12月08日

 踏ん切り 7.2.1.1① 自分に違和感

 Iさんからのレス 7.5.3.1① メールはトラウマ

 ローソンの経営者募集 3.1.1.2② 地域特性を研究

 未唯の結婚写真に呼ばれなかった 7.2.1.4① 最後の拠り所

12月09日

 未唯の結婚写真 7.2.1.4① 最後の拠り所

 未唯の結婚写真 メッセンジャーでのやり取り 7.2.1.4① 最後の拠り所

12月10日

 朝のダラダラ感 7.3.2.1② 迷わずに進む

 ソフトの脆弱さ 7.1.3.2③ PCで記憶力補強

 パートナーからの電話 7.3.1.1③ パートナーの相談

 地域の地道な活動 7.7.4.3① 地域から現象拡大

 エコットの来店客フォロー 9.4.3.1③ 技術のソフト化

12月11日

 「さあ!」という名称 9.2.3.2② ゆっくりした変革

 「禁帯出」は意味があるのか? 6.4.1.4④ 本屋とつながる

 ファシズムに向かっている 4.1.3.1② 皆をまとめる手段

 モスクワを自転車都市に 8.8.2.3① 自転車道の設置

 モスクワのコミュニティづくり 9.7.1.1② 企業・行政を取り込む

12月12日

 情報技術の進展とその社会的な役割 9.5.3.4④ 産業のソフト化

 人材を掘り出す 6.4.4.4③ 就職のあり方

 オーディット文化 9.6.3.1② 国家の集約・分配

 消費者至上主義 9.8.1.3① 所有するムダ

 市場化される精神性と身体性 9.4.2.1③ 生活者の行動

 日曜日はOCR化 6.1.2.3① OCRを20年継続

 『日本の若者はなぜ希望を持てないのか』 3.3.3.4③ 地域に雇用を創出

 『「超」情報革命が日本経済再生の切り札位なる』 9.5.3.2③ 本を読み、意見する

 『世界帝王事典』 4.2.3.2① 指導者を渇望

12月13日

 マリのコーラン学校 4.2.2.1② 六信、五行の戒律

 『日本の若者はなぜ希望を持てないのか』より

 7カ国中第1位、なぜ日本では専業主婦の希望度が高いのか 3.3.3.4④ 実りある個人化社会

 どの国よりも長い日本の失業期間 5.8.2.1② モノづくりの転換

 大きな問題は、政治的リテラシーの欠如 9.2.2.2② 行動できる規模

 「何も変えられない」絶望感 3.3
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「どこでも図書館」が見えてきた

号に毎回引っかかる

 岡崎へ行こうとしているけど、毎度、信号に引っかかっています。止まるの大嫌い。だから、クルマが嫌い。

リクだけが話し相手

 リクは外と中を行き来しています。外は寒そう。だけど、外に居ようとする。

「どこでも図書館」が見えてきた

 「どこでも図書館」も一つの項目にします。所有権放棄でかなり、実体が見えてきました。使い方を開発します。

本当につまらない

 つまらないから寝よう。メールは今日も来ません。だから、明日の名古屋もない。

午前のスタバに老人の波

 スタバにも、老人の波が押し寄せています。朝の10時位は男一人が増えている。奥さん連中は買い物でしょう。そこで、格好つけて飲んでいます。ちょっと前までは、「ホット」と言って、テーブルで待っていたのが、要領を覚えて、「カプチーノ」にして、本を読むようなカタチを取っています。

 まあ、自分はそうだから、あまり言えたものではないかも。だけど、2000年からだから、16年のキャリアを持っています。雑記帳を読むのも、スタバの中で行いましょう。何しろ、900冊分をタブレットの中に入れ込んでいます。これなら、通信が無くても、読むモノに事欠きません、350円で1時間なら、安いでしょう。
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岡崎市図書館の10冊

007.3『情報法概説』

007.3『インターネット法』

338.9『最新 海外市場ビジュアルデータブック』グローバルビジネスコンサルタントが教える ビジネスパーソンのためのASEAN/アフリカ/中南米

338.9『アフリカ進出戦略ハンドブック』

762.3『シベリウスの交響詩とその時代』神話と音楽をめぐる作曲家の冒険

292.2『上海』トラベルデイズ

361.5『<文化>を捉え直す捉え直す』--カルチュラル・セキュリティの発想

329.3『国境なき医師団』終わりなき挑戦、希望への意志

557『航海物語』書を捨てよ! 海に出よう!

134.6『ヘーゲルからニーチェへ(上)』十九世紀思想のおける革命的断絶 ⇒ ヘーゲルの歴史哲学を扱っていそう
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アブラハムのイサク献供

『旧約聖書入門2』より アブラハムのイサク献供 創世記二二章一-一九節 も深刻な信仰の出来事 ⇒ 宗教というのは面倒なもんですね。

アブラハムの物語も終わりに近づいてきました。この局面に至って、聖書は、アブラハムに託して、人間が経験する最も苛烈で深遠な信仰の出来事を語ります。

ようやく授かったイサクを、丸焼きにして献供せよと、神が命じたのです。アブラハムはこの残酷と思える命令に従います。このときアブラハムの胸中に何かあったか、そして犠牲に供されようとするイサクの心に何か起こったか、それは一言も語られていません。しかし多くの人々がそのことに思いを凝らしてきました。それはこの出来事が神と神に信頼しようとする人間の間に起こる、ある普遍的な真実を伝えているからです。それは多かれ少なかれ、ひと誰もが深く体験する人生の、とりわけ信仰者の人生の経験を伝えているのではないでしょうか。

この物語は、この苛烈な命令を発する神、神を信じて歩もうとしている者にあえて苦難を強いると思われる神は、いかなる神なのかと問わせてきました。また神に信従するとはどのようなことか、さらには信仰のためとはいえ、最愛の子を殺そうとすることは倫理にもとることではないかといった問いを惹起して来ました。そしてその問いを思い巡らし、解決を模索するところで、様々な神学が語られ、哲学的思惟が生み出され、あるいは聖書批判的・宗教批判的な文章が綴られてきました。それほどにこの物語は、神学的・哲学的・倫理的・心理的な諸要素を含んでおり、そうした議論を巻き起こすリアリティと凄みをもっています。物語の記述は切り詰められ抑制された文章であって、恐るべき緊迫感を孕んでいます。古代が生み出したこれ以上にはない信仰文学と言えます。古今東西を見回しても、これ以上の信仰文学作品は希有であると言ってよいでしょう。

この物語は、この物語を読む者に、その読者にしか読み取れない何かを残します。それがこのテキストの最高の古典である理由です。ですからこの物語は、たとえ何かこと新しい解釈には乏しいとしても、わたしが人生の中で、特にわたしの信仰生活の中で読み取ってきたものを記すよう促します。その勧誘に導かれながら、この物語の中にわたしが読み取ってきたものを記したいと思います。

この物語は、それ自体がすぐれた文学作品と言ってよい質のものですので、先ずそのことを念頭に置いて、テキストの私訳を試みたいと思います。

 1 これらの出来事ののち、神がアブラハムを試みた。神が「アブラハムよ」と呼び、「ご覧下さい、ここにおります」と応えると、

 2 神は言った、「おまえの息子、おまえの愛するひとり子、イサクを連れて、モリヤの地に、行くのだ。わたしが命じる山々の一つに[登り]、そこで彼を燔祭として献げよ」と。

 3 アブラハムは朝早く起きた。自分のロバに鞍をつけ、若者二人とイサクとを伴って、燔祭用の薪を割り、神が彼に言われた場所に向かって、発った。

 4 三日目に、アブラハムは目を上げ、遥かにその場所を見た。

 5 それで、アブラハムは若者たちに言った。「お前たちはロバと一緒にここで待っていなさい。わたしとこの子[若者]はあそこまで行って礼拝をし、お前たちのところに戻ってくる」。

 6 アブラハムは捧げ物を焼き尽くすための薪を取って、彼の息子イサクに背負わせた。自分はといえば、手に火と刃物を携えた。こうして、二人は一緒に進んだ。

 7 イサクが彼の父アブラハムに言った、「わたしのお父さん」。「ここにいるよ、わが子よ」と応えると、彼は「確かに火と薪はありますが、焼き尽くす捧げ物にする羊はどこにいるの」と言った。

 8 アブラハムは応えた、「わが子よ、神がご自身のために、丸焼きにする捧げ物の羊を見つけなさる」。そして二人は一緒に進んだ。

 9 やがて彼らは、神が彼に言われた場所に着いた。アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べた。そして彼の息子イサクを縛り、彼を祭壇の薪の上に横たえた。

 10 やおらアブラハムは手を伸ばし、刃を取って、自分の息子を屠ろうとした。

 11 そのとき、ヤハウェの使いが天から彼を呼んで、「アブラハム、アブラハム」と言った。「ここにおります」と応えると、

 12 [ヤハウェの使いは]言った、「お前の手を、その子に下してはならない。彼には何もするな。いま、わたしは知ったのだから。お前が神を畏れるものだということを。お前は、お前の息子を、お前のひとり子を、わたしに対して惜しまなかった」。

 13 アブラハムは目を上げた。そして見た。背後に、藪に両方の角を捕られている雄羊を。そこでアブラハムは行って、その雄羊を捕らえ、自分の息子に代わる焼き尽くす捧げ物として献げた。

 14 それでアブラハムはその場所をヤハウェ・イルエ(ヤハウェは見る)と名付けた。こんにち、「ヤハウェの山で、イェラーエー(ヤハウェは見られる)」と言われるところである。

 15 ヤハウェの使いはアブラハムを再び呼んで、

 16 言った。「わたしは自分にかけて誓う。ヤハウェはこう仰った。『お前がこのことを為し、お前の息子を、お前のひとり子を惜しまなかったから、

 17 わたしは必ずお前に祝福に祝福を重ね、お前の子孫を増しに増して、天の星々のように、海辺の砂のようにする。お前の子孫たちが、その敵たちの城門を勝ちとるようになる。

 18 地の諸国民はみな、お前の子孫によって祝福を交わすようになる。それはお前がわたしに聴き従ったからにほかならない』」。

 19 こうしてアブラハムは若者たちの所に戻った。彼らは発って、一緒にベエル・シェバに行った。そしてアブラハムはべエル・シェバに住んだ。


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ソドムとゴモラはなぜ滅びたのか

『旧約聖書入門2』より アブラハムの執り成しとソドムの滅亡 ⇒ 豊田市で傲慢に走っていくクルマを見ていると、ここはソドムの町と思えてくる。

アブラハムの切実な執り成しにもかかわらず、ソドムとゴモラは神の裁きによって灰塵に帰します(一九章)。ソドムとゴモラの滅亡の背景には、ヨルダン地溝地帯、死海の南方にかつて存在した町が、おそらく地震によって地下に埋もれることなったという、民間説話があったと考えられます。そこから、客人をもてあそんだ人々が滅び、客人をもてなしたゆえに災害を免れた家族があったという物語が生じたのかもしれません。

しかし今日のアブラハム=ロト・ツィクルスは、アブラハムの執り成しにもかかわらず、ソドムの人々は災禍に飲み込まれて死に、ロト一族だけが助け出されたことを伝えています。ロトは客人二人がソドムに着いたとき、これを歓待し、ソドムの住民の乱暴狼籍から客人を守ろうとするのですが、すでに神の裁きの災禍が降ることとなって、客人から町を出て逃げるよう促されます。しかしためらってぐずぐずするロトを、客人は妻、娘共々むりやりに手を取って、逃します。しかしロトの妻は、決して後ろを振り向いてはならないという神の命令に背いたがゆえに、凍り付いて塩の柱となります。ですから、ロト一族の救出はロトが義人であるが故のものではなく、アブラハムに連なるが故の神の配慮というべきものでしょう。つまり、ソドムにはアブラハムの執り成しにもかかわらず、十人の義人もいなかったので、滅亡したと言えます。

ロトと二人の娘は、近くのツォアルの山中に住んで、父親の種を得、子をなして、アンモン人とモアブ人の祖となります。アンモソ人とモアブ人は、アブラハムにゆかりのロトの子孫であるにもかかわらず、イスラエル人から宗教的に忌避されます。その理由として、近親相姦によって生まれた民であること、イスラエル人がエジプト脱出後、約束の地に赴く途中、水を求めたのに拒んだこと、イスラエルを呪わせようと預言者バラムを雇ったことを、申命記は揚げています(二三章四―七節、および一節)。

創世記一八章一六節ロ-一九章三八節は人間の悪と神の義、裁きと赦し、人間的生活の喪失状況と神による全面的滅亡、そして執り成しの問題を記しています。そこに描かれている人間生活は退廃的で息をのみますが、神による審判の様相も、実際にあったことを叙述したものです。その意味で高をくくって、読んでぱならないものです。

しかし、この記述は、一つの到来を待ち望んでいます。待ち望まずにはいられないのです。十人の義人がいればとの問いは、一人の義人がいればに至るまで問い続けうるものです。そして一人の義人がいれば、滅ぼさないとの神の全き憐れみが示されたに違いありません。しかし、ソドムには一人の義人もいませんでした。そして新約聖書の時代が到来するまで、実際には一人の義人もいなかったのです。「義人なし、一人だになし」(ローマの信徒への手紙三章一〇節、文語訳聖書)とパウロは書いています。

しかし、その現実なればこそ、この現実の中に、完全な一人の義人が到来することになります。神が自ら、その人となります。旧約聖書が鶴首している人です。完全な義人です。この方は実際においでになりました。この義人は、世の人すべての罪を背負い、これを贖いました。この人の義は、この人を受け入れる人に転嫁されていきます。そして世を義としていきます。人がこの人の生に合わせられますと、その人は滅びの道、呪わしい退廃の道ではなく、祝福に満ちた建徳の道、救いの道を行くことが許されるようになります。その光の中に立ってくださる方。それがイエス・キリストです。私たちはこの方の執り成しによって赦され、義とされて、この世界に祝福をもたらすべく派遣されていくのです。

現代は地球滅亡へのカウントダウンが始まっている時代だと言われます。アラン・ワイズマンの『滅亡へのカウントダウン』(鬼沢忍訳)という本は世界の人口が七〇億人を超えたことをテーマに、人口抑制を強い口調で訴え、そのために何か必要かを論じています。一九二〇年ごろの世界の全人口は二〇億人であったのに対し、今日では七〇億人を越えているというのですから、考えなければならないでしょう。それでも「滅亡へのカウントダウン」というと大げさに聞こえるかもしれません。でも、問題は人口問題に限ったことではありません。多方面にわたって、滅亡の危険性を胚胎しているのが、人間を中心にすえた今日の文化にあるとおもいます。
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