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アブラハムのイサク献供

『旧約聖書入門2』より アブラハムのイサク献供 創世記二二章一-一九節 も深刻な信仰の出来事 ⇒ 宗教というのは面倒なもんですね。

アブラハムの物語も終わりに近づいてきました。この局面に至って、聖書は、アブラハムに託して、人間が経験する最も苛烈で深遠な信仰の出来事を語ります。

ようやく授かったイサクを、丸焼きにして献供せよと、神が命じたのです。アブラハムはこの残酷と思える命令に従います。このときアブラハムの胸中に何かあったか、そして犠牲に供されようとするイサクの心に何か起こったか、それは一言も語られていません。しかし多くの人々がそのことに思いを凝らしてきました。それはこの出来事が神と神に信頼しようとする人間の間に起こる、ある普遍的な真実を伝えているからです。それは多かれ少なかれ、ひと誰もが深く体験する人生の、とりわけ信仰者の人生の経験を伝えているのではないでしょうか。

この物語は、この苛烈な命令を発する神、神を信じて歩もうとしている者にあえて苦難を強いると思われる神は、いかなる神なのかと問わせてきました。また神に信従するとはどのようなことか、さらには信仰のためとはいえ、最愛の子を殺そうとすることは倫理にもとることではないかといった問いを惹起して来ました。そしてその問いを思い巡らし、解決を模索するところで、様々な神学が語られ、哲学的思惟が生み出され、あるいは聖書批判的・宗教批判的な文章が綴られてきました。それほどにこの物語は、神学的・哲学的・倫理的・心理的な諸要素を含んでおり、そうした議論を巻き起こすリアリティと凄みをもっています。物語の記述は切り詰められ抑制された文章であって、恐るべき緊迫感を孕んでいます。古代が生み出したこれ以上にはない信仰文学と言えます。古今東西を見回しても、これ以上の信仰文学作品は希有であると言ってよいでしょう。

この物語は、この物語を読む者に、その読者にしか読み取れない何かを残します。それがこのテキストの最高の古典である理由です。ですからこの物語は、たとえ何かこと新しい解釈には乏しいとしても、わたしが人生の中で、特にわたしの信仰生活の中で読み取ってきたものを記すよう促します。その勧誘に導かれながら、この物語の中にわたしが読み取ってきたものを記したいと思います。

この物語は、それ自体がすぐれた文学作品と言ってよい質のものですので、先ずそのことを念頭に置いて、テキストの私訳を試みたいと思います。

 1 これらの出来事ののち、神がアブラハムを試みた。神が「アブラハムよ」と呼び、「ご覧下さい、ここにおります」と応えると、

 2 神は言った、「おまえの息子、おまえの愛するひとり子、イサクを連れて、モリヤの地に、行くのだ。わたしが命じる山々の一つに[登り]、そこで彼を燔祭として献げよ」と。

 3 アブラハムは朝早く起きた。自分のロバに鞍をつけ、若者二人とイサクとを伴って、燔祭用の薪を割り、神が彼に言われた場所に向かって、発った。

 4 三日目に、アブラハムは目を上げ、遥かにその場所を見た。

 5 それで、アブラハムは若者たちに言った。「お前たちはロバと一緒にここで待っていなさい。わたしとこの子[若者]はあそこまで行って礼拝をし、お前たちのところに戻ってくる」。

 6 アブラハムは捧げ物を焼き尽くすための薪を取って、彼の息子イサクに背負わせた。自分はといえば、手に火と刃物を携えた。こうして、二人は一緒に進んだ。

 7 イサクが彼の父アブラハムに言った、「わたしのお父さん」。「ここにいるよ、わが子よ」と応えると、彼は「確かに火と薪はありますが、焼き尽くす捧げ物にする羊はどこにいるの」と言った。

 8 アブラハムは応えた、「わが子よ、神がご自身のために、丸焼きにする捧げ物の羊を見つけなさる」。そして二人は一緒に進んだ。

 9 やがて彼らは、神が彼に言われた場所に着いた。アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べた。そして彼の息子イサクを縛り、彼を祭壇の薪の上に横たえた。

 10 やおらアブラハムは手を伸ばし、刃を取って、自分の息子を屠ろうとした。

 11 そのとき、ヤハウェの使いが天から彼を呼んで、「アブラハム、アブラハム」と言った。「ここにおります」と応えると、

 12 [ヤハウェの使いは]言った、「お前の手を、その子に下してはならない。彼には何もするな。いま、わたしは知ったのだから。お前が神を畏れるものだということを。お前は、お前の息子を、お前のひとり子を、わたしに対して惜しまなかった」。

 13 アブラハムは目を上げた。そして見た。背後に、藪に両方の角を捕られている雄羊を。そこでアブラハムは行って、その雄羊を捕らえ、自分の息子に代わる焼き尽くす捧げ物として献げた。

 14 それでアブラハムはその場所をヤハウェ・イルエ(ヤハウェは見る)と名付けた。こんにち、「ヤハウェの山で、イェラーエー(ヤハウェは見られる)」と言われるところである。

 15 ヤハウェの使いはアブラハムを再び呼んで、

 16 言った。「わたしは自分にかけて誓う。ヤハウェはこう仰った。『お前がこのことを為し、お前の息子を、お前のひとり子を惜しまなかったから、

 17 わたしは必ずお前に祝福に祝福を重ね、お前の子孫を増しに増して、天の星々のように、海辺の砂のようにする。お前の子孫たちが、その敵たちの城門を勝ちとるようになる。

 18 地の諸国民はみな、お前の子孫によって祝福を交わすようになる。それはお前がわたしに聴き従ったからにほかならない』」。

 19 こうしてアブラハムは若者たちの所に戻った。彼らは発って、一緒にベエル・シェバに行った。そしてアブラハムはべエル・シェバに住んだ。


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