goo

OCR化した11冊

『エコノミストの昼ごはん』

 なぜポップコーンは損なのに、スターバックスコーヒーは損ではないのか

 食に関する目下最大の問題

『石油・武器・麻薬』

 疲弊する中東の周辺諸国

 観光立国トルコの損害

 礼拝--コーランの啓示を思い出す

 喜捨--イスラムの平等観の体現

 断食--神を思念し、貧者の苦しみを知る

 巡礼--ムスリムの心を洗う行事

 共同体意識を育てる五行

 イスラムの経済観

 「利子」の取り立てを禁ずるイスラム

 現代イスラムの経済思想

 経済的平等主義を唱えるイスラム

 飲酒の厳禁

『イタリア・アカデミックな歩きかた』

 ローマ 宗教と科学がせめぎ合う歴史都市

 ボローニャ 一度は行ってみたい大学発祥の地

『ぼくがいま、死について思うこと』

 葬儀産業の手練手管

 イスラム教の場合

 いかにもイギリス的な賢い葬儀

 衰えていく、ということ

『「表現の自由」入門』

 言論の自由の未来

『ギリシャ人の物語Ⅰ』

 読者への手紙--長くてしかも個人的な内容にはなるけれど--

 マラトン

『暗黒の大陸』

 民主主義の危機

 ファシスト資本主義

 人種的存在としてのヨーロッパ

 グローバル化と国民国家の危機

 エピローダ ヨーロッパの形成

『建築と歴史』

 黒と戦災

『政治行動論』

 有権者は政治を変えられるのか

 有権者の行動と政治家・政府の応答性

『大人のためのメディア論講義』

 デジタル革命の完成

 モノのインターネット

 グーグル化する世界

 グーグルの言語資本主義

 言葉の変動相場制

 アルゴリズム型統治

 デジタル化時代の消費

 アルゴリズム型消費

 人間を微分する

 新しい図書館という制度をたちあげる

 東京大学「新図書館計画」

 電子書籍

 竜子書籍 VS 電子ジャーナル

 理系の読書・文系の読書

 人工知能と学問

 電子書籍とノートの統合

 文明の中心にある読書

 本という空間

 ハイブリッド・リーディング環境

 社会に『精神のエコロジー』を企てる場所

 認知テクノロジーとリテラシー実践

 自分のプラットフォームをつくる

 来たるべきユマニスト

『ディートンの経済理論』

 世界の貧困問題と格差社会

 狩猟時代には格差はなかった~格差社会が生まれた時代的背景の考察

 経済的不平等が起こす問題点~国家間の格差と個人格差が同時に発生

 世界の所得格差の現状~国家の成長と格差問題との関係

 世界の資産格差の現状~一部の人間にだけ与えられているチャンス

 労働市場から生まれる貧困と格差~格差を生み出すメカニズムのジレンマ

 マルクスの主張と共産主義~マルクスの資本論と歴史的背景

 マルクスの主張と資本論~資本家と労働者の対立関係を見い出した経済書

 インドの医療保障制度とその実態~高い保険料から恩恵を授かるのは一部の富裕層

 アメリカの所得の配分と貧困~一部の富裕層と貧困層との大きな所得格差

 「物質的援助」と「貧困問題」との関係~物質的援助は貧困問題解決にはつながらない

 ピケティの21世紀の資本~経済学者たちに一石を投じた経済理論

 ピケティの考え方と格差~時間とともに格差が拡大している現実

 ピケティが説く格差拡大防止への方策~課税方法の変革が格差是正への第一歩

 ピケティの考え方とディートンの経済理論~ディートンは分析、ピケティは解決策を提唱
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ピケティとのディートン考え方と格差

『ディートンの経済理論』より 世界の貧困問題と格差社会

ピケティの考え方と格差~時間とともに格差が拡大している現実

 クズネッツ曲線とピケティ

  カール・マルクスは、19世紀の産業革命により資本家による搾取で資本は集積し、労働者は悲惨な生活を送っていると説いた。働き手の幸福に役立たない資本主義は自壊するか、労働者による共産主義革命が起きるしかない、という終末論的な理論だ。

  こうした格差社会に注目した代表的な人物にサイモン・クズネッツがいる。

  彼は、第二次世界大戦後に注目されたアメリカの経済学者で、ノーベル経済学賞を受賞している。経済発展の初期には格差は拡大するが、その後の経済成長で中同層が増大し、格差は縮小するというもので「クズネッツ曲線」として有名だ。

  1950年代から冷戦期に、資本主義は没落するという社会主義の考え方に脅威を感じたアメリカは、クズネッツの理論に注目した。技術の進歩と生産性向上で、格差は縮小し続けるという楽観論を武器に、日本などをりIドしたのだ。それをピケティは「冷戦時代の良いニュース」と表記した。

  ピケティの理論は、マルクスの直観とクズネッツの数量分析のいいところをとりながら、両者に欠けていた歴史的視座を盛り込んで長期間の格差の動きを分析したものである。18世紀以降、300年にわたる富の集積の割り出し、大戦中などの期間は例外として、格差は一貫して拡大していると結論付けたのが、ピケティの新しい視点である。

  第一次世界大戦から第二次世界大戦とその前後の期間、格差が縮小した理由は、次の4点が論じられる。

   ①富裕層が住む国が2つの大戦で戦場となったことやロシア革命などによるヨーロッパなどの富裕層の資産崩壊。

   ②戦費の調達のため富裕層への累進課税。

   ③1929年の大恐慌で資本家層が減少。

   ④大恐慌の影響で、市場経済への不信感

  と反省により、計画経済などで格差の拡大を止めたこと。

  つまり、格差の縮小は、戦争と大恐慌という外的な要因なしでは考えられず、格差は拡大し続けるというのがピケティの理論であった。

 戦争と格差社会は密接な関係にある事実

  ひとたび戦争が起こると、負ければ大変である。富裕層は国力アップのために増税に反対するわけにはいかない。

  労働者層は兵士として出陣するため、税金面で優遇して士気を高め、家族への保障をしたため、格差是正が出来た。またこのような時期は、2~3%の経済成長があり、戦争景気で賃金もアップしたからなおさらだ。「格差の大圧縮時代」と呼ばれたこともある。

  大恐慌への反省からフランクリン・ルーズベルト大統領は、富裕層課税を行い戦費を調達した。さらに、計画経済として「ニューディール政策」により労働者の権利を強化したワグナー法が作られたのだ。ワグナー法はアメリカに中流階級が生まれるきっかけとなったと言われている。

  やがて戦争が終結すると、再び資本の蓄積が始まり、結果、格差がまた拡大し始めた。資本の蓄積と格差に注目している点はディートン教授の主張と類似点がある。

ピケティが説く格差拡大防止への方策~課税方法の変革が格差是正への第一歩

 格差は今後も拡大し続ける

  ヨーロッパでは、19世紀末から第二次世界大戦までの「ベル・エポック」と呼ばれる時代まで格差が拡大し続けた。国民の年間所得の7倍くらい資産の蓄積があった。

  アメリカでは、19世紀から2大大戦前まで年間所得の4倍、資本が集積していたという。

  当初は、アメリカを上回る格差のあったヨーロッパだったが、第一次世界大戦の始まる1914年ごろ3倍ほど資産の蓄積と国民の年間所得の比率が縮まり、アメリカを下回るようになってしまったのだ。だが、第二次世界大戦が終結して5年後以降は再び格差が拡大し始め、アメリカを上回った。

  一方、アメリカは大恐慌で5倍から3倍くらいに一時急落し、1970年代から再び上昇したものの、1990年以降は再び4倍にまで戻ってしまった。

  スウェーデンは、平等化を進めるために富裕層に対して高い課税をし、福祉などを充実させたことで有名だが、格差はアメリカなどに比べてまだ低いものの、大戦後の拡大傾向は続いている。外圧を加えないと富裕層はますます富を蓄積し、貧困層は一向に所得が上がらない。まさにピケティの理論通りである。

  また格差拡大の要因として「低成長」と「人口減少」をピケティは推測する。

  先進国は成熟し、低成長が予測されるから所得の上昇はあまり期待できず、資産による収益がこれを上回るため格差は拡大し続ける。

  また人口減少は、子どもの数が減り、相続での資産は分散しないため、一人当たりが受け継ぐ資産が増え、やはり格差は拡大する。

  格差が全くの悪ではなく、資産の増大により働き手の所得もそれに伴い増え、貧困層を含めて全体の生活水準が上がるのであれば、それなりにいいことと言える。しかし、格差拡大が行き過ぎると、低所得者は満足のいく教育が受けられず、高い知識の習得や技術力を磨くこともできない。

  将来的に有用な労働力の確保が期待できないと、社会全体が落ち込み、「金持ちの子どもしか高い教育を受けられない」という状況になる。

 富裕層が多数の下位に関心がなくなると起こる問題

  人口の多くを構成する中低所得者層の所得をアップさせる政策に上位の人々が関心を持たず、熱心でもなくなれば、自ずと消費活動は活発にならず、経済成長はさらに厳しくなり、子育ても困難で、人口は減少傾向となる。

  こうした構造は、低所得層の不満を助長させる。排外主義や外国人労働者(移民も含めて)への敵意は、悪い方向へ進むシグナルだ。そのことをピケティは心配している。

  低成長と人口減少の影響は、格差をますます拡大させる悪循環になりかねない。今後の世界経済の行方と各国の政策をウォッチしながら、格差社会を考えていかねばならない。

  第3部でも詳しく述べるが、日本もこの減少は他人事ではなく、人口減少問題に直面しているのだ。

ピケティの考え方とディートンの経済理論~ディートンは分析、ピケティは解決策を提唱

 ピケティもディートンも格差に着目

  トマ・ピケティとアンガス・ディートンは、どちらも所得や生活状態の「格差」に着目して、それぞれ独自の分析と理論を展開させ、経済界のみならず、全世界的に注目されている経済学者だ。

  また両者ともに歴史的な視座で「格差」をとらえ分析している。

  ディートン教授は『大脱出』の中で、ピケティを取り上げている。それは次の通りだ。

  「アメリカの物質的幸福」という章で、所得の格差について2003年のピケティとエマニュエル・サエズ(フランスの経済学者でピケティと共同研究)の研究成果を論じている。

  それまで、家計調査による所得関連のデータは、超高所得を調べるには有益でないと考えられていた。全国規模の代表的調査で選定されるサンプルが少なすぎるからだ。

  ピケティとサエズは、サイモン・クズネッツが使った手法を大幅に拡大した。富裕層も税金の確定申告をしなければならないから、所得税の記録を見れば、富裕層のことがわかるというわけだ。

  所得分配の最上部の所得格差についての考え方が2人の研究で大きく変わった。この後、世界の他の国で得られる比較可能なデータにも目が向けられたので、アメリカ国外についてもこの視点で見ることができた。

  このことは、労働市場と資本主義、政治の世界で何か起こったかを理解する上で、非常に重要と2人の研究を評価している。

  またピケティとサエズが「利子生活者」と呼ぶ、所得の大半を配当や利子から得ている人々が累進課税で没落し、大企業のCEOやヘッジファンドのマネージャーなどが高額な所得者に入れかわった点も認めている。

 ピケティとディートンの相違

  ディートン教授は、あくまで「格差」分析に集中しており、ピケティは分析以上に「格差を縮小させる解決策」を提唱している。

  このことは「ピケティ・ショック」と呼ばれ大きな反響があった。

  向かう方向は多少違っても、「格差」についての研究は見事である。

  ピケティは、前述の通り1971年にフランスのパリ郊外のクリシーというところで生まれた。

  つけ加えるならば、両親は左派労働運動の活動家で、ピケティも社会党(セゴレーヌ・ロワイヤル)の最高顧問を務めている。現在はパリ経済学校教授である。

  ディートン教授は、1945年にスコットランドのエジンバラで生まれたから、ピケティとは2回りほど年齢が離れている。

  同じ「格差」というテーマの研究分析をしている2人ではあるが、大きな相違は、ピケティは富裕層に着眼点を置いているのに対してディートンは、貧困層に着眼点を置いている点である。

  いずれにせよ、この2人の理論分析は、これからの世界の、そして日本の格差社会問題の解消への礎になることは間違いない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

グーグル化する世界

『大人のためのメディア論講義』より

グーグル化する世界

 この原理によって世界を制覇した代表的な企業がグーグルです。グーグルのミッションは「世界のあらゆる情報を整理してユニヴァーサルにアクセスできるようにし、なおかつ万人にとって役に立つものにする」というものですが、彼らはまさにアルゴリズムによって人間の生をオーガナイズしています。世界中の情報を組織化して検索可能にし、リコメンドを可能にすることによって人間生活と情報テクノロジーとが循環する巨大なプラットフオームを形成しているのです。

 あらゆるものにマイクロチップが埋め込まれ、あらゆるものが情報を背負っている。人間はこのような状況において、情報の帰属と所有をめぐるさまざまな問題に向き合わざるを得なくなる。

 知的所有権の問題がそれです。あるものの情報には、それについて権利を持っている人を通してしかアクセスできない。あるいは、それを使うためにはしかるべき手続きを経なければいけない。すべてのものがコンピュータによってリストアップされれば、それぞれについて権利が発生してくる。そうすると、解読された遺伝子にまで所有権が発生することになって、知的所有権が産業活動の中心に据えられるようになりました。それはもっとも根本的な話としては、「情報」の原理に基づいて世界が組織されるようになったから、情報は誰のものかという問題がクローズアップされてきたからです。

 神様は木の葉に所有権を設定しませんでしたが、もし木の種の遺伝子を解読した人(情報化した人)にその木の所有権が設定されてしまったらどうでしょう。今や、あらゆるモノに所有権が設定されていますので、知的所有権というものが非常に大きな経済的ステイク(競争的利害)になっている。

 情報を読み取り、整理する活動(知識)が非常に重要な産業のイノベーションのベクトルになっていく。ですから生命科学のような分野が注目されているわけで、今まで情報化されていなかった生命というものを情報の列に変え、あるいはその列を組み合わせることによって別の生命をつくっていく。そういう活動がフロンティアとして非常に大きな注目を浴びている。これは情報化によってもたらされた、科学技術と産業との関係です。

 情報にもとづいて世界が組織されると、情報がもっとも重要な資本主義のステイクになる。これを「情報資本主義」と言います。あるいは別の経済学者は「認知資本主義」と呼んだりしています。

グーグルの言語資本主義

 グーグルが慈善的に情報を整理してくれているだけならいいのですが、実はそうではありません。グーグルは営利企業ですから、当然収益を上げることを追求している。さっき引用したミッションには、そこは書いてありませんが。

 彼らは情報を整理し、これを競りにかけている。ページランクという仕組みです。検索ワードにたいしてヒットする度合い(rate)を計算したうえで、自分のサイトに誘導するような広告を打てますよと各企業にアピールする。この広告収入によって、グーグルの企業としての経済活動が成り立っています。

 グーグルの創業者であるラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンはもともとスタンフォード大学の図書館プロジェクトに関わっていた若者で、彼らはバックリンクを分析する検索エンジン(BackRub グーグルの原型)を開発しました。

 近頃は学者の能力まで競りにかけられているようで、待遇とか報酬にまつわる身も蓋もない話をしばしば耳にします。インパクト・ファクターというのは、その学者の論文が誰にどのぐらいの頻度で引用されているかを示す指標ですが、これをもとにして学者や彼が属する大学のパフォーマンスが導き出される。

 グーグルのAdWordsというサービスではこれと同じ原理を用い、検索ワードをランク付けします。そこでは当然みんなが引用し、参照している言葉を含む頁が上位に位置づけられる。そして、そういった言葉を使って広告を打つサイトはより多くのインパクトをもつわけで、そのためにより高い広告料を要求される。その料金は常に変動します。

 テレビとは違ってネットの場合は漫然とパソコンの前に座していては情報を得ることができませんから、各人が検索しなければなりません。AdWordsでは広告主は検索ワードの変動価格に基づいて広告料を取られます。いまやヤフーをふくむありとあらゆる検索サイトはケーブルの検索エンジンを採用しているわけですが、たいていの人は検索結果の三ページぐらいまでしか見ない。四ページ以降を見る人は全体の一〇パーセント以下といわれています。三ページまでに自分の会社のサイトが載っていなければ、ユーザーを誘導できる可能性は極めて低くなる。ですから企業にとっては、一~三ページのどこに自分の会社が出てくるかが重要になります。検索にひっかかる頁を維持するためには、とうぜん、頻度の高い検索語を使用しようとするでしょう。そうすると、競争原理が働いて、そういう言葉が三ページ以内に出てくる頻度がますます高くなると思いませんか。そうなるとネットで生活している人たちは、検索頻度が高い言葉を多く含む言語生活をするように次第になっていくと思いませんか。

言葉の変動相場制

 検索ワードがランク付けられ、それに伴って広告料金が変動する。ここでは検索語という「言葉」が売られているわけです。検索ワードが商品価値を持ち、なおかつその言葉に広告価値という知的所有権のようなものが設定されている。しかもその価値は、株価のように日々変動していく。

 たとえば「精神」という言葉とそれに関連した語を使うと、今日は五〇〇円だったけど明日は七〇〇円になるかもしれないというように、言葉が「変動相場」によって価値が上下するようになる。

 この言葉の価値の変動メカニズムと、第3章で説明した、広告市場という「意識のメタ市場」が連動します。

 これはグーグルの「言語資本主義」と名づけられ、最近とくに問題視されています。一時は生物のゲノム解読をめぐって知的所有権の問題がさかんに議論されましたが、いまや言葉にも所有権が設定され問題化している。グーグルを使うユーザーは高いランクに位置づけられた言葉、すなわちネットでよく使われる言葉へ知らず知らずのうちに誘導され、やがてそういった言葉によって自分の精神生活を営むようになります。一定程度の長いスパンでみれば、人びとの使う言語が変質していきます。

 我々は一日にどのぐらい検索して、それぞれの検索語について何ページ読んだかなんていちいち覚えていない。しかし実は、我々は膨大な数のページを読んでおり、これに沿って自分の言葉を使って生活しています。自分の精神を生み出しているといってもいい。ところが、これは、先ほど言ったグーグルの言語資本主義と連動してきています。さきほど、現代人は「検索人間」化しているといいました。つまり検索することにより私たちの自分であることの意識が生み出されているわけです。検索している時、あたかも自分がイニシアティブを取っているように思いがちですが、実はそうともいいきれず、検索語に基づいて自分を「個人化」しているわけですから。

 グーグルのランク付けによって再編される「言語」は、イングリッシュをもじって、これをグーグリッシュ(Googlish)と鄭楡されたりします。インターネットで使われる言葉は、アングロサクソンが設定した言語が基本となっているので英語である、あるいは元は英語である可能性が非常に高い。日本語はもちろんのこと、フランス語・ドイツ語など他の言語は価値の低い検索語として隅に追いやられ、経済的な価値の低い言葉と扱われかねないわけです。

 人間の精神活動の基礎となる言葉が、情報の流れと結び付き、グローバル企業の資金の流れとも連動している。いまの世界はそういう状況になってきているというわけです。

 みながよく使う言葉やその組合せ、あるいは映像の組合せのランクが上がっていくにつれて、それらの経済的価値が高まり、言葉やイメージが価値を担うようになる。つまり情報を通して、経済的価値の変動相場と文化活動とがダイレクトにリンクするようになる。言葉遣いがそのまま、言葉の経済的価値を決定する、言語資本主義時代になったわけです。それに伴ってAdWordsのように言葉にかかわる知的所有権が設定されさえするようになっています。

 これまで、文化・言葉・知識などは産業経済と直接接点を持たなかったのですが、そういったものがすべてお金の問題とリンクするようになってしまったのです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

本とメディア論

『大人のためのメディア論講義』より

本という空間

 スタニスラス・ドゥアンヌの説は、読字の活動に関わる脳の情報処理のシステムを研究している。文字を扱う脳が空間識別の活動から引き出されたという大変興味深い知見です。蒼頷の四つ目の理由を、脳神経科学的に解釈すると、自然を読む目のペアに重なるように、文字を読むもう一対の目のペアが加えられたという、この神話の私の解釈もなまじ無根拠とはいえないと思えてきませんか。

 読書という活動を理解するために、その次に考えるべきは、文字を書く表面としての頁や頁を綴じた本という媒体--メディア--の問題です。最初のうち、書物メディアはパピルスの巻物でしたが、ある時期--紀元二、三世紀--から、コデックス(codex)と呼ばれる冊子本になる。この冊子状の書物はとても重要な発明でした。巻物を読んでいるかぎりは一巻の書物をリニアに読み続けるのが習慣ですが、冊子体になったときに、一冊の本の頁と別の頁、さらには、別の本の頁とを同時に読んで比較することが可能になりました。

 このコデックス本の発明の射程は大きく、第2章で言及したメディア哲学者のフリードリヒ・キットラーは、巻物からコデックス本(冊子体)へと移行したのは、聖アウグスティヌスの頃で、それはちょうど当時のキリスト教神学者たちに、ラテン語の文献だけでなく、ヘブライ語で書かれたユダヤの教典、ギリシャ語で書かれた新約聖書、そして、異教ギリシャの哲学者とを突き合わせて比較することを可能にしたし、書物を索引に基づいて検索することも可能にして、スコラ哲学を発達させたと述べています。

 このようにして、本の技術は改良を重ね、読む活動が歴史的に成熟していく。冊子体の書物の発明は、本を読む活動が、三次元の空間性に基づいた活動であることを示すものです。そして、それはそもそも文字を読む活動が、脳の活動としての発生からして、空間認知と結びついていることと深く関連しているだろうと思います。

 じっさい、私たちは、一生懸命読んでその内容を記憶している本を想い出す場合に、あの文章が書いてあったのは、大体、どのぐらいの厚みの、どの章のあたりで、頁の右の方に書いてあったはずだとか、というように位置情報で覚えている。我々は空間情報によって、読みの記憶を維持しているわけです。

 しかしKindleのようならePubという方式で、フォントを変えると頁数が変わってしまうリフロー型の電子書籍で「本」を読んだ場合、いま言ったような空間的な記憶システムをつくれない。本を開くたびにページ数が変わってしまうと、その文章がどこにあるのか把握できなくなりますから。

 GPSに頼って街を歩いていると、そこがどんな街だったか思い出せないのと同様に、ら呂だと検索はできるけれども、記憶の空間的構造体として構築されている本の経験は希薄になってしまう。しかし、本とは記憶の編成体ですから、五〇〇頁であれば、それだけの記憶の厚みをつかって、思考したり、物語る活動が立体化したものであるわけです。一〇頁で論じられること、考えられること、語れることと、五〇〇頁で思考し、語ることでは、自ずから、思考や想像の射程が異なります。空間的構造体である本には、それだけの潜在的な力があるのであって、だからこそ、本は、特権的な「精神の道具」であるのです。

 ですから、五〇〇頁のメモリーを使って物を考えさせ、物を想像させ、物語らせる、本という装置は、圧倒的に大きな認知的ポテンシャルをはらんでいるのです。私はこの理由から、紙の本は決して、リフローされるテキストがタブレットの二次元で読まれるような電子書籍の前に消え去ったりはしないと考えるわけです。

ハイブリッド・リーディング環境

 しかし、本は滅びないけれども、電子化していく際には、コンピュータが本を読み始める。コンピュータが本を読むようになると、それによって新たに出来ることもある。本に関して言えば、全文検索をかけられるようになったり、他の人の読書と結びつくことができるようになったり、辞書や事典と容易に連動できたりします。

 さらに、コンピュータがインターフェイスとして扱うさまざまな情報の流れと、本が結びつく可能性があります。先はども言いましたように、本という道具は非常に認知的ポテンシャルの高いメディアですが、その本とコンピュータが集めてくるさまざまな情報を結びつけるプラットフォームをつくることができるのではないか。紙の本と電子の本の両方のメリットを組み合わせる可能性が見えてくるのです。私はそれを、電子メディア時代の「ハイブリッド・リーディング」環境の追求と呼んでいます。この章でも、メディア・テキストをクリティークする方法について話してきましたが、メディアというテクノロジーの文字が技術的無意識を基礎として現代人の意識を生み出しているとすれば、そのメディア・コミュニケーションと、本の読み・書きの活動を結びつけることによって、メディアを読み、アノテートして、クリティークし、反省的に思考する、メディア文明のなかのリフレクシヴ(反省的)な認知環境をつくることが考えられます。そのインターフェイスには、紙の本との界面として電子書籍が位置づくようになるはずなのです。

自分のプラットフォームをつくる

 再帰化するメディア生活で、個人は、さまざまな情報サービス産業に囲い込まれていきます。アマゾンのリコメンド:サービスはあなた以上にあなたの読書傾向を知り、趣味を知り、それに合わせてますます、あなたはアマゾン・サービスのプロフィールに近づいていきます。あなたよりも先に、コンピューターサーバー上のアヴァター(化身)の方があなたを「先取り」してゆき、あなたの方がアヴァター化していく。あなたの部屋のワードローブを探すより前に、ュニクロのサイトで去年や一昨年の購入履歴を探した方がすぐにあなたの明日のお洋服コーディネイトを考えやすいかもしれない。モノのインターネット(IoT)の普及により、身の回りのモノたちがどんどんサポートしてくれるようになれば、さらに、こうした状態は激化するでしょう。

 第2章で、メディアの時代になると、スペクトル(亡霊)が徘徊するスペクタクルの社会になるといいましたが、デジタルなメディア再帰社会においては、スペクトルたちは、アヴァターと化して、ドッペルゲンガーとして、あなたを取り囲むようになるでしょう。

 そのとき、あなたは、「自分とはいったい誰なのか?」、「私であるとは何なのか?」という問いに強くとらわれるに違いない。

 それに備えるには、デジタル・メディアをペースとした生活において、自分自身の再帰化のためのプラットフォーム、つまり自分の価値観・考え方・注意力の配分を自分で捉え返して、自分自身の情報生活をデザインできるノウハウと環境を確保しうる必要があります。

 これからは個人の情報生活を自分でデザインできる条件を考えていかねばならない。人々は、日常的に、さまざ・まなメディア・プラットフォームに誘導されますが、自分を表現しうる、自分のプラットフォームをいかにしてつくるかというテーマが浮かび上がってくるわけです。これからの人間は、「個人になるプロセス」をデジタル・メディア上にデザインしていく能力を磨かねばならない。各人の情報生活において、個人化のプロセスをいかにして進めていけばよいか、これが個人における、精神のエコロジーの問題です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )