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ブログって何? の一つの答

幸せの尺度は笑顔

 月尾の「海洋物語」の中に、

  「日本は海を持っているけど、そこに色々なものがある。砂漠地帯であるアラビア半島は遊牧民が細々と生活している場所だった。しかし、20世紀初期に油田が発見されたことになり、半島の小国は世界有数の経済国家に発展しました。日本の周囲の海洋は漁業以外に恩恵のない場所のようですが、鉱山資源の宝庫として知られています。日本にも眼前に宝庫が浮上してきた」

 ここで止められています。アラーの恵みの石油でもって、中近東がどうなったか。どちらが幸せか。遊牧民の顔を見ればわかります。

 国会図書館をやりながら、こんな碌でもない文章を書くんだ。本時代も寄せ集めです。さすがに図書館。

知のセンターの図書館

 図書館が貸し出し型から滞在型、そして、イベント型になろうとしています。

 一番重要な調査型。つまり、生涯学習、それが完全に抜けています。図書館は知のセンターとして、活用できるようにしないといけない。

未唯へ

 何となく、また、ふらつき始めました。

 また、ICレコーダーが溜まっています。14日(木)からですから。

アウトリーチの図書館

 図書館も本を展示するだけでなく、それを薦めた人がそこに居て、会話する。それで本をドンドン貸し出す。これで仲間を増やしていくという作戦です。

ブログって何? の一つの答

 「国境なき医師団」のフィールドブログ。現地からの報告。私の場合も同じです。

 私にとっての現地は、この地球であり、この<今>です。どこが違うのか。違うところがないですね。あるとしてら、届ける人に届いていないということだけです。

 偶々、見たものを残しているわけではない。私のために準備されたものを処理することで役割を果たしているだけです。

 あえていうなら、そういう私のために作られたのが「ブログ」です。
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ソクラテスの目指すもの

『ソクラテス われらの時代の人』より 哲学の天才、ソクラテス

ソクラテスの問い掛けの方法

 しかしソクラテスがまだ若い頃に、科学的な知識の限界を探求し始めた頃には、この研究をさらに推進する方法が圭ったくみつからなかったのである(と、彼は後に回想している)。コスモスは沈黙していた。コスモスを見ることはできたが、コスモスは話すことができなかった。何よりも、コスモスは問いに答えることができなかった。

 ソクラテスにとって外部の世界を探求する上で、これは大きな障害になった。ソクラテスは偉大な問い掛けの名人だったのである。彼のもっとも強い本能は、問い掛けて調べることだった。問い掛けてみること、問いに対する答えに基づいて、さらに別の問いを立てること、それがソクラテスが自分のうちで感じていた強い衝動だった。圭だ若い頃、おそらく二〇歳代の頃に、自然科学、あるいは外部の世界の探求は、少なくとも自分には利益がないと考えるようになった。それでも人間の内部の世界を探求することは可能であり、ソクラテスはそれをやろうとしたのである。

 ソクラテスは、アテナイの街路を歩き、市場アゴラをぶらつき、市外の公園や庭園で体操をすることを習慣にしていた。そしてこうした場所で働いている人々の活動を調べていたのである。たとえば革頴し職人、金属細工職人、商人、飲料水の売り子、行商人、果物や野菜の行商人、写本筆写人(ソクラテスの時代に専門的な書き手は、著述を巻き物に書かせて売るようになっていた)、両替商などである。近くのペイライエウス港[現在のピレウス港]まで散歩したり、アテナイの周囲の田舎を歩いたりしながら、ソクラテスは船員、農民、馬の訓練士、そして葡萄畑やオリーブ果樹園、搾乳場などで働く男女を観察したものだった。

 そのうちにソクラテスは、これらのすべての人々はそれなりの言葉を話す能力があり、しかも喜んで話すつもりがあることに気づいたのだった。そこでソクラテスは彼らに問い掛け、彼らは質問に答えた。そこに隣人や同僚たちが会話に加わってきた。ソクラテスには不思議な魅力があった。そのことは多くの人々が証言している。ソクラテスは下層の人々から上層の人々まで、あらゆる種類と階級の人々と親しくなった。ソクラテスは冗談を語り、笑った。腹を立てることはなかった。それにいつも人々にていねいに接していた。ソクラテスは人々に問い掛け、その答えに基づいてさらに問い掛けた。これらの人々は重要な人々であると感じていたのであり、彼らの答えは貴重だと考えたのである。

 ソクラテスがこのような方法で人々に問い掛けることができることに気づくと、彼の理性はこれこそが彼の生涯の仕事なのだと語ったのである。そして彼の内なる声も、同じことを語っていた。人々は「ソクラテス、あなたには人々に話し掛け、その人が考えていることを話してもらう特別な才能があるようだね。政治家になって公務をしたらいいのではないかね」と語った。しかし彼の内なる声は、それに反対した。彼の内なる声は、ソクラテスに何かをせよと語ったことはなかった。しかし何をしてはならないかについては、強い口調で語ったと、ソクラテスは述懐している。内なる声は、彼が政治家になることに強く反対した。「わたしの声もわたしの理性も、ともに政治家になってはならないと語った」のである。

 ソクラテスが自分の仕事について語った言葉がわたしたちに伝えられている。「わたしは神がわたしに哲学をすること、自分と他者を吟味することを仕事とするように命じたのだと思う」という。「哲学をすることは、神がわたしに示した仕事である。神は本能的な直感、夢、そして何についても神の命令が人に伝えられるその他の手段を通じて、このことを示したのである」。自然科学については、「わたしのあずかり知るところではない」とソクラテスは語っている。哲学は理性の劇場であり、「わたしは、自分の理性を行使して最善と思われることによってしか説得されない性質の人間なのだ」。

ソクラテスの目指すもの

 それではソクラテスは何を目指していたのだろうか。ソクラテスの時代からすでに哲学者は基本的に二種類に分類できた--何を思考すべきかを教える哲学者と、どのように思考すべきかを教える哲学者である。これまでもずっとそうだったし、これからもそうだろう。ソクラテスは、どのように思考すべきかを教える哲学者のいわば代表である(もっとも彼に自分なりの意見があったことは、すでに確認してきたことであり、これからも確認することになるだろう)。

 ソクラテスは思考される事柄よりも、人々そのものに関心をもっていた。そして人々がどのように思考するのか、どのようにすれば人々がもっと明確に、そして有益に思考するようになるように手助けできるかに、強い関心をもっていた。すでにみたように、ソクラテスがみずから提起したテーマについて反論を述べ、吟味する方法は、彼がこれにどれほど有能であったかを、繰り返し明らかにしてくれる。ソクラテスは正義、友情、勇気、徳など、彼が実際にとりあげた重要な概念だけではなく、ほとんどすべてのテーマについて、一般にうけいれられている考え方がいかに欠陥のあるものであり、しばしばまったく間違いであることを示そうとしたのである。

 ソクラテスはまず簡単な質問をする。それからさまきまな仕事、人間と自然の歴史、文学などの広範な分野の知識に基づいて、相手の示したありきたりな答えにたいして、さらに新たな問いかけをする。そして相手のありきたりな答えは、その質問に暗黙のうちに含まれていたすべての事例に該当するものではないこと、高度な分析的な理性にも、ときにはごく当たり前の常識にも反することを明らかにするのである。ソクラテスは自明に思えることにはつねに警戒していた。自明なことは真実ではないこと、真実が自明なものであることはきわめて稀であることを、ほとんどいつでも証明できたのである。

 この作業がソクラテスの対話の主な内容であり、彼の対話の面白さとダイナミズムの源泉となっている。ソクラテスは対話において、何らかの結論に到達することを目指していたわけではない。彼の目的とするところは、話しかけている相手に考える方法を教えること、何よりもまず、自分の力で考える方法を教えることである。

 このため対話のそれぞれの場面に、ある教訓が含まれている。その前提となるのは、ソクラテスがそこにいて対話を操作し、説得し、うるさく求め、からかいながら導かなくても、話しかけている若者が(あるいは誰であっても)、他のテーマについて自分の力で議論を進めることができるようになった場合にかぎって、教訓が学ばれるということである。ソクラテスの会話における解放的な要素は、紀元前五世紀においても現代においても、「正しい答え」にたいして、そして「正しい答え」があるべきだという考え方にたいして、ソクラテスが敵意を抱いていたことから生まれるのである。

 現代の官僚的な書類の記入のやり方に、そして教育のすべての段階でますます支配的になっている試験のやり方に、ソクラテスは強く反対したに違いない。こうしたやり方では、ある問題について自分なりの回答を示すことを人々に求めるのではなく、さまきまな回答を調べて「正しい」答えを選択することを求めている。ソクラテスは、こうした個人の独立した思考を拒否する考え方に、生涯をつうじて抵抗したのだった。

 ソクラテスが若者たちに、しかもしばしば有力な一家の若者たちに、自分の力で考えるように教えたことで、危険を冒したのはもちろんのことである。アテナイはその多くの時期をつうじて、ある種の民主的な社会であり、自由でリベラルな社会だった。しかしこの社会のさまざまな制度は市民の合意に依拠していたのであり、市民の合意が存在しない場合には、こうした制度は危険にさらされる傾向があった。

 たしかにアテナイの民会を弁論術を戦わせる場に変えることはできるだろう。それによって困った事態にならないように手直しすることはできるだろう。しかしすべての市民が自分の力で考えるようになり、一般に認められた智恵をそのまま信じ込まないようになると、そして問題には正しい答えがあるという考え方を認めないように教えられると、市民の合意を確立することは、とくに適切な合意を確立することは、不可能ではないとしても、きわめて困難になるだろう。

 ソクラテスが若者だちと対話する営みが批判されるようになったのは、とくに危機の時期にあってソクラテスが告訴され、有罪を宣告され、死刑にされたのは、その背後でこうした懸念が強かったためではないだろうか。
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日米「同盟」が持続不可能な理由

『日本--呪縛の構図』より

これを書くのは実に気が重いことだが、やはり言っておかねばならない。アメリカは本来、日本のことなど気にもかけていないのである。だからといって、日本と個人的なつながりのあるアメリカ人が大勢いて、この国に親愛の情を抱いていることに変わりはない。日本料理にはまっている者、村上春樹の小説のファン、黒渾や小津の映画のファンなどはそれこそ何十万人にも上ることだろう。それ以外にも数百万人もの子供たちが日本のアニメを見て育ち、ハローキティやポケモンに夢中になっている。その結果、彼らは誰でも日本という国全体に対して漠然とした好意を抱いているのだ。その一方で、アメリカのエリート層は日本を「軍事資産」としてしか見ていない。自民党は、アメリカがついている限り、対中政策にさほど真剣に取り組む必要はないとどこか思い込んでいる節があるが、アメリカのエリート層はそれよりさらに危険で無謀な幻想に浸っている。それはアメリカが歴史的に北アメリカで保持してきた立場に匹敵する状況を国際舞台で再現できるという幻想である。それは潜在的な脅威や潜在的な挑戦者にまったく直面しないですむ世界、つまり妄想に取りつかれたアメリカの軍事計画立案者たちの言う「全局面優位性」(軍事的状況をあらゆる側面から完全に支配し、アメリカ貼独、あるいは同盟国と共同でどんな敵対勢力も圧倒する能力)を獲得するということである。

どうしてアメリカがこの悲惨かつ無謀な幻想にとらわれてしまったのかを分析するのは本書の範躊を超えている。だが、いくつかの重要な要素は強調しておく必要がある。第一に、この数十年間にアメリカで起きてきたことは、日本の近代史や日本の政治の仕組みに詳しい者にとっては聞き慣れた現象ばかりだということだ。第二次世界大戦でアメリカを勝利に導き、その後冷戦を戦うために構築された国家安全保障官僚機構が政治的に制御不能になった背景には、一九三〇年代に帝国陸軍が日本を「乗っ取った」時と似たような要因が働いていた。アメリカの過度の軍事的拡張--その背景にどのような力が働き、どんな結果を招いたのか--について最も鋭い分析を加えてきたのが故チャルマーズ・ジョンソンであったことは驚くに当たらない。国際政治学者のジョンソンはその学究生活の大半を日本の官僚制度の研究に費やしてきたからである。強大な官僚機構、あるいは官僚組織のネットワークの規模が一定の臨界量に達すると、それが国家や社会に対して持つ政治的影響力はあまりにも巨大になりすぎて、時に政治的に制御不能になってしまうのである。とりわけ、官僚組織が意のままに行使できる物理的強制力を手にしている場合はなおさらだ。アイゼンハワー米大統領はかつてこうした現象が起きる可能性について告発したことがあった。彼はこの新たな「軍産複合体」の暴走に歯止めをかけておかないと、アメリカの民主主義は破壊されるだろうと警告したのだ。だが、その警告が顧みられることはなかった。

一人の政治家が強大な官僚機構をねじ伏せ、国家の擁護者として広範な国民の支持を受けるー近代史において、そうした明白な事例は一つしかない。物理的強制力を有し、深く根付いた官僚制度に方向転換を強いることに成功したその政治家とは、フランスのシャルル・ド・ゴール大統領である。これは空しい空想にすぎないかもしれないが、もしド・ゴールのような政治家が日本の指導者であったなら、一九六〇年代にフランスをアルジェリアから撤退させたように、一九三〇年代に日本を中国から撤退させることが可能だったのではあるまいか。もしそうなっていれば、今の世界はどうなっていたかと想像せずにはいられない。

残念ながら、アメリカの政界にもドーゴールに匹敵する政治家が登場する兆しはまったく見られない。国防総省が有能に管理され、明晰な思考が可能な職員で運営されてさえいれば(そして言うまでもなくド・ゴール級の器量を持つ大統領がいれば)、普天間問題がここまで紛糾することはありえなかっただろう。海兵隊が関乗軍のように純然たる暴力行為に走ることはないだろうが、長期的な戦略的利益よりも近視眼的な組織の目的を優先して政府機能を乗っ取ろうとすることにかけては、両者には著しい類似点がある。

アメリカ帝国は構造的・制度的に外部世界について無知であるため、いずれ間違いなく崩壊する運命にある。無知な状態を修正するには、国家安全保障を最優先する国家体制を解体させるしかない。これは、一般的なアメリカ国民が海外事情に無関心であることや、外国語や地理を学ぶ学生が少ないことに対する批判ではない。また、アメリカのマスメディアでは薄っぺらな紀行エッセイの類を除き、外国に関する記事をほとんど目にしないことにも文句を言うっもりはない。実際に、海外生活の経験があるアメリカ人はいくらでもいるし、外国語を話せる者も、海外の特定地域に関する知識が豊富な人たちも決して少なくないのである。その意味では、アメリカの安全保障政策や国際関係にかかわる政府組織も採用する有能な人材には事欠かない。問題は、従来からの「常識」とされている考えが明らかに合理性を欠いていても、それに異議を唱えるような人材は求人、採用、養成、登用のプロセスから排除されるような仕組みになっていることだ。ニューこンャパン・ハンズに関しても同様の問題があることは、すでに指摘した通りである。日本の政策立案過程を支配する官僚機構の内情に詳しい行なら、これがどこかで聞いたような現象であることに嫌でも気づくはずだ。だがそれが意味しているのは、あらゆる問題がきわめて視野の狭い集団思考に支配されることにほかならない。たとえば、政治情勢について深く考えている者なら、小沢の北京訪問がアメリカにとって脅威どころか、長い目で見れば利益につながったはずであることは容易に見て取れたはずだ。ところが、リチャード・アーミテ上ンや彼の周辺の人々が理解できたのは、それが彼らが既得権を得ている日米「同盟」という独占領域にどのような影響を及ぼすかということだけであった。

指導者層や上級官僚たちの明らかな無能さにもかかわらず、アメリカ帝国がふらつきながらも前進を続けていられるのは、ドル中心の金融財政秩序に負うところが大きい。これまで見てきたように、日本はこの秩序を構築する過程で中心的な役割を担ったのである。日本の奇跡的経済成長と、それを模倣した韓国と中国をはじめとする国々の成長はこの秩序に助けられた部分が大きかっか。だがその一方で、束アジアの成長モデルがこの秩序と表裏一体の関係にあることを過小評価してはならない。この秩序を構造的に維持するには、アメリカは膨大な貿易赤字と経常赤字を計上する必要があり、日本、中国、韓国は膨大なドルを保有し続ける必要がある。これらの国々が輸出と投資を主体とする成長戦略を維持している(あるいはそれに束縛されている)限り、それ以外の選択肢はないのである。

だが、これらの国が保有する米ドルのおかげで、アメリカは通常の方法で帝国の財政を負担することを免れているのだ。つまり、経済的に非生産的な軍事体制を税金によって支える必要はないのである。これはアメリカが軍事体制を支えるためにまったく支出を要しないということではなく、その費用を賄うための借金の利払いに出費の大半を費やさずにすむということである。

だがその一方で、軍産複合体の維持に要する費用は、アメリカの労働者階級と中産階級に過度な負担となってのしかかっている。ドル中心の世界金融秩序とアメリカ帝国への資金供与はドルに対して構造的な上昇圧力をもたらし、それと同時にアメリカからアジアのパートナー諸国に向けて製造業の拠点(後にはサービス業も)が次々に移転されるようになった。結局、世界各地に拠点を持つ多国籍企業の司令塔となったのは日本ではなく、アメリカだった。今日の世界において財政的にも技術的にも主導権を握っているのはウォール街であり、シリコンバレーであり、アメリカの優れた研究大学であり、かつまた国家安全保障体制によって維持される研究施設である。その一方で、実際に製品を製造し組み立てる作業の大半は海外で行なわれている。

その結果生じた経済格差が政治的・階級的憎悪の直接の原因となり、今や帝国の様々なメカニズムの円滑な機能を妨げかねない状況が生じている。アメリカ帝国の戦争を支持することに、米国民はますます難色を示しつつあるのだ。(それらの戦争はいずれも帝国エリート層の様々な派閥によって必要と見なされている)。戦場がシリア、イラク、イラン、アフガニスタン、あるいは東シナ海であろうとその点に変わりはない。中国政府もこの点はよく理解している。中国の軍事力はアメリカに遠く及ばないし、「インターオベラビリティー」を通じて共同作戦の遂行能力を高めた日米合同軍の敵ではあるまい。だがそれを言うなら北ベトナムもそうだったことを忘れてはならない。中国はアメリカがアジアから撤退することを望んでおり、その気持ちはアメリカがアジアに残りたい気持ちよりけるかに強い。中国はそれを実現するために、長期的な視点で大きな賭けに出たのである。そこには日本にとっても大きな利害がからんでいるが、アメリカ人の大半はその気持ちを共有していない。だが、それが明確になった時、日米「同盟」は崩壊を免れないないだろう。そうなれば友人に去られた日本は、アジアで孤立することになるのだ。
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日本--呪縛の構図

『日本--呪縛の構図』より

最後の二つの章では、ここ数十年間で日本に訪れた最大の希望が、アメリカ政府による直接の関与と共謀によって破壊された経緯をつぶさに明らかにしていくつもりだ。その希望が実現していれば。これまでとは違う、もっと優れたアプローチで現在のジレンマから抜け出す機会をもたらしてくれたかもしれない。この経緯については誰もが把握しておく必要があるが、私は特にアメリカの読者にこそ知ってほしいと考えている。なぜならこの問題は、日本人だけでなく私たちの誰もが直面している、より広範な課題を浮き彫りにしてくれるからだ。

その課題に取り組むにはまず、企業、銀行、政府、軍隊、警察といった様々な組織を理解するところから始めなくてはならない。これらの組織の本来の目的は誰もが安全で人並みの生活を送れるようにすることだったが、やがて私腹を肥やそうとする者たちや、国民を全面的に統制し、彼らの私生活に至るまですべてを監視することで「空想上の脅威」から国土の安全を守りたいと考える者たちによって私物化され、悪用されるようになってしまった。こうした目的でこれらの組織を運営する者には、自らの本当の動機について自分を偽りながらそれに必要な行動を取るという精神的曲芸が必要となる。それは『一九八四年』の著者として知られるジョージ・オーウェルが二重思考と名付けた有名な精神状態で、二つの矛盾する考え方を同時に真実として受け入れることを可能にするのだ。オーウェルは権力についてきわめて洞察力に富んだ分析を行なった。現代性を構成する政治的・経済的制度を掌握して自らの目的のために支配しようとする者には、常に大きな知的・心理的な負担がかけられる。彼はそれを理解しただけでなく、その背景にある精神的なメカニズムを明快に語ってみせた。日本の支配階級は、矛盾に対する寛容性を受け入れるだけでなく、それを必要不可欠とする政治的・文化的伝統にどっぷりと浸かってきた。そのため、他の国々でも次々に表面化している現象の「ひな型」に近い何かを提供することができる。

このひな型の存在こそが、高い政治意識を有し、世界の運命について真剣に考えている人々が日本について学ばなくてはならない最大の理由なのだ。日本は現在でも世界第三の経済大国である。ペリー提督がいわゆる「鎖国」の扉をこじ開けて以来何度も繰り返してきたように、この国には今でも人類の歴史を思いも寄らない新しい次元にまで押し上げる力がある(人類がこれまで到達した「新たな次元」には近代絵画、建築、映画、ロシア革命、中国の一九四九年革命、アメリカ経済の再編、そして米連邦準備制度理事会「FRB」のコンピューター以外には価値を保証するもののない米ドルの金融覇権などがある)。日本はすでに二〇年間にわたって、先進諸国で表面化しつつある諸問題に直面してきた(あるいは直面するのを避けてきた)経験を持つ。人口の高齢化、金融システムの崩壊、もはや教科書通りには機能しなくなった財政政策、利益の低下、過剰設備などである。

こうしたすべてが、誰もが日本について学ぶ必要があることを示唆している。しかも世界の多くの国々がいかに日本とそっくりの状況に置かれつつあるかを知れば、それは時代の要請として際立った切迫感を持ち始めるだろう。日本は現代の産業社会において間違いなく最も独特な存在だが、その独自性は西洋文化の圧倒的な影響力の前に消滅してしまうだろうと長年にわたって予想されていた。だが、それはいまだに健在である。言うまでもなく、工業化や近代化の波はこの国を一変させてしまった。しかし、それらの影響力も日本を東洋における欧米の粗悪なコピーのような存在にすることはなかった。マルクスは資本主義の到来によって「いっさいの身分的な常在的なものは、煙のように消え、いっさいの神聖なものはけがされ〔『共産党互日』、マルクス、エングルス共著、大内兵衛・向坂逸郎訳、岩波書店、一九五一年〕」てしまうだろうという記憶に残る予言を残したが、日本では必ずしもその通りにならなかった。だがそれは、この国が産業革命以前の何らかの発展段階にはまり込んで抜け出せなくなっているからではない。日本ではどこの国にも劣らないほど経済の近代化と高度化が進んでいる。

日本は日本であることをやめなかっただけなのだ。一方、日本以外の世界では、少なくとも一つの重要な点において支配階級の「日本化」が進んでいる。それは、常に周囲を矛盾に取り囲まれた環境で過ごすことに慣れつつ、自らの真の動機について自分を偽りながらその動機に基づいて行動するという精神的曲芸を完成させることだった。この数十年において日本の権力構造に関する最も洞察力に富んだ分析を行なってきたある論客は「政治的目標は当事者が意識しなくても実現される」と書いている。この指摘が意味するところの重要性を理解しさえすれば、あとはロンドン、ベルリン、北京、ブリュッセル、フランクフルト、ニューヨーク、エルサレム、カイロ、リヤドノアヘラン、そしてとりわけワシントンで起きている出来事を観察するだけでいい。そうすれば、日本について誰が何を知る必要があるのか、そしてなぜそれを知らなければならないのかに関するきわめて重要な手掛かりがおのずと明らかになるはずである。

[二・二六事件]を鎮圧させた際、一九四一年に東條英機に組閣を命じた際、そして一九四五年の御前会議で戦争を終結させたいと自ら発言した時の三度である)。

幕府を倒した薩摩藩と長州藩の出身者が権力中枢で圧倒的多数派を形成する寡頭制(藩閥)は、正式な制度として認められていたわけではないが、「薩長閥」が政策決定の実権を掌握している限り、日本の支配構造における最大の欠陥は露呈せずにすんでいた。しかし、これらの指導者が高齢化して次々に寿命を迎えると、それは致命的な弊害をもたらし始めた。

カレル・ヴァン・ウォルフレンによれば、この欠陥は政治的説明責任の中枢が不在であることに由来するという。そうした中枢を形成するのは、民主的に選ばれた政党の場合もあれば、旧ソ連にあったような政治局、独裁者、あるいは世襲君主でさえあるかもしれない。だがここで重要なのは、特定の個人あるいは複数の個人が政治的中枢として国の目標やその達成手段を決定し、実行に移す場合、その行動には説明責任が伴うという事実である。たとえ有権者や公平無私な裁判官、あるいは独立系報道機関に対して釈明するつもりがなくても、少なくとも本人にはその責任の自覚があるはずだ。

ところが、いわゆる元老たち(二〇世紀まで生き残った明治の指導者たち)が政策決定の現場から退き、枢密院などの機関で行動に責任を問われることなく決定に拒否権を行使するようになると、巨大な政治的「無責任体制」が生まれるお膳立てが整った。この無責任体制こそが最終的には、日本をまったく勝利の展望がないままアジアでの地上戦へと突入させ、日本の一〇倍の産業基盤を有する大国に直接攻撃を仕掛けるという行動に導いたのである。その結果、日本は明治の指導者たちがまさに未然に防ごうとした事態に直面することになる。独立国としての地位を失ったのだ。
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