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集合が点であり、点が集合である

集合が点である

 集合が点であり、点が集合である。これはものすごく、拡大解釈できます。原因が結果であり、結果が原因である。要望が企画であり、企画が要望である。そして、個人が全体であり、全体が個人である。それを歴史に適用したら、どうなるのか。なぜか、変節点になっている。この時に何を考えたのか、自分でもよく分からない。

 超国家と個人がつながること、歴史の変節点との関係。宇宙にしても拡大と縮小、それらを全部一つに見る。夜の星座も一つの星でもあり、星団でもある。銀河系なのかもしれない。それを一つの点として見る、点としか見えない。それらをまたつないで、星座として見る。

 それが一緒なのかどうなのかは、見る人の感覚と視力によって、違ってくる。人間の存在自体も同じかもしれない。一日も生涯も。

時の流れ

 ただ単に、それが時系列という流れと思っているだけです。時間が空間ならば、様相が変わってきます。研究開発部署の時に、時間は縦に流れているのではなく、スライスしているという感覚でした。そして、パラの世界、他の人と自分の思い、他の人の思いを感じない以上、自分主体の思いしかない。そこに在るのは現象だけです。

間にコミュニティがある

 全てはコミュニティから始まる。国と個人しかなかった世界、その間にコミュニティがあることで様相が変わる。コミュニティによって、国民国家を分化させることもできるし、コミュニティと超国家との関係で、国を意識させない世界も可能になる。民族問題とか宗教間の争いも平和裏に収束できる。

 個人とコミュニティとの関係、段階的なカタチになり、集合が点になることで、様相が様々なカタチを示してくる。つまり、NとGとの関係が単純でなくなる。

 それが、もっと、複雑になる可能性もあります。それぞれのところで、今のように、国と個人の関係ではなく、コミュニティとの関係になり、コミュニティが国の代わりをすることもあるし、国とコミュニティ・超国家との関係にもなっていく。

 そこでの関係で、点が集合になり、集合が点になり、次元を超えることが現実に起こってくる。それを分化と統合の関係で見ることもできる。けど、全体を見る人間が居る以上、そこに居る人間からしたら、何が起こっているか分からない。

歴史ができた時

 今までの歴史もそういうカタチで来たんでしょう。そこに居る人間にとっては、江戸時代も見えていなくて、江戸時代もわからずに、その時代を単に生きているだけに過ぎない。全体の流れも見えない。氷河期というのは、江田時代では意味を持たない。ビッグバンも意識していないし、ましてや、多重世界は全然、関係ない世界だった。

 だけど、私が生まれてきた1950年以降では、そういうことの認識がドンドン、拡大してきた。それは誰のためなのか。

トポロジーができて、全体ができた

 結局、トポロジーというのは、全体という概念を人間に与えた手段なのでしょう。デカルト平面というモノではないけど、次元というモノに捉われていたものを、分化と統合で変えていく世界です。中に居た人間を全体の中に吸い上げる世界。

 宇宙論というのは、大体、そうなっています。だから、リーマン面が先に在って、その後に、アインシュタインが出てきたんです。リーマン面で内なる世界から外に抜け出していったから、アインシュタインは大まかに考えることができたんです。

 未唯宇宙の世界はすべて、この概念から出来ています。だから、聞いたものにとっては、ベースが分からないでしょうね。中の世界なのか、外の世界なのか、圧縮された世界なのか、拡大された世界なのか。

 こんなことを考えていたら、完全に狂いますね。これを考えないと、今年のターゲットの未唯宇宙は為しえない。

集合論の飛躍

 こんなところに、こんな簡単なカタチで、根本があるとは。単に、点が集合で、集合が点であるという、集合論での飛躍だけです。これ自体は、25年前ぐらいの数学会のセミナーで、集合を点にした時の数学体系を聞いたところから始まった。発表者はかなり、風変りであったことと、会場の雰囲気は否定的であったことは覚えています。

 これ自体は、トポロジーが生まれた理由である、次元の呪いから説明されます。こんなすごいことなんだ。自由なんだ。それに気づくウィットゲンシュタインもすごいけど、彼も答えには至っていない。ウィットゲンシュタインも人に褒められることを期待していた。なじむナア
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OCR化した7冊

402.1マツ『日本語の科学が世界を変える』 2015/02/08 12:56 午後
 非キリスト教文化や東洋というメリット
 多神教世界の豊かさ
 山中伸弥博士のiPS細胞
 発生学という伝統的学問の中の、再生医療やiPS細胞
 ローマ教会が顔を出してきた!
 聖書の精神的束縛とは無縁の日本の科学
 異文化が科学や発想の駆動力
 グローバル化か、ローカル化か
 東西文明の違いをヒントに大発見をした日本人科学者
 大発見を大発見と認識できたのか?
 微生物ハンティング
 海の底、地中、そして火星まで

361.4ニホ『無縁社会のゆくえ』 2015/02/08 1:13 午後

 高齢者の孤立と孤独
 孤独の定義と孤独感の尺度
 孤立と孤独を基にした類型の試み
 高齢者の孤立と孤独への対応

318ヤマ『地方自治のすがた』 2015/02/08 1:13 午後

 市民参加・市民協働
 1 市民参加と市民協働
 2 市民参加
  (1)市民参加の方法
  (2)市民参加の歴史
  (3)市民参加の条例化
 3 市民協働
  (1)市民協働の位置づけ
  (2)市民協働の方法
  (3)市民協働の条例化
 4 新しい公共空間の考え方

311.7クル『民主主義の本質と価値』 2015/02/08 1:18 午後

 民主主義の擁護(一九三二年)

021.2ナガ『デジタル時代の知的創造』 2015/02/08 1:59 午後

 電子的な本の出現
  グーテンベルク計画
  本のようなコンピューター
 本を受け継ぎ、本を拡張する
  見えてきた全貌
  ハイパーカードの出現
  音と本の調和
  映像と本の調和
  エキスパンドブック
 変わる内容、変わらぬシステム
  ありものの輝き
  本を求めて流浪する
 ページ概念の拡張とその限界
  柔軟に本を活用する
  果てしなき情報の格納
  拡張の限界
  紙と電子、その対抗を超えて
  権利はどうする?
 ネットワーク時代の出版再発見
  残る、残らない
  出たあとにこそ出版は繰り返される

312.53トク『アメリカのデモクラシー』 2015/02/08 2:21 午後

 連邦政府について語る前に個々の州の事情を研究する必要性
 アメリカの地域自治制度
 タウンの区画
 ニュー・イングランドのタウンの役職
 タウンの実体について
 ニュー・イングランドにおける地域自治の精神について
 ニュー・イングランドの郡について
 ニュー・イングランドの行政について

410.2ナカ『数学史の小窓』 2015/02/08 2:28 午後

 リーマン
 リーマンの生涯
 若い日々
 大学時代
 学位論文
 その後の論文と続く不幸
 最後の日々
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今年中に未唯宇宙の完成をめざす

Iさんと3年間の思い出

 2月15日(日)は8時50分のバスにしましょう。10時にはスタバに到着します。11時から、Iさんとのお茶です。これが、私の最後です。ここまで、身体を持たせましょう。何となく、持たない予感がしてしょうがない。

 3年間の思い出を確認することにしましょう。

今年中に未唯宇宙の完成をめざす

 年内は未唯宇宙(μSpace)の完成を目指しましょう。考えるのは、その後です。今年、クライシスが起らなければいいけど。

 全ての時間を使っても、まだ、多分足りないでしょう。一日一項目でも、一巡するのに三か月掛かります。取りあえずはこれしかないです。一字一句を自分のモノすると同時に、そのイメージ化し、トポロジーの概念を組み込んで進化させていく。そのプロセスを全て、表す。そこから、生活を決めます。

 未唯宇宙はあくまでも内なる世界です。それ以外の何物でもない。全て、自分です。行動よりも考えること。それの承認を求めない。単に拡散させることだけはします。そして、女性に助けを求めます。月に一回は。

 幸いにも、未唯宇宙のキャッチフレーズは出来ています。「私は私の世界」「私の世界の全て」をしりたい。それをキッチリ、自分の中でまとめられるように表現します。表現空間をどう作っていくのか。

 そんなことを考えている自分を皆が思っていることを考えないということが、ウィットゲンシュタインの遺言です。それが欲になるし、どこでも止められると同時に、一歩でも先に進めたいということになる。それらの思いを知ってもらいたいということをなくすことによって、純粋になります。

 今日から目指すことにしました。境目をなくす。

またしても、呼吸困難

 やはり、右胸がダメですね。ユニモール行く間に呼吸困難になりました。それでも、実績を示すために、ユニモールまで行きました。ちゃんと来たことをIさんに伝えてください。居ると居ないでは、まるで気分が違います。

 やはり、病院に予約の電話をしましょう。ただし、15日に影響は与えないこと。やることを決めて、シナリオを作ろうと思った途端にこうなった。大いなる意思はどうなっているのか。

 大いなる意思から与えられた偶然は本当に使い切ったのか、役割を果たそうとしたのか。

最終日のランチ

 最終日の昼休みにIIさんとランチになりました。偶然、エレベーターで会った所からこんなことになりました。意思の強さを感じます。

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リーマン

『数学史の小窓』より

若い日々

 『科学者伝記事典』において、「すべての時代を通じて最も深遠で想像力豊かな数学者の一人」(フロイデンタール)と絶賛された彼は、病的なほど内気でした。10歳までは父が教育し、14歳でギムナジウムに入るまでは、村のシュルツ先生が数学の初歩を教えてくれました.14歳のときにハノーファーの祖母のところから、ギムナジウムの第5学年(全部で10学年のうち)に通い、2年後に祖母が亡くなると、リューネブルクの名門ョハネ・ギムナジウムに4年間通いました。この頃家族はリューネブルクから60kmほど離れたクヴィックボルンに移っており、べルンハルト少年はたびたび徒歩で家族の元に帰って心の平安を取り戻すのでした。それほど家族と離れて暮らすのが耐え難かったのです。リューネブルクでは食費節約のためにギムナジウムのゼファー先生のところで暮らしましたが、先生はいつも作文を時間内に書けないベルンハルトの宿題も手伝ってくれました。この学校の数学教師から後に校長になったシュマールフスは、ベルンハルトの数学の才能が尋常でないことに気付き、数学の本を薦め、また貸してくれたのでした。エウクレイデス、アルキメデス、アポロニオスなどは読みながら自分のものにしてしまい、ニュートンの『普遍代数学』やデカルトの『幾何学』なども学びました。この頃の有名なエピソードがあります。ベルンハルトにルジャンドルの『数論』を貸したところ、6日後に「これはまったく驚異に満ちた本です。私はそらで覚えてしまいました.」と書いて返したのですが、ずっと後の卒業試験の折りに試したところ、ベルンハルトはこの本の内容を正確に覚えていることが分かったと言います。

大学時代

 1846年春にリーマンはゲッティンゲン大学神学部に入学しますが、同じ年の春に母を亡くします。しばらく後に父の許可が出たので哲学部に変わり、数学を専門的に学び始めました。ガウスの「最小二乗法」の講義を受講していますが、高度な数学の講義はありませんでした。そこで翌年春にベルリン大学に行って2年間数学を学びました。ここは当時最も活気に満ちていた大学で、ヤコーピ(1804-1851),ディリクレ(1805-1859),アイゼンシュタイン(1823-1852)などの講義を聞き、特にディリクレと意気投合して親しくなりました。1849年春ゲッティンゲン大学に戻り、実験物理学者ウェ-バー(1804-1891)の講義を聞き、彼の助手をしています。また物理学教授リスティング(1808-1882)からも影響を受けました。こうして3年間の学生時代とその直後の助手時代に、最先端の数学と物理学を総合的に吸収し、さらにリスティングからは「トポロジー」のアイディアを得たのでした。

学位論文

 1851年の学位論文はガウスを指導教授とし、「複素一変数関数の一般論の基礎」と題されていました。この論文と、それに続く講義の中で複素関数論を見事に基礎付けています。いわゆるコーシー-リーマン方程式を基本として、多価関数の難点を解消する「リーマン面」を導入し、さらに「リーマンの写像定理」を証明しました。流体力学的なアイディアやトポロジーの考え方も自由に使って、計算によってではなく豊かな直感によって、また、本質的な概念を深く考察することによって導き出したのでした。複素数についてガウスが「複素平面」を導入して、「その座標がt、uの点はx=t+iuという複素量に対応する」と書いたものの、まだまだ充分に市民権を得てはいなかった時代でした。学位論文には出てきませんが、その後の講義の中でりーマンは「リーマン球面」を導入しています。「球をz平面に原点で接するように置くと、平面上の点に対応する球面上の点を見出すことが容易にできる。」このように「複素平面」や「リーマン球面」といった幾何学的な手段も自由に使って、見通しのよい理論を組み立てるのがりーマン流でした。そこから「多価関数」の難点を取り除く画期的な「リーマン面」の概念も得られたのです。実数の場合は、y**2=xからy=±√x石として2つの場合に分けて扱えば解決しますが、複素関数石ではうまく行きません。そこで「分岐点」0と∞でつながる2枚の平面をとり、0と∞を結ぶ線で切り開いて上下の平面を交差するようにつなげて1枚の平面にすることによって「多価性」を解消するのです.log zのような「無限多価関数」の場合には、無限枚の平面を重ねて,0の周りを回るたびに1段上の平面に行くようなうまい構造を考えて解決します。ガウスはこの学位論文を、「数学を研究する勤勉な本物の精神と、賞賛すべき独創性を示す証拠となっている。(中略)通常(中略)要求される基準を満たすだけでなく、はるかに凌駕するものである。」と書いて絶賛しています。なお、リーマンはこの論文の中で、次のように述べています。

 この関係に関わる変数に複素数値を与えることで、この関係を拡張して考えるなら、それまで隠されていた譚和と規則性が出現する。

 この考えはその後も通奏低音のように鳴り響き、リーマンの研究において指導原理の役割を果たしました。
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